Red Zone
一は『橋』を探していた。彼はシルフに連れられ、空中から駒台の街並みを見下ろす。街には怪物が溢れて、暴虐の限りを尽くしている。心なしか、人の声というものが少なくなっているように思われた。
「なあニンゲン、下のやつらは助けなくていいのかよ?」
「そんな暇ねえよ。それより、なんか変じゃねえか?」
「そうか? シルフ様には分かんないぞ。で、橋ってどこのことだ」
それは一にも分からなかった。大小問わず、駒台中の橋を見たつもりだが、ソレはいても『円卓』のメンバーらしき影は発見出来なかった。
「クソが」毒づき、一は近畿支部のある方角へと目を遣る。巨人が腕を振り回していた。ここからでははっきりとしないが、誰かがソレと戦っているのだろう。
「行かなくていいのか?」
「いかねえ」
支部にはまだ『円卓』に抵抗する者もいるのだ。喜ばしいことではあったが、今の一にはさして興味が持てなかった。それよりも、戦う者がいるのならあそこは大丈夫だと決めつける。
「それに、オマエの仲間ってやつらも見てない。なあ、心配じゃないのか?」
「へえ、お前は心配してんのか」
「べ、別にっ。ただ、なんか、いつものオマエだったら真っ先にそいつらんとこに行きたがるんじゃないかって思っただけだ! それだけだからなっ。シルフ様はオマエ以外のやつなんて、どうでもいいんだからな!」
そうかと短く返し、一は支部から目を背けた。
「……皆のことは気になるよ。けど、俺よりも強い連中ばっかりだ。上手いことやってる。そうに決まってる。だから、俺は俺のやれることをやるだけだ」
この街に神はいる。だが、自分に味方する神はいない。味方になってくれと頼みたい神もいない。立ち塞がるなら戦い、払い除けるだけだ。八百万の神々よりも、もっといいものが味方してくれているのだと、一はそう決意する。
「なんだ。変わったかなーって思ったけど、やっぱりニンゲンはニンゲンだな」
「そうか? ……まあ、ありがとうな。じゃ、次はこっちに行くか」
いいってことよ。そう言って、シルフは風を身に纏う。一は東の方角を指差した。
階段の踊り場から藤原は動かなかった。堀は階上から槍を突き出すが、藤原は手甲で弾くことで攻撃を防いでいる。高所の利を捨てられず、堀は足を止めて突きを繰り返した。
「時間がないんじゃなかったのか?」
堀は答えない。藤原はあくまで、彼らの足止めが目的であった。時間を無為には消費出来ない。だが、堀は仕掛けるのを未だに躊躇っている。
怪物を殺した。
神すら殺せる。
戦うと覚悟を決めた。しかし堀は、心のどこかでは仲間だと思っている者を手にかけたくないと思っていた。
――――友を殺し我が子を殺し、それでも私はっ。
槍が鈍い。藤原はつまらなさそうに穂先を弾くと、足を一歩踏み出した。堀は咄嗟に得物を引いてしまう。
「いいのかよ、それで」
手甲が迫る。堀は身を捩り、藤原を肩で押し戻した。攻め手に欠いているのでも攻めあぐねているのでもない。迷い、躊躇い。それらを振り切ってしまえばいい。
「いいんだな、それで? ……いいか。俺はお前をどつきまわしたあと、後ろにいるやつらをぶっ殺そうと思う。任されてたのは足止めだが、見逃せまでとは言われてねえからな」
「冗談でしょう。あなたにそんなことが」
「出来るさ。俺は聖人君子じゃねえ。こっちの命だってかかってるしな。誰に見られてるか分からねえんだ。出来ることを出来る内にやっとく。それが仕事だ。俺の仕事だ」
藤原の目が、堀の背後を捉えていた。彼の言葉に嘘がないように思えて、堀は戸惑う。
「何故だっ、何故ですっ。一緒に、私たちが共に『円卓』に抗えば! あるいはっ」
「勝てるのかよ。必ずあいつらをぶっ倒せるって言えるのかよ。逆らって抗って戦ったところで、殺されちまったら何にもならねえ。俺は、お前みたいに偉くねえんだ! 死ぬことに、戦うことに誇りを覚えたりなんか、出来ねえ!」
手甲が槍を防ぐ。散る火花が互いの視界に映り込む。
「ガキみてえな理想をいつまで持ってんだ!」
藤原が隙を衝き、階段を駆け上がった。彼は堀の脇をすり抜け、槍を躱し、医療部のもとに向かおうとしている。
堀は諦めかけたが、俯きかけた瞬間、炉辺の姿が見えた。惚れた女だった。
「避けてください!」
だから、殺されるわけにはいかないと思った。無意識の内に投擲した槍は、藤原の胴を貫いている。悲痛な声は彼の耳に届いていたのだろうか。堀には分からなかった。
藤原は無抵抗であった。彼は槍を引き抜かずに、その場に膝をつく。即死は免れたが、出血量が多い。内臓を痛めているのだろう。藤原は吐血し、咳き込んだ。堀は彼に駆け寄るも、何もしてやれなかった。代わりに、医療部の女が二人、藤原の容体を確認する。
「……いや、いい。俺はいいから」
先に行ってくれ。そう言って藤原は、刺さっていた槍を引き抜いた。傷口からは臓腑が零れ、鮮血が溢れる。
「何故、こんなことを」
「分からねえ。……分からねえんだ」
藤原がオンリーワンに入社して数年が経ち、堀という男が戦闘部に配属された。彼の物腰は穏やかで、常に柔和そうな笑顔を浮かべていたが、彼の本性に、藤原はなんとなく気づいていた。
押さえつけられた獣性である。
堀は心の内に獣を飼っていた。藤原には理解出来ない。それを隠し通そうとする彼の心が、不恰好で、歪に見えたのである。
『誓約というやつでな。堀は全力で戦えない。いや、そもそも戦うことを禁じられている』
上司からそう聞いたのは、堀と出会ってから数か月目のことであった。戦闘を禁止されている男が戦闘部に配属された理由を問い質すことは出来なかったが、彼が戦闘を望んでいることには思い至った。そして、話してみると案外いいやつなのだとも分かった。
堀の正体に気づいたのは、彼自身の口からによるものだ。アレス戦の前夜に、堀が藤原に打ち明けたのである。彼はその正体に驚いたが、なるほどと得心もした。
「藤原さん、藤原さん、しっかり。お願いだ」
「…………ん、ああ」
思考を断ち切り、過去の回想から現実に戻る。目を開ける。藤原の視界には霞がかかり始めていた。
「すまねえ、が、お袋と親父を、車を、よろしく、たのむ」
堀は何度も頷いた。藤原はありがとうと言いたかったが、上手く喋れなかった。彼は目を瞑り、再び思惟に耽った。……何故だろうか。何故、こんなことをしたのだろうか。『円卓』に従うような形で同僚と戦う覚悟を決めた。人類を、今までの自分を裏切るような真似をしたのはどうしてだろうか。
「お前になら、頼めるからな」
「藤原さんっ。俺はっ、あなたに期待されるようなやつじゃあないんだ」
自分とは違う。堀は人間だが、英雄でもあった。彼は苦しみ続けながら、戦場に身を置き続けた。一人きりで最期を迎えた男に、藤原は幻想を抱いていたのかもしれない。それが夢だと知った時、おこがましくも、
「あ、ああ、そう、か……」
助けてやりたいと思ったのだ。同じ男として、同じ、人間として。
堀の味方であり、友でありたいと思っていた。藤原は確信する。彼になら、彼ならば、この街を救えるのだ、と。『円卓』の肩を持った自分たちの代わりに、お願いだと呟いた。
「半分くら、い……持ってもらえや、なあ」
強いが、弱い。
弱さを知っているから強いのだ。
今の堀には、背を預けられる者がいるはずだ。藤原はそれを伝えたかった。
堀に代わり、氷室が先行する。彼は列の最後尾を歩いていた。足取りは重いが、戦う意思を失ったわけではない。
「あいつに失礼だろうからな」
藤原の死体はその場に置き去りにした。目を閉じさせ、両手を組ませた。供える花はない。だが、彼の死に報いるものはあるだろう。……やるせなかった。氷室は許せなかった。『円卓』が、藤原たちの弱さが、自分の無力さが許せなかった。
窓の外には巨人がいる。時折、振動と衝撃が建物の内部を襲った。だが、女神がいた。情報部の長たる神がいた。アルゴスさえ倒せば、この地獄から抜け出せる。あと少しだと、氷室は自らを鼓舞した。
地下駐車場は無傷であった。怪物がいる形跡もない。
「……やられた」
だが、ここには一人の男がいる。屹立した彼は、出入り口付近にその存在を主張していた。戦闘部の槌屋である。
「あれ、木庭くんじゃないかな。あの、死んでる人」
物陰から田村が指で示す。氷室がその先を目で追うと、倒れ伏しているものが確認出来た。分かれて行動していたはずの木庭は、頭部を床に叩きつけられて中身をまき散らしている。
氷室と田村は顔を見合わせた。槌屋はある意味、巨人よりも厄介な番人である。策もなくのこのこと行けば、問答無用で戦いになるだろう。
「マジかよ。やばいぞ、やばいなこれは。……堀に頼むしかないだろうな」
「けど、勝てるかな」
「地下、か。技術部からありったけの武器を持ってくるってのは?」
田村は首を振る。
「いや、あそこは駄目だ。助けてやりたいけど、加治がいる。今の戦力じゃあ手出し出来ない」
情報部の知る限り、槌屋は近畿支部で最強の男であった。下手をすれば、国内の勤務外や社員よりも強いかもしれない。
「どのみち、ここで立ち止まるわけにゃあいかねえか」
呼びつけられた堀は得物を握り締め、地下の駐車場にその姿を見せた。向かう先は槌屋である。藤原を殺したことで、彼の精神状態は万全ではなかったが、戦闘への意欲は失われていなかった。
「……堀か」
槌屋が腰を低く落とす。巨体が丸まると岩のように見えた。膨らんだ筋肉は分厚く、生半な攻撃ではダメージは通らないだろう。冷え切った空間に熱がこもるような気がして、堀は唾を飲み込んだ。負けるわけにはいかないと、背後を一瞥する。
「退いては、いただけませんか」
「やる前から腰が引けているぞ。俺は、退くつもりはない。お前とも戦いたいと思っていた。この状況は、俺にとって好都合だ」
「では、その代わりに他の方は見逃してもらっても?」
「構わんが、あの巨人がいるぞ? ……俺を満足させられたなら、考えてやらんこともない」
槍の切っ先が槌屋の心臓を指し示す。彼は無手だ。堀は距離を保って立ち回ることを考えた。その瞬間、空気が振動し、爆発する。
「これはっ!?」
堀の頬を何かが掠めた。鎌鼬が走ったのかと彼は錯覚する。槌屋は表情を変えないまま告げた。
「指弾だ。お遊び程度にしか修められなかったがな」
指弾とはいうが、槌屋は何も弾いていない。彼は空気を弾き、それを飛ばして武器としたのだ。鎌鼬とさして変わらない。風や、気といった不可視のモノを生み出せる。恐らく、自分が相手にしているのは人間ではない。堀は認識を改めた。
「近畿支部に、あなたのようなモノがいるとは」
「出張が多かったからな。俺も、お前とこうして話すのは初めてだ」
小手先の技術だけではなく、槌屋のスピードも中々に速かった。だが、北ほどではない。堀は、滑るように駆ける槌屋へと槍を突き出す。穂先が避けられ、柄の部分を折られそうになる。咄嗟に、得物を戻した。
真正面から衝突されては、堀といえども堪らなかった。彼は右方へとステップする。だが、槌屋はその動きを読んでいた。振り下ろされる拳が、堀の眼前に迫る。
「ほう」
堀は槍を地面に突き刺し、それを軸にして槌屋の腕を蹴り上げた。僅かに軌道が逸れ、堀は命拾いをする。硬質の床が人体によって砕かれた。舞い散る破片に紛れ、彼はその場から逃れる。
「……なるほど、お強いですね」
「いいや、まだまだ」
槌屋が再び構えた。彼は、堀の知らない歩法を使う。飛び込むタイミングを計られないように、槌屋は息を止めていた。
「奥深いものだ。人間とは」
堀の口角は、彼の知らない内につり上がっていた。
温かい。
ぼんやりとした意識の中、少女は星を見上げていた。
「綺麗だな」
「うん」と、彼女は答える。嬉しそうに、楽しそうに。
「月も星も、近く見える」
隣には兄がいた。友達がいた。わおん、と、庭では灰色の犬が鳴いている。……幸せだった。ただ、それだけで満たされていた。
「……邪魔だなあ」
叢雲が月を覆う。流れていた星が姿を隠す。少女は苛立たしげに呟いた。屋根から飛び降りると、待ち構えていたかのように老人が現れた。彼の隣には吸血鬼がいた。無粋である。邪魔である。彼女は銃を引き抜いた。高く、乾いた音が何度か響く。庭は血塗れになった。返り血を浴びた少女は笑顔で手を振る。兄と友が笑顔で手を振り返した。
「よくやったな」
「うん、すごい」
褒められたのが嬉しくて、少女は倒れて動かなくなったものを蹴飛ばした。馬乗りになって殴りつけた。柔らかい感触が拳に伝わる。犬が吠えた。もっとやれと煽っているようだった。影が伸びる。それを踏みつける。自分たち以外のものが鬱陶しくて仕方がなかった。だから殺した。自分たちの発する声、音以外がうるさく聞こえる。だから殺した。少女は気が触れたかのような笑い声を上げる。楽しかった。地面が消える。幸せだった。落ちていく。彼女は笑顔のまま堕ちていく。底のない闇に、少女の放つ声と銃声が吸い込まれる。どこまでもどこまでもきりがなかった。彼女はこれを夢だと知っている。
「……いや、知らナイ」
これは夢だと誰かが囁く。
「夢なんかじゃない」
少女の眼前に、少女が現れた。二人の姿は瓜二つであった。鏡を見ているようで気分が悪くなる。彼女は言った。
「消えて」
彼女は言った。
「……いつまでここにいるの」と、至極憂鬱そうに溜息ごと吐き出した。
銃に手を伸ばす。しかしそこには何もなかった。あれがないと困る。少女は、少女のリボルバーに手を伸ばした。
「これはアタシのだから。触らないで」
「それは、アタシのよ」
手を伸ばす。その手が撃ち抜かれた。痛みはなかったが、驚いて目を見開く。
「いいの? ここにい続けてもいいの?」
「いいの」
「お兄ちゃんと会えなくなってもいいの?」
「いいの」
ここは現実だ。夢ではない。現実の兄はもう自分を――――ここが現実だ――――見てくれない。だからここから消えたくない。少女は吠え声を上げる。
「あのお兄ちゃんは偽者だっ。本物だったらアタシを置いてどこかに行ったりなんかしないんだ!」
「本物だよ。あのお兄ちゃんが本当で、ここにいるお兄ちゃんは嘘なの」
「嘘なんかじゃない!」
ここには真実しかない。嘘などどこにもない。
「それに、アタシの友達はここにはいない。あの子は、ジャネットは」
「お前がっ、呼ぶなァ! ジャネットはアタシだけの友達なんだ! お兄ちゃんはアタシだけのお兄ちゃんだ!」
「……また来るから。じゃあね、アタシ」
消えろ。喚き散らすと、少女は本当に消えていた。闇の中、少女は深く、どうしようもないところまで落ちていくのを感じた。心地よかった。
槍が当たらない。回避するのに精いっぱいだった。人間とは、ここまで練り上げれば怪物の領域に手が届くのだろうか。あるいは――――。
堀は思考を断ち切った。槌屋の攻撃は硬軟、虚実を織り交ぜた老練な攻めである。剛腕に頼るようなやり方ではない。距離を離しても即座に詰められた。一撃一撃が重く、得物で受けることは出来なかった。
「本気か?」
「いや……いいえ、これが今の私です」
槌屋は無表情のままだったが、どこか愉しげである。返答と共に、堀が槍で薙ぎ払った。刹那遅れて疾風が走る。手応えのなさに彼は眉根を寄せた。
劣勢である。堀は歯噛みする。どうやら槌屋という男を見誤っていたらしい。今の自分にとっては肉弾戦、白兵戦でどうにかなる相手ではなかった。少なくとも一対一の戦闘において、勝利までのプロセスもビジョンも思い浮かばない。一歩動くのが恐ろしい。しかし一手打ち込むのが遅れれば死ぬだろう。百目の巨人が倒れても、目の前の男を倒さない限りここからは抜け出せない。無理矢理車を発進させても、槌屋なら追いつき、破壊しそうな気さえしていた。いや、壊せるのだろう。
くるりと、堀は槍を回した。槌屋は僅かに力を抜く。その時、彼はつまらなさそうに顔をしかめた。槌屋の視線の先には、新たな影がある。援軍であった。
支部内にいた戦闘部を手あたり次第に連れてきた中之島みぞれは、地下駐車場内に辿り着いた。彼女は後方で待機していた医療部から話を聞き、得物を引きずるようにしながら槌屋へと向かう。
中之島の後ろには、木麻凛率いる情報部の姿があった。彼女らは、『円卓』に味方する者たち全員を集めることは出来なかったが、駐車場を守護する者へと向かった。
槌屋は標的の人数を確認する。堀からは視線を外さないようにして、片目だけを動かした。戦闘部が七名。情報部が五名。数の上では圧倒的に不利である。彼は俄然、燃えた。堀との真剣勝負を邪魔されたが、萎えかけていた闘志を呼び戻す。
「出来そうなのは、中之島と木麻くらいか」
情報部の姿が一斉に消えた。タラリアを使い、天井と壁を蹴りながら疾風のように突き進む。槌屋は下がらず、自ら前へ出た。堀の突きを躱し、更に前へ。情報部の半数は彼の背後を取ろうとしたが、距離が開いてしまう。中之島の蛇行剣が煌めいた。彼女に続き、別の戦闘部が得物を投擲する。
「墳ッッ!」
槌屋が両足で床を踏みしめた。震脚の衝撃によって風が起こり、埃が舞う。投げナイフは勢いを失い、彼の拳によって刃先を砕かれた。槌屋にとっては、止まっている刃を破壊するのは造作もない。
続いて、情報部が左右から迫る。槌屋の巨体が宙を舞った。彼は左方の男の顔面に鋭い蹴りを放つ。目鼻がぐしゃりとひしゃげた。速度が乗っていた分、威力も計り知れなかった。男は吹き飛び、十数メートル先の壁にその身を叩きつけられる。槌屋の体躯は未だ宙にある。長い滞空時間を活かし、体を捻じり裏拳を放った。右方からの襲撃者が錐揉みになって天井に衝突する。
槌屋は着地し、堀の槍と中之島の剣を、身を低くして避けた。そのまま反撃を行うが、二人は後方へと跳躍していく。追撃を諦めて、上方の木麻を迎え撃った。全身の筋肉に力を込めて攻撃を受け止める。彼女の靴底は槌屋の肩へと突き刺さるように命中した。だが、木麻は手応えを感じられなかった。まるで岩とぶつかったような感触を受け、彼女は再び距離を取る。
「おおっ……!」
ナイフが迫っていた。槌屋はそれを殴り飛ばす。飛び道具を盾に走り込んでいた戦闘部の女が、金属製の棒を振り下ろした。槌屋は指一本でその武器を受け止めて、驚愕する彼女の腹に肩からぶつかる。骨が軋み、砕ける。女は呻き、得物を取り落して後方へと転がされた。
「やはり、女は華奢だ。男に生まれて本当によかった」
呟き、槌屋は棒を拾い上げる。彼は武器を使うのが嫌いだが、数ある武器の扱いにも精通していた。こと、相手が多数では使わざるを得ないと判断したのである。
髪を振り乱した中之島が、ゆらゆらとした独特の動きで距離を詰める。背後からは、直線的な動きの堀が迫っていた。ならばと、槌屋は持っていた棒を折る。それを両手に構え、槍による刺突を弾き返した。次いで、いつの間にか懐に飛び込んでいた蛇行剣を受け止める。中之島は顔をしかめた。一合打ち合っただけで、彼女は手首を痛めてしまう。槌屋とは根本的な膂力が違うのだ。
情報部が槌屋の背を蹴りつけるも、彼はびくともしない。むしろ、攻撃した側がその部位を痛めている。
「何なのこいつ!?」
木麻が叫んだ。
「埒外の化生だな」
春風が狙いを絞らせないよう、ジグザグに距離を詰める。彼女は中空で回転し、その反動で踵落としを放った。槌屋は棒で受けたが砕けてしまう。隙を見逃さず、堀が彼の足元を払った。が、その攻撃すらも読んでいたらしく、槌屋は低く跳躍し、組みつき、近づいていた者たちを払い飛ばす。
深い呼吸の後、槌屋の動きがぴたりと止まった。だが、彼の隙を見いだせる者はいない。互いが仕掛けるタイミングを待ち、逸した。
「仕方ねえ。最悪、無理矢理突っ込むしかねえな」
「う、うん。全員、医療部の車に分乗しよう」
氷室、田村が、槌屋の様子を見ながら医療部を誘導する。何台かに分かれて乗るが、全員が助かるとは限らない状況であった。巨人は未だ健在であり、別の『円卓』派に後ろを衝かれる可能性もある。
「ああああ、やべえ、やべえなあ」
槌屋と戦うのは堀、中之島たち戦闘部、木麻の連れてきた情報部と春風だ。これ以上の増員は見込めそうにない。彼らが倒されれば、槌屋の目は自分たちに向くだろう。ぶるりと、氷室の体が震えた。
うるさい。
「……今、誰か何か言ったか?」
車内を見回す氷室だが、助手席の田村は首を振る。彼らの乗る車には、ベッドから下ろされ、意識を失っている炉辺とジェーン、二人を看る医療部の者しかいなかった。
「いや、誰も。何も言ってないと思うけど」
医療部の女はジェーンの頭を自分の膝に乗せている。彼女は、幼い少女が身じろぎしたことに気づかなかった。
地下駐車場での戦いが始まっていた頃、技術部の隔壁は遂に破られた。
「いきます」
十二号機のチェインが殴打の繰り返しにより、他の自動人形よりもいち早く拳大の穴を開けていた。彼女はその穴から射撃をするつもりである。
「伏せろォ!」
だが、待機していた技術部の反応の方が速かった。彼らはその穴の向こうへと手りゅう弾を投げ込んでいる。チェインはそれを拾い上げて投げ返そうとした。直線に宙を進む手りゅう弾だが、穴の向こうにあるライオットシールドに弾かれる。瞬間、爆発と共に破片が飛び散った。
技術部の使う手りゅう弾は、破片を飛散させるのを主目的とする破片手りゅう弾である。攻撃手りゅう弾よりも殺傷効果という点で劣るが、威力は充分だった。チェインは咄嗟に、起爆寸前だった手りゅう弾を遠くに蹴り飛ばしていたが、破片は加治たちに襲い掛かる。彼は自動人形に守られたが、チェインだけは直撃を受けた。機能を停止させられるダメージこそなかったものの、肩に突き刺さった破片の所為か、挙動が鈍くなっている。
「何度も通用するような手ではない。やりなさい」
再び、自動人形が攻撃を開始した。開いた穴からは天津らによる銃砲があったものの、装甲を弾くだけに留まっている。意に介さず、自動人形は一定のリズムで隔壁を殴り続けていた。
空恐ろしい音を聞きながら、天津らは散発的な銃撃を続けていた。弾薬は有限である。しかも、数を撃ったところで自動人形には傷一つつけられない。手りゅう弾はまだいくつか残っていたが、今度は盾ごと破壊され、投げ入れられてしまうだろう。
「どうします? 三秒数えて投げますか?」
「……映画でよく見るやつだろう、それは。嫌だよ。起爆までの正確な時間なんてあやふやになるし、下手したら自爆ってことになりかねない」
天津は首を振る。彼は、いよいよとなれば、自爆という手も悪くはないと思った。
「あーあーあーあー、対物ライフルが残ってたらなあ!」
「ないものねだりしたって仕方ねえだろ。それより、弾よこせ」
「いや、もうないし。誰かー、こっちに弾薬分けてくんねえ?」
「言ってる場合か! バリケードと盾を……うおっ!?」
「御子神とナナを先に入れろ!」
いつの間にか音は止み、五つの穴が開いていた。そこから覗くのは、五つの銃口である。自動人形たちはガトリングによる一斉射撃を狙っているらしい。技術部は盾を前にしながら、簡易的なバリケードの後ろに逃げ込んだ。全員が内側に逃げ込むより早く、弾丸の雨が降り始める。篠突く雨は床を、壁を、天井を、盾を、人体を、何もかもを穿ち、削り取った。
「任務、完了です」
「マスター、次のご指示を」
数分の後、天津たちは抵抗出来ない状態に追い込まれる。バリケードは四散し、死者が崩れ落ちる。息のある者も血溜まりの中で身動きが取れない。隔壁は遂にこじ開けられ、人形どもが技術部の前に並んだ。
加治はパァラに抱きかかえられて壁に手をついた。そうしてからゆっくりと、久方ぶりに、自らの足で地に立った。
「試作七号機は?」
「……無事です。起動までのプロセスは、九十九パーセントが完了している様子です」
「危ないところだったかな」
天津はまだ生きていた。だが、肩と足に銃弾を食らい、歯を食い縛るだけでいっぱいだった。まだ息のある者はいるだろうが、この状況下では反撃する気さえ起こらない。
「あと、少し、だったのに……」
御子神が荒い息を吐き出す。天津は涙を流した。御子神の腕には無数の穴が開いている。最後の最後まで粘り、作業を続けていたのだろう。技術者にとって腕は命にも代えがたい。申し訳ない気持ちで天津は死にたくなった。
「う、く、ううううう……!」
加治は笑った。すすり泣く天津らを見て、おかしげに嗤った。
「試作七号機の起動に移る。く、く、どうせ彼らは、データを全て渡していなかったのだろうよ。バグは残っているだろうが、初期化してしまえば問題ない。どれ、やるとするか」
やめてくれと、誰かが叫んだ。ぱん、と、乾いた音がして、声は止んだ。