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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
モロク
215/328

JIVE



「お兄ちゃんなんか大っキライ!」

「ちょ、おい……!」

 バックルームから飛び出していくジェーンを追えず、一はその場に立ち尽くした。何故、彼女が怒っているのか、彼は未だに分かっていない。

「……喧嘩するなら外でやれ」

「もう遅いですよ」

 紫煙を吹き掛けられて、一は手でそれを扇いだ。

「退院したばかりだと言うのに。で、何を言ったんだ?」

「店長も聞いてたでしょう。何も、ですよ。さっぱり分かりません。あの年頃の女の子ってのは、もう、本当に」

 癇癪を起こして、好き勝手に喚いて、膝まで蹴られた。一は痛む箇所を摩り、扉を見つめる。

「どの年頃の女だろうと、理解は出来ないさ。勿論、同性にだってな」

「じゃあどうしようもないですね」

「謝るぐらいは出来るだろう」

 理由もないのに、あったとして、その理由が分からないのに謝罪は出来ない。一は壁に背を預けて、辛そうに息を吐き出した。

「怒らせたのがお前なら、謝るのもお前にしか出来ない。とは、思うがな」

「良く分からないまま頭を下げるのは不誠実だと思いますけど」

「既に不誠実な事をやっている分際で何を言う」

 一は煙草に火を点ける。店長が相手なら特に気を遣う必要も、遣うつもりもないので、その点で言えば彼女は一番楽な相手だった。

「話ってのは何ですか?」

「……ああ、立花とナナには伝えたんだが。お前には、特に伝えておこうと思ってな」

「俺に、特に?」

「ああ」と店長は頷く。彼女は椅子をくるりと回して一に向き直った。

「影を覚えているか?」

 鸚鵡返しして、一は紫煙を吐き出す。

「ガキがいなくなる事件が立て続けに起こっているんだ」

「まさか、また……?」

「さあな。だが、何かが起きているのは確かだ。あの時の影は逃げ出してしまったんだろう? 生き延びたソレの仕業なのか、それとももっと別の何か、か」

 風の精霊まで犠牲になりかけたのだから、一般人の、それもただの子供が抗える筈もない。

「何人やられたんですか」

「確認している限りでは五人だったかな。だが、これから先も犠牲者は増えていくだろう」

「誰も、動いちゃいないんですか?」

「前にも言ったが、ソレの仕業なのだと言い切れない状況だ。まだ動けない。動くにしろ、目標がいないのではな」

 憂鬱そうに言うと、店長は灰皿で煙草の火を揉み消す。

「ソレだと思いますけどね」

「まあ、頭の片隅にでも置いておけ」

 一は煙草を灰皿に捨ててから、ふと思った。ジェーンは無事だろうか、と。自分よりも能力の高い彼女だが、何が起こるか分からないのが世の常だ。嫌がるだろうが、ジェーンも充分『ガキ』に分類される。気を揉まない方がおかしいのだと、彼は自身を納得させた。

「ん? ゴーウェストが心配か?」

「ええ、まあ。一応、子供ですし」

「心配はいらない。今のところはな」

「……今のところは?」

 喉の奥で噛み殺す、不快な笑み。店長は新しい煙草を取り出して、底意地の悪い笑顔を一に向けた。



 どうして分かってくれないのだろう。

 どうして語ってくれないのだろう。

 積み重なった苛立ちを爆発させて、仕事を放り投げて店を飛び出した。自分のせいじゃない。悪いのは全て自分以外の誰かなのだ。そうやって、誤魔化す。納得させる。

 目を動かす。心を這わす。

 駒台。どこにも、行く場所はない。逃げ場所などない。知らない者が知らない事を話している。目に付く人が無性に腹立たしく思える。

 ない。

 何もない。ここまで逃げてきて、ここが終わりなのだから。生まれ育った国から出たのは、一に、『兄』に会いたかったからではない。彼しかいなかったからだ。

 どうして分かってくれないの?

 どうして話してくれないの?

 人狼の現れた夜、ソレが死んだ夜、一の肩口に噛み付いたのを覚えている。舌に広がる鉄の味。咽るかと夢想した血の香を覚えている。血よりも確かで、不確かな繋がり。今も、この身に流れ続けている。生き続ける限り、縁は切れない。その筈なのに……その筈だからこそ、彼の態度が、言動が気に食わなかった。

「……Da――――うう……」

 思わず口を付いて出た言葉を押し留める。気分を変えようと、近くにある自動販売機を見遣った。ジェーンは頭を振り、ポケットから財布を取り出そうとする。が、財布を店に置いてきたのを思い出して、自販機をねめつけた。ままならない、と言うよりも、どうにもならない事がこの世には多過ぎる。

 俯き、そこから去ろうとした瞬間、ジェーンの脇を女が通った。彼女は自動販売機の前で立ち止まり、難しそうにそれを見つめる。

「…………?」

 白いワンピースに、青いスカート。首元にはやけに長いマフラーを巻いている。淡いオレンジ色のマフラーには何か文字が編み上げられていた。その字を読み取ろうとして、ジェーンは目を細める。

「ん」

「あ」

 振り返った女と、ジェーンの視線がぶつかった。予想だにしていなかったので、ジェーンは少しだけたじろぐ。

 長いマフラーの女の鼻筋は通っており、丸い目がジェーンを捉えていた。蒼い眼、自分と同じだと、ジェーンは咄嗟に思う。

「これ」

 黒髪がふわりと揺れた。女が身体を向き直したのである。ジェーンと比べると彼女の背は高い。

「……何?」 

 ジェーンは不機嫌そうに女を見返した。口元を覆っているマフラーをずり下げると、少女は自動販売機を指差す。ジェーンは眉根を寄せた。

「飲みたい」

 少女が何を言っているのかが分からなくて、ジェーンは目を丸くさせる。今まさに、財布を忘れた自分に対して飲み物が欲しいと言っているのだと理解して、ふざけるなと、それしか思いつかなかった。

「勝手に飲めば?」

「分からない」

「ハア? ベンダー、知らないノ?」

 ジェーンの問い掛けに、少女はこくこくと何度も頷く。その仕草は大柄な体に見合わず、どこか幼かった。

「マネー、持ってる?」

「持ってる」少女はポケットから大量の札束を取り出す。無造作に掴みあげたせいか、何枚かは落としてしまい、風に飛ばされていった。ジェーンは散らばった札を目で追ったが、彼女の行動に呆れてしまい、実際に追いかけるのは出来なかった。

「Unbelievable……」

「いっちゃった」

「……貸して。何が飲みたいの?」

 ジェーンは少女の手から、千円札を一枚抜き取る。それを自販機に入れて、彼女を強く見据えた。

「紅茶」

 ジェーンはホットの紅茶を買ってやり、少女に渡す。しかし、彼女は不満げな表情を見せた。

「冷たい方が良い」

 気を利かしてやったのに。ジェーンは口内で何事かを呟き、改めて自販機に小銭を投入する。寒い時期に冷たいものを飲む神経が彼女には理解出来なかった。

「はい」ぶっきら棒に言って渡すと、少女は嬉しそうに缶を握り締める。

「こっち、良かったらあげる」

 差し出された紅茶の缶と少女の顔を見比べて、ジェーンは缶を受け取った。お礼を言うのが筋なのだろうが、何故か、素直に口に出すのは躊躇われる。少女を見ると、プルタブをかちかちと指で擦っていた。

「……開けて?」

「オゥ……」



 新しい煙草に火を点けた店長は一を横目で見た。

「いなくなったガキには共通点がある。全員が、男だと言う事だ」

「男、ですか」

「と言うよりも、少年、と言った方が近いか。十代の男児だけが犠牲者になっている」

 まだ死んでいるかどうかも分からないが、店長の言い方は自然に聞こえる。一はパイプ椅子を組み立ててそこに座った。

「だからジェーンは心配ないと?」

「だから今のところはな。少なくとも、影よりかは節操があるらしい」

「目的っぽいのが見えてる分、影よりタチ悪いかもしれませんね」

「かもな」店長は笑って、天井に向かって息を吐く。

「警察が動いているらしいが、果たして手に負える相手かな」

 負ってもらわなければ自分たちが困る。一は店長を見遣った。

「話は終わりですか?」

「ああ、帰ってよし」

「……偉そうに」実際、偉いのはどちらかと追求されれば困るので、一はそれ以上は毒づかずにバックルームを辞した。



 缶をごみ箱に入れると、少女は踊るようにしてジェーンへと振り向いた。

「ごちそうさま」

「あなたのマネーで買ったのよ?」

 少女は小首を傾げる。

「ジャネット」ジェーンは紅茶を飲み干すと、不思議そうに少女を見つめた。

「私、ジャネット」

「アア、名前。ジャネットっていうのネ」

「あなたはジェーン。だよね?」

 全身に緊張が走る。思わず、ジェーンはホルスターに手を伸ばしていた。独特の空気を漂わせた、ジャネットと名乗る少女に警戒心を抱いていた覚えはない。しかし、名を名乗った覚えもなかった。

「怖がらないで」

 ジャネットは、全てを見透かしたような瞳をジェーンに向ける。

「あなたの名前、天使様から聞いたの」

「エンジェルが何ですって?」

「私、天使様の声が聞けるの」

 ジェーンは瞬きを繰り返した。敵か味方か。思案し、警戒し、ジャネットをねめつける。

「悪いけどアタシ、知り合いにドクターはいないの。紅茶、ありがと。but、これ以上……」

「お医者さま? 私、病気してない」

「あなた、何者なの?」

 尋ねられて、ジャネットは悪戯っぽく笑む。

「名前と誕生日、あとはキュートな笑顔さえあれば他には何もいらないって、そうは思わない?」

 人間か、ソレか、勤務外か、フリーランスか。ジェーンの頭の中はぐるぐると回り続けている。

「私たち、似てる。だから仲良くしよ? 天使様もそう言ってる」

「電波……」

「それ悪口?」

「……う」まっすぐな視線をぶつけられ、ジェーンは僅かに怯んだ。

「ジェーンの話、聞きたい」

 拒むのは簡単で、付き合う理由は見当たらない。だが、百二十円分くらいは付き合ってやっても構わないだろう。ジャネットのペースに乗せられ、巻き込まれているのを自覚しながら、ジェーンは何から話せば良いか考え始めた。



 ジェーンの事は心配だったが、下手に突けば怒らせてしまうかもしれない。ほとぼりが冷めるまでは放っておくのが無難だろう。一はそう考えて、家路に就いた。夕食を食べて、それからアルバイトに戻らなければならない。今の内に体を休めておきたかった。

 連日、昼夜を問わず場所を弁えずに現れるソレ。いなくなった子供というのは、恐らく無関係ではない。何かが起こっている。また、動く必要があるのかもしれない。人知れず拳を握り締めて長い息を吐き出していく。

 買ったばかりの真新しいコートを汚すのは避けたいなと、どこか場違いな事を思った。

「よう、お帰り」

 見上げると、アパートの二階から山田が手を振っている。彼女はいつもの巫女装束に着替えていたので、一は少しがっかりした。

「ただいま戻りました。あの、何やってるんですか」

 山田は階下を一瞥して、疲れた風に笑う。

「着せ替え人形みてえにされてたんだよ。流石に限界だ」

 どうやら山田は避難してきたらしい。すぐに捕まってしまいそうな場所に、ではあるが。

「部屋、入りますか?」

「おっ、飲むか」飲みませんと、一は断る。

「今日な、晩飯一緒に食わねえか? 鍋やるとかさ、アイネとチアキに誘われてんだ」

「俺も行って良いんですか」

 鍵を取り出しながら一は言う。

「アイネがな、一を誘っといてくれって。自分で切り出しゃあ良いのにな」

「じゃあ、お呼ばれしようかな。あ、誰の部屋でやるんですか?」

「一」と、山田は一を指差した。彼は苦笑し、扉を開ける。

「ロハで食べさせてくれんのかなあ……」

「アイネが出すって。一が帰ってきたし、後で鍋とか持ってくるんじゃねえかな」

 避難の意味がない。一はあえて何も言わず、部屋に入ってこたつの電源を入れた。



 陽が暮れていく。いつの間に、こんなにも時間が過ぎていたのだろう。空腹すら忘れて、ただ話していた。立ちっぱなしだと言うのに、全て忘れられた。

「良いな」

「何が?」

 隣に、あるいは対面に、目の前に。落ち着かなさそうにしているジャネットだが、ジェーンの傍からは離れようとしなかった。

「お兄ちゃん」

 ジェーンは言葉に詰まる。話していた内容の殆どは、一に対する不満や愚痴だったのだ。

「どこが。アタシのコト、まるで分かってないのに」

「ジェーンは悪くない。だけど、お兄ちゃんって人を嫌いじゃないんでしょ?」

「だいっきらい」

 ジャネットは小さく微笑む。ジェーンはやりづらそうにそっぽを向いた。彼女には色々と話し過ぎたかもしれないと思う。

「……ジャネット。あなた、本当に何なのかしら」

「私は私」

 自分の正体を話したくないのはやましい事があるからだろうか。しかし、ジェーンにはそう思えない。ジャネットの言葉は正しく聞こえる。彼女の声は清水のように透き通っていて、染み渡る。白を黒だと強制するような激しさは感じられない。ただ、神聖なものを感じさせた。

「アタシ、そろそろ行くね」

 月が己の存在を主張し始める。前回のように暴走するつもりはなかったが、月光の下、無防備でいたくはなかった。

「残念」

「また、会えるカシラ?」

 ジャネットは目を細める。

「ん、また会える」

「じゃあ、その、また明日……」

「また明日」

 互いが手を振り、歩き始める。名残惜しくて、ジェーンはずっと手を振っていた。



 相変わらず客は少ない。立ち読みする者がいるだけでも、まだましだと言えた。一は掃除用具をバックルームに戻して、所在なげにカウンターの中で立ち尽くしている。商品搬入、業者のトラックが来るまではもうやる事がない。溜め息しか出なかった。バックルームで煙草でも吹かそうかと考えていると、店の扉が開く。何気なく目を向ければ、機嫌の良さそうなジェーンが入ってきた。

「遅かったな」

 じろりと睨まれる。ジェーンは仏頂面を作って、一言も発さずにバックルームへ入っていった。

「……俺が何をしたってんだ」

 妹だなんだと言ったところで所詮、他人でしかない。胸が痛む。体中がざわつく。流れる狼の血がそれを否定する。一はカウンターに手を置き、目を瞑った。心配しているだけなのに、何故、ジェーンは不機嫌なのだろう。

 助けを求めて顔を上げれば、制服に着替えたジェーンがバックルームから出てくる。彼女は店内を見回した後、カウンターへと歩いていく。思わず、一は身構えた。

「ディスプレイ、品出し、おソージ。終わったのかしら?」

「業者が来るまでは暇で暇でしようがねえよ」

「外のゴミでもピックアップしていったら?」

 喧嘩を売られているのだろうか。一はジェーンを見返す。

「さっきまでどこに行ってたんだよ。探してたんだぜ」

「ライアーね。……フレンドと話してたの。だれかさんといる時とは違って、とっても楽しかったワ」

「友達ぃ? 猫か、犬か、それとも……」

 睨み付けられて、一は口をつぐんだ。

「女の子よ」

「へえ」

「うそ。男」

「ふーん」

「……うそ。女の子。ちょっとおかしなコトを言うけど」

 一は、だからどうしたとでも言いたげに口の端をつり上げる。

「こんな時間まで遊んでちゃ危ないぞ」

「また子供扱いして……」

「そうじゃなくて、ソレがだな。あ、いや、ソレじゃないかもしれなくて。あー、とにかく危ないんだよ」

「Be pointless。今日のお兄ちゃんって、ホント、イヤ」

 直接的、直線的に飛び込んでくる言葉は、一の胸を深く抉った。

「嫌とか言うな。俺はな、お前を心配してやって……」

「押しつけがまシー。そんな心配ならいらないもん」

「心配なんて押しつけがましいもんだよ。されてる内が華だと思え」

「……マウスうるさい」

「ガキが」吐き捨てるように一が言うので、ジェーンの頭には血が上った。

 ジェーンは一の向こう脛を蹴り飛ばそうとしたが、彼はおでん鍋の蓋でその攻撃を防ぐ。

「見え見えだっつーの。良いから仕事してろよな。ほら、外掃除してこい」

「そっちが行けば?」

「行かねえよバーカ」

 ジェーンは無言で銃を抜いた。一は一瞬、何が起こったのか分からなかった。メタリックシルバーが鈍く光り、彼は数歩後退りする。

「やり過ぎだぞ」

「ドゲザ。好きでしょ、お兄ちゃん」

「誰がっ。良いからしまえよそんな危ないもん。当たったら死ぬぞ」

 しかし銃口は下ろされない。黒い穴が一を見つめ続けている。

「あやまって。じゃないと下ろさない」

「何を謝れってんだ。理由もなしに頭下げられるか。謝って欲しいならな、きちんと説明しろ。納得出来たらごめんなさいしてやる」

「ハ? ニホンゴムズカシクテワカラナイ」

「片言なんなよ」

 いつの間にか、立ち読み客はいなくなっていた。正しく、賢い判断だと一は思う。

「ハリー、ハリー、ハリー。ハートブレイクなショットしちゃうよ?」

「死んじゃうだろ!」

「死なないでよ!」

「無茶言うなっ」

 言い争いは深夜にまで及び、朝方になっても二人は険悪なままだった。



 翌朝、一はふらふらになりながらバックルームに戻った。仕事が忙しくて疲れているのではなく、ジェーンの相手をしていたせいである。

「店で喧嘩をするなと、何度言えば分かるんだお前らは」

「吹っ掛けてんのはあいつですよ」

「軽くあしらうのも出来ないのか。学習しない人間は猿以下だぞ」

「店長からも言ってやってくださいよ」

「私を巻き込もうとするな」

 店長は心底から迷惑そうに言い放った。さっさと帰ろうと、一は決意する。ジェーンはまだフロアにいるので、これ以上絡まれない内に退散するのが賢いと思われた。彼は手早く着替えを済ませて、コートの前ボタンを留めながらバックルームを出ようとする。

「挨拶はどうした。客はともかく私には愛想を振りまけ」

 うるせえ馬鹿と内心で毒づき、一は今度こそバックルームを出た。と、カウンターでジェーンが誰かと話しているのが見える。今、自分には見せない笑顔を浮かべ、楽しそうにしていた。その相手は誰なのだろうと、商品棚の陰に隠れて観察する。

 白いワンピース。青いスカート。淡いオレンジの、長いマフラー。ジェーンよりも背は高く、大柄な少女だった。体格はしっかりしているが、地に足がついていないような、ふわふわとした女の子だと、一は何となく思う。

 会話の内容が聞こえなくて、一は聞き耳を立てた。満月が近づいているせいか、身体能力が上がっている、ような気がしている。力の無駄遣いだった。

「……やっぱやめとこ」

 立ち上がって、カウンターを避けるようにして移動する。少女が手を振り、店から出て行った。一はジェーンに声を掛けられないのを祈る。背中越しに受ける視線が心地悪かった。思い切り睨まれている。このまま立ち去っては舐められてしまう。そんな気がして、彼は何でもないような顔で振り返った。

 ジェーンは一が帰り支度を整えているのを確認すると、彼に対して、軽蔑するような視線を送る。ふっと鼻で笑い、彼女は腕を組んだ。

「エスケープするつもり?」

「帰るんだよ」

「アタシを待ってくれないんだ。いつも、待っててくれてたのに。ま、別にイイケドー?」

 含みのある言い方に一は苛立つ。

「待ってて欲しいんならそう言えよ。口利かなかったのはお前じゃねえか」

「ダカラ、待っててほしいなんて言ってないし」

「じゃあ余計な事言うなよ」

 一はジェーンを強く見据えた。彼女は負けじと睨み返してくる。その瞳にははっきりとした敵意が込められていて、彼はどことなく居心地が悪くなっていた。

「……いい加減にしてくれ。俺はエスパーでも何でもないんだからさ、ちゃんと言ってくれないと分からないって事もある」

「でも、お兄ちゃんじゃない」

「何?」

「エスパーじゃないけど、お兄ちゃんでしょ。妹の言いたいコトくらい、分かってよ」

 無茶を言われて一は溜め息を吐く。厄介なのは、その無茶をジェーンが押し通そうとしているのがありありと見て取れた事だ。彼女はもう納得しないだろう。

「じゃあ、妹は兄の言いたい事が分かるんだな?」

「妹は分からなくてもイイの」

「わっがまま……通す訳ねえだろ」

「あっそ」ジェーンは一から視線を外して、つまらなさそうに窓の外を見つめる。

「おい、一」

 呼び掛けられて、一は大儀そうに振り向いた。バックルームから店長が手招きしている。応じなければ後でうるさいだろう。彼は適当に返事をして、ゆっくりと歩き始める。

「駆け足っ」

「脛が痛くて走れませーん」

 ジェーンが舌打ちしたのを、一は聞き逃さなかった。



 ――――反抗期だろうか。

 益体もない事を考えていると、店長が難しそうな顔で口を開いた。一は壁に背を預けて床に視線を落とす。

「ついさっきの話なんだがな、また、フリーランスが駒台で確認されたらしい」

「……また、ですか」

 ソレを追い、刈る。怪物の首で生計を立てているモノが来たと言うのは、新たな戦いを呼ぶ事に他ならない。一は煙草の箱を取り出して、火を点けようか迷う。

「ソレも出たって事なんですかね」

「いや、ソレは確認されていない。が、遅かれ早かれ、現れるのに違いはないだろう。もしかしたら、とっくに現れているのかもしれないな」

「フリーランスって、どんな奴ですか?」

 既に、この街には多くのフリーランスが滞在している。これ以上増えてもおかしくはないが、厄介事を引き入れてくる可能性は高い。

「『広場』と言う。八名で構成されているフリーランス集団だな。……その筋じゃあ有名らしい」

「俺は初耳ですけど」同業者について話したがらない連中とはいえ、ナコトからも、山田からも、アイネからも、『広場』と呼ばれるモノの話は聞いた事がない。

「めちゃくちゃ強いとか、そんなんですか?」

「電波集団と呼ばれているらしいな」

「……電波?」

「ああ、つまりキチ――――」

 一は店長の言葉を慌てた様子で遮った。

「止めるなよ」

「止めますよ」

「まあ、良い評判は聞かない連中らしいな。神様だとか天使の声を聞ける、なんて抜かしやがる奴らだ。『広場』に妄想押しつけられたって奴の話も聞く」

「神様、ねえ」

 店長はくつくつと、喉の奥で嫌らしく笑む。

「お前はよっぽど神様を嫌っていると見える」

「そうですか? まあ、神様の声が聞こえるなんて胡散臭いにもほどがあるでしょう」

「胡散臭さの極みだな。……実際、神様なんてのが姿を見せたところで『ソレ』だと一括りにされるのがオチだろう。そうなればお前らの出番だな」

「神様に喧嘩を売れって言うんですか」

 死ねと同義語だった。

「啖呵切って見せろ」

「で。その、『広場』って奴らが何かしたんですか?」

「まだ何も。だが、注意するに越した事はない」

「注意しろったって……何か、ないんですか。一目見て、こいつが『広場』だって分かるものとか」

 店長はううんと唸る。そこそこに長い付き合いなので、一は、彼女が考えている振りをしているのに気付いた。

「特にないな」

 期待していなかったので、一は落胆しない。何も思わない。

「そおですか。じゃ、帰ります」

「ああ、ゴーウェストにも伝えておいてくれ」

「ヤですよ。あいつ、今は俺を貶す事しか考えてませんから」

「……さっき来ていた女だが」

 店長は煙草を床に落として、靴の裏で踏みつける。

「雰囲気が妙だったな。俗世から浮いているような、地に足がついていないような、そんな印象を受けた」

「見てたんですか?」

「監視カメラでな。……何だ、その目は」

 別に、と返して、一は考え込む。

「店長は、あの子が『広場』だって、そう言いたいんですか?」

「別に」と返して、店長は新しい煙草に火を点けた。一は顔をしかめる。

「まあ、言うだけ言ってみますよ」

「うん、よろしく頼む」

 面倒な用事を押しつけられたものだと、一は溜め息を吐くのを堪えた。

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