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女の子は誰でも



 足がもつれそうになる。一は槐の手を握ったまま、講義棟に戻り、別の道から駐車場へと向かっていた。

 槐は携帯電話を袖の中に戻し、短刀を取り出す。彼女は窓から『教会』たちの様子を覗こうとしたのだが、一がそうはさせなかった。彼は、一刻も早くここから逃げ出したかったのである。

「……衛と早紀も車へ向かっておる。焦らずとも良い」

 講義中ともあり、学生の姿は殆ど見えなかった。一たちは廊下を疾駆し、階段を一足飛びで駆け下りていく。

「あいつらを巻き込むのかよ」

「逃げ出すだけじゃ。問題ない。それに、あの二人も既に巻き込まれておるようなものじゃろう」

 一は早田と楯列を『教会』から遠ざけたかった。だが、望むが望むまいが、『教会』がその気になれば、一般人である二人にまで手を伸ばすかもしれない。だったら、自分の手が、目が届く範囲で二人を守りたかった。

 それに、と。一は思い直す。ジェーンとナナが来ているのだ。『教会』の相手は彼女らに任せておけば良い。少なくとも、自分よりは確実だろう。

「……逃げるだけなのか?」

「その通りじゃ」

「じゃあ駄目だ」

 一は立ち止まり、壁に手を付き、肩で息をする。

「何を言っておるっ」

 槐は一のズボンの裾を掴んだ。

「何が駄目なんじゃ、駄々をこねるでない! ここから、奴らから逃げ出す事が……」

 ここから離れたい。『教会』から逃げ出したい。しかし、それでは変わらない。終わらないのだと一は分かっていたのだ。

「あいつら、また来るぞ。中途半端に逃げたって、払ったって、追いかけてくるに決まってる」

「ならば、どうしろと? 殺すか? それとも殺されるのか? ……わしに、行けと言うのか?」

 槐の顔が歪む。彼女は裾を握る力を強めた。

「あのフリーランスは、わしを狙っておる。確かに、わしが行けば、もう、お主らに迷惑は、だから……」

「早合点すんなよ。殺さなくたって、殺されなくたって、お前が行かなくたって、何か方法はある筈だ。第一な、お前が『教会』に持っていかれるくらいなら、俺はあいつらを殺す。の、を、選ぶと思う」

「阿呆。そんな真似、お主にさせられるか」

「俺だってしたくねえよ。だから、逃げるのは止めとこうぜ」

 逃げ出したい。全てを見捨てて逃げ出したい。全て振り切って逃げ出したい。自分だけでも楽をして、生きていたい。頭の中は自己の保身でいっぱいだった。一は小刻みに震えていた手を隠す。どれだけ戦いを重ねても、怖いものは怖い。相手が化け物だろうと、人間だろうと、関係はなかった。

「話せば分かるさ」



 まさか、こんな事になろうとは。

 聖は駐車場に逃げ込み、周囲を確認した後、灯と共に軽自動車の影に隠れた。二人は暫くの間、口が利けなかった。疲労と、驚愕の為に、である。

 フリーランス『教会』にとって、誤算が二つあった。まず、座敷童子の確保はついでであった。元々、彼女らは駒台大学周辺に出現したソレを狩るべく、動いていたのである。そこで、一たちと出会った。これは、『教会』にしてみれば嬉しい誤算とも言えた。槐がいたのもそうだが、がいた事も大きかった。

 ソレを仕留め、また、座敷童子を確保出来る。浮かれていた『教会』に、二つ目の誤算があった。勤務外、ナナの出現である。彼女らにとって、勤務外と出くわすのは誤算に当たらない。ソレが現れ、フリーランスが動いているのだから、勤務外が動くのも当然なのである。誤算は、ナナだった。彼女には、エレナも、マンディリオンも通用しなかったのである。生きているモノに対して、絶大な効果を発揮する筈の聖遺物が、がらくたも同然と成り果ててしまった。……ナナが、生きていないからである。彼女は自動人形で、生命がない。

「……トリック、でしょうか」

「やってらんないわ。ああ、主よ。どうかお助け」

 その事実に、『教会』はまだ辿り着いていない。だからナナたちに背を見せ、無闇に、無様に逃げ回ったのである。

「何なのよ、あのメイド。頭おかしいんじゃないの?」

「ど、どうしましょう、聖姉さま。とてもとても、勝ち目がありません」

 聖は灯に反論したかったが、材料が見当たらなかった。ジェーンはともかく、ナナを盾に近づいてくる以上、自分たちに武器は残されていないのである。得物が効かないならば徒手空拳で、とも考えたが、釘をも受け付けないナナの頑丈さを思い出し、彼女は結局、溜め息を吐き出すしかなかった。

「でも、ここにはあの座敷童子もいるのよ。明日のパンの為、ソレだって見逃せないわ。それに、また失敗したらどうするつもり? もう、教会にはいられなくなってしまうわ」

 灯にも聖の言い分が分かっている。だが、状況を打破する妙案は浮かんでこない。気分だけが落ち込んでいくばかりだ。

 現時点で、勤務外とは戦えない。聖は舌打ちを繰り返し、もう一度、周囲に視線を配った。

「さっきの勤務外は駄目ね。主もおっしゃっているわ。『逃げるが勝ち』と。だからこうしましょう。今のところ、座敷童子はメイドたちと合流していない筈よ。あいつらが合流するより先、座敷童子を見つけ出して捕まえる。どう?」

「さ、先に、私たちがメイドさんに見つかってしまったら……?」

「逃げるっきゃあないわね。で、逃げ回りながら座敷童子を探すの。そっちには役立たずの男しか付いていないみたいだったし、ついでに、ニ、三発殴ってやりましょう」

 聖はサディスティックな笑みを見せる。灯は、この状況下でも一に対する復讐を忘れていないのかと、少しだけ呆れてしまった。

「ふ、ふふ、絶対許さないんだから」

「俺をか?」

 背後から降ってきたような声に、『教会』は振り向く。そこには、ビニール傘を持った一と、短刀を握る槐がいた。

 ――――僥倖。聖は釘を構えるが、一は動じず、前方を指差す。駐車場。車の間を抜けていくジェーンとナナの姿があった。

「動くんじゃねえ。大声出すぞ」

 一は聖の傍に屈み、声を潜める。

「……ネギを背負ったカモが何を。主も仰っているわ。『見敵必殺』と」

「お前、俺の話を聞いてたのか? 知ってるぜ、『教会』とナナ……あのメイドは相性がとても良いんだってな」

「そういう事じゃ。お主ら、死にたくなければ大人しくしていろ。わしらの狙いは『教会』の命ではない。二度と、わしらに関わらないと誓うのなら、見逃してやらんでもない」

 聖は顔を歪めた。舐めきられている。一たちの態度が気に食わなかったのだ。

「私が手を伸ばせば、あんたは死ぬ。分かっているの? 取引を持ちかけるには近過ぎたわね」

「お前が俺を殺せば、槐がお前を殺す。あそこにいる勤務外も、お前らを見逃さない。手詰まりなんだよ、お前ら」

 灯は何も言えなかった。聖も一を睨みつけるだけで、実際に行動には移さない。彼女らにも分かっていたのである。

「……早く言えよ」

 口約束でこの場を切り抜ける事も考えた。しかし、聖のプライドは高かった。振りとは言え、一度でも一に屈するのを良しとしなかったのである。

「聖姉さん、あの、ここは」

「分かってる。分かってるわよ」

 灯は頭を抱えたくなった。聖はまるで分かってくれていない。

「つーか、お前ら、どうして槐を狙ってんだよ?」

「は、決まってるじゃない。座敷童子は幸せを運ぶモノなんでしょう? 幸せを望まない奴がどこにいるって言うの?」

 僅かに顔をしかめたが、一は小さく笑って聖を見つめる。

「確かにそうかもな。だったら何か、あんたらは四凶ってのを狙って来た訳じゃないんだな」

「あ、そうじゃないんです。『教会』は神父様の依頼を受けて四凶を殺しに来たんですけど、そこで座敷童子さんを見掛けたのは偶然で」

「ちょっと灯、そんな事言わなくて良いじゃない」

「じゃ、槐を追ってんのは『教会』の仕事じゃなくて、個人的に、なのか?」

 灯は聖のご機嫌を伺うようにして、小さく頷いた。

「だったら退いてくれよ」

「退く訳ないでしょう。本当に殺すわよ、あんた。主もおっしゃっているわ。『そろそろ我慢の限界だ』と。右の頬を張られたままで済むと思わない事ね」

「俺がいつ頬を張ったよ。……なあ、マジで考えてくれよ。どうしたら、お前らは槐を諦めてくれるんだ?」

「舐めた真似を……!」

 立ち上がりかけた聖を、灯が必死に押し留める。ここで勤務外に見つかってはどうしようもないのだ。今日の彼女は頭に血が上り過ぎていて、姉の役目をこなし過ぎるきらいがある。灯は溜め息を吐き、一をじっと見た。

「あの、全てお話します」

「聖っ」

「この人は、話せば分かってくれる人です」

 聖は灯を睨み続けていたが、強情な妹に折れ、顔を逸らす。そうして、勝手にすればとその場に座り込んだ。



 僥倖だ。

 一は『教会』には気付かれないように口の端をつり上げる。彼の狙いは、『教会』が槐から手を引く事だった。その為にはジェーンたちが邪魔だった。戦闘になれば話し合いの余地はない。大抵のフリーランスは勤務外を嫌っているし、勤務外もまたフリーランスを嫌っているのだ。だから、ジェーンたちよりも先に『教会』と接触出来たのは幸運だったのである。

「ん、どうした、一よ」

「いや、何でもない」

 また、逃げ道も用意していた。アイギスを発動させる為に構内のコンビニでビニール傘を購入し、槐に頼んで楯列の協力を得ている。『教会』が何か仕掛けてきても、彼の車で逃げると言う寸法だった。おまけに、駐車場にはジェーンとナナがうろついている。声を上げればすぐに気付いてくれるだろう。後は、灯の話から糸口を見つけて、そこに付け込むのみだった。

 灯は息を一つ吐き、地面に目を落とす。

「……実は、私と姉さんは『教会』を追い出されるかもしれないんです」

「『教会』を? 教会って、あんたたち三人……じゃなくて、二人の事じゃないのか?」

「その、他にも控えがいるものですから」

 一には今ひとつ分かっていなかったが、とにかく『教会』が多くのフリーランスを抱えている事だけは理解した。

「前回、座敷童子を連れて帰れなかった事で、私たちの地位は危うくなっているんです。このままだと、私たち……」

 まさか、同情を買おうとしているのだろうか。一は頭をかき、灯から視線を逸らす。

「でも、さ、今日は四凶があんたたちの相手だろ? 俺らは四凶に手を出さないから、とりあえず大人しく帰ってくれよ」

「駄目よ」聖が一を睨みつける。

「知らないの? 勤務外は既に四凶の内、二体を殺している筈。残り一体を奪い合ったって仕方ないって事よ」

 一は同僚の優秀さを恨んだ。もとより存在すら怪しかった交渉の材料が一つなくなったのである。

「もう、座敷童子を連れ帰るしかないの。分かる?」

「『教会』を追い出されたら、私たちみたいなフリーランスは生きていけないんです。あの、ですから……」

「駄目だ。槐は渡せない。そこだけは曲げられないな」

 確かに可哀想な話ではある。『教会』の気持ちも分かる。人の道を外れかけているのはお互い様なのだ。しかし、譲る訳にはいかなかった。

「は、だったら最初から話なんか必要なかったんじゃない。やっぱり、ここで殺し合うしか……」

「分からない人だな、あんた。……『教会』を追い出されても生きていけるなら、槐は必要ないのか?」

「それは、その……そうかもしれませんが、追い出される前提で話を進めるのは……」

「座敷童子を連れて帰る事が出来なけりゃ追い出されるんだろ? だったら、確定だ。俺は、絶対に槐を渡さない」

「阿呆」

 槐が一の頭を叩く。彼は声を荒らげようとしたが、前方にナナの姿を認めて、堪えた。息を殺している内、彼女はジェーンと合流し、駐車場から立ち去ろうとしている。また一つ、不利になってしまった。

「お主はわしの何じゃ。わしは自分で決めておる。お主に決められんでも、こやつらのもとには行かんよ」

「……さいですか。まあ、そういう訳だから諦めて追い出されてくれ」

「そ、そんな、あの、どうにかなりませんか?」

「どうにかしてあげたいけどなあ。あ、そうだ。槐、この二人に幸せを」

「ならぬ」

 言い切り、槐は一をじいっと見据える。彼女のそれは拗ねているような所作でもあった。

「された事を忘れたか。たとえお主が許しても、わしは許さぬ。一は、少しばかり甘過ぎるんじゃ」

「そうでもしなきゃ帰ってくれないぞ」

「そこまでされなくても結構よ。勝手に持っていくから」

「わしは物ではないっ」

 聖は槐の言葉を鼻で笑い、肩をすくめる。

「ソレが何を言うかと思えば。あんた、ここに来る前だってめちゃくちゃに使われてたんじゃない? 居ついた場所に幸福をもたらす。それがあんたの役目でしょう」

「使われてなど……!」

「座敷童子、あんたがどう思っていたってね、私たちからすれば、そういうモノなの。分かる?」

「分かるものかっ」

 短刀を抜いた。一がそう認識した時にはもう、槐は聖に襲い掛かろうとしている。彼は小さな槐を羽交い絞めにして彼女を止めた。じたばたと、槐は中空でもがき続ける。

「ええい、離せっ。後生じゃからこいつを斬らせぬか!」

「落ち着けって。あんな、お前も怒らせるんじゃねえよ」

「私に指図? 主が許しても私が許しはしないわよ」

 主が許したら許せよ。一は口答えするのを我慢して、向こうにある講義棟を見据えた。



 大学の駐車場から一番近い講義棟の二階。廊下の窓を開け放し、薄ら寒い笑みを浮かべているのは早田早紀だった。彼女の視線は一点を捉え、決して離れず、動かない。

「ふ、ふふ、先輩が私を見ている」

『気のせいだと思うよ。君はいつだって都合が良い女だね』

「黙れ」

 早田は携帯電話を握り潰そうかと思案したが、それでは一の指示に、期待に背く事となる。我慢して、耳元に当てているそれの存在を許容した。だが、聞こえてくる声だけは別だった。

『ところで、僕の方からは何も見えないんだけど? 逐一状況を報告するように言ったじゃないか』

 通話口から聞こえてくるのは楯列の声である。早田は舌打ちした。

「先輩たちは『教会』とやらと話をしている」

「上手くいくと良いんだけどね。一君たちに危ない橋を渡らせるのはごめんだよ」

「……だが、何か揉めているようにも見えるな」

「だったら、君のやる事は分かっているね?」

 上から目線の楯列に、早田は苛立つ。

「『教会』を倒せば良いんだろう。それくらい、私にだって分かっている」

「倒すって……まあ、そうなんだけど。けど、本当に分かっているのかどうか僕は不安だよ。相手はフリーランスなんだ。失敗すれば命だって危ういって言うのに」

「先輩の役に立てないなら死んだ方がマシだ。私が飛び込めば、あの二人を倒せなくても隙くらいは作れるだろう。後は先輩が上手くやってくれる」

 相手は分かりやすい怪物ではない。人を外れた、人の形をしたモノなのだ。早田は『教会』がどのような連中なのかを知っている。実際、殺され掛けている。一人きりでは立ち向かうのを考える事すら恐ろしい。しかし、一がいる。早田は、彼なら、自分が致命的なミスを犯してしまってもどうにかしてくれるのだろうと、心底から信じていた。

 やる事は簡単だった。

 一に頼まれたのは、『教会』を誘導するから上から叩け、である。もし無理そうなら手は出さず、誰かに助けを求めるようにも言われていた。

 早田は目を瞑り、長い息を吐き出す。そうして目を開け、取られてたまるかと、見えるもの全てを睨みつけた。



 座敷童子は幸福をもたらす。だが、その幸福を巡って争いが起こる。果たして、それは幸せなのだろうか。良い事を得る為に、他者を蹴落とし、他者に蹴飛ばされる。座敷童子が去った時、手元に残るのは何だろうか。幸せなんてものは、形になってくれるのだろうか。

 歩きながら、一は考える。

 槐は、自分たちに幸福をもたらすモノなのだろうか、と。

「一、やるんじゃな?」

「……交渉は決裂だからな」

 聖は自分たちに敵愾心を持っている。灯はまだ御しやすそうだが、姉の言いなりになるだろう。話し合いだけでは、やはりフリーランスを止められないのだ。

「こそこそと。それより、どこに連れて行くつもりよ?」

「ああ、あそこじゃ落ち着いて話が出来ないだろ。ゼミの人間以外は入れない場所がある。そこに行こう」

「ゼミ? ……まあ、良いわ。早く案内してちょうだい」

 一は視線を上げる。講義棟二階の窓からは早田の姿が消えていた。が、恐らくは息を殺して待っている。飛び出す時を、今か今かと。

「ダメな先輩だな、俺は」

「何の話じゃ」隣を歩く槐が、一の顔を見上げる。

「結局、巻き込んじまった」

 頼りにならない先輩で、早田はさぞやがっかりしただろう。が、それでも一は頼らなくてはならない。ここで『教会』の追撃から逃れるには、それしかなかった。

「……仕掛けは?」

「早田に任せてある。後は任せるしかねえ」

「誰にじゃ」

「運を、天に」

 神様なんか信じてねえけど。そう付け足し、一はアイギスを強く握り締めた。



 どうやら、四凶は最後の一匹を残すのみとなったらしい。一と『教会』を追い掛けていたジェーンは一息吐く為にベンチに座った。

「ナナ、そいつは?」

「渾沌と呼ばれるソレですね。先ほど交戦した時には確認出来ませんでしたが、間違いありません。眉間を一突きにされています。即死でしょうね」

「『教会』がやったのカシラ」

「恐らくは。……はあ、こういう時、マスターが携帯電話の一つや二つ持っていたらと思います」

 ジェーンは即座に頷く。

「アタシが買ってあげようかな。そしたら、そしたらお兄ちゃんと……えへへへ」

「涎が」

「オゥ、ソーリー」

「残った四凶。『教会』。それらの脅威からマスターをお守りしたいのですが、あの方はどこにいらっしゃるのでしょうか」

 ナナが何気なく空を見上げた時、ソレはいた。最後の四凶、翼を持った虎、窮奇である。怪物は上空から獲物を探しているのだろう。狩られる事も知らず、ただ安穏と。

 ホルスターから自身の得物を抜き、ジェーンは口角をつり上げる。邪魔をするのなら容赦はしない。勤務外の仕事でなくても関係ない。そも、誰が、何が相手であろうと興味はない。



 聖は一たちの背中を見、それから、講義棟に目を遣る。彼らが何か企んでいるのは気づいていた。頭に血が上っていた彼女でもそれくらいには気が回る。話をしたいと彼はのたまっていたが、彼女にそのつもりはない。チャンスさえあれば槐を捕獲し、一を切り刻んでやりたいと思っている。いや、それしか思っていないのだ。

「聖姉さん」

「何よ」

 灯は聖を止めようとしている。それが、聖には気に入らない。彼女は分かっていないのだ。『教会』として生まれ、フリーランスとしてしか生きていけない事に。灯は、自分たちが真っ当な人生を歩めると信じている。まともな幸福を獲得出来ると信じている。違うのだ。得られない。信じられない。ソレを殺す事でしか、自分たちはここに立てないのだ。だから、幸福なんて曖昧なものは奪うしかない。ただ息をしているだけでは何も訪れない。

「……あ、その、いいえ、何でも」

「そう」短く返し、聖は一の背中を睨みつける。

 どうして、座敷童子と共に歩けるのかが分からない。幸福の象徴をすぐ傍に置きながら、何もしない理由が分からないのだ。これだから勤務外が嫌いで、一般人が憎くて、一一という男が気に食わない。

「ふ、ふふ、何を始めてくれるのかしら」

「ああ、そうだ」

 一は立ち止まり、振り返る。

「さっきから気になってたんだけどさ」

 講義棟のすぐ下、立ち止まった一に気を取られた聖だったが、すぐに事態を察知し、懐から聖釘を取り出す。

「姉さんっ」

 言われなくても気付いている。上から、降りてくる者があった。その姿には見覚えがある。以前、自分たちに歯向かい、『教会』への誘いをすげなく蹴った女だ。

「やっぱり……!」

 何が話し合いだ。結局、こうなる。だが、喜ばしくもあった。これでようやく、一たちを殺せる。自分を下に見た者を、今度は見下ろしてやれるのだ。



 二階の窓から躊躇なく飛び降りた早田は、聖を狙っている。フリーランスである彼女は得物であるエレナを突き出そうとしたが、それは一に阻まれた。能力を使われては面倒だと、聖は早田の着地点から逃れ、

「お前が……!」

 一に向かって釘を突き出す。

 が、その釘は真下から弾かれて宙を舞った。聖の攻撃を防いだのは槐である。彼女は小刀を持ち、小さく跳んだ。

 聖が反撃に出ようとした瞬間、背後から強烈な一撃を見舞われる。早田の放った回し蹴りが背中に突き刺さったのだ。息が出来なくなり、聖は自分を蹴り飛ばした者をねめつける。そして、妹を睨みつけた。灯はまだ動けていなかったのである。

 姉の視線に竦んだのも一瞬の事だった。灯は茨の鞭、ピラトを取り出そうとする。聖を囲むのは一、槐、早田の三名だ。中でも、厄介なのは一だろう。次いで素早い槐だ。一般人としては恐ろしい身体能力を持つ早田だが、一対一なら分はこちらにある。そう判断し、灯はピラトを――――。

「見くびられたものだ」

「なっ……!?」

 ピラトを構えた時にはもう、早田がすぐ目の前まで来ている。地面を蹴った瞬間すら視認出来なかった。スピードだけなら、彼女はこの場にいる誰よりも優れている。その事実を認識するよりも、腹を蹴られる方が早かった。

 聖と灯が倒れたのを見計らい、一は『教会』の二人が視界に入る位置に立つ。どちらかが動けば、アイギスを発動する腹積もりなのだろう。

「そこまでだ『教会』。動いたら、動けなくするからな」

「ああああああああああああっ! 主よ、主よっ!」

 聖は一をねめつけ、感情に任せたまま声を放った。

「舐め過ぎたなお前ら。俺の後輩はめちゃくちゃ頼もしいんだぜ」

「ふふん、その通りだ」

 怪我一つしていない早田を見て、一は心から安堵する。……そして、思っていたよりも落ち着いていられる事に感謝していた。

 一はムシュフシュ戦以後、様々なソレと相対している。それらを全て退け、今日を生きているのだ。今までの敵を思えば、まだ『教会』などマシな部類だと言えた。

「交渉の続きだ。これから仲間を呼ぶ。痛い目見たくなけりゃあここで誓え。もう、槐に手は出さないと」

「誰があああっ」

「ねっ、姉さん! ここは」

「従えってえの!? ふざけないでっ、ふざけるな!」

 聖は冷静さを欠いている。一は灯に目を向けた。どちらかと言えば、まだ妹の方が扱いやすいと判断したのだろう。

「あんたが決めろ。そっちのは話が通じねえからな」

「……先輩」

「何だよ?」

 一が早田を見遣ったと同時、上空から何かが降ってきた。その場にいた全員が驚愕の声を上げ、目を見開く。

 轟音と共に落ちてきたのは、翼を持った大型の猛獣だ。四凶の生き残り、窮奇である。咆哮を放つ窮奇の全身には銃創が見受けられた。

「あいつらかっ」

 ジェーンとナナがやったのだ。気付いた時にはもう遅い。自分たちにとっては間が悪いが、『教会』にとっては降って湧いた幸運だろう。

 先んじて動いたのは聖だった。彼女は釘の先端を一に向け、暴れ回る窮奇をすり抜けている。

 一はアイギスを構えて、聖の攻撃を受けた。彼女を止めるべく、槐と早田が動こうとするが、灯がピラトを持って睨んでいる。仕方なく、槐はそちらへ回った。

「形勢逆転……! 主よ、感謝します!」

 聖は片手で十字を切り、片手で一を追い詰める。

「這い蹲りなさい、勤務外っ」

「そこまで槐が欲しいのかよ!」

「アレじゃない! 私たちは幸せが欲しいの!」

 その為には誰かの幸せを踏みにじっても構わない。聖の目は、そう物語っていた。

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