Give It Up
一発の銃声が響いて、コヨーテは目を瞑ったまま耳を動かした。全身が痛んでいて、起き上がれる状態ではない。幸い、致命傷は負っていなかった。後ろ足を引きずりながら、鉄塔に向かう。
誰が撃ったのか。誰を撃ったのか。響いた銃声が示すものは何だろう。白いハトはもういない。ジェーンを背負った一が見えるだけだ。
「嬢ちゃんは……?」
一は小さく微笑む。
「寝てる」
「そうかい」コヨーテはほっとしたように息を吐いた。
「ボーイ、奴らはどうなった?」
ああ、と。一は声を漏らす。
「モロクは、倒せなかった。青髭がやばいからって勝手に帰っちまったよ」
「ヴラドはそこでぐっすりと眠ってる。良い夢か悪い夢かは知らないけど、二度と目を開けないだろうさ」
「だと良いけどな」パニックムービーならもう一波乱あるかもしれないと、一は苦笑する。
「青髭は誰がやったんだい? ボーイか? それとも……」
一は首を横に振った。
「当たらなかったよ」
「……最後のアレは、ユーが撃ったのか」
「ああ。弾、一発しか残ってなかった。野郎なら勝手に死んでるよ」
風が吹き抜けていく。一の表情からは、真実が読み取れなかった。コヨーテはふっと笑みを漏らす。
「勿論、地獄行きだろうね」
「だろうな。あ、いや、ミスったな。悪魔が好きなんだから、向こうが天国に思えてるかもしれないぜ」
「死は死さ。青髭は終わった。それだけは確かなんだ。それ以上、ユーは何を望むんだい?」
「望みか」一はジェーンを見遣った。それだけで、コヨーテは理解する。
ジェーンに伝えるべき言葉がある。通すべき筋がある。コヨーテは悲しそうに鳴いた。彼の言葉は、彼女には通じない。
「リトルボーイ、起こしてくれないか。悪いが」
それでも、コヨーテは声を発するのを決める。一は彼の覚悟を汲んでやろうと思った。
「何を言うつもりなんだ?」
「ミーは、謝りたいって、それだけなんだよ」
だから。そう前置きして、コヨーテは俯く。
「許されるとか、そんなのは求めちゃあいない。嬢ちゃんが欲しいなら、ミーの命もここで……」
「……俺が伝えてやろうか? まあ、信じてくれるかは分からないけどさ」
「いや……良いんだ」
一は溜め息を吐き、ジェーンを背中から下ろした。彼女は身動ぎを繰り返し、眠たそうな声を出す。
「ん、んん、ぐっ、もーにん?」
「悪いけどさ。ちょっとだけ、目ぇ覚ましてくれないか?」
ジェーンとコヨーテの視線がぶつかった。
「お兄ちゃん、犬がいる」
「犬じゃなくてコヨーテってんだ。ほら、良いから少しだけ降りてくれよ」
「少しだけだよ?」
コヨーテの前にジェーンが立つ。彼女は状況を把握していないらしかった。あるいは、今も夢を見ていると勘違いしているのかもしれない。
ジェーンは目を擦った。コヨーテが、すぐそこでちょこんと座っている。今になって考えれば、彼は何者なのだろう。一はコヨーテの事を良く知っているらしいが、彼女はコヨーテについて何も知らないに等しかった。
「……お兄ちゃん?」
一は何も言わない。ただ、事態の行く末を見守ろうとしている。何が起こるのだろうと、ジェーンは不思議に思った。やがて、コヨーテが口を開く。彼は細く、長く鳴いた。
彼女は自然と目を瞑る。言葉では言い表せない、何がしかの力を秘めた声である事には気付いた。だが、コヨーテが何を言っているのか、何を言いたいのかは分からない。
コヨーテは鳴き続ける。戦闘時とは程遠い、頼りなげな声だった。ジェーンはゆっくりと瞼を開けて、彼の頭に手を置こうとする。
「かまないかな」
「噛むもんか」一は寂しそうに言った。
「あっ」
ジェーンの手を避けるかのように、コヨーテは頭を振る。彼女は不満そうに彼を見据えた。
「ね、お兄ちゃん。この子、何か言いたいのカナ」
「……うん。お前に……」一は言い掛けて、口を閉ざす。
「話、聞いてやったか?」
ジェーンは頷いた。尤も、コヨーテが何を伝えたいのかも分からなかったのだが。
「ほら、かーむひあ?」
手招きされて、コヨーテはうろうろとし始める。
「こわくないってば」
コヨーテはやがて、ジェーンの傍に歩み寄った。彼は躊躇いがちに顔を上げる。
温かなものが、コヨーテの頭の上に置かれた。
「よーしよし。ふふ、ねえお兄ちゃん」
ジェーンはコヨーテの頭を撫でながら目を細める。
「この子、なんだか泣いてるみたい」
瞬間、コヨーテはジェーンから後退りした。彼は背を向け、足を引きずったままで駆け出してしまう。
「あっ……行っちゃった」
ジェーンはその場に座り込んだ。見上げれば、あんなに恐ろしく思えた月が、今は妙に小さく感じられる。彼女は一に微笑みかけた。
「あ、鳴いてる」コヨーテが吠え声を上げている。
「ああ、泣いてるな」
また、いつか会えるだろうか。生き残った者同士、喜びを分かち合えるだろうか。そんな事を考えながら、ジェーンは再び尋ねてきた睡魔に身を委ねた。
「昨晩はお疲れ様でした」
耳元で囁かれて、一は寝返りを打った。
「八面六臂の活躍をなさったマスターが撃滅したのは、『円卓』のメンバーだったそうではないですか。今日はお祝いですね。マスターの好きなものを作ります! ですから、召し上がっていただけると嬉しいです。ナナはとっても喜びます」
まくし立てられて、一は布団を被った。
「あら? マスター、朝ですよ。後二時間でアルバイトなんですよ? 私と一緒に働きましょうよう」
「……うるせえなあ」言ってから、侵入者の存在に気付く。一は跳ね起きて、布団から立ち上がった。
「おはようございます」
三つ指突いて頭を下げるのは、平然とした様子のナナである。彼女はたっぷりとした間を取った後、にっこりとした笑みを一に向けた。
「また、鍵こじ開けたのか?」
「いいえ。最初から開いておりました」
「そう、だっけ?」
昨夜、家に帰ってからの記憶はあやふやだった。一は頭を掻きながら、その場に座り込む。
「粗茶ですが」
卓の上に置かれたマグカップを見て、一はナナを睨んだ。
「俺んちのだぞ?」
「つまり私の家のものでもある訳ですね」
「すっかり口が達者になっちまって。誰に教えられたんだ、誰に」
ナナは何も言わずに、ただ微笑んでいる。一はカップを手に取った。
「マスター、私、昨夜に起こった事の殆どを耳にしています」
「あー、そうなのか。いや、大変だった。と、思う」
「幾つか気になる事があったので、マスターにお伝えしておこうと思ったのです。あの後、マスターたちがいなくなった鉄塔前で何があったのか」
「……何かあったのか?」
様々な想像が一の頭を駆け巡る。まさか、青髭は生きている? それともヴラドが? 彼は縋るような思いでナナを見つめた。
「ご心配なさらず。青髭とヴラド・ツェペシュの死亡は確認されています。情報部からの確かな報告です。死体は、タルタロスが処分したと、そう聞いています」
「そ、か。そっか。ああ、心臓が止まったかと……」
「ですが、『広場』の死体は見つかりませんでした」
マグカップの中身が買い置きのコーヒーだったのに気付き、一は黒い水面に目を遣る。
「……それは、ジャネットはモロクに……」
「モロクに跡形もなく焼かれてしまった少女の報告なら受けています。彼女以外の死体が、どこにも見当たらなかったそうなのです」
「いや、おかしいぞ、それ。俺は見たんだ」
記憶があやふやになる前、一は確かに見ていた。『広場』の死体が七つ、ヴラドの影によって串刺しにされていたのを。ジェーンも、ジャネットも見ていたから間違いない筈だった。だが、一つの可能性に思い至る。寝起きだった彼の、精一杯の答えだった。
「ヴラドが死んで影が消えた。死体は薄っぺらだった。だから、どっかに飛ばされちまったんじゃないのかな」
「いえ、ですから探しても何も見つからなかったのです」
「俺の正気を疑うってんなら……」
「私がマスターを疑う筈がありません。ただ、死体が見つからなかったのは事実です。そして、死体があったのも事実なのです。だから、気になってしまって」
気まずい静寂が部屋の中に立ち込める。朝っぱらから嫌な空気だと感じた一は話題を変えようとした。
「コーヒー淹れんのさ、上手くなったな」
「そう、ですか? 私、自分では確かめられないから……マスターにそう言ってもらえると、嬉しい」
「大袈裟なヤツ。……あのさ、棒みたいなんって、見つからなかった?」
ナナは小首を傾げる。
「青髭に刺さってたと思うんだけど」
「あ、申し訳ありません。私は、そこまでは聞いてなくて。いっ、今から情報部に行ってきましょう!」
「そっ、そこまでしなくて良いって!」
一はナナを押し留めて、元の場所に座らせた。
「大事なもの、だったのでしょうか」
「俺にとってはただの棒だよ。それ、ジャネット……ああ、『広場』の女の子でさ、その、ジェーンの、友達だった子が持ってたものなんだ」
「情報部に!」
「だから良いってば!」
ナナはうな垂れる。最近、彼女はますます人間っぽくなってきた。悪い変化ではないと思ったので、一は何も言わなかった。
「でも、そうか、なかったのか」
「ジェーンさん、悲しむでしょうか」
「や、それはないと思う」
ナナを慰める為ではない。一は本当に、そう思ったのである。
「……ジャネットさん、ですか」
「うん、ジャネット。死んだ奴の悪口なんか言うつもりはないけどさ、まあ、変わった子だったよ。でも、何だろう」
一は言い淀んだ。ジャネットをどう形容していいものか分からなかったのである。暫くの間、言葉を止めて、やがて、一つの答えに辿り着く。
「うん、良い子だったよ。俺はそう思う」
「私、気付いた事があるんです。きっと、マスターも気付いていると思うんですけれど」
「ああ、もしかして、名前?」
ナナははっきりと頷いた。
「ジャネットというのは、ジャンヌ・ダルクが生まれ育った場所、ドンレミ村での、彼女の呼び名ではありませんでしたか?」
「映画じゃあどうだったかな……」一は顔を逸らす。
「でも、ジャネットにはさ、ジャネットって名前のが似合ってたと思うんだよ。肩肘張ってなくてさ、良い名前じゃないか。うん、だから、それで良いんだと思う」
「浪漫ですか?」
「浪漫だね」
一は誤魔化すように笑って、マグカップに口をつけた。
仇を取ったから、何かが変わるでもない。昨日は昨日、今日は今日、明日は明日で時間は過ぎて世界は回っていくのだろう。
「はじめくーん、何か難しそうな事考えてる?」
「え?」
一は目を丸くさせた。モップを掛け終わった立花が、意地悪そうに笑っている。
「ボクで良かったら相談に乗るよ?」
「立花さんが?」
「うん、立花さんが」えへへと、立花はもう一度笑った。
立花はぺたぺたと床を踏んでいく。カウンターまで近づくと、一の胸をモップの先でつついた。
「ざっくりばっさり、何でも解決しちゃうよ?」
「……暇なんでしょ?」
「うん」素直に頷く。
カウンター周りの消耗品の補充を終えた一は、ゆっくりと体を伸ばしていく。
「じゃあ、聞いてくれるかな」
「うんっ、どうぞ!」
「バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想についてなんだけど」
「そう言えば、ボクさっき犬を見たんだよ」
立花は上手く話を反らせたと思っているようだったが、彼女の目は泳いでいた。
「へえ、犬?」
「ほら、前に見たもふもふした子。店の近くにいたから、捕まえようと思ったけど逃げられちゃった」
「じゃあ、またいつか会えるかもね」
「だと良いね!」
さてと、と。立花は不自然に呟き、一に背を向けて歩き始める。が、彼女はドアの開いた音に反応して、商品棚から顔を覗かせた。
「あっ、ジェーンちゃんだ! おはよう! じゃなくて、ぐっもーにん! ……かな?」
声を掛けられたジェーンは足を止めて、戸惑ったような素振りを見せる。一は助け舟を出してやろうとしたが、
「……お、おはよう」
彼女はそれよりも先にぎこちない笑みを浮かべていた。
「うんっ、今日も頑張ってお仕事しようね」
「ン、うん」
「今日のおすすめはさー」
一はそっと、カウンターから抜け出す。バックルームまで気付かれずに戻ると、一つ、息を吐いた。
「安心したか、『お兄ちゃん』?」
底意地の悪い笑みを浮かべているのは店長である。彼女はわざわざ椅子から立ち上がり、一を見下ろしていた。
「俺に恨みでもあるんですか」
「あったらどうする」
「いっそ殺せ」
「だったらそうする」
「すんなすんな! しなくて良いですから!」
店長は舌打ちした後、定位置である椅子に座った。
「ふう、さっきは言いそびれたが、昨日はお疲れ様だったな。ああ、情報部から話は聞いている」
「『円卓』、倒せたんですよね」
「じゃなくて、お前らの仇だろ。『円卓』って肩書きはそいつのおまけだ。……面食らうな、馬鹿者が」
「いや、そんな風に言うとは思ってなかったもんですから」
一はパイプ椅子に座ろうとするが、店長はそれを許さなかった。
「私は鬼でも悪魔でもない。まあ、ラッキーだとは思っているよ。あの蛇女どもに続いて、これで二人目を仕留められたんだからな」
店長は煙草に火を点けて、美味そうに煙を吸い込む。
「全く、分かんない奴らですよね」
「後は、お前らが見たテュールとかいう侍が残ってるな」
「そいつだけじゃないとは思いますけど」
「ま、私たちが全部を相手にする必要はないと思うがな。都合良く駒台に現れるとも思えん」
紫煙が場を充たす。一は自分も吸いたくなってきた。
「ともかくだ、ゆっくり体を休めておけ」
「え、じゃあ上がらせてくれるんですか?」
「はあ?」
「えー……じゃあんな事言うなよな」
「ぶつぶつ言ってないで働け!」
横暴である。矛盾を具現化した存在が目の前にいる。一は諦めて、バックルームを出ようとした。
「お」
「あ」
扉が開く。ジェーンは扉を押さえたまま、一に先へ行くように促した。
「何それ?」
「買ったの。今日のおすすめ、だって」
ジェーンはビニール袋を少しだけ持ち上げる。
「それよりもほら、仕事」
「分かってるって」
「……がんばってね」
「……ん」
扉が閉まる。一はこそばゆい気持ちを抱えたままフロアに出た。
今日も月は丸い。明日もまだ丸い。人を狂わせ、血を騒がせるモノだ。目を背けようとしても、逃れようとしても、月はいつも、自分たちを見下ろしている。最初から、人間がどうこうと出来る存在ではない。
だが、今日からは違う。今夜の月はいつもよりも小さく見えるのだろう。一はそんな気がしていた。