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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
257/328

シャンデリア・ワルツ



 一が戦っている。マルスと戦っている。

 堀は眼鏡の位置を押し上げて、痛む体を無理矢理に起こした。

「堀くん、堀くん、動いたら……」

「かすり傷です」

 手を差し伸べる炉辺を無視し、堀は自分の力だけで立ち上がる。

 あまりにも、無力だった。マルスと戦う事すら出来なかったのだ。虫でも払うかのような気安さで、店まで吹っ飛ばされたのである。……ならば、アレはどういう事だ。堀は、マルスと互角に渡り合う一を見て焦りを覚えた。次に、嫉妬だ。彼に対して、堀は憎しみすら感じている

「くそっ、くそ……」

 拳で床を叩く堀を見て、炉辺は申し訳なさそうに俯く。

「……ごめんね、堀くん」



 勤務外が倒れ、フリーランスが地に伏す。それでも一は戦い続けていた。

 店長は新しい椅子を持ってこさせ、そこに座っている。煙草を吹かしながら、一とマルスの戦闘を眺めている。

「おーおー、やれやれ」

 店長から見るに、一は戦っているのではない。殺し合いなどもっての他だ。彼はただ、防いでいるに過ぎない。一を生かしているのは、彼の消極的な性質によるものだった。攻めるつもりがなく、身を守るだけで精一杯なのである。だからこそ、生きていられる。余計な色気を出さないのは、最初から攻める意思を持っていないからなのだろう。頭のてっぺんから爪先まで、神経と細胞全てを防御に費やしている。余計な事はせず、生き永らえる事に特化した『戦法』だ。死なす事はないが死ぬ事もない。ダメージを与える事もなければ受ける事もない。……どこまでも無意味で、愚かで、時間を費やすだけの、ある種の作業なのだ。常人ならば気が触れる。相手は軍神だ。終わりが見えない攻防に焦れ、手を出し、返り討ちにされるのが普通である。

 一一は壊れている。

 気が遠くなり、気が触れ、狂ってしまいそうになる作業を淡々とこなし、積み重ね、繰り返し続けているのだ。

 先は見えない。

 終わりなどない。

 一とマルス、どちらかが諦めるまで続くのだ。そしてきっと、一は諦めない。彼の行為は究極の自己犠牲か、自己欺瞞か、あるいは、ただの自傷だ。心の何処かに欠陥があり、頭の何処かに欠損がなければ、到底選べない行為なのである。

「化け物め」



 体は軽くない。疲労感が全身を心地よく包み、心を浸している。アイギスを握る手からは力が抜けつつあり、時折痺れが走る。足腰には鈍痛、眼球には鋭い痛みがあり、限界を訴え続けていた。

 必ず殺す。

 必ず壊す。

 もはや言葉は必要ない。マルスからは、自分に対する、鳥肌が立つほどの憎悪が迸っている。

気を入れ、力を込める。

 必ず防ぐ。

 必ず生き抜く。

 一もまた、マルスに負けまいと歯を食い縛った。

「いい加減、くたばれや」

「嫌だね」

 一は耐える。死者の兵も、巨人も殆どいない。マルスさえ倒せば、この戦いは終わる。

「ここから出て行きやがれっ」

 マルスは吠える。味方は死に絶えるだろう。だが、一さえ殺してしまえば、残るのは店長だけだ。

「しつけえんだよ、クソガキがっ」

 マルスの重たい一撃を、アイギスを斜めにする事で衝撃を逃がす。

「亀みてえに縮こまりやがって! さっきから何がしてえんだ!?」

 アイギスは壊れない。貫けない。びくともしない。マルスは憤り、一に怒声を浴びせ続ける。焦り、大振りになる攻撃を一は全て防ぎ続ける。

 戦いは続く。いつしか、一とマルスを遠巻きにして見ている者が増えていた。店長が、情報部が、技術部が、医療部が、勤務外が、フリーランスが、ソレが、傷つき、戦う術を失った者たちが、

「あのクソアマはっ、どこにいやがる!?」

「消えろっ、消えちまえっ、てめえなんかが来るから! 俺たちは!」

 魂ごと削り取ろうとする攻防に、目を奪われていた。



 似ている。

 一のアイギスと、マルスの力は酷似している。違うのは性質だけだ。

 アイギスは守り、防ぎ、生き抜く事に特化している。

 マルスの力は攻め、壊し、殺す事に特化している。

「矛盾だね」

「お師匠? あの、私にも見せてくださいよ」

 ランダは息を吐き、傍らの姫に目を遣った。

「見られないよ。見たって仕方がないしね。……勤務外の坊やと、マルスって奴が戦ってるんだ。それだけ」

「へえ、一さんが。それで、どっちが勝ちそうなんですか?」

「さあね。だから矛盾だって言ったんだ。どんな盾をも貫く矛と、どんな矛をも防ぐ盾。ぶつかり合えばどうなるのか、あたしは今、そういうものを見てるのさ。退屈で仕方がないよ」

 マルスの能力は、単に腕力が強いというものだけではない。一一がその身にアイギスという概念を宿しているように、マルスもまた、自身に何かを潜ませている。そうでなければ、およそ武器になるはずもないモノで金属を破壊し、素手で人体を破壊出来るはずがないのだ。

「でもお師匠、私は矛が勝つと思います」

「へえ、どうしてそう思うんだい」

「考えてもみてくださいよ。だって、盾では敵を倒せませんから。矛に攻められ続ければ、いつか必ず殺されます」

 だろうな、と、ランダはぼんやりと思う。

 盾と矛だけで考えれば終わりは来ないだろう。いつまでもいつまでも攻防は繰り返される。しかし、道具を使う者はいるのだ。肉体を持ち、人間である以上、持ち手には限界が訪れる。……一もマルスも、その事に気がついているはずだ。それでも尚、一はアイギスで後手に回っている。

「残念です。一さんはいい人だって兄さんが言ってたのに」

 姫は一の死を仕方のないものだと諦めていた。だが、ランダにはそう思えない。アイギスの使い手がここで死ぬのだとは思えない。何故なら、彼はいつだってそうしてきたからだ。

 敵の攻撃を受け、防ぎ、自身を守り、他者を守る。

 一一は、時間を無為に費やしているのではない。気の遠くなる、作業とも思える防御行為の果てに何かを見出しているのだ。彼とて、盾で敵を倒せない事は理解しているだろう。ならば、彼は、何を。何を見出し、何を待っているのだろうか。



 突撃槍は、騎兵が敵を突き刺して攻撃する事で真価を発揮する。

 この槍が長くなったのは、槍衾で構える槍兵の槍に対抗する為であった。しかし、長大さはメリットでありデメリットでもある。振り回すのに適しておらず、小回りが利かないのだ。その為、突撃槍は騎乗した状態で、すれ違いざまに相手を突き刺すのが基本である。

 近づき、突くだけだ。

 だが、突撃槍は通常の武器よりも重量があり、馬上から狙いを定めて突き刺し、尚且つ、その衝撃にも耐える事が必要であり、見た目よりも扱いの難しい武器である。

「ちょこまかとしてるんじゃないよ!」

 尤も、ディスコルディアには関係のない話ではあったが。彼女の膂力は常人のそれではない。女性の姿をしているが、中身は人ではなく神である。突撃槍を片手で振り回し、馬よりも速く地を駆けるのだ。

「どうすんだよ。もう、どうでもいいけどさ。時間なら稼げてる。あとは勤務外に任せちまえばいい」

 ディスコルディアと対峙する春風、氷室の二名は距離を取り、逃げ回るしか出来ない。

「そうだな。我々のタラリアでは、アレを打倒し切る事は難しいだろう」

 情報部の『武器』であるタラリアは、空中での活動を可能とするだけではなく、リミッターを外せば人体への負荷を条件に、驚異的な速度を得られるものだ。しかし、素早くなったところで攻撃力が上がる訳ではない。速度のついた状態での肉弾戦は、相手からすれば充分に脅威的だろうが、それだけで相手を殺せるかといえば、そうではない。

「相手は軍神の輩か。何発打ち込めば倒れるかな」

「おい。まさか仕掛けるつもりなのか?」

 春風は腕を組み、足で地面を鳴らした。

「ああ、そのつもりだ」

「へえ、来るの――――かい?」

 前方にいたはずの、春風の姿が消える。ディスコルディアが咄嗟に空を見上げた。だが、そこに春風はいない。その場から飛び退いた彼女だが、背後からの蹴りを受け、嗚咽を漏らした。

「手応えはあるな」

 声だけが聞こえる。ディスコルディアは闇雲に突撃槍を振り回し、喚き散した。

「くそっ、くそが! 正々堂々かかってきなよ!」


「おォ、そういう方が分かりやすくて好きだぜ」


 背に熱を受け、ディスコルディアが硬直する。

 足元のアスファルトが融け始めた。春風に気を取られていたディスコルディアは、勤務外の接近を許していたのである。

「……どうしたよ。やらねェのか?」

 好戦的な笑みを浮かべていたのは三森だった。彼女の背後では、得意そうな顔をした春風が立っている。だが、途轍もなく熱そうだった。

「ふゆ。そろそろ来ると思っていたところだ」

「走り回ってゲロ吐きそうだ。春風、あいつはどこ行きやがった?」

「一一か? 奴なら空を跳んで先に進んだぞ」

 三森は怒りと悲しみの入り混じった表情を浮かべ、ディスコルディアの肩に手を置く。その際、彼女は苦悶の声を漏らした。三森の掌から伝わる熱に苦しんでいるのだ。

「だったら、さっさとこいつをどかすか」

「このっ……!?」

 振り向いたディスコルディアの顔面が熱風に炙られる。眼球内の水分が飛び、彼女のそれが弾けて潰れた。頬が焦げ、口腔内が丸見えになる。

 三森はディスコルディアの首を片手で掴み、残った手で煙草を摘み上げた。彼女はそれを口に銜えて、自らの炎で点火する。

「…………ご、めん、よ。み…………な」

「……謝る相手なら別にいただろうが」

 紫煙がたなびき、ディスコルディアの首から上の部分が爆散し、次の瞬間には灼熱の腕により、灰と化した。



 聖釘エレナを投げつける。デュスノミアは走り寄りながらそれを拳で弾いて飛ばす。灯はピラトを振り回すが、マルスの娘たる彼女には茨の棘すら掠らない。

「死んで」

「死ぬかっ」

 デュスノミアの拳をマンディリオンで防ぎ、聖は再度エレナを投げつける。デュスノミアは攻撃を回避し、彼女から距離を取った。

 ジリ貧だ。聖はそう判断し、エレナの残数を確かめる。……残り八本。ピラトとマンディリオンだけでは接近戦に対応出来ないだろう。彼女は妹の横顔を盗み見たが、灯の顔には焦燥感が色濃く表れていた。このまま戦い続ければ確実に殺される。

「灯、覚悟を決めなさい」

「そんなもの、とっくに決めてます」

「……結構」

 デュスノミアは腕をだらりと下げ、気だるそうに聖たちを見つめていた。聖は最後に残った釘を構え、灯はピラトで地面を打ち据える。

「苦戦しているようじゃな」

 鈴を鳴らしたような、高く、甘い声が聞こえ、聖は忌々しげに呟いた。

「出てくるんじゃないわよ」

「早紀がな、こんな中ボスのような奴は早くどうにかしろと、車の中でうるさくてのう」

 槐はボンネットから飛び降り、袖に手を入れる。

「小さい」

 デュスノミアを無視し、槐は聖と灯を見比べた。

「ふむ。強大な敵は味方になるとその瞬間こそ頼もしく感じられるが、仲間になったらなったでかませ犬になるパターンとやらもある。『えっ、こいつパラメータ低くねえ?』 みたいな感じじゃ」

「俗世に染まり切って……」

「では、ぬしらはどうじゃろうな。このまま新たな敵を引き立たせる為の犬になるか? ……それが嫌なら身を屈め、頭を下げい」

 その言葉にハッとし、灯が槐の元に跪く。聖はデュスノミアから視線を逸らさないまま、妹にプライドがない事を悟った。

「補正をかけてやると言っておる。ほら、聖。報酬の前払いだと思えばいいんじゃ」

「ぐっ、し、仕方ないわね」

 デュスノミアは小首を傾げる。幼女に跪くシスターの絵が、妙に滑稽に映ったのだ。しかし、彼女は動くべきであり、戦うべきであり、殺すべきであった。座敷童子の能力、その存在理由を理解さえしていれば、まだ生き長らえていたはずなのである。

「うむ、こんなもんか」

 槐は聖と灯の髪の毛をわしわしと撫でた後、満足げに胸を反らせた。二人は照れ臭そうに立ち上がり、余裕のある笑みを浮かべる。

「頭撫でられて、それでどうなるの?」

「悪いが死ぬんじゃよ、おぬし」

「死ぬのはそっち!」

 デュスノミアは拳を構え、腰を低くし、地を蹴った。

 その時、突然、地面が窪んだ。

 以前から壊れかけていたのか、戦闘の余波を受けて脆くなっていたのか定かではない。しかし、現実に窪みは現れ、そこに足を取られたデュスノミアの体勢が崩れる。聖はエレナを全て投げつけ、灯からピラトを受け取った。

 デュスノミアはエレナを全て弾き返すも、ピラトによって強かに打ち据えられる。喘ぎ、激痛に目を瞑った彼女が次に目を見開いた時、灯の姿はどこにもなかった。彼女は、マンディリオンを手にデュスノミアの背後に回っていたのである。

「……敗因は二つです」

「私っ、負けてない……!」

 聖骸布に包まれたデュスノミアが喚いていた。しかし、彼女は両膝を地に付け、今にも倒れてしまいそうである。

「一つ目は」

 灯はにっこりと笑み、マンディリオンを指差した。歯を食い縛り、涙目のデュスノミアには灯が何を言っているのかが分かっていない。彼女は今、大量の力を抜き取られ、吸い取られているのだ。

「生者の力を奪うマンディリオンを、素手で払っていた事です。触れただけで、切れ端が掠っただけで、これは能力を発揮します」

「……う、あ、あれ? ど、して! どうして立てないの!?」

「あなたはドン引きしてしまうくらいにタフでしたが、ようやく効果が回ってきたんでしょうね。私たちにとっては実に結構なタイミングでしたが」

 灯はマンディリオンを回収し、デュスノミアを蹴り転がす。彼女の腹に刺さっていた聖釘を踏みつけにすると、苦悶の叫び声が辺りに響いた。

「二つ目は」

「ああっ……!」

 聖がピラトで、動けなくなったデュスノミアの顔面を打ち据える。

「私たちシスターを敵に回した事。私たちに座敷童子というモノが味方についていた事。そもそも、この街に来た事。……つまるところ、運が悪かったのよ」

「さて、それでは聖姉さん」

「ええ、そうね灯」

 シスターが武器を手に取り、嗜虐的な笑みを顔面に貼り付けた。



「残酷な真似をするなあ、あそこまでする必要はあるのかなあ」

「ある。この街で、先輩の許可もなく好きに暴れたのだ」

「一君は関係ないと思うけど。おや?」

 運転席の楯列が車外に目を遣った。つられて、早田もそちらを見遣る。

「……ムササビか何かかな?」

「そう言えば、先輩も先ほどああしていたな。流行なのだろうか。私も、飛行スキルを身につけた方がいいかもしれないな」

 ダークスーツの女が、赤いジャージの女を抱きかかえて跳んでいた。電信柱から電信柱へと、まるで、宙を滑るように、である。

「えっ、早田君は飛べなかったのかい?」

「私を何だと思っているのだ、貴様は。人が空を飛べるはずがないだろう。私に出来るのは、精々が速く走る事くらいだ。それと、鼻が利いて目が良くて、それから……」



 一もよく粘っているが、マルスの攻撃は苛烈だ。アイギスが持ち堪えられたとして、使い手の一が耐え切れる道理はない。彼らの攻防は永遠に続きそうで、実のところ、そうではない。

 店長は腕を組み、助けてやるかと、拡声器を手に取った。

「聞こえるかー、一君」

 一は答えない。答えられない。気を抜けば、彼はそこで死ぬのだから。

「そっちのマルス君も聞こえているな? いい報告があるぞー」

「黙ってろババアが! 男同士になあ、女がしゃしゃり出てくんじゃねえ!」

 構わず、店長は口を開いた。

「立花が一人、マルス君のお仲間を仕留めたそうだ。ぶっ殺してやったそうだぞ。刀で、ぐしゃぐしゃに切り裂いてなあ」

 マルスの手が僅かに鈍る。一は見逃さず、彼を強く押して退かせた。

「次に、三森が女をぶち殺した。まあ順当だな。そうだな、一? こんなクズどもに、お前らが殺されるはずがないものなあ?」

「……っ! クソが! クソがあっ、黙ってろ! 黙ってろやてめえは!?」

「ほうほう、よっぽど仲間が大事なんだなあ、マルス君」

 マルスは大声を張り上げる。店長は拡声器のボリュームを上げ、愉しそうに笑った。

「そしてついさっき、もう一人死んでしまったそうだ。可哀想になあ。しかも、誰に殺されたと思う? 『教会』だよ。一、お前の、学校の友達がマルスの仲間をボッコボコにしたんだよ。驚いたか? 驚くよなあ。何せ、あのマルス様のお仲間が、ただの! ただの人間に、無残に、無様に、酷く間抜けに殺されたのだからなあ。南無阿弥陀仏とでも唱えてやれば浮かばれるか? なあ、どうだ? どう思う? 答えてみろ、マルス」

 マルスの形相が歪んでいく。一の心を恐怖心が犯しつつあったが、彼はそれを無視した。

「次は誰の番だろうな。マルス、お前か? それとも、お前の仲間か?」

「ぐおおおぉおおぉおおおぉぉおおっ!」

「……声のでけえおっさんだな」

 一が呟き、シルフが同意する。マルスは怒り、狂い、猛り、乱れたまま攻撃を繰り出していた。

 だが、雑な攻撃は通らない。一は安堵の息を吐く。体の点を貫かれるような鋭い感触がなくなったのだ。ただ力任せに振るわれる拳など、彼には、どうという事はない。



 ――――誰を狙うか。

 ベローナは舌なめずりをして、勤務外たちをじろじろと見回す。

 黒スーツの女、糸原のドローミは厄介だった。

 眼鏡を掛けた女、ナナの身体能力は脅威とも言える。

「……まずは一人、ぶっ殺すか」

 負傷しているジェーンならば、他の二人に比べて殺害は容易だろう。彼女一人に狙いを定めれば、糸原もナナもジェーンを守ろうとして後手に回るはずだ。

 ベローナは短い息を吐き出して、地面を強く蹴り出す。まずは掻き回して、勤務外を分断する腹積もりだったのだ。

「……!?」

 しかし、ジェーンは自ら前に出てきた。彼女はリボルバーをホルスターに納めて、空を見上げる。無視されたような気がして、ベローナの心がささくれ立った。

「くたばりぞこないがァ!」

 更に地を蹴る。拳を突き出す。ジェーンの華奢な体では、二発と耐えられない一撃だった。尤も、

「い……ない?」

 その攻撃が、当たればの話ではあったのだが。

 糸が迫り、ナナがゆっくりと歩き出す。ベローナは距離を取り、ジェーンの姿を探す為に後方へと飛び退いた。四方に目を遣るも、彼女の姿はどこにもない。見当たらないのだ。



 舐めやがって。

 よりにもよって、ベローナは自分を狙っていたのだ。許せない。

 ジェーン=ゴーウエストには、その事実が許せない。

「お兄ちゃんがいなくてよかった」

 月を見上げる。ジェーンの瞳が、妖しげな光を帯び始める。……一に、この姿を見られたくなかったのだ。この、狼の脚を。腕を。尖る爪を、鋭い牙を。



 マルスたちの中で、身体能力に最も秀でていたのはベローナであった。純粋な力だけならば、彼女はマルスを凌駕する。その拳は岩をも物ともせず、頑強な肉体は並大抵の攻撃を通さない。距離を一瞬で詰め、猛禽を思わせる視力と瞬発力で敵を屠り、殺害せしめる。ベローナには特殊な力がなかったが、余りあるパワーが宿っていた。

「見え……っ!?」

 素早く、

「ぐっ、あ……」

 打たれ強く、

「ちくしょう! ああっ、くそうっ!」

 誰よりも強い。

「どうしてっ、どうしてだよ!?」

 今日、ここで彼女らと出会うまで、ベローナは自らに死が迫る事など、考えもしなかったのである。

 腕が、牙が、爪が迫る。退けば銃弾が身を掠める。ジェーンに翻弄され、ベローナは初めて、自分よりも速い者と出会った。

「隠してんなよっ、そんなもの! だったらハナっからそうしてろよ! 私をっ、殺しておけよ!?」

 風を切り、地を蹴る音だけが聞こえている。ベローナはジェーンの姿を捉えられない。揺れるツーテール、それが視界を僅かに横切るだけだった。

 嬲るようにして、ジェーンはベローナを痛めつけていく。爪で抉り、牙を突き立て、獣の四肢をもってしてなぎ払い、倒すのだ。だが、彼女に嗜虐的な趣味がある訳ではない。ベローナの耐久力が桁外れなのだ。

 ベローナはジェーンを捉えようとして必死に目を凝らし、視線を動かすが、彼女の速度には追いつけない。

「待ってるんだ……! 弟が私を! あいつはっ、一人じゃ何も出来ないから!」

「……キグウね。アタシも、お兄ちゃんを待たせてる」

 甘い声のした方へベローナが振り向くと、そこにジェーンがいた。彼女はリボルバーを片手で持ち、

「でも、お兄ちゃんは一人で何でもやろうとスルの。出来ないって、自分で分かっててもネ」

 銃口をベローナに向ける。そうして、ジェーンは人差し指を伸ばす。

「まっすぐ行くから」

 とん、とん、とん、と、ジェーンは地面を爪先で鳴らした。

「……舐めてんのか、ガキが?」

「Catch me if you canってヤツね。それじゃあ、ようく見てた方がいいわヨっ」

 どん、と。リズムが変わる。ジェーンの姿が消えたように映り、ベローナは瞠目する。だが、彼女は捉えた。認めたのだ。ジェーンの姿を、速度を捉えたのである。

 速度と言うものは確実に、いつか必ず落ちる。ジェーンの疲労は蓄積されており、ベローナは幾度の攻撃で彼女のスピードに慣れていた。

 ――――それでも、無理なもんは無理だ!

 ベローナは、ジェーンの攻撃を回避しつつ反撃に転じるのを諦めた。慣れたからといって、その速度に反応し、追随が可能かといえばそうではない。ただ、ベローナはすべき事を定めたのだ。ダメージ覚悟で、攻撃を受けた瞬間に捕まえる。ジェーンのスピードは凄まじいが、それだけだ。無理矢理に捕まえてしまえば、後は体格で勝る自分が有利だと、ベローナは考えている。

 事実、ベローナの考えている通りになるだろう。ジェーンは月を認め、狼の血を引き出し、肉体を強化している。しかし、それでもベローナには及ばないのだ。

「ここまでだっ、ガキ!」

 ベローナが両腕を伸ばす。そこに、ジェーンがいる。

 いるはずなのだ。

 なのに、ベローナの腕は何も掴めなかった。ただ、リボンを掠めただけである。

「ああ、お気に入りだったのに」

「ッッ!?」

 解かれたブロンドの髪が、目の前を流れていった。ベローナは思わず、息を呑む。

 ジェーンは、ベローナの予想よりもスピードを上げたのだ。まっすぐに行く。ただそれだけなら、一瞬間も掛からない。……彼女は左腕をベローナの腹に突き立てる。呻き、ベローナは右方へ逃れようとした。

「あっ? う、ひぎ……っ」

 銃弾が、ベローナの脇腹を貫く。

 ベローナがジェーンの速度に慣れていたように、ジェーンもまた、ベローナの動きに慣れていたのだ。彼女がどちらへ逃げようとするのか、繰り返されてきた攻防の中で読めつつあったのだ。

 振り向こうとするベローナだが、彼女の右腕に何かが巻きついている。不思議に思い、ベローナは自分の腕へ視線を遣った。その時、嫌らしい笑みを浮かべる糸原と目が合ってしまう。

「こっちも忘れないでよね」

 ぶつん、と、肉が軋み、骨が千切れる音がした。ベローナの右腕が彼女から離れていく。次いで、糸はベローナの左足を切り裂いた。

 噴出する血液を気にした素振りもなく、ナナがベローナの髪の毛を掴み、彼女を無理矢理に立たせる。

「ここまでです、『都市の破壊者』。もう、充分に楽しんだでしょう」

「……てめえ、私の事を……!?」

「そんな事を気にする余裕があるのですか?」

 発砲音がしても、ベローナは何とも思わなかった。自分の腕がなくなり、足がなくなり、今まさに片目を潰されても、もう、何も思わない。

 ふと、ベローナはナナに拘束された状態のまま、顔を上げる。目に入ったのは、流れる金色だ。風に吹かれ、揺れ、そして、

「……ケダモノ」

 毛髪の間から覗く眼を見て、愉しげに呟く。

 ジェーン=ゴーウエストという存在を刻みつけ、ベローナは満足そうに笑んだ。

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