RIOT ON THE GRILL
口を開く間すらなかった。三森の遺した灰を踏みにじるようにして、彼らは訪れた。
静寂を打ち破ったのは数台の車である。何が起こったのか、店長にすら把握出来ていなかった。一は呆然として立ち尽くし、技術部によってナナが連れて行かれるのを見ているしかなかった。
「……なんだよ」
技術部が、医療部が、情報部が、戦闘の痕跡を消そうとして動いている。一は歯を食いしばった。
「あらー、派手にやったわね。で、これってどっちが死んだの?」
黒いワゴンから、右腕をギプスで吊った女が現れる。彼女はくすくすと笑いながら、周囲を興味深そうに見回した。
「うーん、よく分からないわねえ。ねえ、そこの人。私に何がどうなったのかを教えてくれない?」
と、女は店長を指し示す。言え、と、そう口にしたのだ。店長に対して三森の死を告げろ、と。
一は女をねめつけて、アイギスを握り締める。彼女の性根に対して憤っているのではなかった。彼は、自分以外の全てを憎もうとしている。三森を守れなかった自分も、彼女の死を待ち望んでいたかのようなタイミングでやってきた者たちも、何もかも。
「お前ら……っ!」
「ふ、怖い怖い。そんな目で見られたら、獣だって逃げ出すわね。さ、捕まえなさい」
女の指示に従い、車からダークスーツに身を包んだ男たちが現れる。彼らは一を羽交い絞めにし、鉄製の棒を彼の首元に突きつけた。一は怒鳴り、暴れるが、逃れる事が出来ない。
「その傘には気をつけなさい。触れちゃあいけないわよ」
「タルタロスっ、穴蔵のネズミが何をしている。そいつを放せ。ここから離れろ」
店長が女をねめつけるも、彼女は微笑を湛えるだけだった。
「ダメよ。今日はあなたたちの事後処理だけじゃなくて、きちんとした用があるんだもの」
「用だと?」
「そ。……まずはおめでとう。アグニは『円卓』のメンバーと目されていたソレなの。勤務外一人の犠牲と引き換えなら、安いわよね。そう思わない?」
その言葉に一は発狂しかける。怒りで、心が狂ってしまいそうになる。
割れろ。崩れろ。揺れろ。壊れてしまえと、強く思った。こんな世界は要らない。潰れてしまえ。終わってしまえと強く願った。
店長は咄嗟に周囲の状況を確認した。一がタルタロスに捕まり、ナナは技術部によって支部へと連れて行かれた。二人以外の勤務外に戦闘の続行は不可能だと思われた。また、力を使い過ぎた炉辺は再び意識を失い、堀も膝を突いている。
――――私は、何を考えている?
自分が『誰』に喧嘩を売ろうとしているのか、店長は暫くの間気づけなかった。
「分かった。用を済ませろ」
「ええ、そのつもりよ。じゃあ、この子、うちに連れ帰ってもいいわよね?」
「……何?」
包帯を巻いた女は一を指し、薄く笑む。
「一が何をした。モグラの住処に囚われることなど何もしていない」
「してるのよ」と、女は、はっきりと言い切った。その自信ありげな表情に、店長は言い知れぬ不安を覚える。
「分からないの? 知らなかったの? その目は空なのかしら? だったら教えてあげるわ。その為に、私は来たんですから」
タルタロスの女は店長から、一に視線を移す。
「そこの男、一一は『円卓』のメンバーなのよ」
「馬鹿な。何を根拠に」
「根拠、ねえ。まあ、すぐに分かると思うけど」
嫌な予感は的中した。そして、もうどうにもならないのだと気づいた。
「ふざけんな、ふざけんなよてめえっ。あんなタイミングでのこのこと来やがって三森さんを見殺しにしといて何を言ってんだよ!」
「ふふ、喚いてる。喚いてる。けど、うるさいわね」
スーツの男は棒を持つ手に力を込める。一の喉が圧迫され、彼は苦痛に呻いた。
「ふふふ。ふふふふふふふ……ああ、おかしい。ねえ、そうやって悲しんで、怒る振りをするのって疲れないかしら?」
女はもう店長を見ていない。彼女は視線を、標的を一に定めていた。
「一を離せ。私はお前のようなやつを信用しないと決めている」
「……ねえ、レイヴン?」
ぼそりと、しかし、通る声で女は呟いた。
「レイヴン。いいえ、一一の振りをしていたのが、『円卓』の第十一の席に座るモノの名よ」
「……振り?」
「あなたなら分かっていると思ってたのだけど。あ、いいえ、それとも、分かっていて側に置いていたのかしら。それってもしかして」
黙れ、と、店長は女を睨み据える。
「教えてあげる。レイヴンとはワタリガラスのこと。彼らは神話において神の斥候となる時もあれば自らがトリックスターとして振る舞う時もある。役目を色のように。いえ、色を変えるよりも簡単に役を降り、変わるの。魔が降りるこの街には相応しい配役よね。道化となって事態を掻き回したと思えば、まるで物語の主人公のように最初の一歩を踏み出す。けれど、違うのよね。レイヴンはあくまで狂言回し。主人公ではないのだから」
女が何を言っているのか店長には理解出来ない。そも、女は理解されたいとも思っていないのだろう。
「一一はレイヴンよ。では、誰がカラスを飛ばしたか? 誰がこの街の勤務外に成りすまし、溶け込ませたのか?」
「一が『円卓』のスパイだとでも言うのか?」
「ご名答。あなた、内通者の存在を疑ったことはないかしら」
無論、ある。これまでにも内部の人間に疑いの目を向け続けていた。だが、店長は一を疑っていた訳ではなかったのだ。
「この男はオンリーワン近畿支部を、あなたが任されたこの店を潰す為に送り込まれた敵なのよ。……信じられない? なら、調べてみなさいな。一一という男が実在するかどうか。いたとして、本当に目の前の男は本人? 履歴書に書かれた情報は真実? 家族は? 実家は? 彼の身元を、彼を一一だと証明出来る人はいる?」
「履歴書に関しては知らんが、一とゴーウェストは顔見知りだ。こいつが『一一』を騙ることは不可能だな」
「でも、ずっと一緒にいたわけではない。整形したという可能性は否定出来ない。それに」
「やめろ」
話を聞いても無駄で、こちらが弁解しても無駄だと悟る。悪魔の証明を持ち出されては打つ手がない。問題なのは、包帯の女が一を『一ではない何者か』に仕立てるつもりだという一点にある。そうまでして一を『円卓』のメンバーにしたい理由があるのだ。
「何度でも言う。私は一という男は嫌いだが、こいつは根っからクズではないと知っている。そして、私はお前が嫌いだ」
「だから信じないと。ふうん。でも、彼が『円卓』ではなかったとしても、『円卓』に与する理由があったら……話は変わってくると思わない?」
「お前……どこまで知っているんだ」
愕然とした。隠し通せていたはずのものは露見している。そう認識した途端、店長は激しい喪失感に襲われた。
「さあ? それに、彼が『円卓』の関係者なのは間違いなさそうよ。一一はレイヴン。レイヴン。第十一席。イレブンって、一が二つなのよね」
「言い掛かりだっ。言葉遊びや、たかが名前のもじりくらいで疑えるものか!」
「そうでもないのよ。ソレ、というより人ではない怪物、神様、英雄というのは名前に縛られるものなの。名前に力を与えられ、時には封じられる。あなたが思ってるよりも名とは重要なものよ。だから、ソレは名前に縋りやすい。そうね。たとえば、そこの女神のように」
女は、気を失っている炉辺を指差した。
「炉辺乙女。近畿支部医療部の長。けれど彼女の正体は人ではない。ギリシャ神話の時と大地から生まれた、神々の長姉。それが彼女の正体、でしょう?」
答えられない炉辺を庇い、堀は女を強く見据えつける。
「名は――――ヘスティア。その意味は竃、炉。古代のギリシャでは炉は生活の中心であり、犠牲を捧げる神聖な場でもあったのね。目立った話は聞かないけれど、ヘスティアは世界の中心に居座り、供物も最上の部位を得ていた。でも嫌われていたわけではなく、むしろ敬意を払われていた。……十二神の役割を甥に譲ったのは防衛策かしらね?」
「違うっ。炉辺さんは争い事が苦手でっ、甥である酒神を哀れんだからだ! 彼女は、この人は誰よりも優しい心根を持っているからだ!」
激昂して反論する堀を見遣り、女は口元を歪めた。
「妬けちゃう。妬けちゃう。でも、そうね。のんびりしてる人だったものね。その歳まで処女なんだし」
「……っ、愚弄する気か。腐りかけ風情が!」
「あら、熟れてると言って欲しいわねえ。ふふ、冗談よ。ヘスティアが処女神であるのを望んだのは、身内の争いを見たくなかったから、だものね。女としてはありえないけれど? 結婚という幸せを手放して、世界の中心に住まい、おいしいところをいただくってのには憧れるけど」
堀は立ち上がろうとするが、アグニとサラマンダーから受けたダメージは抜け切っておらず、悔しそうに歯噛みする。
「じっとしてなさいな、半端者は。……炉の神であり処女神でもあるヘスティア。炉辺、乙女。ねえ、そのままじゃない。だから言ってるじゃない。神は名から逃げられない。神は音から逃れられない。名前が一種安直なものになるのは仕方のないことでもあり、一つの証明でもあるのよ。ね、二ノ美屋愛さん?」
「……何が狙いだ。お前は、いや、お前らは何を企んでいる」
「さあね。さ、連れて行きなさい。とりあえずはタルタロスで監視するわよ」
「ざ、ざけんなよクソが……!」
女は一が握っているアイギスに目を落とす。
「一を連れて行かせることは許さんぞ」
「あ、そ。じゃあ、もう一つの証拠を見せてあげましょうか」
女は一の耳元に顔を寄せる。彼は拒むように叫び声を上げていたが、何事かを囁かれた瞬間、嘘のように黙り込んだ。そうして女が一から離れる。
一は、アイギスを強く握り締めた。
店長が一に声を掛けようとするよりも早く、彼は、
「……あんた、だったのか」
「ふふっ」
「俺は、どうして、こんなことを忘れてんだ」
「ふ、あはっ、あははははっ」
「ぶっ殺してやる……!」
彼女を睨みつけた。殺意のこもった瞳は店長を怯ませる。だが、彼女の行動は正解であった。
アイギスから光輝が放たれ、近くにいたダークスーツの男たちは目を見開いた。
「こんなもんいらねぇ! こんなやつら、みんな、みんなっ!」
「よ、せ。よせ、一……」
「メドゥーサァァァアアアアアアアアアアアッ、あああああっ! ああっ、くそっ、くそっ、殺せえええぇぇえええぇぇぇえぇぇ!」
世界が止まる。
光に包まれたものの時が凍りつき、生ある者の体が石と化し始める。メドゥーサに目をつけられたものから順に命を終わらせられていく。
力の暴走であった。
一がメドゥーサの力を発動させるには条件が要る。だが、今のメドゥーサは彼に無条件で力を貸していた。アレスとの戦いの際に見せた力の片鱗ではあったが、これはアテナのルールを越えた、越権行為とも言える。名を知る必要もなく、目で見る必要もなく、ましてや声を発する必要もない。一がそうあれと望めば力は応える。しかし、暴走したメドゥーサでは石化させる対象を選べないのだ。
「あははっ、ふふふふふふ。おかしい。おっかしい。これが一一、イレブン、レイヴンの真実なのよ! オンリーワンに仇名す『円卓』! それがこいつの正体よ!」
「一に何をした!?」
「私は何も!? 何かしたのはあなたでしょう! あなたが彼を壊したっ、彼の、世界を!」
メドゥーサは目に付くもの全てを石と変えようとしていた。しかし、一はそれを望んでいる。構わないと思っている。
「手ぇ焼かせんじゃないわよバカ」
一の腹に強い衝撃と痛みが走った。疲弊し切っていた彼は薄れゆく視界と妙に心地いい倦怠感に任せ、意識を手放す。その瞬間、メドゥーサは行動を止め、石化は中断された。一を殴りつけたのは糸原であった。
彼女は失神した一を地面に寝かせて、彼の頬を撫で上げる。
「やってくれたわね。やっぱり、あんたは殺しとくべきだったわ」
包帯の女は憎々しげに言い放った。
糸原は息を吐いた。状況を見るに、自分たちは最悪に近い場面にいるらしいと認識する。
「まさか、あんたが来てるとは思わなかったわ。久しぶり。腕の調子はどう?」
「糸原、四乃……! よくも、よくもっ」
「ありゃりゃ、怒らせちったー? 残念ね、思い通りにいかなくて。何するつもりだったか知らないけど、こいつに手ぇ出すってんなら邪魔するしかないじゃん」
右腕を庇う女を見て、糸原は不敵な笑みを浮かべた。……彼女の腕を痛めつけたのは他ならぬ糸原である。タルタロスから脱出する際、レージングを使って切り抜けたのであった。
「そんな目で見ちゃいやん。ライオンだって逃げ出しちゃうわね」
「邪魔すんじゃないわよ。私は……」
糸原は考える。今、ではない。明日の事だ。その日を気ままに暮らしてきた彼女は、いつしか先の出来事について思いを馳せる事が多くなっていたのである。年越しを前に三森とナナが退場した。ジェーンと立花もすぐには戦えないだろう。矢面に立てるのは自分と、一だけだった。だが、彼にはあらぬ疑いが掛けられ、何かに利用されようとしている。
――――自己犠牲って好きじゃないんだけど。
一と自分。残すなら彼の方だと糸原は決心する。どうせ、武器はなくなってしまったのだ。技術部の作製した阻止するものはアグニによって灰燼と化している。もう、彼女は戦う術がないのだ。
「あーあー。言っとくけどさ、一を連れてくのはマジで無理だと思っといた方がいいわよ。こいつを守るんなら何にだって噛みつくやつらが多いから。キューソネコカミってやつね。なわけで、丸く収めとかない?」
「……何を考えてるつもり?」
「今度は左の腕もらおうだなんて思ってないわよ」
糸原には勝算があった。タルタロスの女は彼女に対して強い憎悪を――――執着とも呼べる感情を抱いている。
「一の代わりに、私が地獄に落ちるわ」
その言葉に、女は目を丸くさせ、見開き、破顔した。
「あはっ。は、あははははははははははははっ!? 本当!? いいの!? もう一度、落ちてくれるの!? いいわ、だったらいい! どうせカラスの出番は終わったようなものだものっ、ふふ、うふふふふ、楽しみ。楽しみ。今度は逃がさないから」
女は糸原の頬を強く打つ。勢い余った平手は彼女の鼻をも打った。
「いい顔よ、糸原四乃」
鼻から血を垂らす糸原だが、決して怯んだ様子を見せなかった。地獄に落ちるのが決まったというのに、怯え、竦む事もない。
「これから、もっと楽しいことをしましょう、ね?」
「今のビンタ、貸しにしといたげるわ」
「待て」と、店長が、車に乗り込んだ糸原に対して口を開く。
糸原は鼻血をスーツの袖で拭い、視線だけを店長に寄越した。
「何よ。もしかして、『なんか悪いなあ』とか思っちゃってるわけ?」
「……今度は戻れなくなるぞ」
そうね、と、短く返す。糸原は、レージングを奪い、タルタロスから脱出した日を思い出していた。あの時は気まぐれな協力者がいた。自分ひとりだけでは牢からすら出られなかった。人生を終えるにはいささか若いか、と、ぼんやりと思う。
「月並みだけど、一をよろしくね。あんたをぶちのめす約束は守れなくなっちゃったけど」
「は、何を殊勝な……」
二人の話を遮るような形で、車のドアが音を立てて閉められた。
技術部がいなくなり、タルタロスがいなくなった。
「よろしく頼む」
「お任せください」
無機質な対応を終えると、医療部はジェーンたちを連れ帰った。店長は横たわった一の傍にしゃがみ込むが、力が抜けて、その場に座り込んでしまう。
「……二ノ美屋さん」
店長は答えず、煙草に火をつけた。彼女の背後には情報部の者が三名いる。逆らっても無駄だろうなと、店長は諦めた。
「一を連れて行くのか?」
「一一が『円卓』のメンバーだというタルタロスの情報は半信半疑といったところが強いです。しかし、全く無視出来るというものでもない。先の力も野放しには出来ないでしょう。従って、近畿支部は彼の身柄を拘束し、処分を下します」
「御託はいい。行けばいいだろう」
少なくともタルタロスに任せるよりはマシだろうと思い、店長は抗わなかった。
「では、失礼します。ところで……」
「まだ何かあるのか?」
情報部の男は言いよどんでいたが、遠慮がちに口を開く。
「立花真の姿が確認出来ません。彼女は、どこに行ったんですか?」
現場から戻った春風麗の顔色は青白くなっていた。オンリーワン近畿支部情報部の長、旅は、申し訳ないと思いつつ、彼女に報告を頼んだ。
「客観的にね、お願いするよ」
分かっていますと、春風は答える。旅は小さく頷く。彼女は気丈であった。親友が死んだというのに表情一つ変えなかったのである。報告の際も声が震えるような事はなかった。ただ、春風は一筋の涙を流した。
旅は春風から受けた報告を聞き終えた後、じっと、何かを堪えるようにして目を瞑っていた。
「……ありがとう」
「いえ。仕事ですから」
一一は『円卓』のメンバーと疑われ、情報部で預かっている。旅は、彼が『円卓』のレイヴンとは思っていない。恐らく、タルタロスの女によって都合よく動かされているに過ぎないのだろうと認識している。だが、一がメドゥーサを暴走させ、オンリーワンの関係者を襲ったのは事実だ。更に、一の処遇に関してはタルタロスからも圧力が掛かっている。迂遠な物言いではあったが、『殺せ』という指示さえ受けているのだ。ただのアルバイト店員に対する扱いではない。解雇し、勤務外から遠ざけてしまってもいい。……尤も、それは一がただのアルバイト店員ならばの話であった。彼は一人の人間が所持するには相応しくない能力を備えている。アイギスだけならばともかく、メドゥーサを御しえる者は殆ど存在しない。一個人は脅威ではない。警戒されているのは彼の能力である。
「……だが、あの子を殺す理由は? 『やつら』、何を考えているつもりなんだ?」
「何か?」
「いや、何でもないよ」
三森冬はアグニと相討ちした。
糸原四乃は再び地獄へ落ちた。
ジェーン=ゴーウェストは眠り続けている。
立花真は姿を隠した。
ナナは融かされ、機能を停止している。
北駒台店を支える堀や炉辺も前線から退いた。
「春風君。前にも、似たようなことが彼らの身に降り掛かったのを覚えているかい?」
「ムシュフシュと呼ばれるソレから始まった、正体不明の少女による襲撃ですね」
「あの日以降、北駒台店は多数の戦力を欠いたまま戦い続けた。でも、立て直して、犠牲は払ったけれど、今日まで生き延びてこられた。それはひとえに、一一という子によるものだろう。一人では無理だったけれど、あの子には色んなものが味方についている」
春風は僅かに表情を歪ませる。珍しい事もあるものだと、旅は驚いた。
「だけど、今回は違う。一一が店から抜けたんだ。彼に味方するものは、オンリーワンに味方するわけではないんだよね。実質、店に残るのは二ノ美屋君だけなんだ。……もう、ダメかも――――」
「――――ありえません。あの店はまだ終わりません」
強い口調で断言され、旅は鼻白む。
「旅さん。一一の処遇は、どうされるおつもりですか」
困った。弱った。旅は一を『どうするか』任されているが、誰も彼もが納得して黙るような、上手い方法は思いついていないのである。
「でも、そうだな。いっそ、ここから離してあげるのもいいかもしれない。うん」
「駒台から一一を追い出すのですか?」
「人聞きが悪いけど、結果的にはそうなるね。ただ、候補地が思いつかないかな」
「では、島根の、出雲店に任せるのは?」
悪くないなと、旅は直感的に思った。一は出雲店の勤務外とも面識があり、また、そこを任されている人間は人格者である。
「だけど、一君はこの提案を受け入れるかな? だって、あの子はただのアルバイトだよ。正直、処遇がどうとか、それこそ勝手にどっかへ遣るなんておかしいにもほどがある。せいぜいクビにしてはい、さようならってのが普通だと思わない?」
「一一は受け入れるでしょう。……そうでないと、困る」
「……まあ、言うだけ言ってみるけどね」
師が走るほど忙しいとは誰が言ったのか。旅は頭を悩ませながら息を吐いた。
北駒台店の前には静寂が戻った。戦闘の影響が多分に現れている現場には人影がない。だが、そこに二つの影はあった。人ではないモノが久方ぶりの邂逅を果たしていたのである。
「久しぶり。何さ、随分とちっちゃくなって」
屈み込み、地面に向かって話しかけるのは風の精霊、シルフであった。地には小さな蜥蜴がおり、鱗と同じ赤銅色の舌を覗かせている。蜥蜴はシルフの方をちらと見上げた。
「……ふん。ニンゲンなんかに入れ込むからこんなことになるのさ。シルフ様は恥ずかしい。同じ四大せーれーとしてな」
シルフはそう言って、蜥蜴の背を撫でようとする。
「って、噛もうとすんなよ! なんだよ、慰めてやろうとしたのに。……何さ、話せないのかよ。オマエ、どこまであのニンゲンに取られたのさ」
蜥蜴は答えない。シルフは溜め息を吐き、曇り空を見上げる。嫌な風が吹いている。この街を取り囲み、隙あらば襲いかかろうとしているような。シルフは、そんな気にすらなっていた。
「なあ、オマエはどうする?」
「があ」と、サラマンダーはか細く鳴いた。