煙の首輪
抉られた地面を歩く。雲に覆われた空を見上げる。厚いそれは陽の光を通さない。四方八方から散発的な銃声と、甲高い悲鳴が聞こえてくる。湿気た空気は肌にまとわりつき、泥中を歩いているかのような倦怠感に苛まれる。
「…………」
行く当てもないままに歩き続けていると、瓦礫の中に蹲る少年が見えた。短くなってきた煙草を放ると、女は何事かを呟き、持っていた傘を少年に差し出した。彼は女を見上げて、不思議そうに小首を傾げる。
「…………」
次に、少年は傘を握り締めたまま、女を強く睨みつけた。彼女は目を逸らさず、幼い敵意を受け入れ続ける。
「吸うか?」
そう言って、女は新しい煙草を摘み上げた。
紫煙が揺れる。
「名を騙っていたというやつだ。マルスではなくアレス。ティモールではなくポボス。アレスも、その同胞も、皆、名を隠していた。その理由が分かるか、一一」
紫煙を燻らせつつ、一が口を開く。スーツ姿の春風は、じっと彼を見つめていた。
「俺のことを……アイギスのことを知ってたんだろ」
ビニール袋を地面に下ろして、一はスーパーマーケットの前に設置された、自動販売機の傍にしゃがみ込む。彼は、買い物を終えて店を出た瞬間に、春風に捕まったのだ。
「ザッハークって野郎も簡単には名乗らなかったよ。ある程度はこっちを警戒してるんだろうな」
「だろうな。これは私の推測でしかないが、『円卓』のメンバーは、またこの街にやってくる。仲間の敵討ちではなく、脅威を排除する為に。アレスを退けられたのは幸運な出来事だった。だが、アレスを退けたことによって、新たな『円卓』のメンバーが駒台に目を向ける。また始まるぞ。奴らか、オンリーワンか、どちらかが全滅するまでな」
「迷惑な話だよなあ。もう年末だぜ。年も暮れるってのによ」
「その前にクリスマスが控えているだろう。一一、何か予定はあるのか?」
聖夜に一人で過ごすのは苦ではない。実際、一は去年も一人でいたのである。だから、彼は短く唸り、予定などない、まだ何も分からないと返した。
「そうか。しかし、今年は忙しくなりそうだな。何せ、お前を慕っている者は多い。器量のいい女子をはべらせるのはさぞ気持ちがいいだろうが、早く決めることだな。刺されかねんぞ。はべらせているつもりが、実は囲まれているのかもしれないのだから」
「お前……俺を何だと思ってんだ? そんなつもりねえよ。まあ、クリスマスか。万が一の話だけど、俺を誘うなんて物好きがいたら考えるわ。色々と」
「せいぜい苦しむといい。ではな、私は多忙を極める身だ。仕事に戻るとしよう」
「サボりかい。……あ、いや、ちょっと待て」
立ち去りかける春風を呼びとめ、一は彼女に手を差し出した。
「何だ、その手は」
「お土産くれるって言ってたじゃねえか」
「……卑しいやつめ。いいだろう。唾をくれてやる」
「罰ゲームかよ」
「やれやれ、浅いな。この行為をご褒美だと喜ぶ者もいると言うのに」
春風はわざとらしく肩をすくめる。
「冗談だ。そんな目で見るな。ただ、迷っているだけだ。買い過ぎて、何を渡せばいいのか分からない」
「買い過ぎたって、土産を、か? へえ、そんな友達がいんのか。いや、そうか。社会人だもんな。同僚なり上司なりにも気ぃ遣うか、普通」
小さく口を開けて何か言いかけた春風だが、結局、彼女は何も言わなかった。
「…………まあ、そうだな」
「ああ、なんか、まあ、そういうことにしといてやるよ」
「お前にはマカデミアなナッツをやろう」
「それ日本で買ったやつだろ? なあ絶対そうだろ」
オンリーワン北駒台店のバックルームに、紫煙がたなびく。レンズ越しのそれを横目で見ながら、堀は溜め息を吐き出した。
店長は、堀から目を逸らさない。彼をじっと、先からずっとねめつけている。
「もう一度言ってやろうか。いや、お前が答えるまで言い続けてやろう。確信したよ。お前らが何かを隠していることをな」
「何もないですよ。あなたが思っているようなことは、何も」
「では、アレスを殺したのは誰だ? 答えてみろ。何故言えないのか、説明してみろ」
「情報部が見逃したそうだと、さっきから言っているじゃあないですか」
「……やはり、お前らを信用するんじゃなかったな」
苦笑し、店長は堀から受けた報告の内容を思い出した。
アレスは力尽きて倒れたのではない。何者かによって殺されたのだ。あの日、アレスは三森から受けた攻撃により瀕死であった。だが、彼はその後、撃たれて死んだのだと聞かされたのである。数十発の弾丸を体中に浴び、死んだのだ。ならば撃ったのは誰だ? 情報部が一部始終を見ていたはずなのだ。アレスが死ぬ瞬間を、その前に、彼が誰と出会い、何を話したのかすらを。情報部はその全てを知っていて、話さないのである。
「アレスを殺したのはオンリーワンの人間なんだな。いや、いい。言うな。何も言うな。間違いなく、そうなんだからな。黙せば疑われるのも分かっていて、それでも尚話さない。そうまでして隠したいことがあるんだな? お前らがその気なら好きにしろ。私もそうする」
「真実を追究すると?」
「探られて困る腹を持つ方が悪い。私を殺すなら好きにしろ。だが、ただで済むと思うなよ。お前らが飼っているイヌだがな。はたして、未だ首に縄がかかったままなのかどうか、その身を持って知るといい」
堀は店長に気おされた訳ではなかったが、これ以上何か話そうと言う気にはなれず、ただ、押し黙っていた。
「遅かったわね。私のお腹ったらもうぺこぺこよ」
春風と話していたせいで帰りが遅くなってしまった。予想通りの糸原の対応を受け、一は済まなさそうに謝った。
「その代わりと言ってはなんですけど、アイス買ってきましたよ」
こたつの卓に突っ伏していた糸原だったが、一がビニール袋から取り出したカップアイスを認めると、彼女は背筋をすっと伸ばした。
「こたつにアイスっ。ブルジョワジーを感じるわ」
「安くないですか、そのブルジョワジー」
「ふひひひひ、なんとでも言いなさいよ。……ああ、そういやさっき、電話があったの。南の、シルトってやつから」
「シルトが?」
一は食材を冷蔵庫に入れながら、僅かに目を見開く。
「後始末なら終わったから、心配すんな、みたいな感じのことを言ってた。まあ、南駒台店もかわいそうっちゃあ、かわいそうっつーの? 店開く前に潰れたんだしね」
「やっぱり、南は潰れたままなんですね」
「人がいないんじゃあ、しようがないでしょ。生き残ったやつら、こっちに来るつもりはないらしいし」
「宗旨替えって言ったら大げさでしょうけど、まあ、そうでしょうね」
アレスは死んだ。この世から消えてなくなった。だが、彼が奪ったモノは多く、計り知れない。人は死に、街は壊され、ソレがいなくなっても去った人は戻らない。
「こう、ぼーっとしてるけどさ、なんつーのか、生きてんのが不思議なくらい。頭に血ぃ上ったら『刺し違えてでもぶっ殺す』とか思ってたけど、今となっちゃあごめんよね。命が惜しいったらないわ」
「このまま何事もなく年を越したいですね」
「その前にクリスマスじゃん。あと三日、か。……ケーキ食べたいなあ」
色気より食い気の糸原が、箸をくるくると弄び始めた。
「……誰かさんの誕生日にかこつけてお祭りしてる暇なんかあるんですかねえ」
「捻くれ者。こういう時だからこそアホみたいに騒ぐのよ。『ふっ』とか、『くだらん』とか、鼻で笑ってくらーい部屋に閉じこもってるよりいいじゃんよう」
「つっても予定がないもんで」
「あんた、二十四日はシフト入ってなかったような気がする」
一は呻いた。その日が休みだからといって、何も嬉しい事はないのである。楽しげな恋人たちを尻目に、一人きりで街をうろつくみじめな男にはなりたくなかったのだ。
「俺もバイト手伝おうかなあ。店頭でケーキ売ってる方が、色々と楽そうだし」
「じゃ、あんたトナカイね。サンタの衣装は私らがもらうから。ふふん、どっちにしてもピエロっぽくて一っぽい」
うるせえと言って、一は人参のへたを切り落とした。
ジェーン=ゴーウェストはサンタの衣装をじっと見つめていた。オンリーワンのバックルームの片隅にぽつんと置かれた、段ボールの中に入れられていたものである。その様子を、立花が興味深そうに見つめていた。
「かわいいね」
「そう? アタシ、ヒゲって好きにはなれそうにもないワ」
「クリスマスになったらさ、みんなでこれ着てケーキ売るんだよね? なんだか、楽しそうでいいなあ。早く来ないかなあ、クリスマス」
浮かれる立花をちらりと見遣り、ジェーンは鼻で笑う。
「スウィィィィートね、タチバナ。戦いはもうスタートしてるのに気づかナイ。やせた考え、グに直行……」
「――――戦い?」
立花の目が細まった。彼女は無意識の内にジェーンをねめつけている。
「クリスマス・イヴはジハードよ。シングルがパートナーを求めるにはスロウリィなの。今頃街はアビキョーカンの底なしのヘル。でもアタシは、お兄ちゃんをさそうからカンケイないけど」
「は、はじめ君と? 二人きりで遊ぶの? それって、不公平だ。ずるい」
「ハッッッッ、せいぜいシングルの悲しみを背負ってシャークシャークと泣くがいいワっ」
「させないっ、はじめ君と遊ぶのはボクだ!」
二人が言い争うのを見て、三森は疲れた風に息を吐いた。
「うるせェのはいいけどよ。お前らさ、その日シフト入ってっからな」
昼食を食べ終わった糸原はその場で横になる。彼女は腹を摩りながら、満足そうに目を瞑った。
「平和が一番ね」
「何を突然。まあ、確かにそうですけど」
「ソレなんかいなくなっちゃえばいいのに。ああ、そしたら私らも仕事がなくなっちゃうのか」
ソレを殺す勤務外。……ふと、一は気になる事があって、それを口にした。
「勤務外って、なんなんですかね。どうして、そんな仕事が出来たんでしょうか」
「そりゃあソレが出てきたからじゃない? あんたも知ってるわよね。ソレの数は減ったけど、人の数もその分減った。自衛隊だか軍隊が根こそぎ矢面立たされて、殺し合いしたのを」
一は頷く。日本国内での戦闘が激化し、彼は国外、アメリカへと逃れたのだ。
「ソレと戦えるやつがほとんどいなくなったのよ。そこにオンリーワンが目ぇつけたんでしょ? 能無し引っ張ってきて、ソレと戦えそうなのを集めて、そんでもって今に至る。以上。まあ、こういうのはやったもん勝ちじゃない?」
「一番最初の勤務外って、どんな人なのかなあって、そう思ったんです。俺たちは、いつの間にかオンリーワンなんてコンビニが出来て、勤務外なんて人が出てきたのをなんとなく知ってたじゃないですか。だけど、最初の人って、どんな気持ちなのかなって」
糸原は頭をかきながら上半身を起こす。
「そんなもん本人に聞かなきゃ分かんないっつーの。ろくなやつじゃないとは思うけどね。何を好き好んで勤務外なんざやろうと思ったのか」
「お金の為とか?」
「だからろくでもないって言ってんの」
糸原が言うと説得力がある。と、一は心の中で思った。決して口にはすまいとも思った。
「でも、どんな人なんでしょうかね」
「だから知らないってそんなの……けど、もう死んでるんじゃないの? 勤務外が出てきたのって何年も前でしょ。一線張り続けられるわけないしね」
一は、はたと気づいてしまう。いったい、ソレとの戦いはいつまで続くのだろうか、と。いったい、自分はいつまで、どこまでソレと戦えるのだろうか、と。しかし、その事を考えると頭の中がかき回されるような痛みが襲ってくる。
「……早く、終わらせないと」
「は? 何の話? 終わらせないとって、晩御飯の仕込みのこと?」
天津は、すぐには答えられなかった。しかし、黙している間は疑われてしまう。彼は笑顔を作り、わからないと、そう、首を振った。
「そうですか」と、ナナは納得も、満足もしていない様子である。
「ああ。『円卓』が何者か、彼らの目的が何なのか、僕が聞きたいくらいだよ。ほら、メンテは終わりだ」
「ありがとうございます」
オンリーワン近畿支部の地下階にある技術部で、ナナは定期メンテナンスを受けていたのだ。彼女は作業台の上から降りて、恭しく頭を下げる。
「『円卓』が気になるのかい?」
「イエスです。……先日のアレスとの戦いは、今までにない規模のものとなりました。もしも再び、『円卓』が集団で襲撃を仕掛けてくることになれば、我々の身体は危険に晒されてしまいます。多少なりとも、情報を入力しておきたいところです」
「気持ちは分かるよ」
天津は後片付けをしながら、ナナをちらりと見遣った。彼女は、四肢が上手く駆動するかどうかを確かめている。
「これまでに遭遇した『円卓』と目されるメンバーの内、ゴルゴン、青髭、ザッハーク、アレスの四体を殺害。テュールと名乗った剣士はいまだ生存しています。残る主要メンバーは、テュールを加算して九名でしょうね」
「……九? どうして、そう思うのかな」
「簡単な問題です。彼らは『円卓』と名乗り、それぞれには席が用意されています。アーサー王伝説をご存知ですか。もしも円卓の名がその伝承に因んでいるのならば、席は十三であると考えられます。円卓を囲む騎士が伝承と同じく十二ならば……メイドが主に仕えるように、彼ら騎士にもまた、仕える者がいます」
「第一の席に座るのは王様、か。アーサー王。じゃあ、ナナはアーサー王が『円卓』の親玉だと思うんだね」
「推測に過ぎませんが」
否。ナナは確信しているのだろう。出来の良過ぎる『娘』を持つのも考え物だな、と、天津は息を吐いた。
「気になるところはまだあります。……ですが、そろそろアルバイトの時間です。天津さん、メンテナンスありがとうございました」
「ああ、お疲れ様。それじゃあ、無理しないように頑張っておいで」
頷き、ナナは部屋を出る。天津は貼り付けていた笑顔を消し去り、真剣な表情で、閉じられた扉を見つめていた。
元、オンリーワン南駒台店の勤務外店員、戦乙女のシルトは溜め息を吐いた。昼を過ぎても寝室から現れないヒルデが心配だったのである。アレスとの戦いが終わってから、ヒルデは体調を悪くしていた。まともに食事も取らず、床に伏せ続けている。それも、短い時間で覚醒を繰り返し、満足には眠れていなかったのだ。
シルトはヒルデのしたいようにさせていたが、限度がある。このまま衰える彼女を見たくはなかった。
「……ヒルデさん? あの、これなら食べやすいんじゃないかと思って。あ、おいしいかどうかはあんまし分かりませんけど」
粥の入った鍋を手に、シルトは布団に包まるヒルデに声をかける。
「…………いらない」
「見てもいないのに、そんなわがまま言わないでください」
「いらない」
ヒルデは寝返りを打ち、シルトに背を向けた。
「食べなきゃ、そのう、持ちませんってば」
「…………いらないっ」
語気が強まる。シルトは困惑していた。自棄になり、拗ねたようなヒルデを見た事がなかったからだ。店を潰され、上司、同僚を悉く殺されては無理もないだろうとは思うが、やはり、話は別である。自分たちは生きている。生き長らえたのだから、何も自分から死ぬ事はないのだと、シルトは考えている。
「もう、私たちだけなんです。シューが死んで、ルルだって復帰出来ない。お店だってあんなことになって、なのに、ヒルデさんはこのままでいいんですか」
「…………うるさい」
「そうやって寝てるだけでいいんですか。そんなの、死んだやつらが許してくれないですよ」
ヒルデは上半身を起こし、じっとシルトを見つめた。
「あ、わ、分かってくれたんですね!?」
「シルト。うるさい」
頭に血が上り、声を荒らげるのを我慢していると、遂に、自分の中で何かが弾けたような気がする。シルトはまだ温かい鍋を置き、冷たい声を放った。
「出てってください。私が好きなのは、本当のヒルデさんなんだから。だから、今のあなたは嫌いです。嫌いな人を住まわせておく理由なんてないです」
ヒルデは無言で起き上がると、パジャマの上にコートを羽織り、部屋を出て行こうとした。彼女は去り際に振り返ったが、シルトは一瞥すらくれようとしなかった。
「商売敵がいなくなったのは、うちにとって追い風となったな」
「……あ?」
ジェーンと立花がフロアに出た後、バックルームには帰り支度を済ませた三森だけが残っていた。そこで、ふと、店長がぽつりと漏らしたのである。
「今、なンつったよ」
「南駒台がなくなったろう。それだけが救いだなと、そう言ったんだ」
帰ろうとしていた三森だったが、店長の言葉に足を止めて、彼女をねめつけた。
「マジで言ってやがンのか? 私は、人が死んで喜ぶほどイカレてねェよ。そりゃ、敵といえば敵だったかもしれねえけど」
「アレスか。三森、お前はどう思う。やつが南を潰したのは、たまたまだと思うか?」
「そうじゃねェの? もしかしたら、先にやられてたのは私らかもしれねえンだし」
三森は煙草に火をつけ、壁にもたれかかった。彼女につられたのか、店長もまた、煙草に火をつけ始める。
「たとえばだ。『円卓』が駒台に仕掛けるとして、邪魔なのはオンリーワンだろう。この街には支部があり、北駒台店があり、南駒台店のオープンも控えていた。多くの勤務外が駒台に居座ることになる」
「仕掛ける理由がねェよ」
「だが、ここ最近はソレの出現数は増加の一途を辿っている。何かがあると見てもいいだろう。……あるいは、何かがいるのかもしれんがな」
自分には分からないが、『円卓』には目的があり、それを成す為に駒台へ仕掛ける。三森は久しぶりに思惟に耽り、ふっと思った事を口にした。
「……アレスと引き換えに南駒台を潰した、とか?」
「有り得るな。うちにも仕掛けたのはアレス自身が欲をかいたか、捨て駒として処分されるためだったのかは分からないが」
「処分って、誰が」
「誰かが。しかし、目星はついている。三森、アーサー王を知っているか?」
灰を床に落とし、三森は苦笑する。
「興味ねェよ、ンなもん」
「『円卓』の名がアーサー王の伝説によるものならば、死したアレスたちは王の騎士であり、駒でもある。考えてもみろ、不死の怪物ゴルゴン、吸血鬼と悪魔を従えていた青髭、中東の蛇神ザッハーク、そして戦神アレス。アレほどのモノが組織の一員だと名乗っていたんだ。上には上がいると考えるのが筋だろう。やつらを束ねられる能力を持ったモノがいるはずだ」
「そいつが王ってわけか。まあ、分かりやすくて助かる話だぜ。要は、その王をぶっ殺せば済むンだろ」
「さて、まだその王がいるとは限らないがな」
しかし、王と呼ばれるモノさえいれば辻褄は合う。三森は、物事には分かりやすさが大事なのだと考えていた。ごちゃごちゃとした裏を読むのは別の者に任せればいい。
「しかしよ、店長、あんた、何を考えてンだ? それに、最近、どうにも……」
「どうにも、取っつき難くなった、か?」
「あァ。そうだよ。前までそンな風に物言うやつじゃあなかったじゃねェか。……あいつか? あいつが来てから、あんたは」
店長は答えず、紫煙を吐く。彼女は三森を見ずに、視線を天井に逃がしていた。
「こう言うのもなンだけどよ。やっぱ、あんた怪しいぜ。なあ、何を隠してンだよ」
「人間だ。隠し事の一つや二つはあって当然だろう。私が怪しく見えているのはな、お前が、何かやましいところがあるからなんだ。お前は私を見ているようで、その実、そうではない」
「はっきり言ってくれよ。私は回りくどいのが嫌いなンだ。知ってんだろ」
「人は鏡だ。我々は他人を見てはいるが、他人の中の自分を見ているに過ぎない。私が怪しく見えているんだろう? だったら、私もお前のことを怪しく思っているよ。人が嫌いなやつは本当のところ、自分が嫌いなんだ」
三森は短くなった煙草を床に落とし、それを強く踏みつけた。
「私は隠し事なンざしてねェよ」
「私に対してはな。そもそも、もう隠すところなんかないだろう」
言い返せなかった。三森は、存外痛いところをつかれたのだと認めてしまう。
「まあ、だが、確かに。私が一に強く当たっているところは否めないな」
「やっぱそうなンじゃねェか。なんで? 嫌いなンか?」
「いや……ああ。そうだな。私は、一が嫌いだよ」
「へえ? そういやさ、なンで傘なんだろうな? あいつの得物。店長は、あのフクロウと話したんだろ。色々知ってんじゃねェのか」
三森は、バックルームに立てかけられたビニール傘に目を遣った。
「アイギスのことか。そう、だな。アテナは、こう言っていた。アイギスとは概念なのだと。アイギスとは盾であり、胸当てであり、篭手であり、具足なのだと。本来、決まった形を持たないモノなんだそうだ。だから、アイギスは所持者によってその形を変える」
「でも、あいつは傘だろ。変じゃね?」
「アイギスとは防具だ。防具の概念とは、やはり身を守ることにあるんだろうな。アテナが一にアイギスを渡した時、あいつが『身を守る』ことを思い浮かべ、現れたのが傘なんだろう。盾ではなく、胸当てでもなく」
「……普通はやっぱさ、でけェ盾とか思いつくと思うンだけどな」
「お前の普通と一の普通を一緒にしてはいけないな」
いまいち納得出来ないまま、三森はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「まあ、そうかもな。ちっと前まで一般人だったやつが、そう簡単には思いつかねェか。傘なら、みんな持ってるし。一応、雨から守ってくれる、みてェに考えたのかもな」
「かもしれんな。知りたければ、一に聞くといい」
「ヤだよ。あいつ、捻くれてっからタダじゃあ教えてくれないぜ」
「交換条件だよ。お前の秘密を教えてもらう代わりに、私の秘密を教えますと頭を下げたらどうだ」
死んでも嫌だと、三森は小さく笑う。
「眠いし、そろそろ帰っかな。ああ、そうだった。なァ、クリスマスはさ、私はいつもどおりでいいンだろ?」
「こちらとしてもそのつもりだ。毎年のことだが、世話になっているしな」
「今年は、他にも人がいるしな」
「去年よりも人は減ったがな。全く、一時はどうなることかと思ったよ」
クリスマスだと聞いても、三森の心は僅かとも動かなかった。恐らく、今年もまた一人きりで過ごすのだと慣れている。諦めているのでもなく、ただ、時が彼女の期待をすり減らしただけなのだ。