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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ゴリアテ
210/328

雨止み番外地



 ここで何をしているのかと問われれば、彼女はこう答えるであろう。

「雨宿り」

 今は雨が降っていないではないかと訝しげにされれば、彼女はこう答えるであろう。

「降ってんだよ」

 尋ねた者がいなくなってから、彼女はこう思うであろう。

 自分は何をやっているのか、と。



 魔女との戦闘が終わった翌日、一は自分の部屋で目が覚めた。まだ、腕に痺れが残っているような気がする。時計を確認すると、午前の七時を回ったばかりである。折角早くに起きられたのだから大学に行こうかと思いつつ、彼は大口を開けてあくびをした。すると、一が目覚めたのを見計らっていたかのようなタイミングで扉が叩かれる。早朝の来客、彼は何も考えずに扉を開けた。

「よう一、元気でやってたかよ」

 チアキかアイネだと思っていたのだが、その予想は外れてしまう。袖の破れた巫女装束を着た、銀髪の女が立っていた。フリーランス『神社』、山田栞である。一は珍しい客に驚いたが、すぐに気を取り直した。

「お久しぶりですね。栞さん、退院してたんですか」

「心配してたか?」

 一は頷く。あの少女によって病院送りにされたのだ。心配しない方がおかしいとすら、彼は思う。

「なら、見舞いの一つにでも来て欲しかったな」

「俺も入院してましたし、忙しかったものですから」

 山田は不機嫌そうに眉根を寄せるが、まあ良いかと呟き、髪を撫で付けた。

「こんな朝早くに何かあったんですか? ……あ、中にどうぞ。散らかってるし、お茶もすぐには出ませんけど」

「おう、悪いな。じゃ、上がらせてもらうぜ」



 山田に温かいお茶を出し、簡単に部屋を片付けて顔を洗ったところで、一もこたつに足を入れた。

「いきなりで悪かったな」

「や、それは全然構いませんよ」

 茶を啜り、山田は言いづらそうに頬を掻く。

「そういや、一の部屋に来たのはヤマタノオロチ以来か。すげえ久しぶりな気がする。……同居人は、まだ入院してるんだったか」

「ええ、糸原さんと会いました?」

「何か、病室にいる時、出会い頭に謝られてさっさとどっか行っちまった。まるで間女だな、今のオレ」

「別にあの人とは何もありませんよ。あ、みかん食べます?」

 一は小さなかごからみかんを一つ差し出すが、山田は首を振った。

「なあ、今日、暇か?」

「夜にバイト入ってますけど、それまでは暇ですよ」

「……学校、行かなくて良いのか?」

 講義は入っているが、行くつもりは最初から大して、ない。一は山田を心配させないように笑顔を作った。

「酒でも付き合ってくれねえかな。こっち来てからは殆どベッドの上にいてよ、全然飲めなかったんだ」

「栞さんがすぐに暴れるからですよ」

「悪いかよ。いや、悪いか」

 一は何も言わず、みかんを口に放った。

「付き合いますよ。けど、俺とサシで良いんですか?」

「一しかいねえしな。ヒルデはあんまり飲まないし、今は、何か誘いづらい」

「……ああ、そう、ですね」

 山田は神野の事を知らないのだろうか。一は、今日だけでも、その事については黙っておこうと決意する。今から飲むのだから、湿っぽい話は不粋だろう。

「家には何もないし、まだこんな時間なんで、どっか買いに行きましょうか」

「スーパーは、まだやってねえか」

「じゃ、コンビニですか」

「一の店で良いんじゃねえのか」

 一はこたつから足を出し、ゆっくりと四肢を伸ばす。

「ちょっと歩きますよ? もう一軒、近くに普通のコンビニがありますけど」

「歩こうぜ。道すがら、話したい事もあるしよ」

「素面でですか」

 頷き、山田は立ち上がった。

「退院したしよ、オレ、帰ろうかと思ってんだ」

「帰るって……」

「家だよ家」

 どうしてと尋ねる必要はない。山田が駒台に来たのはヤマタノオロチを討滅する為で、彼女の大切な人を見つけるのが目的だった。既に、それは果たされ、終わっている。山田がここに残ったのは怪我の治療、入退院を繰り返していたからだ。だから、もう、彼女が駒台に留まる理由はない。

「帰っちゃうんですか」

「おう。ま、まあまあ面白かったぜ」

 引き止める理由もない。山田がそうしたいのなら、手を振り、笑顔で見送るのが彼女の為だろう。一はその先の言葉を飲み込み、立ち上がった。



 並んで、行く。一と山田、二人は何も言いださなかったが、示し合わせたかのように彼らの歩幅は狭く、ゆっくりと歩いていた。

「前から聞こうと思ってたんですけど、寒くないですか、その格好」

「気合いでどうにかならあ」

 かははと笑い、山田は一の肩を叩く。

「一、今度はお前がオレんとこに来いよ。歓迎すっからよ」

「栞さんって、どこ住んでるんでしたっけ」

「島根。出雲って聞いた事あるか」

「一応」

 知っている。だから、一は困ったような笑みを作った。

「結構、遠いですね」

「泊まり掛けで来いよ。学生は一月しないで冬休みじゃねえか。何なら、オレが交通費も出すしよ。向こう着いたら、金の心配はいらなくなるぜ」

 至れり尽くせりではないか。一はその待遇に驚く。そこまでして自分にしてくれる理由が分からなかった。

「あ、でも年末年始は一も実家に帰るのか?」

「いや、俺はここで年越しですね。ゆっくりと年を越せるかどうかは分からないですけど」

「へえ、だったらオレの地元で年越そうぜ」

 積極的に誘ってくれるのは有難かった。一は山田の好意を嬉しく思う。

「考えときますよ」

 だが、断った。

「おう、色の良い返事、聞かせてくれよな」

 一は頭に手を遣り、山田の真っ正直な部分を羨ましく感じた。駆け引きが通じないのか、そもそも最初から無視しているのか、これもまた彼女の揺さぶりなのか。



 オンリーワン北駒台店。

 この日、ナナは一人でシフトに入っていた。早朝から、夕刻までである。長時間だが、彼女にとっては何ら辛い事ではない。疲労を感じる体ではないからだ。それでも、一つ不満があるなら、マスターと呼び、慕う一がいない事である。

 客も大してやって来ない。ナナは退屈な時間を持て余していた。

「……いらっしゃいませ」

 扉が開いたのを背中越しに確認し、それでも、ナナは振り向かずに挨拶をする。足音はこちらに近づき、立ち止まった。不審に思って振り返ると、小さく手を上げた一が立っていた。

「はああっ、マスター!? も、申し訳ございません、まさかマスターがいらっしゃるとは思いもよらず!」

「そ、そんな勢いで謝らなくても。いや、ちょっと買い物に来ただけだからさ」

「そうでしたか。では、僭越ながらナナが……」

 ナナは一の後ろに立つ山田を認める。彼女は買い物かごをぶらぶらとさせて、退屈そうにあくびをしていた。

「確か、そちらの方は……」

「フリーランスの『神社』、やま――――」

「――――言ったら怒るぞ」

 一は固まり、唸り、

「こちらの方は栞さんと言います」

 無難な方向に逃げる。ナナは頷き、それから、山田に向かってお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。私はナナ、ここで勤務外をやっています。それから、マスターの忠実なメイドでございます」

「お、おう? すげえな一、メイドなんかいたのかよ」

 一は答えられなかった。乾いた笑いでお茶を濁そうとする。

「それじゃあ、適当に買っていきましょうか」

 ナナは訝しげに一を見遣る。その視線に気付いた彼は何でもないように言った。

「ああ、今から栞さんと飲むんだよ」

「……飲む、とは?」

「お酒だけど?」

「マスターは夜からシフトに入っている筈です」

 詰め寄られ、一はたじろぐ。

「夜までだから大丈夫だって」

「おーい一、お前も好きなの選べよ」

「あ、はいっ。じゃ、そういう事だから」

 何がどういう事なのかナナには分からない。彼女は、楽しそうに買い物をする二人をねめつけていた。

「日本酒、少ねえな。奥に置いてねえのか」

「コンビニですからね。栞さんは度数きつい方が好きなんですか?」

「弱いのはいくら飲んだって酔えねえな。オレにとっちゃ酒なんか水と同じだよ」

「へえ、やっぱり慣れてるんですかね。ほら、杜氏の人たちってお酒強そうですし」

「さあ、どうなんだろうな。けどオレの周りはうわばみばっかだったぜ」

 山田はかごに瓶、缶、紙パック問わず、目につく酒を入れていく。一はその様子を呆然としながら眺めていた。

「お? かご、もう一個取ってきてくれよ」

「飲む前からこう言うのも何ですけど、飲み過ぎです」

「一の分だってあるんだぜ? すぐになくなっちまうよ」

「おつまみとかどうしますか」

 山田はきょろきょろと店内を見回した。

「本当ならオレが作ってやりたかったんだけどよう。まあ、適当で良いぜ。あ、でもあんまし腹が膨れるのはなしな」

「料理、おいしかったですもんね。また、次の機会にお願いします」

「お、おうっ、ありがとな。じゃ、次は食べたいもん言えよ。前もって教えてくれりゃあ、頑張って覚えるからよ」

 肩を叩かれ、それでも一は楽しそうに笑っていた。ナナはさっきまでやっていたフェイスアップなど忘れて、親の仇でも見るかのような目つきで山田を凝視している。

「酒は、こんなもんでいっか。足りるかな?」

「充分ですよ。あ、おつまみも選んでおきました。こんな感じで良いですかね」

「上出来上出来、レジ持ってこうぜ」

 酒が詰まった二つのかごを軽々と持ち上げ、山田はナナの待つカウンターへと向かった。

「メイドさん、よろしくな」

「……いらっしゃいませ」

 ナナは軽く会釈し、無表情にバーコードを読み取っていく。

「ごめんな、ナナ」

「別に良いです」

「……何か機嫌悪くねえか?」

「……今日は雨が降るかも知れませんよ」

「降りませんよ」ぶっきら棒にナナは言う。

 商品が多く、全て読み取るには時間が掛かった。袋は酒だけで四つにもなる。

「あ、悪いけど袋は二重にしといてくれ」

「はあ、分かりました」

 ナナの対応は適当になっていたが、一は恐ろしくて何も言えなかった。彼女は機械的に作業をこなし、最後に合計金額を読み上げる。

「割り勘で良いですか?」

「いや、オレが誘ったんだ。こっちが全部持つ」

「流石に全額ってのは、半分は出させてくださいよ」

「オレのプライドが許さねえ。一は一円だって出さなくて良いからな」

「じゃあ、せめて四分の一……」

「駄目だってんだろ」

「さっさと決めてください!」

 ナナがカウンターに両手を叩きつける。一は小さく悲鳴を漏らした。

「そちらの方が出すとおっしゃっているのですから、マスターは黙っていてください。精算時に揉めるくらいなら、最初に結論を出しておいてください!」

 一と山田はこくこくと頷き、彼女が万札を三枚出す。ナナはそれを引ったくるようにして、お釣りを山田に渡した。

「あっ、ありがとうございました!」

 何故か一が頭を下げていた。



 帰り道、二人はまだ先の出来事を引きずっていた。

「あのメイドすげえ恐いな。メイド喫茶ってのも、あんな感じなのか……」

「いや、さっきのは例外だと思います」

 一は、ナナが怒っていた理由が全く分かっていなかった。

「もたついてたからって、あんなキレなくたって……まさか、他のお客さんの時にもあの対応を……?」

「オレらが悪かったんだと思うけどな。おい、それよかふらふらしてんぞ。やっぱりもう一つ持つって」

「これ以上されたら俺のプライドが粉々になりますよ。だ、大丈夫ですから」

 一は酒の入った袋を四つ、受け持っている。彼は、荷物持ちくらいさせて欲しかったのだ。

「プライドなんて気にすんなよ。オレなんかこんぐらいしか出来ねえんだから」

「充分、色々と出来てますよ。……栞さんには、借りを作りっぱなしです」

「……オレも、一には借りがあっからよ」

 ナコトにも同じような事を言われていたのを思い出す。一は、自分が何かしたなんて思っていない。ある意味、不気味だった。

「オレはさ、殴ってぶっ壊す事しか能がねえからよ。一には、何か、色んなもんをもらった気がするんだ」

「それは、気のせいですよ」

 温かい食事をもらった。家で帰りを待ってもらった。廃ビルで、病院で、共に戦った。一は、自分こそ山田に色々なものをもらっているのだと思う。

「栞さんと会えて良かった」

 もう二度と会えないかもしれないから。だから、素面でいられる今、一は言いたかった。

「ありがとうございます」

「……ああ」

 山田は頭に手を遣り、一の思いにようやく気付く。

「ありがとな」

 もう二度と会えないかもしれない。だから、彼女は笑った。



 湿っぽい話は終わりだとばかりに、山田は飲んだ。飲み続けた。一は彼女のペースにはついていけず、誤魔化しながら飲む。

「もっと飲めよう、男だろ」

「では、いただきます」

 救いなのは、山田の様子が酒を飲む以前と変化していない事だった。気持ちの良い飲み方をする人だと、彼は感心する。

「……マジで酔わないんですね」

「気分は良いけどな。ほら、ほっぺたもちっと赤くなってるだろ」

 指差すので、一は山田の頬をじっと見つめる。

「あ、あんまし見んなよ」

 理不尽だった。一は空いた缶を卓から退かして片付ける。時間を確認すると、昼を回っていた。既に二時間もこの調子である。そして、この後も続くのだろう。どこまで山田に付き合えるか、一は不安になった。

「でも、一も思ってたより強いんだな。潰れちまうんじゃないかって心配してたんだぜ」

「結構ぎりぎりだと思いますよ。こんなに長い間飲んでたのは、初めてかもしれないですね」

「……あんまし、酒は飲まないんだっけ?」

「まず、周りにお酒飲む人が少ないですしね」

 一の相手をしてくれるのは楯列ぐらいのものである。

「糸原ってのはやらねえのか」

「寝酒に、嗜む程度って奴です。俺もあんまり付き合おうと思いませんし」

「ふうん、勿体ねえなあ。何割か損してるぜ」

 また一つ缶が空いた。山田のペースは全く変わらない。

「栞さんがこうやって相手してくれるなら、お酒を飲む機会も増えるかも」

「かはは、何だよ何だよー、嬉しい事言ってくれんじゃん。良いぜ、オレで良けりゃいつでも、いつまでも付き合ってやるよ」

 山田が溜め息を吐く。その仕草が妙に色っぽく見えて、一は視線を逃がしてしまった。

「オレも久しぶりに飲めたからよ、何かすげえ酔ってる感じだ」

「え、全然、いつもと変わらないように見えるんですけど」

「んー?」

 相好を崩し、山田はふらりと立ち上がる。熱に浮かされたような彼女は、一の傍に腰を下ろした。

「もっと飲めよう、一。オレばっか飲んでる気がするぞー」

「あはは、駄目ですよ。無理矢理絡み酒装ったって、酔ってないんでしょう」

「何言ってんだ、酔ってるってんだろ。オレが、オーレーがー、酔ってるって言ってんだから酔ってんだよう。お前ももっと飲め!」

 一は訝しげに山田を見遣る。少しだけ嫌な予感がした。彼女の吐息が顔に掛かって顔をしかめる。

「……俺もそうだと思うけど、すげえ酒臭いっすよ」

「オレの酒が飲めねえってのか!?」

「テンプレじゃないですか」

 アレほど酒に強いと言っていた山田だ。これは演技だろうと一は判断する。しかし、もしかしたら、マジで? えっ、私のアセトアルデヒド脱水素酵素低過ぎ……みたいな気持ちが捨て切れないのも事実だった。

「のーめーよー。なあ、飲めってばー」

 肩をばんばん叩かれ、パックのお酒をぐいぐい口元に押しつけられ、

「あの、離れてもらえませんか?」

 柔らかな体をぐいぐい押しつけられている。中身は男どころか完全におっさんだったが、山田はれっきとした女だ。一は死にそうな顔で訴える。

 山田は虚ろな目を一に向けてから、へらっと笑った。

「むり」

「おおおおおいっ! 冗談きついっすよ!」

 胸に頭を押しつけられて、両腕はしっかりと体に巻きついている。一は山田の拘束から抜け出そうともがくが、彼女の膂力に逆らえる筈もない。

 ――――援軍だ。

 このままでは良くない結果を招く。そう考えた一は階下にいるであろうチアキとアイネを呼ぶのを思いついた。

「しっ、栞さん。お酒は皆で飲んだ方が良いと思いませんか? 一人よりも二人。二人よりも三人。三人よりももっと大勢。悲しみと喜びは分かち合った方がよりよい人生になる事間違いありません」

「んん……?」

「有り体に言えば、俺の知り合いを誘っても良いですか?」

 ぎゅっと、山田の腕に力がこもる。折られると、一は観念した。

「一はさ」

「はい?」

「オレと飲むのが嫌なのか?」

「そんな事ないです」

 拘束が緩む。今だと、今しかないと一が力を込めた瞬間、山田は彼を逃すまいと強く抱き締める。

「オレとサシで飲むのが嫌かって聞いてんだよう! おらあっ」

 声すら出せなかった。一は山田の肩を叩く。タップである。しかし彼女は聞き入れない。

「わ、分かりましたから……」

 山田の力が緩むが、反応がない。不思議に思って彼女の顔を覗き込んでみると、目を瞑って規則的な寝息を立てていた。好き勝手に騒いで、眠ってしまっている。

「……えー、マジかよ」

 酒が強いなんて嘘ではないか。一は自分の髪の毛を掻き、山田を引き剥がそうとする。が、下手に動けば彼女を起こしてしまうかもしれない。目が覚めた山田はまた絡んでくるだろう。そう思うと、やはり彼は躊躇ってしまう。

 気持ち良さそうにしている山田を見て、一は諦めた。



 胡坐をかいたままでまどろんでいると、随分と時間が過ぎているのに気付く。一は焦燥感に駆られた。そろそろアルバイトに行かなければ。酒気を少しでも抜いて、まずは顔も洗いたい。

「栞さーん、起きてくださーい」

 山田の体を揺すぶってみるも、彼女からは一向に目覚める気配がなかった。仕方ないのでもう良いやと割り切り、一は山田を退かして立ち上がる。それでも尚、彼女は起きなかった。

「……どうすっかなあ」

 眠っているだけなので、充分な留守番をしてもらうとはいかないが、無理に起こすのも可哀想だった。山田を一人で残していくのも不安である。

「栞さん、朝ですよー。嘘だけどー」

「……ん。んー」

 山田が身動ぎした。彼女は目を擦りながらゆっくりと起き上がる。

「あの、俺、今からバイトなんですよ」

 こくんと、山田は小さく頷いた。

「その、どうしますか?」

「待ってて、良いか?」

「……え、ええ、勿論。待っててくれますか」

 一は身支度を済ませていく。彼は安堵していた。どうやら、山田の酔いは覚めているらしい。今はただ、眠たいだけなのだろう。

「結構、遅くなりますけど。十時は回っちゃいますよ」

「おう」と、返答し、山田は冷蔵庫に向かう。缶ビールを一本取り出し、蓋を開けた。

「アレだったら、電話入れるんで」

「あんまし気にしなくて良いぜ。どうせ、オレは暇だしな」

 コートを羽織り、一は玄関で靴を履く。鍵を持っていこうかと考えたが、山田が待っているのならとやめておいた。

「……あの」

「ん? どうしたよ?」

「あ、いや、そいじゃいってきます」

「おう、いってらっしゃい。しっかり働いてこいよー」

 扉を開ける。寒風が身に突き刺さり、一は身震いした。聞けば良かったのだろうかと、階段を下りながらぼんやりと思う。



 どうやら、ばれていたらしい。そうでなくても、勘付かれていた。それはそうだろうと、自分の行いを回想して身悶える。畳の上をごろごろと転がって、呻き声を漏らした。

「…………やっちまった」

 山田は一の部屋で大の字になり、目を瞑る。

 ヤマタノオロチでは、一の世話になった。結局、あの時は何も出来なかった。全て終わってしまった後で、自分がやった事と言えば、殴られて、殴って、病院に運ばれた。それぐらいのものである。駒台に来て何か掴めたか、何が掴めたのか。やはり、潮時なのだろう。

 フリーランス『神社』。ヤマタノオロチを倒した八塩折の酒。山田も、幼い頃からそうであれと教育を受けてきた。杜氏を辞め、人外と渡り合うフリーランスを続けてきたのは、一族の使命を全うする為である。それも終わり、追い続けてきた男も殺されていた。大蛇の血を引く彼はもう、この世にいない。青髭と名乗るモノにより、彼女の人生はある意味、終わらせられてしまったのである。

 駒台に留まる理由はなかった。

 山田が病院にいたのは、押しの強い看護士、炉辺のせいである。それから、ヒルデ。彼女には妙に懐かれてしまった。妹と呼ぶには幼くない。友人と呼ぶには気恥ずかしい間柄だが、楽しい思いをさせてもらっていたのは確かである。

 駒台に留まる理由を探していたのかもしれない。

 今日、一の部屋に来たのは、それを確認したかったからだ。

「期待しちまってたなあ」

 この街を出ると言った時、一には自分を引き止めて欲しいと思っていた。けれど、彼は笑顔で返した。分かりましたと納得していた。ソレを殺す為、昔の相棒を殺す為、一と協力した日を覚えている。彼は勤務外だが、弱くて、頼りなくて、情けなくて。しかし、信じられた。信じてくれた。何を、誰を信じれば良いのか分からなかった時に、今にして思えば、彼と出会えたのは僥倖だったのだろう。



 一が店に入ると、バックルームの扉が勢い良く開かれた。彼は何事だろうとそちらに目を向ける。オンリーワンの制服を着た立花が走ってきて、あまつさえ抱き着こうとしたので、一は咄嗟に体を反らした。

「どうして避けるのっ!?」

「いや、そりゃ避けるでしょ」

 立花は一を見据える。その視線を欝陶しく感じたのか、彼は何となく目を逸らした。

「褒めてくれたって良いじゃないかー、ボク、今日は一人で頑張ったんだよ」

「一人でシフト入ったのって、初めてだったっけ?」

「うん!」

 元気いっぱいに頷いたので、立花のポニーテールがぶんぶんと揺れた。

 一は改めて立花を見る。思う。ミノタウロス戦の後、彼女には変化が見られた。泣き言を漏らさなくなったし、少し、幼さが抜けたような気がする。それを成長と呼ぶのかは分からないが、悪い変化ではない筈だ。

「あ、フェイスアップが出来てないよ」

「あ、あとでやるよ。……はじめ君は厳しいなあ。母さまみたい」

「でも、頑張ったね。うんうん、これからは俺も楽が出来る」

「ホントっ?」

 やはり、相変わらず分かりやすい。立花は喜怒哀楽を隠さずにぶつけてくる。その裏のなさが、彼女の魅力なのだと思えた。一は首肯し、立花は笑みを深める。

「そういえば、今日はナナちゃんの機嫌が悪かったような気がするよ。何だか、ボクたちと同じみたい」

「あ、はは、そっか」

 まだ怒っていたのか。一は内心で溜め息を漏らす。

「それじゃ、着替えてくるから。俺が来たら上がりね」

「はーい。ゆっくりで良いよー」

 まさか、自分が働いている時にやってこないだろうな。ナナが来た場合、完全に逃げ場を失ってしまう。一は考えたが、それはもしかして想像してはいけない事なのではと、頭を振った。

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