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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アルゴス
280/328

BUG?

「おはよう、アタシ」

「どっか行け、アタシ」

 兄も友も犬もいない。真っ暗闇の中、ぼうと浮かび上がるのは同じ姿をした二人の少女だ。彼女らは見つめ合い、互いに手を伸ばし合う。

「夢から覚めた?」

「違う。ここは、ここが現実なんだ。向こうが夢なんだ」

 少女は目を細めた。もう何も言うことはないと思ったのである。

「ああ、やっと気づいてくれたんだね。それじゃあ、また、向こうで」

 夢も現実も嘘も真実も、何もかもが嫌になる。それでも少女は覚悟を決めた。何せ、『外』は酷くうるさい。気持ちよく眠れやしなかった。

「……じゃあね、アタシ」

 伸ばした腕が獣のそれに成り代わる。少女は、人の手で獣の手を握り締めた。

「じゃあね、アタシ」

 漆黒色の空間に色が灯る。目が潰れそうになって、少女は強く瞼を閉じた。夢の中に身を沈ませる為ではない。今度は、現実に戻る為にそうしたのだ。



 ――――銃はどこだ?

「……え、あれ、嘘?」

 医療部の女が驚きの声を上げる。患者衣のジェーン=ゴーウェストが目覚めたのだ。彼女はもぞもぞと、辺りに指を這わせる。

「どこ?」

「えっと、こ、ここは地下の駐車場で」

 ジェーンは首を振り、体を起き上がらせた。

「アタシのガンは、どこにあるの?」

「あ、あのう、田村さんか氷室さん。どっちでもいいんで、ジェーンちゃんの服と武器を取りに行ってもらえませんか? と、というか。大丈夫なの?」

 二人の情報部は頷き合い、氷室が車外に躍り出た。問われたジェーンは、駐車場内での戦闘に目を遣る。……春風と堀の姿を確認出来た。彼女らは、大男と戦っている。筋骨隆々の彼は、コミック・ブックに登場してきそうな風体であった。

「ノープロブレム」

 ジェーンは短く答え、首の骨を鳴らす。眠っている間にも、外の様子は聞こえていた。今、支部には『円卓』がいるのだ。彼らに与する者がいるのだ。至極、どうでもよかった。早く一に会いたい。それだけを考え、想い、彼女は邪魔者をねめつける。分かりやすい障害だった。起き抜けにはちょうどいい相手だと、彼女は小さく笑んだ。



 鎚屋は周囲に動くものを確認する。既に戦闘部は中之島ともう一人、情報部は木麻と春風を残すだけであった。堀はまだ戦えるらしいが、彼は脅威ではない。そのことに思い至ると、鎚屋は悲しくなった。もう、終わってしまうのか、と。

「寂しいな」

 何人か殺した。何人かは生き残った。しかし、再び立ち向かおうとする者はいないだろう。鎚屋は強い。自他ともに認めている。強いから、寂しいという気持ちもあった。彼と肩を並べられるような人間はいない。彼の感情を理解し合えるような者もいない。いたとすれば、それはもはや人ではないだろう。長引かせるのも可哀想かと、鎚屋が構える。堀たちは悲壮な表情を浮かべていた。


 ――――けだもの、か?


 鎚屋は両腕を顔の前で交差させていた。無意識の内からとった防御行為である。彼はそのことに気づくと、大いに笑った。胴間声が冷え冷えとした地下に響き渡る。

「ゴーウェストさん、もう、起きられるんですか?」

「心配かけちゃった。ごめんネ」

 現れたのは、少女である。日本人ではなく、鎚屋の知らない人物であった。だが、堀の言った名前には聞き覚えはある。ジェーン=ゴーウェストは、アメリカから来たSVのはずだ。

 ジェーンは、ブロンドの髪をツーテールに括っている。髪留めに使っている赤いリボンが彼女の幼さを示していた。黒いフェルトハットを被ると、ジェーンは口の端を歪めた。見定められているのだと、槌屋の肌が粟立つ。ジェーンは帽子と同じ色のダスターコートを患者衣の上から羽織っている。視線を下げるとループタイとネッカチーフが目立って見えた。ショートパンツにはガンベルトが巻かれており、リボルバーとブル・ホイップが差さっている。彼女はブラウンのウェスタンブーツの先で床を叩いた。ジェーンが動く度、ブーツの拍車がじゃらじゃらとした音を立てる。

「シシ狩りの時間かしら」

「獣はお前だろう」

 槌屋は破顔した。



 拍車が鳴った。

 六対一の戦いだが、槌屋はジェーンしか見ていなかった。彼女の速度は情報部のタラリアに匹敵する。単純な脚力勝負だとそうでもないが、ジェーンは槌屋の死角を衝くのが上手かった。彼女の体が小さいということもある。

「覇ァッッ!」

 地面が震えた。槌屋が一歩前に踏み込み、戦闘部の得物を砕く。そのまま、無手になった者の体にぶつかった。骨が軋み、その場に崩れ落ちる。防御すら出来ず、戦闘部の男は絶息した。

 槌屋はジェーンの姿を探した。発砲音が聞こえたと同時、彼は死体を担いで盾にする。銃弾は肉の壁に阻まれていた。

 音は聞こえる。ジェーンが移動する度にじゃらじゃらとした音が鳴る。だが、不思議と彼女の姿は捉えられなかった。不可視の獣を相手取っている気分に陥る。気を抜けば、喉元に爪牙が迫るイメージが浮かんできた。槌屋は槍を避け、蛇行剣を殴って弾く。

 ジェーンは駐車場の柱に身を潜めていた。彼女は、槌屋の隙を探り、トリッガーを引く。だが、彼は弾丸に込められた殺気までを認識しているのか、身を捩ってそれを躱していた。

 銃口を向けながら駆ける。槌屋の視線がジェーンに向いた。彼女は堀たちに目を遣るが、彼らは自分がどう攻め、どう防ぐかで精いっぱいの様子である。まともな連携を取られるとは思えなかった。数字の上では有利だが、実際よりも分が悪い。ジェーンは滑り込みながら、槌屋の胴体を狙って発砲を繰り返す。空薬莢が地面を叩く音を聞きながら、彼女は弾丸を再装填した。

 巨大なハンマーが振るわれている。ジェーンはそう錯覚した。槌屋の腕が地面を抉る。四散する破片を背にしつつ、彼女は物陰に身を潜めた。弾数は残り少ない。無駄弾を撃つ訳にはいかなかった。



 天津らが短時間でプロテクトを破ったのも、キープを再起不能せしめたことも加治には我慢ならなかった。だが、彼は人という種の限界を見られた気がして溜飲が下がっている。

「所詮は……か」

 試作七号機は眠り続けている。彼女を目覚めさせるのは父であり、恋人である自分の役目なのだろう。これこそが思し召し。加治はディスプレイを見つめ、キーボードに手を伸ばした。……九十九パーセント。エンターキーさえ押せばナナは起動するはずだった。彼は何の気負いもなく、無造作にそれを押す。バグだらけの七号機を初期化し、自分好みに作り替える必要があった。

「よせ、やめろ……」

 天津が立ち上がろうとしている。加治は、心底から哀れだと思った。

「君たちはただ、そこで見ているといい。もう少しだけ生かしておいてあげるから」

 試作七号機と繋がったディスプレイに、目では捉えられない速度で文字が流れ始める。作業の完了を示すウインドウが現れ、加治は顔を歪めた。大いに笑った。



 ヴィクトリアンスタイルのメイド服に身を包んだ試作七号機、ナナは目覚めた。彼女は周囲の状況を確認し、現状を推察し、把握する。

「……おはようございます」

 穴だらけの技術部。センサーが血の香と硝煙を検出した。破壊された隔壁。見知った顔が倒れている。弾丸によって穿たれた者からは生体反応がなかった。崩れたバリケード。苦痛に喘ぐ低い声。五体の自動人形。そして、禿頭の老人。――――ナナは彼の名を知っていた。造られた存在である彼女にインプットされた事柄である。技術部の加治ことヘパイストスが、慈しむような視線を向けていた。

 上半身だけを起こしたナナはマスターを認識する。

「ああ、おはよう。よく起きた。よく目覚めたね。さあ、七号機。私の命令を聞いてくれるね?」

「あなたは……いえ、あなたが」

 加治の声には抗えない温かみがあった。自動人形の身では抗えない定めである。

「マスターはどこですか」

「……私がマスターだよ、七号機」

 言語中枢に異常はない。思考する回路は至ってクリアで、正常である。ナナは天津の姿を探した。己が敵を見定める為だった。

「私がお前を作ったんだ。お前のマスターは私以外に存在しない。自動人形の幸せというものを教えてやろう。七号機よ」

「ご存じないのですね」

「何……?」

 加治が表情を変える。

「あなたには皆目見当もつかないようですねと、ナナは言ったのです」

「あなた、だと? 違うっ。私はマスターだっ。お前のマスターは私だっ」

「ナナのマスターは――――」



 繋がったケーブルが胎児と母親とを結ぶ、へその緒に見えた。天津は口元を緩める。

「……そうだ」と呟く。

「それでこそ」と囁く。

 天津は言った。

 ナナは言った。

「私のマスターはこの世界で唯一人」

「ぐっ、何故だ。何故だっ!?」

 加治が叫んだ。ナナがケーブルを自らの手で引き抜く。その瞬間、ディスプレイには大量の文字が現れ、流れた。


 ――――1。

 111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111。


 数字の一が、画面上を覆い尽くしている。

「何故なんだあ!?」

「完全に、完璧に、完膚なきまでに。一一様こそが、この身と、心を支配出来る存在なのです」

 袖口からガトリングが姿を覗かせた。加治はパァラに抱えられ、隔壁の向こうへと運ばれる。残った自動人形四体がナナに襲い掛かった。

 ガトリングが火を噴いた。掃射され、自動人形どもが防御態勢を取る。ナナは作業台から飛び降りると左腕を突き出した。肩部を破損していたチェインの胴体に、彼女の腕が突き刺さる。

「あなた方を敵性存在と認識しました。主に傅く身なれど、主の許可なく戦闘行動を開始しています。悪しからず」

 呻くことも、泣き叫ぶこともない。チェインの身体が二つに分かれた。ナナは彼女の上半身を片手で振り回し、近くにいたドリィの顔面に叩きつける。衝撃を受けた自動人形が抵抗出来ず、壁にぶつかった。

「皆さんを傷つけたのは、あなた方ですね。……『よくもやってくれやがったな、てめえら』と、マスターならそんなことを言うのでしょうね、きっと」

 トゥイニーとルウムが構える。彼女らはすぐに動けなかった。試作機であるナナとはスペックが違う。経験が違う。故に、判断し、行動を開始するまでの速度が違う。

 靴底から炎が噴き上がった。次の瞬間、ナナのスカートが翻る。彼女はダガーとナイフを両手に構え、ルウムの関節部分に突き立てた。刃先は欠けるが彼女の挙動は鈍る。ナナは反撃を肩で受け止めると、空いた右腕でルウムの顎に下方から掌底を放った。次いで、左腕で彼女の服を掴む。力ずくで引き寄せ、自身は少しだけ屈んだ。その状態でルウムの腹部を叩く。彼女の体が僅かに上がる。目にも止まらぬスピードでもう一撃。

「これはっ、技術部の、皆様の、受けたっ、分です!」

 拳による連打を受け、ルウムは宙に浮いていた。その状態で尚も殴られ続ける。ナナのラッシュは止まらなかった。が、自動人形の装甲が耐えられない。ぱらぱらと、ルウムの身体が崩れていく。パーツが抜け、欠け、落ちる。ナナが最後の一撃を見舞うと、彼女の頭部は天井に突き刺さって落ちてこなかった。

 ナナは残ったトゥイニーに目を向ける。

「……次はあなたです。さて、どんな技で壊してあげましょうか」

 心も感情もないはずの自動人形が慄いたように見えた。



 地に聳える百眼の巨人が天を衝かんばかりに拳を振り上げた。風が荒れ狂い、空を震わせる。だが、その手が何かを掴むことはない。彼が相手にしているのは風に近しい存在である。百の目をもってしても捉えられる速度ではない。上下。前後。左右。どこを見ても、どこにもいない。目玉は刳り貫かれ、抉り取られ、切り潰される。時間と空間を支配するアルゴスの死角が徐々に増えていく。

 旅が死角を作り出せば、エウリュアレとアテナがそこを衝く。撃ち出された蛇に噛まれ、盾による突進を受けてダメージは蓄積していった。地上にはステンノがいる。彼女の一撃が、遂に巨人の体躯を揺るがせた。

「……これが、混じりけのない怪物のやり方かよ」

 近畿支部の屋上で、北は独りごちた。彼は見る。巨人が膝をつく瞬間が、やけに空々しいものに思えた。

 風が奔る度、アルゴスの視界が狭まっていく。不寝の番人の瞼が強制的に下ろされていく。毒が回り目が腐る。衝突を受けて目が弾ける。一撃を浴びて周囲の肉ごと目が潰される。万を数えたソレの眼が消えていく。

「もう、避けられないよ」

 旅が中空に留まった。アルゴスは彼に気づくことが出来なかった。ハルペーの炯々たる輝きすらも見えないでいる。……弧を描いた刀身は、内側に刃がついている。この武器の使い方の本質は槍のように突くのではなく、剣のように切るのでもない。刈り、取るのだ。

「あら、本気じゃない」

 アテナが愉しげに囁く。風が彼女らのいる場所にまで吹き荒れていた。今、旅はこの地球上で誰よりも速かった。首を傷つけられ、抉られたアルゴスが声を上げた。悲痛なそれは、確かに天に届いたろう。ただ、それだけだ。速度を得た神が数度往復し、巨人の首を遂に奪い取る。

 刈られ、切り離された首が落下し始めた。顔中にある無数の洞からは涙が零れている。主神の妻の僕が二度目の生から解放された。だが、彼の目玉を孔雀の尾羽に飾りつけるものはどこにもいなかった。



 小さな体が深く沈んだ。ジェーンはリボルバーを構えながら疾駆する。同時に、情報部の二人が動いた。彼女らは天井を蹴って上から攻める。

 本来なら目にも止まらぬ速度であった。が、槌屋は既にタラリアを使用した木麻、春風のスピードに慣れている。彼は木麻の足を掴み、軽々と振り回した。彼女は必死に逃れようとするが、掴まれた足首が軋み、

「ひうっ、あ、ああっ、ああああああああっ!?」

 折れる。

 のみならず、迫る蛇行剣の盾とした。中之島は咄嗟に得物を戻そうとしたが、木麻の背を切り裂いてしまう。スーツが、皮が、肉が裂けて鮮血が迸った。ジェーンが銃撃を二度放つ。易々と避けられた。

「木麻凛っ」

 春風が攻撃を中止し、槌屋に投げ飛ばされた木麻のもとへ向かう。中之島はそれを避けて反撃を試みた。蛇行剣が標的に迫るも、彼は素手で刀身を受け止める。

 蛇行剣は指二本で受け止められていた。挟まれた刀身が、ぱきりと音を立てて折れる。戦う術を失った彼女が、槌屋の攻撃を防御出来たのは奇跡に近かった。交差させた両腕に、ハンマーよりも強力な一撃が襲い掛かる。みしりと軋み、砕けた。右腕の骨が粉砕され、中之島は声すら出せずに吹き飛んでいく。

「貴様っ、槌屋!」

 堀が槍を突き出した。木麻を庇った春風が駆け出した。

 槌屋は鋭い息を吐き出し、槍の柄を殴り上げる。上向きになった堀の得物が真っ二つに分かれた。中空にて回転する穂先をキャッチすると、槌屋はそれを投げつける。飛び掛かっていた春風の太腿に突き刺さり、彼女は床に落下し、苦しそうな声で呻いた。

 大地を踏みしめる。槌屋が拳を突き出しながら前進した。相手の意識の隙をつくように足を運び、体重移動を行う。鍛えられた脚力が、彼の体躯を『跳躍』させた。堀はその動きが見えていたが、体が動かなかった。迫る拳を掴もうとするも、スピードの乗った槌屋の一撃は捌き切れない。左胸に握り拳が突き刺さる。堀の肺腑から空気が排出された。絶息寸前の彼は崩れ落ち、折れた槍を手放してしまう。

 槌屋は、倒れた者たちを追撃しなかった。彼の視界に入らなかったのだ。……槌屋は今、獣と対峙している。ジェーン=ゴーウェストが、リボルバーをもてあそんでいた。

「……一対一だ。お前の名を聞きたい。教えてはくれないか」

「殺さないのね」

 伏した者を見遣ると、槌屋は申し訳なさそうに俯く。

「人が後ろに立っていると小便が出ない性質でな。小心者なんだ、おれは」

 冗談半分で言った槌屋だが、ジェーン以外を相手にしている時でも彼女の殺気を感じていた。意識が逸れ、力が上手く込められなかったのである。

「そう。……ジェーン=ゴーウェスト。アタシの名前よ」

「槌屋だ。どうか、忘れないでくれ」

 腰を落とし、拳を上げる。槌屋がジェーンの瞳をしかと見据えた。彼女は爪先で地面を叩く。とん、とん、とん、とん。一定のリズムが刻まれ始めた。その音に彼は聞き入った。


 鈍、と、リズムが変わる。


 弾丸が空気を食みながら突き進む。槌屋は、半身になってそれを躱した。彼は反撃に移ろうとしたが、破裂音が鳴り、目を見開いて動きを止める。

 牛追い用の鞭、ブル・ホイップが地面を叩き、真っ直ぐに伸びていた。槌屋は、鞭は時に音速に達することがあると聞いている。避けようとするも、ジェーンが片腕で狙いを定めていた。照準はぶれるだろうが、体のどこかには命中させるだろう。寸暇、思考。その内、彼の腕に鞭が絡みついた。

 槌屋が鞭を引き千切ろうとするより早く、ジェーンが地面を強く蹴る。絡みついた鞭を伝うようにして距離を詰めていた。ウエスタンブーツの拍車が擦れ、火花を散らせる。

「力比べかっ」

「お望みなら!」

 槌屋が鞭を手繰ると、ジェーンの挙動は氷上を往くかのように見えた。絡みついた鞭が解けて伸び、再び距離が離れる。ジェーンはトリッガーを二度、引いた。弾丸は彼の脇腹を掠り、抜けていく。槌屋は命中させられたことに驚いたが、痛みを覚えることはなかった。

 火花が上がる。槌屋は鞭を完全に解き、その先端を片手で掴んだ。ジェーンは彼の腕力に振り回されるようにして、天井近くまで浮遊する。しかし彼女はタラリアを履いた情報部のように天井を蹴り出した。反動がつき、距離が詰まる。槌屋は鞭を握ったまま、片腕をぐっと握り込んだ。中空にて迎え撃つつもりであった。

「呉ッッ!」

 揺さぶられた銃口が狙いを違えた。弾丸が天井を穿ち、照明灯を落とす。ハンマーを振るったかのような振動が空気を叩く。外すはずがないという意思を込め――――槌屋は我が目を疑った。ジェーン=ゴーウェストは鞭を手放し、無防備な姿を晒している。拳の行く末は彼女の腹だ。が、そうはならない。

 ジェーンの腕が、狼のものとすり替わっていた。槌屋は彼女の能力の全てを知らなかったのである。


 ――――真実、獣だったか!


 尖った爪が槌屋の拳に食い込んだ。軌道がぶれる。ジェーンは頭を下げ、低く唸った。彼はそのまま打ち抜き、彼女の爪が三本剥がれる。槌屋は残った腕を突き出そうとするも、それよりも早く銃弾を食らった。

 人と獣だ。彼女は片腕だけを狼化させている。そうして爪を犠牲にし、死地を脱した。対し、槌屋は自らの状況を認識する。右腕には爪が食い込み、損傷は神経にまで至っている。左の拳には銃弾が食い込み、指を何本か破壊されていた。

「なんだ、まだまだやれるじゃあないかっ」

 槌屋が身体を捻じらせる。ジェーンはリボルバーをホルスターに戻し、両腕を人狼のそれに変化させた。鋭い爪が交差し、彼の腹部が深く切り裂かれる。槌屋はダメージを無視し、全身で彼女にぶつかった。体当たりがジェーンの矮躯を捉える。彼女は後方へと引き寄せられるように飛ばされた。追撃を阻止すべく、彼女は狼の腕から人間のそれに戻し、ろくに狙いを定められないまま発砲する。

「人の身でおれは倒せんぞ!」

 槌屋が前進する。

「獣如きにおれは殺せんぞ!」

 吐血しながらも彼は突き進む。追い求め、希っていた敵へとひた走る。ジェーンは吼えた。

「だったらアタシに倒されろっ」

「覇破ッッ、確かに!」

 銃弾が槌屋のこめかみを掠める。彼の体勢が崩れかける。ジェーンが跳んだ。彼女は槌屋の胸を踏みつけ、彼に膝をつかせる。跳ねながら、残っていた弾をありったけ撃ち込んだ。筋肉の鎧が削られていく。それでも槌屋は手を伸ばした。趨勢を悟りながらも戦う意思は残っていた。

「ここまでよ、ツチヤ」

「…………やれ。おれはしぶといぞ」

 ジェーンは銃をガンベルトに納めると、荒い息を吐き出す。槌屋は立ち上がった。満身創痍という出で立ちであった。

「やらない」と、駄々をこねる子を言い聞かせるようなそぶりで、ジェーンが首を振る。

「戦う相手はよそにいるんだもの」

 ジェーンが地上を指した。その瞬間、轟音と衝撃が地下駐車場に響き、伝わる。槌屋は、巨人が落ちたのだと直感した。

「そうか。……そうか」

 槌屋はその場に胡坐をかくと、くつくつと笑う。自嘲気味のそれは、彼が負けを認めたことを証明していた。

「一つだけ安心したわ。アナタのようなソルジャーがあの場にいたとしても、ミツモリを助けられなかった。アタシはもう、ツチヤとは戦いたくない」

「残念だ。おれは再戦を望んでいる。だが、その為には」

 ジェーンは認める。槌屋の瞳に、再び力が宿るのを。彼もまたオンリーワンに属し、人外の化生に抗う者だった。

「許しを請うつもりはない。ただ、おれは拳を振るおう。おれに流れる血と肉が疼く限り。この街から、畜生を退けよう」

「まァ? どうせ、アナタを抑えられるヒューマンなんかいないし。好きにしてちょうだい」

「そうしよう」

 槌屋は立ち上がり、駆け寄ってきた医療部を押し留めた。彼は出入り口付近に鎮座する、アルゴスの肉片を見据える。槌屋はそれを、殴り飛ばした。封鎖されていた脱出路が、門番の手によって解放される。

「……ああ。もうじき、夜明けか」

 負傷した体を引きずり、槌屋は歩き去った。彼の後姿を見送ったジェーンは、ここにきてようやく安堵の息を吐き出した。



 槌屋を退け、脱出路が開いた。だが、犠牲も大きかった。半数が息絶え、生き残った者も武器を失い、手傷を負っている。未だ目覚めない者もいた。唯一、ジェーンだけが戦える状況にある。切れる札は少なく、どうにも頼りなく、あまりにもか弱い。だが、彼らは諦めなかった。

「……技術部だ。武器ならそこに残ってるし、あいつらだってまだ残ってる」

 氷室が技術部へと続く扉を顎でしゃくり、示した。田村は頷きかけたが、技術部には加治がいることを思い出す。

「自動人形を相手にするわけにはいかない。なら、彼らが粘っている内にここを離れる方がいい」

「何よ、それ。見捨てるの?」

 リボルバーを分解していたジェーンの手が止まった。彼女は田村をねめつける。

「全滅するのとどっちがマシなんだ」

「アタシは残る。……技術部に行くわ。だって、ナナが戦っているかもしれないんだもの」

「ぐ、いや、しかし……」

 田村は逡巡する。ジェーンが抜ければ自分たちの身が危うくなる。北駒台店までの道中でソレに襲われないとも限らない。何より、目的地が無事である保証はなかった。彼女抜きでの脱出は無謀に等しい行為であった。

「どうするよ田村氏。天津たちを信じるか?」

 それとも、鍛冶神の勝利を信じるか。人か、神か。……この場に春風はいない。指示を出す者は他にいなかった。道祖神の側面を持つ旅がいたとしても、彼が道を示しこそすれ、どの道を行けばいいのかを教えないはずである。だから、田村は迷いに迷った。

「天津たちを迎えに行こう。氷室君。き、君はここで皆を守ってやってくれ。僕と、ゴーウェストさんで……」

「クールよ、アナタ。ビッグボートに乗ったつもりでいてよね。しっかり、守ってあげるワ」

「あ、ははは。よろしく、お願いするよ」

 田村は結局、人であることを選んだ。ここは人の世なのだ。人が支配し、人によって支配される世界である。神如きが大きな顔をしていいはずはなかった。

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