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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ザッハーク
234/328

太陽プラズマダイブ



 砂漠の国に悪を知らぬ子がいた。悪を恐れず、どこまでも無垢な子だった。それ故に、悪を知らなかった。知らぬが故に悪を悪だと疑う事すら出来ず、悪神の口車に乗せられた。

 子は悪神に唆され、実の父親を殺害し、王位を簒奪した。子は、王となったのである。

 その後、悪神は料理人に姿を変えて王に近づいた。料理人は素晴らしい料理を振る舞い、王の信頼を勝ち得た。彼の料理の腕前に感服した王は、望みのものを与えると告げた。すると、料理人は静かに口を開いた。


『肩に、口づけさせていただきたい』


 王は承諾した。だが、料理人が王の両肩に口づけした瞬間、そこから黒々とした蛇が二匹生えてきた。料理人は姿を晦まし、王は酷く怯えた。狂いそうになりながらも、肩の蛇を切り落とす。しかし、不思議な事に蛇は次から次へと生えてきた。蛇は何度切り落とされてもその傷痕から再生し、王の肩で鎌首をもたげるのだ。

 悪神がもたらした蛇に苦悩する王は、医者を呼びつけた。


『運命です。受け入れなさい』


 そう、医者は言う。王はそれでも彼に助言を求めた。


『陛下、これは避けられない定めなのです。蛇はそのままにして置きなさい。そして、一日に二人の人間の脳を蛇にお与えなさい。そうすれば、蛇は眠り続けるでしょう』


 王は医者の言葉を信じた。医者は、件の料理人と同じく、悪神が姿を変えたものだった。

 王は医者の言葉を信じた。苦悩した末に、人の脳を蛇に食らわせたのだ。無論、蛇は眠りなどしない。王はただ、蛇を養う為だけに国民を殺し続けた。



 当時、砂漠の国――――ペルシア――――を支配していたのは名君として名高い、ジャムシード王だった。彼は神より黄金の腕輪と短剣を授かり、武器を開発し、四つの社会層を定めた。その治世においては、数百年もの間、国民を救い続け、ジャムシード王は黄金時代を築き上げたのだ。

 しかし、ジャムシード王は神ではなく、人であった。晩年、王は自らの偉業に慢心し、尊大となり始める。神の恩を忘れ去り、自らを創造主と呼ばせたのだ。神の恩寵も、王のもとからは消え去った。民衆はジャムシード王に愛想を尽かし始めた。

 ジャムシード王治下の民は蛇に呪われた王の下に集った。ザッハークは兵を率いてペルシアに侵攻する。ジャムシード王に対する民衆の不信を煽り、自身は民衆の支持を得ると、彼はジャムシード王の首を切り落とし、遂に大ペルシアの王位をも簒奪する。

 ザッハークは民衆に歓迎された。新たな黄金時代の訪れだと、誰もが夢を見た。訪れたのは、新たな暗黒の時代であった。ザッハークがもたらしたのは絶望であったのだ。……何故なら、かの王の両肩には二匹の黒蛇が巣食ったままだったからだ。悪神の言葉を信じ続けるザッハークは、毎日二人の若者を殺し続け、その脳を蛇に喰らわせ続けた。



 終焉は訪れる。

 千年にも渡るザッハークの支配を打倒したのは、後にこの国の王となる英雄だった。

 英雄は、ザッハークを。悪神に唆され、蛇に呪われた男を――――。



 ――――礼讃せよ。



 黒い蛇が踊るように宙を滑る。蛇の向かう先には一がおり、山田がおり、北がおり、彼らはそれぞれに抗うも、間断なく繰り出される死角からの攻撃に倒れていく。それでも、また立ち上がる。起き上がって食らいつこうとする。

 ザッハークは、暫し、ぼうとした表情で歩みを進めていた。セイレーンの血を引く歌代チアキ。ザッハークは彼女がこもる部屋の前に立ち、扉に手を掛ける。鍵は掛かっていなかった。

「坊主っ何してやがる! 寝てる場合じゃねえんだぞ!」

 ちら、と、背後を見る。蛇の突進を受けた一がうつぶせに倒れており、山田が何度も彼を揺さぶっていた。ザッハークはつまらなさそうに息を吐き、部屋に足を踏み入れる。暗い部屋だ。殆ど、何も見えない。だが、彼の肩に居座る蛇は獲物がどこにいるのか、しっかりと捉えていた。

 ザッハークも確認する。部屋の隅、アイネが蹲っているのが見えた。そして、彼女を庇うようにして立っていたチアキの姿も認める。恐怖に歪み、涙を湛えた彼女の瞳は――――。

「――――美味そうだ」

 早く食べたくて仕方がない。蛇に食わすには惜しい逸材だと、ザッハークは舌なめずりする。そうして、まずは一歩。ぎしりと、床が鳴る。

「……あ、く、る」

「美味そうだ」

「くる」

 チアキの視線は定まらない。目まぐるしく動き続ける。悲鳴すら上げられず、意識を失う事も出来ず、ソレを目前にしてチアキは狂い、壊れてしまったのかもしれない。

 また、一歩。漆黒の蛇が舌を出す。奇声を放つ。

 もう、一歩。

「く、る……る」

 その時、部屋の外から音が聞こえた。あの三人の内の誰かが、こちらに向かって走ってきているのだろう。チアキを助けようとして、必死に。もう遅い。ザッハークの手は、既に彼女の首元まで伸ばされていた。


「『来るな』」


「――――ッッ!?」

 ぐるぐると動き回っていたチアキの視線が固まる。位置が定まる。彼女の濡れた瞳は、ザッハークを捉えている。

 その瞬間、びくりと、ザッハークの手が震え、彼は思わずその腕を引っ込めた。そうして、ザッハークは自分でも気付かぬ内に後退りしている。何が起こったのか、彼には全く分からず、何も思いつかなかった。

「『うちに、触るな』」

 しわがれたその声は、何よりも透き通り、誰よりも清廉だった。気付かぬ内、ザッハークの脳内ではチアキの声が繰り返し流れ、彼女の声が思考を占めている。『歌代チアキに逆らうべきではない』と判断する。が、ソレは何者かの下につく事をよしとしない。即座に立ち直り、再び手を伸ばす。

 チアキが稼いだのは一秒にも満たない、僅かな隙間だ。だが、それで充分だった。

 空を翔る靴、タラリアの所持者である北がザッハークの頭頂部目掛けてハルペーを振り落としている。ソレは反応出来なかったが、左肩の蛇が北に襲い掛かっていた。彼は攻撃を弾かれるも、臆せず蛇を蹴り上げる。ハルペーを手元に戻し、今度は右肩の蛇を切りつけた。

「伏せてな嬢ちゃん」

 蛇が再生するよりも早く、北がハルペーを切り下ろす。が、ザッハークは身を捩ってそれを回避した。

「ちくしょうがっ」再び生え始めた蛇を見ると、北は悪態を吐く。

 膠着状態に陥るかと思われたのも束の間、山田が追いついた。彼女は指の骨を鳴らしながら不敵な笑みを浮かべる。

「ここまで好き放題やられてよう、笑えてくるぜ本当によ」

「……餌の分際で我輩にここまで楯突くとは。呆れたものよ」

 北がハルペーを握り直し、山田が拳を固める。ザッハークがチアキから目を逸らした刹那、彼の視界を奇怪な光が覆った。

「蛇は任せました」

 起き上がり、追いついた一がメドゥーサを使ったのである。ザッハークの両肩に巣食う蛇は怒り狂ったかのように暴れるが、すぐに首を切り落とされ、首を絞められる。メドゥーサに囚われたザッハークは山田と北の二人掛かりで部屋から押し出された。



 一は息を吐き出す。ザッハークが部屋の中に入った時は、心臓が止まるかと思っていたのだ。荒い息を整えて、彼は立ったまま涙を流しているチアキを見遣った。

「し、しょう……うち、もう……」

 せめて、チアキだけでも助けられないだろうか。ザッハークに勝てるのか。殺せるのか。ここで戦い続けていても、待ち受けるのは破滅ではないか。と、そこまで考えたところで一は頭を振る。鈍った思考、乱れた意識では生死をやり取り出来なくなる。

 一は最後に、アイネを見た。彼女は一から視線を逸らし、申し訳なさそうに俯くばかりだった。構わない。これ以上アイネに期待するのは、辛かったのだ。

「もう少しだけ待ってろな」

 返事は聞かず、一は戦場に戻る。……辛かった。日常が、非日常に犯されていく。今も、ソレは暴虐の限りを尽くそうとしていた。



 蛇の頭が吹き飛ぶ。山田が足を踏み出し、別の蛇の突進を喰らって地面に転がされる。再生した蛇は倒れた彼女を狙うが、一が割り込んだ。アイギスと漆黒色の体躯が衝突する。瞬間、北がハルペーでその蛇の頭部を切り裂いた。再生した蛇が北を狙う。一が彼の前に立ち、アイギスを広げた。再生した蛇たちが、同時に盾へと突っ込む。衝撃に耐えられず、一は叫んでたたらを踏んだ。再び、蛇が一へと迫る。右から。左から。ゆらりと起き上がった山田が蛇の体を捕らえ、引き寄せ、引き千切る。北が得物を振るうと、蛇の頭が断ち割られた。そしてまた、蛇が再生する。この間、ザッハークは何もしていない。動かず、ただじっとアイネの部屋を、その中にいるモノに思いを馳せている。

 誰も口を開かない。中内荘の三人はひたすらに蛇を殺し、己に課せられた役割を果たし続ける。だが、届かない。ザッハークを殺すまでには、あまりにも遠かった。



 ザッハークはアイネ=クライネ=ナハトムジークを救った訳ではない。彼はただ、あるがままに、欲するがままに動いたに過ぎない。その結果、たまたま彼女だけが生き残っていた。

 その結果を、アイネは『自分は助けられた』のだと受け止めていた。……親を殺され、故郷を失い、尊厳を踏み躙られた。絶望の底にいた彼女には、儚い希望が必要だったのである。生きていく為に、アイネは救いを求めた。救世主を創り出した。否定されようとも構わない。何故なら、彼女自身が過ちに気づいていたからだ。救いなどない。救世主などいない。アイネにとって世界とは、甘いものではなかった。

 一が何を言おうが、彼に何と言われようが、アイネは全てを理解している。

 外はあまりにも眩しい。あまりにも厳しく、辛い。だからアイネは、立ち上がる。

「……アイネ?」

「ありがとう、チアキ」

 そうだ。何を迷っていたのだろう。何を恐れていたのだろう。だってそんなの、今更じゃないか。アイネはチアキを見遣り、微笑む。

 そうだ。何もかも今更だ。だって自分は、ここで生きると決めたのだから。だからアイネは歩き出す。

 一度世界を終わらせられた。

 一度世界を始めさせられた。

 ここで生きると決めた。

 ここで死ねると思った。

 救いはない。救世主はいない。しかし、好きな人がいる。何を捨て置いても守らなければならないものがある。アイネを救ったものはザッハークではない。彼女を救ったのは、救っていたのは、父の言葉であり、一の言葉だった。それさえ思い出せれば、後はもう簡単だった。アイネの体は不思議と軽くなり、鬱々としていた気持ちはどこかへと吹き飛んでいた。扉を開ければ、光が差し込む。こんな簡単な事にも気づけなかったのかと、彼女は太陽を見上げて、笑んだ。



「三頭三口六目を持ち、竜の姿をしたそれは悪神の配下であり、悪そのものでもあります」

 一は倒れたままで顔だけを上げた。朗々とした声で、歌うように言葉を紡ぐのは、アイネである。彼女は縁の厚い眼鏡をしておらず、蒼空を思わせるドレスも着ていない。飾らず、ただ、そこにいた。そのままの姿でザッハークを見つめている。

「千の魔法を用いて、善神の配下である火の神とも戦いました。剣で傷つけられても、その傷口からは有害な生物が涌き、這い出る。それが、あなたに巣食うモノです」

 山田にも北にも、アイネの言葉の意味が分かっていない。だが、この場においてはただ独り、彼女の意図を理解する者がいた。

「……我輩を知る者がこのような島国にいるとはな。面白い、世界とはやはり、広いものだ。砂と誇りに塗れたままでは体験出来なかった、か」

「ずっと、追いかけていましたから」

 ザッハークは腕を組み、アイネを見返す。

「いつか、戦う日が来るのかもしれない、と」

 アイネは得物を握った。彼女のそれは折り畳み式のレイピアである。アイネが右腕に持ったレイピアを勢い良く振ると、先端から鋭い刀身が飛び出した。

「我輩に歯向かうか。餌の分際で健気な事よ」

 蛇が蠢く。新たな獲物の登場に、感情を持ち得ない筈の瞳が鈍く、怪しく輝いた。そうして、左肩の蛇がアイネに向かう。

「にっ、逃げろアイネ!」

 一が叫んだ。が、アイネは動じない。彼女は鞭を取り出して、蛇の眼球を叩く。蛇の動きが僅かに鈍ったところを狙って前に足を踏み出し、レイピアで蛇の頭部を貫いた。

「ご安心を、ウーノ。『貴族主義』は戦えますわ」

「……大丈夫、なのか?」

 一に頷いて返すと、アイネはレイピアの切っ先をザッハークに向ける。

 切っ先がゆらゆらと動いて、アイネの体が沈んだ。二匹の蛇が彼女に迫る。風を切る音がして、蛇の動きが止まり、次いで、血飛沫が上がった。漆黒色の蛇が絶命したのを確認し、アイネはザッハークの胸を貫こうと得物を突き出す。ザッハークはその攻撃を回避し、後ろに下がった。

 その光景を見て、ふと、一は違和感を覚える。何がおかしいのか、そも、本当におかしいのかどうかは分からない。ただ、何かが引っ掛かった。

「……あー、いてえ」

「ちくしょう酒が呑みてえ。煙草吸いてえ」

 倒れ込んでいた北と山田が起き上がる。山田はアイネが戦っているのを見て、嫌そうに顔をしかめた。

「今頃出てきてんじゃねえぞ、おい。良いところ持っていこうとしやがって」

「さようでございますね」

 曖昧に微笑み、アイネはレイピアを持つ腕を下ろす。彼女の傍に一たちが寄って、ザッハークと向かい合う形になった。

「で? アイネさんよ、お前が出てきてくれたのは良いけどな、こっからどうするつもりだ?」

「何か栞さん、アイネに当たりが厳しくないですか?」

「うるせえな。オレはこういう、うじうじしたのが気に入らねえんだよ」

 北が溜め息を吐く。彼だけは会話に加わらず、ザッハークの動向を観察していた。

「一人増えたって、どうにかなるとは思えねえぜ、オレはな」

「ふふ、さようでございますね」

「何笑ってんですか、あんたら」

 そう言う一の口元も歪んでいる。アイネが戦ってくれる。これで駄目なら後がない。もう、仕方がない。最後の切り札が投入された今、彼の気持ちは軽くなっていたのだ。

「ザッハーク本人には攻撃が入る。最悪、三人で蛇を止めて、残った誰かが仕掛けりゃ良い」

「俺は蛇を止めるのに回ります。後は任せました」

 一は畳んでいたアイギスを広げ、ザッハークと、それから彼の両肩に生える蛇を睨みつける。

「話はまとまったかよ、坊主に嬢ちゃん。だったら俺ぁ行くぜ。蛇ってだけで、野郎には借りがある」

「ああ、オレもだ。何かよう、他人って感じがしないんだよな、色々と。お陰で殴りやすいったらねえぜ!」



 北が飛ぶ。文字通り、タラリアの能力を使用して空を駆ける。彼の動きに反応して、右肩の蛇が首を伸ばし、体を伸ばした。

 ハルペーが閃く。蛇の頭が胴体と離れて中空を舞った。左肩の蛇が一拍遅れで飛び出す。一がアイギスを突き出すようにして前に出る。ぶつかった拍子に蛇の体躯が後ろに下がる。レイピアを突き出したアイネが数歩踏み込んだ。蛇の下顎、口腔内を突き抜けて、彼女の得物が空を突く。再生する蛇を北が押さえ、山田がザッハークの鼻先に拳を繰り出す。裂帛の叫びと共に、彼女の拳がソレの鼻骨を砕いた。ザッハークはぐらりとよろけ、ゆっくりと後退りする。ソレは自らの鼻に手を添え、折れたそれを無理矢理に戻す。二匹の蛇が漆黒色の風となった。一たちは距離を取り、確かな手ごたえを感じる。

 これならいける。そう思い、そう願い、そう、祈る。誰もが祈って、最後の気力を振り絞る。

 ザッハークは激しない。彼に巣食った魔だけが、憤ったかのように、狂ったかのように動き回っていた。

 無限に再生する蛇の相手をしながら、一は自分の腕が徐々に腫れ上がっていくのに気づいている。山田は己の腕が軋み、苦痛の声を上げているのに気づいている。しかし、両者はそれを無視した。見えない振りをして、聞こえない振りを通す。そうして、蛇を狩り続け、宿主であるザッハークに迫り続ける。

 北英雄は、この状況をどこか遠いところから見つめているような感覚に囚われていた。因縁のあるゴルゴンが相手ならいざ知らず、もう二度と、戦う事を選ばないだろうと、彼はそう思っていたのだ。だが、今もこうしてハルペーを握り、タラリアで戦場を駆けている。

「悪くはねえがな」

 血が騒いで、馴染んでいるような気さえしていた。ここで果てても、英雄を貫き通せるのなら構わない。そう、思い始めていた。

 戦闘が長く、激しくなるにつれ、遂にザッハークが感情をあらわにし始める。彼は口の端をつり上げ、眼を見開き、『餌』の抵抗を好ましく思うようになったのだ。久しく忘れていた戦いが、元来所持し、今は鳴りを潜めていた、ザッハークの好戦的な性質を引き出したのだろう。


「ウーノ、ここは退きましょう」


 冷めた声に驚いたのは呼びかけられた一だけではない。

「……何言ってんだ、アイネ?」

 蛇の猛攻の隙間を縫い、一は咄嗟にザッハークから離れていた。彼はアイネを見遣り、信じられないとでもいった表情を浮かべている。

「てめえこら自分だけ逃げようってのか!?」

「嬢ちゃんなあ! 英雄だって死ぬ時は死ぬんだぞ! 俺を見殺しにするつもりかよ!」

「餌としての自覚はあるようだ。が、ここまで我輩を乗せたのだ。興を削ぐでない」

 当の本人、アイネは涼しい顔で自らに注ぐ声を受け流していた。

「よく考えておきたい事がございますの。お二人、時間を作ってもらってもよくって?」

「よくねえよ!」

「ふざけんじゃ――――うおわああああああ!?」

 一は一人だけで勝手に距離を取ったアイネに駆け寄り、彼女をまっすぐに見つめる。何から言えば良いのかと、頭を悩ませた。

「……あのな、いきなり何を」

「ザッハークを倒すのでしょう? ウーノ、あなたも気付いているのではなくって?」

 戦闘に目を遣りつつも、一は口を開く。

「何をだよ」

「ザッハークが、人である事に」

「は、はあ? あいつはソレじゃねえか。化け物だって、アイネだって言ってたろ」

 肩から蛇を生やし、人を餌と称し、自らを円卓だと告げるモノを、どうして同じ人だと思えるだろうか。一は困惑するが、アイネは至極真面目そうな表情で続ける。

「勿論、アレが神代の王である以上、ソレである事に変わりはありません。ですが、必要以上に怯え、竦むのは……」

 そこまで言おうとした時、アイネは一の視線に気づき、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「ええ、ええ、全く、その通りだと存じます。……どうか、お許しを」

「今だけは聞き流しておくよ。それより早く、何なんだ? ザッハークは俺たちが思ってるよりかは怪物じゃない。だけどソレなんだろ? アイネ、お前は何が言いたいんだ?」

「そう、早口でまくし立てずとも。つまり、アレは充分殺害可能なのです」

「だけど、栞さんの攻撃だって……」

「当たった筈、効いた筈ですが?」

 確かに、山田の攻撃はザッハークに通っていた。だが、彼女の言が、自分の感覚が真実ならば、ソレの肌は岩石のように固く、何よりも重い。ただの、人の肉体が、果たして本当に――――。

「……あれ? やっぱ、そうだよ。何で、そうなるんだ?」

 一は頭に手を遣り、ザッハークをねめつけた。

「なんで、栞さんの攻撃が通ってんだ?」

 山田とザッハークが初めて交戦した時、彼女の拳はソレの肉すら叩けなかった。次に戦った時、つまり今、山田の攻撃は確かにザッハークに対してダメージを与えていた。一は、彼女が本気を出したからだと判断していたのだが。果たして本当に、そう、易々と『いける』ものなのか? 晒しを巻いて、気合を入れて、それだけであの固さを、あの重さを、物ともしない一撃を放てるのか?

「それだけではありません。私のレイピアも、北様の得物でもザッハークには届くでしょう。……届くでしょう。しかし」

「――――北さん!」

 名前を呼ばれた北はぎくりとしたが、蛇の追撃をかわしながら一に答えた。

「驚かすな!」

「ハルペーは、届きましたか!?」

「まだだっ! 当たっちゃいねえ、それより早く戻れ! 何してやがんだ!?」

 アイネの言いたい事を理解し、得心した一の呼吸は荒くなっている。そういう事かと、期待感に胸が膨らむ。

「『神社』の打撃は通せても、我々の斬撃は通せないようです。何故なら、喰らえば、死ぬから」

「でも、なんでだ? ハルペーを喰らっても、本当に通用するのかよ」

「正確に言えば、死んでしまうかもしれない、でしょう。……黒蛇が不死だとしても、ザッハークもそうであるとは言い切れないようですから」

「仮定でしかない。命かけるにゃ早過ぎるぞ」

「では、一つ試してみましょう」

 レイピアを持ち直し、アイネは悠々と闊歩する。獲物を見定めながら距離を詰めていく。

「ウーノ、フォローを」

 死んだ蛇が再生し、復活した蛇が殺される。その繰り返しの中、アイネが一気に間を詰めた。彼女の動きは素早く、一では追いつけない。

 北が蛇を殺す。

 山田が蛇をねじ切る。

 両肩の蛇が『死んでいる』瞬間、アイネはレイピアをザッハークの胸を狙って突き刺す。が、ソレは腕で己の胸を庇い、逃れるようにして彼女たちから距離を取った。追撃を試みるアイネだが、それは再生した蛇によって阻まれる。仕方なく、彼女は後方へ戻った。

 そうして、アイネは嗜虐的な笑みを浮かべる。底意地の悪そうな、性根の曲がったそれだった。

「……ふ、ふふ、よくって? よくってよ、ザッハーク」

「何も持たず、何も得ない餌が何を言うか。こと、ここの餌場に限っては我輩にとって一握の価値もないと知れ」

「その通りです。私は何の価値もない、しがないフリーランスですわ。故郷もない。家族もない。あなたにとっては餌にもならないモノでしょう。ですが――――」


「――――何故、恐れるのですか?」


 その問いには答えず、代わりに、蛇がアイネを襲った。だが、彼女は流麗な動きで攻撃をかわし、蛇の眼球を貫いて笑む。

「この切っ先を恐れるあなたに価値は! 他者を食い潰すあなたに価値が! ……果たして、あるのですか?」

「我輩に対して、王に対して問い掛ける事ではない。跪け、餌が。食われ、我輩の血肉となるが必定よ」

 再生した蛇を従えるように立ち、ザッハークは真正面からアイネを見た。……初めて、彼女を視界に捉えたのだ。

「我輩は三つ首の邪竜である。この世全ての悪を司るモノの眷属である。人風情が、我輩を人と見なすか。愚かな」

「では千の魔法を駆使しなさい。その傷口から害あるモノを生み出してみなさい。どちらにせよ、あなたも最終的には、殺されるのですから」

 蛇を殺しながら、アイネは口を開く。彼女の気迫に圧され、あるいは任せるかのように、一たちは暫し、アイネの演舞に見蕩れるのみだった。

「真実のっ、三頭三口六目の竜ならいざ知らず! ザッハークっ、あなたの最期はダマーヴァンドの山ではありません!」

「王に歯向かうかっ、餌がァァァァ!」



 何もかも失った。そう思っていた。

 だが、まだ胸に燻るものがある。この目に焼きつくものもある。ここで、駒台で生きるのならば、それら全てを焼き尽くす必要があるだろう。構わない。アイネは決意する。灰になったとしても、真に大切なものは、必要なものは形にはならず、残らないものだと知っているからだ。

 だから、今日、ここで、目の前の男には倒れてもらう。背中にまとわりつく因縁を、ここで除くと決意する。

「王に歯向かうかっ、餌がァァァァ!」

 それが義務だと言うならば。

 そうでなくとも、自らの在り方を貫く為に、あの、小さな夜の誓いを守る為に。

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