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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
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confidence driver


 なるほど、と。マルスは勤務外と呼ばれる者たちのやり方に感心した。元『館』の魔女であり、現『円卓』のヴィヴィアンから借り受けた使い魔の性能は上々と言える。駒台に放たれた使い魔たちは、マルスの意に沿って飛び回り、戦況を監視している。それらの目を通して、マルスは戦場の様子を確認していた。

「……ヘルちゃんよお、デクどもはもうちょいこう、何とかなんねーのか?」

「どういう意味かしら?」

 ヘルヘイムの使者は苛立たしげに振り返り、マルスを見据える。

「今見てんだけどさ、火と……糸か、ありゃ? まあ、ともかくこっちの進軍を止められてんだ。これじゃあやべーよ。やべーくらい見ててつまんねー。道はふさがれちまってるし、ガンガン数が減らされてるしよ」

「そう。なら」

 マルスたちは驚きの声を漏らした。ヘルヘイムの使者は足元の大穴を消し去り、死人の兵の召喚を止めたのである。

「こいつらも無限に湧き続ける訳ではないもの。無駄遣いは控えましょう。その代わり、少しだけ勤務外を揺さぶってみせるわ」

「へえ、どーやんだ?」

「見ていなさい」



 炎の壁に向かってくる死者の兵は相手にするというよりも、ただ様子を見ていると言う方が正しかった。一班の勤務外は手近な塀を打ち壊し、家屋から家具を持ち出してバリケードの形成に勤しんでいたが、張り合いがないとすら思い始めていた。

 三森は短くなった煙草と黒焦げになっていくソレを見比べて、息を吐いた。

「こうも馬鹿だとやる事なくて飽きてくンなァ」

「……班長が士気を下げるな」

 塀に斧を立て掛けた本郷が、じっとりとした視線を三森に向ける。

「別に。押しつけられたもんだからよ、気ィ張ったって……」

 先頭の死人たちから、淡い光が漏れ始めた。気づいた時にはもう遅く、一部のソレの動きがあからさまに変化していた。

「おっ、おい!」

 頭部を庇うようにして両腕を組み、疾走する死者の群れ。……三森の生み出した炎の壁を突破し、剣を突き出してくる。近くにいた勤務外は背を向けて逃げ出した。突然の事態に、さしもの勤務外も戦うと言う選択肢は頭から消えてしまっている。

「まずいな。崩れるぞ」

 本郷は立て掛けて置いた斧を片手で掴み、素振りした。彼は大仰な動作で風を切り、その風圧で炎が揺れ、爆ぜた。

「……恐れるなっ!」

 炎を抜けたソレの体が二つに分かれる。吹き飛んだ上半身は後方のソレにぶつかり、巻き込んで再度炎の中に消えていく。

 本郷が斧を振るう度、ソレの体が砕け、散る。重量のある得物を使っているのだが、彼がそれに振り回されている様子はなかった。

「動きが良くなったが、押せば倒せる! 切れば倒れる! 退けばこちらがやられるぞ!」

「……お、おお」

 勤務外を鼓舞する本郷が最前線で戦っている。我を忘れていた他の勤務外たちも、各々の武器を持ち直し、構えてソレをねめつけた。

「しゃあっ、行くぞ!」

「ぶっ殺せ!」

「道が狭いっ、全員で掛かるなよ。やばくなったら下がってけ!」

 息を吹き返したかのように、本来の自分を取り戻した勤務外たちは、ようやくになってソレとの戦闘が始まったのだと認識する。

 だが、三森だけは不機嫌そうにして、皆からは離れたところに立っていた。……彼女は既に能力を使用し、炎を壁としている。意識が乱れれば、壁は消えてしまうのだ。そうなれば、より多くのソレを敵に回す事になる。チームプレイを考えたとまでは言えないだろうが、三森も少しは他の人間を気にしていた。混ざれないのは癪だが、ここで他店の勤務外の実力を確認するのも悪くはない。そう思い、三森はあくびを一つした。



「店長、二班から連絡です。どうやら、ソレの動きが変わった模様で、かなり素早くなった、と」

「……全く、だからどうしたという話を。だから、やる事は変わらん。殺せと伝えろ」

「おいおい、逆らう奴も出てくるぞ」

 心配そうに言う藤原だが、店長は彼の意見を鼻で笑い飛ばした。

「逆らうも何もない。誰が私の下についたと言うんだ。奴らは自分の為だけに力を振るう。だからいいんじゃあないか」

 藤原は店長の横顔をじいと見つめる。独善的とも、刹那的とも違う。彼女の考え方は、どこか破滅的なのだ。そして、彼女のやり方はいつか必ず身を滅ぼす。自身だけではない。誰かを巻き込みながら滅ぶのだ。

 ――――今、この瞬間にも。

「……おい、いっこ忠告だ。あんたのやり方はな、人を殺すぞ」

「ふざけるな。私がオンリーワンに頼まれているのはな、そういう事なんだよ」



 先程からそわそわとしている一を、柿木は興味深そうに観察していた。どうやら、彼の視線の先には大切な人がいるらしい。

「誰の心配をしているんだね?」

「あなたには関係ないでしょう」

「つれないな。……あの、日本刀を持った女子かな。それとも、その隣の少女かな」

 何か言いかけた一だが、走り寄ってくるジェーンを認めると、彼は小さく肩を落とした。

「どうやら、あの外人さんらしいね」

「さっきからしつこいですね。そんなに構ってもらいたいんですか?」

「ふふふ、君も中々、女というものをくすぐる男だ。私はね……」

「お兄ちゃーん! ソイツショットしてキルしてもいーい?」

「ダメ」

 ジェーンは心底から楽しそうに一の体にまとわりつく。これでもっと甘やかな台詞を言えばいいのにと、柿木は苦笑した。

「やあ、三班の班長さん。楽しいかね?」

「うん、アナタがいなければもっと楽しくなれるケドね」

 と、ジェーンは満面の笑みを浮かべる。

「で、誰? お兄ちゃんの何?」

「何でもないよ。余りもの同士近くにいるだけ」

「もーうっ、お兄ちゃんったらー。アタシがいるじゃない、余ってなんかいないのにー」

「ところでジェーンさんや。もうちょいしたら交代で前に行く訳だけど。大丈夫だよな?」

「イッエース、お茶の子ライノライノ!」

「……なんだって?」

 聞き慣れない言葉に、柿木は首を傾げた。ジェーンは不機嫌そうな様子を隠す事もなく、目を細めて舌打ちをする。

「お茶の子さいさいって意味ですね」

「ああ、なるほど。ユニークな……ええと、少年、君の妹さんかね?」

「ノウ、アタシはお兄ちゃんのコイビトだから」

「妹です」

「アウチッ」

 柿木は一とジェーンを見比べる。彼はその視線を受けて意味ありげに笑みを深めた。

「そうか。可愛い妹じゃないか。しかも仲がいいみたいだ。羨ましいね」

「お兄ちゃん、この人、いい人だネ!」

 戦闘中にも関わらず、この気楽さは羨ましいと思えた。ジェーンが戦いに慣れているのか、もしくはネジが外れているか。きっと後者だろうと決めつけ、柿木はうんうんと頷く。

「前線はこう着しているらしいからね。まだ、マルスとやらが出てこないんだ。そいつが出るまでは特に何も起こらないだろう」

「だけど、ソレの数は多いって。楽観的過ぎませんか」

「悲観的過ぎるのは生きていて疲れないかい? なんて、いや、対立するつもりはないんだ。それに、君の言う通りかもしれないね、少年」

「……どういう意味ですか?」

「こう着状態を嫌うのは、何も実際に戦っている相手だけではないはずだ。……我々の戦闘を見ている者は必ずいるよ。興味本位の野次馬か、巻き込まれた被害者かも」

「漁夫の利を狙うアウトサイダーかもね」

 幼い少女特有の笑みを消し、ジェーンは暗い光を瞳に宿していた。伊達に勤務外をやっているわけではないのだろう。柿木は彼女の評価を改めた。

「そうだね。虎視眈々、機会を窺っているのかもしれない。用心するに越した事はないという話だよ」



 糸原の張った結界を抜けたソレだが、しかし、待ち受けていた別の勤務外によって地に叩きつけられる。

「はーい、次のお客様いらっしゃいまーす」

「いらっしゃいませえ!」

 棍棒に頭部を粉砕され、死人の兵士が動きを止める。びくびくと痙攣を繰り返し、やがて完全に動かなくなった。

「どんどん来やがる……」

「どんどん死ぬけどな。あ、死んでんのかな、もう」

「接客業舐めんなコラァ!」

 糸の結界は、動作の素早くなったソレに対しても有効だった。が、糸原の負担は時間が経つに連れて増す。彼女の額には汗が滲んでおり、涼しげだった表情も、次第に疲労の色が濃くなり始めていた。

「さあて、どうすっかねえ」

 屋根の上にいる黄金からも糸原の様子ははっきりと見て取れていた。ここで彼女を下げてもいいが、戦線の維持は困難になるだろう。彼は班長という面倒な役目を押しつけられたのを恨んだ。

 一班に援護を頼むか。それとも交代を早めてもらうか。それとも……。

「おおい、あんた平気かあ?」

 呼び掛けられた糸原は黄金を見上げ、鬱陶しそうに顔を背けた。

 見かけよりも強情な奴だと、黄金はますます糸原が嫌いになった。

「班長」

 黄金と共に屋根へ上ったのは、得物が金属製のブーメランだという女である。短い髪をかき上げた彼女は、眼下に蠢くソレを見据えていた。

「そろそろ三十分だよ。どうすんの?」

「交代のタイミングは司令部のニノさん……あ、いや、ニノ美屋さんが決めるらしいから、それまで待機だあね」

「じゃ、スーツのお姉さんはあのままだね。あの人抜けたら、ちょっとやばいかもだから」

「やっぱそうか。きつそうだけど、あと少し我慢してもらうしかねえなあ」

 弓で援護するにも、数が違い過ぎる。矢の数には限りがあるが、ソレの数には圧倒的に足りないのだ。焼け石に水とはこの事かと、黄金はやり切れない思いを胸の内にしまいこんだ。



 一、二班が戦闘行動を開始して、間もなく三十分が経とうとしていた。三班、四班の班長に交代に関しての注意点、交代してからの行動について指示を与えた後、店長はじっと腕時計を見つめていた。

「三班はどちらと交代させるんですか」

「ん、ああ、二班とだ。糸原が酷使されているようだからな」

 三班は集められた勤務外の中でも、比較的足の早い者たちで構成されている。

「三班を先行させるのもよかったが、足が速い分、他の班との足並みは揃わんだろうしな」

「急造ですからね。どうしても息は合わないでしょう」

「そもそも、うちの連中だけですら団体行動が難しいんだ」

 少し、気が緩んでいたかもしれなかった。定時報告よりも早いタイミングでの無線が入り、店長は目を見開く。頭の外に置いていなかったとはいえ、まず起こり得ないであろう事を耳にしたのだ。

「……店長?」

「くそっ、三班と四班に連絡だ。道を開けさせろ。それから、一班と二班にもだ」

 銜えていた煙草を吐き捨て、店長は椅子から立ち上がった。

「間もなく見えるぞ。南の亡霊だ」



 駆ける。駆ける。四つん這いになって疾駆する。涎を垂らしたまま、目を血走らせたまま。

「がっ、がふっ、ふっ!」

 喉から迸るのは獣を思わせる声であった。……しかし、駒台の街を走るのは獣ではない。彼らは人なのだ。人である事を捨て去り、忘れ去った、

「グオオオオオオッッ!」

 狂人である。

 南駒台店が襲撃された際、ミーティングに参加していなかった為に難を逃れた、勤務外店員だ。だが、彼もまた死地へと赴く。

 今や獣と化した勤務外二人を引き連れているのは、中空を飛ぶ一羽の鷹であった。

 鷹の正体は、マルスたちから逃げ出した南駒台店の長であり、女神でもあるフレイヤ。彼女の目的はただ一つ、自分たちを蹂躙し、陵辱したモノへの復讐である。彼女らは人外と勤務外以外、誰もいなくなった街を往く。

 必ず、殺してやる。

 鷹が鳴いた。猛禽の瞳がぎらりと輝き、眼前に立ちはだかるものたちをねめつけた。



 最初は猪かと思った。走ってくるものが間近に迫るに連れ、輪郭がはっきりとし、正体が分かった。

「ひっ……!」

 それは、人であった。巨体を震わせ、まるで獣のように走る男の目は血走り、口からは涎が垂れている。

「止まるなっ、避けろ!」

 今日、ここに呼ばれた関東出身の勤務外店員である女は、自身に飛び掛ってくるモノを理解する事なく、ソレの一匹すら倒す事なく、腹部を抉られ、ブロック塀に華奢な体を叩きつけられた。



『アタシよっ! ボス、これはどういうコトなの!?』

「……ゴーウェスト、だから伝えたろう。アレは南の野獣だ。誰かやられたのか? 送れ」

『送れも何もナイっ! 一人やられた! 動かないの、早く医療部を呼んで! じゃないと』

「了解した。そこで待て」

 店長は無線をその場に置き、堀を手招きした。

「何かあったんですか? 怒鳴り声が聞こえましたが」

「三班と南が遭遇した。こちらの勤務外が一人やられたそうだ。車を出して怪我人を回収するよう、医療部に伝えろ」

 堀は何か言いたげな顔をしていたが、静かにその場を後にして、店内へと入っていく。しばらくしてから、慌ただしげにして医療部の人間が飛び出してくる。彼らは駐車場に停めてあった車を回し、三班が待つポイントへと向かっていった。

「やれやれ、初の負傷者だが、まさかお仲間にやられるとは。苦労しているようだ。それとも、これもあなたの予想通りの結果かね?」

「……柿木か」

 一部始終を聞かれていたらしい。店長はふらふらとしている柿木を横目で見遣る。きっと、彼女は一に事実を伝えるのだろう。綺麗事の好きな彼は、きっと悔しくて歯噛みするのだろう。



 店長のもとから戻ってきた柿木は、どこか楽しげであった。

「おい、てめえ。てめえだよ、役立たず」

 肩を叩かれて振り向くと、石見が見下ろすようにして睨んでいた。一は彼と目を合わせず、疲れた風に息を吐く。

「何なんだ、君らは。どこまで俺に構って欲しいんだよ」

「ああっ? 誰が誰に……! 俺ぁてめえが気に入らないだけだ」

 お互い様だ。内心で呟き、一は煙草をつまみ上げる。火はつけないで、それを弄んでいた。

「よしかさんと喋ったくらいでいい気になってんじゃねえぞ」

「……ここへ何しに来たんだよ? ソレと戦う為に来たのか? それとも、喧嘩を売りに来たのか?」

 先刻から桜江がおろおろとしていたが、一は見て見ぬ振りを通す。

「医療部が出てったのは見たろ。誰かが怪我をしたんだ。誰かの代わりに。もしかしたら、君がそうなってたかもしれない。余計な体力使う暇があるんなら……」

「ぶん殴ってやる! てめえそこ動くなよ!」

「真横にいる奴に何言ってんだ?」

「そこまでだ、少年たち。何をいきり立っているのかね。前線は今やてんてこまいだ。彼らに悪いとは思わないのかな」

 どの口で言うのだと、一は柿木をじっと見つめた。

「南駒台の生き残りとやらが乱入したそうだ。ニノ美屋店長がどう対処するのか見ものだね」

「……? 店長は文句を言わなかったんですか? そんな事、聞いたって答えてくれる人じゃあないですよ」

「だから勝手に聞いてたんだ。だいたい文句を言われる筋合いはない。私たちは切り札という奴だからね。それよりも石見くん、彼にちょっかいかけるのはやめたまえ」

 石見は何も言わず、ただ、申し訳なさそうにして一たちから離れていった。

「あっ、あ、お、追いかけた方がいいの、かな」

「やめたまえ。彼のプライドに傷をつける。……で、君ならどうする。南駒台の生き残りをどうする?」

 その生き残りの中に、ヒルデたちはいないはずだ。彼女なら、味方の勤務外を傷つけるような戦い方はしない。一はそう信じている。

「どうもこうもないでしょう。ほっとくしかないと思いますよ」

「そうか。しかし、これで状況も少しは動くだろう。どういう風に転がるかはさっぱりだがね」



 咄嗟の判断であった。糸でソレの進軍を阻み、戦線を維持するよりも、糸原は自らに迫った危機を回避した。

 地面を転がるようにしてドローミを手元に回収し、糸原は通り過ぎていったものたちの背を認める。

「なんだあアリャ!? あんなのありかよ、つーか誰だよ!」

「……南のヤツね。確か、バーサーカーとか言ったかしら」

「バーサーカー? 元班長、あんた何か知って……うおっ、きたきたきた!」

 結界を貼り直す暇はない。糸原の隣にいた勤務外の男は得物を振るい、ソレの腹を突き刺す。糸がなくなった事により、死者の兵の攻勢は止められない。……とはならなかった。

「…………人間かよ?」

 鷹が一直線に飛ぶ。それに追随していたバーサーカーは、障害物を蹴散らしながら前へと進む。死者の兵は圧倒的なパワーによって叩きつけられ、粉々にされ、宙を舞い、その身を散らした。

「離れろ巻込まれんぞ!」

 糸原は舌打ちし、猛攻を掻い潜ってきたソレの頭を蹴り飛ばした。



 バーサーカーの猛威を屋根の上から見ていた黄金だが、彼は後方に目を向けた。交代時間はとうに過ぎている。三班のメンバーが誰一人として姿を見せないのは、恐らく、バーサーカーのせいなのだろう。

「アレを、ニノさんはどうするつもりだあ……」

 誰かの命令を、と言うより、あの狂人たちが人語を解するとは思えない。彼らが何者で、何者の意思によってこの場に現れたのか、まるで分からない。

 しかし、戦闘力に関しては目を見張るものがある。腕力、瞬発力、身体能力に恵まれたのを活かし、素手でソレに立ち向かう姿は、離れたところから見る分には頼もしくもあった。

 居並ぶ死者の軍勢を、一体残らず端から殺して回る。黄金はじっと狂人の様子を観察していたが、それもそうかと納得した。闘争本能に身を任せる二人の獣は、理性が取り除かれている。人としてのリミッターが外れているのだ。目に映る動くモノへと襲い掛かるだけで、そこに意味や目的はない。……何と哀れで、何と愚かな生き物だろうと、黄金の目から涙が零れた。



 ソレが剣を振り下ろす。バーサーカーの腕に刺さったはずの刃は、硬いものにぶつかったかのようにして跳ね返された。そうして、剣を振るったソレの頭蓋が軋み、弾ける。

「ウルルルウぅぅおおおおおおおっ!」

 絶叫は死者の耳に届かない。狂人と野獣は四肢を余さず使い、時には頑強な歯を利用し、ソレの腐肉を食いちぎる。狂人が殴れば、死者は後方へと仲間を巻き込みながら吹き飛んでいく。野獣が蹴れば、死者はその場に縫いつけられるようにして躯を晒す。

 二人の獣が進む度、局地的な嵐が通り過ぎたかのような有様となっていた。

 見境などない。彼らの行為を遠巻きで、黙って見るしか出来ない勤務外たちであったが、鷹の鳴き声が轟いた。その声に従うかのように、鷹の行く先をバーサーカーも追いかけていく。



 マルスは焦燥感に駆られていた。使い魔の目を通した先に映る、一羽の猛禽を見て、自身の滾りを抑えられなくなっていたのである。彼は足踏みをしながら興奮した様子で何事かを喚いていた。

「おっ、おっおっおっ! おっほっほっほう! マジだ! マジだすげえぜ! すげえぜあいつら! あの女! きやがった、極上のっ、オレ様に抱かれる為によう!」

 死者の軍勢が蹴散らされていく様すら、猛追してくる狂人や野獣ですら、マルスにはどうでもよくなっている。こちらへ向かってくるフレイヤだけが、彼を虜としていた。

「……お父様、どうしたのかしら」

「何かいいもんが見えたんじゃないのか?」

「くるくるくるくるくるっ、おっ、おめーら準備だ! 出迎えは丁重に! 豪勢にな!」

 復讐者の足には数キロの距離など大して意味はない。死者の兵を必要最低限に薙ぎ倒しながら、すぐそこまでフレイヤたちは迫っていた。

 マルスはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて、使い魔の視界を邪魔だとして切り離す。遂に、肉眼で捉えられるところにフレイヤが見えたのだ。

「ちょっと、ボコスカやられてるみたいな事言ってるけど、アレ、借り物なのよ。ここまで減らされるなんて……責任は取ってくれるんでしょうね?」

 ヘルヘイムの使者が放った不躾な物言いにも、マルスが機嫌を損ねる事はなかった。彼はうんうんと頷き、

「オッケエエエエエエエ! その分いいもん見せてやるぜ、やりたい奴が前に出ろよ! 早いもん勝ちだかんな!」

「……ほう」

 と、敵を捉え、いち早く目付きを鋭くしたのはベローナであった。マルスの姉でもある彼女は、返り血を受けたままでぼさぼさになった長髪を掻き毟り、両の拳を合わせて立ち上がった。ベローナは長い舌で自らの唇を舐め回し、向かってくる狂人へと飛び掛かる。

「ウゥウウルルルルラァァルルルアアアアアアアアアア!」

「私向きだな、こいつは!」

 狂人とベローナの拳が衝突した。お互いがその反動で後退し、一秒たりとも迷う事なく前へと突き進む。互いの吐息が鼻先まで当たるほどに肉薄した格闘戦を見て、マルスの子たちは皆、血が滾り始めた。

「姉ちゃんに先越されてんぞぉ、てめーら!」

 雄叫びを上げる野獣へと向かったのは、ティモールとフーガ、双子の兄弟である。彼らは自らの得物である西洋風の剣を構えた。

「じゃ、俺らはこいつでいいや」

「はーい、出遅れた奴は手ー出すなよー、出したら殺すからな」

 ティモールは黒いコートを翻し、野獣へと切り掛かる。その動きに呼応して、弟であるフーガは野獣の足元を狙った。

 始まった二つの戦闘を満足げに見遣ってから、マルスは鷹を――――フレイヤを見つめた。

 変身を解いたフレイヤは、その身に何も纏っていない。幾つかの装飾品と、ただ、赤いマフラーだけを首元に巻きつけ、その先端をだらりと垂らしていた。彼女は左耳につけた大きなピアスを指で弾き、マルスを見返す。憎悪で彩られた顔貌は、彼を強く惹きつけた。

「待ってたぜえ。なあ、マジの名前を教えろよ? 今からメチャメチャに愛し合うんだ。名無しの女とヤるのも悪くはねーが……」

「その口を閉じなさい、下種」

「……オレ様はマルス。自分を抱く男だぜ、ちゃんと見とけよ、なァ? おい」

「マルス? ふ、そう、マルス……ふっ、くっ」

 フレイヤは堪えられないといった風に笑みを漏らし、落ち着く為に呼吸を整えた。

「館に迎える価値もない愚物。ヘルヘイムすら生温いわ。その穢れ切った魂、ギンヌンガガプへ送ってあげる」

「そうかい」

 呟き、マルスはにいいと口の端をつり上げる。

「ぎゃっは、いいぜいいぜ、女ってのはそーこなくっちゃあな! 無理矢理組み敷くってのも悪くねーもんなあ!」



「金屋たちにはあのまま好きにしてもらう」

 言い放った店長は、それ以上は話すつもりがないとばかりに顔を逸らした。

「……それは、彼女らを見捨てると言う事ですか?」

「待てよ。待てって。南の勤務外はソレの数を減らしたし、マルスたちに迫ってんだ。ルートはある程度出来てる。決死で走り抜けば……ここで援軍よこせばよ、この戦いは決まるかもしれねえんだぜ」

 藤原も堀の意に同調する。二人は、仮にも南駒台店の店長――――同僚である社員を助けようと思っていたのだ。が、店長は取り合わない。その様子すら見せない。

「あくまでアクシデントだ。奴らがソレの頭数減らしてくれたのは有り難いがな、こっちの勤務外も一人減らされている。マルスに迫ったとは言え、奴らは意気軒昂としている。確実に仕留められるか? 第一、誰が行きたがる? 敵味方関係なく暴れ回る奴らがいるんだぞ。連携など取れるとは思えんし、三班の連中は南に対して強い敵意を抱いているだろうな。援軍? 馬鹿な、死人を送り込むようなものだ」

「しかし、金屋さんを見殺しには……」

「自殺のようなものだ。空を飛んで辿り着いただけでマルスを殺せると思っているのだろうが、相手の手の内も未だ見えないままなんだぞ。金屋が一人で、勝手にやっている事だ。奴も、まさか我々の助力を得られるとは思っていまい。……思っているのなら、よほどの阿呆だ」

 それでも堀は引き下がらない。店長は面倒くさくなり、彼を冷たい目で見つめた。

「だったら言ってやる。私は見捨てる。金屋を、お前らの同僚を、神の一柱だかをな。何が仲間だ。くだらん。知るものか。これだから『カミサマ』とやらは気に食わないんだ。スタンドプレイで先走った結果がこれだぞ。奴を助けに行ったとして、生きて戻って来られるか? 勤務外が死に、お前らは責任を取られるか? やりたいのならお前らがやればいい。まあ、マルスの仲間の内、誰か一人でも殺してくれれば儲けものだな」

 堀も、藤原も言い返さなかった。彼らは物事を割り切る術を知っている。秤に掛けて、どちらが重たいものなのかを選べるのだ。南駒台店を束ねられる人材を――――女神の一柱を失うのは痛いが、多数の犠牲を出してまで金屋を救う事も難しいのである。そして何よりも、戦場においては自業自得とも呼ぶべき行動を取ったのは彼女本人だった。

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