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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
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僕らのその先



 ギリシア神話の主神と、その正妻の間に生まれたのは、偉大な神ではなかった。オリュンポス十二神の一柱には据えられたが、彼を崇める者は殆どいなかったのだ。

 偉大なる神の、正統なる後継者となるべきだった者の名は、アレスと言った。

 城壁の破壊者と、いつしかそう呼ばれるようになったアレスは、戦闘時の狂乱と破壊を表す事になる。彼の性質は残忍であり、粗野であり、不誠実なものだった。戦争における栄誉、計略を表すアテナとの溝が深まったのは自然な成り行きと言えよう。


『戦争や戦争以外の何の楽しみもなく』

『母親の最も強情な部分を受け継いだ』

『邪悪で、怒りに狂う神だ』


 アレスは蛮勇を尊び、血生臭い虐殺を司る神であり――――父親である主神に、最も毛嫌いされていた。彼を嫌ったのは神々だけではない。アレスの好戦的な性質は、知性を重んじるギリシア人にとっては不評であり、彼が、ギリシアにとっては蛮地であるトラキアで崇拝されていた事から、アレスの名を唱える者は少数派どころか、ほぼ、存在しなかった。

 アレスと特に相性が悪く、険悪だったのは、同じ戦争に関わる神のアテナである。知恵、戦略を司り、都市の自衛と平和を守護する女神であるアテナの戦いと、ただひたすらに暴力だけが優先されるアレスの戦いとは、あまりにも違い過ぎていたのだ。彼は何度となくアテナに挑んだが、一度として勝利したためしはなかった。トロイア戦争においては、アテナの加護を受けたただの人間に槍で突かれ、泣き喚きながら逃げ帰る始末であった。

 神々の中で嫌われている分には困らなかった。ただ、アレスには欲しているモノがあった。


 雷霆ケラウノス。

 男を即死させる金の矢。

 女を即死させる銀の矢。

 伝令の証ケリュケイオン。

 飛翔の靴タラリア。

 蛇殺しハルペー。

 三又銛トリアイナ。

 神盾、アイギス。


 欲しかった。

 自身を讃える詩が欲しかった。

 活躍の場が欲しかった。

 特別な武具が欲しかった。

 だが、神に嫌われ、人に嫌われたアレスには何も与えられなかった。

 だから、彼は祈った。念じた。願ったのだ。神が祈り、念じ、願ったのだ。その思いは執念となり、やがて一つの力として覚醒する。アレスが授かった力は奇しくも、アテナの持つアイギスと反対の性質を持っていた。

 それは、全てを破壊し、打ち貫き、殺害する為の力である。

 アレスが望めば力は答える。彼の精神力を餌に、彼が『壊したい』と願うモノを破壊せしめ、時には殺害する。ただ願うだけで、アレスの肉体はオリハルコンと並び、小石は砲弾と化し、手に持ったモノは種別を問わず現世で最高の矛となる。全てを壊し、殺す異能の力だ。アレスは、確かにこれが欲しかった。

 だが、一つだけ得られないものがある。

 それは名だ。人々が名を唱え、讃える事で、神は新たな力を得る。その存在を許されるのだ。しかし、ついぞアレスの名が呼ばれる事はなく、讃えられる事もなかった。――――故に、その力は無名。

 名の無い力を宿らせ、異母姉を殺害し、己の存在を認めてもらう為だけに、アレスは軍神の名を騙り、その力を振るっているのだ。



「……何故、使わないの」

「おや、もう動けるのか。あと百年くらいは黙っていて欲しかったんだがな」

 アテナはニケの肩に止まり、不満げな顔を作る。

「強気ね。でも、いいのかしら。一が死ねば、次に死ぬのはあなたかもしれないのよ」

「それでもいいさ」

「くだらない。……一、あの子は何故力を使わないの? 何故、戦おうとしないの?」

 一はアレスの攻撃を受けるだけで、自分からは決して手を出そうとはしなかった。そんな彼を見て、アテナは焦れている。

「一は戦っている。見ても分からないのなら、お前はもう喋らない方がいい」

「ここまで生き残って、育ってきたはずよ。アイギスを、メドゥーサを使いこなしていてもおかしくはないの。早く、あの醜い男を石にでもしてくれれば……」

 店長は仕方なさそうに口を開き、傍らの梟を見遣った。

「育てたのはお前ではない。私でもない。一つ言っておくが、人任せにしているだけでは成し得ない事もある。尤も、その体では鼠を捕まえるのに精一杯か」

「女神を、私を虚仮に? あなた、死ぬわよ。いいえ、殺すわ」

「やれよ」言って、店長は紫煙を吐き出す。

 人が住み、支配する世なのだ。神如きが出しゃばるなと、店長はアテナを見返した。



 腑抜けのイヌを当てには出来ない。ナコトは帽子を被り直して、未だ健在する巨人どもを確認した。

「全く、やっぱりあたしがいないと駄目なんですから」

 アレスに伸された者たちを見て、ナコトは溜め息を吐き出していく。……一は、アレスと戦っているのだろう。彼が耐えているのは、自分の身を守る為ではない。一がアレスを引きつけている事で、結果的に、一時的にではあるが、他の者への被害を抑えているのだ。

 ならば、その間に場を整え、少しでもこの後の展開を楽にするのが自分の仕事なのだろう。そう判断したナコトは、鎖で死者を叩き、近寄る巨人を黄衣の王の力で吹き飛ばした。

「いあいあっ」

 死者の軍勢にも終わりが見え始めていた。アレスに道を開けた勤務外たちは、その罪滅ぼしのつもりか、前進して、ソレの進軍を阻んでいる。倒れていた『神社』も『貴族主義』も、己の武器を失った戦乙女も、仲間を失った本郷たちも、一個の壁であるかのように、役割を果たそうとしていた。



 信じて、待つ。

 ただそれだけの行為を、人という種は遂行出来ないものだ。疑い、先走り、行き違ってすれ違う。

「いい加減にしとけよ……! やる気がねえんなら、てめえみてえな奴がっ、前に出てくるんじゃねえんだ!」

 アレスは焦れる。眼前の男、一一は防ぐ事しかしない。自身の、神の力を受け切っているのは驚嘆に値するが、酷くつまらないものであった。何故なら、勝ち負けはついているようなものだからだ。機会を待っても、それは永劫に巡る事はない。盾はいつか、破壊されるのを待つだけである。

「悪いか」

「ああ?」

 一は今にも倒れてしまいそうな様子だった。少しでも押せば、二度とは起き上がってこないという印象を受ける。だが、彼は耐え続ける。堪え続ける。

 一は、今までの事を思い返していた。……アイギスを手にする前、自分の武器は薄っぺらな勇気と、枯れた木の枝だけであった。アイギスを手にしてから、多数の蜘蛛に囲まれた時も、うつむくモノと出会った時も――――八俣の大蛇の出来損ないと関わった時には気づいていたのかもしれない。狼男と踊り、がしゃどくろの現れた日には自覚していた。セイレーンが声を失い、座敷童子が存在を見失いかけた時、彼は自分の役割を認識していた。死神と聖なる乗獣が訪れた頃、一は、自分が主役になることはないのだと悟った。それでもいいと、彼は蛇姫の姉妹を殺しながら、思った。盾になると誓ったのである。自らの意思で、守りたいと想う者の為だけに、この身を投げ出すのだと。

「悪いかよ。俺はっ、これしか出来ないんだ!」

「意味わかんねー事抜かしてんじゃねえぞ!」

 他に知らない。他に出来ない。

 自分は待つ事しか知らない。守る事しか出来ない。

 ――――だから。

 一が何を待ち、何を見出していたのか、彼以外にそれを知る者はいない。

「もう、死ねや」

 アレスが、椅子の足を両手で握った。アイギスへとまっすぐに振り下ろされたそれは、

「はっはぁ! 言ったろ!? 壊すってな!」

 粉々に、砕く。

 一とアレスが、アイギスと無名が、女神と蛮神が激突する。その結果、神の盾であるアイギスを、ただのビニール傘に変えた。砕けた盾は用を成さない。一は目を瞑り、両手から力を抜いた。

「結構楽しかったぜぇ? てめえはよ」

「ニンゲンっ、諦めたらダメだ!」

 一は掌を伸ばした。

 アレスは絶句した。

 椅子の足――――アレスの無名の力を、一は左手だけで受け止めていたのである。

「……この、感触は」

 アレスは直感した。先まで自分が躍起になって壊そうとし、壊したものは、アイギスではない。アイギスは、ここにある。そこにある。一が、その身に宿しているのだ。

「何から何まで、オレ様をイラつかせてんじゃ……!」

「こっちの台詞なんだよ!」

「それよ! その力っ、そういう風に使えばいいの!」

 一が押し返し、アレスが後方へと飛び退いた。

 自らの腕を見遣り、一は顔をしかめる。

「人間だものっ、物質に惑わされるのは仕方のない事よ! でも、アイギスはそうなのっ、無形であり、無敵なのだから!」

 アテナが騒いでいる。一は舌打ちし、辛そうに息を吐いた。いよいよ、本当に人を外れ、化け物じみてきたな、と、彼は自嘲する。

「なーーーーるほどなあ、てめえも、やっぱりオレ様と似てんだ。試すか? ああ? どっちかが死ねば、残った方がつええってのが分かるもんなあ?」

「……もう、そういうのはやめてくれよ」

 どうして、こうまで戦いを楽しめるのだ。一には分からない。殺しを楽しむアレスも、けしかけるアテナも、どちらにも、消えて欲しかった。

「一っ、使え!」

「……店長」

 投げられた、真新しいビニール傘を受け取ると、一は少しだけ救われたような気分になった。店長は口元をつり上げて、

「もう、決めろ。さっきからな、やかましくて敵わないんだ。神様とやらを黙らせろ」

 気楽そうに、簡単そうに言ってのける。

 一はビニール傘を、アイギスを広げて、頷いた。

「やんの? てめえさあ、もう半分死んでるぜ。体も、心も、オレ様には勝てねえって。……それでも来るってんなら、まあ、やるけどな」

 半分どころか、いつ倒れたっておかしくない。一の表情は狂気じみたものとなっていた。

「だったら、私が半分持ってやるからよ」

「……あ」

「…………なんだ、こいつ?」

 アレスの後方から、別の狂気が訪れる。身に纏った炎は、触れるモノを焼き尽くさんとして、ごうごうと揺れていた。



「降ろせ」

「……戦うのか? いや、聞かなくても分かる事だったな。三森冬、お前は、そういう奴だもんな」

 電信柱の上、春風に抱えられた三森は、眼下に一とアレスを捉えていた。ようやく追いついた。この機を逃すつもりはない。

「もう逃がさねェ。これ以上はやらさねぇ」

 春風は、ふっと笑んだ。

「一一が、泣いていたな。ここからでは分からなかったが、奴にとって、何か嫌な事があったのだろう」

 三森は俯き、絞るように声を吐き出した。

「あァ、そうだな」と、彼女は、一以外の全てをねめつける。

「あいつを泣かしたのは、どいつだ」

「さて。しかし、一一と対峙している男を仕留めさえすれば、とりあえずは何とかなりそうな状況ではあるな。……冬、お前にはうってつけの、死ぬほど分かりやすい話という奴だ」

 春風は電信柱から飛び降り、宙に身を踊らせる。彼女はしっかりと三森の体を支えて、タラリアを使い、アスファルトを踏み砕く勢いで着地した。

「サンキューな。ンじゃ、やってくる」

「ああ、気をつけろよ」

 手を上げ、三森は、歯を食い縛る。それだけで、彼女の周囲が溶け落ちた。焰を纏った三森は悠然とした足取りで距離を詰める。

 一は、薄く微笑んでいた。今にも死んでしまいそうな、儚いものである。

「よぅ、なンだよ。お前一人で持たせてたのか?」

「……まあ、そんなところですね」

「置いてきやがってよ。バカが。……待たせたか?」

「いえ、信じてましたから」

 一と三森の間にはアレスがいたが、二人は、彼の存在を忘れているかのように振舞っている。

「……てめえら、オレ様を」

「ありがとうな。私なンかをよ。それじゃあ、まあ」

「そうですね」

「っ、始まってんだよさっきからよオオぉ! まとめてぶっ殺してやらあ!」



「シルフっ、いけるか!?」

「ガマンする! いけぇニンゲンっ、やっちゃえ!」

 風の精霊が、戦いの再開を高らかに告げた。

 アレスが椅子の足を振り下ろす。先刻までならば、二度とは受けられないと思っていた一撃である。しかし、今の一には気力が、戦意が充実しており、アイギスで受け止めるには、あまりにも易いとさえ感じられる攻撃であった。

 アレスは追撃を試みるが三森が阻む。彼女は一を守る為に炎の壁を生み出してソレの視界を塞いでいた。のみならず、三森自身も反撃に転じる。彼女はアレスの腕を掴み、そこから熱を送ろうと目論んだ。

「勝手に触ってんじゃねーぞくそ女が!」

 だが、アレスは三森を力ずくで振り払う。彼女は数歩後退り、掌から炎を創り、球体に固めて投げつけた。

 火の玉はアレスを襲うも、彼は自身に飛来するそれをまとめて『破壊』する。

「チマチマやンのはダメかよやっぱ」

 アレスが距離を詰める。一が横合いから突っ込み、彼を押しとどめた。三森はアレスのこめかみへとハイキックを放つが、彼は驚異的な反応速度で彼女の足を掴む。その瞬間、三森は掴まれた足へと炎を集わせて、アレスをたじろがせた。

 一はアイギスを畳み、それを振るう。アレスは椅子の足でそれを受け、弾いた。彼は体勢を低くし、片腕で地面を叩く。アスファルトの破片をいくつか握り込み、三森へと投擲した。が、彼女はそれらを避けつつ、炎で全てを溶かしている。

 三者とも、息つく暇を見つけられない。

 一が右から、三森が左から攻める。アレスは両者を見比べ、三森へと走り寄った。

 まず、三森が右腕を突き出すようにしてパンチを打つ。アレスはそれを紙一重で躱して、彼女の顔面を殴り抜こうとする。が、シルフが風を使い、一が文字通り飛び出して、中空から三森を庇った。彼はアイギスから伝わる衝撃に耐えられず、後方へと吹き飛ぶ。

「ぶつかるっ」

「足出せ!」

 悲鳴と共に人垣が割れる。シルフが体勢を立て直し、一はぶつかる寸前に、両足で店の壁面を蹴り出した。加速がつき、彼はそのままアレス目掛けて突進する。

 一を援護する為、三森はアレスへと殴りかかる。だが、彼女はあしらわれるようにして攻撃をいなされていた。三森は滑るように距離を取り、地面に手を置く。

「二対一でもよお! 一番強いのはオレ様だろうが!?」

 一がアイギスの石突きをアレスへと伸ばす。ソレは身を捩り、アイギスを蹴り飛ばした。一の体勢が崩れ、シルフが風を真下へと送る。彼は上方へと錐揉みになりながら飛んで行った。

 吹き飛ぶ一を見上げるアレスは真下からの殺意を感じ取り、その場から跳ねるようにして退いた。瞬間、彼がつい先ほどまで立っていた地面から火柱が立ち上る。それは、三森が熱を送り、地中を伝わせ生み出したものであった。

「残念だよなあっ」

「そうでもねェよ」

 三森は火柱を見据え、落ちろと念じる。柱状になっていた炎が崩れ、形を変えた。笠のように広がった炎は細かに分かれ、アレスに降り注ぐ。

「うおっ!? なんだあこりゃ!? ちくしょう熱っ、あっちい!」

 彼は火の雨に背を打たれ、両腕で顔を覆い隠していた。三森は地を蹴り、アレスの腹部を殴りつける。ダメージを逃がす為、自ら後方へと飛び退いた彼は、背中に衝撃を感じて、苦悶の声を漏らした。

 空中から降下し、アレスの背を蹴り抜いた一は着地して、火の雨から身を守るべくアイギスを広げる。

 三森はアレスへと接近する。アレスは彼女から、火の雨から逃れようとして背を向けた。だが、その先には回り込んだ一がいる。

 邪魔だと、アレスはアイギスに向かって拳を振り下ろした。殴りつけられた一は、その場から動かない。彼は、ビニール越しにソレをしっかと見据えているのだ。

「やっ、ヤロウ、んな顔でオレ様を!」

 風が空を切り裂く。三森の前蹴りがアレスの背を捉えた。彼は呻き、手を伸ばす。三森はそこから距離を取るも、十全ではなかった。彼女は、アレスが目前まで迫り、寸暇、恐怖で固まる。

 一が飛ぶ。アイギスを突き出し、三森を庇う。それでも尚、アレスは彼女を狙い続ける。負けん気の強い三森は、舐められてなるものかと、前へと行こうとした。

戦闘狂(マニアック)め」

 三森の目が驚愕によって見開かれる。一は彼女を引き寄せ、抱き寄せて、無理矢理にアイギスの中へと入れたのだ。

「……大胆だな」

「何を。ただの相合傘じゃないですか」

 一は三森を片腕で抱き寄せたまま、アイギスを片手で突き出す。アレスの攻撃によって衝撃が伝わったが、その瞬間、シルフが彼を後方へと逃がした。

「うわっ、春風ン時とはまた違うなこりゃ」

 掌から炎を創り出し、三森はそれを放る。アレスは回避を選ばず、自分から火球へと突っ込み、椅子の足で払い除けた。やはり化け物だな、と、彼女は息を呑む。

「どうします、三森さん」

「直接ぶン殴るしかねェだろうよ。だけど、寄れば向こうも勢いづく」

「俺が防ぎます」

 一が着地し、三森が、彼の腕から逃れるようにして距離を取った。

「防ぐ、か。どこまで信じていい?」

「どこまでも」

「……守れよ。約束」

 頷き、一が前に出る。シルフは風を集めながら、アレスの動向を窺う。三森が彼らの後ろにつき、腕に炎を纏わせる。

 アレスは両手を広げ、勤務外の接近を喜色満面で迎え入れた。

 一が盾を前面に押し出し、アレスの体を押し込むように進む。ソレは鬱陶しそうにしながら、両手で椅子の足を振り下ろした。

「堪えてろよッ」

 一の背中に足を掛け、三森が跳躍する。彼女はアイギスに両手を置き、体を捩りながら宙返りをした。アレスの背面に回った三森は、躊躇無く拳を打ち込む。ぐえっ、と、汚い声がソレから漏れる。次いで、彼女は炎を帯びた右足で蹴りを放った。が、アレスはアイギスの破壊を諦め、その場から逃れようと背を向ける。

 様子見ではなく、三森は追撃を選んだ。彼女は一足飛びでアレスに詰め寄り、腹を狙ってアッパー気味にパンチを打つ。ソレは腹筋に力を込めて攻撃を受けたが、衝撃ではなく、伝道する熱に苦しんだ。外側へのダメージはともかく、内に来るダメージというのは防ぎきれないものである。

「しつけえっ!」

「てめェが死んだら諦めてやるよ」

 アレスが闇雲に腕を振るった。だが、触れれば四肢を壊され、当たり所が悪ければ死に至る攻撃なのである。三森は足を止め、一が来るのを待った。

 アイギスがアレスの視界に広がる。ソレは右方へ寄ったが、三森が回り込むのが見えて舌打ちする。……三森たちがアレスの能力を恐れているように、アレスもまた、三森の炎を警戒していた。抑止力が働き、両者の戦闘行為は消極的なものになっている。

「だったら……」

 アレスは三森から一へと狙いを切り替えた。ソレは、彼の頭蓋目掛けて得物を振るう。一はアイギスで受け止めたが、腕に痺れを感じ、握力をなくす。取り落としたビニール傘を拾わせてくれるはずもなく、彼は後方へと距離を取った。

 それこそが、アレスの目的である。盾である一が退いた今、三森を倒すのは容易いと判断したのだ。事実、彼女ではアレスの能力に太刀打ち出来ず、喰らえば死ぬ。

「まずは女だっ、平伏せコラ!」

「やってみろっ」言いつつ、三森はアレスから離れようとしていた。が、ソレの方が足が速い。彼女は追いつかれ、椅子の足を防ごうとして、それは悪手だと判断する。

 アレスの得物が三森に触れようとした瞬間、後方から風が吹き抜け、彼女の体を宙へと運んだ。シルフである。風の精霊が一から離れ、三森を救ったのだ。

「おっ、おおっ? わりィな」

「今だけだかんな! シルフ様は、オマエが、その、嫌いだ!」



 アレスが三森を追っている間に、一は店前へと下がり、新たな傘を要求した。引き受けた炉辺は店内に慌しく戻っていく。

「……一、何故、モノである事にこだわるの?」

 アテナに問われるも、一は彼女を無視した。口を利けば、止まれ、とでも言いそうだったのである。

「人の規で物事を考えるのなら、あなたは人を超える事が出来ないのよ。戦い方も何もかも、人のままでアレを殺せるのかしら」

 自分から欲しがり、望んだ力ではあるが、一は、この先も人でいたいと望んでいた。人を超越するつもりも、人以外の何かに成り下がるつもりもない。

 一は周囲を見回した。アレスと戦い始めてから、初めての行為であった。だから、彼は今の今まで気付けなかった。……奇異だ。一を見る者たちは、皆、『人以外』のモノを見るようなそれで、彼を見つめていたのである。同業者も、人外の力を持つ者も、誰もが。

「人を捨てなさい。変わりなさい。あなたはもっと、先にいけるのよ」



「お待たせしました」

「おせェっつーの」

 シルフが一の背に移り、彼を抱きすくめる。三森は自然な仕草で手を出し、一がその手を握った。

 風が巻き起こる。アレスが椅子の足を振るう。一がアイギスで受け止めたまま、体を捻った。二人は手を繋いだままで反転する。

 一から三森へ。

 防御から攻撃へ。ソレはたじろぎ、前に出てきた三森の炎によって視界を塞がれる。

「チクショウがっ!」

 熱風を受けながら、アレスは遮二無二腕を振り回した。手ごたえを感じるも、消えゆく炎から姿を覗かせたのはアイギスを構える一だった。瞬間、脇腹を抉られるような痛みを感じ、ソレは顔を上げて呻く。上がった顎に、三森の爪先が突き刺さった。意識を失いかけるも、アレスは堪える。堪えて、反撃を試みた。

「……てめえらっ……!」

 しかし、三森の姿はそこになく、一の後ろへと引っ込んでいる。

 アイギスに阻まれたアレスは攻撃の手を見失い、唸りながら後退りを始めた。

「シルフ、アレを持ってこい」

「風遣いが!」

 攻め時と捉え、一が三森の手を離す。彼女は姿勢を低くし、全身から炎を立ち上らせた。

 紅蓮の業火がアレスの視界を染める。次の瞬間、中空には二本の傘を持った一がいた。彼は、先刻取り落とした傘をシルフの風によって手元に戻したのである。

 畳んだ状態の傘を両手で構え、一がそれを振るい、着地した。アレスは下がりながら、片方の傘を椅子の足で弾く。だが、弾かれた傘をシルフが回収する。一はその傘を受け取り、地面を蹴った。

 同時に、三森が両手を組み合わせ、アレスをねめつける。

「ああああああああっクソが! クソが、チクショウきやがれ!」

 一が走りより、アレスががなり、三森が口の端を歪めた。

 アレスは、一が接近してくるものと思い込んでおり、彼に対して得物を向けている。だが、ソレの予想に反して一はその場で急停止し、頭を下げたのだ。

 赤く、長いモノが迫る。アレスは身の危険を感じて、一にならうようにして姿勢を低くした。その直後、頭上を熱波が通り抜ける。……三森の生み出した火炎が鞭のような形状を保ち、空気を飲み込み、切り裂いていた。

「SMなら飽きてんだよオレ様はよ!」

「言ってろ」

 三森が、鞭状の火炎から手を離す。彼女の支配化から逃れた火は、独りでに、意思を持ったかのように動き回り、アレスの足元を脅かした。それは、まるで炎の蛇のようでもある。

「はっはァ、踊れ踊れ! てめぇが灰になるまでよォ!」

 足元に目を遣るアレスに対して、一は彼の頭上からアイギスを振り下ろした。頭蓋骨を叩き割る勢いで放った攻撃だったが、ソレの耐久力は凄まじく、アイギスの方が凹んでしまうほどである。

 一は凹んだアイギスを投げ捨て、シルフの力を借りて空中へと逃れた。彼は三森の傍へ降り立ち、息を一つ吐き出す。

「……喉、渇いたな」

「生きて帰れりゃ好きなだけおごってやるよ」

「今すぐ飲みたい。三森さんの近くにいると、水分を持ってかれるんですよ」

 三森は眉根を寄せ、横目で一の顔を見遣った。

「じゃあもう火ィ出すのやめる」

「それはそれで困ります。あの、もうちょい加減とかしてくれると」

「前にも言ったろ。私は、そういう調整だとか、面倒なもンは苦手なんだよ」

 一は肩を落とし、唇を舐める。

「今度の玉子焼きは焦がさないでもらえると嬉しいですね」

「てめ……なンで私が弁当作んなきゃ駄目なんだよ?」

「好きなだけって言ったじゃないですか」

「言ったけどよ……言ったけどよ!」

「ほらっ、来ますよ!」

 アレスは頭を押さえながら、一たちに向かって歩いてくる。彼の目はぎらつき、怒りや憎しみの感情を隠しきれない様子であった。

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