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幸福論



 幸せなら手を叩こう。



 眼前に迫った脅威、『教会』の聖を認めた瞬間、一はアイギスを、メドゥーサの能力を発動させていた。

 一はメドゥーサを最後の手段として捉えている。可能なら、彼女の力を行使せずに話を進めたかったのだ。それは、メドゥーサを使えば自らが傷つくからという点だけではなく、最後の手段を破られた場合を想像するのが恐ろしかったからだった。

「『止まれっ』」

 聖の釘を防ぎながら、一は声を荒らげる。彼は、窮奇がここに逃げ込んできた以上、時間さえ稼げばジェーンたちと合流出来ると考えていた。

「『聖』!」

 能力発動の条件はクリアしている。声は出る。目も見える。対象の名前も押さえている。

「……っ、止まれ! 止まれよ!」

 だが、そうはならなかった。聖は止まらず、アイギスは反応を見せず、メドゥーサは声すら発さなかった。

 ならばと、一は自らに問い掛ける。一体、目の前の女は何者なのだろうかと。確かに止まった筈なのだ。前回は、これでどうにかなった筈なのだ。

「ふ、ふふっ」

 聖が笑う。彼女は、一の問いに対する答えを持っていた。彼女は彼を嘲笑い、両腕に力を込める。一は腰を低く落として堪えようとするが、思考が現状に追いつかず、そのせいで集中出来ないでいた。

「ふっ、おっかしい! どうしたのかしら、ねっ! 急に叫んだりして!」

 すぐに一も気付いた。何か、やられたのだと。

「あんたの力なら、こっちだって気付いてるのよ! 主はおっしゃったわ、私たちに知恵を授けてくださった!」

「貴様っ」

 早田が飛び掛かるが、一は彼女を制した。聖が、片方の手に釘を握り込んだのが見えたのである。もう一歩でも踏み込めば、それは早田に向かって放たれていただろう。

「先輩を傷つけてみろっ、五体満足では帰さん」

「やってみなさいよ。その前にあんたも傷つけてやるわ」

「てめえ、何しやがった……!」

 苦渋に満ちた一の表情を見遣ると、聖は満足そうに微笑んだ。

「そうっ、それ! その顔が見たかったの! 舐めるな勤務外! 私たちを何だと思っていたの!? やり合えると思った!? 話が出来るとでも!?」

 一の手から力が抜けていく。それでも、彼は持ちこたえようと必死だった。

「出来ないわよ! 『教会』は主の言葉だけ! 主の声だけを聞くモノなの! あんたみたいなヤツの話っ、誰が!」

 このままではジェーンたちが来る前に殺されてしまう。一は槐に助けを求めようとしたが、彼女もまた、灯によってその場から釘付けにされていた。

 そこで、一は気付く。聖と灯の顔を見比べ、彼女らの声を思い出す。そうして、ようやくになってアイギスが発動しなかった理由に思い至ったのだ。

 目の前の女は『教会』の聖ではない。

「ちゃちな手ぇ使いやがって」

「……あら、気付いたのかしら。でも、遅いわっ」

 聖ではなく、灯。

 灯ではなく、聖。

 一の能力に気付いた二人は最初から、あるいは途中から入れ替わっていたのだ。『教会』の顔は他人には見分けが付かないほどに酷似しており、また、一を騙せるくらいには演技力があった。彼は精々、気の強い方が聖、くらいにしか認識していなかったのだろう。

「保険のつもりだったんだけど、こうまで上手くいくとはね! 主よ、感謝します!」

「タネが割れりゃあ……!」

「やらせるか!」

 聖の声に応えるかのように、ピラトを振るっていた灯が槐をなぎ払った。短い悲鳴を上げ、槐は地に這い蹲る。打ち据えられた痛みからか、彼女は立ち上がる事が出来なかった。

 その瞬間、早田は一と槐を交互に見遣る。どちらを助ければ良いのか迷ってしまう。そうして、彼女が何も出来ない間に『教会』は行動を開始していた。聖の振りをしていた灯が一を押さえたままで、灯の振りをしていた聖が槐を押さえる。

「はーい、そこまで」

 槐の首根っこを掴んだ聖が、嗜虐的な笑みを見せた。

「座敷童子の命が惜しければ、抵抗を止めなさい。ほら、止めろってば」

「槐ちゃん! ……外道か、貴様ら」

「あ、その、ごめんなさい」

 謝る灯だが、彼女の腕には力が込められたままである。一は小さく舌打ちした。彼女らには、本性と呼べるようなものが存在していないように思えたのである。

「槐を離せ」

「無理無理。絶対駄目よ。だって、コレは私たちの幸せなんだもの」



 生きていく為には何でもした。何でもすると思っていた。苦汁を舐めた。辛酸も嘗めた。媚びへつらった。

 聖と灯はこの世に生まれ落ちた瞬間から『教会』だった訳ではない。だが、生まれてすぐ、その道を選ばされていた。他でもない、実の親にである。彼女らは実の姉妹ではない。血が繋がっていないのだ。彼女たちを繋いでいるのは『教会』に属する人間だという点のみである。それさえ除けば他人と同じなのだ。それでも、二人は逃れられない。鏡を見る度に思い出す。同じ顔である事に、『教会』を感じざるを得ないのだ。

 作られた顔。借り物の名前。己が人生は操られ、偽物の生を終える。『教会』のメンバーは使い捨てなのだ。傷つけば疎まれ、壊れれば捨てられ、また、新たな『聖』が生まれるだけだ。

 だから、聖は抜け出したいと思っている。一度でも疑問を覚えてしまうと、もう駄目だった。自分を生んだ者は? 捨てた者は? 本当の家族は? 今日はどうすれば良い。明日はどうなる。これから先、生き続ける限り、自分は『教会』の『聖』なのか? ……嫌だった。途轍もなく恐ろしかった。本当の自分を知る事もないまま死ぬのが、嫌で嫌でたまらなかった。

 本当の自分を知りたい。

 しかし、分かってもいた。本当の自分など、どこにもない事を。

 生まれた時に捨てられて『教会』となった。だから、それ以外に記憶はない。聖も灯も、ある意味初めから『教会』だったのである。取り戻せるモノはない。思い出も、家族も、最初から存在しない。

「槐を離せ」

 それでも、手放せる筈がなかった。掴んでいるのは確かに、自分たちに幸福を招くモノなのだろうから。



「いいや、槐君を離したまえ」

「……何、あんた?」

 聖の濁った瞳が、新たな登場人物を捉える。髪の毛をかき上げた彼は、楯列衛その人だった。

 楯列の登場に、一と早田は溜め息を吐く。彼らは、どうしたって彼の手に余る状況だと踏んでいたのだった。

「そして、一君から離れたまえ」

「あー、あのな、楯列」

「どうしてここにいるのかって? はっはっは、君たちが僕を置いてけぼりにするからじゃないか。いつまで経っても、どれだけ待っても誰も来ないから、僕の方から出向いたって訳だよ」

「そういう意味じゃない」

 一からは、力が完全に抜けつつある。僅かながら、灯からも気が抜けていた。

「些事だよ、そんな事は。とにかくだね、それ以上、僕の身内に危害を加えないでもらいたい」

「身内ぃ?」 聖が楯列をねめつける。

「そう、身内さ。『教会』だったかな? あなたたちが手を引かないというのなら、僕にもそれなりの考えがある」

 思わず、聖は噴出していた。目の前の一般人に何が出来るものかと、そう思ったのだ。

「やってみなさいよ」

「では、『教会』ごとあなたたちを潰そうじゃないか。つまるところ、社会的に殺しきってみせる」

「やってみなさいよ。むしろ……」

 やってくれ。そう言おうとしたが、聖はなけなしの自制心でその続きを飲み込んだ。

「金持ちを舐めているね? 楯列の財力に物を言わせれば、フリーランスの一つや二つは造作もないんだ。赤子の手を捻るよりも、さ」

「外道め」

「……早田君。僕は君のような駄目な人間も助けてあげようとしているんだけど?」

「黙れ。貴様に助けられるくらいなら、私は舌を噛み切って死ぬ」

 こんな時にまで喧嘩しないでくれと、一は灯の攻撃を凌ぎながら思った。

「だから、舐めてるの?」

「あなたたちも所詮は人間だよ」

 楯列は肩を竦めてみせる。

「ソレを殺せると言っても、怪我をすれば病にもかかる。食事をしないと餓えて死ぬ。結局のところ、人間だ。人から外れたモノを持っていたとして、根本的には、構造的には人と変わらない。人間社会から隔絶された時、あなたたちはどうなるだろうね」

 聖には楯列の言葉が真実なのかどうかが分からない。彼がそのような事をやってのける能力を、精神を有しているのかどうか判断が付かない。ただ、笑って済ませるには出来ないくらいに追い込まれているのだと気付いていた。直に、他の勤務外が駆けつけてくるだろう。そうなれば、力押しで片付けられてしまう。

「やってみなさいよ」

「僕は本気だよ?」

 至極真面目な顔でまともじゃない意志を突きつける。楯列という男は、一同様、相応にイカれていた。そう認識し、聖の神経がささくれ立つ。

「離れたまえ。さもないと……」

「はッ、さもないと? どうなるっていうのかしら?」

 主に問うまでもない。殺される前に殺すだけだ。聖は槐から放すと、地面に落ちた彼女の背中を踏みつけて、両手に聖釘を構える。一も楯列も早田も、目障りなら黙らせてしまえば良い。

「僕を殺すつもりかい?」

「あんただけじゃないわよ。安心しなさい」

「……なあ、あんた」

「――――ッ!」

 灯は目を見開いた。顔を伏せる一のすぐ傍に、何かが寄り添っているように見えたのである。

「頼むから、退け」

「ねっ、姉さん! だめっ、ダメです!」

 彼を怒らせれば、自分たちにとって良くない事が起きる。灯は聖に訴えるが、

「うるっ……さい!」

 聖は妹の話を聞き入れるつもりはなかった。




 不思議と、憎くはなかった。爆発した感情が伝わり、むしろ哀れに思えた。

 一が灯を睨みつけている。彼は、早田や楯列が傷つけられれば力を振るうだろう。

 早田も楯列も、一や自分が傷つけられれば自身を顧みずに動くだろう。

『教会』の二人は、勤務外に追い込まれつつある。何をするか分からない。

 だが、自分が何もしなければ誰かが傷つく。誰かは傷つく。もう、ごめんだった。馬鹿げている。こんな自分が、幸福の象徴の筈がない。

「……手を出すでない」

「あ? 何よ、座敷童子。あんたが指図出来る状況じゃあ……」

「主らに従おう」

 一が叫び、早田も喚いた。だが、彼女は、槐は――――。

 素直に哀れだと思えた。自分たちの幸福を得る為に他者を蹴落とす『教会』が、可哀想なモノに思えてしようがない。だが、彼女らとて楯列が言ったように人間なのだ。座敷童子として長く生きてきた槐にとっては、今の聖は幼子にしか見えない。言わば、庇護の対象なのだ。自分が出れば丸く収まる。幸福を与えられるかは本人次第だが、怪我人を出さずに済む。

「わしがお主らに付いていけば良いんじゃな? それで、満足するんじゃな?」

「それだけじゃ駄目よ。ちゃんと、幸せにしてくれなきゃ困るんだから」

 聖は前を向いたままで言う。幸せになりたいと、そう言ったのだ。

「それは、主次第じゃ。……衛、早紀、一、もう良い。わしが悪かった。あの時、わしが大人しく捕まっておればこんな事にはならなかった」

「っ、槐ちゃんが捕まる必要はない。少しだけ待ってくれ。私がこいつらを……」

 言い掛けた早田だが、槐は諦めたかのように首を振る。彼女は、それを望んでいない。だから、自らを差し出そうと決めたのだ。

「妹を一から離れさせよ」

「あんた、隙でも作ろうとしてるんじゃないわよね」

「抵抗するつもりなら、とっくに失せたわ」

 槐は目を瞑る。彼女は諦めたのだ。

「いや、駄目だって」

「……一、わしは、もう良いと」

「そんなの駄目だ。俺は納得出来ねえぞ」

 だが、まだ諦めていない者がいる。槐は、こうなるだろうと思っていた。一だけが、最後まで付き合うのを拒否する事を。



 座敷童子とは何だ。

 幸せを運ぶモノか。幸運を与えるモノか。運気を上げるモノか。

 きっと、どれもそうなのだ。座敷童子は幸せに関わっている。誰もがそう信じてやまない。だから、それで良い。

 だが、一は既に知ってしまった。出会ってしまった。

「そんなの駄目だ。俺は納得出来ねえぞ」

 座敷童子は、槐は、道具ではない。確固とした個なのだ。彼女だって物を考え、物を言う。漫画を読んで笑う。つまらない冗談で怒る。寂しければ悲しみ、辛ければ涙を流す。

 だから、嫌だった。

 確かに、槐を差し出さなければ怪我人が出るだろう。特に、一は『教会』に強く恨まれている。むしろ、このまま戦えば『教会』の思う壺なのだ。一たちは手酷く痛め付けられ、槐を奪われてしまう。

「わしはっ、お主らが傷つけられるくらいなら! だから!」

 槐の気持ちはありがたく思う。だが、その気持ちは受け取れない。一は、誰かを踏みつけにして手に入れた幸せなんて欲しくなかった。

「お前がいないと早田が悲しむ。楯列も、俺だって寂しく思う。だから、駄目だ。槐、お前は自分の事をもう少し考えとけ」

「ふざけるでない! ここでわしが出ねば、お主らが退かねばどうなるか!」

「……足蹴にされてよくもまあ吠えるわね、座敷童子。さて、どうするの勤務外? 差し出す? 逃げ出す? 早く選びなさい」

 どちらも選ばない。一は灯を見据えて、息を吸う。

「だったらてめえが『灯』なんだな? 『止まってろ』」

「よさぬか、一!」

 アイギスが光輝を帯びた。その瞬間、灯は一の傍に佇むモノを間近で見てしまう。彼女は息が出来なくなり、指一本すら動かせなくなる。聖釘を取り落とし、喉に手を伸ばそうとしていた。

 一が能力を使った。聖は歯噛みし、楯列に向かってエレナを放つ。が、彼の前に一が立ち、投擲はアイギスに防がれてしまった。

 その隙に、早田が聖へと迫っている。彼女は苦し紛れに釘を投げたが、早田はその全てを回避していた。

「――――――ッッッッ!」

 窮奇が咆哮を上げる。『教会』にとっては絶妙なタイミング。ソレが暴れて、早田の進路を塞ぐ形になる。

「む、退いていろ」

「なあああああっ!?」

 驚愕の声を上げたのは一だった。早田のフォローに回ろうとしていた彼は、彼女が窮奇の腹に蹴りを繰り出したのを見ていたのである。

「早紀、くっ、ああっもう! 阿呆!」

 窮奇は、ジェーンたちの攻撃を受けて瀕死だった。酷く弱っていた。それでも、恐ろしい怪物である事に変わりはない。だが、早田はソレを蹴り飛ばす。路傍の石をそうするかのような風に、である。

 ソレは、低く呻き、ゆっくりと地面に倒れていった。聖は早田の接近を認め、槐から足を退かせる。

「楯列っ」一の声に頷き、楯列はメドゥーサに囚われている灯の武器を奪った。

 一は聖をしっかりと見据えて、アイギスを構える。光を帯び、放たれる力。最後の『教会』は蛇姫に絡みつかれて、それでも、敵を睨みつけていた。



 座敷童子とは何だろう。

 それは、幸せをもたらすモノか。

 だが、一は槐と出会って考えていた事がある。

 果たして、座敷童子の幸せとは何なのだろうか、と。

 動かなくなった――――否、動く気をなくした『教会』を見て、一は息を吐いた。窮奇は息絶え、自分たちを害するモノがいなくなる。その事実を、彼はまだ上手く飲み込めないでいた。

 槐は早田に抱き締められている。その様子を、楯列は黙って見つめていた。聖と灯は武器を取り上げられて、駆けつけてきたジェーンに銃口を突きつけられている。これで終わりだ。そう、思って良い筈だ。

「マスター、お疲れ様です」

「うん」

「後始末を終えたら、すぐに夕食の準備をします。今日はお肉が良いですね。たくさん動かれた事でしょうし」

 ソレの死体はタルタロスがどうにかするだろう。ならば、一のする事は何一つとして、ない。いや、本来なら最初からなかった筈なのだ。彼は今、勤務外として動いていないのだから。

「ナナは『教会』を知ってたのか」

「今日、初めて知りました。ですが、マスターよりも多くの知識を所有していると自認しております」

 一の隣に立つナナは、得意げな顔で口を開いた。その話の全てを、彼は聞き流した。どちらにせよ、『教会』の行く末は、勤務外の取る手段は、一つきりなのである。ここで殺すか、殺されるか、だ。一の出会ったフリーランスには、勤務外に対して比較的友好的な、特殊なモノが殆どだったが、大抵は、後ろを見せれば得物を向ける間柄なのだ。

「ジェーンさん、どうなさいますか」

「決まってるじゃない。テキトーに痛めつけて、お兄ちゃんにあやまらせるノ」

「と言うかナナは殺害をオススメします。強く」

 ほら、始まった。一は溜め息を吐き出して、聖と灯に視線を遣る。二人は逃げ出す素振りすら見せない。座り込み、蹲っているだけだ。しかし、再び戦闘が始まれば生死の保障は出来ない。ジェーンたちを制止出来る保障も出来ない。好感情こそ抱いていないが、彼は二人の命くらいどうにかしてやりたいと思っている。が、その手段は思いつかない。

「ああ、待ちたまえ。彼女らはフリーランスではないよ」

 そんな中、楯列がにこやかに口を開いた。彼の言っている意味が分からず、ジェーンは小首を傾げる。

「『教会』デショ?」

「ついさっきまではね。この二人は僕が雇った小間使いとなっている。そういう訳だから、手出しはしないでもらいたい」

「おい。何を言っている、楯列。お前は……」

 早田が楯列に掴みかかろうとしたが、槐が彼女を止めた。

「その通りじゃ。一般人を殺すか、勤務外よ」

「……不可解な。マスター、彼らの発言の真偽を問いたいのですが」

「あー」ナナにじっとりとねめつけられ、一は槐に助けを求める。

 槐は、口元だけで笑っていた。一はそれだけで彼女の気持ちを察する。

「槐。良いんだな?」

「うむ。わしからすれば、可愛い悪戯に過ぎぬからのう。かっかっか」

 また襲われるぞ。また狙われる。殺されかける。ここで許すのか。本当に構わないんだな。それら全てを、一は飲み込んだ。必死で堪えた。

「それが座敷童子(おまえ)の幸せなのか?」

 問われた槐は少しだけ、目を見開く。そうして、緩々と首を振った。

「一、衛、お主らがわしの事を考えてくれているのはな、素直に嬉しい。じゃがな、わしのそれは、わしが見つける。わしが掴む。だから、自分の事を考えるのじゃ、主らもな」

 そうか。それだけ言って、一はナナに顔を向ける。

「悪いけどさ、終わりだよ。ナナたちは帰ってくれないか?」

「しかし、危険です。『教会』はまだ戦闘可能の筈です。ここで完全に、完璧に、完膚なきまでに負傷させておかないとマスターが危険なのです」

「だからさ、こいつらはもう『教会』じゃあないんだって。な、ジェーン? お前なら分かってくれるよな?」

 振り向いたジェーンの顔には『ずるい』という色が貼りつけられていた。彼女は知っている。ここで自分が意地を、勤務外の本分を通そうとしても、彼の機嫌を損ねてしまうと言う事に。また、ジェーンは一の頑固さを知っている。最後に、彼女は『良い妹』であろうとするのだ。

「お店で待ってる」

「……ああ、必ず行くよ」

 だから、一は謝るのを選ばなかった。



 ジェーンたちがいなくなった後、一たちは駐車場にある楯列の車へと移動していた。

 ボンネットに腰掛けた一は、目の前で立ち尽くす『教会』を見つめる。彼女らはまだ、一言も声を発していなかった。

「楯列、どういうつもりだ。何故、こいつらを助けた。あのまま勤務外に引き渡していれば丸く収まったではないか」

「駄目だなあ、早田君は」楯列はキーをくるくると回しながら、髪の毛をかき上げた。

「丸くは収まらないよ。ただ、そこの二人が嫌な思いをするだけじゃないか。僕たちはそれを望んでいたかもしれない。でも、槐君はそれを望んでいなかった。だったら、分かるよね?」

 早田は、縋るような視線を槐に送る。だが、彼女は申し訳なさそうに微笑むだけだった。

 一にはある程度の察しがついている。推測どころか、妄想にも近い考えだが。だが、槐はきっと、自分のせいで誰かが傷つくのが耐えられなかったのだろう。それが、自分に危害を加えようとするものであっても、である。

「……助けたと、私たちに恩を売れたと思っているの?」

 吐き捨てるように、聖が言った。彼女は一でもなく、楯列でもなく、槐を睨みつけていた。

「そう思うのならそれでも構わん」

「ッッ! ソレの分際で、私を……!」

 一はアイギスを握る。何かあれば、容赦なくメドゥーサを使おうと決意していた。

「ふん。確かに、主らは気に食わん。わしだけでなく、わしの身内を傷つけようとした」

「なら! ならどうして!? 哀れみ? ふざけないでっ」

 一息に吐き出して、聖は祈るようにして膝を折る。

「哀れみか。それもある。しかしな、それ以上に、わしはお主らが思うている以上に座敷童子なんじゃ。……囲われ、囚われていた時期もあった。だが、わしは、やはり人間おぬしらを嫌いではない」

 槐は早田が止めるのも構わず、聖に近づき、座り込んでいた彼女の頭に掌を置いた。

「幸せが欲しいと願う者を見捨てる気にはな、なれんかった」

「あ……」灯が、自分よりも小さな槐の手を見て、一筋の涙を流す。何か、彼女の心の琴線に触れるものがあったのだろうか。

 聖は自らの分身とも言えるべき妹を見て、槐にされるがままでいた。

「もう、わしを狙うなとは言わん。後生だから、わし以外の者には手を出さんでくれ。頼む」

「うっ、う、く……あんたなんか、あんたなんか……」

 されるがまま頭を撫でられて、聖はただ、童女のように泣き続けた。

 遠い昔、彼女が神様の存在を信じていたような、そんな純真さが僅かに見えた気がして、一は思わず目を逸らした。



「……話、出来たじゃないか」

 楯列が一の耳元に顔を近づける。一は煙草に火を点けて、彼から距離を取った。

「幸せが欲しいって、そう思うのは人間である証明だよ。この二人だって、ただの人間なんだ」

「楯列」

「何だい?」

 一は考える。ならば、ただの人間を、ただの人間から外れさせたのは何だったのか。あるいは、誰だったのかを。

「さっき言ってたよな。『教会』を潰せるって。ありゃ、マジだったのか?」

「嘘偽りはないよ。それも、君が望むなら絶対だ」

「そっか。だったら、最悪、そういうのも考えなきゃな」

「へえ? 君も、『教会』を助ける気でいるのかい?」

 紫煙を押し出すように吐き、一は首を振る。

「じゃなくて、二人はお前んとこの小間使いだろ? だったら、まあ、取れる手は色々考えときゃなあ、な」

「嬉しいな」

「は? 何が?」

「君が、僕を巻き込もうとしているのが、だよ」

 楯列が顔を近づけてくるので、一はボンネットから逃げるようにして降りた。

「槐がそうしたいって思ってるからだよ」

「そうかい? そうかい。じゃあ、そうだね」

「さっきから」

「うお!?」

 ずい、と。早田が一の真正面に立つ。

「私を無視してこんな奴と話してもらっては困るぞ、先輩。第一、本当にどうするのだ?」

「あの二人か? まあ、何とかなるんじゃないのかな」

「そうだね。何とかなるよ」

「……二人だけで分かったような顔を」



 生まれた時からずっと駕籠の中で生きてきた鳥に、手助けは必要だろうか。逃がしてやる事は、鳥にとっての幸福となるだろうか。無論、鍵さえ開ければ、扉さえ開ければ、鳥は知らずの内に飛び立っていくだろう。しかし、ただ外に追い出すだけではどうなるだろうか。翼の広げ方と、飛び方を教えてやらねば、鳥はやはり、知らずの内に息絶える。そも、駕籠の中の鳥は、外へ行くのを心の底から望んでいるのだろうか?

 幸せとは、与えられるものではない。自らが探し、見つけ、掴むものなのかもしれなかった。それでもと、一は思う。もしも助けを求められたなら、その時は自分の出来うる限り、そいつの幸せ探しに付き合って、手伝ってやろう、と。

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