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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
レヤック
204/328

名誉修理者


「はじめ君に、何を……」

 フェンスに背を預けたまま、立花は立ち並ぶ魔女を睨み付けた。動かない一の傍に駆け寄ってやりたいが、そうはさせてくれないだろうとも分かっていたのである。

「へえ、そんな顔も出来るんですね。やっぱり、ヴィヴィアンさんにお願いして良かった」

 ヴィヴィアン。初めて聞く名前だが、姫が話し掛ける妙齢の美女がそうなのだろうと当たりをつけた。

「何をしたのかって聞いてるんだ!」

 姫は煩そうに耳を塞ぐ。わざとらしい仕草だが、単純な立花の反感を煽った。

「効果覿面じゃないですか。……兄さんが、浮かばれない」

「答えてよっ」

 呼吸を整えた立花が地面を蹴る。彼女が狙ったのはヴィヴィアンだが、その前にランダが躍り出た。モップの柄を切ろうとするが、思っていたものとは違う衝撃が返ってくる。

「かた……!?」

「舐め過ぎだよ」

 ランダが柄を突き出す。立花は半歩動いてそれを回避。再度横に薙ぐも受け止められる。ただのモップが雷切の強度に付いてこられる現実に、立花は頭の中が真っ白になった。

「ただの魔女だと思ってもらっちゃ困るねえ」

 肩への振り下ろしを立花は弾き、ランダの喉元に突きを放つ。彼女はモップを戻し、すんでのところで攻撃を受け止めた。

「あんたはパシパエの仇になるってのを忘れるんじゃないよ」

「仕掛けたのはそっちじゃないか!」

「それでも、だよっ」

 雷切を使いこなせていないのを自覚し、立花は唇を噛み締める。ランダの棒術、その技量は高い。が、『立花』にしてみれば所詮は手遊びの領域だ。雷切さえものになれば、立花の敵ではない。

「へえ、やっぱりモノが違うね。やるじゃないのさ」

 距離を取り、ランダは口元を歪める。

「お師匠、かっこ悪いです」

「うるさいねえ。あんたこそ、いつまで遊ぶつもりなのさ」

「遊ぶ、だって?」

 姫はくすくすと笑みを零した。

「予想以上に引き出せたものですから。ふふ、そうですね。楽しみは後に回しましょう」

「はじめ君を返してよっ」

「別に取ったりしませんよ。一さんは死んでませんし、ただ、夢を見ているだけです」

 何気なく言うと、姫はヴィヴィアンに視線を遣る。

「覚めない悪夢、いつまで心が耐え切れるかは知りませんけど」

「眠ってる、だけなの……?」

 肩にモップを担ぎ、ランダは一を指差した。彼女の表情からは僅かな翳りが見えるが、立花は気付いていない。

「一生起きないなら、死んでるのと変わりないと思うけどね」

「彼を助けたいのなら」

 姫はポケットから、一枚の折り畳まれたルーズリーフを指で摘む。ヴィヴィアンが何事かを呟くと、畳まれた紙が独りでに飛んでいき、立花の足元に落ちた。

「私と殺し合う事ですね。一さんにかけられた魔法を解けるのはヴィヴィアンさんだけです」

「そっ、そんなの出来ない!」

「だったら、一生、このままですけど? 何なら、諦めて彼にキスでもしますか?」

 立花の頬が一瞬にして朱に染まる。彼女は雷切でヴィヴィアンに切り掛かるも、彼女の姿は靄となって消えてしまった。

「また、会いましょう」

 魔法のように。否、それは魔法だ。ヴィヴィアンに続き、姫とランダの姿も掻き消えていく。残された立花は落ちた紙を拾い上げてから、眠りこける一を確認して、ひとまずは安堵の息を吐いた。



 遠慮する事はない。

 一は自分にとって命の恩人だ。もう二度と手に入らないと思っていた温かいものを与えてくれたのである。彼がいなければ、うつむく者の毒は片目で済まなかっただろう。

 だからと言って、一に話し掛けるのを遠慮しているのは違うと思ったのだ。彼が誰と歩いていようが、例えばその相手が仲睦まじい恋人だとしても、である。一は自分の世界を壊してしまった。息を吹き掛ければ飛んでいってしまうような、ちっぽけな世界から抜け出させてくれた。だから、彼だって自身の世界を壊されても良い筈なのである。

「うん、あたしは何も悪くない」

 黄衣ナコトはそう言い聞かせて、オンリーワン北駒台店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」出迎えるのはメイド服を着た店員である。趣味が悪い。ナコトは店員のナナに一瞥くれると、店内を見回した。

 一はいない。まだ立花と街を歩いているのだろうか。良い度胸である。ならば、店で待たせてもらおうではないか。口角をつり上げ、ナコトはカウンターに向かう。

「一さんはいらっしゃいますか?」

「……あなたは、黄衣さん、でしたか。マスターに何か用があるのなら、出直してください。マスターはただ今……」

「中で待たせてもらいます。質素な椅子しかありませんが、寒風吹き荒ぶ外よりは幾らかマシでしょうからね」

「あっ、あの! いけません!」

 引き止めようとするナナの腕をかわし、ナコトはバックルームへと足を進めた。扉に手を当て、一息に開ける。

「……あれ?」

 仮眠室から出てきた立花と目が合い、ナコトは彼女を睨み付けた。

「一さんを探しているのですが」

「あ、その」立花の視線が店長に向く。助けを求めているようにも見えて、ナコトの心がささくれ立った。

 店長は相変わらず不味そうに煙草を吹かしながら、椅子を器用に回転させてこちらに目を遣る。招かれざる訪問者である事を自覚しながらも、ナコトは決して引くまいと思った。

「黄衣、またか。部外者は帰れ。それとも、ウチにアルバイトの面接にでも来たのか? だったら、話を聞いてやらんでもない」

「自ら好んでイヌに成り下がるつもりはありません。それよりも、あたしはお客様ですよ? 客の要望には素直に答えたらどうですか?」

「要望?」

 鸚鵡返しする店長をじろりと見てから、ナコトは咳払いをする。

「一さんに用があるのです。奴を出してください」

「一ならここにはいない」

「では、来るまで待たせてもらいます。もしくは一さんをさっさと呼んでください。美少女があなたを待ってますとでも言えば、頭の悪い人ですからすぐに飛んでくるでしょう」

「帰れと言っているんだ」

 何か、様子がおかしい。

 つくも図書館の司書として安穏とした生活を送りつつあるナコトだが、かつては数多のソレを叩いて砕き、ソレから恐れられた『図書館』なのだ。元フリーランスの血が騒いでいる。何か起こっているのだと。

「また、ソレでも出ましたか」

 今度は、店長は何も答えない。だが、立花の様子を見れば手に取るように事態は分かる。狼狽した彼女は、先ほどからちらちらと仮眠室に目を遣っていた。

「都合が悪くなればだんまりなのは良いと思いますよ。美徳です。下手に話せばぼろが出ますからね。ええ、それはもうぼろぼろと。で、一さんはどこですか」

「立花、追い出せ」

「え、えっ、う、あ、でも……」

「立花、二度は言わんぞ」

 立花は店長とナコトを何度も見比べる。やがて、諦めたように目を瞑った。

「……ボクたちじゃ、どうする事も出来ないのに?」

 やはり、何かが起こっている。それも勤務外だけでは解決出来ない厄介な事が。

「力ずくの得意なあなたたちでは無理、つまり、あたしのような卓越した頭脳の持ち主ではないと解決出来ない事が起こっているのですね」

「あっ、あの、ナコトちゃん」

 馴れ馴れしいと切って捨てようかとも考えたが、ナコトは堪える。

「立花、止めろ。私たちだけで終わらせられる問題だ」

「だったら! 店長さんがはじめ君を何とかしてよっ!」

 一の身に何かが起こっていた。その事実を理解した途端、ナコトは立花に詰め寄る。

「はじめ君を、助けて」



 父さんと叫んだ。

 母さんと泣いた。

 燃える家からは何かの焦げた匂いが漂ってくる。赤い炎と黒い煙が世界を染め上げていく。それを見て、薄く、高く笑う女がいた。

 女たちは、自らを『館』の魔女だと告げたのである。確かに、こんな芸当魔女にしか出来ない。こんなの、人間の為せる所業ではない。

 女学生のような制服を着た女は告げる。呪文を唱えるような早口で聞き取りづらかったが、彼女が魔導書と呼ばれるものを求めていたのは分かった。フリーランスがこんな片田舎にやってきた理由はそれなのである。

 父は珍しい本を集めるのが好きだった。新しい本を手に入れては、子供のような笑みを見せてそれを自慢していたのを覚えている。忘れられる筈がない。

「ヴィヴィアン、あったのかい?」

 声を発したのは、一人だけ何もしなかった魔女だ。だからと言って許す気にはなれないが、彼女は少しだけ、他の女とは違う気がした。

 ヴィヴィアン、そう呼ばれた女は首を振る。残念そうに、俯くのだ。人を殺しておいて、人の家を焼いておいて、悲しむ。

 忘れるものか。絶対に、許さない。少女は魔女たちの顔を強く、心に刻み込む。どれだけ時間が掛かろうとも構わない。いつか必ず、この手で奴らを。



 仮眠室の扉を閉めると、店長は自分の椅子に座って煙草に火を点けた。ゆっくりと煙を吐き出して、パイプ椅子に座るナコトを見遣る。

「一と立花を襲ったのは間違いなく『館』の連中なんだな?」

「確認するまでもないでしょう。本人たちがそう名乗っていたのですから。それよりも、あたしが知りたいのはヴィヴィアンと名乗る女が本当にいたのかどうか、です」

「いたって言ってるじゃないか」

 立花はむっとした風に答えた。

「綺麗な女の人だったって、そう言ってるのに」

「……そうですか」

「それより、はじめ君はどうなるの? ちゃんと、目が覚めるんだよね?」

 ナコトは押し黙る。一が何らかの魔力により、強制的に眠らされているのは確かだ。一時的な覚醒を繰り返しているらしいが、すぐにまた眠ってしまう。彼もまた、抗おうと必死なのだろう。

「一さんには魔術の素養が備わっていますが、それでも、魔女のかけた魔法を解く事は不可能に近いでしょう。ヴィヴィアンが自ら魔法を解かない限りは……」

「結局、『館』の挑発に乗るしかないんだな」

 姫が立花に渡した紙、そこに書かれていたのはとある場所を示したメモだ。店長はくしゃくしゃになったそれを見遣り、息を吐いた。

「神野姫、彼女の狙いが復讐ならば一さんは人質です。従わないと、魔法を解かないぞ、と」

「同じ手を食うとはな。してやられた」

「場には罠が張り巡らされているかもしれません。正直、勝てる気はしませんね。わざわざ『館』が姿を見せたのですから、相応の策を用意している筈でしょう」

「いや、そうか?」

 店長は眉間に指を当て、煙草の火を灰皿の上で揉み消す。

「何か違うような気がする。立花を殺したいと言った神野姫の気持ちは本当だろう。だが、何故、殺さなかった? その時一はアイギスを持っていなかった。三対一という圧倒的に有利な条件を捨ててまで、奴らは何をしたかったんだ?」

 ナコトは腕を組み、偉そうに立花を見つめた。店長の言に一から十まで賛同したくはないが、確かにその通りである。復讐する相手、絶好の機会を自らの手で逃してまで、また、誘き寄せる。何を狙っているのか、ナコトには少ししか分からない。

「恐らく、復讐する為でしょうね」

「え、でも?」

「あなたのような人には分からないと思います。殺したいほど憎んでいる奴がいて、果たして、ただ殺してしまうだけで気持ちが晴れるでしょうか」

 そう言って、ナコトは店長に流し目を送る。

「徹底的に痛め抜いて、もう許してくださいと頭を下げるまで、それでも許さずその頭を踏み付ける。感情全部吐き出させて、死の寸前まで生きた事を後悔させてやりたい。そう思っていても不思議ではないでしょう」

 立花は暗い表情になる。姫に憎まれる理由が分からなくて、今にも泣きだしそうだった。

「『館』の、いえ、神野姫の狙いはあなたです。……だから、他の魔女は積極的にあなたを殺そうとはしないと思います」

「へっ、な、なんで?」

「立花真を殺したいのは神野姫。ですから、他の魔女はフォローに回る筈です。三対一という構図は崩れませんが、そこに付け入る隙はあります」

 新しい煙草に火を点け、店長は忌々しいと言わんばかりに表情を険しくさせる。

「舐められている訳か」

「奴ら、基本的には性悪ですからね。魔女はただの人間を下に見ています。負ける筈がない、こちらの計画が狂う筈がないと高を括っているんです」

「一度破られたにも関わらずか?」

「だから魔女と呼ばれているんですよ」

 断言し、ナコトは帽子の位置を直した。

「伸びた鼻っ柱、叩き折るのも面白いか。だがな黄衣、こちらには打てる手立てがない。現状、立花とナナしかウチにはいないんだ」

 勤務外の全滅は許されない。これ以上の被害は店の存続にも関わってくる。

「分かっていて聞いているのでしょう。性格の悪さはあの人に引けをとりませんね」

「光栄だな」

「『館』のアトバンテージは三対一という状況にあります。この前提を崩す事が出来れば、自ずと機会も巡ってくるでしょう」

 店長はナコトに対しては何も言わない。行けとも、行くなとも。だから、彼女は頷いた。

「借りがあります。あたしが手助けしましょう」

「ほっ、本当に?」

「ええ、勿論。……場所の指定はありますが、時間の指定はありません。強いて言うなら、一さんが持つかどうか、その間があたしたちに与えられた猶予でしょうか」

 しかし、時間をかけるつもりはない。今すぐにでも、一を助けだしてやりたい。ナコトは仮眠室を見て、迷いを断ち切るように目を瞑った。

「少しだけ、あたしに時間をください。準備があるんです」

「ああ、分かった。お前が戻りしだい仕掛けよう」

「では、後ほど」

 バックルームを辞したナコトは、待ち構えていたナナに袖口を掴まれる。

「ある程度のお話は伺っております。『館』に、あなたと立花さんが仕掛ける、と」

「それが何か?」

 振りほどこうとするが、ナナの力は凄まじい。無理に引っ張れば袖口が破れてしまいそうだった。

「マスターを救うのは私の役目です。しかし、しかしっ、託されたのはあなたたちです。正直、期待はしていません」

 自動人形だと聞いていたが、やけに人間臭いナナを見てナコトは瞠目した。

「特に、ムシュフシュから逃げ出した黄衣ナコトさん、あなたには何一つ期待しておりません。むしろ、立花さんの足を引っ張るだけでしょう」

「話がそれだけなら離してください」

「ならば、せめて約束してください。期待させてください」

 一を魔女の手に掛からせてはならない。ナコトはいつになく真剣な表情で、ナナを見返した。

「フリーランス『図書館』、黄衣ナコトが、この命を賭けて、一さんを助けると誓いましょう」

 ナナは最後の最後までナコトを信じられなかったらしいが、頭を下げた。

「マスターが助からなければ、あなたの命をいただきます」

「ご勝手に」

 短く返して、ナコトは店を出る。

 一を守りたい。助けたい。その気持ちは本当だ。嘘偽りない。が、それだけではない。ナコトにはもう一つ目的がある。北駒台高校で起こった事件と同じく、彼女が動くには理由があった。今もまだ、あの日の光景は焼き付いていた。胸を焦がす感情に突き動かされている。黒い欲望に顔が薄らと歪んだ。



 ナコトが去った後、バックルームには彼女と入れ違いになる形でナナが立っていた。

「やはり、私が行った方がよろしいのでは?」

「駄目だ。『館』の目的は立花だろう。奴らの機嫌を損ねれば、一がどうなるか分からん。お前が付いていくのもなしだ。第一、お前までやられては本当に終わりなんだぞ」

「しかし……」

 ナナは躊躇いがちに立花へと顔を向ける。さっきから口を開かないで俯く彼女を。

「ご指名だ。魔女の招待には答えられるんだろうな?」

 立花は無言で雷切を握る。

「神野の妹だろうが、喧嘩吹っかけられて黙っているつもりはないぞ。神野姫を殺せるのかと聞いているんだ」

「ボクは、姫ちゃんを殺せない」

「……のこのこと顔を出して大人しく殺されるつもりか」

 首を横に振り、立花はまっすぐに店長を見返した。その瞳からは怯えや恐れといった類の感情は見受けられない。

「殺さない。だけど、許さない。あの人たちは、ボクを苦しめる為だけにはじめ君を巻き込んだんだ……!」

 店長は僅かに目を見開く。感情を剥き出しにする立花を初めて見て、彼女の変化を感じた。期待する。その剣が魔女の脅威すら払い除ける事を。

「任せるぞ、立花。……ナナ、『館』についての情報を集める。黄衣にもらったものと照らし合わせていく」

「かしこまりました。少しでも、お二人の助けになるように」

「……三度はないぞ、魔女め」



 つくも図書館に戻ったナコトは目的のものを見つける。リュックサックにそれを詰めようとして、

「まるで盗人だな」

 段ボールに囲まれた倉庫の明かりが点いた。しわがれた声が彼女の耳から染み込んでいく。

「戻ったなら声くらいかけたらどうだ。明かりも点けずに、何をしていた?」

「探し物を」

 振り向き、ナコトは九十九と対面した。

「決めたのか」

 ナコトが持っていた本に目を遣り、興味深そうに九十九が呟く。

「お言葉に甘えます。では、あたしにはまだやる事がありますから」

「『黄衣(こうえ)の王』」

 歩きだそうとしていたナコトが固まった。何故、その名を知っている。否、違う。何故、見えている。

「見えてはおらんよ。私には魔術の才がなかった。ただ、知っているだけだ」

「……館長も、魔術に興味が」言い掛けて、ナコトは口ごもる。興味がなければ、魔導書なんて厄介なものを収集しないだろう。

「魔術というよりも、私は魔女に興味があった」

 大儀そうに壁へ背中を預けると、九十九はゆっくりと話し始める。

「五十年も前か、魔女に会ったのは」

「魔女に……? 本当、なんですか?」

「自らを魔女だと、そう呼んでいた。何とも不思議な、形容しがたい力を使っていた。力だけでなく、彼女自身も掴み所がなくてな」

 九十九は目を伏せ、少しだけ笑む。

「するりと、いつのまにか消えてしまった。だが、まだ覚えている。あの時に起こった事を忘れられる筈はない」

「信じているんですか。魔女の存在を」

「信じられるようになったのは最近の事だ。ソレが我々の前に姿を見せるようになってからだな。魔女がいても不自然ではない。違うか?」

「違い、ません」

 一が魔女に襲われ、自分たちは魔女に挑もうとしている。ナコトは隠し通そうと決意した。

「魔導書を集めて、魔に触れていれば、また会えると思ってな。それだけ、若い胸に衝撃を与えていたのだろうが。何、年寄りのつまらぬ生き甲斐だ。若いお前は笑って良い」

「魔女に、何もされなかったんですか」

 九十九は禿頭を撫で、難しそうに唸る。

「……知り尽くした筈の山だったんだがな、幼い頃の私は遭難してしまった。故郷の村までは離れていない、だが、夜の山に呑まれてしまった。何も見えず、歩きだせずにいた。風の音に腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。今にして思えば、異界にでも迷い込んだのかもしれないな」

 失礼ながら、あるいは残念ながら、ナコトには九十九の若い頃が想像出来なかった。

「そこで、魔女と出会ったんですか?」

 何も言わないで九十九は頷く。

「貴婦人と、そう呼ぶのが正しいと思えるような女性だった。彼女は道に迷った私をあやすように、ある力を見せてくれた」

「それは?」

「彼女は闇を照らした、文字通りにな。気付けば、私の目は満天の星空を映していた。これで家に帰られる。だが、何が起こったのか分からない。混乱しきった耳朶を打ったのは、世にも恐ろしい、優しげな声だったよ」

「それだけ、ですか? 本当に、何も?」

 もう一度頷き、九十九は息を吐いた。

「出会いとは、そんなものだ。同じ人物でも、憎らしく思える者もいれば愛しく思える者もいる」

「館長は、どこまで分かっているんですか」

「何も、だ。何も分かっていない。黄衣、覚えておけ。年を経れば体が動かない分、口だけは上手くなる。尤もらしく喋るのは老人の特権だ」

 ナコトは『黄衣の王』を見つめて、九十九に視線を移す。

「持って行くと良い。今のお前には必要なものなのだろう?」

「館長、あたし、もう……」

「ナコトちゃん!?」

 けたたましい足音が聞こえたと思えば、公口が室内に飛び込んでくる。九十九は困ったように頭を掻き、彼女からは顔を背けた。

「もう、帰ってきてたんならちゃんとご挨拶!」

「あ、先輩、その」

「行っちゃ駄目だからね」

「公口、そこを退け」

 九十九が諌めようとするも、公口は入り口に立ち塞がったままである。彼女は両手を広げて、縋るようにナコトを見つめていた。

「先輩、あたしは行かなくちゃ」

「私には、ナコトちゃんがどこに行くのか分からないけど、何となく分かるよ。また、戦いに行くんだよね?」

 ナコトは答えない。ただ、見つめるだけだ。

「もう良いじゃない。今まで痛い思いも、辛い思いもしてきたんだよ? こないだだって、あんな事になったんだし、ナコトちゃんが危ない目に遭う必要はないよ。誰かが、代わりに戦ってくれるよ」

「公口、黄衣を行かせてやれ」

「館長はっ、またナコトちゃんが怪我しても構わないって言うんですか!?」

 誰かが、代わりに。叶うなら、そうしていたかもしれない。ここでの生活はナコトに温かさを取り戻させた。出来るなら、このまま。このまま、静かに、何事もなく暮らしたい。だが、今、彼女を守る者はいない。今まで守ってくれていた一、彼を代わりに守れるのは自分だけしかいないのである。

「ごめんなさい」

「行かせないから」

 ぎゅっと、包み込まれる。公口の体は柔らかくて、温かくて、ナコトはありし日の家族を思い出した。母などと言うと、彼女は怒ってしまうだろうか。

「黄衣が決めた事だ。黙って送り出してやれ」

「……ナコトちゃんが他人だから、そんな事を言えるんですね」

「身内だから言える事だ。信じて、待つのもまた信頼の証だろう。閉じ込めたままでは黄衣の可能性は潰れてしまう」

「戦わなきゃいけない可能性なんていらないでしょう!」

 公口は泣いている。彼女に涙を流させているのは自分で、公口は自分の為に泣いてくれていた。ナコトは力を抜いて、全てを忘れる。

「何もしなくて良い、ここにいて良いんだからね……!」

「黄衣、魔導書について私から教えられる事はない。『黄衣の王』についても、お前の方が詳しいだろう」

「ナコトちゃんは戦わないで、お願い」

「戦うなとは言わん。死んで咲かせる花実もある。だが、お前がここを帰るべき場所と思っているのなら、必ずだ。必ず戻れ。老人よりも先に逝くな」

 ナコトは頷く。見失っていたものがあったのに気付く。この命は、無駄に捨てる訳にはいかないのだ、と。

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