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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
レヤック
208/328

黄衣の王



 バイアクヘーから飛び降りる。有翼の魔物はヴィヴィアンの放った風によって後方へと吹き飛ばされた。ナコトは着地し、魔導書を片腕で抱き締める。バイアクヘーを戻す余裕はない。人語を解するアレなら、勝手に戻ってくるだろうと判断。

「来るよっ」

 迫るは七体のスパルトイ。ナコトは頭を切り替えた。まずはアレを地に還す。片手で鎖を操り、分銅のついた先端を投げた。骸骨の足は早い。立花は目を見開き、刀を構える。鎖は避けられ、それを飛び越えるようにしてスパルトイは前進していた。

 姫は呼び出した四体のスパルトイへ細かな指示を与える。刻々と移り変わる戦況を見ながら、その都度骨どもに意思を伝える。先までとは力の入れ具合が違った。精神力を温存するつもりはない。ここでの決着を彼女は望んでいる。

 同様に、ランダも骨を操っていた。姫よりも少ない数だが、指示に割ける容量と魔女としての経験を加味しても、ランダのスパルトイの方が嫌らしく動いていた。

「あたしが牽制を、近い奴からあなたが」

 立花は頷き、頭を下げる。その上を風が切っていった。鎖が切っていった。スパルトイはナコトの得物を躱すが、雷切の餌食となる。胴体部分の骨が砕かれ、やかましい音を慣らしながら埋もれていった。

 接近戦、近接戦闘に関しては『館』よりも立花たちが優位に事を進めていた。

「ヴィヴィアンにも注意を。他の魔女とあたしたちの射線を合わせていきます」

 魔法が絡めば話は別である。たった一発のそれで戦況は変わる。趨勢は『館』に傾く。ナコトはヴィヴィアンの魔法を警戒していたが、味方など構わず撃つ時は撃つのだろうとも覚悟していた。

 しかし、ヴィヴィアンは既に興味をなくしている。この戦闘の行方には関係ないのだと言わんばかりに、ただ、砂をいじっていた。

 ナコトはヴィヴィアンの様子を確認して、一歩踏み出す。チャンスだと、そう思った。瞬間、足元に違和感。そこから飛び退くと間もなく、砂の柱が瞬く間に立ち上がる。

「魔女め……」

「いい加減諦めなっ、あんたらに勝機なんかないんだよ!」

 ランダは言うが、彼女の操る骨が崩れ落ちた。立花は近づく二体に睨みを利かせる。膠着した隙を衝き、ナコトがその二体の頭を潰した。スパルトイは残り四。

「お師匠、追加を」

 姫が急かすが、ランダはスパルトイを補充しない。残った二体に指示を与える。

 砂の上を駆け出した骨を見て、ナコトが鎖を放った。その後を立花が追う。スパルトイは鎖を避けるが、雷切に下肢を切られていた。姫はランダの手持ちがなくなったのに気付いて、自身のそれを向かわせる。

 ナコトが鎖を戻す間を狙い、スパルトイが彼女に向かって走りだす。ランダが焦った風に地を蹴った。彼女の行為、その真意を計る暇はない。立花は一体を仕留めるが、もう一体はナコトに剣を振り下ろす。その名を唱え、名状しがたい風が、彼女の持つ『黄衣の王』から奔った。スパルトイは遥か上空にまで弾き飛ばされて中空で分解される。

 まずいと、ナコトはバイアクヘーを呼び寄せた。ランダが姫を抱えて走っている。彼女は何かを呟きながら、こちらを一瞥した。射線が空いている。ヴィヴィアンとナコトの視線が交じった。ランダが唱えたのは、先刻と同じく対象物を硬化させる魔法である。

「こいつの上に!」

 してやられた。ナコトは悔やむより先、行動する。バイアクヘーの背に乗り、立花の腕を掴んだ。

 ヴィヴィアンの両手から、何かの鳴き声が聞こえ始める。魔女は笑み、それを解き放った。凄まじい風が、砂を、この世界に食らい付く。疾い風が突き、烈しい風が暴れていた。誰の声も聞こえない。音をなくした場所で砂粒が巻き上げられる。ヴィヴィアンの呼んだ風は誰かの命を奪おうと、まるで、意思を持っているかのようだった。



 太陽に近づきすぎたイカロスは、蝋の翼が溶けて死んだという。

「……だから?」

 乱れた髪を直す気はなかった。立花は溜め息を吐き、ナコトを睨む。鎖にぶら下げられ、バイアクヘーにつり下げられた状態の彼女は、しっかりと雷切の柄を握り締めていた。

「飛ばされるかと思った! 死ぬかと思った!」

「喚いていると落ちますよ」

 立花は下を見ない。足を閉じ、少しでも振動をなくそうとしていた。

「早く下ろしてよう」

「いえ、まだ下の様子が把握出来ませんから」

 ナコトはバイアクヘーの上から、下を見る。砂煙が全てを覆い隠していた。姫もランダもヴィヴィアンも、誰の姿も確認出来ない。

「まるで砂の海ですね」

「えっ、すごい何それ。………………う、うああ、はっ、離しちゃ駄目だからね! と言うかボクを上げてよう!」

「土下座してください」

「無理だってば!」

 必死な立花を見下し、ナコトは酷薄な笑みを顔に張りつけた。

「じゃあ、そのままですね。もう暫くは快適な空の旅を堪能してもらいますよ」

「全然快適じゃないよ! 馬鹿! ハイジャックされちゃえ!」

「はいはい。……あ」

 ナコトの目がそれを捉えた。煙に揺らめく影を確認し、彼女は目眩を起こす。

「なっ、何? ナコトちゃん大丈夫? 鎖が緩んでる気がするよっ?」

「……しっかり掴んでますよ。全く、うるさいイヌですね」

「イヌじゃないもん、ボクはボクだっ」

「吠えますね。真下を見ても威勢を保ってられますか?」

 立花はおそるおそる、下を見る。

 影が揺らめいていた。一つや二つではない。十や二十でもない。もっと多い。何かが蠢いている。

 それは骨だ。百に届く数のスパルトイが剣を掲げる。あの日に起こったグラウンドでの風景を思い出して、立花は歯を食い縛った。

「神野姫、えげつない子ですね」

 ナコトは息を吐く。あの数相手では、流石に下りる気がしなかった。が、いつまでもここに留まっていられない。ヴィヴィアンに狙い撃ちされてしまう可能性があった。

「ナコトちゃん、言ってた奴、やろう。もう、それしかないよ」

「しかし、時間が掛かります」

 魔導書、『黄衣の王』。一部に目を通した現段階、その力を最大限に発揮すれば魔女に一泡吹かせられるかも知れない。悩み、迷う暇はなかった。ナコトたちにはもう、それしか残されていない。黄の印を以って、王の名を呼び、その力の一部分だけでも顕現させる。だが、逃げながらでは集中出来ないのだ。

「ボクに任せてって言ったでしょ。ナコトちゃんには指一本触れさせない」

 ナコトは逡巡する。スパルトイの群れが相手では、立花でも流石に厳しい。バイアクヘーを貸せば何とかなるだろうが、今度は自分の身が危うくなる。

「……ボクに考えがあるんだ。大丈夫、あいつらは、ボクしか狙ってこない」

「あなたが? よりにもよってあなたの考えを信じろと?」

「信じて」

 吊らされながら、ぶら下げられながら、それでも、立花はナコトの瞳をまっすぐに射抜いた。

「あなたの考えを全て信じた訳ではありません。あたしにも、確証はありませんが、何とかなるような気がしています。材料、意外と揃っているのかもしれませんね」

 ナコトはバイアクヘーの頭を踏みつけ、しゃがみ込む。

「離れたところにあたしはいます。あなたは、誰も近付かせないでください。……下りろ、しもべ」

 きゅうと鳴き、バイアクヘーはゆっくりと降下を開始した。



 骨の群れのど真ん中、姫はそこにいた。首を巡らし、視線を前後左右に忙しなく動かす。辺り一面骨だらけ。呼び出したスパルトイと、ランダしかいない。

 ランダは姫に話し掛ける事はしなかった。召喚したスパルトイは百と四。今の姫の精神力では限界いっぱいの数字である。彼女の集中を乱せば、ここで終わってしまう。手助けしてやりたくもあったが、自分に残った魔力は少ない。もしもの時に備えがないようでは困るのだ。

 晴れていく砂煙、ランダは目を細めてそれを見る。ヴィヴィアンはどこに行ったのか、どうせなら、何もしないで欲しかった。何せ、彼女の行動が読めない。そのくせ力は持っている。この世界から抜け出す為にもご機嫌は取っておいたほうが良いだろうと判断し、ヴィヴィアンを探すのは止めた。どうせ、彼女の狙いは黄衣ナコトなのである、と。

「その通り私はもう何もしないわ面白い事が起こりそうだもの」

「……勝手にあたしの思考を読むんじゃないよ」

「だったらランダあなたも私の考えを読めば良いじゃないそれでおあいこ」

「んな事出来るんならやってるよ。頼むから、余計な手出しはしないどくれよ。今は、姫の時間なんだ」

 ヴィヴィアンは素直に頷く。ランダは不気味に思ったが、何も言わなかった。

「私の今の目的は黄衣ナコトだもの神野姫には悪いけどあの子の方が面白そういったいぜんたい次は何をしてくれるのかしら魔女を裁くと言ってたわあの子本当に嬉しいそんな人間久しぶり」

 ナコトが何を仕掛けようとも、ヴィヴィアンが止めるだろう。姫が見限られたのは師であるランダとしては悔しいが、好都合である。事実上の邪魔者が消えたのなら、後は立花と姫との戦闘を見守っていれば良い。

 だから、煙を掻き分けてきた立花を見て、ランダは哂った。



 雷切が振り下ろされる。スパルトイが両断され、左右に骨が散らばった。立花は骨どもの内には食い込まず、寄ってくる者だけを順に相手していく。

 姫はまともな指示を下せない。どころか、正常な判断力さえ失っていた。立花への執念だけが、彼女の意識を繋ぎ止めている。その様子を見て、ランダがひしめき合うスパルトイの間をすり抜けていく。骸骨だけでは立花の足止めが精一杯、ヴィヴィアンが彼女に対して何もしないのなら、もう一手打つ必要があった。

「師匠を走らせるんじゃないよ、ったく」

 硬質化させたモップの柄を握り、ランダは立花に迫る。

 立花からはスパルトイの中心にいる姫が見えない。が、ランダの姿は確認出来た。一度骸骨たちから距離を取り、様子を窺う。

 ランダからはスパルトイの外側にいる立花しか見えない。ナコトもどこかにいるだろうと思っていたのだ。が、ここで彼女は気付く。黄衣ナコトが来ているのなら、近くにいるのならヴィヴィアンが動く筈なのだ。が、彼女は動こうとしていない。姫の傍で髪の毛を弄くっているだけである。二手に分かれているのかとも考えたが、物音は他にない。

 動きの止まったランダを見て、立花は声を上げる。まだ、気付かれる訳にはいかなかった。

「ボクはここだっ、見えないのか魔女のくせに!」

 立花を無視して、ランダはスパルトイを先に行かせる。立花は向かってくる敵を相手にするしかなかった。

 ランダは考える。何故、ここにナコトがいないのかを。思い至って、その姿を探した。彼女が所持し、行使していたのは『黄衣の王』。ハスターの眷属、バイアクヘーを駆っていた事からも間違いない。が、バイアクヘーの力は十全ではなかった。ナコトは黄金の蜂蜜酒を飲んでおらず、石笛を吹いていない。彼女が目に見えて狂っていた訳でもないのなら、『黄衣の王』の二部を読んでいない可能性が高いと、ランダは見ていた。ならば、狙いは一つ。

「待てよ待てよ」

 モップで砂地を叩き、ランダは思考を始めた。

 ナコトたちの狙いは『館』の殲滅ではない。一に掛けられた魔法を解く事だ。掛けたのはヴィヴィアン。だから、姫とランダを相手にする必要はなかった。ヴィヴィアンさえ倒せば、ナコトたちは目的を達成出来る。魔術の素養があり、『館』と面識のあるフリーランスならばその事実に気付いている筈だ。しかし、それだけでは足りない。この世界からは抜け出せない。一の魔法を解くのとここからの脱出、その二つを成功させるには――――。

「姫っ! 立花じゃない!」

 立花は一度俯き、表情を隠す。

「黄衣ナコトだっ、骨どもを『図書館』へ向かわせるんだよ!」

 ――――ヴィヴィアンの魔力を枯渇させる事。

 二つを果たすには、方法はそれしかない。しかし、ランダはそれを最初から除外していた。ヴィヴィアンの魔力は桁違いである。並の人間、魔術師、魔女程度では及ばない。湖の貴婦人の心は強靭で、ある種狂っている。精神力の強さ、高さはそのまま魔力に繋がる。だから、立花にもナコトにも、ヴィヴィアンを空っぽにさせる事は不可能だと思っていたのだ。

 だが、ナコトには『黄衣の王』がある。全てを読んでいなくても、充分過ぎる力を得られ、呼び出せる。ヴィヴィアンの魔力を使い切らせるほどの何かを、ナコトは呼び出せるのだ。その事実に気付いた時、ランダは彼女がここにいない理由に辿り着いた。否、それは繋がっていたのである。

「詠唱を止めるっ、姫! 姫っ!」

「……う、お、師匠……?」

 姫の反応は鈍い。ランダは舌打ちし、自分で骨を出そうとするが躊躇う。もし、もしも、ナコトが召喚に成功した時、ヴィヴィアンは助けてくれないだろう。現に、彼女は今も、何もしていない。むしろ、ナコトの成功に期待しているようでもあった。なら、身を守る為に力は温存するべきである。

「姫、黄衣を狙うんだよ!」

 ランダを見遣り、姫はゆっくりと息を吐いた。スパルトイの動きが一斉に止まり、立花ではなく、ナコトがいるであろう方角へと窪んだ眼窩を向ける。音がなくなり、緩やかな風が砂を引き剥がしていった。


「逃げるんだね?」


 スパルトイがナコトの方を向く為に移動し、割れている。中心にいる姫が目を見開いた。切っ先が彼女を指している。立花と姫の目が合った。

 姫の意識を繋ぎ止めているのは立花への憎悪である。

「ボクはここにいるのに、お前はボクを見ないのか、神野姫」

「……た、ち」

「姫、違う! 立花じゃないんだよっ」

 姫の視界がぼやけていく。焦点を合わせようと目を凝らし、瞬きを繰り返す。捉えた。正面、いる。もう、彼女には何も見えていない。ランダの声は届かない。

「たちばなああああああああっ! あああああああああ!」

 スパルトイが駆け出した。立花は苦い顔を浮かべたが、すぐに立ち直る。雷切で薙ぎ、骸骨の骨を弾いて砕いた。

 ランダはモップを構え、立花を目指す。こうなってはナコトをヴィヴィアンに任せ、姫の復讐を果たしてやるのが良い。たとえ彼女の行為が八つ当りだとしても、他の者からすれば意味を持たない事であろうとも、姫にはもう、何も残されていないのだ。間違っていると分かっていても、それが彼女の願いなら、叶えてやりたい。

「姫! 呑まれんじゃないよっ」

 憎しみで良い。恨みでも良い。姫が生きるにはもう、これだけなのだ。魔女にでも、何にでもなると彼女は決意している。平穏な日常を生きた神野姫を、人である事を捨てたのは彼女自身。『館』に住まう魔女、レヤックとして生きるのを選んだのは姫なのだ。

 スパルトイが姫の叫びに応えて走る。策はない。ただ、立花に剣を振るだけだ。端から砕けていく。彼女の間合いに侵入したモノから散っていく。しかし、数が違う。立花とて人間だ。ここにきて、蓄積された疲労が彼女の全てを鈍くする。刀を握る腕、振る速度、足の運び、一瞬の判断、回避、攻撃、防御、精彩さを欠いていく。

 スパルトイは細かい指示を受けていないが、切り、突き、払うだけでも充分だった。立花はその場に踏み留まり、敵の数を減らしていく。

 錆び、欠けた剣に混じってモップが振り下ろされた。ランダは陰から立花を狙う。

「立花あああああああっ、真ぉぉおおおお!」

 膝が抜けた。立花は姿勢を低くし、この場からの脱出を試みる。しかし、四方は既に囲まれていた。

 風が唸りを上げる。衝撃波を引きつれて、それはやってきた。スパルトイは風、その余波にばらばらと崩れていく。ランダは蹲り、顔だけを上げた。

 バイアクヘーが立花を背に乗せ、舞う。骨の包囲を抜けて姫へと進み始めた。

「いい子……」立花はバイアクヘーの頭部を撫でる。人の言葉が通じる、有翼の魔物は嬉しそうに鳴いた。

「『図書館』の指示かい、余計な事してくれちゃって」

 姫の真上に浮遊するバイアクヘー。立花は立ち上がり、身を乗り出して彼女を見下ろす。

「……何、を……」

 姫は見上げた。立花を睨み付け、歯を食い縛る。上と下、力の差を、立っている位置を明確にされた気がして、彼女は憤った。

「何を見て……っ!」

「お願い、手伝ってね」

 バイアクヘーが高度を下げ、立花が姫の前に飛び降りる。刹那、スパルトイが列を成し、主を守るかのようにした。

 残ったスパルトイが二手に別れ始める。姫の盾になるものと、立花を包囲するもの。雷切を見つめた。立花は刀を下段に構えて視界を広げる。いつまで時間を稼げば良いのか、もう忘れた。目の前の敵を倒し、姫の感情を受け入れる覚悟は出来ている。

 立花が最前列のスパルトイに切り込んだ。バイアクヘーは周りを囲むモノたちを体当たりで吹き飛ばしていく。ランダはバイアクヘーは止められないと判断、立花の進撃を阻もうとするが、思わず立ち止まった。溜め息を漏らし、彼女の剣戟に見惚れる。人間の身でありながら、そこまでの域に辿り着けるのか。魔法すら使わず己の腕だけを以てそこまでの高みに行けるのか。素直に、羨ましく思える。



 探し求めていた。選ばれたいのだと願い続けていた。その出会いは突然で、しかし、出会いとはそのようなものなのである。

 ナコトは『黄衣の王』を抱き締めて、目を瞑った。戦いには慣れている。魔女は恐ろしくない。最後の一手、彼女がそれを打つのを躊躇っているのは、自らの死だ。もう二度と彼と出会えない。話せない。それだけが怖くて、何よりも嫌だった。情けない自分に力を貸してくれただけじゃない。黄衣オキナの仇を討ち、カトブレパスの呪いから助けてくれた。一に借りを返す。だが、それだけではない。

「いあ! いあ! はすたあ!」

 決めた筈だと自らを奮い立たせる。この命を燃やし尽くしたとして悔いはない。一が助かるのなら、彼を守れるのなら、惜しくはない。

「はすたあ くふあやく ぶるぐとむ」

 だから、ナコトは目を開けた。呼び出すべきモノの名を思い、唱える。

「ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ」

 ――――異界の都市より来たれ。黒き湖より来たれ。

「あい! あい! はすたあ!」

 ナコトの抱えた『黄衣の王』、表紙に描かれた黄色の印が鈍く、光を放った。



 魔女の世界が揺れる。

 砂が割れ、空が落ち、太陽が嬌声を上げた。周囲は白く染まり、黒く塗り潰される。

「ああああ黄衣ナコト素晴らしいあなたは素晴らしい私にも出来ない事をやってのけた人の身でありながら魔術の域を超えるか魔法の域に達するか」

 魔女が賞賛する。

「……ヴィヴィアン?」

 ランダも、立花も、姫も動きを止めた。狂ったように笑い続ける本物を見て、彼女らは戦慄する。

「世界が狂った世界が壊れた黄衣ナコトあなたがやってのけた」

 立花は雷切を握り締め、周囲を見回した。

 ヴィヴィアンの見たものは全て幻だ。世界は揺れず、砂は割れず、空は落ちず、太陽は微動だにしない。黒白はこの世界にあらず、何一つ変わらない。

 ただ、それはいた。

 眼下の者たちを見下すモノがそこにいる。黄色の襤褸切れを身に纏い、蒼白い仮面を被ったモノが世界を見下ろしていた。

 ヴィヴィアンが哄笑し、一陣の風が吹く。優しい、柔らかな風だ。

 瞬間、

「あ、れ?」

 立花は目を丸くする。

 消えていた。何もかもが消え失せている。

 踏みつけていた砂も、抜けるような青空も、太陽も、バイアクヘーもスパルトイも、何もかもがなくなり、いなくなっていた。

「ここ、は……?」

 そこは部屋だ。薄暗く、椅子と机と窓がある、ただの部屋に立花は立っている。何が起こったのか分からず、雷切を握ったまま周囲を見回した。

 ヴィヴィアンは窓の傍に立ち、ぼうっと外の景色を見つめている。ナコトは机と机の間に倒れており、彼女の被っていた帽子がすぐ近くに落ちている。ランダは姫を庇うかのように蹲っていた。が、彼女の体には異変が生じている。手が、枯れていた。枯れ枝のようにやせ細っていた。

「お師匠? お師匠?」

 姫がランダに呼び掛ける。ランダは低く呻き、しわがれた声で心配ないと呟いた。

 立花はナコトに駆け寄り、彼女に息があるかを確認する。顔を近付けようとするが、

「うえっ?」

「……近いです」

 拒まれた。ナコトは立ち上がろうとするが、力が入らず、結局、立花に体を預ける。

「ナコトちゃん、大丈夫?」

「力、使い過ぎちゃったみたいです」

「当然よ」

 ヴィヴィアンは幾分か愉しそうに口を開いた。

「『黄衣の王』を全て読まずにアレを召喚したんだもの命を取られなかっただけマシと思う事ね黄衣ナコトお陰で私の魔力は空っぽよ神に挑んだけれどまだまだ届かないそれが分かっただけでもあなたと出会えて良かったと素直に思えるわ」

 ナコトは舌打ちする。

「殺せなかったか……」

「黄衣ナコトあなた魔女にならないかしら『館』に入らないかしらあなたが弟子になるなら少しは楽しめそう退屈凌ぎにあなたを人の法から外してあげる何でも出来る何にでもなれるわよ」

 返答はない。ナコトは立花の胸に顔を埋めて、ゆっくりと目を瞑る。

「あら残念」と、ヴィヴィアンは嬉しそうに言った。

 立花は状況を確認する。足りない頭を必死で使う。

 どうやら、ナコトの策は上手くいったらしかった。魔力が空になった、ヴィヴィアンが言ったのは本当かどうか分からないが、あの世界が消えてなくなったのが何よりの証拠であると、立花は断ずる。ランダが老いた理由も、恐らくは同じ。姫の身を守る為に魔力を使い果たしてしまったのだろう。

「ヴィヴィアン、さん?」

 呼び掛けられたヴィヴィアンは顔だけを立花に向けた。

「……はじめ君は、どうなったの?」

「はじめと言えばアイギスの子かしらあああの子魔法を掛けた男の子あの子ならとっくにお目覚めよ私の魔法は切れてしまったもの」

 その言葉の真偽を判断出来るほど立花は聡くない。が、ナコトは小さな声で大丈夫だと思いますと漏らした。ヴィヴィアンは信じられないが、ナコトは信じられる。立花は頷き、彼女の体をゆっくりと床に寝かせた。

 目的は既に果たしている。しかし、立花は傍に落ちている竹刀袋と鞘を拾わなかった。彼女は姫をまっすぐに見つめる。

 姫は何も言わず、立花を睨み返した。

「続けるの?」

「まだ、私たちは生きてますから」

 姫はランダの体を丁寧に退かし、床に置く。彼女は立ち上がり、魔法を発動しようとする。が、反応はない。スパルトイを大量に召喚した事で、彼女の魔力も既に切れていたのだ。

「続けるの?」

 雷切の切っ先を向け、立花はもう一度問う。姫は空手だったが、戦意は喪失していなかった。

「ボクは姫ちゃんを殺さないよ。だけど、覚悟はしてもらうから」

 命までは取らない。しかし、四肢の内、どれかはもらう。立花は強い敵意を込めて姫を見る。彼女は怖じず、動じず、立花を見返していた。

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