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依存症



 教室に行くと、やけに人数が少なかった。大教室で行われる講義だと言うのに、着席している学生は二桁にも満たない。がらんとした空間では音が存在していない。息遣いも、文庫本のページを繰る音も、何もかもが静寂に掻き消されているようだった。

「……サボり過ぎだろ」

 訝しげにしながらも、一は出入り口に近い席に腰を落ち着ける。暫くの間、彼は講師を待ち続けていたが、教室からは次第に人が減っていく。それでも辛抱強く待つ。が、十分程経ったところで「今日、休講らしいですよ」と見知らぬ男に声を掛けられて、一は溜め息を吐いた。持つべき者を持っていない、作れていなかった自分を恨みながら、彼は席から立ち上がる。

 講義がなくなって幸運だとは思わない。一は四時限目も講義が入っているので、九十分近くの時間を持て余す事になる。食堂か、図書館か、それともここで眠ってしまうか。迷った末、彼はゼミ室に戻るのを選んだ。



「ここがお兄ちゃんのスクール……」

 駒台大学の駐車場に、カウガールが立っていた。その横にはメイド服を着た女もいる。学生たちは彼女たちを遠巻きにして眺めていた。

「ナナ、大学には初めて来ました」

「でも、何だかちっさいわネ。ふふ、お兄ちゃんを見つけるにはコーツゴウ。ナナ、行くわよ」

「マスターとお会いしたいのは山々ですが、我々には目的があるのをお忘れですか?」

 ジェーンは立ち止まり、周囲を見回した。

「分かってる。でも、ここに? ホントにいるの? ヒナンだってまだ終わってないじゃない」

「……情報部も手を尽くしたのでしょうが。それにしても、ここの方々は無防備ですね」

「一発うっちゃえばビビって逃げるかも」

「なるべくなら人的被害は出したくありません。場合によっては射殺もやむなしでしょうか」

 冗談で言ったのだが、ナナにそれが通じているのかどうか分からない。故に、ジェーンは黙り込んでしまう。

「こ、ここにいるってシキョーはどんなヤツなのかしら」

「恐らくは、饕餮(とうてつ)でしょうね。羊の体、曲がった角と虎の牙。人の爪に人の顔をした怪物なら、それしか該当しないでしょう」

「トウ、テツ? 何だか、同じような、やややこしい名前ネ」

「や、が一つ多いです。……饕は財産を貪る。餮は食物を貪るという意味があります。何でも食べる、意地汚い怪物ですね」

 ナナは学生たちをじろりと見回す。彼女には人だかりが少しずつ、大きくなっているように思えた。

「ただ、何でも食べ、魔すら喰らう事から、トウテツには魔除けの意味もあるようです」

「マンイーターなのに?」

「ええ、正に人を食ったような話ですね」どうだと言わんばかりの顔だったが、ジェーンはナナを見ていない。

 ジェーンは空を見上げて目を細める。

「お兄ちゃんのハンドをわずらわせるワケにはいかない。ちゃあんと勉強して、シューショクして、アタシを養ってもらわなきゃ」

「マスターが働かなくても、私が働きますが?」

「どうしてナナが出てくるの? アタシとお兄ちゃんのライフプランにアナタはジャマ」

 びしっと指を差されて、ナナは静かに微笑んだ。余裕ありげな彼女の笑みに、ジェーンは苛立つ。

「トニカク! お兄ちゃんはがんばってるんだからっ、ソレなんかにジャマされてたまるもんか!」



 一はゼミ室で寝転がっていた。彼はコンビニで買ってきた週刊の漫画雑誌をめくっている。

「茶が入ったぞ」

「ん」一はゆっくりと起き上がり、ちゃぶ台に置かれた湯飲みに手を伸ばした。

「サボりではなかろうな?」

 そう言って一を睨むのは槐である。彼女は後片付けを終えて帰ろうとしていたのだが、そこに暇を潰そうとした一がやって来たのだ。

「休講だよ、休講。疑うなら掲示板見に行けって」

「前もって確認しておけば良かったのに。一、お主はそういうところが甘いんじゃ」

「うるせえなあ」

 槐に対して、さっさと帰れよと思いつつ、一は雑誌に目を落とす。が、同時に楯列の言っていた事も思い出す。ここで邪険にし、追い返すのは簡単だ。駕籠の中の鳥ではないが、彼女は座敷童子として同じ場所に留まり、窮屈な思いをしてきたに違いない。そう考えると、

「……まあ、お茶は美味いけどな」

 優しい言葉ぐらい、掛けてやろうとも思うのだ。

「お主に繊細な茶の味が分かるものか」

「今すぐ消えろよ」

 槐は言い返さず、お茶を啜る。

「後から来たくせに何を言うておる。……主、何を読んでおるのじゃ?」

「ん、ああ、漫画」

「それは分かっておる。タイトルを聞いてるというのに」

「どこにでもあるようなバトル漫画だよ。トーナメントとか、四天王とか出てきやがった。今更っつーか、こんな展開、まだ受けんのな」

 言いつつも、一は雑誌から目を離さない。

「四天王か。何度聞いても良い響きじゃな」

「そうかあ? じゃあ、槐にはパワータイプ四天王の称号を与えてやろう」

「一番最初に死ねと言う事か?」

「まあ、歳からいっても……」

 失敬な。槐は遮り、一の横に横に座る。

「近いぞ」

「ほれ、早くページをめくらんか」

「……はいはい」



 駐車場からは野次馬が消えていた。それもその筈だ。トウテツと呼ばれるソレが現れ、銃声が何発も轟いているのだから。

「ナナっ、そっち!」

「了解です」

 羊の体をした怪物が、ナナの攻撃によって吹き飛ぶ。停まっていた車両にぶつかり、ボンネットに乗り上げる。ジェーンが発砲した弾丸はソレの体に命中し、フロントガラスをも砕いた。だが、彼女たちはそんな事を気にしていない。

 ソレはボンネットからずり落ちる。血を流し、アスファルトの上で悶えた。

「バレットがもったいないから、あとはヨロシク」

「かしこまりました」

 頷き、ナナはソレにとどめを刺す。トウテツが動かなくなったのを確認し、彼女は眼鏡の位置を指で押し上げた。

「イージーオペレーションね。あと、二つ」

窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)ですね。大学内にいるかもしれません、捜索を続けましょう」

「オッケイ。……お兄ちゃんと会えるカモしれないしー」



「何かさ、今すげえ嫌な予感がしたんだけど」

 槐は一をねめつける。

「わしとおるのに、か? ふん、一、お主は座敷童子とおるんじゃぞ。幸福しか寄ってこぬわ」

「そうかあ? っと、そろそろ四限が始まるな……」

「うむ、励むが良い。若い内に学ぶのは良い事じゃ」

 しかし、一は動かなかった。お茶を啜り、対面の槐をぼうっと見つめている。

「何を見ておる。早く動かぬか」

「……やっぱ、めんどい」一はごろりと横になった。

「駄目じゃ。ほれ、早く行かんと遅れてしまうぞ」

 槐は一を揺さぶるが、彼は頑として動かない。あまつさえ目を瞑って眠ろうとしている。

「何か落ち着くんだよな。畳だし。お婆ちゃんの家にいるような感じがする」

「誰がババアかっ」

「んな事言ってねえだろ。良いじゃんかよ、たまには」

「あくびをするでない!」

 槐は一の頭を叩こうとして、手を振り上げた。が、彼と自分の手を交互に見つめた後、諦めたようにその手を下ろす。

「不良め」

「四限終わったら起こして。多分、楯列と早田もこっち来るだろうから」

「起こしてもらえば良いではないか」

 一は顔をしかめた。

「奴らに寝顔を見せたくない。何をされるか分からないからな」

「ほう、わしは良いのか?」

「何かするつもりなのか?」

「……戯けめ」



 体を揺さぶられている感覚を受け、一は目を覚ました。彼はゼミ室のちゃぶ台に突っ伏して眠っていた事に気付き、大儀そうに体を伸ばす。

「くあ……今、何時?」

 問い掛けるのと同時、一は目を見開いた。槐の顔が間近に迫っていたからである。だが、彼女は気にした素振りを見せなかった。

「少し前に鐘が鳴った。ほれ、早くせぬと寝顔を見られてしまうぞ?」

「ああ、そうだな。つーか、近いんだけど」

「む? ああ、照れておるのか?」

 一は槐の頭を叩く。あくまで軽く。

「俺はノーマルだ」

「どういう意味じゃ。しかし、衛も早紀も姿を見せんのう」

「ふーん。じゃあ、帰ろうかな」

 立ち上がり、一は鞄を掴み上げた。

「二人を待たぬのか?」

「別に約束とかしてねえし。何なら二人で帰るか?」

「……良いのか?」

 一は自分から言い出しておきながら、少し迷って、頷く。

「何じゃ、今の間は」

「いや、もう何も怖くないかなあ、と」

 そういう目で見られるのには慣れたのだ。慣らされたと言うべきか。とにかく一は、気にしない事にしたのである。



 一と槐はゼミ室の鍵を閉めて、喫煙所に向かっていた。

「煙草は止めた方が良い。百害あって……」

「聞き飽きたよ。俺からこれを取り上げたいんなら、もっと違う事を言えってんだ」

 煙草の箱を弄び、一はそれをコートのポケットにしまい込む。槐は溜め息を吐いた。

「人間の寿命は長いようで短い。それを縮めるのは摂理に反しているとは思わんか、一よ。加えず、減らさず、あるがまま生きるのが人間ではないのか?」

「じゃあお前もケーキとか食うなよ。めちゃくちゃ増えてんじゃないのか」

「何が増えているというのじゃ」

「何じゃろな」

 廊下を歩き、階段を下り、駐輪場付近に設置されたスタンド灰皿を見つけると、一は煙草を取り出して、それを口に銜えた。

「ほれ見ぃ。お主以外に誰も吸っておらんではないか。良いか、副流煙というのはじゃな」

 一は槐を無視して煙草に火を点ける。彼女が風下に立っていたので、彼は何気なく移動した。これ以上うるさく言われてはかなわないと思ったのである。

「あんましガタガタ言うなよ。良いじゃんか、俺の唯一の嗜好品だよ」

「趣味はないのか?」

「のめり込めるもんはないな。そっちは、何かあるのか?」

 槐はベンチに座ると、携帯電話を袖から取り出した。

「携帯の無料ゲームを」

「中学生かお前は。コマーシャルに踊らされやがって。……課金とか、そういうのに手を出しているんじゃないだろうな」

「ふん、そんなものに引っ掛かるわしではない」

 相変わらずごてごてしている槐の携帯電話を見て、一は不味そうに紫煙を吐き出す。

「しかしレアアイテムが欲し過ぎて迷っておる。一、話があるんじゃが」

「やだよ」

「だって皆持ってるんじゃぞ!? アヤもさっちんも持ってるのに、わしだけ持ってない!」

「誰だよそいつら」

 俗な座敷童子もいたものだと、一は槐を冷たく見遣った。その時、彼の視界の端に何かが映り込む。

「……今、何かいなかったか?」

「買って買って買って買ってー!」

 槐は駄々をこねていた。

「そういうのは楯列に言え。それから歳を考えろ」

「失礼な。で、何が見えたんじゃ?」

「さあ、何かあっちの方で犬みたいなもんが……」

 もさもさしていた。一は目を凝らすが、連なる木々の影には何も見えない。気のせいだろうかと思い直そうとした時、また、何かが動く。

「あ、やっぱいるわ。槐、ちょっと見てきてくれよ」

「何故わしが」

「いや、本当に犬だったら怖いじゃん」

「だったら何故わしを行かせる!? お主は男じゃ。男子たるもの……」

 一は短くなった煙草を灰皿に落とし、鞄からペットボトルのお茶を取り出す。彼はベンチに座り、槐をベンチから立たせた。

「……見上げた根性じゃな。お主のような人間を、どうして衛や早紀が気に入っておるのかが分からん。催眠術でも使ったのではあるまいな」

「そんな変てこな術が使えるなら、もっと普通の奴を傍に置くわ」

「とにかく、わしは行かんぞ。どうしてもと言うのなら、一も一緒に来るのじゃ。死なば諸共という言葉もあるじゃろう?」

 このタイミングでその言葉を持ち出してくる槐の神経を疑いつつも、一はベンチから立ち上がる。何が見えたのか、そこに何がいるのか、もはやどうでも良くなっている部分もあったのだが。

 一は槐を置いて歩き出し、件の木に近づく。その影に、犬がいた。犬に、似ているモノが座っている。毛は長く、爪のない脚は熊のそれと酷似していた。それは自分の尻尾を口に咥えている。そうして、空を見て薄く笑っていた。

「……げえ、何だこれ。犬か? 薄気味悪いな」

「ほう、珍しい」

「知っているのか、槐」

 槐は腰に手を当てて、犬らしきモノを見遣った。

「渾沌と呼ばれるソレじゃよ。四凶という名に聞き覚えはないか?」

「えっ、これ、ソレなのか?」 一は一歩退く。ソレは自分の尾を咥えたまま、その場でぐるぐると回り始めた。奇怪極まりない動きであり、彼は更に距離を取る。

「目はあるが見えず、耳もあるが聞こえない。善人を嫌い、悪に媚びるソレじゃ。しかし、何故ここにいるのじゃ?」

「危険な奴なのか?」

「いや、害はない。ちょっと不気味なだけじゃ。放っておけば、この学校の者がどうにかするじゃろう」

 決意する。帰ろう、と。見て見ぬ振りを貫くのだと、一は渾沌から背を向けた。

「ん? ……って、あ」

 黒いベール。黒いワンピース。振り向いた先には、修道服を着た女が、二人。一は槐を連れて逃げ出そうとするが、少しだけ遅かった。渾沌の額に釘が突き刺さっている。叫び声を上げる事もなく、ソレの動きは少しずつ鈍くなる。

「はぁい、神のご加護はいかが?」

「一っ、逃げろ!」

「ちょーっと、逃がす訳ないでしょう!」

 シスターは一の前に回り込み、釘を構えた。それは彼女の得物、聖なる釘、エレナである。

「お久しぶりね勤務外。私の事、覚えてる?」

「……『教会』……!」

 フリーランス『教会』。

 槐を手に入れる為に駒台へやってきた三姉妹からなるフリーランスである。

「せいかーい。じゃ、早速殺されてみる? 主もそう仰っている事だし」

「一人減ってんじゃねえか」

「うっさいわね。灯、そこの座敷童子を確保しなさい。そっちの勤務外、抵抗したらどうなるか分かってるわよね?」

 釘を突きつけられ、一は身動きが取れない。

 ――――傘さえあれば。

 名前なら知っている。一は目を瞑った。今、釘を突きつけているのは聖と呼ばれた『教会』の長女。彼女の後ろにいる気弱そうなシスターは三女の灯の筈だ。そこまで分かっていて、何も出来ない。アイギスさえあれば、この状況を脱するのは容易である。

「あ、あの、動かないでくださいね」

「お主らっ、一に手を出してみろ。決して許さんぞ」

「はん、座敷童子に何が出来るって言うの?」

「また切り刻まれたいのか?」

「ぐっ、うるさいわね。主も仰っているわ。『黙れ』って」

 油断していた。いや、どう注意しろと言うのか。一は誰を責め、誰に責を求めるのかを考え始める。一度は駒台を去ったであろう『教会』。彼女らが戻ってきて、その上大学の構内で出くわすなんて、想像すら出来なかったのである。

「なあ」

「何よ。と言うか口を開かないでくれる?」

 聖に睨まれるも、一は退かなかった。

「お前ら、槐を狙ってるんだろ。事情は知らないけどさ」

「だから何?」

「俺は見逃しても良いんじゃないかなーって」

「なっ、なあっ!? はっ、一! お主はわしを置いていくと言うのかっ」

 耳の穴に指を入れ、一はうるさそうに目を瞑る。

「言ってみただけだって。こいつの目、見ろよ。絶対俺の事を嫌ってるって感じがするだろ」

「へらへらと。余裕ぶれるだけの材料があるのかしら。それとも、とっくに諦めているのかしらね。どっちにしろ気味が悪いし、余計に腹が立つだけ」

 聖は一に釘を見せ付ける。彼はそれを見たが、すぐに視線を逸らした。

「座敷童子が欲しいのは確かだけど、だけど。私は、あんたが嫌いなの。主も仰っているわ。『右の頬を張られたら両の頬を張り返せ』ってね」

 釘が光る。一は時間を稼ぐ必要性を感じ、自分はそればかりだなと、内心で苦笑した。

「なあ、槐。俺がやられたらこいつらにやり返してくれよ」

「……言われるまでもないわ。第一、そうはならんし、させん」

「そうなるっての! 灯、しっかり座敷童子を見てなさい」

「見るだけで良いのか?」

 聖は足を止め、槐を見遣る。

「わしをしっかり押さえておけよ、小娘。一に手を出した瞬間、お主を斬る。斬れば、わしは座敷童子ではなくなるからのう、かっかっか」

「な、何を言っているのですか?」

「灯、はったりよ。所詮はソレの妄言。私たちは主の声だけを聞けば良い。他に耳を貸す必要はないわ」

「はったりじゃねえって、気付けよ」一は馬鹿にした風に言い、煙草を取り出した。

「火ぃ持ってる?」

「こっ……! 主よ! ああっ主よ! こいつぶっ殺しても良いですよね!?」

 聖は天を仰ぎ、釘で地面を叩く。

「お主ら、わしを追っているくせにわしの事を知らんのか? 座敷童子はな、人に危害を加えて徳を失えば、たたりもっけに堕ちるのよ。そうなるのは、お主らの望むところではないじゃろ? ん?」

「でたらめを」

「でたらめでもはったりでもないと言っておろうが。わしだってたたりもっけにはなりたくない。が、お主がその腕を振り下ろすとなれば話は別じゃ。喜んで堕ちよう。わしは喜んで、お前を殺すぞ。かかっ、どうする? 誰も得をせんじゃろ。諦めろ、わしは『教会』には行かん」

 一と槐の発言の真偽を確かめる時間も、方法も、『教会』にはない。ここで彼らを見逃すか。一を殺して槐を無理矢理連れ去るかのどちらかだ。だが、選べない。『教会』には選べなかったのである。

 時間だけが無為に過ぎ、『教会』は勤務外と出会った。



 駒台大学に入り込んだ『教会』が渾沌を仕留めた今、四凶の内、残ったのは窮奇と呼ばれる怪物だ。しかし、彼女たちはその事を知らない。

「はあっ、あの後姿はマスターではないですか!」

 ナナが指差した先には、煙草を銜える一がいる。だが、彼は修道服に身を包んだ女に何かを突きつけられていた。傍には和装の少女もいる。

「……ダレ、アレ? と、というかっ、というか! お兄ちゃんって、いっつもこうナノ!?」

 また女に絡まれている。ジェーンは憤り、リボルバーに手を掛けた。

「落ち着いてください。何か、様子がおかしいです」ナナは袖を振り、ブレードを露出させている。

 一たちはジェーンたちに気付いていない。彼女たちは各々の得物を構え、地を蹴った。

 ジェーンは『教会』だと気付いていない。ナナは『教会』を知っているが気付いていない。ただ、『一に近づく不届き者だ』と判断した末の行動である。

「……っ、聖姉さん!」

 だが、今回は二人の短絡的な行動が一と槐を救った。『教会』は武器を持たない一よりも、向かってくる勤務外に脅威を感じたらしい。すかさず、戦闘態勢に移る。

「エレナで牽制!」

 拘束から逃れた一は槐を連れ、教室棟目掛けて駆け出していた。



 聖釘エレナが放たれる。ナナはジェーンの前に立ち、造作もなく、それを手で払った。

「……勤務外ね」

「あなた方は」言い掛けて、ナナはジェーンを見遣る。

「『教会』ですね」

 ジェーンは小首を傾げた。彼女の仕草を見て、聖は眉根を寄せる。

「ちょっと、そっちのちっさいのは私たちを知っているでしょう。どうしてそんな顔をしていられる訳?」

「アタシ、お兄ちゃんのコト以外にキョーミないから。それから、神サマなんか信じてないし。……あんまり」

「あんまりなのはどっちよ! ああっ、もう、勤務外って皆こうなのかしら!」

 聖は釘を構え、ジェーンを睨みつけた。

「ああ主よ! どうかこの哀れな子羊たちに鉄槌を下す許可を!」

 再び釘が放たれる。ナナに向かった五本の釘は全て彼女に命中し、先端が欠けて地面に落ちた。金属音が尾を引いている。聖は転がった釘とナナを見比べ、瞬きを繰り返した。

「…………当たったわよね」

「は、はい。全部命中です。けど」

 ナナは眼鏡の位置を押し上げ、『教会』の二人を見つめる。

「残念ですが、私にはこういった分かりやすいものは通用しないと思われます。私の自動人形硬度は十ですから」

「ダイヤモンドは砕けないって訳? 上等よ。灯、マンディリオンを」

 灯が広げたのは、単なる布切れではない。聖骸布と呼ばれる異物である。聖骸布に触れた者は体力を奪われ、動けなくなるのだ。それを覚えていたから、ジェーンはリボルバーを構える。

「そのマントは覚えてるワ。ハードな相手よ、ナナ。アレには気を付けて」

「どのような能力を所持しているのですか?」

「当たれば分かるわよっ」

 マンディリオンが大きく翻った。その影から釘が投げ放たれる。ナナはジェーンの前に立ち、釘を防ぐ。しかし、その隙に詰め寄った灯からは逃れられそうになかった。ナナはマンディリオンに包まれ、

「こういう事よ勤務外!」

 聖は歓喜の雄叫びを上げる。ナナはマンディリオンに包まれたまま、灯を殴り飛ばした。

「そっ……な……!?」

「どういう事ですか?」

 鬱陶しそうに布を払い除けると、ナナは聖を見遣り、蹲る灯に目を向けた。

「その布は、目晦ましのつもりだったのですか? それならば無駄です。その釘では私の装甲を貫通出来ません。視界を奪ったところで、火力に劣るあなたたちに勝ち目はありません」

「ど、どういう事よ? 何なの、あんた。本当に人間なの?」

「いいえ。私は人間ではありません。オンリーワン北駒台店の勤務外店員、オートマータのナナと申します」

 恭しく頭を下げる人外に、聖は一歩、退く。

「人間じゃあ、ない、ですって……?」

「驚かれましたか?」

 信じられない。

 聖はナナの言葉を真実だとは思えない。だが、沈黙したマンディリオンが物語っている。『これは、生者ではない』のだと。

 マンディリオンの能力は、生きている者の力を奪う事である。人間だけでなく、ソレの力すら奪える。力と言うと曖昧に聞こえるが、実際、『教会』にもマンディリオンの仕組みは分かっていない。ただ、奪うのは生命力に近しいものだと認識しているのだ。……だから、嫌でも分かる。聖骸布に包まれ、触れた人間が何事もなかったかのように立っていられる筈がない。掠った程度ならやせ我慢も出来ようが、ナナは完全に、頭からすっぽりと包まれていたのである。

「……主よ。世界はこんなにも広いのですね。あなたのお力、遍くと言う訳にはいかなかったようです。これも、全て私の力不足が原因。信仰を。祈りが足りないのなら、更に祈れば良い。灯、動けるわね?」

 呼びかけられた灯は無言で起き上がった。泣き言は漏らさないが、腹部を押さえ、歯を食い縛る彼女の姿は痛ましい。

「私たちの標的は『教会』ではありませんが、邪魔をするのなら話は別です。のみならず、マスターに危害を加えようとしていたのなら答えは一つです。『お覚悟を』」

 決して、決して弱くはない。『教会』とてフリーランスを名乗り、ソレを抹殺する人外なのだ。ただ、相手が悪かった。相性が悪過ぎた。

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