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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
レヤック
202/328

呼び声



 それは襤褸を纏った老婆だ。それは年端もいかぬ童女だ。それは瑞々しい肉体を誇る美女にもなる。

 彼女は千の顔を持ち万の年月を歩いてきた。この世の理に通じ、知らないものは絶無に近い。天候すら、人の意図すらも操れる。全ては彼女の前にかしずき跪き、支配されるのが当然だった。

 だが、彼女は常に嘆いていたのである。こんなにも上手くいく人生を、意のままに操れる世界を、つまらないと、一言で切って捨てた。

 溢れるのは知りたいという欲望。既知を掻き分け未知なるものを、切り開かれた場所ではない、前人未到の道を渇望する。師事した者から全てを奪い、血肉にして生き長らえる。まだ知らないものが、興味をそそられるものが残っているのではないかと、血眼になって世界を這って回るのだ。



 堕落するのは簡単だ。怠惰に耽るのも同等だ。日がな一日ベッドの上で目を瞑っていれば良い。気が向けば枕元の書物を読み、面白かったと呟くのだ。生産性からかけ離れた生活は身体だけでなく精神をも鈍らせ、錆付かせる。輝きを失った心は深く、長く停滞を求めた。一度はまれば抜け出せない底なし沼に足を浸して腰を浸からせ首元までどっぷりと沈んでいると気付きながらも焦燥感には変わらない。むしろ居心地が良いとすら思えたのだ。泥濘に拘泥し、更なる愉悦を、新たな倦怠を望んだのも確かである。しかし、彼女は立ち上がった。沼から抜け出し、錆付いた心身に鞭を打った。

 噛み砕いて言ってしまえば、本日、黄衣ナコトは退院した。が、ナコトはだらけきった表情を隠し通せないまま病院を後にしたのである。本音を言えば、彼女はまだまだだらけていたかったのだ。働かなくても生きていける環境を賛美し、甘美したかったのである。

『えー、ナコトちゃんは退院が嬉しくないのー?』

 炉辺の困惑した表情は見物だとナコトは思った。また来ますと告げた時の表情ときたら、暗い笑みを殺すのに必死だった。

「……今日から、お仕事ですか」

 病院の駐車場、その一角にナコトは座り込む。暫くすれば、公口が車で迎えに来るのだ。彼女は手に持ったコーンスープの缶を一瞥する。

「最後の晩餐……」それを一息に呷り、ごみ箱へ投げ捨てた。見当違いの方向へ転がった缶にいらつき、ナコトはコートの前留めを外す。セーラー服に巻き付いた鎖で空き缶を潰そうとするが、結局、やめる。溜め息を吐き、病院の外観を睨んだ。

「……お前らのせいだー」

 公口にクラクションを鳴らされるまで、ナコトは八つ当りとしか思えない恨み辛みをねちねちとぶつけていた。



 助手席でシートベルトを締めたナコトは、暖房の効いた車内に人心地をついたように感じた。公口は彼女を見遣ってから小さな笑みを漏らす。

「思っていたよりも元気そうで良かった」

「え、ええ、まあ」ナコトは言い淀んだ。怪我ならとっくに治っていて、休みたいが為に退院を引き伸ばしていた事は黙っておこうと決意する。

「ごめんね、中々お見舞いにいけなくって」

「先輩が気にする必要はないです。むしろ、あたしの方こそ入院しちゃってごめんなさい」

「えっ?」

「とにかく、ご迷惑をおかけしました。今日からまた働かせていただきますので」

 ナコトがそう言うと、公口は首を横に振った。

「ナコトちゃんは働かなくて良いのよ」

 瞬間、黄衣ナコトの灰色(自己申告)の脳細胞が急速に活性化し始める。これクビ? クビって事? ああ、明日から寝床はどうしよう。もう図書館には行きづらくなるし本はどこで調達すれば良いの。もしかして入荷希望アンケート、あたしの工作がばれちゃったとか。先輩のクッキーが食べたかった。紅茶飲みたい。サボりがばれてしまった? 館長に嫌われちゃったのかな。うああああ嫌だなあ誰か助けて。何も考えたくないよう。と、思考回路は凄まじい勢いで動いていたが大半は弱音だった。

「そうですか」表面上はクールに装うが、目は泳ぎまくっていた。

「今日はナコトちゃん、退院したばかりだからお休みね。館長が会いたがっていたし、色々と準備もあるでしょう? とりあえず図書館に行くわね」

 全身から力が抜けていく。ナコトは突っ伏して息を吐き、フロントガラスを曇らせた。

「……クビになるかと思いました」

「あはは、なる訳ないって! ナコトちゃんがいなくなったら寂しいもの。館長だってそう思ってるわ」

「そう、ですか?」

 ナコトは九十九を思い出してみるが、特に優しくされた覚えも可愛がられた覚えもなかった。少なくとも、彼女からすれば。

「あの人はそういうの苦手だからね。でも、優しいし、人が出来ているのは事実。だって、あなたを二つ返事で預かると決めたんだもの」

「そう、でした」

 頭をシートに預けて、ナコトはハンチング帽を被り直す。

「一君にも感謝しなきゃね。そもそも、彼が頼んでくれたんだから。預かってくださいって、頭下げまくって」

「……あたしはあの人の所有物ではないんですけどね」 

 公口は何も言わず、にやにやとした意地の悪そうな笑みを浮かべた。



 駒台大学。

 一はその門を久方ぶりに潜った。今日はゼミと二つの講義が出席日数ぎりぎりだったので、仕方がないと朝からやってきたのである。自業自得だった。

 教務課前の掲示板で休講情報などを確認していると、馴れ馴れしく肩を叩かれる。一はその手を払わずに無視した。

「冷たいじゃないか一君。朝一番に僕の顔を見られるなんて幸運なんだよ。そうは思わないかい?」

「思わない」

「どうせゼミで顔を合わせるんだからさ」

「その時間までは合わせたくない」

 ブランドのスーツに身を固めた楯列は肩をすくめた。大袈裟な素振りだが、日本人離れした、整い過ぎた彼のルックスには似合っている。

「……あれ?」

「どうしたんだい?」

 一が指差す方へ楯列が目を凝らす。二人はやがて顔を見合わせ息を吐いた。



 つくも図書館の入り口前には段ボール箱が山積みになっていた。ナコトと公口は顔を見合わせて不思議がる。

「遅かったな」

 その山の向こうから現れたのは甚平を羽織った禿頭の老人、九十九である。

「……館長、これはいったい……?」

 公口の問い掛けに、九十九はゆっくりと頷いた。

「注文していた本が届いた。それと、以前から頼んでいたものも見つかったそうなので一緒に送らせた次第だ」

「それにしたってこの量は多過ぎるのでは……私たち三人じゃあ丸一日かかりますよ、これ」

「公口、心配はない。図書館も今日は休みにしておいた」

「きっ、聞いてないんですけど!?」

「今伝えたからな」

 九十九は落ち着き払った様子で答える。それから、躊躇いがちにナコトへ視線を遣った。

「黄衣」

「……はい」

「よく戻った。ん、んん、おかえり、だ」

「た、ただいま、戻りました」

 ナコトは照れ臭そうに帽子の上から頭をかいた。



 大学の食堂は一時限目が始まった事もあってか、席についている者はまばらだった。一と楯列は入り口すぐの席、周辺を占領する。周辺も、である。何故なら、彼らに近付こうとする学生は稀だからだ。好き好んで楯列の傍に寄ろうとする者はいない。

「……お前さ、消えてくんねえ?」

「はっはっはっ、嫌だなあ一君、意味が分からないよ」

 楯列は楽しそうに笑う。一はテーブルの上に鞄を置き、溜め息を吐く。

「いっつも思ってたんだけどさ、鞄って持ってきてないのか?」

 手ぶらの友人を見遣り、一は不思議そうな顔を浮かべた。

「僕には鞄を持ってくる理由が分からないんだけど」

「いや、筆記用具とかさあ」

「筆記用具を何に使うんだい?」

「ノート取ったり……ノートもないじゃん!」

 今更だなあと、楯列は退屈そうに髪の毛を弄る。

「今まで僕の何を見てきたんだ、一君は」

「なるべくお前は見ないようにしてきたからな。つーか、ノートも取らずにどうやって講義受けるんだよ」

「受けるだけなら話を聞くだけでも良いじゃないか。ここの大学の講師程度のレベルなら、聞いてるだけでも大体分かるからね」

「ちっ、勉強だけは出来るんだからよ、性質が悪いぜ」

 椅子に深く腰掛けて、一は不機嫌そうに眉根を寄せた。

「座敷童子の加護があるからね」

「ああ、槐とは上手くやってんのか」

「昨日は久しぶりに姿を見せてくれたよ」

 それは果たして上手くやれているのだろうか。避けられているだけではないのか。そう思っていても、一は何も言わない。

「はあ、二時限までお前と差し向かいでいなきゃなんないとはな」

「至福の時だよ。そうだ一君、どうせなら図書館で本でも読むというのは。教養を深める君を眺めるのも、それはそれは素晴らしい時間だと思うんだけど」

「酷いではないか!」

 食堂の自動ドアが開く。活発そうな女がくるくると宙に舞う。日焼けした肌、白い歯。無視する一。

「私を蔑ろにしてっ二人だけで話し込むなどとは不届き千万! ゼミが休講だったのなら伝えてくれれば良かったではないか!?」

 楯列を力ずくで押し退け、早田は一の対面にどっかりと座り込む。

「体力が余ってんなら部活にでも行ってこいよ」

「別の使い方もあるとは思わないか? んん?」

「その手は食わねえ。お前のペースに乗ってたらきりがないからな」

「素っ気ない先輩も素敵だ……! カメラカメラ、先輩フォルダがまた更新されてしまう。嬉しい悲鳴だな」

 早田は鞄の中からデジタルカメラを探し当てる。それを見た楯列は馬鹿にしたように笑った。

「機械に頼るなんて、早田君もまだまだだね。僕はそんなものを使わなくてもばっちり一君を焼き付けられる」

「黙れ成り上がりが。……それより、九十九先生がゼミを休講にするとはな。先週、そんな事を言っていた覚えはないが」

「俺は行ってないから知らない」

「初耳だよ。しかし九十九先生の事だ。やむをえない理由があったんだと思うよ」

 確かにそうだと、一は頷いた。

「あの先生に限って、面倒臭いとか、私的な理由で休む筈ないしな」



「さっきから館長、くしゃみばかりしていますね」

「そうね、風邪かしら。あ、また」

 階上から聞こえてくる九十九のくしゃみに、ナコトは心配そうな表情を浮かべる。

「お年を召されていますし、大した事がなければ良いんですけど」

 段ボールに詰まった本を、リストから照らし合わせて一冊一冊確認する。この作業を始めてから三十分過ぎたが、まだまだかかりそうだった。

「でも、館長にも困ったものね。こんな事になるなら前もって言ってくれれば良かったのに。大学まで休んじゃって平気なのかしら」

「え、そうなんですか?」

「そうなの。だから、ちょっとびっくり。……ナコトちゃんに会いたかったのかしら」

「館長に限ってそんな事は……」

 くしゃみが聞こえてきたが、二人は知らない振りを通した。

「ナコトちゃん、お手伝いはお昼までで良いわよ。本当ならお休みもらってるんだし」

「あ、い、いいえ、久しぶりに図書館って空気に触れられますし、好きでやっていますから」

 罪悪感がナコトの小さな胸をちくちくと刺す。

「そう?」

「そうです。さあ、頑張って片付けちゃいましょう!」

「いや、黄衣、その必要はない」

 振り向くと、段ボール箱を抱えた九十九が立っている。彼は床にそれを置き、大義そうに腰を叩いた。

「舞い上がっていてな、お前が今日休みだと忘れていた。済まない。しかし、言ってくれれば良かったんだぞ」

「体が鈍っていましたから。少しでも勘を取り戻さなくちゃって、だから、気にしないでください」

「……では昼まで頼む。それから、これに目を通してくれんか」

 指し示された箱には分厚い本や、風変わりな装丁の本が詰まっている。ナコトは興味深そうな視線を送った。

「あっ、館長ったらまたこんなのに手を出して!」

「そう目くじらを立てるな。老い先短い私の、唯一の道楽だ、見逃してくれ」

 ナコトの目の色が変わる。興奮を隠せず、瞳にはぎらついた光が宿った。久しく忘れていた感覚が押し寄せ、彼女は身震いする。

「魔導書……!」

「大半はレプリカや出所不明の粗悪品だが、お前なら気に入ると思ってな。それに、中には掘り出し物も混じっているかもしれん。快気祝いだ、どれでも好きなものを一冊選ぶと良い」

「出所不明って、どこから注文したって言うんですか……」

「この歳になってくるとな、自然と顔も広くなる」

 レプリカだとしても、ここまでの数を揃えられる九十九は何者なのだろう。全国を巡っても、魔導書の充実した図書館なんてここにしかない筈だ。ナコトは急かされるようにして背表紙を確認していく。もしかしたら、そう思って、必死に目を凝らした。

「気に入ってくれたのなら嬉しいが、黄衣、本は逃げないぞ」

「魔導書って、そんなに良いものなんですか?」

「当然だ。だから公口、贋物とは言えども、魔導書に持ち出し厳禁のスタンプを押すのはやめて欲しい」

「だって貴重なものなんでしょう?」

「むうう、しかしだな、貴重だからこそ……」

 九十九と公口はナコトから一歩、距離を置く。

「暫く、放って置いてやるか」

「そうですね、楽しそうですし」

 黄衣ナコト。彼女の秘めるモノに、潜んだ闇に、九十九たちが気付く事はなかった。



 三時限目が終わったその足で、一はオンリーワン北駒台店へ向かう。本来なら、今日はシフトには関わらない筈だったのだが。彼は、仕方ないかと頭を振る。冷たい風が吹いてきて、一は目を瞑った。次に目を開けた瞬間、眼前には女の顔がある。

「うおおおおお!?」

「うわああっ!? なっ、何さ!?」

 女が飛び退く。文字通り、風に舞って飛んで退く。彼女は落ちそうになった羽根付きの帽子を手で押さえた。

「いきなり出てくるんじゃねえよ!」

 叫び、一は女を見上げる。彼女は細長い手足を目一杯伸ばしてから彼を見返した。風の精霊シルフは、ご機嫌斜めのようである。

「シルフ様が声を掛けてやったってのになんだよその態度! ニンゲンのくせに生意気だぞ」

「もっと普通に顔見せりゃ良いだろ。つーか下りろよ目立つから」

「指図すんなっ」言いつつ、シルフは一の傍に音もなく着地した。

「ま、元気だったかダメニンゲン?」

 喜色満面のシルフを直視出来ず、一は目を逸らす。

「ああ、元気だよ。マジに、びっくりするくらいな」

「そうかあ? 何か、変な風だぞ、オマエ」

「……変な?」

 風に変もそうでもないものもあるのだろうか。あったとして、その違いを感じ取る事が可能なのか。問う必要はない。シルフこそが、風なのだから。

「ちょっと元気ないって感じ。何だよ、嫌な事でもあったのか? そんな時はお菓子を食べてぼーっとするのが一番だ。お菓子をよこせ」

「菓子はお前が食いたいだけだろ」

「オマエ、いつも持ってんじゃんか。ほら、早く出せよー」

 一は困った。菓子を携帯していたのは突発的に遭遇するシルフを餌付けする為なのと、煙草の代わりに何か口にしていなければ気持ちが悪かったから、である。今、彼は再び喫煙を再開した。なので菓子は持っていない。

「あー、今度で良いか?」

「えーっ!? はああっ!? やだやだっ、シルフ様は今食べたいのー!」

「その辺に空気あるじゃん」

「だから?」

 ねめつけられ、一は押し黙る。シルフは彼の首に両腕を巻きつけて喚いた。

「あーもー、くっついてくんなよ邪魔くせえなあ」

「良いじゃんか、軽いんだし」

「軽々しいって言ってんだ。とにかく菓子なんて今は持ってないっつーの」

「ちぇ、けち。あーあーあー、シルフ様可哀想だよなー、構ってくれる奴、この街には少な過ぎるー」

 中空をぐるぐると飛び回り、シルフは空を見上げる。

「ガーゴイルと遊んでろよ」

「あいつ、どっか行っちゃったみたいだぞ。最近見てないもん」

「へ、そうなのか?」

 シルフは退屈そうに頷いた。否、実際、退屈しているのだろう。

「あの蛇女をぶっ飛ばした後から見てない。だからオマエが構ってくれなきゃシルフ様死んじゃうじゃん」

「その辺の奴に絡んだらどうだ?」

「シルフ様はー、オマエに遊んで欲しいんだよ。他のニンゲンじゃつまんない」

 一は面映い気持ちを感じたが、良く考えれば、精神年齢が子供のシルフと付き合う同レベルなのである。つまり子供。遠回しにガキだと言われているようで、彼は溜め息を吐いた。

「ま、悪さはしないって約束は守ってくれてるもんな。分かったよ、バイトが終わったら相手してやるし、何か持ってきてやるから」

「ホントだな!? 良し、じゃあシルフ様はテキトーに暇潰ししとくから、終わったら迎えに行ってやるぞ」

「終わったらって、分かるのか?」

「わかんない!」

 言い切って、シルフは風を伝って空に上っていく。一は彼女の背中を見上げながら、店まで連れて行ってもらえばよかったと、そんな事を考えた。



 オンリーワン北駒台店のバックルームには、現時点で行動可能な勤務外が全て揃っていた。とは言え、そのメンバーは一、立花、ナナの三人だけである。

「では、これより第二回オンリーワン北駒台店ミーティングを始める」

「……第二回とか、いります?」

「いる」と断言したのは銜え煙草の店長だ。彼女は勤務外三人をじろりと見回し、文句はあるかと目だけで訴える。

 満足そうに頷くと、店長は一を指差した。

「何か気になる事はないか」

「え、あー、いや、特にはないですね」

「立花は?」

 立花は難しそうに唸るが、すぐには回答が出てきそうにない。店長は諦め、ナナを見遣る。

「私からも発案はありません」

「では、解散」

「早え! 早過ぎるっつーか他に話す事はないんですか?」

 すっかりやる気を失った店長は不味そうに煙草を吹かした。

「私からは特にない。いつも通りにやってくれ」

「じゃあ、どうしてミーティングだって俺たちを集めたんですか? わざわざ呼びつけられる堀さんが可哀想ですよ」

「堀が、ミーティングでもやってみればどうですかと勧めてきたんだ。私に罪はない」

「堀さんが? 何か、話でもあったんですかね」

 店長はさあな、と、一言で返す。

「まあ、大方お前らを心配してるんだろ」

 ああと、一は漏らした。

 空いたロッカーが、ここに神野がいない事を示していた。バックルームは何一つ変わっていない筈なのに、何故だかぽっかりとした空洞があるように感じる。ミノタウロスを討伐してからまだ一週間も経っていない。慣れてきたと思っていたが、やはり、所々で痛感する。人の死を、遺された思いを。

「それなら、俺はもう大丈夫ですよ」

「は、強がらなくても良い。ただ、いつも通りに仕事をこなしてくれればな」

「あ」と、先ほどからずっと考え込んでいた様子の立花が声を放つ。

「店長さん、この後、誰が残るの?」

 店長は眉根を寄せた。やがて、立花が何について話しているのかを理解する。

「休憩に入るのは一と立花で良いんじゃないか?」

「異議ありです。店長はもっとオートマータの福利厚生を考慮すべきだと私は主張します」

「じゃ、立花とナナが休憩しろ」

「大いに異議ありです。俺はまだまともなものを食べていません。俺の健康とやる気をもっと考えてください」

 屁理屈をこねる一に辟易としながらも、店長は妥協案を口にした。

「一とナナが休憩。これで文句はないだろう」

「ぼっ、ボクもお腹、空いてるよ? ボクも休憩したいなあ?」

「じゃあ、三人同時に休憩って事で。かいさーん」

 立ち上がって伸びをする一だが、背後から強烈な視線を感じる。

「ふざけるな、私にレジを打たせるつもりか」

「たまには俺たちの見てるところで働いてくださいよ」

「駄目だ駄目だ。三人一緒に抜けるなど有り得ん。と言うか許さん。じゃんけんでも何でも良いから、犠牲になる奴をどうにかして選べ」

 なんて言い草だろうか。一は反論の余地を探すが、店長からは一分の隙も見出せない。

「……じゃんけんで決めます。良いよね?」

「異論ありません」

 ナナは頷くが、立花は助けを求めるような視線を一に向けていた。

「ぼ、ボク、あの、じゃんけんって苦手なんだよね」

「あ、そっか。そう言えば、立花さんってじゃんけん弱かったよね」

「なるほど、良い事を聞きました。さあ、始めましょう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃんけんはやめて違う方法で決めない?」

 一は内心で舌打ちする。

「では、立花さんの代案をお聞かせ願えますか?」

「す、素振り百回、とか。誰が一番最初に百回振れるかって競争は?」

「ずるいし、時間掛かっちゃうじゃないか。却下」

「酷いや!」

 自分の土俵に持ち込もうとする立花の気概は認めるが、あまりにも露骨過ぎた。

「代案がないなら、じゃんけん一回勝負で」

「せめて三回! 三本先取にしようよ!」

「往生際が悪いですよ立花さん。ほら、マスターの顔をご覧になってください。……死ぬほど苛々していらっしゃいます。触る者の心臓をぎざぎざのナイフで傷つけて子守唄を捧げてしまうくらいに苛々しています」

「してないから」

 受け流し、一は無意味にグー、チョキ、パーを作って遊ぶ。

「良いからお前らさっさと決めろ」

「良し、一回勝負ね。あ、立花さん、俺グー出すから」

「やっ、やめてってば!」



「グーを出すと! マスターはグーを出すとおっしゃったではないですか!? ナナを騙したんですね。酷い仕打ちを受けて、ナナの心はぎざぎざです」

 引っ掛かったのはナナだった。

「あはは、ナナちゃんは馬鹿だなあ」

 指差して笑う立花をナナは無視する。

「決まったか。じゃ、一と立花が休憩な。ナナ、堀と交代だ」

「はじめ君、ご飯食べに行こうよ」

「料理するって話はどうなったの?」

「ほ、保留」

「良いけどさあ。……あ、じゃあ、前に行ったところまで食べに行こうか」

「えへへー、あそこのお店の親子丼、おいしかったなあ……」

 楽しそうにする二人を見て、ナナは店長に詰め寄った。

「私だってマスターと一緒に食事へ出かけたいのです!」

「お前、ものを食べられないじゃないか」

「マスターの愛でお腹いっぱいになります! なってみせます!」

 結構です。一は制服をハンガーに掛けてコートを羽織る。

「諦めろ。勝負の世界とは非情なものだ。恨むなら自分の運のなさを恨むんだな」

「ならばボイコットです。私を行かせてくれない限り、働きません」

「ダメイドが」

 ナナは誇らしげに胸をそらした。

「ダメイドと罵られようがポンコツの謗りを受けようが構いません。マスターと一緒にいられれば、それ以外の有象無象のモノからの評価は気になりませんから。人間どもめ、好きなだけ口を開けば良いのです」

「ロボット三原則とやらはプログラムされていないようだな」

「アシモフは足をもふもふされて死にました」

「お前の頭にはプリンでも詰まっているのか」

「あ、見ます?」

 ナナは力を込めて自らの頭頂部を押さえる。こじ開けようとしているようにも見えた。

「誰が見るか。全く、悪い影響を受け過ぎだぞ。一度メンテナンスを受けた方が良い。そして一の記憶を消去してもらえ」

「そんな事態になったら死ぬほど……ああ、いえ、殺すほど抵抗します」

「そんなに一が大事か?」

「勿論です」と、ナナは仰々しくお辞儀する。

「……大事なマスターとやらはさっさといなくなってしまったようだが」

 はっと顔を上げ、ナナはバックルーム中を見回した。

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