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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
レヤック
206/328

初弾は何処に



 それは、羊飼いたちの神とも、恵み深い神とも言われている。

 それは、星か、あるいは都市か。

 それは、強大な力を持った旧支配者とも呼ばれ、四大元素の一つ、風を支配する。

 古代都市の黒き湖に幽閉されたその者は、

「いあ! いあ!」

「……っ! 不味いね、こりゃ。ヴィヴィアン!」

「はすたあ!」

 名状し難いものと呼ばれる。

 魔導書に選ばれし者の新たな力、黄衣ナコトの呼び掛けに応じて、風が奔った。風は数多の音を掻き消し、幾多の砂を巻き上げて前進する。魔女の姿が砂塵の中に掻き消えた。

 砂煙に向かって立花が駆ける。ナコトと示し合わせていた通り、『館』を各個撃破する為だ。雷切を構えて、彼女は敵を見定める。影が三つ、二つは右に、一つは左に分かれていった。狙うは一人、立花が左へ方向転換するが、不測の事態が起こる。

 ナコトが左に向かって走っていた。

 立花は一瞬立ち止まる。思考が停止する。

 しかし、ナコトにとっては不測ではない。これを最初から狙っていたからだ。彼女の狙いはただ一人、ヴィヴィアンのみである。

 だから、立花は叫んだ。

「ぼっ、ボクを裏切ったな!」

「最初っから! あなたなど味方ではありません! あたしの駒なんですよ!」

「絶対に許すもんかあ!」

 砂が口に入るのも構わずに、立花は吠え続ける。

 ゆらりと、晴れていく煙の中に影が蠢いた。その影は一つ、二つ、三つ。乾いた音を立てて彼女に迫る。三つの剣が立花に襲い掛かった。

「うっ、うわ!?」

 間一髪、立花を身を低くしてそれから距離を取る。完全に晴れた砂煙、その中から現れたのは姫とランダ、三体の骸骨だ。

「こいつらは……」見覚えがある。否、忘れる筈がないのだ。学校を襲った骸骨剣士は彼女に窪んだ眼窩を合わせて骨を鳴らす。けたけたと、笑っているように思えた。

 雷切の切っ先を向け、立花は姫を強く見据える。

「……本当に、姫ちゃんがやったんだね」

「お師匠、手筈通りにいきます」

「あいよ」

 無視されて、立花の頭に血が上った。襲い掛かる骸骨剣士の腕、その得物ごと、彼女は切り払う。高く舞い上がった骨に気を取られる事もなく、残った二体のスパルトイが立花に走り寄った。

「姫、三匹を維持しな。それ以上は増やさなくて良い。邪魔になるからね」

「分かっています」

 雷切の重量にはまだ慣れていない。それでも、充分だった。立花は頭を下げて剣をやり過ごし、出来た隙に刀の腹を叩き込む。勢いは止まらず、傍にいたもう一体のスパルトイの体も巻き込まれ、骨は呆気なく砕けて砂の中に埋もれていった。

「次は君たちだっ」

「調子に乗るんじゃないよ!」

 ランダが姫の前に立ち、向かってきた立花にモップを突きつける。

 姫はその場にしゃがみ込み、砂地に両手を添えた。彼女の体が淡い光を帯び、光は色を変えていく。やがて、光は赤に。砂の上に形容し難い、幾何学模様にも似た図形が出現する。そこから、新たな骸骨が姿を見せた。

 今、姫が使ったのは簡易の召喚陣である。複雑な工程を必要としないが、低級の怪物しか呼び寄せられない。ランダが以前、神野との戦いで見せたものと同じ魔法だった。

 押し寄せるスパルトイから距離を取り、立花は苛立たしげに刀を振るう。

「そんなのじゃボクを倒せないよ」

「さあ、やってみなければ分かりませんよ?」

 スパルトイが地を蹴った。三体ともが刃が欠け錆びた剣を振り上げる。立花は僅かに目を見開いた。単純な動きしか出来なかった筈の骸骨が、自分を取り囲むように散開したからである。

「集中、切らすんじゃないよ」

 ランダがにじり寄ってきた。少しでも隙を見せれば、彼女も飛び掛かるつもりである。

 単純な動作しか命じられないスパルトイ。しかし、以前に立花と戦った彼らと今の彼らとでは大きな違いがあった。姫は骸骨を自分の意志で操れる。その数に限りはあるが、百を越えたとて問題はない。が、百と三では割ける容量に違いが出てくるのも当然だった。更に、彼女は学校を襲った骸骨に、戦闘以外にもある命令を下していたのである。『扉を開けるな』、と。その制約から解き放たれたスパルトイは動きが違う。細かい動きをも指示出来るようになっているのだ。

「高が骨っ」

「追い詰められろ勤務外」

 立花は右のスパルトイの頭部を狙って横に薙ぐ。が、骸骨は身を低くしてその攻撃を回避した。

「この……!」

 間隙を見計らい、残りの骸骨が剣を振り下ろす。立花は雷切を流した方に回転し、その場を逃れた。が、甘い。ランダが彼女の足元に得物を払っている。

 足を取られた立花は砂を食みながらも転がって逃げた。姫はその様子を満足そうに見つめる。立花は距離を取り、近寄ってきたスパルトイを一体ずつ仕留めた。囲まれれば辛いが、一対一になれば彼女の独壇場である。三体全て壊されたのを確認して、姫は再び魔法を発動する。立花がそれを阻止しようと彼女を狙うが、ランダに再び阻まれた。

「しつこい!」

「今謝れば許してやるよ、あたしはね!」

 ランダは立花と自身の力量を良く理解している。魔法なしでは、自分が圧倒的に劣っているのを理解していた。しかし、防御に徹すれば何とかなる。そして、魔法を使って攻勢に転ずる気はない。立花真と戦うのは姫でなければ意味がないのだ。

「あなたじゃボクに勝てない」

「は、生意気なガキだね」

 同様に、立花も理解している。近接戦闘、その一点だけを見れば、ランダよりも自分が圧倒的に優れている事を。しかし、彼女は魔法の存在を恐れていた。無理に攻め込めば何が起こるか分からない。魔女とは、こんなにもやり辛い相手だったのかと内心で恐怖していた。

「お師匠っ」

「あいよ」ランダが退き、彼女のいなくなったスペースにスパルトイが割り込んでくる。立花は雷切を振るいながら後退を始めた。




「はすたあ!」

 ナコトの唱えた呪文が再び砂粒を巻き上げた。まっすぐに向かう風、その先には襤褸を纏った老婆がいる。

「面白い人の身で『黄衣の王』を扱うか小娘」

 老婆が呟くと、音が弾けて風が霧散した。ナコトは驚かない。目の前の魔女ならば造作もない事だと分かっていた。言葉を交わすつもりはない。心を研ぎ澄ませ、内にある精神力を練り上げる。魔導書が光を放ち、

「いあ、いあ、はすたあ!」

 三度、風が荒れ狂う。

 ヴィヴィアンは老婆の姿から、あどけない童女に姿を変えた。その行動に意味はない。彼女は姿を変える魔法を無意識的に使っているだけである。

「防げますかっ」

 答えず、ヴィヴィアンは片手を翳した。ハスターの風はそこへ吸い込まれるようにして消えていく。ナコトは怯まない。既に振り回していた鎖の先端を投擲している。ヴィヴィアンは鎖を排除しようとするが、そこに括りつけられているモノを見て手が止まった。『黄衣の王』である。ナコトは魔導書を鎖に括って放っていたのだ。

 ヴィヴィアンの動きが鈍ったのを確認して、ナコトは大きく口を開く。

「アラオザルより来たれ、忌まわしき双子!」

 ナコトの訴えに応じるかのように、『黄衣の王』から二つの光が放たれた。すぐに掻き消えてしまうが、彼女にはそれが見えている。

「ロイガーとツァールか忌々しい」

 ヴィヴィアンがふわりと宙に浮かんだ。ナコトは鎖を手元に戻し、魔導書を戒めから解く。彼女の傍の景色が歪んでいた。目を凝らせば左右に二つの何かが浮いているのが分かる。

 ロイガー、ツァール。

 ハスターの眷属、風の双子だ。彼らは一度放たれたが最後、目標に着弾するまでは止まらない。敵を捉えて押さえ込み、風の力を爆発させる。

 ナコトは口角をつり上げた。風が二つ、周囲の空気を切り裂きながらヴィヴィアンに迫る。

 魔女が空を翔けた。ヴィヴィアンは中空に停止し、真下に片手を向ける。ロイガーが間近に見えるが、彼女との間へ割り込むようにして、砂の柱が立ち上った。それはヴィヴィアンの盾になり、代わりに攻撃を受けて元の砂へと還っていく。

「ツァール!」

「甘い娘あなたはまだ若過ぎる」

 大量の砂が宙へと高速で浮き始めた。ツァールが着弾するより先、ヴィヴィアンの周囲を砂が覆う。風と砂が衝突し、周囲には乾いた雨が降った。ナコトは鎖を頭上で振り回し、落ちてきた砂をどこかへと弾き飛ばす。

 ヴィヴィアンが砂石で作られた繭から姿を見せた。彼女の姿は童女から妙齢の美女に変わっており、流れていく風が、黒いローブと艶やかな黒髪を揺らしている。ふと、ヴィヴィアンは何かを思いついたような表情を浮かべ、掌から真っ黒なクローシュを取り出した。それを被り、満足そうな笑みを見せる。

「余裕綽々……」

「お返し」

 砂が舞い上がった。ナコトはそれを目で追うしか出来ない。ヴィヴィアンはついと指を動かす。ばらばらに散らばっていた砂粒が、幾つかに分かれて独りでに丸まり始めた。即席の弾丸が、ナコトに向かって飛来する。

「魔女にしては安っぽい……!」

 ナコトは、向かってくる砂の弾丸を鎖で打ち落としていく。一つ、二つ、三つ……数えるのも馬鹿らしい。数は次第に増え始めていた。ヴィヴィアンは無表情にそれを投下し続ける。埒が明かないと判断したのか、ナコトは魔導書を瞥見して声を荒らげた。

「いあっ、いあっ、はすたあ!」

 一陣の風が砂の弾丸を粒に変えていく。ハスターの力、その奔流がヴィヴィアンの魔法を相殺した。ナコトの髪の毛が四方に揺れ、彼女は目を疑う。

「お返し」

 ヴィヴィアンが人差し指をくるくると動かした。それだけで、ナコトのすぐ近くに竜巻が発生する。彼女は咄嗟に飛び退き、再びハスターを呼んだ。凄まじい風同士が衝突し、轟音を掻き鳴らす。余波が周囲一帯の砂地ごと飛散した。ナコトの軽い体は地面から僅かに浮く。飛び散る砂から身を守ろうと、両腕で顔面をカバーし、その隙間から微動だにしないヴィヴィアンを確認する。

 これが魔法。

 これが魔女。

 魔導書を持って魔術を以って牙を剥くには、あまりにも無謀な相手なのだ。

 だが、ナコトの心は折れていない。まだ戦える。まだ、自分には手がある。取って置きの、打ってつけの切り札が残されているのだ。

「おすそ分け」

「な……っ!?」

 砂の弾丸が飛来する。その狙いはナコトではなかった。



 立花が倒したスパルトイの数は十二にまで達していた。即ち、それは、四度同じ事が繰り返されたに他ならない。骸骨の群れを抜けても姫には届かない。ランダが雷切を防ぐのだ。そうしている内に、新たな骨が呼び寄せられてしまう。

 スパルトイに切られる筈はない。ランダに突かれるつもりもない。立花の身を苛むのは安定しない砂の足場と経過する時間のみ。彼女の心を溶かしていくのは『館』への憎悪のみ。二つの不安を抱えたままでは十全に戦えない。時間の経過が彼女をじっくりと死地へと誘っていく。

「ボクを殺したいって言うなら前に出て来い!」

「よそ見していて良いのかい?」

「良いっ!」

 ランダのモップが下段から弾き返された。彼女は舌打ちし、スパルトイと交代する。

「お師匠、平気ですか」

「誰に口を利いてるつもりだよ、この子は。あんたこそ、こんなもんじゃないんだからね」

 スパルトイは尽きない。姫の精神力、体力が限界に達するまでは無限に召喚出来る。我慢比べと言うわけだ。立花と自分、どちらが先に力尽きるか、それだけを姫は待っている。一対一でなら勝てるイメージは浮かばない。しかし、持久戦を続けていれば倒れるのは立花だ。

 姫は確信する。自分の勝利は揺らがないと。ランダもいる。ヴィヴィアンもいる。『館』が揃っていて、一介の剣士に負ける筈がないのだ、と。彼女は見誤っている。諸手を上げて招き入れた魔女が、獅子身中の虫になりうるかもしれない可能性を見落としていた。

 ナコトとヴィヴィアンの戦闘の余波、轟音は立花たちの耳にも届いている。魔術と魔法がぶつかり合い、熾烈を極めている。

「あいつは……!」

 ランダが砂を蹴飛ばした。ヴィヴィアンが気まぐれに放った砂の弾丸を見て、彼女は姫の前に立つ。

「……そんな、嘘。どうして、ですか?」

「言ったじゃないか、魔女ってのは何をしたっておかしくないって」

 立花はスパルトイから更に距離を取った。初弾が砂地に落ちる。波紋のように砂は広がり、周囲の者たちに覆い被さろうとしていた。続いて、二発目。それは骸骨剣士の頭部を掠めていく。骨が散らばっていくのもつかの間、立花を目掛けて弾丸が落下していた。

 まず回避。次に切り上げ。途切れる事のない砂の弾丸を避け、裂きながら踊る。以前に使っていた日本刀では付いてこられなかったであろう立花の動き、それよりも早く、雷切は空間を疾駆する。

「きゃああああああああっ!?」

 ランダが宙を撫で回した。彼女が触れた場所は、モップに掛けた魔法と同じように硬く、固まる。間に合わせの障壁ではあったが、砂の弾丸を全て防ぎ切った。ランダの後ろで蹲っていた姫に怪我はない。視線を上げると、無傷の立花がこちらに切っ先を向けているのが見えた。

「姫、骨どもを出しな!」

 間に合わない。ランダはモップをひっくり返して握る。先端部分で砂を巻き上げた。目を晦ませる、あるいは一時でも潰すつもりだったのだが立花には通じない。ここを抜かれれば姫が危うい。

「通さないよ」

「押し通る!」

 モップを振り下ろす。雷切が切り上げられる。金属音が尾を引き、立花、ランダ、両者の視線が交わった。脇をすり抜けようとする立花の動きを読み切り、ランダが得物を振り回す。

 立花が刀で受け止め、身を低くして地を駆けた。が、スパルトイの召喚は済んでいる。三体の骸骨が顎の骨を鳴らしながら、でたらめな動きで走った。彼女は急停止し、ランダに飛び掛かる。

「おおおお――――!」

 雷切が閃き、ランダの両腕が下がった。彼女にとって、立花の攻撃をすんでのところで受け止められたのは僥倖だが後がない。腕力でも、ランダは立花に劣っている。鍔迫り合いでじりじりと押されていく。

「お師匠から離れてよ!」

 スパルトイが立花の背中を切りつけようと剣を振り上げた。彼女はランダの足を踏み、バランスを崩したところで肩からぶつかる。ランダが倒れたのを確認もしないで、立花は振り向きざまに刀を薙いだ。骨がばらばらと崩れ落ち、彼女は残った骸骨との戦闘に移る。地に突っ伏したランダは立ち上がり、立花の脇を抜けて姫の傍に戻った。ずり落ちかけた三角帽子を戻し、長い息を吐く。

「つっ、かれたあ。年寄りを働かせんじゃないよう、もう」

「やっぱり、無理みたいですね」

「休憩。骨の数増やして持ち応えておくれよ、あたしゃ、もう、へとへと」

 頷き、姫は両手に意識を集中させた。赤い光が彼女の体から漏れ出て、新たなスパルトイを呼び寄せる。立花に向かって、五体のソレが飛び掛かった。

 姫は爪を噛む。悪い癖だと兄に窘められたのを思い出して躊躇うが、甘い気分に浸る余裕はない。一筋縄ではいかないと思っていたが、立花の力は予想以上だった。人海戦術も、ランダという盾がいないのでは自身の消耗が早まる。

「お師匠、魔法は使えないんですか」

「ヤだね。あんたが望んだ事だろ、あたしは必要以上にしんどい目に遭いたくない。……骨ぐらいなら出してやっても良いけど、あいつの前じゃあ、文字通り無駄骨さね」

「もう一手……ヴィヴィアンさんに賭けるしかありません、か」



 自分の味方まで一切の躊躇いを見せずに攻撃するヴィヴィアンに驚愕したが、ナコトはすぐに平常心を取り戻す。魔術を行使するなら、落ち着いた心でなければいけない。魔導書の持つ闇に呑み込まれてしまうからだ。

『黄衣の王』が光り輝く。初めて読んで、初めて使う魔導書だというのに、溢れる力、その全てを掌握しているような気持ちになれていた。まるで導かれているかのように、ナコトは呪文を唱える。ハスターの名を崇める。

 顕現した風の力が魔女を食らい付こうと奔る。ヴィヴィアンは片手を広げて微笑んだ。ハスターが方向を転換する。ナコトへと向かって逆流していた。彼女は慌てず、忌まわしき双子を呼ぶ。二つの風が反射された風にぶつかり掻き消えた。衝撃の余波で周囲には爆風めいた凄まじいそれが吹き荒ぶ。

「色々持ってやがりますね」

 セーラー服に付着した砂埃を払い落としながら、ナコトは呆れた風に息を吐いた。ヴィヴィアンは音もなく着地する。彼女の足元の砂がざわめいた。

「クトゥルフの魔に力を借りるのは人間として尤も手早く尤も愚か所詮は魔術の域を脱しない」

 狂暴な笑みを放ち、ナコトは吠える。それがどうした、これが自分の力だと。ヴィヴィアンは彼女に掌を向ける。前兆も予兆もない。ただ、放たれる一撃。それを予感して、ナコトは『黄衣の王』を両腕でかき抱いた。

「名状しがたきものよ私の呼び掛けに応えるが良い我が名はヴィヴィアン湖の貴婦人と呼ばれし神代の魔女」

 風が収束する。

「私は崇めない私は尊ばないただ力を貸せば良いただ声に耳を貸せば良い出でよハスター討て魔術士を」

 ヴィヴィアンが呼び出したのも、またハスター。魔女は魔導書に頼らない。言わば、彼女自身が魔導書。それ以上の魔力を宿している。

 ナコトの呼び出した風よりも大きく、強く、速い。触れれば肉体は刻まれて、巻き込まれれば骨まで砕ける。暴虐めいた、一片の慈悲すら見当たらないそれが砂漠を貫通した。空間が振動、地にある砂は空を汚し、その余波は太陽をも冒涜せんとする。悲鳴は刹那にて消失し、やがて後には何も残らない。砂の山が崩れ、波のように寄せては引き返す。

「やってくれるじゃないですか」

 真上からの声に反応した。ヴィヴィアンは空を仰ぎ、楽しそうに口元を歪める。彼女はその正体を知っていた。

 この世に存在する生物とは考えられない。地球上に生まれ出たモノとは思えない。化け物、強いて言うならばエイが最も近いだろうか。体長は二メートルを超えており、その胴体にはコウモリのような羽根が二枚、生えている。ナコトはその上で鎖を振り回していた。

「行きなさい」

「……無駄」

 その生きもの、名をバイアクヘーと言う。ハスターの眷属であり、召喚した者を望むところへと運ぶモノだ。だが、ナコトの命令には従わないだろうとヴィヴィアンは見抜いている。それを呼ぶには正式な手順が必須であり、ハスターを讃える呪文と、黄金の蜂蜜酒を飲む事、石笛を吹く事が定められていた。この三つを満たさない限り、バイアクヘーが召喚に応じたとしても充分な能力を発揮出来ない。のみならず、術者にも従わない。筈だった。

「行きなさい、バイアクヘー」

 しかし、バイアクヘーはナコトの意に沿って動いているようにも見えた。彼女を背中に乗せたまま高空を滑り、陣風纏って突進してくる。ヴィヴィアンは竜巻を起こしてその中に身を潜めた。それを見たバイアクヘーは名状しがたい鳴き声を上げて中空に停止する。いやだいやだと拒んでいるようだった。

「行け」ナコトがバイアクヘーの頭、らしき部位を踏み付ける。彼女は鎖で魔翼を持つ怪物を縛り上げた。

「神に唱える名はありません。いあいああたし。呼び出したのはあたしでしょうが」

 ヴィヴィアンは瞠目する。まさか、魔物を恫喝して力ずくで従わせているのかと、信じられない思いだった。瞬間、口元がつり上がったのに気付く。楽しんでいるのだと自覚する。

 体の自由を奪われたバイアクヘーはきゅうと情けなく鳴いた。ナコトは魔導書を見せびらかすようにして魔物を尚も踏み付ける。

「飛べ」

「――――――――!」

 耳障りな声を上げ、バイアクヘーが突撃を再開した。竜巻と衝突する寸前、高度が低くなった瞬間、ナコトはそこから飛び降りる。

「来たれ双子、同胞と共に迎え撃て!」

 迎え撃つと言うよりも、むしろ突撃だった。二つの風が空気を切り裂きながらヴィヴィアンに向かう。竜巻はバイアクヘーの通過した衝撃によって相殺し、無防備な魔女へとロイガー、ツァール、忌まわしき双子が迫る。

「角度角度っ、大事なのは角度です!」

 無責任に言い放ち、ナコトは鎖の先端についた分銅をヴィヴィアンに飛ばした。彼女は迫る風を防ぎ、躱すので精一杯である。前方からは鎖が、後方からはバイアクヘーが戻っていた。

 ヴィヴィアンは鎖を受ける。分銅が彼女の肩に直撃し、苦痛に顔を歪めた。久しくなかったダメージに驚き、魔女はまたも笑む。

 バイアクヘーが魔女の頭上を抜けていった。それはナコトの足元に降り立ち、誇らしげに羽根を広げる。

「ミスってんじゃないですか。しっかりしなさい」

 踏み付けられたバイアクヘーの円らな瞳が少しだけ濡れた。

 ヴィヴィアンはナコトを真正面に捉え、興味深そうな視線を送る。魔女に一撃を与えたのだ。そして、何世紀も味わっていなかった痛みに、ヴィヴィアンは舌なめずりする。

「素晴らしいあなたの名前を聞かせてちょうだい私はヴィヴィアン湖の貴婦人王の守り人騎士の恋人あなたの名前を聞かせてちょうだい」

「知っていますよ」

 ナコトはその名を知っていた。他の全てを忘れたとしても、その名だけは――――。

「……黄衣ナコト。あなたの異端を裁く者だとお思いください」

「所詮人に魔女は裁けない」

「いいえ、魔女を裁けるのは人だけです」

 ヴィヴィアンが掌を掲げる。先ほどとは比べ物にならない規模の風が巻き起こり、砂石が彼女の体を覆い隠していく。ナコトはバイアクヘーを前に立たせた。有翼の怪物は頭(らしき部位)を振って泣き喚く。

「ハスターとはこう使う良く見ておきなさい黄衣ナコト魔女と対峙するなら魔女を退治するならこれぐらいはやってみせて」

 世界から音が消えた。自分の声が聞こえない。見えない。世界から色が消えた。空が砂に埋め尽くされる。前にいたバイアクヘーが遥か後方にまで吹き飛んでいった。ナコトは身を伏せて目を瞑る。魔導書を腹の下に入れ、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。ハンチング帽はとっくにどこかへ飛ばされた。風の音が強過ぎて、近過ぎて聞こえない。何も聞こえない。

 ヴィヴィアンは笑っていた。暴風が彼女を避けて渦を巻く。くるくると舞い、ごうごうと唸る。ひらひらと踊り、どうどうと廻る。

 魔女の繋げた世界が名状しがたい風に蹂躙されていた。そして、それを望んだのは彼女である。

「裁いてみせろ黄衣ナコト!」

 砂塵に巻かれてナコトの姿は見えない。それでも、ヴィヴィアンは彼女の名を呼び続けた。

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