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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ハルピュイア
263/328

酩酊の暗夜行路



「行ったか……」

 部屋から、自分以外の者がいなくなったのを確認し、一は身を起こした。耳を済ませると、階下が騒がしくなり始めた。どうやら、糸原たちは二次会を始めたらしい。

「どれだけ呑むんだ、あの人たちは」

 寝たふりを続けるのは心臓に悪かった。一は息を吐き出して、再び寝転がる。あくびをかみ殺したところで、電話のベルがけたたましく鳴った。すわ、糸原たちに呼び出されるのではと思い、彼はしばらくの間、受話器を取らなかった。というよりも、その存在を忘れようと努めていたのである。それでも電話が鳴り続けるので、一は諦めた。

「……はい。もしもし」

『一さんのお電話でよろしいですか?』

「ええ、そうですが……」

 聞き覚えのない声に、一は少しだけ戸惑う。てっきり、テンションのおかしくなった糸原たちからだと思っていたのだ。

『お忙しいところを失礼します。私、楯列の家のものなのですが』

 声は若い女のものである。楯列が一に電話をかけてくる事は珍しくないが、彼以外のものが『楯列』を名乗ってかけてくる事は今までになかった。

『一さんは、クリスマスのご予定はどうなっていますか?』

「はあ?」

『ひ、暇ですよね。そうに決まっていますよね。でしたら、あの……』

 態度こそ下手に出ているようだが、舐められているような気がして、一はぎぎぎと唸る。

「ぜっ、ぜんぜん暇じゃねえから」

『ええっ、そ、それは困ります。坊ちゃんから、なんとしても約束を取り付けるようにとのお達しなんです。失敗したら、槐ちゃんにも怒られちゃいますよう』

「坊ちゃん? 槐? ……あんた、もしかして、『教会』の」

『あ、申し遅れました。はい、灯です。その節はどうも、お世話になりました』

 元がつくとはいえ、フリーランスを電話番にしている楯列が信じられなくて、一は思わず天井を仰いだ。

『と、とにかく、あなたにはクリスマス、楯列家で行われるパーティに参加してもらいます。いいですよね? だめと言ったら、たぶん、姉さんがそっちまで行っちゃうと思いますけど』

「下手な脅しだな、おい。いや、そりゃ、あなたたちには借りがある。けど……」

『……もしかして、本当に予定がありました? ううん、だとしたら、やっぱり無理強いはよくありませんよね』

「で、ですよね。いやあ、残念だなあ」

『うう、仕方ありません。私の方から、なんとか言って――――ひっ、ね、姉さん!?』

 電話口から剣呑な雰囲気が伝わってくる。『しのごの言わせずにつれて来い』だの『わしがやる。泣き落としを仕掛けるんじゃ』だの『手足の二、三本切り落としてでも持ってくる』だの聞こえてくる。一は身を硬くした。そして。

『……あ、お待たせしましたー。ちょっとごたごたしてたんですけど、片付けちゃいましたから心配ないです』

「そ、そう、ですか。えっと、それじゃあ俺は忙しいので切りますね」

『切ったら殺す』

「おっ、お前! さっきの灯さんじゃないだろっ、姉ちゃんの方だろ! 灯さんをどうしたっ」

『切ったら殺す。クリスマスに予定があっても殺す。坊ちゃんの家に来なくても殺す』

 下品な笑い声が聞こえてくる。灯の身に何があったのか気になるが、まずは自分が助かる事を優先せねばなるまいと、一はごくりと唾を飲み込む。

『ふざけんじゃないわよ勤務外。こっちには座敷童子様だっているし絢爛豪華な料理だって揃えるつもりなんだし何より聖なる夜に相応しいシスターが二人もいんのよ? 最高のクリスマスが過ごせるに決まっているでしょう』

「今、そのシスターとやらが一人減った気がするんだけど」

『前駄賃として賛美歌を捧げましょう。あーあー……あれ? 出だしってどんな歌詞だったかしら』

「とんだシスターアクトだ。とにかく、行かないから。楯列にもそう伝えといてくれよ」

『ちょっとー! 困るんだけどー!? あんたが来ないなら全裸になって逆立ちして街を一周するって言ってるうら若い乙女だっているんだけどー!?』

 今、誰が一番困っているのか力説してやりたい。そんな気分に駆られたが、一は受話器を置き、電話線を抜く事にした。



 楯列家からの電話を切り、電話線を抜こうとした瞬間、ベルが再び鳴り始める。

「……反応速度よ過ぎだろ」

 もう暫くは付き合ってやるかと、一は受話器を持ち上げて、耳に当てた。

「もしもし一です。しつけえな、行かないって言ってんだろ」

『……出だしから酷い方ですね。あなた、あたしに恨みでもあるんですか』

「あれ? そのムカつく声と口調は……黄衣じゃないか。おう、元気だったか?」

『今、急にむかむかしてきました』

「食べ過ぎだな。薬飲んで寝てろよ。じゃあなー」

 言って、一は受話器を置こうとする。電話口の向こうから、絹を裂くだけでは飽き足らないような叫びが聞こえてきた。

『はあっ、はあ、ほ、本当に腹を立たせるのが上手い人ですねっ、ぷんぷん!』

「一瞬で全身に鳥肌立った」

『ふふん、チキン野郎には相応しいですね』

「天才か。なんだよその返し。どこまで俺を馬鹿にしたいんだお前は」

『無論、死ぬまで、というやつですよ』

 だったら早く死んでくれ。一はごろりと横になり、あくびを漏らした。

「で、いったい何だってんだよ。まさか、俺に毒を吐くためだけに電話してきたわけじゃないんだろ」

『いえ、そのつもりでしたが』

「切るぞ」

『切ったら殺しますよ』

 ついさっきも同じ事を言われたような気がする。一はめまいを覚えていた。

『電話を切ったら殺します。切りたくなっても殺します。お腹が減っても殺します。眠たくなっても殺します。息をしても殺します』

「理不尽だぞ。つーかマジでさ、用がないんだったら切っていい? 眠いんだよね」

『あっ、眠いって言いましたね! じゃあ殺します!』

「なんで嬉しそうなんだよ」

『だって、こんな風にあなたと話せているんですもの……きゅんっ』

「ちょっとトイレ行ってくるわ」

『いやっ、変態! あたしの声を聞いて何を考えているんですか!?』

「あ、ゲロ吐いてくるだけだから」

 一は電話機をぎりぎりまで動かし、こたつに足を入れる。卓の上に転がる酒瓶を見つめながら、片付けは誰がするのだろうと、ぼんやりと考えた。

『それって、ゲロを吐きそうなくらいあたしが可愛いってことですか?』

「どこまで前向きなんだよお前。ちげえよ、普通に気持ち悪いってことだから」

『一さん、あなたはあたしに借りがあります』

「……いきなりだな。でもまあ、確かにそうだ」

 アレスとの戦いにおいて、一はたくさんの借りを作ってしまったと思っている。ナコトは口うるさいしやかましいし面倒くさいし話していて腹が立ってくるが、借りは借りであった。

「俺に出来ることなら聞くよ」

『クリスマスに、あたしと遊んでください』

「またそれか……」

『また? どういう意味ですか? ……そういえば、開口一番行かないだのどうのと言っていましたね。もしかして、別の方と約束を?』

「いいや、してない。今のところ、何もない」

『ふうん。では、あたしに付き合ってもらいましょうか』

「うーん。あんまし気が乗らねえなあ」

『は?』

 空気が冷たく、硬くなったような気がして、一は押し黙ってしまう。

『え? いや、はあ? ちょっとマジで意味わかんないんですけど。ここで断れるとかチキンなのかアイアンハートなのか全然分からないんですけど。あの、本気で言ってます? あたしのような美少女からのお誘いですよ? その場で飛び跳ねてウッヒョーとか声上げて喜ぶのが当たり前でしょう!』

「美少女とか言ってるけど、声しか聞こえてねえからな」

『声だけでも分かるでしょうが! いや、違います。そういうことを言いたいんじゃないんです。でしたら、どうして断るんですか』

「気が乗らねえんだから仕方ないだろ」

『……あたしでは不服ですか』

「いや、正直なところ、嬉しい」

『だったら!』

 だったら、何故だろう。一は自分でもよく分かっていない感情に、頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されていた。

「ごめんな。でも、気が乗らないってのに無理やり行くのも、お前にも悪いような気がして」

『っ! あ、謝るな! 言い訳するな! なんか、自分が惨めになります。……もういいです。今更お願いしますって頭下げても遅いですからね。いつまでもあたしがあなたと遊んであげるなんて思わない方がいいですよ。後悔させてやりますからっ、うわーん、畜生! こんな人に断られるとかむかついて死にそう!』



「鳥かよ、てめェは」

 ベランダに降り立った者を視界の端に捉えて、三森は溜め息と共に紫煙を吐き出した。

「鳥ではない。お前の大親友の春風麗だ」

「……仕事中だろ。遊んでていいのかよ」

 スーツ姿の春風は、ベランダの手すりに足を置いたまま、小さく微笑む。

「仕事だよ。冬、ハルピュイアが出た」

「私には何の連絡も来てねェぞ」

「ついさっきだよ。何故か、情報部が動くよりも先に、勤務外が動いていたがな」

「店長が見つけたんだろうよ。……ああ、それじゃあ、出たってのはマジなンか」

 三森は落ち着き払っていた。彼女は指に挟んでいた煙草を燃やし尽くし、灰になったそれを風に流した。

「支部はどうするって?」

「見だ。どうせ、あの怪物は降りてこない。この街は、やつらにとっては止まり木のようなものだろう。すぐにどこかへ行ってしまうさ」

「空飛ぶソレってのは、どうにもなンねェもんなあ」

「しかし、二ノ美屋店長は、そうは思っていない」

「勤務外って言ってたよな? 誰が向かったか、分かるか?」

「ジェーン=ゴーウェストと、立花真の二人だ」

 ならば、店長はハルピュイアを倒すつもりでいるのだろう。誰の手も借りずに、自分ひとりの力だけで、だ。

「隙あらばやるって感じだな。けど、店長には悪いけど、無理だろ。どうしたって、人間ってのは……まあ、空に行けるっちゃあ行けるか。お前らみたいなやつは、だけどな」

 春風はタラリアに目を遣り、肩を竦める。

「なんでもそうだが、人によるといったところか。……冬、私たちの商売は命を元手にしていて、商売の相手は怪物なんだ。オンリーワンに属する者は誰だって、何かしらを抱えている。私が死神に囚われていたように。お前も、二ノ美屋店長も」

「分かってる。手を貸して欲しいンなら、向こうから言ってくるだろうしな」

「そのとおりだ。それよりも、もっと愉快な話をしよう」と、春風は無表情に言ってのける。

「……愉快って。私としちゃあ、お前と喋ってることが愉快だと思うけどな」

「クリスマスというやつだよ、冬。予定は決まっているのか?」

 どいつもこいつも飽きずにその名前を口にする。三森は、少しばかり嫌気が差し始めていた。

「いつもどおりだよ。休みだ、休み。家で寝てる。そンだけ」

「寂しいな」

「ほっとけ。お前だってどうせそンなもんだろ」

「私は仕事だ。それに、クリスマスはともかく前倒しでイベントごとは楽しんだからな、満足している。こことは反対側の国のカーニバルにも参加した」

「私はいい。そういうの、興味ねェから」

 何を言う、と、春風はベランダに降り立ち、その場にしゃがみ込む。そうして、三森の横顔をじっと見つめた。

「日本には八百万の神様が住んでいる。なんでもいいんだ。お祭りが好きなんだよ。異国の神を受け入れるのも一興だ。日本人は粋な国民である。というわけで、お前にもイベントを楽しむ血が流れているはずだ」

「だったら、お前が付き合えよ」

「私は仕事だと言ったろう。社会人は大変なんだ。でも、お前は違うだろう。誰か誘えばいい」

「誰かって、誰だよ」

 春風は答えなかった。言わなくても分かるだろうとでも言いたげな目で見上げてくるばかりだった。

「どうして、そういう風に無理やりくっ付けようとするンだよ」

「死ぬからだよ。人は死ぬ。何もやらないまま死ぬのは嫌だろう? 私は、痛いほど分かった。冬、分かってるんじゃないのか。気持ちを隠したまま死んで、それが伝わらないままなんて、どうかしてる」

「私は、別に誰も好きじゃねェよ。皆根っこじゃ同じだ。……言わせないでくれよ。私は、そういうことが出来ないんだ。楽しめない。お前が一番分かってくれてるんじゃなかったのかよ」

「そうか。だが、お前と同じように、そういうことを出来ずに、楽しめない人間を、私は二人ほど知っている」

「どういう意味だ?」

 新しい煙草を摘み上げるも、三森は、それに火をつける事が出来なかった。

「人には秘密がある。知られたくないものを抱えている。知りたいのなら聞いてみればいい。冬、お前は興味がないんじゃない。怖いんだ。知らないから怖い」

「勝手なこと言ってンじゃねェよ。私が、私がどれだけっ……!」

「私はただ、お前に、幸せになって欲しいだけだ」

「……何が、幸せだ。知るかっ、知るかよそンなもん!」

 顔が赤くなる。血が上ってきているのだ。三森は声を荒らげつつも、感情を制御しようとして必死になっていた。

「そんなものなくたって、私は今までやってこれたンだ。これから先も、いらねェ」

「そうか。ごめんな、冬。怒らせるつもりはなかった。でも、心配なんだよ」

「ああ、うん。分かってる。ありがとうな、嬉しい」

「……おや。まさか素直に感謝されるとは思っていなかったな。まあ、いい。気が変わったら教えてくれ。相談にも乗るし、協力だって惜しまない。なんといっても、私はオンリーワン近畿支部情報部二課実働所属の春風麗だからな」

「おー、今日は噛まずに言えたな。最近、噛み癖がついてたもんなァ」

 春風は笑った。それは、彼女をよく知る者でないと分からないくらいの、僅かな変化であった。



 案の定といったところか、と、ジェーンは仕方なさそうに息を吐く。ハルピュイアが目撃された現場に到着したが、ソレの姿は影も形もなかったのだ。

「飛行アビリティのあるソレだから、分かってたんだけど。タイムイズマネーね」

 ジェーンは立花と二人してバス停の前のベンチに座り込む。周囲には民家と小さな公園があったが、外に出ている者は殆どいなかった。

「どうするの? がんばって探す?」

「エー、どうせもうどこかに行ったんじゃナイ? だいたい、ハーピーなんてホントにいたのかしら。アタシたち、ボスにオミコシされてるのよ」

「お神輿……担がれてるってことか。ううん、でも、ほっとけないよ。だから、もうちょっとだけ探してみようよ」

 やる気があるのは結構だが、立花の気勢に引っ張られるとは思えず、ジェーンは物憂げに息を吐く。彼女はソレを探すのが面倒だった訳ではない。ただ、店長への不信感が体を鈍らせていた。何かを隠されているのは間違いない。……ジェーンが、アレスとの戦いから感じていた事であった。店長だけではない。オンリーワン近畿支部の人間も、知り得る情報の全てを出してはいないのだ。

「タチバナ、あなたは、アタシに何か隠していることってない?」

「ジェーンちゃんに? ……レジ違算出たけど黙ってたことくらい、かなあ?」

「……その分、差っぴくわよ」

 思わず、苦笑する。立花の気楽さは素直に羨ましい。泥沼のような環境にあって、彼女のマイペースさは評価すべきだとジェーンは思った。

「ふう、それじゃ、もう少しだけがんばろうカナ」

 この日、ジェーンたちは二時間ほど街を歩いたが、ハルピュイアの影すら捉える事が出来なかった。



 ジェーンたちが出て行ってから一時間後、一がバックルームにやってきた。自分には用事がないらしかったので無視していたが、目障りなので彼に尋ねてみた。

「どうして、ここにいる」

「シフトの確認です。それから、糸原さんたちから避難してきました」

 シフトの管理は一に任せている。彼が自分のシフトを把握していないとは思えなかったので、大方、後者の理由の比重が大きいのだろうと店長は苦笑した。

「それより、仕事中に酒はやめてくださいよ。俺らの士気に関わりますから」

「……ああ、これか」

 空になった缶ビールを持ち上げてみせると、一は眉間に皺を寄せる。

「呑みたくなってな」

「大人なんですから、弁えてくださいよ。……ジェーンたちは?」

「ソレが出たんでな、探しに行っている。心配するな、大したことはない相手だ」

「へえ、どんなやつが出たんですか?」

 一はパイプ椅子を組み立て始めた。長居する気だな、と、店長は嫌そうな顔を作る。

「ドラゴンだよ、ドラゴン。知っているか?」

「冗談ですよね?」

「どうだかな。それより、年末年始のシフトはどうするつもりだ?」

「ああ、そうなんですよ。また皆に予定を聞かなきゃなんなくて。正月だと、立花さんあたりは実家に帰るかもしれないですし」

 その時期になると、シフトの事で店が揉め始める。昨年を思い出し、店長は頭に手を遣った。

「三森は出ると思うがな。糸原もゴーウェストも、戻る家はないだろう」

「身も蓋もない言い方ですけど、まあ、そうですよね。ナナも技術部が実家だし。……三森さんって、家はこの辺なんですか?」

「あいつの実家か。いや、この辺りではないな。だが、家には戻らないだろう」

「ふうん。じゃ、立花さんがどうなるかって感じですね」

 店長は煙草に火をつける。

「一。お前は戻らないのか」

「実家ですか? まあ、俺も折り合いが悪いんで、戻るつもりはないですね。それに、糸原さん一人だと心配ですから」

「実家は、近いんだったか?」

「いえ、遠いですよ。不便なところですしね。戻ってもゴロゴロしてるだけだと思います。あ、店長のご実家は?」

「そうだな、結構近いぞ。尤も、顔を出すこともそうはないがな」

 両親の顔も、声からも、ここ数年は遠ざかっている。懐かしさは感じるが、寂しさを覚える事はなかった。

「会える時に会っていた方がいい。懐かしい顔も、いつまで見られるか分からんからな」

「親も老けますからね」

「そうじゃない。こんな仕事をやってるんだ。親より先に死ぬかもしれんぞ」

 そうなれば、自分は本当に親不孝ものだ、と、店長は思った。

「……そう、ですね。ああ、懐かしいといえば、店長に聞きたいことがあったんですよ。ほら、こないだ来てた人たち、店長の知り合いなんですよね」

 一は本郷たちの事を言っているのだろう。彼にはどこまで話して良いものかと、店長は考えを巡らせ始める。

「昔の仕事仲間だとか。……店長って、オンリーワンに来る前は何をしてたんですか?」

「息」

「まあ、まともなことはやってなかったと思いますけど。警察とか、ですか?」

「つまり、警察はまともじゃないと? まあ、似たようなものだ。私は、正義の味方をしていた。この国を守っていた」

「それって、自衛隊ってやつですか」

 頷いて返し、店長は紫煙を吐き出す。

「もう、この国にそんなものはないがな」

 同胞は殆どが死んでいった。教えを乞うた者も、部下も、嫌いだった者も、好きだった人も。命は平等なのだと、嫌でも思い知らされた。

「……つまり、ソレと戦ってたんですよね。勤務外みたいなのが出てくる前に」

「まあ、そうだな。戦ったよ、確かに。殺して殺して、そうして、気がついたら生き残っていた」

「オンリーワンに来たのは、もしかしてスカウトか何かですか」

「経歴を買われた。行き場もなかったからな。それに、コンビニの店長なんぞ気楽でいい。猿にだって務まる」

 じいっと、一は訝しげに店長の顔を見つめていた。

「なんだ、その目は」

「厚顔無恥を絵に描いたら、こんな感じになるんだろうなあ、と」

「実際、務まっているだろう。バイトに任せばいいんだからな。お陰でこんな時間に酒も飲めるわけだ」

「一人で寂しく?」

「だったらお前が付き合うか?」

 冗談で言ったつもりだったが、一は二つ返事で承諾した。

「俺が断ると思ってたでしょう? たまには、上司に逆らうのもいいもんですね」

 嘯いた一はフロアに出た。適当な酒とつまみを持ってくるつもりなのだろう。困ったな、と、店長は頭をかいた。本当は、一を困らせてさっさと帰すつもりだったのである。

「……意地の悪いやつだ」

 思えば、随分と自分の事を話していたようだった。アルコールのせいで、口が回りやすくなっているのだろうか。気をつけなければならないな、と、店長は気を引き締めた。

「店長のおごりでいいんですよね?」

 缶ビールとスナック菓子の袋を手にした一が戻ってくる。

「ああ、構わん。それより、もっとマシなものを持ってこい」

「さきいかとか、あたりめのがよかったですか? ババくさいっすよ」

「酒に付き合えとは言ったが、無礼講とは言ってないぞ。誰がババアだ。口の利き方に気をつけろ」

「かんぱーい」

 一は無視して、缶の中身を一気に呷った。店長が想像していたよりも豪快な飲みっぷりだったので、彼女は面食らってしまう。

「体に悪いぞ。倒れても救急車は呼ばんからな。面倒だし」

「体に、ねえ。いいんですよ、別に。ヤケになったわけじゃないけど、今更ですから。酒も煙草も気にしてたって仕方ないですから」

「メドゥーサのことを言ってるのか?」

「それ以外に何がありますか。まあ、嫌なわけじゃないんですよ。それに、店長も言ってたじゃないですか。いつ死ぬのか分からないんだからって」

 一は笑っていたが、作り物のそれだと店長は気づいていた。

「愚痴に付き合うつもりはないからな」

 新しい缶に手を付けると、店長はそれを一息に呷る。喉が焼けるような感触も、先より心地よく思えた。

「愚痴るつもりはないっすよ。店長こそ、なんかないんですか。吐き出したいこととか」

「なんだ。一丁前に相談にでも乗っているつもりか。私は特にない。強いて言うなら、生意気なバイトがいることか」

「へえ、誰でしょうね、そいつは。こんなにも美人で優しい店長を困らせるなんて、許せないなあ」

「全くだ。……全く、どうしようもないやつだよ」

 誰かの為に自分を犠牲にするなんて、どうかしている。目の前の男は、初めて会った時とは比べ物にならないくらい大きくなった。

「お前は、恨んでいないか」

「何をですか?」

「私を。ソレを。お前に降りかかった災難の全てを」

「……たぶん、恨んでると思いますよ。何してくれてんだよって」

 一は缶を握り締める。彼の手を、店長はじっと見据えていた。

「でも、そのお陰で手に入ったものだってありますから。プラマイゼロくらいにはなってるんじゃあないですかね」

「手に入った、か。アイギスのことを言っているのか?」

「いえ、思い出、みたいなものです。いいことも悪いこともあったけど、俺はこうして生きてるから、もう、いいんですよ。……恨んで欲しいんですか、あなたは」

 言い当てられてしまって、店長は思わず目を逸らした。

「そっちのが気が楽だからな」

「疲れますよ。憎まれ続けるのは」

「だろうな」

 憎まれるのも、憎み続けるのも酷く疲れる。この苦しみから解放されるのは、いつになるのだろうか。願わくは、自分を助けてくれるのが――――。

「一、お前は、どこまで気づいている。どこから知っているんだ?」

「何のことですか?」

「……いや、いい。少し、酔っているらしいな、私は。忘れてくれ」

 頷き、一は新しい缶の蓋を開けた。酒気がつんと鼻を刺し、彼は目を細める。店長は小さく笑み、煙草に火をつけた。

「店長って、もしかして泣き上戸だったりします?」

「なぜ、そう思う」

「泣いてますから。今」

「……そうか」

 室内を満たす紫煙と酒気に、神経が麻痺しかかっていた。芒とした意識の中、曖昧とした記憶が二人を包んで、それきり、彼らは言葉を交わさなかった。

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