チャイルドフッド・スーパーノヴァ
状況は不利だ。
ヘルヘイムの使者はそう結論付ける。
思っていたよりも随分と早く、深く攻め込まれてしまった。勤務外の捨て身の進撃だとは言え、すぐそこに敵がいる。……マルスはあまりにも無防備だった。これでは南駒台の勤務外同様、獣と相違はない。策すらもなく、本能の向くままに己が快楽を享受する。彼と共に戦っていては、確実に死ぬだろう。が、『円卓』メンバーとして義理を果たす必要もある。幸いにして、マルス自身も、彼の手駒たる者たちにも実力は備わっていた。狂人、野獣が相手だろうと、並大抵の勤務外では歯が立たないのは明確である。
「世話ばかりかけるのね、こいつら」
来た者は仕方がないと諦め、ヘルヘイムの使者はとあるものに目を向けた。
『前線を無理に押し上げる必要はない。四班と足並みを揃えろ。送れ』
「了解したあ。……よーっし、ゆっくりでいいぞー、ゆっくり進めー」
店長からの指示を受け、二班の勤務外たちは撃ち漏らしのないようにして歩を進めていく。
とは言え、バーサーカーがソレを蹴散らしながら前進していた為、勤務外たちはかなり楽が出来ていた。更に、
「ハーイ、それじゃあこっからはアタシたち三班が行くわよ。オッケー?」
「おっけー!」
二班には三班のメンバーが合流していた。……二班の班長である黄金は、店へ戻る事を選ばなかった。距離的な問題もあり、何よりも、体力が尽きるより気持ちが切れてしまうのを嫌がったのである。無論、メンバーの了解は得ており問題はなかった。
「しのちゃん、こっからはボクらの番だからね。休んでていいからね?」
「あー、はいはい。分かったからくっつかないでよ」
二班が戻らなかったのを聞き、一班のメンバーも店まで後退する事をしなかった。決めたのは三森だ。
本郷は、糸原に対抗心を燃やしたのかと三森に問い掛けたのだが、『だりィから』の一言で返されてしまっていた。
「では、ここからは私たち四班の職務となります。一班の方々はどうぞ休息を。三森さん、お願いします」
「ん。おー、あいよ」
四班の班長であるナナは、三森が炎の壁を消し去るのと同時に駆け出した。横一列に並んでいたソレを確認するやいなや、彼女は両腕の袖からブレードを露出させる。走り込んだまま、ぐるりと回転し、死者の首を次々と切り飛ばした。
「にゃは、やるじゃんメイド」
ナナに続き、勤務外店員の高井戸も得物を構える。彼女のそれは、ダガーと呼ばれる二振りの刃物であった。ネコ科の肉食獣を思わせるしなやかな動きで接近し、死者の腕を落として、ソレの肩に足をかけて跳躍する。ナナの作ったスペースへと飛び入り、ソレの目玉にダガーを突き立て、腹を蹴り飛ばした。
二人の勤務外に続き、四班の班員が戦場へとなだれ込む。その様子を見ながら、三森は安堵していた。フレイヤの乱入によってオンリーワン側に負傷者が出たが、死者は出ていない。ソレの数は減っており、戦線は徐々に上がっている。不利ではない。それどころか順調だ。
「三森」
「……何」
三森が一つ気に入らないのは、本郷の存在である。彼は店長とは旧知の仲らしく、やけに居丈高な口調で話すのだ。彼女にはそれが我慢ならない。
「司令部まで戻るのは骨だ。かと言って、こう、狭い道では車を出すわけにもいかないだろう」
「で?」 と、三森は冷たい目で本郷を見遣った。
「何か飲み物と、簡単に食べられそうなものをよこしてもらうように頼んではもらえんか?」
本郷は気に入らないが、彼の意見は至極真っ当だと思えたので、三森は小さく頷いた。
状況は膠着していた。
ヘルヘイムの死者はマルス側を不利だと判断し、三森はオンリーワン側を有利だと思っている。そのどちらも、フレイヤの乱入によって変化した状況ではあった。彼女が復讐心に駆られて起こした行為だが、オンリーワンにとってはひと時の休息をとれる、得難い時間でもある。
だが、フレイヤがもたらした台風の目のような時間は、彼女の死によって終わるのだ。
喉から絶叫が迸りそうになる。やめろ、と。叫んで彼女の行為を制止したかった。が、それは叶わない。
情報部の男は声を出すのを堪えて、ヘルヘイムの使者の行為を、ただ見るしか出来なかった。……彼女は、人間の死体を物色している。南駒台店の勤務外、一般の店員たちの死体を眺め、手に取り、弄んでいるように思えた。
ヘルヘイムの使者は首を傾げ、不満そうにしている。何をしたいのか、何が起ころうとしているのか、情報部の男が彼女の意図に気がつくのは、それから間もなくの事であった。
押せ。押せ。
押し込め。
剣を振れ。槍で突け。銃を撃て。拳で潰せ。殺せ。
殺せ。
皆殺しだ。
勤務外たちは口々に叫ぶ。血の上った頭で、彼らは進む。
戦況は有利だ。自分たちは優位だ。勝てる。殺せる。我々は死なない。死ぬのはソレだ。
勤務外たちは声を揃える。殺せと叫ぶ。
居並ぶ死者を、襲い来るソレを蹂躙しながら進軍する。
彼らは気づけなかった。迫る影に、強大で、巨大な存在に。
「……ふえ?」
先頭にいた童顔の女が空を飛んだ。彼女は直立姿勢のまま真横に吹き飛び、民家の、二階の窓に叩きつけられる。割れたガラスが身体のそこかしこに突き刺さっていた。そこは子供部屋だったのだろう。女の頭部は勉強机へと強かに打ちつけられてへこんでいた。避けた傷から鮮血と、脳の一部が流れ出る。
一瞬だけでも動きを止めるのは命取りだった。吹き飛んだ女のすぐ後ろにいた、勤務外の男が得物を取り落とす。彼は震えていた。訳も分からず、その場から背を向けて逃げ出す事も出来ずに立ち尽くす。
だから、死ぬ。
だから殺される。
闇に紛れて接近していた巨大な肉塊が、何かを払うような動作をした。ゆっくりとした動きだが、男は避けられなかったのである。彼の顔面が弾けた。体内に埋め込まれた爆弾が破裂したかのような――――盛大な音が周囲に響く。男の上半身がどこかへと飛び散っていた。壁に。塀に。地面に。近くにいた者に。まだ温かい血肉がこびりつく。
「うっ、う、あ、おっ……! おおおおおっ、おおおっ!?」
瞬く間に二人が死んだ。ただの人ではない。ソレに対処可能な、ある種異常の存在が死んだのだ。勤務外の間に恐怖が伝染する。未知の脅威を感じ、敵を前にし、己の死を想像した者から背を向けて走り出す。
髪の長い男が喚きながら逃走し、しかし、背中の肉を削ぎ落とされる。彼は苦痛に耐えかねてその場に倒れ込んだ。死者の軍勢は逃げ遅れた者に寛容ではない。男を取り囲み、古びた剣を振り上げる。
「ひぎいいいゃあああぁぁぁあぁあぁ……あ」
何か大きなモノが、傷ついた男と、死者の兵たちを踏み潰した。
地面が振動する。巨大な人影が、アスファルトを踏み砕く。
「ぎゃはははははっ! いけっ、いけええええええええ! サイコーだぜヘルちゃん! やっぱでかくて! 硬くて! 逞しくねーといけねーよなぁ!?」
「……やってくれた。よくも、よくもっ」
組み伏せられていると言うのに、フレイヤは未だ気丈な態度を崩さなかった。彼女は自分の上のマルスを睨みつけるが、彼は別のモノに興味をそそられているようである。
それは巨人だ。大きな、人の形をしたソレが勤務外たちに反撃を始めたのだ。
「我ながら良い出来じゃない。惚れ惚れするわね、自分の才能に」
ヘルヘイムの使者は頬に手を遣り、自らが生み出したモノを見て、恍惚とした表情を浮かべる。彼女が創ったのは巨人に近いソレである。だが、近いだけだった。使者が創ったのは人に良く似たモノであって、人ではないのである。生まれたのは、肉の塊だ。
「へえ、悪趣味な事してると思ったら、面白いもんを創りやがったな」
狂人の生首を蹴り転がしたベローナは、ヘルヘイムの使者に並んで立つ。
「死体を弄繰り回してたのは、アレをやる為だったのかい」
「そうよ? ……あら、良く見たら少しバランスが悪いような……まあ、いいわ」
巨人の四肢は不ぞろいであった。大きさも、太さも、長さも、全てがバラバラなのである。ソレの右足だけが異様に膨らんでおり、歩行にも苦労している様子であった。
押し上げた前線も、数を減らしたソレも、何もかも、意味などとうに消えていた。今はただ、巨人から逃れる事しか考えられない。……というのが、殆どの勤務外が考えている事であろうと、しんがりを務めるナナは思考した。
死者の兵を踏み潰しながら歩いてくる巨人だが、その速度は遅い。歩幅は広いが、右足だけが大きい為に歩きづらそうにしている。
巨人の身長は三メートル近くあった。ナナはソレを見上げつつ、ゆっくりと後退りする。……歪だと、彼女は判断した。手足に見えるが、指はない。頭らしき部分はあるが、顔はない。目も、鼻も、口も。ただ、筋肉と脂肪が縫い合わされているような姿をしている。実際は巨大な人間というよりも、肉の集合体のようなものであった。皮膚には肥大した血管や、臓器が張り付いている。人間の中身をそっくり持ってきたようなグロテスクな有様だった。人の姿をしているが、これは紛れもなく人ではない。人の真似をする肉でしかないのだ。
「泥人形のようなものですか」
四班の勤務外の内、三名が死亡した。ナナは振り返り、逃げていく勤務外たちの後姿に紛れて、高井戸、貞光たちが留まっているのを確認する。また、様子を見にきたのだろう。三森や本郷たち一班のメンバーも立ち止まっていた。……あの巨人と戦えるのは、恐らく自分しかいない。普通の人間でも打倒は可能だろうが、ソレの一撃でも受ければ五体満足とはいかないのも確かである。ならば、と、ナナは腰を低く落とした。
「……次はでかい死体かよ」
「さっき、誰か吹っ飛んでたわよね? ……死んだよね、あれ」
一班、四班が進むルート上では巨大な塊が暴れている。その様子を、二班、三班の勤務外たちは呆然と見つめていた。
「班長ー! どうすんだよ、このまま行くのか!? 向こうの援護に回るのか!?」
屋根上にいる黄金は無線を握りしめたまま、ゆるゆると首を振った。
「ダメだあ! ここで現状維持! あっちはあっちでなんとかさせるって!」
その言葉を聞き、糸原は鼻で笑う。
「あんなもん、どうやれってのよ」
「あら、イトハラ。アタシたちは勤務外よ? どうしようもアルじゃない」
ジェーンは目を細め、巨人を見遣った。
「こっちはバーサーカー。あっちはジャイアント。全く、戦争ってのは本当にヘルね。……タチバナっ。タチバナーっ」
名前を呼ばれた立花は死者の兵を切り伏せて、ジェーンのもとに駆け足で寄っていく。その際、入れ替わりになる青笹にぺこぺこと頭を下げながら。
「ど、どうしたの?」
「アレを見なさい。そう、あのビッグなハンバーグみたいなソレよ。アナタ、アレを殺せるかしら」
「……うん。気味悪いけど、普通にいけるよ」
迷わずに即答した立花の肩に手を置き、糸原は頭を振った。
「ここにも化け物がいたか」
「ひどいや、しのちゃん。でも、しのちゃんにだってやれるでしょ。だってあんなの、ただの大きいお肉だもん」
「手間は掛かるわ。あんなのの相手してたら疲れてしようがないわよ。……それより、マジで何? 手足のバランス崩れてるし、おまけに顔面崩壊というかそもそものっぺらぼうで手抜きだし、妙に作りが悪いっつーか、きょうびガチャガチャのフィギュアの方が出来がいいわよ」
「フフン、よく言ったわ、タチバナ。それじゃ、三班のキリコミキャプテンはアナタで決まりね」
立花は小首を傾げる。ジェーンは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あのジャイアント、二体目がこっちに来るみたいよ」
「四班から死亡者三名。いずれも、やったのは馬鹿でかいソレらしい。ああ、ここからでも少しくらいなら見えるか」
「見えねえよ。それよか、勤務外たちゃあ総崩れだぞ。皆まとめて逃げまくってるみたいじゃねえか」
医療部の出番はなさそうだがな。そう付け加えて、藤原は腕を組んだ。
「堀、立て直せると思うか?」
「決めるのは店長です。が、私なら難しいでしょうね。死亡者が三人でも、逃亡者の数はそれより多い。ここに逃げ帰るならまだしも、駒台から遠ざかる者も出てくるでしょう。残った者で班を再構成する暇すら与えられていない。……技術部の弾幕で時間を稼ぐ手もありますが」
「食糧を持たせた医療部も、戻らせた方がいいかもしれんな。さて、どうしたものか」
店長は全く困った様子を見せず、堂々した風に煙草を吹かしていた。
「うちの勤務外が踏み止まっているみたいだが、巨大なソレが増えるとどうしようもないな」
「出処は? あんなもん、情報部は掴んでなかったぞ」
「それを言うなら死人の軍団とやらもそうだろう。巨人とやらも、マルス側が生み出したに違いない。やけに不恰好な姿とも聞いているし、恐らくは……」
「……ともかく、一、四班はまともに戦闘をしていません。逆ルートの班員には現状維持と伝えましたが、新たな巨人も確認されています」
「行っても引いても地獄かよ」
「だが、ここまで地獄を連れて来られるのも困るな。とにかく、一匹くらいはナナか、立花にでも仕留めてもらう。士気さえ上がれば立て直しもきくだろう。『やれるぞ』と、上手く騙す必要があるな」
鼻歌交じりに死体に触れているのはヘルヘイムの使者である。彼女が弄んでいるのは、先刻まで息のあった、野獣と化した男だ。彼の身体には無数の傷跡があり、酷く痛々しい姿となっている。しかし、ヘルヘイムの使者が気にする様子はなかった。
「今度はうまくいくかしら」
「……人のこたあ言えないけどさ、メチャメチャ趣味悪いよな、あの人」
「ネクロなんちゃらってヤツか? 親父といい勝負だぜ。『円卓』ってのはあんなんばっかか?」
マルスの子らが引くのも仕方のない話である。……彼女は、ヘルヘイムの使者は、南駒台店にいた人間の死体を利用し、巨人を作り上げていたのである。
「ふ、ふふふ……楽しくなってきたわね」
死体の手をもぎり、それを肥大化させる。足を切り落とし、異形化させる。気に入ったパーツを集めて、改造し、一つの形に作り変えていく。まるで、邪気を知らぬ子供のような所業であった。
「完璧よ。あなたたち、感謝するわ。新鮮な死体だし、おまけに恵まれた肉体なのよ、この二人。きっといいのが出来上がるわあ……」
注ぎ込む魔力と共に愛を。ヘルヘイムの使者は高笑いをして、
「……………………ん? え? あら?」
目を見開いた。
「どわああーーっ!?」
「なんか倒れてくんぞ! 逃げろ逃げろっ」
「……まさか」
反対側の建物が、めりめりと音を立てて倒壊していく。先ほどまで健在だった巨人が、仰向けに倒れていくせいだった。
逃げ惑う班員たちを横目にして、糸原は手を叩いて笑っていた。
「先を越されたカシラ」
「うわ、アレやったのって、もしかして……」
「……えっ? お、お前らさ、お前ら駒台の勤務外ってさ、みんなあんな事出来んの?」
「引くわー! マジでありえねーよ!」
倒れゆく巨人からは視線をそらし、ナナは迫っていた死者の兵を殴り潰す。彼女は一人きりでソレの軍勢を防いでいた。
「……意外と柔らかでしたね。これならば、ナナ一人でも。そして、マルスたちを打倒し、マスターにご褒美を……」
「怖いメイドだにゃあ」
「何奴! ……おや高井戸さん。休憩は終わりですか?」
問われて、高井戸は罰が悪そうに苦笑する。
「いや、パンチ一発でアレをぶっ倒すとか。ビビるに決まってんじゃん」
ナナは眼鏡の位置を指で調整し、不思議そうに高井戸を見つめた。
「そういうものですか。それよりも、逃亡する方が増加している模様です。後退した分、前進したいのですが」
ダガーがソレの首を掻っ切る。中空を舞う生首が落下し、別のソレと衝突した。
「難しそうだにゃあ。無理しても、この人数じゃバテバテで、マルスってのにボコボコにされるかも」
「では、ソレを殺害しつつあちらのメンバーと合流しましょう。逃走した者の処分は店長に一任します」
「……処分って。てか、仕方ないって。金の為に勤務外やってるのが基本でしょ。ああいうのが出てきたら逃げちゃうのもしようがない。にゃあって」
その内に三森たちも合流するだろうと判断し、ナナは前進する事を決意した。
「……っ、このっ、おォいコラ、ボケが! 勝手に逃げてんじゃねェぞふざけやがって!」
怒鳴る三森は勤務外たちに無視されていた。何せ、彼女よりも恐ろしいモノが後ろにいるのだ。
「よせ、無理矢理戦わせても仕方ないだろう。彼らにも生活がある。逃げるのも……」
諌めようとしたのだろう。本郷は淡々とした口調で三森に話しかけるが、彼女には関係なかった。
「うるせェぞ、鳥の巣みたいな頭しくさって。さっきから、さっきからゴチャゴチャとよ。あンな、ここで逃げたって意味ねーだろうがっ」
「……ではどうする。お前一人でも行くというのか」
「四班の連中がいンだろが。デカブツはメイドがぶっ殺したんだからよ、やれそうな奴は後からついて来るだろ」
本郷は息を吐き、得物を肩に担いだ。
「では、俺が引いた連中をまとめてこよう。お前は四班と合流して……」
「だから! 私に指図すンじゃねェよ! てめェ以外にそういう口利かれんのがな、一番ムカつくんだよ。分かったかクソが」
「いいだろう。ああ、無線を貸してくれ。必要があれば四班の班長に連絡をする」
三森の形相はもはや獣じみていたが、本郷は眉一つ動かさないでいる。彼女は無線を投げ渡し、彼に背を向けた。
「ンなもんくれてやる」
三森はもう、前しか見ていなかった。無線を手放した途端、視野が狭くなったと感じて、酷く嬉しくなる。余計なものから解放されたのだと、彼女の心は踊っていた。
店長たちの話を盗み聞き――――本人は、ただ、近くに立って聞いていただけだと主張するが――――していた柿木は、難しそうに唸った。彼女は危なげな足取りで一たちのところまで戻り、大仰に肩をすくめてみせる。
「あ、あ、あ、あ、の、よしかさんっ。そっ、それで、どうなって、いるんですか……?」
心配そうな桜江を落ち着かせようとしたのか、柿木は薄く微笑んだ。
「状況はとても不利だね。三人が殺されたらしい。おまけに、一班と四班の殆どが逃げ帰ってくるという始末だ。しかも、何やらけったいな怪物が現れたそうだ」
桜江の顔色が一瞬で青くなる。彼女は肩を落とし、口元に手を当てて俯いた。
「ちっ、おい吐くんじゃねえぞ? ……よしかさん、けったいなって、どんなソレが出たってんですか」
「巨人だよ。巨大な、人の形のソレが出た。動きは鈍いが、力が強く、痛みを感じていない様子だ、と」
一は閉じていた目をゆっくりと開け、柿木を見遣る。彼女は、最初から彼を見ていたらしかった。
「ソレは、どうなったんですか」
「おや少年、私と口を利いてくれるのか。嬉しい」
「どうなったんですか」
「君のところのメイドさんが、一体は倒したそうだ」
「一体? そうか、他にも巨人はいるのか……」
その通りだと頷き、柿木は額に手を当てる。そうしてから、実に緩慢な動作でしゃがみ込んだ。
「今のところ、一斑と四班の、残った勤務外同士で新たな班を作っているみたいだ。逃げた者たちは、本郷という男が追っている」
「二班、三班は?」
「そちらのルートにも巨人が近づいているみたいだね……どうした少年、何がおかしいんだ?」
「いや、ただ、なんかバラバラだなって。折角集まったのに、まだマルスにも辿り着いてないってのに、こんなんで大丈夫なのかなって」
一の笑みは、嘲笑うようなそれであった。
「……やはり、君たち駒台の人たちは勘違いしているようだ。あのね、集まったんじゃなくて集められたのだよ。ソレを殺して街を守ると意気込んでいるのは少数だ。勤務外、その殆どの者はまともじゃあない。まともな仕事に就けず、食い詰め、追い詰められ、仕方なくこの仕事をやっているんだ。我々と一般市民の違いが分かるかい?」
「そんなもの、あり過ぎて分かりませんよ」
「一番は、武器を持っているか否かだ。身体能力で言えば、一般人と我々に大差はない。私だけで言うなら、その辺の人よりも虚弱だと思う。まあ、ソレに立ち向かう上で重要なのは心だがね。心がね、どれだけ歪んで、壊れているかで決まる。化け物と対峙し、化け物を退治するのだ。まともではいられない。違うかね?」
一は答えなかった。柿木は、彼がある程度を理解しているのだと気付き、満足げに頷く。
「金銭の為に、生活の為に仕方なくソレを殺すのだ。そんな者たちが、縁も所縁もない街で、見ず知らずの者たちと共に戦う? 馬鹿を言っちゃあいけないよ。とてもじゃないが、集団戦にはなりえない。我々は常に一人だ。ずっと個のままなんだ。隣に誰かいても、そいつは仲間ではない。誰もがそう思っている。今回の戦闘では、皆が一対多の戦いを強いられているようなものだ。その事を、二ノ美屋店長も気がついている。いや、最初から分かっているというべきか」
「逆にこうは言えませんか。金がかかっているなら、ソレを殺せるんだと。一人きりだとしても、金の為なら」
「違う。生きる為に金は要るが、金の為に生きる者は殆どいないんだ。命がかかっているなら、目の前に金が転がっていても取りにはいけないだろう。我々のような味噌っかすが命を懸けるには、相応の動機という物が必要なんだ。分かるかね?」
柿木が一に話したような事は、店長も理解していた。彼女は勤務外というモノを心底から理解し、信頼し――――軽蔑している。だからこそ、揃いの腕章を配った。餌を見せつけ、皆殺しのお題目を掲げた。自分たちは仲間なのだと勘違いさせ、戦いの動機を与えたのである。
「……店長」
「堀、どうだった」
「やはり、集まった勤務外の殆どが新人です。一ヶ月未満の者が半分を占めていますね」
藤原がつまらなさそうに舌打ちし、唾を吐き捨てた。
「絞りかすが揃っちまったのかよ」
「こうなっては、うちの勤務外が足並みを乱す事になるだろうな。分かってはいたが」
「戦闘部に属していた三森さんを筆頭に、糸原さん、ジェーンさん、立花さんは場数を踏んでいますからね。他の人からすれば、一歩退いて彼女たちを眺める事になるのも、仕方のない事です」
「北駒台の勤務外が、よそと比べて特別優れている訳ではない。が、この戦闘だけで考えるならば、奴らと肩を並べられそうな者は限られてきている」
ここが勤務外の限界なのだ。店長は頭を抱えそうになって、堪える。
あくまで、彼らはアルバイト店員なのだ。自身に危機が迫れば、全てを投げ捨てて逃げるだろう。何せ、集められた者にはまだ逃げ場がある。ここで必死になるべきなのは駒台の者だけなのだ。あまりにも薄く、脆い。店長は喉の奥で笑みを噛み殺す。自分の手駒と呼べる存在など、最初からどこにもいなかったのだ。
『……こちらF地点。三体目の巨人を確認した。それから……』
店長は溜め息を吐き、話の続きを促す。
「言いよどむ必要はない。送れ」
『金屋の死亡を確認した。どうぞ』
「了解した。引き続き頼む」
ザッとノイズが走り、通信が切られた。店長は無線を握ったまま、長い息を吐き出した。先ほどから溜め息が止まらないのである。
「……店長」
「分かっている。使うしかないようだ。連中を呼べ」