SUPERCOLLIDER
何が何だか分からないままに戦うのはいつもの事だ。
誰が敵で誰が味方なのか判断するのはいつもの事だ。
神がどうした。天使がなんだ。悪魔が来たって口笛を吹いてみせる。
「……そうしてきたじゃねえかよ」
一は自分に言い聞かせるようにして呟いた。
青髭。ヴラド。モロク。ジェーン。ジャネット。誰もが動く。好きに動く。一はふざけるなと声を上げそうになる。誰を優先すべきか、必死で頭を働かせる。鉄塔に戻る青髭か、ジェーンを狙うヴラドか、正体の分からないモロクか、ジェーンを助けるのか、ジャネットを守るのか。
堂々巡りの思考は、モロクの一発によって吹き飛ばされる。
「お兄さんっ」
アイギスを広げていたが、攻撃を受け止める自信はなかった。風切り音。一は急いで距離を取る。破砕音を耳にして、アスファルトが溶けるのを確認する。モロクの拳には炎が纏っていた。ソレは気だるげに顔を上げ、一を見据える。
狙うべきは青髭か。一は息を吐き出してジャネットを見遣る。
「俺がこいつを。ジェーンがヴラドを押さえる」
「分かった」
選択肢は他になかった。自分が何を言ったところで、指示に従う彼女たちではない。一はモロクを睨み返した。
ジャネットが地を蹴った。その動きを、ヴラドとモロクが認める。モロクの下半身は顕現していないが移動に支障はない。ソレが彼女に迫るが、一がアイギスを突き出しながら割り込む。彼はモロクの振り下ろした拳を防ぎ、ジャネットの前進を援ける。
しかし、簡単には進めない。モロクを避けても、ジャネットの前方には次々と影が現れていく。彼女はその攻撃を全て回避していたが、後方からモロクが追いついてきた事に気付いた。
『ここが地獄か』
振り返ったジャネットは、一が膝をついているのを確認する。
ジャネットは、一の持つビニール傘が女神から受け取ったアイギスだと知らない。モロクの攻撃をどうやって防いだのか、何故、彼がまだ生きていられるのかを知らない。一の死について、神は何も言わない。だから、考えない。今はただ、青髭を追う事だけを考えようと努めた。
迫るモロクは右腕を掲げる。その腕に、炎が意思を持ったかのように巻きついていった。ジャネットは得物に目を落とす。彼女がそれを上手く扱えても、ただの旗で炎は防げない。
「地獄なんて、この世にない」
炎が、モロクの腕から放出される。更に、ソレは自らも炎の後に続いた。
熱を伴った風を受けて、ジャネットは目を閉じる。逃れられないからと腹を括ったのではない。彼女は、旗を振ったのだ。瞬間、突風が巻き起こる。ジャネットに飛来していた炎はそれに巻き込まれ、飲み込まれる形で呆気なく消失してしまった。
異常な事態を目にし、モロクは足を止める。風が消え、火傷一つすら負わなかったジャネットがそこに立っていた。
そう、防げない。ただの旗では防げない。
『貴様、何をした』
「私の旗は聖なる御旗。悪魔の炎では私を焼けない。私には、神様も、天使様もついているから」
だからどうした。そう言わんばかりにモロクが距離を詰める。ジャネットは身構えたが、彼女に攻撃が届くよりも早く、一が再び割り込んだ。彼は頼りなさそうなビニール傘で、悪魔の拳を受け止める。その衝撃で鈍い音が鳴り、火の粉が飛び散った。
「お兄さん、それ……」
「良いから行けって!」
『動くな』
モロクが左腕を掲げる。動き出そうとしていたジャネットの横を巨大な火の玉が擦り抜けた。着弾したそれはアスファルトを溶かしながら緩やかに消えていく。
一がアイギスを手元に戻した。モロクは僅かに体勢を崩し、彼はジャネットの前に立つ。
「どうして、そんなので防げるの?」
「はあ? や、これはただの傘と違って……言ってる場合かよ。さ、早く――――うおおお!?」
火炎の弾がアイギスに降り注ぐ。しかし、一はそれを全て防いでいた。後ろ髪を引かれる思いだったが、ジャネットは鉄塔に向かって足を踏み出した。
ヴラドはジェーンの銃弾を、霧になる事で躱していた。同時に、ジャネットに向けて影で作った杭を放つ。彼女は立ち止まり、それをやり過ごした。
「ぐっ……!?」
注意が逸れたところに、ジェーンの的確な射撃が突き刺さる。ヴラドが変化させていない箇所に銀の弾丸が命中していた。彼は傷を負いながらも、杭を飛ばして反撃してみせる。
「我ながら義理堅い……!」
モロクが召喚された今、ヴラドには青髭を助ける理由はない。ジェーンだけに集中していれば良かった。しかし、彼はそれを選ばない。
付け入る隙は充分に残されている。ジェーンはヴラドを無力化させてから青髭を追うのを選んでいた。彼女とて青髭が憎い。すぐにでも殺してやりたいと思っていた。だが、ヴラドを放っておけば背中から杭を突き立てられるだろう。それだけでなく、影を操る彼を野放しにすれば、自分だけでなく一たちにも危害が及んでしまう。未だのぼせ上がった頭だが、ジェーンなりに考えた末の事だった。
ヴラドが霧になって姿を隠す。影と化し、地に溶けたのだろう。ジェーンは息を一つ吐き、走りながら弾を込めていく。一の情けない叫びを聞き、そちらに目を向ければ、彼のすぐ近くにジャネットがいた。どうやら、一は彼女を守っているらしい。自分よりも、彼女を優先したらしい。そう認識した途端、ジェーンの胸は痛む。自分から、下がれ、来るな、と、一に言ったのにも関わらず、だ。
戦闘から意識が逸れそうになる。ジェーンは周囲の空気がぬめり、重くなったと錯覚した。彼女は身を低くして地面を転がる。そのすぐ上を影で作られた杭が掠めた。不安定な体勢から、ジェーンは影を狙って引き金を引く。舌打ちしてファニング。立ち上がって追いかけてくる霧から逃れた。
「……どうやって、勝ったんだろ」ぼそりと呟く。
ジェーンは、以前にヴラドと戦った時の事を思い出せない。何故なら、その時の彼女は月に狂った狼と化していたのだ。本能と衝動に任せて、彼が行動を開始する前、不意打ちが成功したに過ぎない。どうやって戦い、どのように勝ったのか。仮に覚えていたとしても参考にはならなかったのである。
「しぃーっと」
周囲を睨みつけながらジェーンは足を止めた。影の杭が地面から突き出る。が、それは彼女を狙ったものではない。前方にいた、鉄塔に向かおうとするジャネットを狙ったものだ。ジェーンは片目を瞑り、その杭目掛けて発砲する。六発の弾丸の内、半分が命中して影は掻き消えた。一とジャネットはモロクに気を払いながらも少しずつ鉄塔へと近づいている。
青髭が呼び寄せたであろう悪魔、正体こそ分からないが、敵だとは分かっている。すべき事は変わらない。全て、殺すだけだ。
ジェーンはポケットをまさぐって弾を掴んだ。指が少し痛むが、気にしないようにする。今日は体の調子が良い。良過ぎるくらいだった。理由は分かり切っている。月が出ているからだ。気を抜けば、心が持っていかれそうで――――。
掌から弾が落ちる。それが地面を叩いた瞬間、ジェーンは後方へとステップした。影の杭が彼女の目の前に出現し、新たな杭が、ジェーンを追い掛けるように突き上がってくる。彼女は影に対して背中を向けず、銃を構えながら距離を取り続けた。
――――また牛か。
一は両足に力を込めて踏ん張った。モロクの膂力は凄まじいが、全く防げない、敵わないという訳でもない。それはきっと、月が丸いせいだろう。ジェーンと同じく、彼の中でも狼が騒いでいるのだ。声を上げてアイギスを引く。ジャネットを行かせる為に、一は逃げたくなる気持ちを必死で押し殺した。際限なく膨れ上がる恐怖心を掻き消したくて、声を絞りだす。叫んで、再びモロクの攻撃を受け止めた。
一がモロクの攻撃を凌げるのは、青髭の召喚が不完全だったからだ。涙の国の君主と呼ばれるソレの力は、完全な状態の半分以下になっていたのである。それでも、並大抵のソレとは比べものにならない。
「おっ、もてえぇ……!」
振り下ろされるモロクの両腕。だが、一には届かない。アイギスを抜かない限り、彼が致命傷を負う事はないのである。ソレも、一の持つアイギスの力に気付きつつあった。
『ここまで頑丈な人間がいるとは』
モロクは一から少しだけ離れて、火球を生み出す。両の掌から放たれたそれは空気を燃やしながら対象へと迫った。が、やはり通らない。アイギスにぶつかった炎は形を失い、霧消していく。
『人間も変わったものだ』
「……悪魔に言われたくねえっつの」
言葉が通じる相手なら、会話が可能だ。一は気付かれないように息を整える。細い呼気が中空に立ち上った。
「畜生、いきなり出てきやがって」
モロクさえ現れなければ、自分たちが有利だった。とんだ隠し玉だと、一はソレを睨み付ける。
「地獄に帰れよ、お前」
『そうしたい気持ちもあるにはある。が、呼ばれれば従うのが我の定め。あの男が貴様らの屍を望む以上は……』
一は顔を上げる。その目からはまだ、諦めの色は見て取れない。
「だったら何か、あいつとの契約が切れれば消えてくれんのかよ」
その問いにモロクは反応しなかった。新たに火球を作り出し、無造作に腕を振る。一の足元を狙ったが、彼は腰を落としてアイギスを構えた。火球はまたも消えていく。
一がモロクを押さえているが、ヴラドの影がジャネットの前進を阻んでいた。ジェーンだけでは彼の能力全てを押さえられないのである。
『……慢心』
「あ?」
『なかったと言えば嘘になる。貴様のような者がいるとは想像すらしなかった』
だから。そう呟き、モロクはゆっくりと首をめぐらせる。視線は、ジャネットを捉えていた。ソレの意図に気付いた一は駆け出す。
『貴様は盾だ。守るべき者を背にしているからこそ、貴様は手強い』
ジャネットは杭を避けながらも前に進もうとしていた。先のように旗を振れれば風が起き、炎は防げる。しかし、影の杭が立ち連ねており、彼女の空間を奪っていた。
『それは弱点でもある。盾の意義を失えば、貴様は脆くなる』
「逃げろ――――!」
火球が空を裂いていく。一はそれを見送るしか出来なかった。
ジェーンは見ていた。
一が叫び、モロクが炎を放ったのを。
ジャネットは影の林に囚われて、自由に身動きが取れない様子である。尋常ならざる力で攻撃を避け続けてきたが、あの状況では回避は難しい。炎に包まれれば、彼女とて無傷ではいられない。命すら危ぶまれる。
ジェーンは見ていた。自分が助けに行っても間に合わない。一も間に合わない。しかし、自分たちよりもずっと前に、もっと早く飛び出していた者がいる。
「何だ、あいつは」ヴラドは驚きの声を漏らしていた。
火球に向かって飛び出した者は、ジェーンには見覚えがある。彼とは、一と共に月夜を踊った日に出会った。だが、それよりももっと前に出会ったような、そんな気もしていたのだ。
何とも頼りない。
どうにもぎこちない。
溜め息を吐き、飛び出す時を見計らった。出来るなら、一にはもう少し頑張って欲しいとも思ったのだが、悪魔が現れた以上多くは望めなかった。
「『広場』だったか。嬢ちゃんも交友関係に気を遣えば良いのに」
フリーランスの少女を助ける理由はない。
悪魔と対峙する理由もない。
しかし、そうしないと彼女が痛い目を見る。また、悲しいと涙を流す。こんな、ちっぽけな自分が少しだけ格好つける事で彼女が、あの子が救われるかもしれないのならば、
「兄貴譲りじゃないか。良く似てる」
理由ならある。その筈だった。だから歌う。月に吠え、牙を突き立てる意味はある。
間に合わない。
一はジャネットに向かって走っていたが、飛び出してきた影に気付いて足を止める。驚きはなかった。ジェーンが出張っていたのだから、やっと来たかと、そんな思いでいっぱいだった。
モロクの放った火球と、ジャネットとの間に割り込んだのは灰色の毛並みをした四足歩行の獣である。一は、彼の名を叫んだ。コヨーテと、その名を呼んだ。
「――――――ッッ!」
唸り声、後、耳をつんざく咆哮が轟く。コヨーテから放たれたそれは火球を消し去った。彼の声には魔力が伴っていたのである。
コヨーテは体を震わせて、低く唸った。それから、月に向かって吠える。彼の勇ましい声に、モロクは動きを止めた。
「……犬……?」
信じられないといった表情を浮かべて、ジャネットはコヨーテを見つめる。彼は、彼女の言葉に耳をぴくぴくと動かす。コヨーテは振り向き、歯を見せた。
「違うね」コヨーテが言う。尤も、彼が何を喋っているのか、ジャネットには分からない。
「ミーは犬じゃない。誇り高きコヨーテさ」
それでも、コヨーテは口を開くのだ。
「お……ニノマエっ、そっちに!」
霧になったヴラドが一たちを擦り抜けて、鉄塔前に立つ。モロクは鼻を鳴らして、拳を振り上げた。アスファルトが砕けて、その音に全員の注意が向く。その隙に、ソレはヴラドの横に並んだ。
「仕切り直しだぜリトルボーイ、下がった方が良い」
「だな」頷き、一はジャネットの手を引いて下がり始めた。ジェーンが彼らに合流し、一の手をジャネットから乱暴に振り解く。
「さわんない方が。変なモノが移っちゃうヨ?」
「ジェーン、怪我は?」
「ン、オールオッケー。そっちこそ、問題ない?」
ジャネットは小さく頷いた。
仕切り直し。
一は、青髭の盾であるヴラドとモロクを見据えた。コヨーテが参戦して、数の上では有利に立てている。これからだ。ここからだ。息を整えて、アイギスを握り直す。
「……お兄さん、この犬、何?」
「へ?」
ジャネットは、自分たちよりも前に出ているコヨーテを指差した。彼は不満そうに鼻を鳴らす。
「ヘイ、リトルボーイ。そっちの嬢ちゃんに教えてやったらどうだい。ミーは犬じゃなく、最高にクールなコヨーテだって事をさ」
「ああ、こいつは、通りすがりの野良犬だよ。暇だから助けてくれるんだってさ」
「がるるるるっ、おいこらっ」
「すごい。お兄さん、犬と話せるの?」
「神様の声は聞けないけどね」
尚も、コヨーテは文句を言い続けた。わんわんわん。
「……カィ、ううん。ニノマエ、その子って、あの時の」
まだ、ぎこちない。ジェーンの口から一と聞かされる事に、彼はまだ慣れていなかった。
「覚えてたか」
「おのろけナガラ」
「おぼろげだろ。……そうか、覚えてたか」
「何か言ったカシラ?」
一は首を横に振り、二人と一匹に視線を遣った。
「さあ――――どうしようか?」
二人と一匹は冷めた目で一を見つめる。
「アタシは青ヒゲを狙うワ」
「私も青髭を」
「ミーは嬢ちゃんを助けに来ただけだからな。任せるよ」
協調性のない奴らめ、と。一は溜め息を吐き、状況が、先ほどと何も変わっていない事に気付いた。
「あいつらのやり方を考えたら、俺が悪魔と当たるのは確定だと思う」
「ヴラドには誰が行くの?」
一は言葉に詰まるが、済まなさそうにジェーンを見る。
「……ジェーン、頼む。一度戦ってるし、だから」ジェーンが青髭に復讐したいと思っているのを、一は知っていた。しかし、彼と戦わせたくない気持ちがある。十中八九、どちらかは死ぬのだろう。ジェーンは、青髭を殺すだろう。
「アタシに命令? バイトのくせに」
「……リトルボーイ、嬢ちゃんはご立腹だぜ。ちゃんとエスコート出来なかったのか? 良いか、男ってのはな」
「俺たちが青髭を狙うのは、邪魔者を退かしてからだ」
「……たち?」
ジェーンは小首を傾げる。
「ジャネットが先に青髭を。俺たちはそれを助ける」
「良いの?」
「君は俺の……いや、人の言う事なんか聞かない。だろう?」
何も言わず、ただ、ジャネットは微笑む。その笑みが何故だか寂しそうなものに見えて、一は頭を振った。
「文句はないよな」
「アタシ見ながら言わないでよ」
「気のせいだ。じゃ、やろう。ジャネットは後ろに。モロクは俺が。ヴラドはジェーンが。皆、影には気を付けて」
頷き、ジャネットはジェーンの後ろに。一が前に出ると、彼の隣にコヨーテが並んだ。
「……ヘイヘイ、ミー、意外と馴染んじまったな」
「確かにな」小声で話し掛けられたので、一も同じようにして返した。
「でも、説明してる暇はない。つー訳で、久しぶりに助けてもらうぜ」
「あくまで、ミーは嬢ちゃんを助けるのが目的だ」
「じゃあ、お前はヴラドをやるんだな」
いや、と。コヨーテは首を振る。
「見誤ってるぜリトルボーイ。ヴラドって陰気野郎は嬢ちゃんだけでも事足りる。ほら、だってこんなに月が丸くて、良い夜なんだ」
「やばいのは、あいつか」
「……悪魔、か。ミーも本気出さなきゃ、食われちまいそうだよ。ユー一人じゃ荷が重い相手だ」
いつも軽口ばかりのコヨーテが真剣に言うので、一は心細くなる。
「ま、始まったらなるようになるさ」
「気楽な。もっとさあ」
「おっと、それ、広げな」
轟音と熱が迫っていた。広げたアイギスで火球を防ぐと、一は声を荒げる。が、彼が何か言うよりも先に、他の者は行動を開始していた。
自重気味に笑う。ジェーンたちと共闘するのは成り行きだ。本来なら、ジャネットは彼女を戦闘に巻き込むつもりはなかったのである。この状況を、神は教えてくれなかった。しかし、結果は変わらない。神が見せた結末は動かない。
「勝手に動くなよ!」
一が何か喚いている。ジャネットは彼の命令に従う気はない。彼女に指図出来るのは、語り掛ける天使の声だけなのだから。だから、ジャネットは火球を掻い潜り、影の杭を避けながら進む。時折、銃声が耳をつんざいた。
「邪魔をする」ヴラドはジャネットに的を絞っている。彼女が影を避ける為に動きが止まったところを、モロクが襲い掛かった。
「後ろって!」
一がジャネットを下がらせる。彼はアイギスでモロクの腕を受け止めた。はた目で見ていても、ソレの腕力は凄まじい。まともに食らえばただでは済まないだろう。それでも、一は退かなかった。
「隙は作るっ、俺らが押さえる!」
「下がったら進めない」
「二歩下がって三歩進めば!」
一がモロクの攻撃を斜めに受け流す。ソレは空いていた腕で炎を生み出すが、飛び掛かってきたコヨーテを躱そうとして後ろに下がった。
「右から行かせろリトルボーイっ」
「おっしゃ」一が指示するよりも早く、ジャネットは空いたところへと、身を滑らせるようにして駆ける。炎の渦が見えたが、コヨーテの声がそれを消し去った。
「声、すごい」
「ジャネット!」
ジェーンが走ってくる。彼女の前を霧が漂っていた。一瞬、そこからヴラドが顔を覗かせる。十を超える串が飛来するのを見て、ジャネットは旗を振るった。すると、モロクの火を掻き消した時と同じく、どこからか突風が巻き起こる。
「鬼に私は裁けない」
串は勢いを失い、次々と地面に落下していった。ジェーンがジャネットを庇うように立ち、即座に発砲する。霧は散らばり、アスファルトへ染み込むようにして溶け始めた。
「下から」
ジャネットがジェーンを突き飛ばす。刹那、彼女らのいた場所の真下から、影の杭が生えてきた。
「サンクス」
「あ、右」ジェーンは慌ててその場から飛び退く。
「しつっこい!」
「ならば貫かれろ」
体勢を崩したジェーンへと、漆黒の杭が襲い掛かった。頭を狙ったそれを、彼女は身を低くして回避する。続け様に放たれた串は、地面を転がる事でどうにか躱せていた。
「ジェーン、立って」
「先に行っててっ」
思案する。放っておけなかった。ジャネットはジェーンの柔らかな手を掴み、強引に立ち上がらせる。それから、彼女の手を引いて走りだした。
「アタシはだいじょぶだからっ」
「服、汚れてる」
「ソーユー場合じゃ……」
ジャネットは急に立ち止まる。ジェーンは彼女の背中に鼻をぶつけた。ジャネットが立ち止まったのは、モロクの火球が迫ってきていたせいである。彼女はそれを旗で防ごうとしたが、
「うわ」
離れたところで、一が横っ飛びで突っ込んでいた。ジャネットたちを狙った攻撃は、彼がアイギスで防御している。一はすぐさま立ち上がり、コヨーテに続いてソレに向かっていった。
「何よアレ。クールじゃない」
「嘘ばっかり」
微笑ましい。羨ましくもある。ジェーンたちを傷つけたくない。一刻も早く、終わらせる必要があった。ジャネットはマフラーを口元に持っていく。
一たちは必死でモロクとヴラドを押さえていた。しかし、炎と影、その全てを防げる訳ではない。ある程度はこちらにも向かってくる。青髭までは、酷く遠かった。
「ジェーン、お兄さんの方に」
ジャネットはジェーンの手を離す。
「そんな、一人じゃ危ない……」
「平気。聖女様もついてるから。それより、そこ危ない」
一が防げなかった火球が飛んできていた。ジェーンは距離を取り、離れた位置からそれを見送る。ジャネットは動かず、ぼそぼそと、何事かを呟いていた。
「聖カタリナ、アレクサンドリアのカタリナ様。どうか私に道を、道を示してください……!」
「ジャネット!? 何やってるの!?」
ジャネットは目を瞑り、手を組んでその場に跪いている。ジェーンが叫ぶのも無理はない。ヴラドの放った杭と、モロクの炎がジャネットに接近していたのだ。
「道を、道を見せて!」
瞼をより強く閉じる。ジャネットの脳裏に強烈なイメージが浮かび上がった。壊れた車輪、剣、足下の王冠、霰、花嫁のヴェールと指輪、鳩、鞭、本、何者かと論争する女性。焼きついたモノが彼女の真っ暗な視界を奪い尽くす。目を開ければ、釘打ちされた中世の車輪が独りでに転がっていた。
「あ、これが」
ジャネットは立ち上がり、車輪の後をふらふらとした足取りで追い掛ける。彼女の背中を火球が掠めて、杭は空を切り裂いていった。
「道。私の、道」危なげな歩みだが、ジャネットは決して止まらない。そして、何者にも阻まれない。車輪が右へ揺れれば、彼女も体を右に反らす。前を行く車輪が速度を上げれば、ジャネットもそれを追い掛けようとして走り出す。そうして、全ての攻撃を避け続けていた。が、彼女には何も分かっていない。自分を導くように転がる車輪しか見えていなかったのである。
このままでは鉄塔まで、青髭まで辿り着かせてしまう。ヴラドとモロクがジャネットを追ったが、一とコヨーテがモロクを。ジェーンがヴラドの足を止めさせた。
「……抜けた」
「ぬう……」青髭がジャネットの姿を認める。彼はヴラドたちを叱責するべきか迷ったが、怒りの矛先は彼女に向けようと思い直した。レイピアを握り、踊り場でジャネットを待ち構える。
ジャネットが青髭を見上げた。視線をずらせば、彼女の視界からは車輪が消えていた。