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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
百鬼夜行
238/328

スーパーマンになりたい



 自分たちは百鬼夜行に対する認識を改めなければならない、らしい。店長は息を吐き、携帯電話を元の位置にしまった。堀からの連絡が途絶えて数分、彼らをあてにするのは難しいと、彼女は考える。

「一、事情が変わった」

「何がです?」

 不機嫌そうに答える一を見て、店長は息を漏らした。彼の反抗的な態度は今に始まった事ではないが、それでも我慢出来るかどうかと言えばそうではない。

「百鬼夜行は予想よりも早くここまで来る。今の内に準備を済ませておけ」

「いや準備って、傘を持ってくるだけですけど……それより、どう言う事ですか? 堀さんたちに何かあったんですか?」

「分からん。だが、不測の事態が起きたのは確かだな。堀の奴、案外打たれ弱い。どうにも的を得ない事を言い残して切りやがった。『百鬼夜行が速い』と言っていたか。……ソレの進軍速度は車のそれと変わらないのかもな」

 店長は何気なく言って、煙草に火を点ける。

「車と同じ!? めちゃめちゃ早いじゃないですか、それ!」

「どれだけ速くても、精々、時速ニ、三十キロくらいだろうが、充分脅威だな。だが、このタイミングはぎりぎりセーフだ。まだ覚悟を決められる。そうだろう?」

 一は首を横に振り続けた。

「だって、それじゃあ百鬼夜行は丸々そのまま残ってるって事になりませんか? ジェーンたちは車で先回りしてソレの数を減らして、その繰り返しで百鬼夜行を削るって話だったのに。俺とナナだけじゃあきつ過ぎますって」

「マスター、私なら問題ありません」

「問題があるのは俺だから問題があるんだよ」

「当初の予定よりもお前らに負担がかかるのは確実だな。まあ、あっちはあっちで少しくらいは働いてくれるだろう。揃いも揃って無能が顔を並べている訳じゃあない。案外、半分くらいは片付けているかもしれんぞ」

「いつだって他人事なんだ、あなたは」

 恨みがましい目付きを向けられても、店長は表情を変えない。

「そう悲観的になるな、いつも言っているだろう。なるようにしかならん。百鬼夜行がこっちに来るのに変わりはないんだ」

 風が紫煙を流していく。その行方を追いながら、一は諦めたように肩を落とした。

「……後、どれくらいで来るんですかね」

「さて、堀からの連絡を待つしかないな。今はどうしようもない。お前らは先に中へ戻っていろ。体が冷えると良くないからな」

「店長は?」

「私はこれを吸い終えてから戻る」

「さいですか。……はあ。ナナ、まあ、そこそこに頑張ろうぜ」

「そうですね。完全に、完璧に、完膚なきまでにそこそこ頑張りましょう」

 一とナナが店内に戻ったのを見届けると、店長は携帯電話を取り出した。



「あら?」

 深夜の病院を見回るのは、オンリーワン近畿支部、医療部の長たる炉辺の仕事ではない。が、彼女は気まぐれでその仕事を引き受ける事がある。今夜も、炉辺は警備員を仮眠室に追い遣る形で彼らの仕事を奪っていた。

 その見回りの途中、三森と糸原の病室を覗いたのだが、彼女らの姿が見えない。扉は開け放たれ、二人の荷物も綺麗さっぱり消えてなくなっていた。

「……退院なんて、私、聞いてないのに」

 懐中電灯の明かりで室内を照らしても、やはり変わりはない。部屋に入っても、しんとした、冷たい空気が肌にまとわりつくばかりだ。ベッド、シーツは乱れたままだったが、ここからは何者かの気配が感じ取れない。恐らく、あの二人は自らの意思で出て行ったのだろう。今、どこかに行かなければならなかったのだろう。

 糸原の体は心配だったが、彼女が『ここ』を去ったと言う事実が、心配は要らないという何よりの証でもあった。彼女たちが何をしに行ったのか、何を成すべく動いたのか、炉辺には凡その事情が掴めている。元より、勤務外である者ならば、たった一つきりの――――。



 落ち着かない様子でバックルームをうろうろとし続ける一を見て、ナナは息を吐く、動作をする。

「マスター、ナナのマスターがそんな事では困ります。もっとどっしりと構えて頂かないと」

「けどさ、百鬼夜行を俺たちだけで止めるんだー、なんて言われたんだぜ? そりゃ、落ち着かなくもなるよ」

「そうやって同じ場所を行ったり来たりしていると、まるでノイローゼになった動物園のけだものではないですか」

 けだもの呼ばわりされて、一の動きがぴたりと止まった。彼はパイプ椅子を組み立て、そこへ乱暴に座る。一は煙草の箱を弄びながら、ナナを見上げた。

「……いつもいつも思うんだ。今度こそ、次は死んじまう、殺されちまうんじゃないかって」

「ご安心を。マスターにはナナがついています。今回は『一途』の使用も辞さない所存です。百鬼夜行の進軍、見事、阻止してみせましょう」

「一途って、アレ? 例の物凄い武器の事か?」

 ナナは自慢げに頷く。一はタロス戦を思い出し、胡乱げに彼女を見遣った。

「すげえ馬鹿火力の奴じゃなかったっけ? そんなもん打って、色々と大丈夫なのか」

「あの時は相手が相手で、最大火力で打ち込んだものですから。今回使用するにあたり、火力や本体の強度には改良を加えてあります。完全に、完璧に、完膚なきまでに、マスターのお役に立てると断言可能でしょう」

「だったら良いけど、共倒れなんて無茶はごめんだからな」

 微笑を返すと、ナナは自らの顎に指を沿わせる。何事かを思案しているような所作であった。

「私だけではなく、他の皆様も尽力している筈です。孤立無援ではないのですから、頑張りましょう。マスターの傍にはナナがいます。どうぞ、マスターは存分に力を奮ってください」

 奮う力が自身に備わっているとは言い切れない。どこまでやれるか、その先に何が待ち受けているのか、想像するだけで体は強張り、震える。しかし、一はナナの期待には応えたいと思った。

「……ありがとうな。うん。良し、やってやろうじゃないか」

「ええ、やってやりましょう」

「そうか。やってくれるか」

 バックルームに入ってきた店長を横目で見遣り、一は椅子から立ち上がる。彼女は底意地の悪そうな笑みを彼に向けた。

「堀から連絡が入った。全員無事で、どうやら百鬼夜行の内、二割程度は削る事に成功したらしい。くだんのソレの進行ルートがこちらの予想通りなら、後、十分程度で店の前を通る筈だ。そして今のところ、百鬼夜行はこちらが予想していた通りに進んでくれている」

「堀さんたちは?」

「今は討ち漏らしたソレを追跡しているそうだ。大物はあいつらで、逃した小物は支部からの応援に任せる手筈となっている。堀たちはそれが済み次第、百鬼夜行本隊の最後尾から交戦を始める、との事だ」

「挟み撃ちですか。しかし、合流するまで暫くの間は、私とマスターだけで本隊を押さえる事になりますね」

「そうだな」と、店長は頷く。

「まあた何でもない風に……俺たちは、先頭のソレと真っ向からぶつかれって事なんでしょう?」

 やれるな、と、店長は目だけで問い掛ける。一は勿論だと鼻で笑った。

「出会い頭、最初の衝突が鍵だ。そこで先頭を押さえ、足並みを乱しさえすれば進行も鈍る。ソレの足が止まれば、こちらにも勝ちの目が出てくるだろう」

「私が一途で突撃します。マスターにカバーしてもらいつつ、堀さんたちとの合流までは手近なソレから撃破していきましょう。ふふん、武器、弾薬の貯蔵は充分ですから」

「……一、お前がどれだけソレを止められるか、そこも忘れるなよ。ナナの足を引っ張るくらいなら自殺しろ」

「そんな言い方がありますか。言われなくても、給料もらってるんだ。その分は働きますよ」

「頼りにしている。それじゃあ、行こうか」

 一はロッカーからビニール傘を取り出し、ナナはジュラルミンケースを持ち出してくる。信頼出来る得物を掴んだ二人は、揃ってバックルームを辞した。……その後ろを店長がついてくる。

「って、店長も出るんですか?」

「ああ、お前たちがどれだけやれるようになったのか見せてもらうぞ」




 短くなった煙草が宙に浮く。風を受けたそれは紫煙と火の粉を撒き散らしながらアスファルトにぽとりと落ちた。

 目を凝らさずとも、視界に捉えずとも、ソレの存在は足音で分かった。もうすぐここに、すぐ目の前に百鬼夜行が来る。空気が振動し、体に流れる血がざわめく。

「百鬼夜行の先頭を確認、来ます」

 暗闇の向こう側、ぽつぽつと灯るものがあった。蒼白く、ほの暗い輝きが明滅する。一はアイギスの柄を握り締めた。はっきりと見えたのだ。百鬼夜行の先頭を往くのは、蜘蛛の胴体を持ち、牛の頭をしたソレである。怪物の周囲では火の玉が踊り、その後ろには骸骨が乾いた音を立てている。異形の鳥が翼を広げ、それらの足元には名状しがたいモノたちが蠢いていた。今、目に映るソレは氷山の一角に過ぎない。百鬼夜行は未だ、一たちに全貌を把握させていないのだ。

「時速は三十もないな。……刃傷と銃創のあるソレがいる。堀たちがやってくれたんだろう。百鬼夜行の足が鈍くなっているのかもしれんな」

 ナナが足を踏み出す。彼女は組み立ての終わった『一途』を手に、じっと前方を見据えていた。

「マスター、私は牛鬼を狙います。フォローをお願いしたいのですが」

「ああ、分かった。……牛鬼ってのは、あいつだな」

 グロテスクなフォルムをしたソレを確認し、一はアイギスを広げる。今から、百鬼夜行と戦うのか。重くなる気を、叫ぶ事で誤魔化す。胸の内、自らに宿る蛇姫は何も言わなかった。今はそれで良い。彼女はきっと、ずっと、傍に立っているのだろうから。そう、自分に言い聞かせる。

 百鬼夜行との距離は、数十メートルほどになっていた。ナナは一の前に出て、巨大な得物を見つめる。全長二千ミリ。重量三十キロ。アンチマテリアルライフルを改造した、オンリーワン近畿支部、技術部最後の希望であり、浪漫である。名は一途、液体火薬によって金属製の杭を射出し、敵対するモノを打ち、貫く武装だ。

「敵性存在との距離算出。頭部、腕部、胸部、脚部、装甲に異常なし。各部チェック、オールグリーン」

 ナナは腰を低く落として構え、一途の銃身部分を牛鬼に向ける。鼻先が見えるところまでソレは接近していた。

「行きます」

 アスファルトを踏み砕き、前へと出る。ナナの前進を確認し、一が牛鬼を見据えた。

 二メートル以上もある牛鬼の体躯が、ナナの持つ一途と衝突間近の距離まで迫っている。

 戦場の空気、怪物の息遣い、生温かい獣臭を肌で感じ、一は吐き気を催した。甲高い叫び声。明滅する炎。長い唸り声。黄土色に凝った眼球。金属を擦る音。蟲のような前脚。地面を踏み締める音。それら全てを受け、睨みつけて返し、

「『止まれ、牛鬼』」

 声を発する。蛇姫に意志を伝える。アイギスから光輝が溢れ、百鬼夜行を包み込む。ソレの先頭にいた牛鬼の動作が強制的に停止し、瞬間、爆発音がこの場にいた者の耳をつんざいた。

 一のすぐ目の前で白煙と蒸気が立ち上る。破裂し、炸裂した火薬は鋼鉄の杭を打ち出した。放たれた杭は牛鬼の顔面を爆散させ、尚も勢いは止まらず、ソレの後方にいた有象無象を貫き続ける。熱された鋼鉄は空気を切り裂き、ソレの命を飲み込みながら螺旋を描く。

 改良を加えたためか、一途の銃身は砕けず、反動も以前より大きくなかった。五体満足のナナは杭の行方を最後まで確認する事なく、腕を振り、袖から小型のガトリングガンを露出させる。ろくに狙いもつけないまま、彼女は弾丸の雨を敵陣に向けて降り注がせる。間断なく、音が鳴る。乾いた音、空薬莢が地面を叩く。疾走する凶器を受けたソレの頭がひしゃげ、それによって腹が食い破られる。呻き声は銃声に掻き消され、噴出する体液、血液が弾丸をその色に染める。ナナの真正面にいた怪物どもは吐瀉物を撒き散らし、胃の腑の中身をぶちまけ、自らの中身を散らしていく。そも、彼女にとっては狙いをつける必要などなかった。何せ、撃てば当たる。目を瞑っていても、ソレの方から当たりに来るのだから。百鬼夜行の先頭にいたソレは壊滅状態にあり、百鬼夜行の行軍も速度は落ち、今となっては停止しているも同然だった。

 それでも、やはりソレの数は多かった。ナナ単独では数百、あるいは数千の異形から成る百鬼夜行を止められない。同胞の死体を盾にしながら、怪物どもはじわじわと距離を詰め始める。ナナも片方の腕からブレードを出し、接近戦にも対応し始めるが、空中から迫るソレへの注意は散漫だった。

 細長く、しなやかな胴体。短い四肢。丸く小さな耳に、尖った鼻を持つ顔。イタチに似た獣が三匹、ナナの真上から降下を始めている。先頭のソレは何も持っていないが、二匹目のソレは鎌を握っていた。鈍く輝く刃が、確かに獲物を見定めた。

 一が駆け出す。牛鬼を仕留めた後、ナナの邪魔にならないように下がっていた彼だったが、彼女に向かうモノを認めると、既に目の色は変わっていた。戦場の熱に浮かされたように口の端をつり上げる。

「『かまいたち』かっ! 『止まれ!』」

 アイギスをかまいたちに向けた一が、メドゥーサに己が意志を宣言する。瞬間、空中にいたソレらの体が硬直し、得物を取り落とし、ばらばらと落下していく。

「ああっマスター! ナナは嬉しいです!」

「よそ見してんなよ!」

 かまいたちが地面に落ちて、ぐしゃりと耳障りな音を立てた。一はナナの近くにいた巨大な猫をアイギスで押し返し、彼女と背中を合わせる。熱を持ったナナのボディだったが、一は気にしなかった。

「さっきのは弾切れか?」

「イエスです。近接戦闘用にプログラム書き換え、完了しております」

 一たちの背丈の倍以上もある骸骨が進み、腕を振り下ろす。一がアイギスで受け止め、間を詰めたナナが掌底でソレの体を粉々に砕いた。ばらばらと散り、落ちる骨を払い除けようともせず、彼女は足元にいた鼠の群れを震脚によって踏み潰す。そのまま、

「オーダーを、マスター」

「やるか、やられるかだ!」

 飛び掛かってくるモノが一の目に映った。三本指の鋭い爪が振り下ろされる。アイギスで受け止めるも、彼はバランスを崩して後ろへ倒れそうになった。歯を食い縛り、眼前に迫る怪物を見据え返す。奇声を上げ、生臭い息を吐きかけるソレの全体像を確認し、一は息を吸い込んだ。

「てめえは『しょうけら』だ! 『止まってろ』!」

 動かなくなったしょうけらを弾き飛ばすと、周囲のソレを片付けたナナが戻ってくる。彼女は地面に倒れ伏すしょうけらの頭部を踏み砕き、背後から近づいていた火の玉を鉄山靠で掻き消した。

 百鬼夜行が進軍を再開する。新たに、先頭を行くソレが現れたのだ。睨み合い、向かい合い、一はアイギスを構える。頭の中に叩き込んだ筈の資料を思い出す。名を、体を、己の敵をメドゥーサに伝える為に、それだけの為に。

「……『山姥』、『犬神』、『狐火』」

 ナナがブレードを構え、腰を低く落とす。

「『網切』『火車』『鉄鼠』『絡新婦』『飛頭蛮』『野寺坊』『逆柱』」

 彼女が駆け出すのを見計らい、一は早口になって、視線を忙しなく動かし始めた。

「『わいら』『水虎』『おとろし』『牛鬼』『赤舌』っ、『般若』!」


『――――欲張り』


「まとめて『止まれ』!」

 アイギスが光輝を帯びる。一の体から力が抜け、彼は片膝をつく。ナナが動きの止まったモノから斬りつける。彼女は四肢を余さず使い、討ち漏らしがないように攻撃を加えていく。

 頭が痛む。目が痛む。鼻を啜りながらで、一は再び立ち上がった。

「『大首』! 『野衾』! 『以津真天』!」

 一はメドゥーサを複数の対象に向け、間を置かず連続で使用している。精神のみならず、肉体にも負荷は掛かっていた。ミノタウロス戦で流した血を思い出すも、彼はメドゥーサを使い続けていた。

 ナナが一のもとに戻ろうとするも、彼はそれを手で制した。

「止まるなっ、俺も行く!」

 上半身を失った骸骨が一に襲い掛かるも、彼はアイギスを畳み、ソレを殴り飛ばす。乾いた音が響き、一は得物を振るった。向こう側から、多数の灯りが見える。数え切れない火の玉が、ゆらゆらと中空に揺れていた。

「……あんなもん、違いが分かんねえぞ……」

 一が呻き、一瞬間空を見上げた時、一たちのいる場所よりも奥、百鬼夜行の後方から銃声が聞こえた。



 ワゴンを停止させるよりも先にドアが開く。堀が指示を下すよりも早く、後部座席からジェーンが飛び出し、立花が屋根から飛び降りた。

「うぉおおにいちゃあああああぁぁぁぁああん!」

 だん、と、地を蹴る音が鳴る。暗がりの中、それぞれの得物が閃く。鋭く、速い剣閃は数多のソレの体に走っていた。腕が、足が、頭が、腰が、胸が。分かれて落ちる肉片を横目に、ジェーンが駆け出す。撃ち尽し、弾丸を装填し、またも撃つ。彼女はあえて百鬼夜行の中に飛び込み、内部からソレの数を減らしていく。

「無茶し過ぎです!」

 車の中から堀が叫んだ。彼は技術部から借り受けた鉄製の槍を構える。

「二人とも! 私はフォロー出来ないと言ったでしょう!?」

「聞いてるよ!」

 陣形が崩れたところを狙い、立花が外側から百鬼夜行を切り刻む。彼女は走りながらで怪物どもを切りつけ、刃毀れし、刀身の折れた得物を投げつけると、新たに刀を抜く。数本の竹刀袋を背中に結わえつけた立花は、決して立ち止まらない。動きの素早いジェーンの後を追い掛けていた。

 二人の姿が見えなくなり、堀は迷いつつも足を踏み出す。槍で以って、息のあるソレに止めを刺し始めた。彼が槍を一度振り、手元に戻す。得物の先端には怪物の首が連なって刺さっており、堀はつまらなさそうにそれらを見遣った。

「……百鬼夜行が鈍く、いや、止まっている?」

 百鬼夜行は堀の予想よりも近い場所で進軍を停止している。一とナナが、彼の予想以上の働きを見せたのだろう。先頭部分は彼らが潰し、後方からジェーンと立花が潰していけば効率は良い。後は、全員がどこまで粘れるかである。少しでも手を止め、足を止めてしまえば、百鬼夜行の物量に飲み込まれてしまうのは明白だった。



 店長は煙草を吹かしながら、百鬼夜行に立ち向かう一たちを眺めていた。戦う前は酷く不安がり、怯えていた一だったが、一度始まってしまえばこんなものなのだ。メドゥーサの力を使わずとも、アイギスを振るいながらで前進出来る。

「……堀たちが戻ってきたか」

 恐らくはジェーンの得物が放ったであろう銃声を耳にし、店長は目を瞑った。

 前から一とナナが、後ろからジェーンと立花がソレに挑む。このままいけば、百鬼夜行の壊滅も時間の問題だろう。……体力さえ続けば、気力さえ持てば、ではあるが。根本的に、数が違い過ぎるのだ。百鬼夜行を構成するソレ、個々の力は円卓のメンバーに比べれば遥かに劣っている。しかし、物量の差は大きい。それでも、分かっていて送り出した。今戦っている者たちは、分かっていて出て行った。

「後、一枚か二枚は欲しいところだが」

 ぷかあ、と、紫煙を吐き出す。店長は表情を変えないまま、骸の河にて血を浴び、咆哮する一を、つまらなさそうに見遣った。



 腕が重い。足が鈍い。一歩踏み出す度に体が軋んで、心が歪む。数え切れない、数えたくもない命を奪い、また、奪う。息を吸い込むと、嗅覚が壊れてしまったかのように思えた。息を吸えば血の香しかしない。唾を飲み込めば鉄の味しかしない。飛び掛かるソレをアイギスで防ぎ、叩き、殺す。足首を捕まれ倒れ込む。耳元で断末魔が上がる。

「危険です、一度戻りましょう」

「……いや、駄目だ」

 ナナに起き上がらせてもらいながら、一は大儀そうに口を開いた。

「あの二人も来てる。行けるところまで行くんだ」

「しかしっ、あの、もう限界です。マスターは……戦えそうにありません」

「やるんだよっ」

「私が肩を貸さなければ、マスターは立ち上がる事すら出来ない! 戻るんです。ここで死ぬおつもりですか?」

 そんなつもり、毛頭ない。そして、一にはここで戻るつもりもなかった。彼は自棄になっていたのである。

「戻ったって無駄だよ。どうせまた、ここに来るんだ」

「何を、そんな! 捨て鉢にならないでください!」

 ナナの言うとおり、一の肉体は限界に達しつつあった。戦いというのは、酷く疲れる行為である。いつ殺されるかも分からない場所に立ち続ければ、心は酷く傷つけられるものだ。

「ここで退いたら! 誰がこれを殺すんだ!? ここでやらなきゃ仕方ねえだろうが!」

 先の見えない戦いに、体よりも先に心が参っていた。一は血の混じった唾を吐き捨て、アイギスを構える。飛び込んだソレが衝突し、彼はたたらを踏む。

「俺が殺すって言ってんだ!」

 ナナを押しのけ、一が倒れたソレを蹴っ飛ばした。犬に似たけだものが低く呻いてアスファルトを転がる。

「マスタ――――上からです!」

 一が顔を上げた。民家の屋根から、何かが降ってくるのが見える。巨大な蜘蛛が数匹、彼を押し潰さんと落下を始めていた。



 ――――阻止するもの(ドローミ)

 その名を冠したモノが夜の闇を裂く。閃いた銀色の光が、幾筋もの線を漆黒色の中に浮かび上がらせる。

 一たちを踏み潰そうとして跳躍していたのは、憎くもあり、懐かしくもある怪物だった。八本の足を巧みに使い、真っ赤な眼球を光らせて獲物を狙う。土蜘蛛と呼ばれるソレとの出会いは、彼女にとっては遠い過去の遺物であり、愛すべき記憶でもある。あの日、死を覚悟した。あの夜、背負った事のない重圧を感じながら、己が運命を呪った。あの時、寝転がって見た星は馬鹿みたいに綺麗で、馬鹿みたいな顔をした彼があの場に駆けつけてくれたのが、

「縛りつけるのは卒業ね」

 とても、嬉しかった。

 ――――悪知恵で縛りつけるもの。

 レージング、その名の意味を聞いた時、自分にはぴったりで、これ以上なく打ってつけだと思い、笑ったのを覚えている。他者の意図を操ろうとする自分には最高の得物だと、そうも思ったのを覚えている。だが、それでは足りなかった。何かを奪い、誰かを傷つけるには易い。奪おうとするモノから、傷つけようとするモノから守るには、あまりにも無力だった。

 だから彼女は、糸原四乃は力を望んだ。傷つける為に戦うのではなく、守る為に戦うのを選んだ。技術部に預けたレージングは、名を変え、新たな力を得てこの手に戻ってきた。選び、決めた。もう、手は震えていない。少なくとも、彼の前で無様に縮こまり、震える事はないだろう。



 寸断された土蜘蛛の脚が落ちる。分断された土蜘蛛の胴が落ちる。切断された土蜘蛛の群れが落ちていく。百鬼夜行に血の雨を降らしたソレは、一たちの見ている前で分解された。

「……これは」

 ナナがソレの死骸を見つめる。言葉はなかった。出てこなかったのである。

 一はその場に座り込みそうになるのを堪え、銀色の光が巻き戻るのを認めた。その先に立っている者を見て、彼は口の端をつり上げる。そうしてから、思わず声に出して笑ってしまっていた。

「懐かしいわね」

「こいつらが、ですか」

 一はばらばらになった土蜘蛛を指差す。

「それもあるかもね」

 百鬼夜行を眺めながら歩くのは、闇に溶けそうなほどの、黒いスーツを着た女だった。彼女は先刻振るった得物、ドローミを手元に戻し、にっと口角をつり上げる。意地の悪そうな笑みだったが、一にはそれが天使の微笑にも思えた。

「腕は?」

「今見せたとおりよ」

「良かった。ああ、本当に」

「何よ、もっと喜んだらどうなの?」

 糸原四乃。彼女が戻ってきた事実を噛み締め、ようやくになって真実だと実感する。糸原は何気ない動作で、ともすれば、ここが自分の定位置だと言わんばかりの傲慢な所作で一の隣に並んだ。背の高い彼女は一を見下ろし、髪の毛をかき上げる。

「それにしても、随分と長い間待たせてたのかしら?」

「いや、俺もついさっき来たばかりですから」

 二人は視線を交わし、堪え切れないという風に噴き出した。すぐそこにある死の恐怖を無視しながら、である。

「シャバの空気は違うわね。鉄臭くて刺激的。上から下、右から左にソレがうじゃうじゃ、嫌でもあん時を思い出しちゃう。虫唾が走るわー…………蜘蛛が相手だっただけに」

「全然上手くねえですから」

「それよかさ、こんな時間に出てきたからすんごくお腹が減ってるの。今何時だと思ってる? 草木も眠るって奴よ、お肌に悪いわ。あ、帰ったら、何か食べさせてよね。私を満足させるものを出さなきゃビンタすっから。ばちーんっていくから。あー今! 無性にお肉が食べたいなー、お菓子も食べたいなー。……にのまえー、何だか、あんたを食べたくなってきたかもー。いただきまーす、して良い?」

「全然美味くねえですから」

「……お二人とも、ここがどこなのかお忘れなく。そして、あなたたちがじゃれ合っている間に頑張っていたナナの事をお忘れなく」

 咳払いする振りをしながら、ナナが足で地面を叩く。

「いよっす、ナナたんも、ただいまー。ところで、一との距離が何だか近くない?」

「ふふん、糸原さんのいない間、マスターはいただきましたから。そうですよね、ね、マスター」

「ぎゃーっ泥棒猫! 一っ、私を捨てるつもりなのね、よよよ」

「ようし、百鬼夜行を倒すぞ!」

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