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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ザッハーク
231/328

孤独ドッグウェイ



 撒く事は叶わなかった。

 一は上機嫌なシルトを連れ、中内荘に向かっていた。彼の足取りは酷く思い。何せ、天敵も同然である女を家に上げないといけないのだ。

「ねえねえ、何食べさせてくれんの?」

「……料理、教わりに行くんだろうが。ああ?」

「あんたさ、私ん時は強く出るよね。何? 好きなん? 私の事気になってんの? つり合わないからやめといた方が良いと思うけどなー」

 ああ、何から何まで腹が立つ。一は苛立ちで人を殺せるならと。殺せるならと! 強く思った。

「料理なら教えてやっから、したらすぐに帰れよ」

「あー、まあ」

「何だよ、その煮え切らない返事は」

「……あんたさ」

 シルトは気恥ずかしそうに視線を逸らす。

「私で手、打たない?」

「はあ?」

「だからさ、あんたってヒルデさんが好きなんでしょ」

 ここで頷かない道理はない。恥ずかしがる必要もない。一は即座に首肯する。

「可能なら結婚を前提に……」

「む・り! ヒルデさんを、あんたみたいな奴に渡さないから。だからさ、私で我慢しない?」

「お前が何を言っているのか分からん」

「ヒルデさんは諦めて、私に乗り換えろってんの。……あ、まだ乗ってないんだっけ。一生乗れなさそうだけど」

 一は舌打ちした。

「やっぱり分からん。お前、正気じゃないぜ。ヒルデさんの身代わりになるってのか?」

「えー、あー、まあ、そんな感じ?」

「ふざけんな、俺は悪役か。生贄要求してんじゃねえんだぞ。大体だな、そういうのは無理なんだよ」

「はあ? そういうのって、どういうの?」

 どうしてここまで頭の回りが鈍いのだと、一は溜め息を吐く。

「そういうのだよ。特に、ヒルデさんは、こう、無理だ。近づくのも恐れ多いっつーか」

「家に来たいって言ったじゃん」

「近づけないけど少しくらいは近づきたいっていう男心だよ!」

 シルトは耳を塞いで一を見遣った。少しばかり、彼を馬鹿にしているような目つきである。

「そんじゃ、まあ、心配する事はないか」

「何を心配すんだよ」

「ヒルデさん、取られたくないから。なんかさ、他の奴には無理だと思うけど、あんたなら、ヒルデさんも良いんじゃないかって思ったんだ。だったら、先に違う子に目ぇいってた方が」

「……お前ってさ、そっちのケ、ないよな?」

「毛、毛って……! あっ、あんた! 言えるワケないじゃん!?」

 そりゃそうだ。一は腕を組み、小さく頷く。

「第一、こういうのはヒルデさんの気持ちが大事だろ。外野が勝手に動いても、あの人が迷惑するだけだ」

「じゃあ、ヒルデさんが他の誰かと付き合うのは良いんだ?」

「いいわけねえだろおおおおおおおお!?」

「顔っ近づけんなバカ!」

 想像しただけで死にたくなったので、一は思わず叫んでしまった。

「メンタル弱過ぎ」

「否定は出来ん。……それに、身代わりとかそういうのはな、やめた方が良いと思うぞ」

「なんで?」

「いや何でって、だってお前、好きでもない奴と付き合ってもしようがないじゃんか。自分を犠牲にし過ぎんのもつまらん話だしな」

「へえー」シルトは一の肩を気安く叩き、意地悪そうな笑みを浮かべる。

「あんたさ、私の事気にしてんじゃん、やっぱ。へー、そっかそっか。でもさ、私だって相手選ぶよ? ま、まあ? あんただから別に良いかなーっていうのもあるんだし」

「へー」

 一は煙草に火を点けた。

「……嬉しがれよ。どうしてこう、普通よ?」

「だって俺お前嫌いだし。天敵としてもナンバーツー、いや、スリーかフォーくらいだな」

「せめてワンにしてよ!」

 一の天敵ナンバーワンこと、黄衣ナコトの地位は不動である。彼の精神を脅かすには、シルトには語彙力が足りなかった。

「あ、馬鹿話もここまでな」

「ちょ、話はまだ」

「ほら、あそこが俺んち。あ、そういや知ってたか」

「うん。で、なんでよ? もっと話そうよー」

「だからさ、アパートには俺の知り合いがいるじゃん? お前来るじゃん? で、俺とお前が喋ってたらなんか勘違いされちゃうじゃん? だから黙れ。これから先、家に入るまで一切の音を立てるな」

 シルトは無言で一の頭を殴った。

「ってえなバカ!」

 そして、彼女は一に持たせていたバッグから自身の得物を取り出す。伸縮式の、小型の槍である。

「え? あ、あの、そこまでする必要はないですよね?」

「おい」

「すっ、すいませんでした! 何でもしますから命だけはっ」

「違うって。何かやばそうなのがいるんだけど」

 既にいる。目の前に。だが一は余計な口を利かないで、中内荘に目を向けた。

「……ああ、言ってなかったか。あそこにはフリーランスが二人と、弟子が一人と、ギャンブル好きのおっさんが一人いてな」

「そういうんじゃないって。マジで気付かないの? あそこ、ソレがいる……っておい!?」

 判断するのが早かった。中内荘にはチアキがいる。ソレが出たというのなら、山田とアイネならともかく、チアキ一人でどうにかなる問題ではない。

 一はスーパーの袋を持ったまま駆け出し、角を曲がる。中内荘の敷地内には、見知らぬ男が立っていた。彼と対峙するのは山田である。まず、一はそこで安堵の息を吐いた。次いで、最悪の事態を理解する。やはり、ソレだ。敵だ。何かが、ここに立っている。

「し、師匠……!」

「無事か!?」

 こくこくと頷くが、今にも泣き出しそうなチアキ。そして、呆然と立ち尽くすアイネ。

 ――――何が起こった? それとも、これからなのか。

「ほう、またも珍味が。いや、これは極上の……?」

 男に見られるも、一は動じなかった。彼は自分の役割を理解している。

「は、はは、よう、一。助かったぜ」

 山田の言葉に偽りはない。彼女が追い詰められるほどのモノが相手になるらしい。

「……説明は後ですね」

「おう。ま、オレが帰ってきた時もこんなんだ。話せるほどのもんはねえよ」

「歌代、傘投げろ」

「りょ、了解」

 チアキが、自分の部屋の玄関先に立て掛けておいたビニール傘を一に向かって放り投げる。彼は目の前に落ちたそれを拾い上げ、男を睨んだ。

「なんですか、あんたは」

 男は答えず、一の全身を嘗め回すようにして見ている。

「……あんた」

 気付いた。この男は、ファミリーレストランの珍客である。信じられない量の料理を平らげていた、異常な男だった筈だ。そいつが、何故、ここにいる? 一は息を吐く。どうやら、相手は答えてくれそうにない。

「ここに何の用だ?」

「用? 腹が減れば満たすが道理。であるなら、より美味いものを食いたいと思うは摂理。ここには我輩の求めるものが揃っていた。それだけよ」

 つまり、自分たちは男の食事だと、そう見られているらしい。全くもって不愉快で、恐ろしさよりも憎さが勝る。

「混ざり物とはいえ、セイレーン。八塩折の酒。……そして、メインディッシュも現れた。ここで食ってやらん方が、食材に失礼だと、そうは思わぬか?」

 気付かれていた。男の正体は分からないが、駒台に住むフリーランスや、それに近しいモノの情報を掴んでいる。

「なあ、アイギスの所持者よ」

「……誰の事だ?」

「誤魔化そうとしても臭いは消えん。いや、やはり面白い街だな。我輩の食欲を満たす為にあるような……」

 バレているなら力を惜しむ必要はない。否、出し惜しみすれば殺される。麻痺しかかっている神経が危険を訴えていた。この男は、今までのソレとは違い、あるモノたちと一致している。目的のモノ以外には興味がなく、それ以外を踏み潰す。そして、踏み潰した事にすら気付かない。一は言葉ではなく感覚で理解する。

「『円卓』かよ」

「知っているなら話が早い。円卓の晩餐となるなら光栄だろう?」

「へえ? あんた、名前は?」

 アイギスを発動させる為、一は探りを入れた。が、男は小さく笑い、手を振る。

「答えられんよ。いや、名乗ってやりたいのは山々で、第一、アイギスとやらが発動したところで我輩には通じないとも思っているが。まあ、たまには他人のアドバイスを聞いておくのも良かろう」

 既にアイギスについても割れている? 情報を流したのは誰だ? いつ、いつから見られていた? 一一という人物は、どこまで知られている?

「誰から聞いた?」

「聞いても仕方あるまい。が、これだけは答えよう。我輩は円卓の九席に座るものだ」

 名前が分からないならメドゥーサは使えない。アイギスは正真正銘の盾にしかなり得ない。だが、今はそれで充分だ。一の隣には、蛇姫に引けを取らない拳がある。

「……栞さん」

「何だ?」

「どう思いますか?」

 山田は名乗ろうとしない男から目を逸らさないで、一に答える。

「帰りてえな」

「家はここですけど」

「はっ、そういやそうだった。……真っ向からやり合える相手じゃねえし、向こうもそういうのは望んでねえだろうな。オレらを食うとか言ってんだ、生け捕りにする気満々だぜ。殺す気なら、とっくにオレらぁ殺されてる」

「だったらどうします?」

 拳を突き出す。腰を落とす。獰猛な笑みを浮かべる。

「オレに出来る事は一個だよ」

「……お互い、一つずつでいきましょうか」

「おうよッ」

「来るか」



 山田が一足飛びで男の懐に入る。彼は片手を突き出し、彼女の攻撃を受け止めた。瞬間、山田の背筋に悪寒が走る。ここにいてはならないと、全身が、全細胞が警告している。

「まずは美酒から」

「うっ、うあ、こっ、この野郎が!」

 男が、空いた手を山田に向けた。それと同時、横合いから一が飛び出す。盾を前に、体当たりする形で男にぶつかっていく。が、びくともしない。

「その傘がアイギスか?」

「どうして動かねえんだ!?」

「なるほど、実に美味そうだ」

 一が男に近寄った隙に山田が逃れる。

 鳥肌が立つ。男が料理を喰らう。平らげていく。イメージが頭を侵し、一は恐怖に塗り潰される。

 ――――喰われる。

 一の喉から叫び声が迸る。男の腕がアイギスに伸びる。が、彼はそれだけは阻止した。無理矢理に盾を引き戻し、男から距離を取る。メドゥーサでは敵わないかもしれない。虎の子が破られれば戦う術を失ってしまう。だが、このままでは食われてしまう。

「畜生がっ、おいコラ『貴族』! てめえ何突っ立ってやがんだよ! このままじゃ皆やられちまう!」

 山田がアイネに呼びかけるが、彼女はぴくりともしなかった。うな垂れ、蹲っている。

「目ぇ覚ませってんだよ!」

「生け簀の魚が跳ねても無駄よ。食われる定めは変わらん。大人しくしていろ、これ以上暴れられても、楽しいとは思えんからな」

「誰が魚だっ」

 口は動く。口だけはまだ回る。一は頭を働かせるも、今の材料でこの状況を逃れる手段が思いつかない。

「しんどそうじゃねえか、坊主」

 今の、材料では。



 久方ぶりの駒台である。中内荘に戻った北は、帰ってきて早々、厄介事に巻き込まれたのだと理解した。

 中内荘には、変わった者が住んでいる。勤務外店員であり、自分に代わってアイギスに、アテナに選ばれた一。セイレーンの血を引いた歌代。フリーランス『神社』の山田と、『貴族主義』のアイネ。とんでもない連中が集まったものだと、北は常から思っていた。

「お前らが弄ばれてるってのは、すげえな」

 一、山田、アイネを物ともしないこの男は、何だ? 北は神経質そうな男を見据え、めんどくさそうに息を吐き出す。

「それで、あんたは誰だ? お客様か?」

「……ほう、素晴らしいな。貴様、人ではない。何だ? 嗅いだ事のない匂いだ」

 一目で見抜かれる。信じられないのと同時、今更か、遅過ぎる、とも思った。

「なるほどな、あんたこっち側かい」

「北さん、近づいちゃあやばい!」

「みたいだな」

 一に返すと、北は自分が空手である事に気付く。もし、一に何かあれば、彼が道具を勝手に使ってくれるだろうと思い、ハルペーなどを置いてきていたのだ。

「で、なんだ。あんた、やるのかい?」

 男は見るからに異質だった。人間の皮を被っている。そんな印象が拭えない。彼は今にも、そこから抜け出そうとしている。内には恐ろしいモノを飼っている。あるいは、男が飼われているか、だ。

「化け物か。が、ちっと分が悪いと思うぜ? 今退くんなら、俺ぁ見逃してやっても良い」

「我輩を、見逃す?」

「言い方が気に入らなかったか?」

 男もまた、北を観察する。彼は顎に手を当て、くつくつと喉の奥で笑った。

「いや、構わぬ。時間を掛け過ぎたか。食うに逸した。次の機会で貴様から喰らおう、英雄」

「あんがとよ」

 一たちを見回し、男は歩く。彼は北の横をすり抜け、ついにその姿は見えなくなった。瞬間、北以外の全員から力が抜ける。緊張から解き放たれるも、安堵の息すら吐くに吐けなかった。

「あー、お前ら、平気か?」

「これが平気に見えますか?」

「命はあんだろ。だったら充分だ」

 誰も怪我をしていない。切り抜けられたのは僥倖だろう。男の気まぐれで、自分たちは助かったのだ。だが、一人だけ様子がおかしい者がいる。

「……そっちの嬢ちゃん、どうかしたのか?」

 問われて、一もアイネに目を向けた。しかし、彼は事情を知らない。済まなさそうに首を振るだけだった。

「歌代の嬢ちゃんよ、部屋に連れてってやんな」

「わ、分かった。その、おっちゃん、ありがとうな?」

「良いって事よ。つーか、何もしてねえしな。ああ、そこの酒飲み嬢ちゃんも休んでな」

「いや、オレなら……」

 立ち上がろうとする山田だが、彼女の膝は震えたままである。

「恥ずかしがる必要はねえよ。ありゃあ、そんじょそこらのソレじゃあなさそうだ」

「……悪いな。一、情けなくって、ごめんな」

「俺も、似たようなもんですから。今は、その、休んどきましょう」

 頷き、山田も部屋に戻った。一は彼女が扉を閉めたのを確認し、煙草に火を点ける。

「北さん、お帰りなさい」

「おう。で、何があったよ?」

「分からないんです。ただ、あいつがやばいってのは分かります」

「だな」



 脅威は去ったが、鼻先に、常にある。あの男が気まぐれを起こせば、次はどうなるか分からない。そして、確実に次はあるのだ。

「そういや、頭の悪そうな女を見ませんでしたか?」

「その辺にうじゃうじゃと。けどな、女ってなあ頭が良いよか悪い方が可愛げがあって……」

 一は頭を振る。まさか、シルトがやられた? そう言えば、彼女は先刻から姿を見せていない。自分の後を追いかけてきていたと思っていたが。

「連れがいたんですよ。さっきのに、やられてなきゃ良いけど」

「その女ってのは、一般人なのか?」

「いえ、南の……ええと、とにかく勤務外ですね。簡単には死なないと思いますけど、相手が相手ですから」

「心配しても仕方ねえだろ。後で探しに行きな。それよりも、だな、まずはてめえの心配しなきゃ始まらねえ」

 素直に頷き、一は胸いっぱいに紫煙を吸い込む。

「アイギスは使えなかったのか?」

「名前が分かりませんし、いや、そもそもあいつは『名乗らない』と言ってましたね」

「どういうこった、そりゃ。奴さん、アイギスについて知ってるのかよ」

「みたいですね。……前にゴルゴンが出たじゃないですか。アレと同じで、あの男も円卓のメンバーだと言ってました」

 北は円卓について明るくないが、それでも、とんでもない能力を持った者の集まりだとは認識している。

「円卓……仲間から坊主の力について聞いてた訳だな。が、解せねえぜ。坊主が『アイギスを持ってる』って事は誰にでも分かる。けどよ、『アイギスの発動条件』まで知ってる奴はそういねえ」

「調べれば分かりますよ。実際、ウチの店長や『図書館』ってフリーランスは殆ど気付いてます」

「厄介だな。他には? 何かねえのか、さっきの野郎について」

「堅かった。重かった。何より、死ぬほど怖かったですよ。……実は、さっきの男を見るのは二度目なんです」

 短くなった煙草を地面に落とし、一はゆっくりと息を吐き出していく。

「一度目は数時間前に駒台のファミレスで。あいつ、めちゃくちゃ食ってました」

「人をか?」

「違います。料理、ですよ。あれは、何人前とか、そういう次元を超えてました」

 初見でなくて良かったと、一は思った。男の、ファミリーレストランでの行為を見ていたからこそ、食われてしまうとイメージ出来て、アイギスを引き抜けたのである。

「俺に分かるのはこれくらいです。北さんは、さっきのを知ってましたか?」

「いいや、初めて見た。けど、怪物だってのは分かる。それも蛇の怪物に間違いねえ」

「……蛇? どうして分かるんですか?」

「雰囲気」

「んな馬鹿な」

 適当に言っているように見えて、北はその実、適当に言っている。が、彼の言葉ならほぼ間違いではないだろうと一は思っている。

「だからと言って、どうしようもねえがな。メドゥーサが使えねえなら力ずくでいくしかねえだろう。坊主は盾に回って、俺と酒飲みの嬢ちゃんでやるしかねえな」

「手伝ってくれるんですか?」

「見ちまったもんは仕方ねえ。第一、ここは俺のねぐらだぜ。あんなのがまた来るなんて分かっててりゃ、おちおち昼寝もしてられねえ」

 昼寝、か。一は二本目の煙草に火を点ける。

「心強いです」

「おだてても何も出ねえぜ。……名前さえ分かればどうにかなりそうなんだがな。こればっかりは仕方ねえか。相手のポロリに期待するとしようか」おっさん臭いが、実際おっさんなので、一は何も言わなかった。

「それより、今までどこに行ってたんですか? ……ゴルフバッグに、ステンノとエウリュアレを詰め込んで」

「ま、坊主にゃ隠す事なかったか。俺はな、ちっとばかし女神様に挨拶しに行ってたのよ」

 白い梟が脳裏を過ぎり、一は一瞬、嫌そうな顔を浮かべた。

「会えたんですか?」

「まあな。そんで、引き渡してきた。石になっても始末がめんどくせえったらねえぜ」

「引き渡すって、その石はどうなったんですか」

「さあな。ま、俺よりか上手くやってくれたと思うけどよ。下手に砕くのも怖かったしな」

 北にも怖いものがあったのかと、一は少しだけ驚く。

「他に何か言ってなかったんですか。その、アイギスの使い方とか」

「いんや。何も。ま、言いたい事があんならあっちから顔を出すだろうよ。で、だ。とりあえずな、俺も少しは休みたい。坊主は、貴族の嬢ちゃんでも看てやんな」

「って、何も決まってない気がするんですけど?」

「決まるような事はねえよ。名前割り出すにゃ時間が掛かる。それまで向こうが待ってくれるとも思えねえ。なら、ここのメンバーでどうにかするっきゃねえんだが」

 アイネの部屋を見て、北は頭をかいた。

「どうにかなるかねえ」

「あいつ、何かされたんじゃあ?」

「や、そうは見えなかったが。……あの蛇みてえな男、貴族の嬢ちゃんには興味がなさそうだったし」

「ああ、確かに」

 幸運なのかどうかは、まだ分からない。ただ、一は、アイネは男の意識からは外れていたように思う。アイギス、セイレーン、八塩折には食欲をそそられたらしいが、彼女の事は一言も口にしなかった。口にするつもりは、あるかもしれないが。

「めちゃくちゃやばい相手ですよ、さっきのは。だけど、それだけでアイネが取り乱すっつーか、ビビって棒立ちだったってのは、その、思えません。俺は、フリーランスとしての『貴族主義』はそんなに知らないけど、それでも、あいつはここまで生きてきたんだ。俺だって少しは動けたくらいですからね。フリーランスのアイネが何も出来ないってのは、ちょっと考えられません」

「関係があるのかもな」

「あの男と?」

「そうでもなきゃ話にならんぜ。が、やり方は見えたかもしれねえ。案外、嬢ちゃんの昔の男だったりするかもな」

 一は鼻で笑ってしまう。そんな甘酸っぱい話は、もうごめんだった。

「後で話を聞いてみますよ。あの、北さん、あいつが来るまで、どれくらい掛かりますかね」

「今すぐかもしれねえし、明日か、来年かもしれねえな」

「分からないって事ですよね?」

「そうとも言うが、そりゃあ奴さんの胸三寸だろうよ。なんなら、探し出してこっちから仕掛けてみるか?」

「逃げる方がマシです」

「蛇ってのはしつこいぜ。坊主も、ようく分かってるだろ」

 ゴルゴンの事を言っているのだろう。それに、何よりも、誰よりも執念深いモノがこの身には宿っている。

「死ぬまで逃げるか、戦って殺すか。結局、ソレが相手だったら取れる手は限られてます。それにあいつは円卓だって言ってました。幾つか、借りが残ってますしね……でも、はあ。どうにかしなきゃ、皆が食われる。歌代だけでも逃がす訳にはいかない、ですかね」

「いや、俺らはバラけるよか固まった方が良い。奴さん、随分と鼻が利くらしいからな。それよりも、助けは呼べねえのか?」

「勤務外に、ですか?」

「そっちじゃなくても、他に色々いんだろうが」

 どこまで知っているのやら。一は誤魔化す為に笑い、煙を吸い込む。苦い味が広がり、隅々まで染み込む。

「店には電話を掛けてみるつもりです。円卓が出たんなら、誰かは動いてくれるでしょう。けど、誰が来てくれたってさっきの男に勝てるかどうかは、やっぱり、難しいと思いますよ」

 そも、一はジェーンたちを危険に晒す気はなかった。巻き込まれたのが、狙われたのが中内荘の連中なら、自分たちだけでどうにかするのが筋だと思えたのである。

「まあ、なるようになるわな。とりあえず、寝てくる。なんかあったら起こせよな」

 北はだらだらとした所作で部屋に戻ろうとした。……英雄には見えないな、と、一は独りごちる。

「北さん」

「寝るって言ったところだろうが」

「ペルセウスは、今後どうするつもりなんでしょうか」

 背を向けたまま立ち止まり、北は煙草を取り出した。

「さあて、困った奴を無償で助けちまうような奴じゃあないってのは確かだからな」

「お金なら払いますよ?」

「馬鹿野郎、命に値段は付けられねえよ。……まあ、半分神様で半分人間なんだ。詰めは甘いが身内にも甘い。そんでもってここは俺の家だ。一つ屋根の下で生活してる奴らを見殺しにするほど、俺は人間が出来ちゃいねえってのも確かだな」

「それさえ聞ければ充分ですよ」

「……英雄を扱き使うかね、てめえは。俺ぁ道具じゃねえぞ。物みてえに使ったり扱ったり扱き使ったりすんな」

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