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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
百鬼夜行・裏
240/328

LAST DINOSAUR



 オンリーワン北駒台店の仮眠室、その部屋のソファには赤いフードを着た少女が眠っていた。彼女は勤務外を苦しめ、一時は彼らを壊滅寸前にまで追い込んだほどの存在である。

 少女の傍にはオンリーワン近畿支部、医療部の長を務める炉辺がしゃがみ込んでいた。彼女は難しそうな表情を浮かべた後、苦しそうに目を瞑る。

「……なあ、何を調べてンだよ」

「さて、何だろうな。私に聞いても仕方がない」

 扉の開け放たれた仮眠室の前には三森と店長がおり、一は落ち着かなさそうに煙草を吹かしていた。

「今更何をやろうってンだって、私はそう聞いてんだよ。あいつが何をしたか、何が出来るか、あンただって分かってるよな? ここで目ェ覚まされて私ら殺されたらどうすんだよ」

「しかし野放しには出来ない。お前ら全員が掛かっても殺せなかったモノをそのままに出来るか?」

「あンだよ、それ。私らが悪いってのか」

 三森は眉根を寄せ、店長を見据える。一はパイプ椅子に座り込み、死にそうな目で仮眠室を見ていた。

 少女は炉辺の持ってきた睡眠薬を投与され、今は眠っている。しかし、いつ目覚めるか分からない。目覚めれば、何をしでかすか分からないのだ。

「不安ならゴーウェストたちを呼び戻すか?」

「冗談だろ。死人増やしてどうする気だっつーの。それよか、おい、てめェもとっとと家帰れよ。邪魔でしようがねえよ」

「……俺ですか?」

「お前以外に誰がいるよ。オラ、立て。そンで外にゴーだこの野郎」

 一は三森を無視して煙草を吸う。彼の態度に腹を立てた三森だが、彼女が何かを言うよりも先に、仮眠室から炉辺が出てきた。

「炉辺、アレはどうなっている」

「気持ち良さそうに眠ってるよ。それより、あの子何者なの?」

「それは私たちが聞きたい。お前が調べたいというから、わざわざ仮眠室に連れてきたんだ。いつ爆発するかも分からん爆弾より恐ろしい、そんなものを、だ」

 炉辺は苦笑して、三森を見遣る。

「で、炉辺さン。何か分かったのかよ」

「もう、ふゆちゃんったらそんな口の利き方して。そうねえ、うーん。分からない事が分かったなんて言ったら哲学かなあ」

 にこにことしている炉辺を見て、三森は溜め息を吐き出した。

「あの、あの子はソレなんですか?」

 一は椅子から立ち上がる。彼は炉辺に尋ねなくとも、少女が何らかの怪物だと思っていた。自由自在に跳ね回り、銃弾を受けても血の一滴すら出ない。常人離れした身体能力に、圧倒的な存在感。これが人であるはずがないのだ。

「人間よ」炉辺の表情から笑みが消える。

「あの子は人間だよ。はじめちゃんと同じ、人間」

「人間……? いや、そんな……」

 有り得ない。喉元まで出掛かったその言葉を一は飲み下す。今までに何度も言った。有り得ない事が何度も起こった。

「言っちゃえば、あの子は究極の人間かもしれないの。指の一本、皮の一枚、血の一滴、その全部が、その……」

「強化されている、か?」

「そんな生易しいものじゃないと思う。人間は鍛えれば強くなれる。だけど限界はあるの。さっきふゆちゃんから聞いた話じゃ、とても、人間のやれる範囲じゃない。とっくに越えてる。だけど、あの子は確かに人なの」

 一の鼓動が早まる。彼はとても、嫌なものを感じていた。

 炉辺は俯き、仮眠室を見る。彼女は悲しんでいるのではない。少女を哀れんでいる。

「体の中で、触れる部位は全部……ぎりぎりで、人でいられるラインまで体を無茶苦茶にされたんだよ。鍛えるとか、強くなるとか、そんなんじゃない。人として扱われてなかったんだと思う。まるで、機械に手を加えるような……」

「何者かに、何かをされた、か。だが、同情は出来ん。それだけの事をしでかしたんだからな」

「だな。第一、私らはあいつに何もしてねェじゃンか。八つ当たりも良いとこだぜ。そんで、ちっとかわいそうな目に遭ったからって見逃す訳ねーだろ。なァ、もうどうしようもねェだろ」

「待って、待ってよ。殺されそうになったから殺すなんて、そんなの酷過ぎる」

「じゃあ炉辺さンよ、どうすんだ。あのガキは無茶苦茶にされてんだろ? 元に戻せんのかよ?「あのままにしとくぐらいなら、ここでヤるしかねェじゃん」

「どうなんだ炉辺。あの少女をどうにか出来るのか」

「私には、無理だよ。あの子に何かをした張本人でもなければ、何をどうすれば良いのか分からない。それくらい、酷いの。そうでなければ、魔法か、時間を巻き戻すくらい」

「無理だと言う事だな。やはり、ここで仕留めるしかないだろう。今なら眠っている。撃っても駄目。斬っても無駄。殴打が通じないのなら、縛りつけて永久凍土にでも閉じ込めるか」

「だからっ、私はそんな乱暴な話は!」

「あンたには感謝してるし、そういう考えがすげェ優しいってのも分かるけどよ、そんでもどうしようもねぇ事だってあんだろうが。……で、さっきから黙りこくってるてめェはどう思う?」

 問われた一は暫くの間黙り込んでいたが、

「……青髭」

 搾り出すようにして、声を発した。

「……あ?」

「青髭がやったんだ」

 一は繰り返す。

「こんな事するのは、あいつしか考えられない」

 短くなった煙草から、灰が落ちる。

「勘か?」

「そうです。だけど、辻褄は合う。青髭があの子に、俺たち勤務外や、駒台にいるフリーランスの情報を与えてて、指示を出してた。それなら話は」

「しかし、青髭が死んだ時、あの少女はどこにもいなかった。その影すら見せなかった筈だ」

「それは……分かりませんけど。だけどっ」

 一の語気が荒くなる。彼は頭を抱え、息を吐き出した。

「あのね、あの子を看ていて分かった事があるの。ほら、皆との戦いの途中で寝ちゃったんだよね? あの子の体は、もう限界なんだと思う。多分、全力じゃない。力を出せないようになってるんだよ」

「ああ、そうか。なるほど、リミッターを掛けられていた訳か。ならば納得がいく。体にはがたが来ていて、それでも尚、あの少女の力は青髭の手に余ったんだろう。恐らく、捨て置かれていたんだろうな」

「私らに仕掛けてきたのは、どういうこったよ」

「さてな。与えられた指示を完遂しようとした、か? まあ、理由は幾つか思いつく。後は、本人に聞くのが手っ取り早い。口さえ利ければの話だがな」

 俯いていた一は頬を撫でる。泣いていた事に気づき、驚愕した。少女の扱われ方に悲しんでいるのか。それとも哀れんでいるのか、自分でも分からない。

「青髭がやったとするなら、やはりこちらでどうにかするしかない。何せ、アレを元に戻せるモノはいなくなったんだからな。それこそ、時間を巻き戻すしかない。が、時を操るなど魔女にも不可能だろうな。炉辺、薬はいつまで効くんだ?」

「朝までは効くと思うよ」

「なら、もっと短く見ておいた方が良いな。あと二時間程度、大人しくしていればマシな方か」

 あと、二時間。二時間経てば、少女の処遇が決まる。一は口を開きかけたが、涙の跡を見られないように、ずっと俯いたままだった。



「お前さ、泣いてただろ」

「え?」

 炉辺が支部に戻り、店長が奥で煙草を吸い始めた隙を狙ったのか、三森が険しい顔で一に声を掛けた。彼女は一の傍に立ち、煙草を吹かし始める。

「途中から黙ってたろ。良く見りゃ、死にそうな顔になりやがって。まさか、アレに同情してンじゃねェだろうな」

「……分からないんですよ、俺にも」

「てめェの事だろ。なァ、お前はさ、誰にでもそうなのか? 敵だろうが味方だろうが、勤務外だろうがフリーランスだろうがソレだろうが関係なく、そうなのかよ」

「俺は、そんなつもり……」

 舌打ちして、三森は一を見下ろす。彼は、顔を上げようとすらしなかった。

「馬鹿にしてンじゃねェぞ。捨て猫じゃねえんだ、私らは。適当に優しくして、適当に放り出す。ンな事ばっかやってっとな、お前が」

 言い掛けて、三森は口を噤む。

「俺が何ですか」

「やっぱムカつくヤツだなって話だよ」

 一は答えず、ただ力なく笑った。

「殺した方が早いンだ。迷ってる間にこっちがやられりゃあ意味がねェ。かわいそうだとか炉辺さんは言ってたけどな、あのガキに好き放題された私らのがかわいそうじゃねぇかよ。違うか、あァ?」

「睨まないでくださいよ。まあ、それは置いときます。それよりも、あの……ありがとうございました。来てくれて、嬉しかったです」

「別にお前だけの為じゃねェよ。体鈍ってたしな。ちょうどいい、退院祝いに景気のいいモン用意してくれたぜ」

「かっこよかったです」

「お前は相変わらず走り回ってずっこけて、マジでどんくせェのな」

 しゃがみ込んだ三森は、口の端を歪めて一を見る。心なしか、彼女は嬉しそうでもあった。

「けどよ、その、アレだ。お前もかっこよかったぜ。こっち側にガンガン足踏み込ンでくれてんじゃん。人間辞める何秒前だ?」

「とっくに辞めさせられてますよ、そんなの」

「あ? なンだよそれ。なんかあったンか?」

「まあ、色々。あんまし言いたかないです」

「あー? 言えよ。こっちはすげェ聞きたいんだからよ」

 一の肩をばんばんと叩き、三森はげらげらと笑う。

「私だって半分は人間辞めてるようなもんだ。ハナっからさ、勤務外なンて仕事選んでんだぜ。今更体面なんか気にしてんじゃねェよ」

「……三森さんにもあるんですか。いや、あるんでしょ。言いたくない事、言えない事が。そういう押しつけ、やめてくださいよ」

「あるに決まってんだろ。人間な、生きてりゃ一つや二つ、そういう事が出来てくるっつーの」

「人間辞めてるんじゃなかったんですか?」

「半分くらいはな。けどよ、お前になら言っても良いぜ」

「何を」

「私の事だよ」

 三森はバックルームの奥にいる店長に視線を遣ってから、一に顔を近づけた。

「賑やかになったよな」

「最初は俺たちしかいませんでしたからね。うるさいのは嫌いですか?」

「いンや、別に。ただよ、なんかもう手に入らねェもんだと思ってた。私以外の誰かがいてさ、笑ったり怒ったり……」

 自分が来るよりも前に、北駒台店で働いていた者はいた筈だ。三森にとって、自身は何番目の同僚で、何番目の――――そこまで考えたところで、一は思惟に耽るのを止めた。

「俺はみんなの役に立ててるんでしょうか。ちゃんと、盾としての役割をこなせているんでしょうか」

「お前は盾じゃねェよ。お前はお前だ。頑張ってんじゃねェか、誰にも文句は言わせねーよ。だからあンまし気にすんな。少なくとも、私はそう思ってる」

 気恥ずかしさよりも、嬉しさが勝った。一は三森と目を合わせる事を恐れ、下を向く。

「今日の三森さんは、なんだか優しいですね」

「バカ野郎。私はいつだって優しいんだよ」

「……誰に対しても、ですか?」

「そう見えンのか?」

 一は答えず、三森の顔を見た。彼女は真剣な眼差しで、彼を見つめ返している。

「私の方こそ、さ。ちゃんと、お前との約束を守れてンのかな」

「どうですかね。三森さん、今までずっと寝てましたし」

「相変わらず意地悪ィな、お前は。見舞いの一つも来てくれなかったしよォ」

「行って良かったっつーか、来て欲しかったんですか?」

「ンな事聞いてんじゃねェよ」

 そう言って、三森は一の胸を軽く小突いた。

「俺が行かなくたって、そっちは元気でやってたでしょ」

「お前が来たらもっと元気になってたかもな」

「あはは、なんですかそ――――あ…………」

 一の視線が固まる。三森は弾かれるようにして立ち上がり、振り向いた。低く、唸るような音がバックルームに鳴っている。薬で眠らされていた、あの少女がそこに立っている。

「……おいおいおいおいおい炉辺さンよォ、話が違うじゃねぇか」

 三森は右腕から炎を生み出し、少女をねめつけた。

「やっぱ殺しときゃァ良かったんだろうがチクショウが!」

「騒がしいぞ三森…………お? おお、すまないな、お前ら。遺書を書く時間を用意してやれなくて」

 そっちかよ、と、出てきた店長に言い返す力などない。一は椅子から立ち上がれないまま、少女を見つめるしか出来なかった。覚悟なら出来ていた筈なのに、一度でも弛緩してしまうと、この場に留まろうとする意志を構成するのでさえ精一杯な有様だった。

 少女は一たちをじっと見つめた後、自身の腹を撫でてから、

「――――あァ?」

 床の上に座り込み、平伏した。彼女は額を地面に擦りつけるようにして、一度だけ顔を上げる。媚びたような視線を向けられた一は瞠目した。あの、暴力を具現化したような存在が、暴虐の限りを尽くしたモノが、自分たちに土下座をしているのだ。

「このような事を口にするのは、その、大変、心苦しいのですが」

 一はその時、少女の声を初めて聞いた。きちんとした言葉を話せるのにも驚いたが、何よりも、大人びたそれに驚愕したのである。理知的な色が滲み出た声は、少女の姿から連想するには難しかった。

「どうか、食べ物を恵んではいただけないでしょうか」

 三森は腕に炎を纏ったまま硬直している。店長は表情を崩さなかったが、それでも少女から目を離せないでいた。



 店長に促され、一がフロアから適当な菓子パンを持ってくると、少女は僅かに目の色を変えた。

「……こんなもので良ければ」

「あ、あっ、充分です。もう、本当にありがたいです」

 一は警戒したままだったが、この距離では何をしても、どう構えていても殺されると判断し、少女の傍にしゃがみ込み、菓子パンを差し出した。彼女は顔を上げ、おずおずと手を伸ばす。

「頂きます」

 少女は袋を開け、一口ずつ味わうようにしてパンを咀嚼し始めた。一は彼女からゆっくりと距離を取り、三森の後ろに隠れる。

「コラてめェ」

「や、だって」

 今のところ、全く以って理解は出来ていないが、少女から敵意は感じ取れない。この後はどうするのか。一が店長を見遣ると、彼女はいつの間にか椅子に座っており、紫煙をたっぷりと吐き出していた。

「本人に聞くのが手っ取り早いとは言ったが、まさか、本当にそうなるとはな」

 店長が視線を向ければ、少女が不思議そうに彼女を見つめ返す。少女の、小動物めいたその仕草は三森の神経を逆撫でにした。

「口が利けるなら都合が良い。何故、私たちを襲った?」

「……あ、あー、その」

 少女は罰の悪そうな顔になり、パンを頬張るのを止める。

「実は私、普通の人間じゃあないんです。改造人間? みたいなものを想像してもらえれば分かりやすいんじゃないかと」

 店長はその言を鼻で笑う。彼女は、自身を人間だと言った少女を笑ったのだ。

「私は、私を改造した人の命令に従えないような体になってるみたいです」

「青髭、か?」

「あっ、え? あの、そ、そうです。青髭って名乗ってました。でも、どうして知ってるんですか?」

「こちらも青髭には縁があってな。尤も、奴は既に死んでいる。殺されたんだ。そこにいる、一という男が仕留めた」

 指を差された一は、自分ではないと、ぶんぶんと首を振る。少女は目を見開いて彼を見た。

「一度目……ムシュフシュを仕留めたうちの勤務外を襲ったのは、青髭の指示によるものか?」

 少女は小さく頷いた。そして、遠慮がちに口を開く。

「それだけじゃなくって、あの、フリーランスって人たちも、です。青髭さんから場所なんか聞いて、それで」

「では、先の襲撃はどういうつもりだ? 青髭は既に死んでいる。お前に指示を出す者はいない筈だ。事と次第によっては」

「……私を殺しますか?」

 一の体が緊張によって強張る。少女は、決して怒ってはいない。悲しんでもいない。ただ、事実だけを捉え、受け止めていた。

「殺せるんですか?」

「てめェ……!」

 三森が動こうとするが、一が必死に押し留める。

「あの、私はあなたたちを恨んでもいないし、憎くとも思っていないし、と言うか、何とも思っていないというのが本当です。今日、あなたたちを狙ったのは本当に青髭さんが死んだのかどうか、それを確かめる為でした。あの人の指示に従わないと、私、すごい痛い目に遭うんです」

 言って、少女はこめかみに指を当てた。

「ここに色々と埋め込まれてるんですよ。ここだけじゃなく、たぶん、体中のあちこちに。青髭さんに従わなきゃ、これ以上まともには生きていけませんから。でも、杞憂だったみたいです。標的であるあなたたちと、こうして普通に話していても、全然痛くないんです」

「……青髭が死んだ日、お前は奴の傍にいなかったな。何故だ? それほどの力を有するモノ、手元に置いておくのは当然だろう」

「えーと、ごめんなさい。分かりません。でも、何となく分かります。きっと青髭さんは、私が怖かったんだと思います。あの人が死んだ時、私は鎖でぐるぐる巻きにされてましたし、薬で眠らされてたと思いますよ。……そんな事したって無駄だって、そんなの自分が誰よりも分かっていたんでしょうけど」

 少女は店長、三森、それから一を順繰りに見回した。

「それで、ですけど。私を殺そうとするんですか? でも、私めちゃくちゃに抵抗します。確かに、指示を受けて、半分は脅されてたとは言え、あなたたちを襲ったのは事実です。でも、黙って殺されるつもりはありません」

「都合の良い話じゃねェかよ、なァ?」

「そんな目で見たって、駄目です」

 三森の視線は、まるで獣のようなそれだった。憎悪、憤怒、感情を隠さない、ぎらぎらとした光を宿したまま、少女を睨みつけている。

「……三森さん、駄目です」

「何がっ」

 一は三森より前に出て、泣きそうな顔で訴えた。

「ここで仕掛けたって、やばいのがどっちか分かってるでしょう……?」

「だったらてめェはやられっ放しで泣き寝入りするってのかよ!? ふざけンじゃねェ、そンなの、私はごめんだ。犯されようが殺されようが、自分の筋曲げるくらいならよ!」

「……っ、お願いだ! 曲げてください! 今死んだって意味なんかないんだ!」

 三森は一を突き飛ばして、爪先から、指先から炎を生み出す。少女はそれを認め、腰を低く落とした。

「食べ物を頂いて、あなたたちを殺すというのは忍びないですが」

「三森さん!」

「あああああああああああっ! 畜生ッ! 畜生! てめェだ! てめェがいるからだ、お前のせいだからな!」

 パイプ椅子を蹴っ飛ばして、三森はバックルームを飛び出して行く。一は彼女を追おうとしたが、店長がそれを制した。

「今追いかけて声を掛けても無駄だ。血が上った三森を諭せるものなど、炉辺くらいしかいないんだからな」

「……お二人はどうしますか?」

 少女は構えたままで尋ねる。一は力なく首を振り、その場に座り込んだ。

「肝が冷えたな」

「そう仰る割にあなた、顔が変わってないんですね。あの、こう言ってはなんですが、本当に人間ですか?」

「お前に言われたくはない。話を続けよう。お前は青髭によって作られた存在だ。では、どのような理由で、そうなった? 何故、お前は青髭に作られた?」

 店長の物言いに、少女は眉根を寄せる。

「作られた訳じゃあないです。ロボットではないですから。……私が青髭さんに改造されたのは、そんなの聞かなくたって分かってると思いますけど」

「ほう? まあ、念の為に聞いておこうか」

 少女は、店長の性根の曲がり具合に気付いたが、あえて何も言わず、ただ事実だけを述べた。

「戦う為でしょう。それしかないです。青髭さんは、何かと戦おうとしていたみたいです。近々、何か大きな事が起こるのだと言っていました。あの人は生き残ろうとしていたんです」

「その、大きな事からか?」

「恐らくは」頷き、少女は食べかけのパンをじっと見つめる。

「なるほど、な。大体は分かった。お前は青髭の切り札だった訳だ。が、奴の手には余る鬼札だったらしい。……厄介な話だな、まったく」

 新しい煙草に火を点けると、店長は何でもなさそうに煙を吐き出す。

「青髭を、恨んでないのか」

「え」

 一の質問は、少女にとって予想外だった。彼女は思わず、目を見開く。

「だってさ、好きに体を弄くられてる。その上、見捨てられたんだ。なのに、どうしてか、君からは悲しい、だとか、そういった気持ちが見えないんだよ」

「ああ、そう言う事でしたか。そう、ですね。私は、恨んでないんだと思います。……記憶がないんですよ」

「記憶が?」

「はい。あの人に改造されるまで、私はどこで何をしていた、どこそこの誰さんなのか、そういった記憶が、まったく。そりゃあ、お箸の使い方や、歩き方、息の仕方なんかは忘れてませんけど。でも、思い出みたいなものは全然駄目なんです。いくら思い出そうとしても、始めから、そういうものがなかったような、そんな感じなんですよ」

 淡々と、少女は語った。一はその意味をゆっくりと、頭の中で噛み砕いていく。

「だから、別に良いんです。たとえば、私が元の生活を思い出して『ああ、あの頃は幸せだったなあ』なんて事になってしまえば、そりゃあ、恨みます。よくもやってくれたなって、そう思うのが普通です。でも、私には何もない。もしかして、私はそこまで計算されていじられてたのかもしれませんね」

「冷静なんだな」

「いえ、そうでもないです。だって私、結構八つ当たり激しいですから。だから、あなたにも酷い目に合わせてしまいました。そちらこそ、恨んでいないんですか?」

「百パーセント恨んでないって言ったら、そりゃ嘘になる。間接的ではあるけど、君は、俺の同僚を死んじまうまで、追い込んだ。君がいなけりゃ、その子は今も笑って、怒って、ここで俺と一緒になってびびってたかもしれない」

 そこで、少女は初めて辛そうな顔を見せた。この場を楽に逃れようとする、彼女の演技かもしれなかったが、一にはもう、責めるつもりもなかった。

「ただ、ここで仇を取ろうとしても俺が死ぬだけだ。……たぶん、君に対しては諦めてるんだと思うよ、俺は。もう、そういうものなんだなって」

「そうしてもらえると助かります。私、好き好んで人を殺したくないですから」

 一は乾いた笑みを漏らす。

「さて、色々と聞きたい事はあるが、お前はこれからどうするつもりだ? まさか、真っ当に陽の当たる道を歩きたいなどと、そんな事は言うまいが」

「それは……」

「はっきりと言っておこうか。オンリーワンに対する敵対行為があった以上、こちらとしてはどうにかしたい。お前を殺しておきたいというのが本音だ。しかし、現時点では不可能に近いとも認識している。この場に残った私と一は、見逃すしかない。殺されるしかない。さあ、どうする?」

「そんな、殺すつもりなんて、ありません」

 しかし、行く当てがないというのが少女の本音である。彼女は今まで、青髭と言う庇護下にあった。状況はどうあれ、そこから解放されたのだ。指示に従い、記憶を失った少女には頼れるものがない。

「どうやら、我々を害するつもりがないのは真実らしい。だが、私も雇われの身でな。易々とお前を見逃せば、上から何を言われるか分からん。……二度と、私たちに敵対しないと誓え。そうでなければ、ここで噛みつかざるを得ない。たとえその牙が届かないと分かっていてもだ」

「誓います」

 少女は迷わなかった。まっすぐに店長を見つめ返している。

「では好きにするといい。が、先の、三森という女が戻ってくる前に立ち去るのをすすめておく。次にアレを押し留められるかどうかは分からんからな」



「あの、まだ何か?」

 店を出た少女を、一は呼び止めていた。青髭に人生を狂わされた彼女に対して、仲間意識のようなものを感じていたのかもしれない。あるいは、罪悪感か。

「行く当てがないなら、駒台山が良いかもしれない」

「山、ですか」

 一は頷き、駒台山を指差す。

「あそこには、今は使われていない洋館があるんだ。少しの間なら人目を避けられると思う。ちょっと、色々あってね。誰も近づこうとはしないんだ」

「ありがたい申し出ですが、どうして、そんな事を教えてくれるんですか。あなたは、私を恨んでいる筈です」

「……言葉を交わして、事情を知っちゃうと駄目なんだ。放っておけない。そんな気がして」

「損な生き方ですよ」

 知ってる。そう言って、一は笑った。

「また会おう、なんて言わないけど」

「はい。でも、ありがとうございます。私みたいなものを助けようとしてくれて。……本当に、ありがとうございます」

「君とは、その、良い出会い方じゃなかったけど。だけど、その、元気で。ってのも、まあ、おかしな話か」

 少女は一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべる。が、それも一瞬の事だった。

「あなたこそ、どうか、お元気で」

 そうして、少女は素早い動きで闇の中に、溶けるようにして消えた。



 バックルームに戻った一は、三森がいない事を確認し、店長を見据えた。

「どうして、あの子に本当の事を言わなかったんですか」

「本当とは、どの事だ」

「もう、限界が近いって事ですよ。むちゃくちゃに体弄繰り回されて、がたが来てるって」

 店長は椅子に座ったまま、先ほどまで開けていた携帯電話を閉じる。

「アレは、まだ生に執着していたように見えた。真実を告げて自棄を起こされては困るからな。だろう?」

 少女は、いつ死ぬか分からない。一秒先の未来が見えない、自分に近い存在なのだと、一は痛感した。

「一、お前にも黙っていたがな、先の少女は、お前と同年代だそうだ」

「……それは、何となく分かってました」

「ゴーウェストと変わらない体つきだが、実年齢は二十歳くらいだろうと、炉辺が言っていた。恐らく、ここ最近で改造とやらを受けたのではない。もっと前から、青髭に捕われていたんだろう」

「だから、あんなに小さく……あんな、小さい頃から……!」

「だからと言って同情はするな。お前が何を思ったところで、あの少女にしてやれる事は少ない。少なくとも、三森の前でその顔を見せるな」

「どうしてですか」

 店長は深く、息を吐き出した。

「言わなくても分かっているとは思うが、三森は、アレでお前を心配している。最後の最後、あいつがぎりぎりで踏みとどまったのはお前がいたからだ。あの場面で戦う事にでもなれば、確実にお前を巻き込むからな」

「……俺が?」

「だからと言って自惚れるなよ。だが、少しくらいはあいつにも優しくしてやれ」

 一は曖昧な態度で頷く。

「少し、私も疲れたな。一、お前も家に帰って休め。何かあれば連絡を入れるから」

「そう、ですね。確かに、何か色々あり過ぎて……」

「そうしろ」

「じゃあ、すんません、お疲れ様です」

 一は頭を掻き、店長に背を向ける。

「一」

「なんすか」

「良くやったな」

「……はあ、どうも」

 素っ気なく答える一だったが、彼の口元は少しだけ緩んでいた。

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