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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アラクネ
27/328

さよならバイバイ

「それじゃ、シートベルトをしっかり締めておいてください」

 言って、堀がアクセルを踏み込んだ。

 黒いワゴンが嘶く。

 速度を上げ、真っ直ぐな道を飛ばしていく。

 うう、と呻き声が車内から聞こえた。恐らく一が漏らしたものだろう。

 がたがたと揺れる車内で、一はアイギスを抱え下を向き、三森はしっかりと、フロントガラスを通してアラクネを睨み、糸原は一を見てにやにやと笑っていた。

「行きますよ」

 堀が言った次の瞬間にはもう、黒いワゴンは衝突音を撒き散らして、アラクネに突き刺さっていた。


 堀の説明した作戦とは、


「まず、車を奴にぶつけます」

「はああ? それが作戦だっての?」

 気にせず、堀が続きを話す。

「それだけではアラクネに大したダメージが通りません。ガードされる可能性もあります。いえ、確実に受け止められるでしょうね、その為の多足でしょうし。で、受け止められたと、します。私は前進し続けますから、皆さんにはその間に車から降りてもらいます」

「降りてどうするんですか?」

 一が不安げに尋ねた。

「まず、糸原さんに残り七本全てとは言いませんが、足を何とかしてもらいます。レージング、私はまだ直接威力を見た訳ではありませんが、話に聞くだけでも中々のモノと伺ってはいます。そして次に一君。アイギスを使ってもらいます。正直、能力の程は半信半疑なんですけどね。そもそも、一君にはもう残ってない(・・・・・・)でしょうし、十秒とは言いません、一秒、アラクネの動きを止めてください。三森さんが後は上手い事やってくれますよ」

「え、おい、何だよ。私には指示はねェの?」

「いやあ、あなたに指示する事なんて、殆どありませんよ。分かってますよね? そこまでお膳立てして、何をするかなんて分かり切った事聞かないでくださいよ」

 堀が笑顔でそんな事を言う。

「ちっ、結局は力ずくじゃねェかよ」

「あら? あんたにはお似合いだと思うけど?」

「うるせえ。おい、ミスるンじゃねえぞお前ら」

「あ、はい」

「はーい」

「それじゃ行きましょうか」

「……頼むぞ、ホント」


 こうである。


 そして堀の言ったとおり、猛スピードで突進するワゴンは蜘蛛の足でがっちりと掴まれていた。ワゴンのタイヤはけたたましく音を上げ、空回りしている。道路には跡が残り、黒い筋を作っていた。

 蜘蛛は、七本の内六本で車を掴み、残り一本で車のあちこちを刺そうとする。

「降りて下さい!」

 まずは助手席から三森が飛び出した。フロントガラスを割ろうとしている蜘蛛の足を払い除ける。

 次に一、糸原が後部座席から降りた。

「退いてっ」

 糸原が腕を振り上げる。三森が蜘蛛から離れた。蜘蛛の足の根元に、銀色の線が絡みつく。七本全てにレージングが照準を合わせた。

 後は引き裂くのみ。

 が、

「硬いっ!」

 土蜘蛛の足と違って、アラクネのそれは簡単には千切れなかった。

 しかも蜘蛛はそんな事気にせず、堀の乗った車を壊そうと無理矢理に腕を動かす。

 蜘蛛に引っ張られるように糸原がじりじりと前に進んでいく。

「信じらんない! 何なのこいつ、馬鹿力過ぎるわよ!」

「口動かすなら手ェ動かせ!」

「っさいわねっ!」

 糸原が喚きながら、腰を落とした。引っ張られまいと、力を込める。それでも、蜘蛛の方がやはり力が強い。

「一、ボーっとしてないで手伝いなさいよ!」

「え、あ、え? どうやって?」

「私を抱いて!」

「ええ!?」

「馬鹿女! 血迷ってんじゃねェよ!」

「とにかく何とかしてよー」

 言われて、一が糸原のお腹に手を回す。力を込めて、糸原を支えようとした。

「痛いっ、お腹痛いっ! ちょっとっ、もっと優しくしてよね、初めてなんだから!」

「さっきから頭おかしいですよ」

「ふざけてンじゃねえよ!」

 三森の怒号が響く。

 二人も遊んでいるつもりはないのだが。

 だが、これでアラクネから引っ張られる事は無くなった。神話級の怪物、アラクネとは言えども、彼女に武勇は無い。そもそもが、機織だった女性なのだ。一と糸原、二人がかりで何とかなるレベル、レベル。

「うわあっ」

 一が叫ぶ。

 突然、蜘蛛の力が強まった。

 ……幾らアラクネといえど、人間二人の力でどうにかなる訳なかった。アラクネが力の重心を、車から糸原に変えただけの事だった。アラクネの元へと引き寄せられていく二人。

「何やってンだよ!」

 作戦は第二段階で破綻したように思われた。

 が、ワゴンのタイヤが激しく回転し始める。堀がアクセルを踏みつけ、ワゴンの最高速までスピードを上げたらしい。パワーバランスが糸原側へと移ったため、少しは自由が利くようになったのだ。

 アラクネが再び車と膠着状態に陥る前に、堀のワゴンが突っ込む。フロントガラスが割れ、タイヤも磨り減り、ボンネットが何故か吹っ飛んだ。

 そしてアラクネの体勢が崩れる。

「糸原さん!」

 分かってると言わんばかりに、糸原が指を、腕を動かした。振り上げていた腕を、力の限り振り下ろす。

 銀の閃きが蜘蛛の足に奔った。アラクネの足から体液が噴き出る。

「一!」

 糸原がレージングでもぎ取った足は五本。残りの二本は仕留め切れなかったが、アラクネの捕縛から、ワゴンが脱出するには充分だったし、ダメージも与える事が出来た。

 その様子を確認した一がアラクネの真正面に立つ。足が震える。心臓の鼓動は早くなる。戦えると言った筈だが、怖いものはいまだに怖い。それでも、それでも一はアラクネの真正面に立つ。

 ――作戦は次の段階へ。

 後は、アイギスでアラクネを止めるだけ。

 だが、アラクネもじっとはしていない。残った足で、遮二無二攻撃を開始する。

「うわあっ!」

 一が叫んで、しゃがんで、蜘蛛の足を回避した。

 ――やっぱ駄目だ、怖いっ!

「う、あ……」

「馬鹿! 何やってんのよ、立って構えなさい!」

 糸原の助言も、一の耳には入らない。

 ――かっこつけるんじゃなかった、くそ、くそ!

「来るぞ!」

 三森が叫ぶも、一は反応しない。

 蜘蛛の次の攻撃がしゃがみ込む一に襲う。

「ビビってンじゃねえよ!」

 見かねた三森が、一と蜘蛛の間に飛び出した。一に向かって振り下ろされた足を、三森が素手で掴む。

「目ェ開けろ!」

 一を庇っている為、三森も派手な動きが取れないでいた。

 ――力を使えば、巻き込ンじまうな……。

「体を起こせ! 立ち上がれってンだ!」

 一が顔を伏せたまま、鼻を啜り立ち上がる。

 二本目、最後の蜘蛛の足が一たちに襲い掛かった。

 三森は、右手を蜘蛛の足から離して、振り下ろされる二本目の足を掴む。

 片手で片足を、片手で片足を。

 しかし、人間とソレとでは圧倒的に力が違う。一対一、同じ条件で力比べをしても、三森が押されるのは自明の理であった。

 三森の後ろで、一が下を向いている。

「……てめェ、やるって言ったろうが。何だよ、帰ったら私に話があンじゃねえのか? おい、言っとくけどな、私は、はっ、私は、ここじゃ死なねェからな。力を使って、でも、お、お前を、こいつと一緒に殺すぞ、それが嫌なら、嫌なら……」

 一の顔を見ないで、アラクネを睨みつけながら、三森が息を吐く。既に三森は肩で息をしていた。

「見せてくれよ、さっきみたいによ」

「……俺は、やっぱり……」

 一が口を開く。

「悪ィ、やっぱビビるよな、嫌だよな」

 一は答えない。答えられない。

「なら、一緒に死ぬか? なあ、ただで死んでやるのもヤだろ? この虫ッケラによ、最後の最期に見せてやろうぜ。人間様の意地ってモンをさ」


 ――そうだよ、生きてるって事じゃないか。


    痛いのも、怖いのも、震えてるのも


    全部全部、俺がまだ生きてるって証拠なんだ――


「三森さん、俺が叫んだらいってください」

「あぁ?」

 一が傘を広げる。

「後ろの事は気にしないで、あいつを何とかして下さい」

 もう一度、今度は本当に。

「お前、私が手ェ離したら死ぬぞ?」

「征ってください」

 一がゆっくりと顔を上げる。

 真っ直ぐにアラクネを捕らえる一の双眸。

 ややあってから、

「……ちっ、なら死ねよ」

 三森が地面に唾を吐いた。


 今度こそ、本当に。

 一がアラクネの真正面に立った。

 風が一の前髪を揺らす。

 アイギスを前方に構え、蜘蛛の目玉を見つめる。

 アラクネも、一を見ていた。


 一には、初めから、何となくだが分かっていた。

 アラクネ。

 堀に話を聞いたとき、、一匹だけ手強い、止まらない蜘蛛を見たとき、アテナからアイギスを受け取ったとき、アテナから話を聞いたとき。

 アラクネ。

 元は人間だった、腕の良い機織だった、蜘蛛になるまでは。

 恨んだろう、怨んだろう、呪ったろう。

 自分を蜘蛛に変えた女を、神を。

 アテナを。

 ちら、と一がアイギスを見る。自分がアイギスを、アテナの物を持っているから。

 アテナは、追われていると言っていた。匂いをつけられているとも。

 誰に? ただの、知能の低い、低級の蜘蛛に?

「違うよな……」

 ぼそり、と一が呟いた。

 ずっと、憎んでいた。

 アテナを追っていた。只管、只管に。

 そしてアテナの匂いが染み付いたアイテムを、自分が持っている。アテナを追っているアラクネを、アテナの関係者である一が倒す。

 これは運命か、それとも一の使命なのか。

 否、皮肉か。

 また一が顔を下げる。

「ごめんな……」

「おい、まだか? 私ももう限界なンだけどよ?」


 ――ごめんな。


「アラクネ!」

 一の朗々とした叫びが、静寂を切り裂く。

 夜の闇へと。

 どこまでも届くような、響くような。

 一瞬、三森が出遅れたが、蜘蛛の足を離すと、一足飛びでアラクネの懐へ潜り込んだ。

 アラクネの足が一へ襲い掛かる。だが、一はそんな事を気にせずに、アラクネへアイギスを向けた。


 ――あなたも、怖かったでしょう、嫌だったでしょう、悲しかったでしょう。


 銀の光が、折り重なる。

 一の手前、アラクネの足の手前。

 幾重にも光が走る。線を引く。

 一へ届く前に、アラクネの足が何かに引っ張られるかのように動かなくなった。

 長い髪を無造作にたなびかせ、白い腕をスーツの袖から覗かせる。

 指の動きは器用に、激しく動く。

 そして何より美しい。

「一、やっちゃって!」

 糸原がレージングを操りながら、そんな事を喚いた。

 一が糸原を見て、微笑む。


 ――死にたくないですよね、生きたいですよね。

    俺も、そうです。死にたくないし、生きたいんです。


「止まって下さい!」

 悲痛な声。

 瞬間、一の広げていたアイギス――ビニール傘――が輝く。

 怪しく、黒く、鈍く輝いた。

 それは瞳だった。

 見るもの全てを虜にしてしまうような、妖艶な光。

「あ……」

 一は理解した。

 アイギスの能力。

 アテナとの契約。

 力の正体。

 蛇姫。

 メドゥーサ。


 ――だから俺は、俺は。

    あなたを殺します。

    俺が生きたいから。

    ごめんなさい、許してくれなくても、構わないです。


 糸原が力を込めずとも、アラクネの動きが止まっている。

 残った二本の足は、中空で止まったままだ。

 糸原がレージングを軽く引っ張ると、アラクネの足がいとも簡単に千切れた。

「うっそ、止まったの……?」

「三森さん!」

 自分のするべき事は、一に返事をする事じゃない。

 全身全霊、全力全開。

 体中全部の力を今に賭け、ソレを殺す事。

 それが自分のするべき事と、三森は分かっている。

 三森は拳を高々と突き上げ、アラクネの、人間で言うなら心臓部に風穴を開けた。

「これじゃあ足りねェよなあ!?」

 三森の全身を、爪先から、頭の天辺まで行き渡るように血液が走る。

 熱くなる。燃え滾る。

 三森の体が熱を帯びて、火を放つ。

 舞い上がる火の粉。

 赤く、紅く、真赤に!

 三森はアラクネの内臓器官を掴み上げ、引き摺り出した。飛び出たモノから順に燃やし、灰になる。

 煙は黒く、高く暗闇へと舞い上っていく。


 ――人間のまま、あなたを殺せなくて、ごめんなさい。


 やがて、あれだけ大きかった蜘蛛の体は、何分割にもされ、燃やされ、灰にされ、煙になってしまって。

 その光景を滅茶苦茶に壊された車の中、運転席に深く腰掛けた堀が愉快そうに、楽しそうに笑いながら眺めていた。ひとしきり笑った後、ゆっくりと息を整え、

「素晴らしい」

 と、堀が唇の端を軽く持ち上げた。


「さよなら、俺に似てる人」


 そう言って、一は夜空を見上げた。

 女神に酷い目(・・・)に遭わされた、哀れな人。

 知らずの内に、一の眼から涙が毀れた。ぽたぽた、と服を濡らし、地面を濡らす。

「一……」

 おい、と一に駆け寄ろうとする糸原の肩を三森が掴んだ。

「今は、話し掛けない方が良い」

「何よ、偉そうに……」

「偉くねェよ」

「分かってるわ。そんな事、分かってるわよ」



 さよなら、そして、ごめんなさい。

 俺が初めて殺したヒト。


  

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