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人の形をした何かが群れを成している。
ざわめきと鋭い視線を受け、一はたじろいだ。
「行くわよ」
糸原の背に隠れるようにして、一は歩を進める。彼は無遠慮な視線に晒され、同じ人間同士だと言うのに、餓えた獣がいる檻にでも投げ込まれた気分であった。
一は唾を飲む。ホワイトボードが見え、次に、椅子に座る店長が見えた。そこまでの距離が異様に長く感じられて、彼は自分がきちんと歩けているのかどうか不安になる。
「こっちだ」
「あっ」
手首を掴まれて顔を上げると、真っ赤なジャージが目に入った。引っ張っていこうとする者が三森だと気付き、一は安堵する。
「情けねェ真似晒してンじゃねえよ」
「す、すみません」
「しようがないじゃん。あんな奴らが群がってるなんて知らなかったんだし。ま、知ってても嫌なもんは嫌だけどね」
と、糸原は周囲の人間に聞こえるように言った。
「ひゃひゃひゃ、睨まれてる睨まれてる」
「ちょ、やめてくださいよそういうのは」
「一と糸原か。これで北駒台店は全員揃ったな」
店長が立ち上がり、煙草の吸殻を遠くへ飛ばす。
「他の皆は?」
「あー、裏でビビって固まってるってよ。お前も固まっとくか?」
無言で首を振り、一はその場に座り込んだ。尻が冷えるが、これは覚悟の表れなのだと自分を誤魔化す。
「本当に人が来るなんて思ってませんでした」
「右に同じー。こいつら、みいんな勤務外なのよね? いや、こんだけいれば私らいらなくない?」
「かもしれんが、ここはお前らの街で、お前らの担当だ。矢面に立つのは誰なのか、分かっているな?」
糸原は舌を出し、一の肩に顎を乗せる。そうしてから、彼には見えない位置から目を細めた。
「で、使えそうなの?」
「……えーと、確か」
「なんであんたが説明すんのよ」
説明しようとした三森を見咎めて、糸原は嫌そうな顔を作る。
「さっき私も同じ事聞いちまったンだよ。店長は同じ事を二回言わねェ。で、あー、あっちのアフロのおっさんな」
三森の指が示す方へと、一と糸原が顔を向けた。確かに、三森の言う通り、比較的大柄な、アフロヘアの男がいる。三十代半ばの男は片刃の斧を携えていた。
「本郷とか言ったっけな。名古屋から来たらしい。ンで、店長の知り合いらしい」
「店長の? どういう関係なんですか?」
「それが戦いに関係あるのなら教えてやらんでもない」
「こンな感じで教えてくれねェんだよ。ま、あんなバカでけえもん持ってンだ。やれねェことねェだろ」
見かけ倒しにならなければいいが、と、一は詮無い事を思った。店長の知り合いというところが妙に気にかかったが、彼は押し黙る。
「後は、あっちのほせェの。ほら弓持ってンだろ? 北海道の黄金って名前らしい」
「へえ、イケメンじゃない。変な帽子被ってるけど」
一は黄金という男を見遣った。自分と同年代だろうとあたりをつけ、やはり、羽飾りのついた帽子に目がいった。前が下がり、後ろに反り上がったものである。
「ロビンフッドハットだ。キジの羽飾りがついているだろう」
「……ああ、あの人も知り合いなんですね。あっちの大きな人は?」
「野郎も店長の昔馴染みだ。東北から来た、青笹、だったっけな」
「あ、ちょい待ち。こんがらがってきた。つーか、いきなりキャラ増え過ぎ」
「今更何言ってんですか」
青笹という大男は、この場にいる誰よりも恵まれた肉体を持っていた。二メートルにも届く身長に横幅もある。おまけに、彼は空手であった。
「で、店で立ち読みしてるチビ女が関東の高井戸。レジの前でうろうろしてる眼鏡女が四国から来た貞光。……あれ? どっちがどっちだ?」
「そこまでだ三森、このままここにいる勤務外を紹介していくつもりか?」
「ンなつもりねェよ。第一、数時間後にゃあくたばってっかもしんねえんだ。名前覚えるンならその後でも構わねェだろ」
「その通り。……勤務外諸君!」
柏手を鳴らし、店長が勤務外たちの注目を集めた。一は僅かに彼女から距離を取る。
「……だからビビんなって」
「いいのよ別に。こいつは私の後ろにいさせるから」
「あ? 甘やかしてンじゃねェぞ」
「あんただって一を庇うみたいにしてるじゃない」
「わっ、私はなァ! そんなつもりなくってなァ!」
一は無言で堀の傍に立つ。
「え、私ですか。いやあ、お二人に睨まれちゃいますね」
「……漫才なら後でやれ。全員、ホワイトボードに注目。見えない者は前に出ろ」
誰も動かず、誰も口を利かない。果たして、北駒台店以外の者を味方と思ってもいいのかどうか、一の胃はきりきりと痛み始めていた。
店内にいた者たちも現れ、その場で店長をじっと見つめる。
「揃ったか、では」
「お兄ちゃんお兄ちゃん! 来るのがおそーい! アタシを待たせるなんて十年……ナニ?」
「……うわ」
ぴんと張り詰めた空気が緩む。その原因である張本人は悪びれる様子も見せない。
「アタシは社員よ。文句アル?」
「大有りだ馬鹿者」
「はじめ君はじめ君、なんかすごいね。怖い人ばっかりだね」
「え? あ、う、うん、そうだね」
「マスターマスター、すごいですね。怖い人ばかりですね」
「嘘つけ」
「……お前ら、死ねば馬鹿は治ると思うか?」
ジェーンはそっぽを向き、立花とナナは素知らぬ顔で一の腕を取った。彼は針のむしろに無理矢理座らされたような思いを味わっていたが、開き直ってアルカイックスマイルを浮かべる。
「まあ、もう、いいか。……さて勤務外。お楽しみはこれからだ。これより一時間後、我々は――――」
「戦争をはじめぇーる! 準備万端かてめーら?」
バラバラに返ってくる声を満足気に聞き届け、マルスはうんうんと頷いた。
「あと一時間な。よーしよし、堪え性のない馬鹿どもにしちゃあ頑張ったなあ。パパ褒めちゃう!」
「お父様が飛び出さないかどうかの方が不安でしたが」
「ハルちゃん手厳しいなあ、おい。まあ、ぶっちゃけちまえばオレ様もギリギリだわ。ま、あっちはあっちで人を呼ぶってな約束を守ってるみてーだしよ。どーせ始めんなら正々堂々いかねーとな」
「向こう何人くらい来てんだ?」
マルスは目を細め、難しそうに指を折っていく。
「たぶん百人くらいだな」
「……そんな来てんの?」
「親父は馬鹿だから数も満足に数えられないって」
「その半分くらいじゃね?」
「ひそひそすんな聞こえてんぞてめーら! ……そんなこんなで楽しい時間よ。こっちは今んところ数は負けてるが、スペシャルゲストを招待してる。まずは、そちらさんに幕を切ってもらうつもりだ」
訝しげな、と言うよりも疑わしげな視線を受け、マルスはくつくつと喉の奥で笑った。
「作戦はー?」
「いい質問だぜ息子。とりあえず、ゲストがガーッといくからよ、オレ様たちは様子見。いけそうだったら突っ込んで人間ども皆殺し。オケ?」
「オッケーじゃねえぞ愚弟が。作戦の意味勉強し直せ」
「した事ねーから。勉強とか。ま、逐一指示は出す。向こうのが数多くてやれるのが揃ってるからよ、こっちも駒をポーンと出して真っ向から削り合うって寸法よ」
「あ、今の歩兵とポーンをかけたの?」
マルスは咳払いをし、体育座りの面々を見回した。
「戦争ってのは」
「誤魔化した」
「誤魔化したよな」
「戦争ってのは! 昔っから派手で! 激しくて! 華がなくちゃあいけねえ。そこんとこ弁えてるオレ様だから、てめーらは暫くは楽しくお留守番だ。異存ねーよな? あったらぶっ殺す」
けらけらと、そこかしこから声が上がる。皆、楽しげに笑っているのだ。
「よっしゃ、楽しくやろーぜ」
「第一目標は北と南の中間地点だ。ここを取ればひとまずは落ち着ける。先んじて占拠しろ。バリケードを立て、高所から飛び道具で狙え」
「各自好きに動けと?」
「……駐車場に停まっている車には医療部、技術部が待機している。情報部は既に持ち場にいる。彼らの情報を元に、逐次私が指示を出す」
「どうやって」と、目つきの悪い男が問いかけた。店長はつまらなさそうに堀を見る。
「今から班分けを行います」
「ああっ? 学校の遠足じゃねえぞ?」
もっともな意見に、首を縦に振りかける者もいた。
「先も説明しましたが、侵攻ルートは二つに絞られます。マルス側の出方は不明ですが、二つに絞っても構わない、こちらの人数から絞らざるを得ないといったところなのが現状です。そこで、人員を四つの班に分け、二班ずつで行動していただきます」
「残りの二班は?」
すっと、堀が店内を指し示した。店のカウンター前では、何人かの医療部がホットスナックやおでんを準備しているのが見える。
「休憩です。代金は結構ですので、好きに温まってください。ただし、三十分ごとに戦闘行為を交替する予定です。長期戦を見越した原則として受け入れてください」
「……聞いてねえ」
一が頭を抱えた。
「交替って、あんたら悠長だな。スポーツじゃない。殺し合いだぞ? 安全に、つーか、背中向ける暇なんてあるかよ」
「可能ならばの話だ。休めると判断した者から下がればいい。裏返せば、どんな状況であろうと三十分は持たせてもらうという事だ」
「……それから、班の中で班長を決めてもらいます。ああ、いえ、それはもうこちらで……え? ああ、はい、決めているんでしたね。いやあ、そうでしたそうでした」
「段取り悪いぞこいつら」
「マジで大丈夫なのかな……」
堀は笑顔を崩さず、懐からトランシーバーを取り出した。
「班分けは既にこちらで決めさせてもらっています。なるだけバランスを取ったつもりですが、異論のある方はお早めにお願いします。班長も同じく、こちらで決めています。そちらに関しては異論を受け付けませんのであしからず。そして、班長にはこれを携帯してもらい、店長との連絡を、出来れば密にしていただきたい、というところです」
続けます。そう言い、堀は勤務外たちを見回した。
「撤退の指示もトランシーバーで行いますので、肌身離さず壊さないようにお願いします。尚、これは近畿支部技術部有志からの借り物でして、保険の類は一切利きません! 壊さないように、取り扱いには細心の注意を払ってくださいね」
保険について熱弁する堀をよそに、立花は、幾分かわくわくとした様子で口を開く。
「ボク、はじめ君と一緒の班がいいな」
「どうだろう? でも、ウチはウチで固めてくるんじゃないかな」
「堀、頼む」
頷き、堀は地図の位置を張り替え、ホワイトボードに名前を書き上げていく。
「それでは、ボードに名前を書いていきます。ご自分が何班になるのか、後で確かめに来てくださいね」
「では今の内に、質問のある者はいるか?」
場がざわめいたが、すぐにアフロヘアの男、本郷が手を上げた。
「向こうの……敵勢力について聞きたい。ある程度は聞かされているが、こちらとしては何も掴めていないに等しいんだ」
「敵勢力の長はマルスと名乗る男だ。恐らく、ローマ神話の軍神と同一、あるいは近しい存在だろう」
「ほう、軍神だったか」
「……へえ」三森は口笛を鳴らしそうになった。マルスの正体を知り、怯え竦む者が見当たらなかったのである。どうやら、この場に集った人間は伊達ではないのだろうと、彼女は少しだけ嬉しくなる。
「マルスの仲間は、現時点で十人程度が確認されている。全員がそれなりの名前を持ち、力のあるモノだと認識しろ。南駒台店の二の舞になりたくなければの話だがな」
「南駒台店って、まだオープン前だったん、ですよね? 生き残りはいないんですか?」
一の心臓がどくんと高鳴る。彼の様子を見て、糸原は息を吐いた。
「未確認だ。マルスの動機も不明だが、暴れればそれでいいとも明言しているような立ち回りではある」
「よく分かってないって事っすかね?」
「殺す相手を深く知る必要もないだろう。他に何かないか?」
「じゃ、北駒からのボーナスは?」
「……何?」
「はいはーい、やばくなったら逃げてもいいんすかー?」
「つーか、今んとこ敵味方の区別がつきそうにないんだけど」
「うわー、店長質問攻めじゃん。いつキレっか賭けるか?」
「一分後に一万円」
「えっ、ボクもやんなきゃダメ?」
「アタシは二分後にベットするワ」
「甘いな。たぶん、そんなに持たないと見た」
「では、ナナは……あっ、店長が声を荒らげております」
「賭けが成立する前にキレやがった。質問受ける意味ねェじゃン」
勤務外に対して怒鳴り散らす店長を見て、一は溜め息を吐いた。
「マスター、あの、忘れない内に受け取ってもらいたいものがあります」
ナナから差し出されたものを見て、一は首を傾げる。彼女が持っているのは、折り畳み傘の束だったのだ。
「傘? いや、でも、俺にはいつものがあるし」
「差し出がましいとも判断したのですが、このサイズなら持ち運びにも苦労しないかと思いました。技術部の方が作製したものです。強度にも問題は見られませんでした」
「技術部が?」
一瞬、神野のフツノミタマを思い浮かべてしまい、一は苦い顔になる。
「あ、よろしければ、こちらの袋に入れて持ち運んでくだされば……マスター? やはり、ご迷惑だったでしょうか……」
「いや、前に言ってたのってこの事だったんだな。ありがとう、もらうよ。後で技術部の人たちにお礼を……いや、生き残れたら自分で言うよ」
「マスターを死なせはしません。ナナが、お側におります」
ありがとうと、一は自然な顔で笑えた。
「炉辺さん、おでんってどのくらい仕込みます?」
「んー、そうねえ。男の人も多いし、出来上がった端からなくなっちゃうんじゃないかなー。愛ちゃんからは特に言われてないし、こっちで好きにやっちゃいましょう」
「はーい。んじゃそこの君、裏から大根取ってきてー」
忙しそうに動き回る医療部の部下を見て、炉辺の頬は緩む。が、外にいる勤務外たちを認めて、彼女は表情を引き締めた。
「炉辺さん」
「はいはい、次は何かな?」
「あの、私たち、こんな事してていいんでしょうか」
炉辺は微笑み、話の続きを促す。彼女の部下である女性は言いにくそうにしながらも口を開いた。
「あ、こんなの初めてですから。あの、勝てるんですよね……」
「勝てるよ」
断言してから、炉辺は部下の目をまっすぐに見つめる。
「外の車には他の子が準備してる。誰かが怪我をしても大丈夫。それに、医療部は前線には出られないから、せめて、これくらいはしてあげなきゃ。お腹が空いてたら、戦えないって言うでしょ?」
「は、はい」
「怪我を治すのは、私たちにしか出来ないよ? でも、その前においしくて、温かいものを作ろ? ね?」
柔和な笑みに気圧されて、炉辺の部下は不安げな表情を浮かべながらもしっかりと頷いた。
「勝てますかね」
「難しいんじゃないかなあ。だって戦闘部は来ないんだろ? 実質、命運とやらをバイト君に振ってるようなものじゃんか」
「天津さん、俺らぁどうするんすか?」
駐車場に停められたワゴンは四台。その内の二台は技術部のものだ。近畿支部技術部の天津は車外に目を遣り、長い息を吐いた。
「僕たちのやる事は後方支援だと。医療部を前には出せない。勤務外に武器を供給し、司令部に敵を通さないのがお仕事だ」
「司令部って、あのパイプ椅子とホワイトボードじゃないすか……」
「第一、勤務外が止められなかったヤツをこっちで止めるって、無理難題」
広くはない車内に、技術部の人間が数人押し込められている。彼らは息苦しさを覚えていたが、見知らぬ勤務外に睨まれるのが恐ろしくて窓すら開けられなかった。
「しかも武器はそれぞれが持参してるとか。こっちで出せるのは大したもんないですし」
「知りもしねえヤツに火器は渡せないってさ。何しに来たのかね、俺たちは」
「ぼやくなよ君ら。僕だってそういう事を言いたいの我慢してるのに。……戦闘部と言えば、藤原君が一人だけ」
「ありゃ戦闘部のポーズっしょ。後で四の五の言われたくないから」
「俺情報部に入ればよかったなー!」
「お前高所恐怖症だろうが。見ろよ、あんなところで仕事出来んのか?」
電柱の上に立つ情報部は携帯電話を取り出しかけて、別のポケットに入れているトランシーバーを取り出した。
「……こちら情報部E地点。えーと、どうぞ?」
ノイズが走り、はっきりしない声が響いた。
『こちら司令部。どうぞ、で合ってるぞ。必要はないがな。送れ』
「あ、そうでしたか。今のところ南に動きなし。……でも、こういうの使ってると言いたくなりません? オーバー」
『……遊びじゃないぞ。だがご苦労、次の定時報告を待つ。送れ』
「了解です」
言って、情報部の男はトランシーバーをポケットにしまう。
「おい」
「あ?」
情報部の同僚が宙を滑るようにして、こちらに近づいてくるのが見えた。
「持ち場離れんなよ」
「どうせ動きねえって。それより、いけそうだな」
「……まあ、マルスとか言っても数はこっちが勝ってるからな。って、狭い。あんま寄るな。落ちる」
同僚は気を遣う気配がなかった。
「向こうの使い魔みたいなの、残しといていいのか?」
「いや、さっき北駒の店長に聞いたら残しとけって。アレやったら、俺らも危ないらしい」
「あー、俺らもソレに見逃されてんのか。そういや、氷室がやばかったとか聞いてたわ」
「ま、今んところはいつもの情報部だな。実戦は勤務外任せだ」
「今のところ?」
「……いや、何か旅さんあたりが顔を出すかもしんないだろ? それに、あの女が……やめとこ。口に出したらマジっぽくなるわな」
「状況に変化なし、か。マルスめ、真っ向からやり合うつもりか」
「……そりゃ、野郎は神様だからな。しかも円卓と目されてやがる」
「藤原か。戦闘部は確か、お前だけだったな」
藤原は太鼓腹をさすりつつ、店長の顔色を窺った。
「堀もいるじゃねえか。それに、基本的にはバイトで対応ってのが決まりだろ。頭数も思ってたほど悪くねえ」
「話が別だ。この仕打ちは覚えておくと言っておこう」
「そりゃあ怖いな。で、他の部署はしっかりやってんのか」
「さて」店長は足を組み替え、煙草を口に銜える。
「元から期待していない。医療部の世話になるならそこでそいつの出番はおしまいだろうし、技術部にやる気がないのはいつもの事だ。情報部とてそれも同じだ。……オンリーワンの人間の事は知っているさ。誰も彼もがまともじゃないとな」
「よくご存知で……」
「しかし、彼らは最低限の仕事はこなす。私としてはそれで充分だ。やる気はないが無能ではないというのも理解している」
やる気のある無能はいるが。とは、口にしない。店長は煙草に火をつけるのを躊躇い、口の端でぶらぶらと遊ばせる。
「時間だ。班分けを発表し、すべき事を確認する」
「さすれば兵士はしかるべき場所へってか」
「兵士ではない。戦士でもない。勤務外はそんな、高尚な奴らじゃあないさ」
「ボードを確認した者は班長のいる場所に集合しろ。同士討ちをしないように、メンバーの顔だけは覚えておくように」
店長の指示に、そこかしこから気の抜けた声が返ってくる。ホワイトボードには我先にと勤務外がたかっていた。
「俺一班かー。三森ってのはどいつだー?」
「げっ、あいつと同じなのかよ」
「お兄ちゃんがいない! アンドハンチョウがアタシなの!?」
「おっ、あのチビがリーダーらしい。行こうぜ三班」
「やべー、二班の頭おかしい。糸原ってヤツすげーキレてんだけど」
「いやあ」
ボードから離れた場所で堀は笑う。
「阿鼻叫喚ですね、店長」
「学校の遠足だな、まるで。それに、うるさくなるのはこれからだ。……ほら、来たぞ」
妙に膨らんだ袋を持った一が走ってくる。彼は店長を見つけるや否や、声を荒らげた。
「俺の名前がないんですけど!?」
「そうか」
「なんで!? おかしいだろ!」
「私のクラスでイジメは起こりません」
「イジメてんの店長じゃないですか」
一は四つのグループが出来上がるのを、どこか羨ましそうに見つめている。
「説明してくださいよ」
「おや、彼がお仲間かね」
説明する気はあったのだが、ややこしい事になりそうで店長は面倒臭くなってしまった。
「おや、彼がお仲間かね」
物憂げな声が聞こえて、一はそちらに顔を向けた。
誰だ。
一は、勤務外であろう三人組の男女を見据えた。すると、三人組の内、唯一の男性である学ランを着たリーゼントの少年が、鋭い視線を遠慮なくぶつけてきたのである。
「あ?」
「……どちら様ですか?」
「ああっ!?」
「あっ、あっ、あっ、あの、あの……」
ヒートアップするリーゼントの少年の腹を叩き、一の前に立ったのは背の低い、セーラー服を着た少女である。彼女は綺麗に切り揃えられた前髪を振り乱し、身振り手振りで一に何かを伝えようとしていた。
「え、えーと? 君は? と言うか、君たちは、勤務外、だよね?」
こくこくと頷き、少女は腹を押さえて苦しそうにしている少年を足で踏みつける。
「わっ、わ、悪くないんです。こ、こいつ! なま、名前は、その、桜江みとって言うんです! 言うんですけど!」
「桜江? みと? あー、何か可愛い名前してるね」
「そっ、そそそんな! かっ、可愛いだなんて! や、やっ!」
「うぐっ! お、おい、もう踏まないでくれ……」
照れ隠しなのだろうか。少女はリーゼントの少年の腹を更に踏みつけた。
「……ああ、違うんだ」
ぼうっと、幽鬼のようにふらふらと歩いてくる、背の高い女が見えた。彼女はぼさぼさの髪に手を当てて、目の下の隈を擦る。栗色の髪が風に揺れ、一はその様に目を奪われた。
「そっちの、女の子の名前が桜江なんだ。君は、女の子に可愛いという事の重大さを理解してないね」
「は、はあ、そうだったんですか。あなたは?」
「オンリーワン出雲店の勤務外だ。柿木よしかと言う。そこに転がっているのは石見しんじだ。よろしく頼むよ、少年」
「……俺は一です。こちらこそ、よろしく。それより、あなたたちも名前が載ってなかったんですか」
「っだよ! 俺たちにゃやることがあっからな!」
一は石見に睨まれたが、彼は桜江に踏みつけられたままなので、どこか滑稽であった。
「出雲店には力を無駄にしてもらっては困るのでな。一、お前も同じだ。彼女らにはすべき事がある。お前には、マルスを仕留めてもらう」
「俺が? そんなの、いや、何を言ってるんですか?」
「ここにいる勤務外が全員殺されたとしても、お前には生き残ってもらい、殺してもらわなければならない。一、お前の力ならば可能だろう?」
アイギスとメドゥーサの事を言っているのだろう。一は店長に対して、反発心しか覚えなかった。
「勝手だ。俺は……」
「ああ、いや、揉めるのはやめたまえよ。少年、幸か不幸か我々には力がある」
「だからっ、力、力って、そんな無茶苦茶な話があるかよって思わないんですか?」
「思うのは勝手だがね」
柿木は酷く疲れた風に息を吐き、一の顔をじっと見つめる。
「先天的なものか後天的なものかは知らないが、力は力だよ。誇っていい」
「殺しの力を? あなた、どうかしてますよ」
「そうかな? 誇っていい。だが、奢ってもいけない。力を持つ事が怖いのかね?」
そうだと一は頷いた。人を殺せる。力を持たない者からは避けられ、怯えられて、蔑まれるのだ。その力を誇るつもりはない。
「どうして? 持たない者について深く考えることはないよ。力を持つ者はね、その気になれば黙らせることが出来るんだ。何故なら、我々は一般人を守るためにソレを殺してるんだから。文句を言われる筋合いはないよ。大体、うるさかったら力を振るえばいい」
「……俺は、そこまで割り切れない。たぶん、死ぬまで」
「少年、君は物事を難しく考えるくせがついているね。要は、力とやらの使いどころを間違えないことだよ。それさえ出来ればいいじゃないか。……今のところ、その使いどころを分かっているのは二ノ美屋店長だ。従いたまえよ」
柿木は一から視線を外し、空を見上げた。そして、ふらつく。
「お、とと……まあ、折角の力を腐らせるのはもったいない。かと言ってひけらかすのもよくはない。バランスだよ、バランス。うまくいけば地に足つけてしっかりと生きていられる。違うかね?」
「今ふらついてましたよね。あなたはバランスを取れてないんですか?」
「これは痛いところをつかれた。私は、ほら、ご覧の通り貧相だからね、もらったものを持て余しているんだよ」
「……ともかく、お前を前線には出すわけにはいかないんだ。一、お前は私に従っていればいい。これが一番確実なんだ」
「皆が死ぬのを黙って見てて、お膳立てに乗っかるのが、ですか?」
「遊びじゃない。お前の力は特別過ぎる。換えがきかないんだ。だから……」
「分かりました。今は黙ってます。あなたたちの望み通りに」
今はもう、何も話すことはなかった。一は店長たちに背を向けて、店内に入っていく。
――――遊びじゃない? ふざけんな、俺はあんたらの駒でもないんだ。
「あ、あっ、ああっ、あの! あの! いいんですか、お、怒ってましたけど」
「やれやれ、嫌われてしまったみたいだ。私は彼のような子は好きなのだがね」
「よしかさん!? あんなののどこがいいんすかあ!?」
「機嫌を取る必要はない。死が間近に迫れば憎まれ口を叩く暇もなくなる」
「はたして、そうかな」
柿木は一の後ろ姿を認めて、ついと目を逸らす。
「ニノ美屋店長。あなたは彼の使い方をよくわかっているようだ。けれど、人は人だよ。頭と体はそう簡単には分離しないものだ。そうは思わないかね」
「個人の感情は集団戦に必要ない」
集団戦? 店長の言葉を内心で嘲笑うと、柿木は薄っすらとした笑みを浮かべた。
「勘違いも度が過ぎると、足元をすくわれてしまう。ニノ美屋店長、あなたに限ってはありえない事だと思うが、用心したまえ。ここは昔馴染みの場所ではなく、この場に集ったのはあなたの意に染まった者だけではない。我々は戦士ではなく、兵士でもなく、ただの勤務外なのだよ」
店長は答えず、紫煙を燻らせる。火蓋が切って落とされるまで、猶予はもはや殆どと言っていいほど残されていなかった。