Salamander
「お前さ、マジで体から火とか出せんの?」 「えっ、うわ、ホントだ。気持ち悪い」「三森さんって、スーツ着なくていいんですか」「あー、こいつはいいのいいの。特別だから」「寄ってくんなよ」「死ねって」「お前もバケモンじゃん」「だから死ねって」「そういやさ、こないだ蜥蜴ちゃんに声かけられたんだけど」「気ぃつけたほうがいいぜ。あいつとヤってもさ、途中で燃やされちまうから」「いやー、どこの誰がアレと付き合うの?」 「触るな」「年中ジャージって女捨て過ぎだろ」「あの人は女どころか人間捨ててるから」「つーかソレごと燃やされそうになったことあるんだけど」「赤鬼」「てめえ付け上がってんじゃねえぞ!」 「死ね」「お前も死んでりゃよかったのにな」「三森さんだけ時給高いらしいよ」「げー、あいつまともに働かないのに」「その代わりバケモノ退治ってわけじゃん。許してやろうぜ」「あはははははははははははははっ」
辛くはなかった。
孤独を苦痛と感じた事はない。どうせ、誰とも分かり合えないのだ。中途半端な距離でうろうろとされるくらいなら、最初から突き放してくれた方がやりやすくて助かる。
『ねえ、ふゆちゃん、一緒に暮らさない?』
悲しくはなかった。
罵声も批難も、どうでもいいものだった。バケモノだとは、自分でも分かっていたからだ。
『ほう、貴様があの三森冬か。色々と聞いているぞ。む、私か。私はオンリーワン近畿支部情報部二課実働所属の……』
ただ、憎しみだけで生きてきた。家族の仇をとる為だけに生きようとした。憤怒と憎悪で、何もかもをどす黒く塗り潰せば、何も感じずにいられた。
『三森、か。では、早速働いてもらおう。ちょうど、欠員が出たところでな。危うく私がレジ打ちだの検品だの在庫整理だのするところだった。……なんだその顔は。仕事なら見て覚えろ。店長命令だ』
『ああ、こんにちは。私ですか。いやあ、ただのしがないサラリーマンですよ。あなたのことは炉辺さんから聞いています。……ああ、私のことも聞いているんですね。とにかく、仲良くしましょう』
仇を討つ。
それ以外には何も必要ない。
温もりも、喜びも、砂粒ほどの幸福も、復讐という炎を絶やさぬように全て、くべた。
『おはようございます、三森さん。私と同じシフトで労働するのは本日が初めてですね。おや、何故仮眠室へ直行するのですか? いけません。力ずくで連行しますよ』
『三森さんって、気合入ってますよね。……え、不良とかじゃないんすか? へ? いや、俺は普通の学生っすよ。剣道以外には取り柄がないってだけっすから』
『ふゆちゃんふゆちゃん、ボクね。って、えー、その呼び方やめろって? どうして? 誰かを、思い出す? うわ、ムカシノオトコってやつだ! ふゆちゃんおっとなー!』
『ヘイ、ミツモリ、お兄ちゃんは渡さないワよ。ふふん、うそつきね。本当はお兄ちゃんのコトが好きで好きでたまらないくせに! …………え、ホントに興味ナイの? ふーん、あっそ、まあ、どうでもいいけどね。どうでもいいけどね。あ、ミツモリ、コーヒー飲む? おごるから』
『やーいやーい、年中ジャージ女ー。煙草の臭いが染み付いてる女ー。あ、けど、あんたがそれ以外の服着てるのってマジで想像つかないわ。いいわよ、今度お姉さんがすばらな服を見立ててあげましょう。遠慮なんかしなくていーいーわーよー、超可愛いのでそこらの男を悩殺よ!』
『約束、忘れてませんよね』
――――ごめん。
嘘だった。
本当は、欲しかった。
欲しくて欲しくてしようがなかった。
くべてしまった幸福を取り戻したかった。
誰かと一緒に楽しく話したかった。どこでもいいから出かけたかった。男の子を好きになりたかった。温かな部屋で、優しい誰かと過ごしたかった。ただ、幸せになりたかった。
「てめえかっ!」
目前まで迫っていた炎に、傘を持った男が割り込んだ。彼の背はよりかかるには小さくて、けれど、共に戦うには充分過ぎるほどに頼もしく思えた。
「てめえがアグニか!」
「ほう、お前がアイギスの……」
ソレが薄く笑む。盾で炎を防ぎ切った一が、三森の顔を盗み見るように一瞥した。彼女は声を掛けようとしたが、上手く口を動かせなくて、一言だけ呟く。
三森の言葉を受けた一は、何も言わなかった。歯を食いしばって、感情の行き先をソレへと定めた。
追いついた一は何も考えず、三森とアグニの間に割り込んだ。糸原たちが戦闘に参加していないのを疑問に思ったが、その理由にはすぐに思い至った。
「だが、女神の神具は供物にするには重過ぎるな。消えろ、ニエにもならぬ人間よ」
アグニから炎が放出される。距離があるとはいえ、一はその余波を受けただけで呼吸が難しくなる。戦うどころかまともに向かい合う事すら難しい中、三森だけがソレを睨みつけていた。一は、彼女以外にはアグニの相手をするのが出来ないのだと気づく。その上で引こうとしなかった。ここで退けば、三森の隣に立てないと直感していたのである。
「退いてろよ。お前じゃ邪魔にしかなンねぇから」
「盾にならなれます。一回限りになりそうですけど」
「そうかよ」舌打ちと共に三森が身を低くして駆け出した。彼女の両足には紐状の炎が纏わり付いていて、足を蹴り上げる事で、炎が空気を飲み込み、勢いを増してソレに襲いかかる。
「児戯よな」
だが、その炎もアグニは掻き消した。三森は即座に次の攻撃へと移るが、やはり炎は通じない。それでも、彼女にはこれしかなかった。何度も何度も、炎が生み出されては消えて行く。その光景を、一は見ている事しか出来ない。熱を受け、汗すらすぐに乾いてしまいそうな状況で、ただじっと立ち続けている。引けない。が、行けない。前に進めず戦えないのである。無力感に苛まれそうになった時、一発の銃声が彼の耳を穿った。
ジェーンの発砲に応じて、立花とナナが駆け出した。刀と、ブレードがソレを襲う。
「てめェら、出てくンじゃねぇよ!」
アグニは二人の得物を融解させ、無防備になった立花の腹に蹴りを放った。強い衝撃と熱を受けて、彼女は苦痛に顔を歪めながら地面を転がされてしまう。
「ネクストっ」
弾丸がソレの目前で消失し、ジェーンは空を、月を見上げた。彼女の両脚が低い唸り声と共に、獣のそれに変わり始める。その間隙を埋めるべく、糸原がドローミを用いず、布石もなしに肉弾戦を仕掛けた。が、近づいただけで顔をしかめ、熱風によって後方へと吹き飛ばされる。
「お前らじゃ無理なンだって! 頼むから! どっか行けよ!?」
一が三森を押し退けて前に出た。彼は炎からナナを庇い、叫び声を上げる。刹那、秒間数十発で撃ち出される鉛の塊がナナの左腕から放たれた。次いで、変化を終えたジェーンが飛び出す。
「おおっ……!」
アイギスを広げた一は、それを突き出すようにして体当たりを仕掛ける。しかし、弾丸も、弾丸に匹敵する速度のジェーンも、防御性能に飽かせた一の突進も、実体のない火炎の前では無力であった。
アグニは一たちを殺さない。その気になれば周囲の何もかもごと、彼らを燃やし尽くすのも可能である。そうしないのは、一らを痛めつけて苦しめて、この後に及んでなお三森の憎悪を育て、よりよい贄へと昇華させる為であった。
その事を分かっているのはアグニだけではない。一たちもまた、自分たちが役に立たないと知っている。それでも、三森が攻撃しやすいように隙を作ろうとしていたのだ。たとえ一瞬以下の時間しか作れなかったのだとしても、これ以上黙って見ている事は出来なかったのである。
「なンで分かってくれねェんだよ!?」
勤務外は立ち上がり、立ち向かい、無様に地面を舐める。じわりじわりと肌を炙られ、水分を奪われる。どろりと融けたアスファルトに自身の未来を重ねても、戦う事を止めはしなかった。
「もう、やめてくれよ……!」
一が倒され、糸原がドローミを燃やされて、ジェーンがフェンスに激突し、立花が予備の刀をすべて失い、ナナの半身が融け始め、三森の体からは青白い炎が立ち上った。やがて、その炎は完全な白へと色を変え始める。
「これは……よせ、三森っ!」
店長が声を荒らげる。炎は勢いを増して、質量があるかのように、まるで水のように地へと滴る。火炎の一滴一滴が何かを確かめるようにして、一つの塊へと姿を変えていく。粘着性を帯びた火は、一個の生物となりつつあった。それは、巨大な蜥蜴である。即ち、サラマンダーの顕現である。三森の怒りに答え、その姿を現世へと現したのだ。が、彼女の怒りは自分一人だけのものではない。アグニへの復讐心だけがもたらしたのではない。仲間をいたぶられた憎しみが、その光景を見ているしか出来ない自身への怒りが生み出した結果である。
「……これが、精霊か」
「――――舐めろ」
アグニは歓喜する。
三森の命に従い、サラマンダーは舌を覗かせ、ソレへ襲いかかった。
炉辺と堀が北駒台店に到着した時、戦闘は激化の一途をたどっていた。顕現したサラマンダーがアグニの体を燃やし尽くそうとして、四足の体躯を震わせている。ソレもまた、先よりも強烈な炎を発生させ、周囲には熱と風が吹き荒れていた。その中で、三森だけが両足で地面を踏みしめている。
止めなくては。そう思った炉辺だが、体が動かなかった。
「そんな……あのままじゃ、ふゆちゃんが……」
「店長、これは」
「見ての通りだ。三森が本気を出した」
店長は腕を組み、何かを堪えるようにして目を瞑る。
「どうしてっ、どうしてあなたがいて、ふゆちゃんが! 早く止めなきゃ、あの子は……」
「止めてどうする。サラマンダーを引っ込めれば、死ぬのはあいつらだぞ。それに、今の三森では怒りを抑えられん。無理に精霊に干渉すれば、あいつが焼かれてしまうだろうな」
「……っ、なんで、そんな冷静なの? 私は、あなたにふゆちゃんを預けたのにっ、なのに、なのに!」
「炉辺さん、落ち着いてください。安心して、私が、やってみますから」
堀は既に自らの得物を持ち出していた。彼は、アグニには敵わない事を理解している。それでもやると決めたのだ。
「……堀、誓約は生きてる。お前がいってもな」
「分かっています。炉辺さん、あなたが、許してくれないことも」
炉辺は顔を上げられなかった。彼女は三森を助けたい。だが、堀を死なせたくなかった。虫がいい自分を、炉辺は強く恥じていた。その上で、我儘を押し通そうとしている。
「三森さんの炎が白い。アレは、自らの命をサラマンダーに食わせているせいですね。確かに、あのままでは彼女の身が危ういでしょう。……そして、三森さん自身もよく分かっているはずだ」
「相打ち覚悟のつもりか」
「そうは、させたくありません」
三森が膝をついた。彼女はアグニを、サラマンダーをねめつける。今となってはどちらもが三森の敵であった。サラマンダーを制御出来なくなり始めて、彼女の身体からは火の粉が舞い、余剰分の炎が溢れている。三森の制御下を離れた火炎は、彼女にもその手を伸ばしていた。
サラマンダーが飛び掛り、アグニが距離を取る。火炎の蜥蜴が前足を伸ばした瞬間、中空から一本の槍が飛来した。解け掛けた地面に突き刺さるか否かで、槍の柄は黒く焦げて燃え落ちる。石突きの部分は音を立てて赤熱し、弾けて飛んだ。
アグニは戦いを止め、サラマンダーも首をめぐらせて後ろに振り返った。
「無粋だぞ、混じり物」
「それは失礼を」
にこやかな笑みを見せ、堀が新たな槍を手にする。二振りの得物をぐるりと回し、彼は三森の傍に立った。
「……堀さんか。早く離れた方がいいぜ。いくらあンたでも、ここはきつ過ぎる」
「あなたに比べればまだマシですよ。それより、アレを引っ込めた方がいいですね。仇と心中するおつもりですか?」
三森は口元を歪める。ややあってから拳に力を込めて、声に出して笑った。
「そうしてェけどよ、初期症状ってやつから先にいっちまった。第一、ここで終われるか……!」
「戦い続ければ、終わるんですよ、ここで」
「やめちまったら、誰がこいつをやるってンだ」
その問いには答えられず、堀は槍の切っ先をアグニへと向ける。ソレにとっては、棒切れと同じようなものに見えていた。
「さて、どこまでやれますかね」
堀が一足で距離を詰める。彼は牽制として右手の槍を放り、左手で突きを放った。
アグニの目の前で、投げられた槍が燃え上がり、灰となって落ちる。放たれた突きは、石突の先端部分から融解を始めた。堀はベルトに挿していた得物を取り出す。折り畳み式の、以前、戦乙女も使用していた鉄製の槍であった。彼は伸びた槍を振るい、アグニの頭部を払う。
「まるで陽炎ですね」
首から上を炎に変えたアグニは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
気を失っていた事に気づき、一は目を開け、上半身を起こした。目に飛び込んできたのは、暴れ回る真っ赤な蜥蜴と火の神であった。動ける者は他におらず、皆、倒れ、伏している。
「三森、さん……」
喉がからからに渇いていた。一は三森の名を呼びながら、立ち上がろうとする。彼女は苦しそうに喘ぎ、事実、熱に苦しんでいる。……三森の制御下を離れたサラマンダーの一部が、彼女の魂を削り取っているのだ。
ふと、一の脳裏を過るものがあった。彼がアイギスを得て、勤務外を名乗るよりも前の事だった。つるべ落としと呼ばれるソレに殺されかけた、その後の出来事を思い出したのである。
――――オーバーヒートだ。
誰かが、そんな事を言っていた。このままでは、彼女が死ぬのだ、と。
「まさか、そんな……」
縋るような視線を向けたところで、三森が自らの炎に苛まれているのは確かである。一の体から力が抜けて、アイギスを取り落とした。
つい先まで隣にいた者が死ぬ。勤務外として、異能を用い、異形と戦うなら理解し、覚悟していた。しかし、一には耐えられなかった。三森冬が犠牲になる事など、考えられなかった。傲慢だったとしても、不遜と罵られても、看過出来ない。
「……神様、なんでしょう……?」
虚ろな目で、一は縋るべきモノを見遣る。神と、そう呼称されてしかるべきモノを。
一に見られた炉辺は目を、顔を背けそうになったが、止まった。
「あなたならどうにか出来るはずじゃないですか」
「はじめ、ちゃん……私は、私はね」
ふらりと、一が足を踏み出した。彼の異様な雰囲気に気おされた炉辺が後ずさりして、彼女の前に店長が立つ。
「一、諦めろ」
ぴたりと、一が足を止めた。ごうごうと、彼の背後では炎が唸りを上げている。
「三森の状態だが、もう、炉辺の手に負えるものではない」
「俺の怪我は治してくれたじゃないですか。見たんですよ、俺。あの日。光が眩しくて、三森さんが、元通りに戻って」
「もう、戻らないんだ」
一に、あるいは自身に言い聞かせるように、店長はゆっくりと話した。
「なんだ、それ?」
がくりと、一の膝が折れる。
「あの人が、死ぬ? じゃあ、どうして諦めろなんですか? もっと、あるはずじゃないんですか?」
「お前の気持ちは分かるがな。ソレを倒せるのは、三森しかいない。結果的に、死ぬかもしれない。だが、だけどな、あいつが選んだんだ。そうしようって、決めてくれたんだよ」
「俺の気持ちなんかどうだっていい。ソレがどうなったっていい。三森さんが死ぬ必要なんか、どこにあるっていうんだ。……炉辺さん、お願いだ。お願いします。助けて、ください」
「おい、一っ」
一は頭を下げ、ひれ伏した。自分の頭を何度も地面にぶつけるようにして、声を振り絞る。
「や、め……お願い、はじめちゃん、はじめちゃん、私にはもう、力が……」
「見苦しいぞっ、お前、よりによってお前があいつの覚悟を無駄にするつもりなのか!」
店長が一を起き上がらせようとするが、彼は声を荒らげ、首を振った。
「覚悟ってなんだよ!? あんたがやらせてんだろうがっ、てめえらがしっかりしてりゃこんなことしなくてよかったんだ!」
「ふざけるな。泣き喚いて三森が助かると思っているなら、お前はクズだ」
「クズでいい! 三森さんが死ななくていいなら、俺は何にでもなるし、何でもやる。だから、助けてくださいよ!?」
「バカがっ」一の頬を殴り飛ばし、店長は炉辺を見遣った。
「炉辺。こいつの言ったことは気にしなくていい。こいつは、ガキなんだ。自分がどこまでやれるか分からないのに、力もないのに、欲しいからって手を伸ばそうとしやがる。自分に出来ないことを人に押し付けて、人のせいにして、バカの、一つ覚えみたいに……! 私が、私がどれだけっ」
「やめてっ、あいちゃんまで、やめてよ!」
「いいや、やめない。どうやら、私もバカで、ガキで、クズらしいからな」
一は、空を見上げていた。殴られて、起き上がる気力すら湧いてこなかった。死んでしまいたいと思った。だから、自分の傍で店長が跪いた事に、すぐには気づけなかった。
「……店長?」
「炉辺。お願いだ。何でもする。三森を、助けてくれ」
アグニはサラマンダーとの戦闘の最中も、不思議に思っていた。本来、火を司る精霊の気性は激しいものであり、人間に従うようなモノではない。だが、今のサラマンダーは三森の命を食いながらとはいえ、彼女の意向を無視していないようにも見える。
何故、従うのか。
何故、逆らわないのか。
何故、何故、何故――――。
「……精霊。どうやら、封印を施されているようだな」
三森が数ヶ月という期間でサラマンダーを制御した事をアグニは知らない。だが、ただの人間がどれだけの時間を重ね、年月を経たとして、御しえるモノではないと知っている。……つまり、ただの人間ではない者が三森に力を貸しているのだ。その人物こそがサラマンダーの力を弱めているのだと、アグニは結論を下した。
「先に言っておくけど、私じゃふゆちゃんを助けられない。そのことを分かって欲しいの」
一と店長は地面に座り込んだまま、炉辺の話を聞いていた。彼女は息を吐き、仕方なさそうに笑みを浮かべる。
「知らないからね。こんなおばちゃんに無理させるんだから。……あのね、私は今、というよりずっと前からふゆちゃんに力をあげてるの。そうしないと、あの子はサラマンダーに言うことを聞かせられないから」
「そこは知っている。必要なところを話せ」
そんな話は初耳だが、一は口を噤んで、じっと続きを待った。
「せっかち。だから、ふゆちゃんには力を返してもらうつもり」
「ちょっと待ってください。そんなことしたら、三森さんはサラマンダーに、その、食われる?」
「うん、本当に、情けないんだけど、助かるかどうかはふゆちゃん次第。でも、あの子の気持ちがサラマンダーに伝われば、取り込まれることはないはず。ふゆちゃんは前よりも強くなったし、五年前とは違う。それに、精霊の力は強過ぎるから、半分以上は私が受け持つつもり。ふゆちゃんに力を返してもらう時に、精霊の力も一緒にもらうの」
「……一、『そんなことが出来るのか』という顔をしているぞ」
一は目を背けて、アグニと、サラマンダーを一瞥する。三森は息があるが、それでも彼女の苦しそうな姿を見るのは辛かった。
「すいませんでした。あの、急いでください」
「分かってる。でも、これが本当に、最後の手段なの。それに、ふゆちゃんが助かるかどうかなんて保証もない。第一、サラマンダーの力を引っ込めちゃったら……」
「全員、アグニに殺される、か? 舐めるなよ、どうにかするさ」
「俺は、最悪、やられたって構いません。でも、あいつだけは生かしておかないだけです」
炉辺は頷き、三森を認めた。
――――随分とまァ、勝手なことを言ってるな。
三森は短い呼吸をしながら、苦笑した。一たちの会話がおぼろげながら聞こえていたのである。嬉しさが胸にこみ上げてくるが、同時に腹立たしくもあった。もう、遅いのだ。自分の体の事は、何よりも、誰よりも自分がよく分かっている。三森には、サラマンダーの力を弱めてもらったところで、精霊を腕ずくで押さえ込めるほどの気力は残っていなかった。
「……お、最後の一本だったのに」
ごみと化したポケットの中身を投げ捨てて、三森はあぐらをかく。数メートル先では、自らの支配下から離れつつあるサラマンダーとアグニとの戦いが続いていた。どうするものかと、彼女は白い呼気を口から漏らした。
恐らく、三森はこれから数分と経たない内に炉辺から力を取り上げられてしまうだろう。そうなった時、サラマンダーと再び契約を交わせば助かるかもしれない。少なくとも、永続的に続く熱の苦しみからは逃れられるはずだった。実際、サラマンダーは三森を、彼女の心の内の憎悪を気に入っている。力を貸せと求めれば応えてくれる可能性は高い。だが、三森は再契約を結ぶ気がなかった。何故なら、今の状態を維持したところで、炎神アグニに勝つ算段を見出せなかったからである。ソレを殺し切るには、より強い力が、もっと大きな炎が必要だった。そして、彼女はその術を得る法を知っている。炉辺ですら知らない方法であった。サラマンダーにその身を救われ、その身に巣食われ続けた者にしか知りえない事である。
「悪いこと、しちまってるよな」
呟き、三森は背中を摩った。その場所には、痣がある。サラマンダーと契約を結んだ証が刻み付けられている。
目を瞑り、世話になった者の顔を思い出す。
「けど、死なせたくねェもンな」
後悔はしている。
納得はしていない。
覚悟などとうに消えている。
死ぬのは途轍もなく怖くて、嫌で、泣き喚きたかった。
「じゃあ、ま、お先にな」
瞬間、三森の背から淡い光が発せられる。炉辺が、力の返却を求めたのだ。