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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アグニ
264/328

Make A Wish



 父の名を呼んだ。

 母の名を叫んだ。

 ごうごうと燃え盛る炎が、彼女の行く手を遮っている。薄くなる酸素が彼女の気力を奪い続けている。

 突然の襲来者は、何もかもを燃やし尽くした。家も、居場所も、思い出も、家族をも。抵抗する間もなかった。そも、抗う術を持たなかった。ただ、あるのは憎悪だけである。まだ十代の少女は、降りかかった災難を嘆かず、死んでいったものたちを悼む事もなく、ただ、恨んだ。憎み、きっとねめつけた。

「贄となるか」

 襲来者が問う。少女は歯を食い縛って答えた。

「殺してやる」

 少女の背には、いつしか、炎が蠢いていた。彼女を覆い隠し、灰と化すようなそれではない。

「……精霊か」

 蜥蜴の姿をした炎は、少女の背に這い寄り、居場所を見つけた。宿主の存在を認めたのである。

 襲来者は全身から焔を立ち上らせ、笑う。贄を見つけたと。極上の供物を探し当てたと。少女は声を荒らげて、襲来者に向かって手を伸ばす。瞬間、閃光と爆音が焼け爛れた建物を包み込んだ。



「いらっしゃいませー、ケーキ、ケーキはいかがですかーっ」

「甘くて美味しい、頬っぺた落ちちゃう、至高のケーキっ。……究極のがいいかしらね?」

「……ちょっと。商店街のフィッシュ屋さんじゃないんダカラ」

「あまり威勢が良好過ぎるのも考え物ですね」

 オンリーワン北駒台店の前で、四人のサンタがクリスマスケーキを手売りしていた。糸原、ジェーン、立花、ナナの四人は店の前に長机を置き、そこにケーキを並べている。が、今のところはおでんや肉まんの売り上げの方がよかった。

「しかも、どいつが持ってきたのかこの衣装。ミニスカだし」

「ハレンチね。まあ、アタシは若いから似合うけど」

 寒さに震えながら、一日限りのサンタクロースたちは通行人を見かけるたびに声を出している。ケーキを一つ売るごとに特別ボーナスが発生すると、店長から言われているのだ。その話を聞いた糸原は、本来は夕方からのシフトであったはずなのに、欲に目がくらんで朝からサンタの衣装に身を通していた。そして、彼女に引きずられる形でナナもつき合わされている。

「……ナナは寒くありませんが、糸原さん、平気なのですか?」

「お金がかかってるから平気よ。どうせなら裸で客引きする? そっちのが人が寄ってくるんじゃない?」

「そっ、そんなのヤだよ! 恥ずかしいし風邪引いちゃうよ」

 立花は肉まんの補充をしていたが、糸原の言葉を聞いて、トングで挟んでいたピザまんを取り落としそうになった。

「アタシは品性まで売り渡すつもりナイから。やりたきゃ一人でやりなさい。あと、アタシたちから離れたところでね」

「冗談に決まってんじゃーん。今は」

 ぎらりとした光を宿したまま、糸原は若いカップルに狙いを定める。

「あいつらなら、ちっと強く言えば買ってくれそうね。行くわよまことちん」

「まっ、まだ肉まんの準備が……」

 駆け出す二人を見て、ナナは息を吐くような動作をした。

「しかし、午前中からクリスマスケーキを購入するような人がいるのでしょうか」

「まずいないわネ……そんなコトより、はあ。気が重い」

「もしかして、マスターのことで悩んでいるのですか?」

 ジェーンは力なく頷く。

「まさか、あのボクネンジンのお兄ちゃんがデートだなんて。しかも、クリスマスに。しかも、相手は……!」

「ジェーンさん。リボルバーに手を伸ばすのはお止めください」

「オウ、シッケイ」

「しかし」と、ナナは眼鏡の位置と、帽子の位置を直す。

「三森さんとマスターが、そんな間柄だったとは気づきませんでした。ナナ一生の不覚です」



 出かけるのには少し早過ぎたかも知れない。

 駅前のベンチで、一は一人、煙草を吹かしていた。待ち合わせの時刻までまだ間があるが、家でじっとしているのは耐え難く、待ち合わせ場所の近くまで足を運んでいたのである。

 何度も腕時計を見てしまうが、時間の経過は遅々としていた。拷問のようだと、一は空になった煙草の箱をくしゃりと握り潰す。……デート、なのだろうか、と。彼は煩悶した。気の迷いだったかもしれない。三森も今日は休みで、つい電話をしてしまって、繋がってしまって、お互いが上手く話せず、しかし、彼女も長い沈黙の末に、一の誘いに乗った。

「まあ、何のことはねえか」

 一緒に買い物をして、一緒に食事をして、ついでに駅前でイルミネーションを見物するだけだと、一は自分に言い聞かせる。

「……いや、デートなのか。これって」

 思えば、自分にしては大胆な事をしたものだ。しかも相手は三森である。初めてオンリーワンに来た時ならば、自発的に彼女と出かけるなどと考えもしなかった。

 独り言が増えてきたので、一は緊張を解す為に立ち上がる。その時、向こうから歩いてくる女性と目が合った。そして、少しだけほっとする。三森も、特に気負いなどないらしい。真っ赤なジャージが、今の一には妙に眩しく映った。

 三森は軽く手を上げ、のろのろとした歩みで近づいてくる。

「あれ、時間、間違って聞いてたか。もしかして、すげェ待たせた感じ?」

「ああ、いや、合ってますよ。というか、お互い待ち合わせの時間には早いくらいで」

「……殊勝じゃねェか。だよな、女待たせるのは男としてどうよって話だもンなァ」

 言って、三森は口の端をつり上げた。

 一は、自分が緊張していた事が気恥ずかしくて、誤魔化すように笑う。

「そうですそうです。いやあ、楽しみでついつい早く来ちゃいましたよ」

「そ、そっか? ま、私も早く来ちまったってことは、楽しみにしてたってことなンだろうな。こういうの、なかったもんな」

「あはは、それで、今日はどうします?」

「なンも決めてねェの?」

 一は素直に頷いた。三森は無言で、煙草に火をつける。

「考えとけよなー、そっちが誘ったンだからよォ」

「何するか決める前にそっちが電話切ったんじゃないですか。……なんか、欲しいものとかあります?」

「買ってくれンの?」

「買い物に付き合うくらいは」

 三森は不満げに唇を尖らせた。一は仕方なさそうに、頭に手を遣る。

「高いものはヤですよ。……サンタさんは、俺らみたいな大人には何もくれなさそうですし。折角ですからね」

「気前いーじゃん。へっへー、ありがとな」

 そう言って、三森はにっこりと笑った。仕事中には決して見られそうにないな、と、一は少しだけ嬉しくなった。



「そういや、なンか、今日は気合入ってんな」

 じろじろと格好を見回され、一は気恥ずかしくなり、俯いてしまう。

「そうですかね」

「……うん。あァ、なンか、わりぃな。私だけいつもと同じだからよ」

「や、気にはしてませんよ。……あ、それじゃ、服とか、見ます?」

「んー、いや、いいわ。ちょっとな、色々あって、私はこれしか着られねェんだ」

 そういえばと、一は、三森が赤いジャージ以外の服を着ているところを見た事がなかった。

「もしかして、かなりお金に困ってるとか……?」

「そうじゃなくってだな」三森は困った風に頬をかき、自動販売機の前で立ち止まる。

「煙草吸っていい?」

 頷き、一はホットの缶コーヒーを購入した。三森も、彼と同じものを買い、同じタイミングでプルタブに手を伸ばす。

「最初に言っとくけど、全部、嘘じゃねェンだ。だから、お前には信じて欲しい」

「分かりました。信じますよ。いや、信じてますから」

「……私にはさ」

 三森は、誰も見ていない事をよく確かめてから、親指と、人差し指の腹を擦り合わせた。すると、彼女のそこから小さな炎が生まれる。一たちにとっては見慣れた光景でもあった。

「こう、こンなことが出来る。出来ちまうんだ。お前らはさ、あンまし怖がらなかったし、聞いてもこなかったけどよ。まあ、おかしいよな、こんなの」

 一の同意は求めていなかったのだろう。三森は、彼を見ずに話を続けた。

「私は、ソレに憑かれてる。好かれてるって言う方が合ってンのかもしれねェけどよ」

「……なんとなく、気づいてました」

 一は、初めて三森の炎を見た時、勤務外だから、ソレと戦う者だから、これくらいは出来て当然なのだと思っていた。しかし、彼女のように戦う勤務外はいないのである。オンリーワンの社員やフリーランスですらも、大抵の者が武器を扱う。三森は特異なのだ。

「私らはみんな変わってる。その中でも、私だけが浮いてンだな、きっと」

 じっと、三森は一を横目で見遣る。試されているのだと思って、彼は決して視線をそらさなかった。

「それが、前に言おうとしてたことなんですか?」

「まァな。引いちまったか?」

「まさか。今更ですよ。それくらいじゃあ、俺はあなたから離れませんから」

「は、なンだそりゃ」

「ちなみに、その、取り憑いてるソレってどんなやつなんですか」

 三森は言おうか言うまいか思案しているようだったが、薄く笑って、一に答えた。

「サラマンダー。聞いたことあるか?」

「……どこかでは」

「そうなんか? てっきり、とっくにばれてると思ってたぜ。何せ、お前には風の精霊がくっついてやがったからな」

 そこまで言われて、一にも合点がいく。シルフは以前から三森を警戒していたが、そうではない。彼女ではなく、彼女の身に巣食うモノを恐れていたのだ。

「四大精霊……確か、シルフが言ってたっけ。風と、水と、地と、火」

「うん。火のやつがサラマンダーで、私に憑いてるやろうだよ」

「取り憑くって、どういうことなんでしょうか。何か、体に副作用があるとか」

 言いかけて、一は顔をしかめた。

「体から火が出る。それだけで、充分だよ。この火はさ、私を無視して勝手に出やがるンだ。昔は、もっと酷かった。今は、コントロール出来てるけどな」

 苦笑する三森だが、目は笑っていない。いったい、どれだけの苦労を重ねてきたのだろうかと、一は彼女のこれまでを推し量ろうとして、やめた。自分のような者が触れてはいけない領域だと気づいたのである。

「気持ちが昂ぶるとな、出るんだ。顔から火が出るって言うだろ。ありゃ、私のためにあるような言葉だと思ったな。……このジャージはさ、技術部が作ってくれてンだ」

「ええ、知ってます。一緒に取りに行きましたからね」

「なんか、そこで喧嘩したような気もするけどな」

 一は笑って誤魔化した。

「……これは、火鼠の衣ともいうらしいぜ。実際、そんな生き物がいるかは知らねェけどな。でも、この服だけはサラマンダーに焼かれずに済む。だから、普通の服って着たくねぇんだ。外でストリップしたくねぇからな」

 着ないのではなく、三森はもう、着れないのだろう。一は、やはり声をかけられなかった。彼女が求めているのは同情を引く事ではないのだから。

「ちなみに、インナーも技術部が?」

「おう」

「下着もですか」

「おう。……って、何言わせてンだてめェ!」

「あははは、いや、まさか答えるとは思ってなくて」

 顔を真っ赤にした三森は、短くなった煙草を携帯灰皿に押し込んだ。

「ヘンタイが。……けど、ま、服がいらねェってのはそこが理由なんだ」

「はあ。ところで、気持ちが昂ぶるって、具体的にはどんな感じなんですか」

「そりゃ、ブチ切れたりしたらとか……」

 もしかして、自分は今危険なのではないか? そう思う一方で、言いよどむ三森には、まだ何かあると一は踏んだ。

「暑さは関係ないんですか?」

「ねェな」

「じゃ、恥ずかしがるのは?」

「…………アウトになる」

「それじゃ、付き合う時ってどうしてたんですか。ほら、いくら三森さんでも好きな人の前だと恥ずかしがったりするでしょう。さすがに」

「お前からかってンだろ」

 素直に頷いた一は、頭を軽くはたかれてしまう。

「特に問題ねェよ」

「おおう、すげえ。百戦錬磨って感じがする。よっ、男殺し」

「……そういうのには、興味がなかったからな」

 空気が凍るのを、お互いが感じていた。

「……え? もしかして三森さんって」

「だっ……! い、言うな。言ったら怒るぞ。マジだからな。てめェここでストリップさすぞ」

 くそっと、三森は短く吐き捨てる。そうして、缶コーヒーをぐっと呷った。

「処女だったとは」

「殺すって言ったよな。ハラァ据わってるってことだよな、なァ?」

「聞いてません聞いてません。いや、つまり、そういうことでしょうが!」

 一の語気は荒くなっていた。

「だーっ、もう、うるせェな。言わなきゃよかった。悪いかよこの歳で誰ともヤってねェとかよ。引けや、存分に引けよ」

「ちなみに、デートとかも初めてだったりしますか」

「……どうだろうな。私は、そンな風に思ってなかったけど、向こうはそう思ってたかもな」

「うわーっ、なんかムカつく言い方ですねえ。で、相手は誰でした?」

 三森は鼻で笑った。一は低く唸った。

「ま、いいや。それじゃ、今日は三森さんが初めて異性とデートする日にしましょう」

「上から目線過ぎンだろ、お前」

「嫌ですか」

「そういう聞き方はきたねェよ。折れるんならそっちだからな」

「じゃ、折れます。改めて、俺とデートしましょうか。……なんて、今時中学生だって言いませんよ」

 一は遠慮がちに手を差し出した。三森はその手をじっと見つめている。

「あ、手くらいは繋いだことありますよね」

「あるよバカにすンなよな」

 三森が一の手を強く握って、彼は短い悲鳴を上げた。

「あっつ!?」

「あ、わりィ。つい」

「恥ずかしがってんの? それともキレてんの? わざとなの?」

「手くらい繋いだっつーの。前に、お前とな」

「……それって、アレスん時の話ですか?」

「やっぱ、引くよな」

 自嘲気味に笑むと、三森は一の手をゆっくりと離す。

「たぶん、お前が思ってるよりめんどくせェやつだ、私は」

「そりゃ、自分で自分を面倒って言うような女ほど面倒なやつもいませんよ」

 感情が昂ぶると発火する女と付き合いたいと、どこの男が思うだろうか。きっと、手を繋いだだけで、抱き合っただけで、目を合わせただけで、周囲の空気ごと燃やされてしまうのに。三森は、そんな自分をよく理解していた。自分が、女性として相応しくないものだと理解させられたのだろう。

「でも、今日は冷えますから」

「……あ」

 離れ、中空を彷徨っていた三森の手を握って、一は照れ臭そうに笑った。

 この人になら燃やされてもいいと、彼は思った。彼女の好意を受けられるなら、体など惜しくないと思った。……ああ、と、一は内心で重たい息を吐き出す。まるで、自分と同じではないか、と。

「お昼にはまだ早いですから、この辺を適当に見てからにしましょうか」

 三森はされるがままに任せていたが、

「うん、そうしよっか」

 時間をかけて、一の手を握り返した。



「ジェーンさん。リボルバーを抜いたままケーキをすすめても無駄に終了すると思われますが」

「…………気づかなかった」

 ジェーンは舌打ちしながら、ホルスターに銃を戻した。彼女は逃げた男をじっと睨んでから、しゃがみ込んで肉まんを齧る糸原に目を向ける。

「サボタージュするのは早いわよ、イトハラ」

「えーっ、だって売れないんだもん。お腹空いたし。声出すとさー、やっぱりお腹空くのね。あ、今いいこと思いついた。新しいダイエット本出すわ。大声ダイエット法ってやつ。定価五万円」

「いっ、いらっしゃいませええええ!」

「立花さんが早速大声ダイエット法を実践なさっていますね」

「アホしかおらんのか」

 冷めた目の店長が外に出てきて、糸原たちにペットボトルのお茶を配り始める。

「ボスにしてはオーバンブルマね」

「大盤振る舞いというには安いがな。まあ、朝からやってくれているんだ。助かっている。ウチにもノルマがあるからな。少しは捌いておかんと、上に何を言われるか分からん」

「売り上げには全く貢献してないけどね」

 お茶をがぶ飲みする糸原に、ジェーンたちがうんうんと頷いた。

「それより、店長さんだけで大丈夫なの? 今日は堀さんいないし」

「正直、分からん」

「マスターと三森さんに救援をお願いしましょうか」

「はっ、そ、それよナナっ。ボス、早くお兄ちゃんとミツモリを!」

 必死そうなジェーンを押し留めて、店長は首を振った。

「あの二人は休みだ。包み隠さず言えば、私は今も電話をかけて呼び戻したいと思っている。と言うかだな、その気持ちは膨れ上がるばかりだ。が、私は三森の恨みを買いたくない」

「そういうことね。諦めなさい、妹。誰も馬に蹴られたくないってさ」

「ホースぐらい怖くないんだケド」

「そういう意味ではないとナナは判断します。人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて地獄に落ちるものなのです、ジェーンさん」

「なにそれ、ジャパンこわい」

「時間の問題かもしんないけどね」

 糸原は、ちらりと店長を見遣った。

「私の我慢が限界に達するのが先か、あるいは」

「一がヘタれるのが先か、ね。ちなみに、四乃ちゃんは一がやらかして泣きながら店へ来る方にクリスマスケーキを賭けます」

「……賭けにならんな」



 冷やかしで店を回るのも存外と楽しいものであった。ただ、一人で同じ事をやっても、同じく楽しめるとは思わない。

 一は心配そうに三森を見遣って、その視線に気づいた彼女は口の端をつり上げた。

「ンだよ、その顔。……楽しんでるよ。私は」

「そんな顔をしてましたか?」

「してた」

 三森はおかしそうに笑って、一もつられて笑い声を上げた。

「そろそろ、どっか入りましょうか」

「っつっても、混ンでるよな」

「クリスマスイブですからね。うわあ、カップルだらけだあ」

「私らと同じだな」

「……え」

「お、照れてンの? ダメだなァ、それじゃ。私みたいなのにからかわれてるんじゃあダメだなァ」

 一の顔がツボにはまったのか、三森は喉の奥でくつくつと笑い続けていた。彼はつまらなさそうにそっぽを向いた。

「けど、やっぱし駅ナカは無理そうだな。どうする、向こうまで出るか?」

「市街も混んでると思いますよ。夜になったら、さらに」

「イルミネーションなンか見ても面白くねェのにな」

「……あの、今日は、その面白くないものを見にいくと話したじゃないですか」

「あっ、そっか。悪い悪い」

 全く悪びれた様子を見せずに、三森は一の肩を掌で叩いた。

「……あ、いや、ちょい待てよ。イルミネーション飾る広場あるじゃん。そこで屋台とか出てるはず」

「あ、そうなんですか」

「うん、春風がそンなん言ってたから……あ」

「俺は何も言いません」

「言ってるようなもんだろっ」

「まさか下調べしてくれてたなんて。俺は感激で感激で」

 ニヤニヤしていると、一は三森に足を踏まれて体を近づけられる。彼女は殺すぞと囁いた。

「いってえ……でも、屋台って。寒くないですか、外で食べんのは」

「あー、ちゃンと考えてっから大丈夫だって」



 一たちは、駅から駒台市街の広場まで、徒歩で向かう事にした。一が、道すがら話したい事があると言ったからだ。

「バスが出てんのに……」

「謝ったじゃないですか。それに、言っとかないとだめだと思ったんです」

「何を」

「俺も人のことは言えないってことを」

 歩きながら、一は三森の様子を伺った。彼は、いつの間にか、彼女の手を見ているのに気づいてしまう。

「……? わかンねェな。何の話だよ」

 一は、アイギスとメドゥーサ、それから、アテナの事について話そうと思っていた。自分の口から話すのは、店長以外には初めてである。躊躇していたが、三森がサラマンダーについて話してくれたので、一もまた、自らに巣食うモノについて打ち明けようと思ったのだ。

「最初に言っときます。今からする話は嘘にしか聞こえないけど、本当のことなんです」

「……お前は嘘つきで性根が曲がってっからなァ。まあ、信じてやるよ」

「どうも。……三森さんが生涯処女であるように」

「おいこら。勝手に決めつけンな。あと、からかったから怒るからな」

「俺もたぶん、死ぬまで童貞なんですよ」



 三森は、一の話を信じられなかった。自分の境遇に重ねたほら話で、この話が終わった瞬間にぶん殴ってやろうと思っていた。だが、彼の語る言葉は、彼の瞳は、いつになく真剣だった。茶化すようにして、自らの不幸をおどけるような語り口ではあったが、一はやはり、真実しか口にしなかった。少なくとも、三森にはそう思えた。

「こんなところです。引きましたか?」

「……えっ?」

「こんな歳で、誰ともヤってないやつを。そんで、死ぬまで童貞なやつを。なのに、涼しい顔で三森さんをからかってたんですよ、俺は」

「あの、詐欺師女と出来てんのかと思ってた」

「……えっ、糸原さんと? 馬鹿な、そういう目で見てたんですか」

 一は否定するが、彼は糸原を居候させている。同じ屋根の下に男女がいるのだ。のみならず――――。

「だって、お前がアテナってのに力を借りたのはさ、あいつを助けるためだったンだろ」

「まあ、そうです。俺は確かに、糸原さんを一人で死なせたくなかったから、あいつにアイギスを借りたんです。けど、たとえばその、糸原さんじゃなくてもよかったのかもしれないんですよね」

「……何が?」

「今にして思えば、俺は、ただ、すげえ力ってのに憧れてただけなのかもしれないって。きっかけは糸原さんが危なかったからだとしても、アイギスが欲しかったのは、もっと別に理由があったからかもって、そうも思うんです」

「あいつが聞いたらどう思うかな」

「……言いませんよ。この話をするのは、もう、最後にします」

 ふと、一の横顔を盗み見る。彼は、じっとこちらを見据えていた。

「ま、まあ、お互い、さ、大変ってことだよな」

「ですね。まともに異性と付き合えないし」

「子供は作れないし」

「結婚出来ねェし」

「それは出来るんじゃないかなあ。籍入れるだけなら、ですけど」

「愛がねェなぁ」

 やるせなさしか募らない。

「こう言っちゃあ、気を悪くさせちゃうかもしれませんけど。俺たちって、ちょうどいいのかもしれませんね」

「処女とドーテーだからか? 笑えねェよ」

「超ピュアじゃないっすか。ある意味、こう、なんつーか、究極のプラトニックを貫ける、みたいな」

「ありていに言えば小学生以下の恋愛しか出来ませン」

「あははははっ」

「笑うなよっ」

 しかし、笑うしかないというのも確かではあった。ここまで似たもの同士だと、笑い飛ばすか、互いの傷を舐め合うしか出来ない。三森は息を吐き、仕方なさそうに一の手に触れた。

「……お前が何を考えてるか、だいたい分かってる。けどな、たぶん、そういうの見せたり、出したりしたら、後悔すると思う」

「……でしょうね」

「でも、な。これだけは言っとく。私は、お前のこと、嫌いじゃない」

「…………ずりいなあ」

「お前よかマシだ」

 ここが、ぎりぎりの線だったのだろう。踏み込み過ぎず、上手く言えたと、三森は安堵する。しかし、決定打に近い発言でもあった。……一と三森は、互いに身を寄せられるであろう、よすがを見つけた。決して失いたくないと、そう思ったのである。

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