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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
252/328

マスターボリューム



 ティモールとヒルデ。

 死者の兵、巨人らと戦う勤務外、フリーランス。

 先行した三森たちと、彼女らを阻むソレ。

 そして、一一。

 情報部はそれぞれの戦場を見つめながら、無線に手を伸ばす。

 やはりと言うべきか、オンリーワン側の者たちはソレの物量に圧されているのだ。出雲店の擬似神在月、フリーランスたちの乱入で盛り返したかと思えば、マルス側は新たな死人を投入する。しかも、マルスたちはまだ南駒台店から動いていないのだ。彼らの内、誰か一人でも動けば、危うい均衡が崩れる。

「……ああ。アレが例の……」

 駒台の戦場に向かって爆走するスポーツカーが見えた。真っ赤なそれである。情報部の同僚が何度も言っていた、件の車だろう。しかし、どうする事も出来ない。司令部からの指示がなければ、自分たちの事で手一杯で、情報部には何かをしようという気すらないのだ。



 精神的なものだと言われた。

 随分と簡単な言葉だな、と腹立たしかった。

 心が治れば、体も治る。どの口で、どこのどなたが言い出したのだろう。

 喉に巻いた包帯に手を当てる。傷跡は、もうない。とうに消えている。否、そこには、最初から傷などなかったのである。ただ、気に掛かって、怪我をしたのだという振りをした。ならば、治癒していないのは体ではなく、心、なのだろう。

 心が治れば――――。

 違う。

 違うのだ。

 爪ならすぐに生え揃った。だが、声は戻らない。掠れた声には慣れてしまったが、許容している訳ではない。あくまで妥協なのだ。以前のようには歌えない。

 歌は感情だ。思いを届ける。声の質というのは、また別の話だ。……そう割り切るには、少女はあまりにも若かった。清廉とした声は、もう二度と戻らない。

「うちは……」

 歌が欲しい。

 声が欲しい。

 この思いを、もう一度、誰かに届けてみたい。

 少女は、瓦礫と化した街の一画で立ち尽くす。戦場にはソレが溢れ、勤務外たちが蛮声を上げる。命が燃え、掻き消え、塵となる。彼女は手で耳を覆った。少女には、この場の空気も、音も、毒としか感じられない。

 自分以外の音と声は毒となり、じわりと心を蝕む。何をしているのだと、少女は自身を叱咤した。同じアパートに住む者も、仲のよい者も、師と仰いだ者も、この街の、この戦場の中で戦っているのだ。自分とは違う。自分には、力がない。何もない。ただ、光に誘われて、ここにいるに過ぎないのだ。

 何が出来る。

 何が出来るのだ。

 そして何よりも、自分は、何がしたいのだ?

 少女は自分に問い掛ける。胸の内からの答えを期待したが、空振りに終わった。



「さっきの女、めちゃめちゃ怖かった」

「新さんか? まあ、そりゃそうだわな」

 一は前を見据える。眼下には数多の死者が、数体の巨人がいた。ソレらは生者を目指し、形ある物を打ち壊しながら進んでいる。後方には新が、勤務外が、友人たちがいた。そして前方には……。

「まあ、あの人たちの事だから心配はしてねえけど」

「おいニンゲン、なんか向かってきてるぞ」

 シルフが首をめぐらせようとする。一は振り返り、赤いスポーツカーを認めた。その車には、見覚えがある。嫌な予感がする。フリーランスやコヨーテ、立花新までもがやって来たのだ。あの光を目撃しているのなら、駒台に居残っていたのなら、

「……お節介め」

 彼らが出張らないはずはなかった。



 走行する車中の窓から身を乗り出し、中空を見上げた。

「いたぞ! 見えたっ、先輩だ!」

「どれ、わしにも見せい。……むう、見えん。どこじゃ?」

「ほら、あそこだ!」

 嬉しそうに指を差す早田を横目で見遣り、運転席の楯列は小さく笑う。

 早田の膝の上には槐が乗っており、彼女は視線をきょろきょろと動かして一を探していた。

「しかし、先輩にお節介だと思われないだろうか。私たちは、あくまで一般人なのだ。ソレとも違うし、勤務外でも、フリーランスでもない。私たちは……」

「まあ、思われているだろうね。一君の事だ。僕たちを見つけたのと同時、とても嫌そうな顔を浮かべたに違いないよ」

「む、折角助けに来てやったのにか? 一め、わしらに感謝すべきじゃ」

 楯列は苦笑して、ハンドルを操作する。死者の兵を轢き殺しながら、彼らは一を追いかけていた。

「確かに勝手だよ。命知らずの大馬鹿ものだ。だから、僕たちは一君に感謝されたいなんて思ってない。嫌われてしまっても、彼が無事ならそれでいいじゃないか」

「親切の押し売りよ。重たいったらないわ」

 後部座席からの声を黙殺し、早田はつまらなさそうにふんぞり返る。

「ふん、ここで顔を見せておかないと忘れられそうな気がしたのだ。……今回は、先輩はどんな怪物と戦おうとしているんだろうな」

「さて、話を聞くに名のある神様が相手だそうだよ。僕は興味ないけれど。それで、人がこんなにも集まっているし、こんなにも、ソレだって集まってる。少なくとも、駒台では過去に類を見ない規模のものだろうね」

「……衛よ、わしは多くは聞かんが、その手の話はどこから流れてくるのじゃ?」

「成金を舐めない事だよ」

「おいバ金持ち、スピードを上げろ。先輩が逃げてしまうじゃないか」

「はいはい」

 楯列の駆るスポーツカーが速度を上げた。前輪に何か挟まっていたが、彼は無視を通した。



 シルフは少しずつ高度を下げながら、楯列の車、その屋根への着地を図っていた。

「どうしたんだよニンゲン、なんか、機嫌悪そうだぞ」

「無鉄砲な奴を見ると腹が立つんだよ」

 同族嫌悪と言い換えてもいいと、一は内心で思った。

「くそう、ちょっと嬉しいのも腹立つな」

「怒ってるのに嬉しいのか? ニンゲンってのはワケがわかんないなあ」

「だから人間なんだ。ほら、降りるんだろ?」

 一はアイギスを広げて、死者の兵と一緒に楯列たちをねめつける。

 だん、と、一の両足が停止した車の屋根についた。彼は近くのソレを薙ぎ倒し、車内にいるべきはずの楯列たちを探す。

「相変わらず忙しそうにしているのう、一」

 助手席の窓から小さな子供が身を翻した。彼女――――座敷童子の槐は短刀を逆手に構え、ボンネットの上に立つ。

「……槐もいたのか。お前なら、こいつらを止めてくれると思ってたんだけど」

「そこまで野暮ではない。それに、ここはお主の青山ではないからのう。助けに来たと、上から目線で言うつもりはないが」

 一は屋根から下りて、フロントガラス越しに早田を見据えた。彼女は嬉しそうな顔をしたが、すぐに罰が悪そうに俯いてしまう。

「んな顔するくらいなら、ハナっから来るんじゃねえよ。馬鹿野郎」

「う。あ、すまない、先輩。しかし、私は……」

「いいよもう、謝らなくて。ったくよう、ここはど真ん中だぞ? ソレがそこらにいやがるし、もっと危ない奴だってこの先にいるんだ。殺されたって文句は言えねえんだからな」

「ああああああああ違うのだ! つまり私はだな! 先輩を!」

 珍しく早田が慌てていたので、一は彼女を、普通の女の子のように思ってしまった。

「まあまあ一君、その辺で許してやってはくれないかな」

「楯列。はあ、お前まで来てるとはなあ」

 運転席から顔を覗かせた楯列は楽しそうに肩を竦める。

「しかしだね、駒台は僕たちの住む街でもあるんだ。勤務外だけに全てを任せるのもどうかと思ってね。ゴミ掃除くらいなら、まあ、僕たちにだって出来るよ。君は気にせず、先に進むといい」

「うむ。わしもおるしな。それより一よ、少し屈め」

「はいはい、これでいいか?」

 槐は満足そうに頷き、屈み込んだ一の頭をゆっくりと撫で始めた。

「わしらとて領分は弁えておる。おぬしの顔を見られたのだし、ここから先に立ち入る事はせんよ」

「信じていいんだな?」

「あったりまえじゃーん!」

「茶化すなよ。……ありがとう」

「うむうむ。こうしてわしが頭を撫でる事で、一には幸運が宿ったはずじゃ。アレじゃな、補正って奴じゃな。銃で撃たれても胸ポケットにロケットが! そんなフラグが立つかもしれん。充分に感謝せよ」

 一は首を振り、小さく笑む。

「じゃなくて、お前も、早田も、楯列も、来てくれてありがとうな。頑張んないとって、そう思えたよ」

「愛いやつめ」槐は一の頭をぐりぐりと撫で回した。

 早田は助手席から下り、心配そうに一を見つめる。

「……先輩。死ぬつもりではないだろうな?」

 やろうとしている事を見透かされてしまい、一は言葉に詰まった。

「いきなり何を言い出すんだよ早田君。俺はあと二百年くらいは生きるつもりなんだからな」

「そうか。それはいい。長生きは素晴らしい事だ。……そんな気がしただけだ。先輩からは、何か、嫌なオーラが見えたものでな」

 相変わらず、妙に鋭い奴だ。一は息を漏らすのを堪えて、さり気なく視線を逸らす。そして彼は、後部座席を盗み見た。

「そうか。そう言う事ね。……ま、心配はいらねえか。確かに、この辺で群れてるソレにはやられそうもない」

「その通りだよ、一君。さ、行きたまえ。僕も、君の顔を見て満足したよ。暫くしたら早田君を連れて帰るから、安心して行っといで」

 手を振る楯列を認めて、一は彼らに背を向ける。待ちくたびれていたのか、シルフは眠そうに目を擦った。

「シルフ、準備は?」

 シルフは答えず、にいっと歯を見せる。一は振り返りそうになるのを我慢して、前を見据えた。



 風の精霊と共に空を跳ぶ一を見て、槐は感嘆の声を漏らした。

「アレがシルフという奴か。……一は、変な女に好かれやすいんじゃな」

「君がそれを言うかな、槐君。しかし、しまったなあ、少し話し込んでしまったね」

 楯列たちを死者の兵が取り囲んでいる。彼は運転席のドアを開け、難しそうな顔を作った。早田は槐と一緒に、ボンネットに腰掛けている。どこか、彼らには余裕があった。

「仕方ない。……申し訳ないけど、仕事をお願いするよ」

「報酬さえもらえるのなら、喜んで」

 黒いベールと黒いワンピースが見える。左右の扉が同時に開き、後部座席から二人の女が姿を見せる。同じ背格好に、同じ顔をした女だ。

「しかし、よもやこのメンツでソレと戦うとはな」

「それは私たちのセリフよ。……灯、準備はよろしいかしら?」

「ええ、ばっちりです」

 後部座席に乗っていたのは、『教会』と呼ばれた女である。聖と灯、彼女らを見つけたから、一は安心して楯列たちを置いていったのだ。

「さあ、お願いするよ」

 楯列に促されたが、聖は憂鬱そうに溜め息を漏らす。

「いいの? あの勤務外は、あんたらに早く退場してもらいたがってたみたいだけど」

「問題ない。先輩が『消えろ』と言ったなら即座に実行するが、そうは言われていない。街の美化に協力するだけなのだ」

「言うじゃない」

 口元を歪めて、聖は茨の鞭を取り出した。

「報酬は?」

 槐は片目を瞑り、指を二本立てる。

「頭なでなで二分間でどうじゃ」

「二分か……引き受けましょう。さあ、やるのよ灯!」

 楯列と早田は顔を見合わせ、喉元まで出掛かった笑みを押し殺す。

「聖姉さま、おいたわしい……」

「さっさと!」

 灯は茨の鞭、ピラトで前方のソレを打ち据え始める。聖は近寄ってくる死者に聖釘を投げつけた。

「相手は死者、神の御許に返すまでもないでしょう。塵は塵にっ、存分にやりなさい!」



 風の流れが変わった。シルフは一の後頭部をじいっと見つめた後、顔を動かす。南駒台店が見えていた。

「このままいけそうか?」

「……たぶん、あと一回は跳ばなきゃ無理だ」

 視線をずらせば、死者の群れ。巨人が手招いているようにも見えていた。

「なら、次はやりあわなきゃな」

「……着地するとこをずらす。まっすぐ行っても危ないだけだ」

「駄目だ。まっすぐ行ってくれ」

「なんでさ? 無理に戦わなくたっていいだろ」

「あの人たちはまっすぐ行った。だから、俺だってそうしたいんだ」

 一は断言する。風を操り、彼を連れているのは自分だ。だが、反対しても無駄なのだろうとシルフは直感した。

「ニンゲンは馬鹿だな」

「はっはっは! 人間だからな。……悪いな」

「いいよ」

 流れは変わった。自分たちにとっての追い風である事を祈り、シルフはソレをねめつけた。



 呼吸を整えると共に、周囲に目を配る。

 巨人は倒れ、死者の兵はその数を減らしている。勤務外や、フリーランスたちの尽力によるものだった。

「……しつけえな、てめえも」

 後はティモール。彼さえ殺せば道は開けるだろう。先に行った一の助けにもなる。何よりも、一刻も早く仲間の無念を晴らしたかった。

 ヒルデは大鎌の柄を握り直し、深く息を吸い込む。……南駒台店にいい思い出はなかった。眠りから覚めればすぐに呼び出されて、ソレを狩る。金屋は人遣いが荒かった。同僚の野獣も、狂戦士も、いい仲間だとは思えない。開店前で一般の店員とは殆ど話せなかった。思い出そうとする。しかし、記憶に残っている事などないのだ。

「シルト」

「はいっ、なんですかヒルデさん!」

 だが、と、ヒルデは目を瞑り、決意を新たにする。死んでもいい者など、殺されてもよかったと思える者など、いないのだ。ましてや、その死に様を侮辱される謂れもない。何より、ティモールを生かす理由は見当たらなかった。

「……見ててね」

「もちろんです! さっさとやっつけて、あいつのところまで行きましょう!」

 ティモールが剣を構える。切っ先はヒルデの喉元に向けられていた。彼女は片手で得物を持ち、

「もらったああああああっ!」

「おわっ!?」

 山田に手を振った。

 ティモールは背後からの急襲を避けるべく、真横に跳ぶ。山田の拳が地を抉っているのを見て、彼は口笛を鳴らした。

「栞ちゃんっ」

「やれヒルデ!」

 体勢を崩すティモール目掛けて、シルトが槍を投擲する。一直線に向かって飛来するそれは、彼の腹部に突き刺さった。

「がっ……お……?」

「バーカ! 普通にやりゃあ、あんたなんか一瞬で終わりなんだっつーの!」

「な、うっ、うそだろ……」

 ティモールは槍を引き抜こうとして腕を伸ばす。しかし、彼の右腕は宙に舞っていた。

 大鎌が唸る。風を切り、ティモールの腕を切り、

「…………楽しかった?」

 彼の首に、刃を突きつける。

 問われたティモールはいやらしい笑みを見せた。

「た、タイマンじゃあ……ねえのか、よ……?」

「……?」

 小首を傾げたヒルデは、鎌を引いた。刃が肉に触れ、力をついと込める。ティモールの首が月下に晒された。

「…………そういうのは、一人でやってて」





 マルスの顔色が変わった。ヘルヘイムの使者は、彼からそっと距離を取る。

「……どうした愚弟。何か見えたのか?」

「あー。その、なんだ」

 言いづらそうにして、マルスは皆を見回した。彼は頭に手を遣り、遠い目をして息を吐く。

「ティモールが殺されちまった」

「えー? マジで? 誰に、誰にだよ?」

「よってたかってぶっ殺されたみてえだけど、とどめは、でけえ鎌持った女にやられた。……はあ、バカ息子が。んな柔に育てた覚えはねえっつーのに」

 なってこった。呟き、マルスはその場に腰を下ろした。

「兄貴がやられたか。ちっと、向こうを舐めすぎてたかもしんねえよな。どうすんだ? 全員で行くか?」

「ぶっ殺すついでに仇取ってやっか?」

「冷静になってはどうですか? お兄様の仇も! クソッタレをぶっ殺すのも! お父様の指示をお待ちになりなさい!」

「お前が一番キレてんじゃん」

 使い魔との視界を接続し、マルスはオンリーワン側の状況を確認する。ティモールの仇を討ってやりたい。だが、ここで遮二無二突っ込んではただの無能だ。そして何より――――。


 ――――盛り上がるにゃあ早いよなあ!?


「……まあ、落ち着けバカども。どうやら向こうも揉めてるみてえだぜ」

 死者と巨人が粗方片付けられ、勤務外たちが良く見える。彼らは声を荒らげ、何事かを話し合っているようだった。

 自分たちと同じなのだ。マルスは内心で大笑する。つまるところ、行くか、退くか。どちらかで迷っているのだ。意見を戦わせる振りをして自らの意思を貫き通す。その為に時を無為に費やす。

 先行した三森たち、それを追う一、勤務外、フリーランス、北駒台店に引きこもる者たち。マルスはほくそえんだ。今、自分たちが出て行けば各個撃破に、皆殺しに出来るだろう。しかし、それはありえない。そうはしない。何故なら、つまらないからだ。

「奴らに合わせてオレ様たちも動くぜ。ティモールが死んじまったのはすっげーすっげえ悲しいけどよ、まあ、情けなくもあるわな。だからよ、んな気張って敵討ちに励む事もねえ」



「しかし、動かんな」

 店長はつまらなさそうに、口論に励んでいる勤務外たちを見ていた。

「店前のソレは片付きました。が、どうやら、ここからどうするかで揉めているみたいです」

「ああ、あいつらもそうだが、マルスたちも動かんな、と、言ったんだ。奴らのお仲間を、一人とはいえ仕留めたんだ。動きがあってもよさそうだと踏んだんだが」

 一人ずつ出てきてくれるのなら、各個撃破で楽に仕留められたんだがと、店長は歯噛みする。

「警戒しているのでは?」

「かもしれんが、ソレも殆ど片付けたんだぞ? 引きこもるのは奴らの性に合わなさそうじゃあないか。全軍突撃、そんな愚を犯してくれると嬉しいな」

「はあ、しかし、それはそれでこちらも困りますね。乱戦になればマルスを仕留められそうではありますが、被害も大きくなるでしょう。はてさて、何人生き残れるか」

 相打ちでも構わんと、店長は内心で思った。

「動きがないと困るな。目の前から敵が失せれば緊張の糸が切れる。どうせなら、勤務外どもには暖まっている内に玉砕覚悟で突っ込んでもらった方が助かる。私も、あいつら自身もな」

「では、指示を出しますか?」

 堀が拡声器を差し出す。店長はそれを軽く手で払った。

「どうせ私の言う事なんか、誰も聞きやしない」

 行けば死ぬ。行かねば死ぬ。どちらを選ぶかは勤務外たちの自由で、どちらを選んでも結末は大して変わらないのだろう。

「過程がどうなろうと知った事ではないがな、結果だけは出してもらわなければ困る。……我々か、マルスか、先に動いた方がどうなるかは知らん。だが、やらねばやられるだけだ。結局、道を切り開くのは自分しかいないんだ」



 マルスたちが様子見し、店長が諦め、勤務外たちが停滞し、一が中空を漂っている頃、一人の少女が大きく息を吸っていた。

 怠惰な時間である。誰も動こうとしない。息を殺し、隙を窺っている。きっかけが必要だったのかもしれない。

「…………ふう」

 そんな事は露知らず、現在の戦況など知る由もない、一人の少女――――セイレーンの血を引いた少女、歌代チアキは、瓦礫と化した、否、瓦礫だけの街を見つめていた。

 歌を、うたう。当たり前に行っていた事に対して、チアキは恐怖を覚えている。

 以前のような声は出ない。当然だ。分かり切っている。それでもと、チアキは期待せずにはいられなかった。同時に、その期待が叶う事がないとも分かっているのだ。

「あかん。こんなんじゃ……」

 頭を振り、チアキはきっと前を見据える。そうではない。自分の声がどうなろうと知った事ではない。今はただ、この胸にある思いを、感情を吐き出すだけだ。そして願わくは、その思いが誰かに届きさえすれば――――。

 ――――少しでも師匠の役に立てれば、それでええ……!



 前兆はなかった。声はいきなり響き、届き、飛び込んできたのだ。楽器による演奏も伴奏もない。声だけが、戦場のどこまでも高らかに、余すところなく響いていく。

「…………あ、この、声」

 ささくれ立った心が元通りに癒されていく。そんな気持ちを覚えて、ヒルデは目を瞑った。

 その声を聞いた者は、口を開くのを止め、声を出すのを忘れたかのように、歌に聞き入っていた。まるで、歌声の届く範囲の時間が止まっているかのように。

 誰も彼も、男も女も、老いも若きも、勤務外もソレでさえも、今はただ歌を、声だけを聞いていた。――――清廉で潔白な、透き通った声を。……決して小さな声ではない。かと言って、力任せに歌っているのではない。



「なンだ、これ? 歌……? こんな時に、誰がのん気に」

「でも、ステキね。素晴らしいボイス、聞きホレちゃう」

 ソレに囲まれていた彼女らにも、その声は届いている。

「誰が歌ってるんだろう? すごいや、こんなの、ボク初めてだ」

 糸原は肩で息をしながらも、口元を歪ませていた。彼女には分かっていたのである。この、声の主の正体が。

「ねえ、ナナちゃん。あれ、ナナちゃん?」

 ナナは耳を澄ませていた。歌い手は、ただあるがまま、自分の好きなまま、自然に身を任せるままに音を楽しんでいる。聞き心地の良いソプラノは、天声とでも呼ぶのだろうか。

「……ああ。ああ、ああ、なるほど。そうか。そう言う事だったのですね」

 声は少しだけ高く、大きくなり、盛り上がる。ナナが今までに聞いた事のない歌だったが、もう直に終わってしまうのだと、強く認識させられた。


『うちがうたったるわ』


 それは、あの日に聞いた言葉である。


『絶対に心があるって分かるで』


 あの日に思った事がある。もし、もしも、自分に心があったなら、と。


『くふふー、ぜっったい感動するで、自分』


 心が。

 自分には、心がある。

 ナナは、ここが戦場である事を忘れた。

 ああ、なんと良い歌なのだろう。

「歌とは、心とは……」

 なんと、なんと――――。



 風が止む。シルフは焦っていたが、一は嬉しそうに顔を綻ばせていた。

 聞こえる。聞こえたのだ。あの日に聞いた声が、彼女の歌が。もう二度と聞けないかもしれないと覚悟していた。一は笑う。ソレを前にして、地上を目前にして、笑うのだ。

「何がおかしいんだよっ、バカ!」

「畜生、どいつもこいつもこんなところに! こんなところにきやがって!」

 聞き違えるはずはない。

 歌代チアキは、遂に声を取り戻したのだ。彼女の中に血は巡っていた。だから、機会が巡るのを待つだけだったのかもしれない。それでも、一は嬉しかった。再び、チアキがセイレーンとして、否、一人の女の子として歌えるのが、こんなにも嬉しくて仕方がなかった。

 声は届いた。感情は伝わった。一は、彼女の思いを受け取った。

 楽しくて、嬉しくて……悲しい。この街が心ないモノに荒らされ、壊され、殺されてしまうのが嫌で嫌で堪らない。歌代チアキは、そう言っている。思っているのだ。

 ならば、彼女の願いを叶えるまでだ。



 歌声は止み、それでも、勤務外たちの時間は暫くの間戻らなかった。

「貸せ」

「……何をするおつもりですか?」

「死ねと命令するだけだ。いつもと変わらん」

 好機だと判断し、店長は椅子から立ち上がる。堀の手から拡声器をひったくるようにして取り上げて、すうっと息を吸い込んだ。

 歌で世界は救えない。

 声で世界は守れない。

 それでも、伝わるものはあるのかもしれない。店長はそんな事を思いながら、『声』を発した。

「おい、いいか、一言一句逃さずに聞け、勤務外ども。それから、見覚えのある奴らもだ」

 拡声器を通して発せられる店長の声は、力任せで、酷く乱暴だった。

「何をごちゃごちゃとやっている。お前らの仕事は一つだと、私は言ったはずだ。楯突くソレを殺せばいい。イヌでも分かる、簡単だろうが馬鹿どもが」

 向こう側から誰かが喚くのが確認出来た。が、店長は無視する。

「マルスを殺せ。そいつの仲間も、部下も、何もかもだ。遠慮するな、この際だ、全員で行け。異存は認めん。異論も許さん。やらなきゃやられるんだと、どうして分からん」

 でも。

 だけど、しかし。

 何故、どうして、と。『声』が届いた。

 店長は苛立たしげに煙草を吐き捨てて、ぎりりと歯を食い縛る。

「いいから行けと言っている! 手ぶらで戻ってみろ、その時は、私がそいつを殺してやる! いいな!?」

「異存も異論もナシだと言ったのでは?」

 店長はじいっと目を凝らす。勤務外たちは諦めた本郷や、店長に恐れをなした高井戸に連れられて、と言うよりも、無理矢理に引きずられるような形で前進を始めていた。

「駆け足だっ、お前らは私の駒でも部下でも何でもない! お前らのようなグズはいらん。戦って、死ね! それが世の為、人の為だ! 全軍突撃!」

「無茶苦茶じゃないですか。最初の、聞き心地の良い演説はなんだったんですか」と、堀は頭を抱える。

 清廉で、透き通ったチアキの歌声が響く。彼女の声を掻き消さんばかりに、店長は吠えた。

「繰り返す、全軍突撃! 全員、死ぬまで帰ってくるな! オールっ、アウトっ、アタックだ!」

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