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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
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センチメンタルピリオド



 駆けつけたというのに、立花はおろか、新ですら動こうとしなかった。一、三森とアレスとの戦闘に、混ざれるとは思えなかったのである。

「まるで……」

 立花が紅潮した頬に手を当てて、言葉を止めた。新には、彼女が何と言おうとしたのか分かっている。

 新は息を呑む。まるで、踊っているようだ、とでも言おうとしたのだろう。

 目と目を合わせ、息を合わせる。何も言わずとも、互いのやろうとしている事が手に取るように分かっているのだ。そういう戦い方を、一と三森はしている。

 それは新にとっては妬ましく、羨ましいものであった。長年連れ添った夫婦でもあるまいし、何故、あの二人があそこまで戦えるのだろうと、彼女は唇を強く噛み締める。

「誰が」

 一と三森の間に、誰が割って入られるか。誰が、割って入ろうなどと思えるか。そのような行為は、あまりにも野暮で、無粋だ。



 ――――勝手な奴だ。

 一は三森をそう評す。好戦的な彼女の動きは獣じみており、防御など一切無視しているかのような戦い方であった。

 だからこそ、御しやすい。

 一は三森のサポートに回っている。正確に言えば、回されていると言った方が正しいのかもしれなかった。彼女は、一が前に出てくるのを嫌っていたのである。彼自身もその事には気付いていた。だからこそ、三森の動きが分かる。読める。見える。『彼女ならこう動くだろう』というのが、ぴたりと当てはまり続けていた。



「気が合っているようで、合ってないんだな」

 空になった煙草の箱を投げ捨てると、店長は安っぽい作りのライターで無闇に点火を繰り返す。その動作を止めないまま、彼女は周囲を見回した。

 誰も彼もが足を止め、目を奪われている。一と三森、アレスとの戦いに手を出せないでいるのだ。一でなければソレの攻撃は止められず、三森でなければ一の動きに合わせられない。だが、二人の間にあるのは分かりやすい、信頼という絆めいたものではなかった。単に、三森のわがままに付き合えるのが一だけで、彼女をフォロー出来るのがアイギスだけ、なのである。

 二人が倒れてもアレスは疲弊させられているだろう。ソレとて無敵ではない。無傷ではいられない。隙を衝き、死角を狙えば易々と攻撃は通るのだ。

「つまらないわね」

 アテナが窮屈そうに翼を広げ、退屈そうに目を細める。

「まるで、人間が戦っているみたい」



 負けた。

 負け続けた。

 異母姉アテナに勝利出来たためしなどなかった。アイギスに阻まれ、侮蔑の目で見られ、屈辱的な言葉を浴びせられた。それでも、挑み続けた。

 巨人の兄弟により、十三ヶ月もの間、壷の中へ幽閉された。衰弱して死に掛けた。

 ただの人間に槍で刺され、泣き喚きながら逃げ帰った。父は慰めの言葉一つすらかけてくれず、ひたすらに罵られた。神々に蔑まれ、人々に疎まれ、それでも戦闘を、戦争を求め続けた。

 負けたくはなかった。だが、それ以上に逃げる事は許されなかった。たかが人間を相手に、神である自分が退く事などありえないとすら思った。

「人間がよぉ! いつまでオレ様とっ!?」

 椅子の足は既に融け、消えている。無名の力を乱用し、精神は磨耗しきっている。ビニール傘を壊しても壊しても、アイギスがこの世から消えてなくなる訳ではない。チャリオットを失い、身内を失い、名を暴かれた。それでも尚、戦意が尽きる事はない。

 丸裸になったキングは吠え続ける。

「オレ様をっ、誰だと思ってやがる!」



 アレスが吠えた。一はソレの一撃を全身で受け止めて呻く。

「……誰だって?」

 一は口の端をつり上げた。目の前の男の正体など、とうに割れているのだ。

 アロハシャツを着た残虐な男であり、城壁の破壊者であり、ただの、人殺しの怪物である。それ以上でも、以下でもない。アレスという男は、自分たちからすれば、ソレと分類されるだけのモノなのだ。

「知ってるよっ、だからてめえは『止まってろ、アレス』!」

 光輝が、アイギスから漏れ始めていた。一の体から力が抜けていく。

 その光を認めて、鳥がうるさく笑っていた。愉しそうに、笑んでいた。



 オリュンポスを住処としていた彼は、ついぞ名を呼ばれる事はなかった。彼の名を呼ぶ者など殆どいなかった。

 メドゥーサの目を間近で見てしまい、光を浴びたアレスは瞠目する。自身の体が自由に動かせない事に驚いたのではない。自分の名前を、人間に呼ばれた事に対して驚いたのである。その名を叫んだ一の声からは、神を崇拝するという意志は感じられない。怒りに任せ、憎しみに飽かせ、怨敵の名を口にしただけの乾き切ったようなものであった。

 それでもよかった。

 それでも、悪い気はしていなかった。アレスは、これが自分の名前なのだと、噛み締めるようにして目を瞑る。メドゥーサによって動きを縫い止められた事により、諦めたのではない。死を待つ為だけの所作ではない。泡沫の夢に酔い、それを断ち切ろうとしたのである。

「あーーーー…………」

 名を隠し、名を被り、名を騙った。

 暴かれた名に良い思い出はない。だが、いい、と、思えた。

「オレ様、いい名前だろ?」

 答えは返ってこないが、一は薄っすらとした笑みを浮かべている。

 アレスは、空を見上げた。……時期は悪くなかったのだ。ただ、相手が悪かったのかもしれない。赤く輝く一等星は見えやしない。冬空に、彼を脅かす星は輝いていなかった。蠍の心臓(アンタレス)はここにない。だが、女神の寵愛を受け、神盾を賜った対抗者(アンタレス)はここにいたのだ。



 一の体が前のめりに倒れた。アレスの動作が急停止する。否、させられる。拳を振り被ったままのソレを見遣り、三森が炎を纏わせた右腕を伸ばした。

 誰もが、勤務外の勝利を確信する。

「……ぐっ」

 声を出せないはずのアレスが呻いた。ソレは体を捩ろうとして、全身の神経に気を這わせる。すぐそこに、真っ赤な火炎が迫っていた。

「うおっ、おおおおおおお……!」

「執念ね」

 アテナがぼそりと呟く。……彼女は『弟』という存在の何もかもを認めなかった。残虐で、高慢で、残忍で、血生臭くて、乱暴で、粗雑で、粗野で、不誠実で、好色で、無能で――――それでも唯一つ、強いて挙げろと強く詰め寄られたのならば、城壁の破壊者アレスは、背を向ける事を極端に嫌っている。その点についてだけは、認めてやってもいいと思っていた。彼は、逃げず、退かず、諦めず、追い続けるのだ。アテナは笑む。人間をクズのように見下し、扱っていた彼の美点は、人間のような泥臭さであったのだ。

「おいおい、まさか……?」

「グウウウウウウううううううおおおおおおおおお!?」

 雄叫びと共に、アレスが拘束から逃れる。メドゥーサに捕らえられていた彼の心が、神性とも呼ぶべき強靭な精神力により跳ね除けたのだ。自由になった四肢を使い、ソレは三森の攻撃を受けようとする。

 三森は、何も感じていなかった。ただ、腕を伸ばし、掴むだけなのだ。彼女はアレスの肩に掌を当て、残った力の全てを流し込む。灼熱が、ソレの体内を焼いていた。アレスの臓腑は焦げ付き、燃え落ちる。三森の掴んだ肩は既に灰と化している。

「もう充分暴れただろ!?」

 しかし、それがいけなかった。アレスは蜥蜴の尻尾きりのように、自らの肩を犠牲にして、背を向けて、逃走していた。血液が沸騰し、神経が軒並み焼かれていく苦痛を受けながら、それでも、ソレは最後に残った――――女神に認められた美点を、自らの手で投げ捨てたのだ。



 アレスが何処とも知れず逃げ帰った。勤務外たちは歓喜の声を上げる。店長はうるさそうにして顔をしかめた。まだ、死者の兵と巨人は残っている。数こそ少ないが、ソレ全てを打ち殺してこその勝利だろう。が、彼女は何も言わなかった。少なくとも今だけは、心の中でだけは労ってやろうと思ったのである。

「しかし、蓋を開けてみれば」

 犠牲者の数は少なく済んだ。正直、店長は北駒台店の全滅すら覚悟していたのである。そうならなかったのは勤務外たちが予想以上に人を捨て切れていなかった事であり、

「皮肉だな」

 誰よりも戦いを望んでいたアレスが、誰よりも戦いを舐めていた事が原因だろう。

 仕留め損なったものの、そのアレスに深手を負わせた三森は疲れ果てた様子で座り込んでおり、彼女の傍には一がうつ伏せになって倒れたままであった。

「……誰かを遣りなさい。アレを逃がす訳にはいかないの」

「ならば女神よ、お前自身が行くといい。何、お膳立ては済んだんだ。あの状態のアレスならば、鼠を取るよりも苦労しないと思うがな」

 店長がアレスに対して追っ手を出さなかったのは、その必要がないと判断したからである。三森の火炎により、ソレは片腕を失い、内臓にも『えげつない』ダメージを負っているだろう。何かあったとしても、情報部が連絡をする手筈となっていた。……何よりも彼女は、手負いの獣の恐ろしさが身に沁みていたのである。

「神とは言え生きている。なら、長くは持たん」

 夜はまだ明けない。だが、必ず陽の光は見られるだろう。店長は椅子から立ち上がり、後始末についてどうするか、頭を悩ませた。



 長くは持つまい。アレスとて、自身の事についてはよく分かっていた。逃げ帰り、傷を癒し、再び戦場に舞い戻るのだと、それだけを強く思い、足を動かしている。

「…………あ、お?」

 前方から見える影が、アレスの足を止めた。追っ手かとも思ったが、そうではないと思い直す。

 メイド服を着た女が、車椅子を押していた。それに座しているのは、禿頭の大男である。アレスは口元を歪めた。

「よう、見ねえと思ったら、こんなとこにいやがったのか」

 気安く手を挙げても、車椅子の男は返答一つよこさない。ただ、じっとアレスを見つめているだけだった。

「……いい様ではないか。軍神よ」

「見りゃわかんだろ? 同じ『円卓』として、ちっと助けてくれや。借りなら返すからよ」

 禿頭の男はメイドに指示し、車椅子を停めさせる。彼は頭に手を遣って、ううむと唸った。

「三席のゴルゴンはアイギスの少年に殺された。いや、止められたと言うべきか。六席の青髭は狼の血を引かされた少女に殺された。自らの作品によって反逆を受けたのだな。そして、九席のザッハークは、貴族主義のフリーランスによって殺された。……運命と呼ぶべきだろうか? それとも、これは因果かな? 彼らに死をもたらしたモノは、自らが引き寄せてしまったモノなのだから」

「相変わらず小難しい奴だな……」

「そして、『円卓』の犠牲者も四人目となる。アレスよ、君は、何を引き寄せたのかな」

 背筋に……全身に怖気が走る。アレスは身構えるも、それよりも先に、腹に衝撃を受けた。稲妻で貫かれるような一撃は銃撃によるものである。弾丸を放ったのは、メイドの女であった。

 アレスは片膝をつき、禿頭の男をねめつける。

「てめ、え……まだあん時の事を恨んでんのか?」

「はっ、いいや? 何を。今更何を。別に、あのような雌豚を寝取られたくらいでごちゃごちゃと言うつもりはない。だいいち、借りなら既に返している。君たちの痴態を、神々に晒した時点で溜飲は下がっている。それに、女というのはね、作るものだ。自らの手で、最高の女を」

「……それは女なんかじゃねえよ」

「そうか?」

 禿頭の男が手を緩やかに上げた。瞬間、四方からメイド服を着た女たちが現れる。彼女らはアレスを取り囲み、同じような動作でもって銃口を向けた。

「私自身に、君に対して思うようなところはない。ただ、『王』の命には逆らえない。だろう?」

 その言葉に、アレスの顔が歪む。

「王さまが見てやがったってのか?」

「今もこの場の、まあ、どこかにはいるだろう。……さて、お別れだ。最後に王の言葉を伝えておこうか」

 アレスが立ち上がろうとするが、太腿に銃撃を受け、彼はその場に倒れ込んだ。

「『お疲れ様』だそうだ。全く、私はその一言を伝える為だけに動かされたのだ。老体には堪える、堪える」

「ぐっ、があああああああああああああっ!」

 鉛が、軍神の体に雨霰と降り注ぐ。メイドたちは顔色を変えないまま、表情を動かさないまま、トリッガーを引き続けた。



 アレスの絶命から一時間後、勤務外店員である本郷が、最後に残った死者の兵の首を刎ねた。

 北駒台店店長二ノ美屋は、戦闘の終了を告げる。しかし、喜びを表せる者は少なかった。街は壊され、人を殺されている。生還した者も、無傷とはいかなかった。生きているのか死んでいるのか、判然としないまま、ぼうっと突っ立っている者が殆どだったのである。

 それでも、朝陽を拝めば実感は涌いてくるだろう。店長は新しい煙草に火をつけて、美味そうに紫煙を吐き出した。

 南駒台店という存在は蹂躙され、その復活も不可能となった。今宵、勤務外店員が十五名亡くなった。だが、数十の巨人と、数万を超える死兵と、正真正銘の怪物の首を八つも挙げたのだ。……だからと言って、心の底から喜べる訳ではない。街の復興には時間が掛かり、駒台からは、また人がいなくなるのだろう。戦いを生き抜き、勝利を掴んだとしても、それは所詮泡沫の夢に過ぎず、砂上の楼閣のようなものでしかない。取り戻せず、巻き戻せず、死者は決して生き返らない。

 命を賭して戦った。勤務外たちには、いくら言葉を重ねても無駄だろう。一銭にもならない慰めや労いなど偽善にしかならない。彼らに報いるには夢幻ではなく、実体のある要脚しかないのだ。



「温かいなあ」

 おでんの汁を啜り、柿木が息を漏らした。彼女は店の前に座り込み、眠りそうになるのを堪えている。傍には桜江と石見がおり、二人は、柿木の肩に頭を預けて一足先に寝息を立てていた。

「おや、あなたは」

「お代わりはいかが?」

 しゃがみ込み、屈託のない笑みを浮かべるのは、医療部の炉辺である。彼女の笑みを真正面から受けて、柿木は疲れた風に目を瞑った。

「この後は、どうなるんだね」

「うーん。怪我した子たちも運んだから、私たちはそろそろ病院に帰るけど。技術部さんはとっくに帰っちゃったし、情報部さんはまだお仕事が残ってるし」

 炉辺は言いよどむ。なるほど、と、柿木は苦笑する。仕事が終わったのなら、ろくでなしに用などあるまい。後は、給金を渡されてはい、さようならといったところなのだろう。

「一つだけ。……一君は、どうなったのかな」

「はじめちゃんなら、皆と一緒にバックルームで寝てるんじゃないかな。北駒台の子たちは、皆大丈夫みたいだったし」

「そうか。では、言伝を頼めるかな」

「自分で言っちゃえばいいのに」

 それは野暮だろう。柿木は首を振り、炉辺を見上げる。

「気をつけたまえと、それだけをよろしくお願いする」

「それだけでいいの?」

「ああ。それだけで充分だとも」



 堀は顔をしかめる。勤務外たちに今夜の給与を配って回っていたところで、本郷たちと顔を合わせてしまったのだ。視線が合えば、無視するわけにもいかないだろうと思い、彼はゆっくりと歩き出す。

 本郷、黄金、高井戸の三人は、青笹の乗った車を見送っていたところであった。

「……ああ、確か」本郷が気まずそうに口を開く。

「近畿支部の堀です。北駒台店のSVも兼任している者ですよ」

 黄金はふっと微笑み、堀の肩を叩いた。

「俺らあ戦いに駆り出したのを気にしてんのかあ?」

「いやあ、まあ……そうですね。そうなのかもしれません」

 勤務外を送り出し、自らは、呆気なくアレスに吹き飛ばされたのである。堀には、負い目のようなものがあった。

「にゃはは、気にする事ないって。ホントに嫌だったら最初から来てないし、誰かさんたちみたいに途中でどっか逃げちゃってるからね。残って戦ってたのは、自分で決めた事だよ。……だ、にゃあ」

「青笹さんとは、皆さんお知り合いだったのですね」

「昔の仕事仲間だ」

 短く言って、本郷は両腕を組む。堀は彼の顔色を窺うようにしてから口を開いた。

「うちの店長とも、同じところで働いたのですね」

「……まあ、そうなるな。二ノ美屋から聞いていなかったのか?」

「あの人は、自分の事となると口が固くなりますから」

「まあだ吹っ切れてないんだなあ、ニノさん」

 まだ? 堀が黄金を見遣るも、

「やめな、黄金」

 鋭い口調で、高井戸が彼を押し留めた。

「堀さん。あの人が言わないって事は言いたくないって事なんだよ。無理矢理に調べて、聞きだしてもいいけど、出来るなら、あの人が自分から言うのを待ってて欲しい。……にゃあ」

 時折、店長の横顔が酷く儚く見える時がある。思い起こしたくない過去が、暗い影を落としているのだろう。堀は内心で苦笑する。それは、誰にだって、当たり前のようなモノなのだ。過去や影は、概して暗いものである。

「店長と話さなくてもよろしいのですか?」

「必要ないな。用があるのなら、また向こうから声を掛けてくるだろう」

「それに、気安く酒を酌み交わすって仲でもなかったりするんだあな、これが」

 言って、本郷たちは駅のある方角へと歩き始めた。きっと、彼らとはもう出会う事はないのだろう。堀はその時、そう思った。



 街の灯は、明日になれば燈るだろう。そう思い、そう願いながら、少女は眼下に広がる駒台の街並みから目を逸らした。

 全身が悲鳴を上げている。四肢は痛み、少しでも体を動かせば、苦悶の声を漏らしてしまうだろう。

「どうやら、オンリーワンが残ったようですね」

「うん。そうだね」

 勤務外が、フリーランスが、人間が、ソレを打ち倒し、打ち滅ぼしたのだ。

「嬉しそうに見えますね、皆様」

「そう? 私には、そう見えないや。でも、羨ましいな。ああやって、皆で何かをやるのって」

「では、あなたもあそこに混じりますか。あなたも、巨人の群れを倒したのです。オンリーワンに貢献したと言えるでしょう。と、わたしは見ますが」

 少女は緩々と首を振り、薄く笑う。

「いいんだ、私は。そんな資格ないから」

「……そうですか。では、またあそこの山に戻るとしましょう」

 ガーゴイルは少女を背に乗せ、翼をはためかせた。



「結局、何もしなかったねえ」

 疲れた風に呟き、ランダはモップで肩を叩いた。その仕草が酷く年寄りじみていたもので、姫は噴出してしまう。

「オンリーワン、勝っちまったねえ。姫、見てるだけでよかったのかい」

「そんな訳ないでしょう。立花真を殺すのは、私ですから。……でも、出る幕がなかったのも確かです。兄さんが守ろうとしているところを、あの人たちは守ろうとしていた。結果的にはの話ですけれど、それでも、私にはそれを邪魔する事が出来なかった。屈辱です」

 ランダは帽子を深く被り直した。北駒台店の勤務外は力をつけている。雷切を自在に振り回す立花だけでなく、彼らは新たな武器を得て、新たな戦法を得たのだ。この先、神野姫が彼らに噛みつけるような場面が訪れるのかどうか、定かではない。

「ただ、付け入る隙はあるみたいだけどね」

「何かおっしゃいましたか、お師匠」

「いんや、今日は疲れたね。あったかいもんでも食べたいって言ったんだ」

「はいはい、分かりましたよ。……うそつき」



 目を開ける。

 そこには死者などいない。巨人も、軍神も、どこにもいなかった。ゆっくりと首を巡らし、体を動かす。どうやら、自分は仮眠室に寝かされていたようだと、一はあくびをしながら思った。こうして目が覚めても、どこか夢心地の気分である。心臓は早く鼓動を刻み、全身の血液は未だ熱い。神経は昂ぶり、鼻の奥がつんと痛んだ。

「……なン、起きてたンか」

 対面のソファにいた三森が起き上がろうとしている。だが、彼女は困ったように笑った。三森の腹には、糸原が頭を乗せて眠っていたのである。

 一は左右を見回した。ジェーンと立花が、自分の体に抱きついて離れないのだ。

「あれっ、ナナはどこに行ったんですかね」

「なンだよ。そいつらだけじゃ足りねェってのか」

「そうじゃなくて、単に気になっただけですよ」

「あのメイドなら」言い掛けて、三森はテーブルに手を伸ばす。彼女は煙草の箱を掴み、その内の一本を口に銜えた。

「技術部が連れ帰ってったよ」

 紫煙を吐き出す三森に倣い、一も煙草に火をつけた。

「俺、寝てたんですよね。……戦いって、本当に終わったんですよね」

「あァ、終わったぜ。勤務外も殆どが帰っちまったよ。車で来てねェのは駅に向かったってさ。電車だって動いてねェんだから、少しくらいはここで時間潰せばいいのにな」

 おや、と、一は首を傾げそうになる。

「よその勤務外を嫌ってる風に見えてたんですけど」

「私がか? まァ、好きじゃあねえわ。けどよ、お互い折角生き残ったンだぜ。なんかこう、なァ?」

「寂しいんですね。つまり」

 三森は無言で俯いた。一は小さく笑った。

 ああ、これが。いつものバックルームで、いつもの北駒台店で、いつもの自分たちなのだ。一は泣きそうになるのを堪えて、瞼を擦る。

「そういや、お前の知り合いみたいなンがいっぱい来てたな」

「あー。そういや、そうですね」

 忘れていた。どうして来たんだと問い詰めたい気持ちもあったが、やはり、来てくれたという意識の方が強かった。一人一人、丁寧にお礼参りしなければなるまいと、一は固く誓う。

「友達が多いンだなァ、お前」

「友達。友達、ですかねえ」

 普通の友達ではないが、と、一は内心で呟いた。

「命張ってくれたンだぜ。友達じゃないなら、そんなの嘘じゃねェか」

「三森さんには春風がいるじゃないですか」

「……あいつも……まァ、いいけどよ」

「はあ、そうですか? そんじゃあ、俺たちも友達って事になるんですかね」

 言って、一は三森を見遣る。彼の目はどこか、期待したようなそれであった。

「うーん」と、三森は低く唸る。

「あのさ」

 そうしてから、彼女は手を出した。

「あン時、なんで私の手ェ掴んだんだ?」

「あの時? どの時ですか?」

「だから、アレスって野郎をぶちのめしてた時だよ」

 ぼんやりとした思考を無理矢理に起こして、一はアレスとの戦いを思い出す。

「……ああ。そう言えば、そうでしたね。なんでだろ?」

 三森は恨みがましい目付きで一をねめつけた。

「なんでかは分からないんですけど、たぶん、そうすんのが自然なんだなって、思ったんだと、思います」

「自分の事だろうがよォ……あ。じゃあ」

 ぶらぶらとさせていた手を、三森はテーブルの上に置いた。彼女は、じっと一の顔を見つめる。

「もっかい握ってみろよ」

「えっ、いや、なんで?」

「いーから、握れって」

 急かされてしまうが、生来天邪鬼体質の一は、何となく躊躇っていた。彼の逡巡を認め、呆れたのか、三森は拗ねたように口を開く。

「もういい。バッカみてェ。寝るから起こすなよ」

「理由くらい教えてくれてもいいじゃないですか」

「あーあーあーあー、うるせェうるせぇ!」

「意地悪だなあ、三森さんは」

 三森はぴたりと動きを止め、仕方なさそうに言った。

「お前に言われたくねェよ」

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