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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
マルス
245/328

夜が揺れている



 午前一時五十分。

 オンリーワン北駒台店の入り口前で、パイプ椅子に座った店長は視線だけを空に向けた。

「晴れてよかったな」

 ぼそりと呟き、彼女は四つの塊を見遣る。勤務外たちが店長だけを見据えていた。

「……どうぞ」

 堀から差し出された拡声器を受け取り、店長はそれを胸の前に構える。……壮観だった。今から、自分の意のままに動く人間が集まっているのだ。枯れ、冷え、死んだと思っていた心が踊る。すう、と、店長は一度だけ深呼吸をした。

「各班長だけ前へ。渡したいものがあります」

 抱えていた段ボール箱を地面に置き、堀は箱の中から腕章を取り出す。黄色と黒の警戒色に染まったそれを掲げ、堀は相好を崩した。

「オンリーワンの人間として、共に戦う仲間として、一目で分かるように左腕につけていただきます。無理強いはしませんが、同士討ちを避ける意味でも是非お願いしますね」

「それから、班長には無線を渡しておく。使い方は……」



 午前一時五十分。

 オンリーワン南駒台店の入り口前で、地べたにどっかりと座り込んだマルスは前方に視線を向けた。

「集まってくれたもんだぜ」

 血が沸き立ち、心が躍る。今から、あそこに集まっている者たちと戦えるのだ。好きなだけ殺せる。たまらないな、と、マルスは一度だけ舌なめずりをした。

「時間は?」

「十分前だ。なあパパ、ゲストってのはいつ来るんだ?」

「あー、もう来てる」

 マルスと向き合うようにして体育座りをしていた者たちは目を見開く。

 突如、マルスの背後から女が現れたのだ。黒いフードを頭まですっぽりと被り、右腕に包帯をした線の細い女である。

「紹介すんぜ。『円卓』のお仲間兼、オレ様の愛人の……」

「必要ないわ」

 話を遮るようにして口を開いた女は、ふっと口元を緩めた。

「ヘルヘイムからの使者よ。今日の主役はあなたたち。私はその援護に回るから、よろしくね」

「……顔は見せねえのかよ」

 エニュオが血走った目を、ヘルヘイムからの使者と名乗った女に向ける。

「見られたくないのよ」

「おい。おーいおい、獲物は向こうだぜ姉ちゃん。頼むよ、マジに」

「で、初めても良いの?」

「二時ぴったりに戦争開始だ。よろしくな、ヘルちゃん」

 よろしくー、と、マルスの同胞は屈託のない笑顔を見せた。



「今日は楽しみにしていた」

「……あ?」

「三森冬。元はオンリーワンの戦闘部にいたそうだな。『赤鬼』、『火鼠』、『蜥蜴人間』。噂も、二ノ美屋のお気に入りとも聞いている」

「そうかよ。懐かしい名前を聞いちまったな。……気ィつけろよ。そのアフロをチリチリにされたくなけりゃの話だけどな」

「そうしよう」

 一班、班長三森冬。

 名古屋から来た男、本郷と他十名。



「おめえが班長か。俺らの命預けるにしちゃ、頼りねえ女だけどな」

「ふーん、んじゃ、あんたがやっていいわよ、それ」

「……え、あ、いや」

「何だっけあんた、黄金だっけ? 頼りない女で悪かったわね。でも、私はあんたが好きよ。その名前だけはね」

 二班、班長糸原四乃から黄金に。

 他、十名。



「リーダーはアタシよ! アタシのオーダーにはしたがうコト! オッケー?」

「オッケー! ……あれ? 返事したのボクだけ?」

「リピートアフタミー!?」

「お、おっけー!」

「…………大丈夫かなあ」

「青笹だっけ? あんた、体の割に小心者なのな」

 三班、班長ジェーン=ゴーウェスト。

 立花真、青笹、他、十名。



「あなたは、高井戸さんですね。私の体が気になりますか?」

「人間?」

「いいえ、私はオートマータですが何か」

「……にゃはは、キャラ作ってんなー」

 四班、班長ナナ。

 高井戸、貞光、他、九名。



「さっきはすまなかったね」

「気にしてませんよ」

「私の目を見て言って欲しいものだね。しかし、挽回する機会もあるだろう。その時は目と目を、力と力を合わせていきたいものだよ」

「善処します」

「ああ!? てめえよしかさんになんて口の利き方しやがんだ!?」

「だ、だだダメ! そんな風に言っちゃ!」

「ぐあああああいってええええ! 殴らないでくれよ!」

 どこにも属さず。

 一、柿木、石見、桜江。



 勤務外五十三名。

 オンリーワン近畿支部、医療部が九名。技術部が十名。情報部が六名。戦闘部が一名。

「店長、お願いします」

「五分前か。分かった」

 堀。オンリーワン北駒台店店長、二ノ美屋。

 計、八十一名。

 現時刻、午前一時五十五分。マルスとの戦闘開始まで、残り五分。

「勤務外、並びにオンリーワンに属する諸君」

 拡声器の音量を調整しながら、店長はゆっくりと口を開いた。



「お楽しみまで、あと五分か」

「パパー、待ちきれないよー」

 マルスは立ち上がり、改めて自らの仲間を見回した。

「今日は親父が何人やれっか賭けるか?」

「じゃ、俺は兄貴の命を賭けるわ」

 息子であるティモール。その双子の弟であるフーガ。

「お父様、こいつらまたこんな事言ってますよ」

 娘であるハルモニア。

「好きにすりゃーいいんだよ。お祭りだからな、こういうのは。騒がなきゃ損だぜ」

「……兄貴は騒ぎ過ぎ」

 妹であるディスコルディア。彼女の娘、デュスノミア。彼女の息子、ポノス。

「我慢出来なくなったら突っ込んでもいいんだよな?」

「なるべくオレ様の指示に従って欲しいんだけどなー」

 マルスの姉、ベローナ。

 ヘルヘイムの使者。

「向こうじゃあベラベラと演説みてーのしてんな」

 南駒台店に居座る九つの人外が、揃って同じ方向をねめつけた。

「パパからも何かないの? やるぞー、とか、がんばれー、とか」

「ま、楽しくやろーぜ。戦争ってのはそういうもんだ。ぶっ殺しまくって笑いまくった方の勝ちなんだからよ。逃げてく奴を殺してもいいしほっといてもいい。向かってくるのはダメだ。絶対殺せ。人間なんかに舐められたらオシマイだかんな」



「まずは先んじて礼を言う。ありがとう。勤務外諸君、君たちは縁も所縁もない土地で死ぬかもしれない。恐怖を乗り越えてここに集った諸君らの姿は何者にも勝り、美しいものだ。散らせるには惜しい高潔な魂だ。断言する。私は君たちを生かして帰してやりたいのだと。我らが同胞、南駒台店の勇士を襲ったのはマルスと名乗る暴虐の輩である。黄泉路を彷徨っているであろう同胞を送ってやるには、仇を討つ事こそが最良だとも把握している。……死の恐怖に打ち克ち、悪逆非道を歩むモノに、見事鉄槌を下した暁には報酬を約束しよう。そして、明日を約束しようじゃないか」

 一は鼻で笑ったが、店長の瞳を、声を、真正面で受け止めた勤務外たちの反応は違っていた。彼らは皆、昂ぶりつつある。

「……私は明日を約束する。その代わりに、諸君らに期待し、望む事が一つ。生存し、明日を謳歌したいと願うのならばすべき事が一つだけ。私は望む。私は願う。私は、お願いをする。感情の宿らない機械のように、唯一の意志に従う事を。服従ではない。忍従ではない。ただ、諸君らには私の手となり、足となってもらう。目で見る事はない。耳で聞く事はない。口を挟む事はない。頭で考える必要はない。陽の目を浴びない才能を持つ諸君らは、夜にこそ輝く。……殺しの才能だ。モノを殺す事に長けたのなら、その才を躊躇なく発揮すべきだ。私は望む。私は願う。殺せと、お願いをする。であるなら、私の手足そのものである諸君らのすべき事は一つだ」

 拡声器から顔を離し、店長はそれを地面に投げ捨てた。乾いた音が街中に響いたような気さえして、彼女は口の端を歪める。

「――――皆殺しだ。肉を食み、骨を噛み、魂を犯せ。爪の先、髪の毛の一本から悉く殺戮しろ。血を残すな。断末魔を掻き消せ。骸すら荼毘に付す必要はない。ただ殺せ。一匹たりとも生かして帰すな。必ず殺せ。たとえ両の足を削がれても、両の腕をもがれても、生き延びる事を考えてはならない。残った部位で確実に仕留めろ。首だけになっても喉元に喰らいつくのだと声を荒らげろ。この街に来た事を後悔させてやれ。私が望むのは託宣を受けた勇者ではない。神の庇護を受ける救世の士ではない。勇猛果敢な戦士ではない。私が望むのは、諸君ら勤務外だ。何事をも貫く刃金の心も、何者をも貫く氷の意志も必要ない。私が望むのは殺しの手管だ。築いた屍の山を、流した血の河こそを欲している。ただ殺せ。それ以外を捨てろとは言わない。ここに一時、置いていけばいい。その代わりに、必ず殺せ。食い殺せ。噛み殺せ。刺し殺せ。焼き殺せ。絞め殺せ。蹴り殺せ。殴り殺せ。切り殺せ。撃ち殺せ。打ち殺せ。叩き殺せ。嬲り殺せ。悲しまず、楽しまず、生まれた意味を理解させる間もなく、生まれた事を悔やませろ。…………時間だ」

 息を止めていた者が殆どだった。店長が話を終えた時、人外とあだ名され、蔑まれた者たちは暗い喜びを覚えていた。仄かに燃える血が回り、滞っていた頭の廻りがすうと冷え始める。

「一班、二班が先行。三、四班は三十分の後、司令部の指示があるまで待機。目標は中間地点に位置する住居、建物の奪取。占拠した後は敵の侵入を許すな。目的はマルスを筆頭にしたソレの集団、現時点で九体の殺害。復唱の要なし、各員、戦争を開始しろ」

 一班と二班の勤務外が二手に分かれ、駆け出した。その中には、薄っすらとした笑みすら浮かべる者がいる。酔っているのだ。この状況に。この状況を作り出したモノに。何よりも、自分自身に。

 午前二時。戦闘の始まりは、実に静かなものとなった。



「……素敵だ」

 柿木が陶然とした表情を浮かべている。彼女は火照った頬に冷えた掌を当て、気持ち良さそうに目を細めた。

「素敵?」

「ああ。素敵だとは思わないかね、少年」

 一は答えず、段々と遠くなる三森の背を見つめていた。

「聞いたかね、あの声を。ああ、他の皆は見たんだろうね、彼女の目を。……実に、手慣れている」

「よ、よしかさん? お、おい、みと。よしかさんが……」

「酷く慣れているんだ。二ノ美屋店長は人の上に立つ事に、人を操る事に、人を使う事に慣れている。あの話を聞いたかね? 人間を死地へと送るという事実に、彼女は一瞬すらも目を向けていないのだ。当たり前のようにモノを殺せる人だ。考えられない。信じられない。彼女の目には、我々はどう映っているのだろうね。果たして、人の形をしているのかな? それとも、彼女は我々を人として捉えられているのかな?」

「ソレをぶち殺したいなら、あなたも出ればどうですか?」

 睨みつけるような一の視線を受け、柿木は涼しい顔で答える。

「何を言っているのかね、少年。私は二ノ美屋店長の思想を素敵だと言ったのだ。私は別に、彼女の思想に染まり、ソレを殺したいわけではない。そして、彼女に騙されるつもりも乗っかるつもりもない。……少年。厳密に言えばこれから行われるのは、戦争ではないし、ましてや彼女が言っていた集団戦とやらでもないのだよ。確固とした意志などもとより存在しない。人間だろう? 我々は機械ではないし、何者かの手足となる事も有り得ない。分かるかね? 人が人を辞める時というのは、ここではないどこか、今ではないいつかであるべきだ」

 熱が篭っていた。一は握り拳を解き、外気に掌を触れさせる。

「ほら、始まるよ?」

 何がだと問う前に、柿木が一の肩を掴んだ。弱々しく、今にも倒れてしまいそうな彼女を、一は振り払う事が出来ないでいる。

「私には、いや、私だから分かる。感じるんだ。ほらっ、もうすぐ来るぞ」



 中間地点へと急ぐ一班の勤務外は足を止めた。恐らく、二班の者も同じものを確認したはずである。

「……何か、動いてるよな」

 十一対の瞳が凝らそうとする闇の先、蠢くモノがある。アレはよくないものだと、皆が理解した。

「班長、無線だ。それ使え! どうなってんだ? 何なんだありゃ!?」

 数秒前まで満ち満ちていた闘争心は掻き消え、未知の脅威を目の当たりにし、今はただ恐怖と驚愕に掻き回される。勤務外たちは無線越しの、店長の指示を待った。



 対マルス戦において、斥候を務める情報部は六名おり、彼らの中でも、最も敵陣に近いところにいた男は無線を取り落としそうになっていた。

「……こちらA地点。ソレだ。多数のソレを確認した」

『こちら司令部。出現したソレの詳細を伝えろ。送れ』

 詳細。それを伝えるべく、情報部の男は改めて、眼下に広がるモノを見た。

 それは、死体である。

 国籍も、性別も、何もかもがばらばらなのだ。だが、ソレは皆武器を手にしている。剣、槍、棒……統一性など殆ど見当たらなかった。足取りのおぼつかない彼らは、一定の速度で歩き続けている。地上を埋め尽くさんとする死の行進にも思え、男はめまいを覚えた。

「死人の兵だ。それだけだ。詳細なんてない。まっすぐに店へと向かってやがる」

『魔女の使っていた骨の兵士か?』

「いや、似てるが違う」

『数は? 目算でいい』

 死体が歩く。肉が腐り落ちたであろう箇所からは骨が覗いている。言葉を発する事もなく、表情を崩す事もない。まるで悪夢だと、男は無線を口元に持っていく。

「数は、数千……? いや、増え続けている。まただ。まだ増える。とてもじゃないが数える事は出来ない。南駒台店から、ずっとだ。奴らはそこから湧いている」



 情報部の無線を受けた店長は腕を組み、前方を睨み据えた。

 一班、二班に繋がるトランシーバーを手にした堀は藤原に目を向ける。

「……死体が? いや、それよりもなんつー話だよ。どんな魔法を使いやがったんだ」

「情報部は昨晩からマルスたちの様子を探っていた。大所帯には見えなかったとの報告を受けている。なるほど、魔法だ。確かに魔法だよ」

「しかし、『館』が参戦しているとは思えません。数千、数万の兵を無尽蔵に呼び出すほどの力の持ち主も、そうはいませんよ」

 だが、現にそれが起こっているのだ。恐らく、最後に姿を見せた、右腕に包帯を巻いた女の仕業だと店長はあたりをつけている。相手は軍神である。『館』に所属しない魔女が存在しても不思議ではないのだ。

「どうすんだ? 相手が違うぞ。マルスって野郎が出張ると踏んでたってのによ」

「まずは一、二班に伝えろ。やる事は変わらんとな。ただ、ソレの殲滅よりバリケードを優先させろ。当分は、マルスたちは出てこないつもりだろうからな」

 頷き、堀は無線で指示を与える。反発の声は聞こえたが、彼は黙殺した。せざるを得ないのだ。

「だがよ、バリケードたって全員そんなもん持たせてなかったじゃねえか」

「塀がある。壁がある。家がある。障害物となるものは近くに幾らでも転がっているだろう。それに、三森と糸原がいる。あの二人の能力なら多数を相手にするのも苦ではない」

「……この展開を読んでたわけじゃねえよな?」

 店長は藤原に答えず、目を瞑った。……マルスがやりたいのは戦争なのだ。一方的な殺戮ではない。少なくとも、今は。不利になれば本気になってかかってくるだろうと予想はしている。

「ふん、こちらに付き合うつもりか。言わば前哨戦、間引きにかかったわけだな」

 呟き、店長は煙草に火をつける。勤務外にやらせる事は変わらない。仕事の量が増えただけなのだ。



 手を叩いて高笑いするマルスを見遣り、ハルモニアは苦い表情を浮かべた。

 ヘルヘイムの使者の足元には深淵が存在していた。彼女が呼び寄せたであろう大穴は、決して覗き込んではならないものだと感覚で理解する。

「すげえな、こんなんあったらぜってー負けねーじゃん」

 ティモールの意見に、ハルモニアは同意しなかった。大穴からは淡い光が明滅している。自分たちには一生理解出来ないであろう魔法の領域だと、彼女は認識していた。ここから無限に湧き続ける死者は、ヘルヘイムの使者の命令にしか従わないのだろう。

「ぎゃっは! ぎゃは! すげーな! すげーいい! 地味だけど楽しくなりやがんなこりゃあ! いいのかよ? いいのかなー、オレ様たちだけこんなに楽しちまってよう!」

 なのに、マルスは何も気にせず笑っている。もし、使者の機嫌を損なえば、あの死の河とも呼ぶべき大軍を相手にせねばならないのだ。

「……いえ、お父様はそれすらもお楽しみになるのでしょうね」

 思わず、口元が緩んだ。今は、今だけはこの光景を楽しもうと、ハルモニアは心に決めた。



 蝙蝠がきいと鳴き、翼をはためかす。

 南駒台店から伸びる死者の行進は一キロメートルにまで及んでいた。疲れを知らず、恐れを忘れた兵を盗み見て、魔女は溜め息を吐いた。

「魔女なんかの仕業じゃないね。ほら、あんたも見ときな。あんな真似は出来ないだろうけど、お勉強にはなるだろうさ」

「……お師匠にも無理なんですか?」

「あたしにゃ無理さね。ヴィヴィアンなら余裕だけど。そもそも、ありゃあ自分の力で死人を呼び出してる訳じゃあない。かと言って、兵士を作っている訳でもない」

 使い魔の目を通して見る風景は、酷く歪み、澱んでいた。

「どこからか持ってきたんだろうね。死人を兵士に変えて、そいつらをどこかに置いてるんだよ。あいつの足元に空いたどでかい穴がどこかに繋がってるんだ」

「ヴィヴィアンさんも同じような事をしていましたね」

「ああ。……パッと見たところ、あの包帯女はただ繋げただけだろ。でも、死者は誰かの借り物さね。褒めるべきなのは強靭な精神力ってところか。アレだけの数、借りるだけにしても相当しんどいはずだからね」

「では、あの死者は包帯の女性が操っている訳ではないと?」

 恐らくはね。

 そう言って、女は――――『館』の魔女、ランダは頷いた。そうしてから自らの弟子、レヤックを見つめる。

「元気になって、面白そうなものを見に来たら、いや、思ってたより面白そうな事になってるじゃないか」

「どこがですか。はた迷惑もいいところですよ、こんなもの」

「……もしかしたら、いとしの立花が死んでくれるかもしれないね?」

「あいつが死ぬ前に殺します。私はそのチャンスを待っているんですから」

 まだ諦めていないのか。ランダは息を漏らし、愛用している三角帽子を被り直した。

「何にせよ、あたしらが出るところじゃないよ。まだまだ始まったばかりだ。たんと見物させてもらうさ」



「……切られた。ダメだな、やるしかねえべ」

 黄金は肩を落とした。二班の士気は低い。それでも彼らは足を止める事もなく、目標の地点へと近づきつつあった。

「なあ、一万のゾンビとやり合うのか? なあ、本当に?」

「……私、帰りたい」

 弱音を吐く者たちを見ても、糸原は落ち着き払っていた。大軍を相手にするのだ。恐ろしいに決まっている。更に、それを退けたとしてマルスたちが残っているのだ。疲弊した体でどこまで戦えるのか。果たして、生きて帰られるのか。不安になって当然なのだ。そのはずなのに、糸原の足取りはいやに軽かった。

「逃げ帰っても死ぬだけよ。どうせ安全な場所なんてないんだし」

「おめえ、班長を俺に押しつけといて……」

 多分、この状況を頭のどこかで予測していたのだろう。そう、糸原は認識している。……軍神と戦うのなら、自分が先行する可能性は低い。個人の技量、実力でなら立花やナナの方が上なのだ。その事は糸原も知っている。あの店長も知っているはずだ。ならば、自分や三森が先行させられた理由は一つだ。三森と自身の共通項に思い至り、彼女は、悔しい、と、唇を噛み締める。

「ま、腹括る場面なのも確かだあ。よしゃ、二班は俺、黄金に続けよ」

「指図すんじゃないわよ」

「偉そうだなおめえ!」



 本郷は自分の立っている場所が戦場だと、暫しの間忘れさせられていた。彼の目に映るのは、炎だ。燃え上がる紅色の壁が、本郷を感心させていた。

「これがお前の力か。凄まじいものだな」

「よっしゃ、その辺の塀ぶっ壊せ。投げつけまくってバリの代わりにすんぞ!」

「おい、誰か上に上がれっ。ここで粘るしかないんだ!」

「二班は?」

「反対側で暴れてるってよ」

 焰に行く手を遮られても、死者は決して歩みを止めない。止まる事すらを忘れているのだ。皮膚が焦げ、肉が爛れ、骨が灰になろうが愚直に進み続ける。その光景を眺めながら、その光景を作り出した三森は煙草に火をつけた。

「あー、一斑だ。悪ィ、真ん中取れなかった。その手前で陣取ってソレと戦闘中。どうぞ」

『……こちら司令部。いや、よくやった。可能なら二班と連携を取りつつ戦線を維持しろ。送れ』

「あいよ。可能ならやっとく。ンじゃな」

 無線を切り、三森はそれをポケットにねじ込む。邪魔臭いなと、彼女は独りごちた。



「向こうでなんか燃えてんな」

「確か、火を使える勤務外がいるって聞いてたわね。そいつじゃないの?」

「すげえよな。……まあ、こっちもすげえけど」

『こちら司令部。状況はどうなっている? 送れ』

 無線を握り締めた黄金は舌打ちをした。どうもこうもない。まさか、糸原四乃がここまで使えるとは思ってもみなかったのだ。

「元班長があ、糸でソレの足を止めてる。中間地点の手前でバリケードを構築して……ああ、今屋根に上った奴が、一班の連中も見えたみたいだ。こっちに向かって手を振ってるらしい。どうぞ」

『了解した。そのまま戦線を維持、必要になれば一斑と連携してソレを叩け。送れ』

「了解」と返し、黄金は前方を見る。

 死者の軍勢は足を止めない。糸の結界によって、その身が裂かれようが、刻まれようが、ひたすらに歩き続け、『死に続ける』。

 最前線の糸原は塀に背を預け、つまらなさそうにソレらを見つめていた。彼女は時折指を動かし、糸を操るだけに留まっている。なんて生意気な女なのだと、黄金は鼻息を漏らした。



 北駒台店の前に置かれたホワイトボードを睨むようにして見ているのは、腕を組んだ店長である。一班、二班の報告から、目標としていた地点の占拠には至らなかったが、ソレの大軍を先んじて制する事は叶った。三森の炎と糸原の得物ならば、脳なしの相手をするのは簡単過ぎる。

「F地点から定時報告を受けました。『動きはなし』との事です。……交代はどうしますか?」

「三、四班との交代か? させるさ。少しは慣れさせる必要がある。が、悩ましいな。三森と糸原を退かせるのは惜しい」

「しかし先を見越して温存する必要もあります。やはり、マルスたちが出てこない内に一度は交代すべきかと」

 分かっている。頷き、店長は頭の中で現状の整理を始めた。

 一班、二班はそれぞれが『壁』を作り、死人の兵を足止めしている。その間、他の勤務外はバリケードを形成し、高所に見張りを立て、戦線の維持に努めている。ここまでは順調と言えるが、問題はこの後だ。維持するのは簡単だが、その先へこちらの『兵』を進めるのは困難である。オンリーワン側がソレの大軍を見逃すつもりがない為、数千、数万にも上る数の死人を相手にせざるを得ない。右腕に包帯を巻いた女を殺害出来れば死人の兵の出現を止められるだろうが、進路を塞がれている以上は大軍を相手にする必要がある。塀の上を伝わせ、小道を使えば戦闘を回避しながら進めるが、その先にはマルスがいる。また、彼らは『ズル』を認めないだろうとも思われた。こちらが死人の兵を無視すれば、機嫌を損ねた軍神が力を振るうかもしれない。店長からすれば、考えなしの衝突は避けたいところであった。

「勤務外が死人ごときに後れを取るとは思えません。が……」

「ああ、こう着状態に陥るのも避けられん。我々の目的はソレの殲滅だが、奴らの目的はそうではない。『つまらない』、『飽きた』と思われれば別の手を打ってくるだろう。あるいは、そのまま打って出てくるだろうな」

 無理をすれば死人の兵を殲滅し、ソレの塒となった南駒台店まで辿り着ける。だからと言って、無闇に突っ込む事は考えたくなかった。戦闘はまだ始まったばかりである。こちらにも切り札はあるが、数は少ない。未だマルス側の戦力も不確かであり、何を出してくるかが分からない以上、先に手を見せる事は避けたかった。店長は待機している三、四班の勤務外たちを見遣り、小さく息を漏らす。時間が経てば、オンリーワン側の問題点が浮かび上がるだろう。今はただ、前線に出る者を誤魔化しているに過ぎない。どこまで持つか、それまでにマルスを仕留められるか、不安で仕方がなかった。

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