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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アルゴス
278/328

人、神、機



 駒台の夜空を、三つの流星が横切った。地には堕ちず、中空に留まって巨人を翻弄しているのはゴルゴン姉妹の次女、飛翔のエウリュアレである。彼女の横にはタラリアを履いた英雄、ペルセウスがいた。二人は敵同士であるが、今だけは協力し合っている。

「てめえらと肩を並べるとは。世も末ってやつだな」

「あの女神がいなければ、とうに殺し合っていたわ」

 巨人の右腕が水平に流れた。近場の空間にいたものをすり潰すような攻撃を躱し、北はハルペーを突き立てる。だが、彼の行動はアルゴスの全身に生えた目が捉えていた。ソレは巨躯に似合わぬ動作で身を捩る。のみならず、巨人は反撃を試みた。

 女神アテナが巨人の腕を盾で受け止める。耳をつんざく衝撃音、次いで風圧。アルゴスの足元では力のステンノが一撃を加えている。しかし、並ならぬ肉体を揺るがすことは叶わない。

 エウリュアレが毛髪を蛇に変化させる。空を自由に駆ける毒蛇がアルゴスの腕に噛みつこうとした。しかし、やはりその攻撃も見られている。回避され、その際に起こった風により、蛇は彼方へと飛ばされた。

「毒も打撃も効いちゃいねえ!」

「そも、当たっていないのだから、ねえ」

 と、アテナは気楽そうに言ってのける。北は彼女をねめつけた。

「あんたが力ずくでぶつかりゃいいだろうがっ」

「嫌よ。そんな野蛮な戦い方」

 舌打ちし、北はアテナから視線を外す。人間の姿を取り戻した彼女だが、その力の全てが戻ったわけではないのだろう。彼は、所在無げに突っ立っていた旅を見つける。……そこにいたのかと、北の顔に喜悦が宿った。



 見つかったか、と、旅は肩を竦めた。

「やあ、ペルセウス」軽く手を上げると、北は荒っぽく屋上に着地する。彼は世間話をするつもりはないらしく、サンダルを脱ぎ捨て、ハルペーを投げ放った。

「ほら、あんたのだぜ。こんなところで高みの見物してる場合じゃねえだろうが」

「いいのかい?」

 旅は、杖を振るう。光の軌跡がサンダル――――タラリアとハルペーをなぞった。

 杖の頭には翼が飾られ、柄には二匹の蛇が巻きついている。その名を、ケリュケイオンといった。

「なら、予備でよければ使うといい」

 北は放り投げられたサンダルを受け取る。オリジナルではなく、技術部の作製したタラリアのコピーであった。彼は、本物を本物の手に返したのである。

「頼むぜ。神様」

 旅は――――百眼殺し(アルゲイポンテス)の異名を持つ者は頷いた。


 ヘルメス。


 ギリシャの主神の子であるヘルメスは、オリュンポスが十二神の一柱に名を連ねる。泥棒、商業、羊飼い、旅人の守護神であり、神々の伝令役を務めていた。

 かつて、ヘルメスは主神の命を受けてアルゴスを退治している。

「やれやれ、皆、僕に仕事を押しつけ過ぎなんだよね」

 泥棒と嘘の才能を持つヘルメスは、主神の忠実な部下であった。ケリュケイオンを持ち、タラリアで世界の空を駆け回った。密命を受け、幾度かハルペーを振るった。また、彼には死者を冥界に導く、死神としての任もあった。……ヘルメス――――旅は、情報部の長という仕事が嫌いではなかった。何せ、部下を走らせるのが主な内容である。

「楽をするのも、ここまでか」

「本家のやり方ってのを見せてもらうとするか」

 苦笑する。北の履いていたサンダルはケリュケイオンの魔力により、黄金の翼が生えたものに変化していた。旅はそれを履き、ハルペーを右手に構える。

 屋上から一陣の疾風が舞い上がった。旅は地面を蹴りつけていたが、その音は遅れて聞こえてくる。



 旅の姿は何者にも捉えられなかった。飛翔の名を冠するエウリュアレでさえも、女神でさえも、タラリアを借り受けていた英雄でさえ、認識出来なかった。痕跡として、彼の通り過ぎた空間に音と風があるだけだ。

 アルゴスの目玉が前後左右、忙しなく移動する。

「君は悪い怪物ではなかったけれど」

 巨人の目玉が切り裂かれた。苦痛も真実も、寸暇遅れてやってくる。アルゴスは両腕を振り回した。

「その図体は、少し邪魔なんだ!」

 百、千、万。アルゴスの目玉は風と共に裂かれて潰されていく。徐々に死角が増えていく。流れる血液が眼下の地面を強く叩いた。それでも尚、旅の姿を映すことは出来ない。不可視の風が相手なのだ。視覚に頼る者からすれば無理からぬ話だった。



 医療部を連れての移動は鈍足だった。総勢は三十名にも上ろうとしている。周囲に気を配りながら、ベッドに横たわる者に強い衝撃を与えないように、慎重に地下へと向かうのだが、氷室は焦れていた。彼は先行して様子を見ながら、後続をゆっくりと進ませる。殿を務めるのは田村だ。

 まずい、と、氷室は足を止める。階段の踊り場に戦闘部がいた。手甲を装備した男、藤原の姿がそこにあった。同様に、後方を見張っていた田村も足を止める。後ろからは堀が見えていた。別の道を進ませようにも、挟まれていてはどうしようもない。挟撃覚悟で立ち向かうしかなかった。

 問題なのは『円卓』の息がどこまでかかっているか、である。中之島みぞれのような者もいれば、彼女に殺された、いわゆるハト派の戦闘部もいる。藤原たちとは話し合えるか、それとも交渉の余地なく命を奪い合う戦いになるのか判然としなかった。

「堀はまずい」と田村が口にする。先の、北との戦闘で見た通りなら、堀は躊躇なく槍を振るうはずだと判断した。

 だが、藤原もまずいというのが氷室の意見である。藤原という男はどの派閥にも属していない。だが穏健な中立派かといえばそうではない。『円卓』という後ろ盾と力を振るうに値する場を見つけたのなら面倒な相手であった。

 結局、足を止めて停滞するしかない。田村と堀の距離が狭まる。彼は覚悟を決めたが、

「ここは任せてください」

「……え、え?」

 堀は、穂先を向ける相手を既に定めていた。



 田村を横切り、医療部を横切り、氷室を横切る。眠り続ける炉辺の顔を網膜に焼きつけると、堀は槍を持ち、階段付近まで足を進めた。藤原がこちらを見上げている。

「『円卓』の敵か、味方か。それだけを答えてください」

 しかし、堀は答えを待つまでもなく、理解していた。藤原は支部から逃れようとするのではなく、武器を備えて要所を陣取っている。それだけで、十分だった。ただ、確証が欲しかった。裏切らないでくれと、期待していた。

「どうやら、お前は『円卓』の敵に回ったみたいだな。安心しろよ。俺は『円卓』の味方ってわけじゃねえ」

「……ただ、我々の味方をするつもりもないようですね」

 手甲を合わせて、藤原は好戦的な笑みを見せた。

「まあな。俺は、会社の味方なんだよ。やれといわれりゃやるしかねえ。下っ端は上に従うのが筋ってもんだ。それがどんだけ、間違ってたとしてもな。だとしても、俺はここに世話になった。だったら、なあ?」

「正直に言って、私はあなたとは戦いたくなかった」

 槍を回転させ、その切っ先を藤原に向ける。堀は片手で眼鏡の位置を押し上げた。

「戦えるのか? 堀、お前はまだふらふらしてんだよな。そんなんで俺に、人間に勝てんのかよ?」

 殺す気で来い。そう言われている気がして、堀は覚悟を決めた。北と戦っている時とは違い、思考がクリアになっていくのを感じる。やはり、間違いない。どこまでいっても自分は英雄でしかないのだ。



 道祖神が巨人に挑み、堀が藤原との戦いを始める少し前、地下にある技術部でも状況が動き始めていた。

 ナナを連れて、技術部の一画に閉じこもった天津たちだが、彼らの命は風前の灯火も同然だ。隔壁の向こうからは産声が聞こえていたのである。彼らの長、加治の『娘』の起動が終了していた。

 天津は薄暗い部屋を見回す。ここは開発室のような場所であった。作業台の上には機能を停止しているナナが横たわっている。彼女の後ろ首からはジャックに刺さったケーブルが機器に繋がっていた。ディスプレイを睨む男がいる。下ろされた隔壁の前には、バリケード代わりの机や、棚が積まれていた。

 天津はモニターを見つめる。隔壁の向こうの様子は隠しカメラで確認出来た。そのカメラも、元は加治派の者が設置していたのだが、気づいた天津派の技術部が遊び半分に弄り回していた。

「始まるか」

 皆の顔は一様に暗かった。武器はある。弾薬もある。だが、ナナの起動は困難を極めていた。……アグニとの戦いが終わった時、ナナを受け取りに来た技術部は、加治派の者であった。

 試作七号機こと、ナナの人工知能にはバグがある。彼女自らがマスターを定め、不必要な知識を吸収しようとする。加治はそのことを恐れていた。彼は、いずれナナが人間の味方をすることが分かっていたのである。

 だから、落とした。

 加治らはナナの起動を停止させ、放置していた。天津はナナを奪い返したが、彼女の起動に必要なソフトには、何重ものプロテクトがかけられている。

「パスワードもダイヤルキーも必要ないが、これは、中々に強烈だね」

 天津の部下がキーを叩く。彼の額には汗が滲んでいた。

 ナナと、彼女のデータをリンクするワークステーションといった最低限の機器は持ち出せたが、戦力としては心もとない。大きなミスをすれば、ナナのデータが『飛ぶ』ようなロックや、トラップがかけられていた。失敗は許されない。時間はない。だが、彼女の起動に成功するよりも、ここへ踏み込まれる方が速いだろう。誰もが、そのように予測していた。生き残り、死地から脱するには『娘』の力が不可欠である。

「……時間を稼ぐしかない、か。なんとしても、ナナの目を覚まさせるぞ」

 それだけではない。ナナを見殺しにするつもりは、誰にもなかった。



 加治が技術部にやってきたのは、天津がまだ新人の頃であった。車椅子で、禿頭の老人は人知を超えた知識を所持していた。

 加治はオンリーワンに協力する条件として、自動人形の開発を手伝う、というものを呑ませた。彼が自動人形を造ったのは、とある人物に対する復讐が理由である。その対象は、アレスという神であった。

 自動人形の開発は上手くいった。第一段階では、鉱物などを材料とした、ユダヤの泥人形程度のものしか出来なかったが、技術部の協力により、新たな素材、ノウハウを利用し、人型のものの作製に成功した。

 一、二、三。失敗した。人型というフォルムに気を取られ過ぎた。

 四、五、六。失敗した。人工知能が脆弱だった。

 七。成功した。これこそ、加治の望んだ自動人形であった。

「パァラ」

「はい」

「始めるぞ」

「はい!」

 そして、次なる人形が生まれて、落ちる。アレスとの戦いの後、改修を加えた。

 もはや八号機からは試作ではなくなった。加治らは、ナナの収得したデータを基に、彼女よりも強く、使いやすい人形を開発した。八号機パァラに続き、

「おはようございます、マイマスター」九号機トゥイニー。

「おはようございます、マイマスター」十号機ドリィ。

「行動を開始します。オーダーを。マイマスター」十一号機ルウム。

「行動を開始します。オーダーを。マイマスター」十二号機チェイン。

「……状況を認識。オーダーを始めます」十三号機キープ。

 計、六体の人形が加治の前に並び、隔壁の前に立つ。皆、フレンチメイドの恰好をしていた。ただし、劣情を誘うのが仕事ではない。彼女らの職務は、主人の命に従い、主人に背くものを悉く駆逐することであった。

 満足げに頷く加治の近くには、彼についた技術部が控えている。彼らは、ごくりと喉を鳴らした。食事を前にした犬の如き有様であった。

「では、君たちは」

「はっ、はい! なんなりと!」

 加治は目を細める。部下たちにはこう告げていた。『自動人形を好きに扱ってもいい』と。その餌に集り、群がった者は忠実なる僕ではない。

「遠慮なく、死にたまえ」

 塵であった。



 加治の人形が徐に腕を上げる。拳のパーツが外れると、中からは銃口が覗く。彼に、『円卓』に味方していた技術部は逃げようとした。背を向け、的になる。彼らに許されたのはそれだけだった。

「……むう?」

「マスター、隔壁が」

「お下がりください」

 下ろされていた隔壁が上がっていく。加治がやったのではない。天津の指示であった。

 少しだけ開いた隙間から現れたのは、簡易の盾と、二十を超える武器であった。弾丸が雨霰と発射される。メイドどもは加治の車椅子を巧みに動かし、彼の盾となる。落ちた薬きょうが床を叩いた。雷鳴のような騒音が室内に充満する。

「こっちだ!」

 ゴーグルをつけ、アサルトライフルを撃ち続ける天津が、加治派の技術部を誘導していた。彼に従って裏切った者たちが次々と逃げ込んでいく。その光景を、加治は憎々しげにねめつけている。彼の人形、トゥイニーとドリィが反撃を開始した。ガトリングが弾丸を射出する。床を削り壁を穿ち盾と衝突し肉を剥ぐ。天津たちは再び隔壁を閉めようとした。

「行きなさい」

 十一号機、ルウムが走り出す。彼女は降下中の隔壁の隙間から内側に入り込もうとしていた。だが、その行動を予期していた者がいる。裏切り、逃げ込んでいたはずの男が二人、ルウムを引き剥がそうとした。天津は止めるが、彼らは唸りながら必死になってしがみつく。

「ぐううううううううう!?」

「早くっ、早く閉めろ! 閉めてくれええええええええ!」

「待て! 待てっ、まだ二人が戻っていない! 戻っていないんだ!」

 自動人形の力に、人間では抗えない。しがみついていた男は腕を引き千切られ、足を捥がれた。涙を流し鼻水を垂らしても二人はルウムから離れなかった。彼女は内側に飛び込むのを諦め、苛立たしげに立ち上がり、男の頭部を蹴飛ばす。それだけで、胴体から首がすっ飛ぶ。その瞬間、重々しい音と共に隔壁が閉じ切った。

「ドブネズミが」

「申し訳ございません、マスター」

 加治は怒らなかったが、ルウムを許すこともなかった。……鮮血をまき散らしながらも、死んだ後も、男たちはルウムから手を離さなかった。



 天津は状況を確認する。どうせ隔壁はすぐにでも破られる。ならばと先手を打ち、加治たちが攻めづらいようにした。その結果、天津たちを裏切った者が九名加わった。しかし、彼らには武器を持たせなかったのである。まだ、疑惑は晴れていなかった。……天津だけは、犠牲になった二人のせいか、皆を信用していたが。

「……弾薬の装填、急いでくれ。それから負傷者には手当を」

 三人が銃弾を食らっていた。隔壁を三分の一程度しか開けなかった分、被害は少ない。しかし、与えられた損害も少なかった。未だナナの起動も目処が立っていない。戦端を開いた以上、あの自動人形たちとの交戦は免れないだろう。

「天津っ、天津さん! こんなやつらを助ける必要なんかないじゃねえかよ!」

「こいつらのせいでナナも、おれたちもこんな目に遭ってるんだぞ!?」

「爆弾くくりつけて特攻でもさせちまえばいいんだっ」

 九人のユダが身を震わせる。無理もないと、天津は思う。しかし、彼らの裏切りと『円卓』の侵攻は別物だとも考えていた。何がどうなろうと、いずれはこうなっていたのである。しかし、怒れる者を抑えるのも難しかった。薄く見える壁の向こうには死が並んでいる。正気を失ってしまいそうになる。恐怖を断ち切り、抵抗を続けるしかなかった。

「黙れ諸君。彼らを責めるな。攻めるは僕らだ。あの老人を引き摺り下ろすぞ」

「どうやって!?」

 悲痛な叫びが響いた。天津とて前線に立ち、皆を指揮するような器ではない。彼も、もしも許してもらえるなら、土下座でも何でもして加治の前で言い訳したかった。だが、事は起きた。今は戦いの最中である。男がこうと決めたのなら、やり遂げねばならない。

「タロウの時も、アレスの時もっ、僕らは生き残ったじゃないか。ちゃんと戦えていたじゃないかっ。だから皆、銃を取れ! また開けるぞっ。壁を開けるぞ! 一発でも多くぶち込むんだ。一秒でも長く耐えるんだ! 僕らにはまだ希望があるっ! まだナナが残っているんだ!」

「くそおおあっ、畜生! ふざけんなよっ、くそ!」

 呪詛を吐きながらも、誰も死ぬつもりはなかった。銃を構えて、隔壁が上がるのを待つ。

「跳弾で構わないっ、撃て!」

 イヤマフも何もない。既に聴覚は狂い始めていた。隔壁の向こうから、自動人形の無機質な顔が見える。白兵戦を挑まれているのだ。そう気づいた時にはもう遅い。

「盾をっ、前に!」

 薬莢が床を叩き、弾丸が爆発する音に混じり、肉が弾ける音がした。隣にいた者の脳漿が飛び散って、仲間の顔を無情にも濡らしていた。すぐ傍で白刃が煌めいて見えた。自動人形の袖口から伸びたブレードが、焼けついた銃身を切り裂き、得物を取り落とした男の手首を断ち切った。誰も、誰のことも構えない。弾雨の中、ひた走る影がある。それに向けて、トリッガーを引くしかなかった。



 彼は見た。カメラ越しに、すぐそこの戦場を目にしていた。

 ナナの起動を試みる技術部の男、御子神(みこがみ)は戦闘には参加出来ないでいる。キーに汗が滴り落ちた。彼は目を閉じ、耳を塞ぎたくなる光景を眺めた。現実とは思えなかった。

 昨日まで一緒に話していた同僚の身体に銃弾が突き刺さる。数十発を超えるそれを受け、ぼろきれのようにずたずたにされて、出来の悪い絡繰りのように踊らされていた。

 自動人形の装甲に着弾するも貫通はしない。彼女らが着るメイド服は所々が破けているが、それだけである。機械の体はそれ自体が武器となる。悲鳴と共に血飛沫が上がった。肉片が下がりかけた隔壁に叩きつけられる。

「下ろせっ、下ろせ!」

 自動人形の内の一体、十三号機のキープが壁を殴りつけていた。一発ごとに隔壁が軋み、歪む。御子神は思わず叫んだ。このままでは破られるぞ、と。

 彼の声に反応したのは、傍目から見ても助からない傷を負った男である。彼は泡を吹きながら、キープに取りついた。

「閉めろおおおおおおおおおおおっ!」

「無駄なことを」

 キープは男の胸を貫く。血に塗れた右拳が引き抜かれて、彼はその場に倒れ込んだ。仲間を助けようとして弾幕が厚くなる。しかし、誰も彼の救出には向かえなかった。遠くから見ていた、御子神だけが気づいた。

「嘘だろ……こんな場所で使うかよ!? やばいです天津さん! ライオットをっ、全員! 伏せろ!」

 メイド服にはピンの抜かれた手りゅう弾が引っかけられている。キープはそれに気づくと、主を破片から守る為に、手りゅう弾を腹に抱えてその場に伏せた。加治の前にはトゥイニーとチェインが仁王立ちになる。刹那、轟音が近畿支部の地下に轟いた。他の自動人形はすぐには戦闘を止めなかったが、加治が泣き喚いた。彼の慟哭に、メイドは沈痛な面持ちを浮かべて制止する。

 衝撃は収まったが、粉塵は漂うままだ。御子神はキーを叩きながらも、自動人形の『死』を確かに認める。彼だけが、加治の欠陥に気づいた。



 加治は人形の死を嘆き、悲しんだ。

 十三号機キープの人工知能は衝撃に耐えられず、機能を停止している。この状況下では再起動もさせてやれなかった。そのことを加治は申し訳ないと思った。

「マスター。隔壁の破壊は」

「……もう少し。もう少しだけ待ってくれないか」

「畏まりました。全員、待機しております。どうか、悲しまないでください」

 無機質な声に慰められ、加治は隔壁の向こうにいる天津らを憎んだ。

 人形を愛し、人間を憎む。加治が歪な感情を持ち合わせたのは、今よりも昔の事柄が原因であった。

 過去、ギリシャには偉大なる職人がいた。主神の雷霆、真鍮の三脚器、太陽と月の矢、青銅の巨人や鉦を作り上げた男がいた。彼の作品の中には、アイギスの名も記されている。古くは雷と火山の神とされ、後に炎と鍛冶の神となったものがいた。彼は弟子であるキュクロプスらを従え、神々の為に数々の貢献をした。

 鍛冶神の名を、ヘパイストスと言った。……技術部の加治はギリシャ神話におけるオリュンポス十二神の一柱にあたる、ヘパイストスであった。

 ヘパイストスは主神の妻が産んだ。しかし、彼は両足の曲がった奇形児であった。主神の妻はこれに憤り、生まれたばかりの彼を天から地へと投げ落としたのである。後、ヘパイストスは海の女神に拾われ、育てられ、天へと帰った。

 主神の妻たる女神には罪悪感があったのかもしれない。彼女はヘパイストスに結婚を勧める。その相手は愛と性愛を司るアフロディーテだった。二人は婚姻の義を結ぶも、美しい女神は、ヘパイストスの醜さを嫌い、二人の仲は険悪なものになる。彼女は軍神と浮気を始めた。その相手は他ならぬアレスである。乱暴者の彼は神々の中で嫌われていたが、美男子でもあった。

 寝取られたのだ。だが、誠実なヘパイストスは妻の裏切りにも激怒した。紆余曲折あり、彼はアフロディーテとアレスによる不義の現場を晒し者にした。その後、彼女との離婚に成功する。ヘパイストスは性愛の女神と軍神には強い憤りを覚えたが、それ以上に彼は、自らを呪った。

 何故、生きるモノに愛を注いだのか。

 生あるモノには意志がある。意志あるモノは自らを裏切る。

 ならば意志のないものに愛を注ごう。生なきものを造ればいい。

 自動人形はヘパイストスの、加治の娘であり恋人でもあった。同時に、復讐の道具でもあった。女の裏切りが彼を歪ませたのだ。復讐という目的が彼の性根を腐らせた。

「やつらを、必ず、殺すんだ。いいね?」

 五人の娘が加治にかしずく。彼は満足そうに笑んだ。



 御子神の話を聞き終えた天津らは、この薄暗い部屋に一筋の光明が差すのを感じていた。

「二度の交戦により、僕たちは半分にまで減らされた。死者を悼んでやりたいが、先にすべきことがある」

 部屋の隅には、同僚の遺体が並べられている。傷を負っていない者は、今や御子神だけであった。彼以外の技術部は血を流し、骨を折り、今にも倒れてしまいそうである。

「……まず、加治の人形についてだが」

 天津は、加治についていた者たちを見遣った。彼らとの蟠りは残っているが、共に武器を取り戦っている。仲違いをしている場合でもなかった。

「はい。初回開発時のスペックですが、ナナと互角以上でした。アレには装甲にもいい素材を使っていますよ。加治……が、かき集めてしまい込んでいたものですからね」

「いわゆる『ヒヒイロカネ』を取られたか。だけど、ここで疑問が生じる。ナナと同スペックなら、手りゅう弾如きで機能を停止するはずがない。僕たちの娘は核ミサイルや落下するコロニーだって押し返せるはずだからね」

 ふざけ切った表情で天津が言う。

「それは言い過ぎですが、ナナはあの程度の爆発でやられるほど柔じゃあありませんよ。恐らく、いったんおれたちの手から離れた八号機以下の人形は、加治に手を加えられたんでしょう」

「そういや、パッと見だけどさ、ナナよりも薄くなかったか?」

「……どこ見てたんだ、お前」

「死ねよピグマリ野郎」

 軽蔑の視線を浴びせられた男は、違うと首を振った。

「胸じゃねえ装甲だよ! なんつーか、悔しいけどナナよりも人間らしいって感じがしたな」

「ああ、確かにそう言われればそうかもしれないな。すると何か、人間らしさを求めた分、強度が薄くなってるってことになるのか?」

「断言出来ないけど、手りゅう弾程度の衝撃で、内部の人工知能に支障をきたすレベルには薄いのかもな」

 それだけではないと、御子神が発言する。

「照準も甘かったような気がしますね。撃った数の割に、こちらの被害は思っていたよりも少ないのでは?」

「遊ばれてるんじゃないのか?」

「いや、どうだろう。もしかして、データの蓄積が甘いんじゃないのかな。あいつらはナナとは違う。戦闘用に取ってきたあの子のデータを『幾つかは』渡したけど、それにしたって乱暴な戦い方だったような気もするな」

 天津はその言葉に眉根を寄せた。

「幾つか、だって? あの老人に、ナナのデータを渡していなかったのか?」

「まあ。おれたちだって色々と考えてたんすよ。それに主任だって勝手にナナの装甲とか、武器を弄ってたじゃないですか」

「そこを突かれると弱いな。……そうか、データか。つまり、憶測や僕たちの理想も包めて推測するに、加治の自動人形は容姿優先でスペックが低くなっている。戦闘用のデータ、その蓄積が足りていない。この二点が弱点だというわけだね」

「急造ですしね。印象としては、量産機って感じじゃないですか?」

「そう聞くと、なんか弱そうだな。何とかなりそうだって気もしてくる」

 天津は口を挟まなかった。確かに、そうやって考えれば加治の自動人形はナナよりも劣っている。それでも彼女は目覚めていなかった。あくまで、ナナと比較した場合の話である。本来、自動人形はここにいる者が束になっても敵わない相手だ。が、彼は士気を下げるようなことはしなかった。

「もうひと踏ん張りだ。もうこちらからは壁を下げないでおこう。御子神、引き続き頼むよ」

 頷いた御子神が作業に戻った時、隔壁が悲鳴を上げた。自動人形が攻撃を再開したのだ。動ける者は隔壁の前に、突破されかけたバリケードを立て直し始める。

「……地上の様子も気になるが、その前に僕たちがどうなるかだな」

 天津は祈った。この場に神はいるが、自分たちの味方をしてくれるモノがいるようにと、強く願った。

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