表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ミノタウロス
200/328

トワイライト



 それは、何年も何年も、何遍も何遍も、ずっと繰り返され、積み重ねられてきた。彼女に染み付いたそれは簡単には消え去らない。拭えず、抗えない。それは鎖だ。それは楔だ。それは呪だ。縛り、殺し、蝕む毒なのである。しかし、彼女にはどうする事も出来ない。長く付き合ってきた為に、縁の切り方が分からないのだ。涙を流して、髪の毛を振り乱して頭を振っても、逃れられない定めなのだ。

 どうしたいと問われても、分かる筈がない。答えられる筈がない。一が出て行った後も、立花は考えられなかった。指示に従い、決めるのを選ぶ事すら放棄していたのである。

「いつまで悩んでいるつもりだ」

「……店長さん、お願い、教えてよ」

「自分で考えろ。……私は、前に言ったな。お前は勤務外なのだと、少なくともここにいる内は、お前はお前だ。立花真としてここに立っている。それを忘れるな」

 店長の言葉は立花にとっては少しばかり難しい。迂遠な物言いが彼女には中々伝わらなかった。

「わかんない……」

「立花、一は好きか?」

「え、う、うん。はじめ君は好きだよ」

 短くなった煙草の火種を灰皿で揉み消すと、店長は疲れた風に、呆れたように息を吐く。

「三森は、糸原は、ゴーウェストは、ナナは、堀は好きか?」

「皆好きだよ。もちろん店長さんの事も」

 駒台で初めて出来た友人たちだ。嫌いになれる筈がない。

 こんな自分に優しくしてくれる一が好きだ。三森は怒ると恐いし、その上ちょっとした事で怒る。でも、笑うと可愛い。糸原は自分の知らない事を色々と教えてくれる。ジェーンは口うるさいし、年下のくせに自分よりもお姉さんぶろうとする。一の事で喧嘩をした時もあったが、彼女は許してくれた。ナナも堀も店長も面倒を見てくれる。初めて、楽しいと思えた。人と付き合うのは嬉しくて、触れ合うのは恐くて、ぶつかれば悲しくて、怒って。

「ボクは、皆が好きだよ」

 ずっと続けば良いのに、そう願った。皆が笑って、その輪の中に自分もいれば満足で、これ以上ない幸福なのかもしれなかった。

「神野も好きだったか?」

 問われて、しかし立花はすぐに頷けない。神野は好きだ。分かり切っている。なのに、胸に何かがつかえているみたいに苦しかった。

 神野剣。最初見た時は恐かったのを覚えている。凛とした顔つきも、どんな壁も乗り越えてしまいそうな意志の強さが羨ましく見えていた。彼が自分の背を追い掛けていたのには気付いていた。神野がいつしか自分の隣に並ぼうとし、彼に背を預けても構わないと思った。フツノミタマを手に入れた神野が頼もしく見えて、胸が高鳴ったのは錯覚ではないのだろう。もっと、彼と一緒に過ごしたかった。明日も、明後日も、来年も、その次の年も、ずっと。

「ボクはけん君が好きだ。好きだった。多分、本当に」

「なら、選べる筈だ」

 ミノタウロスは恐ろしくなかった。立花を追い詰めたのはソレではなく、神野の、親しい人の死である。目の前で散った命を確認して死にたくないと震えた。殺されたくなくて、まだ生きていたいと祈った。

 だから、

 死んで欲しくないとも思った。一にも、誰にも。もう二度と失いたくない。自分を置いていって欲しくなかった。逃げたいとも思う。痛い目、辛い目苦しい目に遭いたくない。誰にも嫌われたくなくて、恨まれたくなくて、憎まれたくなくて――――九州に帰れば、人と付き合わずに済む。笑えないかもしれないが、悲しむ事もなくなるだろう。二度と得られないが二度と失わない。ただ剣を振る、何もない日々に戻れるのだ。

「……店長さん、ボクは……」



 想像よりも一撃が重い。早い。攻撃を受ける度に一の体が軋む。斜めに受け流したミノタウロスの振り下ろし、彼は歯を食い縛りながら次の行動に移った。

 両刃の斧は地面に深く突き刺さっている。一はソレの太股にビニール傘の石突きを突き立てた。見た目こそただの傘だが、その実、最硬の盾なのである。強度に飽かせた一撃は充分に通じていた。ミノタウロスは苦痛に口を開け、悲痛な声を上げる。

 追撃を仕掛けようとする一に対してソレが動いた。得物を横薙ぎに払う。一はアイギスを抜き取った状態で無防備極まりなかった。

「『止まれアステリオス』」

 だが、ソレは動かない。否、動けない。その隙に、一はアイギスをもう一度突き刺した。

「……効きが悪いじゃねえか」

 距離を取る一を、動けるようになったソレが追い掛けてくる。

 ミノタウロスには、付けられた名がもう一つ存在する。生まれたばかりの彼に授けられた真の名だ。アステリオス、ナコトから聞いた通りでメドゥーサも通じている。ただ、本人がその名を忘れているのかもしれなかった。認識出来ていないから効果も薄い。

 巨大な両刃の斧は悪い冗談としか捉えられない。だが、紛れもない現実なのである。傷つけられて怒り狂うミノタウロスからはそれ以上一歩も退かず、一は広げたアイギスを前方に突き出した。粉々になってもおかしくない衝撃が全身に伝わる。

「キレてんのはこっちもなんだよっ」

 再び床を抉った斧の柄を掻い潜り、一はアイギスを畳んだ。ソレの脇腹を狙って得物を振り上げる。ミノタウロスは斧を地面から引き抜き、一に三度それを振るおうとした。

「『止まってろよ』」

 呟くと、またもソレの動きが固まる。石突き部分がソレの肉を食い破った。瞬間、一は姿勢を低くしながらアイギスを引き抜く。彼の頭、そのすぐ上を斧が横切っていった。

「ブモッ、モッ、モォ――――!」

 ミノタウロスは肩を上下させ、血走った両目で一を睨み付ける。荒い鼻息が彼の鼓膜にまとわりつこうとしていた。

 一はアイギスの石突きを見遣る。……短かった。もっと長さがあれば、ソレの内蔵にまで届く。相手がもっと小さければ、充分な傷を負わせられる。しかしミノタウロスの恵まれた肉体には致命傷を与えるのが難しい。分厚い皮と発達した筋肉が盾となっているのだ。傷口から流れだす血液も微々たるもので、出血死を待つよりも先に一が死ぬ方が早い。

 ――――竜殺しよりマシだろ……!

 シグルズよりも軽い。彼よりも少しだけ早い。捉えられない速度ではなかった。なら、こうして時間を掛けさえすればどうにかなる。殺せる。その筈なのだ。

「ブモォ――――ッ!」

 ミノタウロスの背中にアイギスが突き立てられる。一はメドゥーサを使ってその場を離れる。息を整え機会を見極める。斧を斜めに受け流し、隙を作ってそこを衝く。相手がただの怪物で良かったと、一は口元を歪めた。ワンパターンの作業に付き合う程度の頭なら、倒れるまで繰り返せば良い。

「俺かてめえかっ!」

 ソレが足を踏み出した。

「どっちかは道連れだ!」

 一は勇気を振り絞る。

「死ぬまで付き合ってくれるんだろ!?」

 ラブリュスが振り下ろされて、アイギスが追い掛けるように振り上げられた。ぶつかる衝撃、弾ける轟音、ソレは叫び、一の鼻からは血が一筋、流れた。



 陽は暮れていく。時は過ぎていく。輝きを見せ始める星の下、今日も人は行き交っていく。その波を見ながら立花を待つ新は、駅前のベンチに、静かに座っていた。物憂げな横顔からは苛烈な『立花』の本性など見て取れない。彼女はふと顔を上げて、こちらに向かってくる人影に微笑み掛ける。

「こっちには来ないと思っていたのですが。やはり、私と一緒に帰りたかったのですか?」

「……挨拶ナシで帰ろうかと思ったんですが、あんたの顔を見つけてしまったもので。まあ、この街には何もありゃしませんわ」

 疲れた顔で溜め息を吐くのは、漆黒色のセーラー服を着た、若い女だ。まだ幼さが残る顔つきからは相反するような、凛とした瞳も備わっている。彼女はスカートをくるりと翻し、ボブカットの黒髪を揺らした。

「やっぱり、あんたって人はとんでもねえ女ですよ」

「使用人風情が、口の利き方を弁えていないようですわね」

「あんたに仕えた覚えはないんですけどね。で、首尾はどうなんですか。雷切を持ってこいなんて言うから、九州からこっち飛びっぱなしですよ」

 新は指を口元に持っていく。

「烏天狗をパシリに使う女なんて、地球上を探してもあんたぐらいのもんですよ……そういや、お嬢様がいないようですが。まだ来てないんですか」

「来ないわよ? あの子、選んじゃったみたいですもの」

 セーラー服の女は口を大きく開けて天を仰いだ。彼女の名は由布椛(ゆふ もみじ)。立花真に仕える、正真正銘の、烏天狗の末裔である。神通力は使えないが、彼女には誰にも負けない能力が備わっていた。移動能力である。九州から近畿までの距離を、由布は短い時間で走破し、飛んで来られるのだ。その能力を活かして、彼女は新の使い走りや伝令役をも任されている。と言うか半ば以上無理矢理だった。

「ああっ不幸! あんなに頑張ったのに報われないなんて! 烏なだけにもみじちゃんってば苦労性! ……あ、クロウと苦労がかかっているんですけど」

「うるさいわよ」

 尤も、主は椛の存在すら知らない。彼女はあくまで陰から立花を支え、時には助け、見守り続けてきたのである。

「また機会があれば会えるでしょうに」

「その機会を根こそぎ奪ってきたのはあんたでしょうに。お嬢様はイヌでも人形でもないんですよ?」

「分かっているわ」

 椛はこれ見よがしに舌打ちした。

「あんた分かっちゃいないんですよ。どうして烏天狗が『立花』に仕えているのかを」

「負けたからでしょう?」

「それもあるけど、一族は『立花』の強さに惹かれたんです。機械のように刀を振るう姿勢じゃなく、人間としての純粋な強さに。あんた、お嬢様に感謝すべきなんですよ」

 扇子を口元に当てて、新はぼうっと空を見上げる。

「お嬢様は優しい方だ。あんたみたいな人の事を好いていらっしゃる。だから、お嬢様はここまで来れて、あすこまで行けたんですよ」

「……ふう、分かっています。椛、少しばかり遅かったようですわね」

「は? 何がです」

「その事なら、とっくに教えられましたわ」

 ただのコンビニの店員に、嫌と言うほど。新は目を瞑って彼を思った。

「今日のところは帰ります。娘の成長を喜べるほど、私は母親を出来ませんでした。ですから、次代の『立花』に、将来の旦那様に後を託しましょう」

「旦那って、あんた、また男漁ってたんですか。色魔」

「失敬な、私の目は高くてよ。『立花』の相手が務まるほどの男は、そうはいないと知りなさい」

「知りませんっての」椛は吐き捨てて、屈伸を始める。

 夕暮れが街を橙に染めていく。新は思わず目を細めた。

「じゃ、帰ります。あんたも精々気をつけてってくださいよ」

「あら、一緒に帰らないの? 切符、一枚余っているのですけど」

「……どういう風の吹き回しなんですか?」

 疑い深そうに見つめられて、新は困ったように頬に手を遣る。

「椛、私にとってはあなたも娘のようなものですからね。たまには良いでしょう、二人でゆっくり語らうと言うのも」

「うわ鳥肌が……烏天狗だけに。と言うか、あんた変わりましたか? 前みたいに鋭くない」

「礼を言うのね、私をただの女たらしめた殿方に」

 椛は鼻を鳴らして、周囲を、駒台を眺めた。この街のどこかにいるであろう、『立花』に見初められた可哀想な男を。

「ま、たまには電車に乗るのも悪くはないですね。爺ちゃんに内緒にしてくれるなら、付き合うのもやぶさかじゃあないですよ」

「勿論、では、行きましょう」

 ――――真を、どうぞよろしくお願いします。

 新は駅へと向かう。その後、彼女は一度も振り向かずに街を出た。



 音が消えていく。

 クラクションも、人も、どうでも良くなっていく。切る風は冷たく、吐く息は白い。前へ進む度、景色が変わっていく。立花の目から涙が零れた。神野が守りたかったもの、守ろうとしたものが彼女の世界を塗り替えていく。

「これが、ボクの街」

 呟き、速度を上げた。一が待っている。誰かの盾になろうと、ソレに立ち向かっている。立花は、自分が誰かを守れるとは思っていない。一本の刀のように、ただ外敵と切り結び切り殺すだけなのだ。

 駒台の街が茜色に燃え上がる。何度も見た光景なのに、それは強く立花の胸を打った。もう、この街に神野はいない。どこにも彼はいないけれど、彼の思いは残っている。空っぽだった立花に注がれていた。

 立花は涙を拭う。自分は誰かを守れないけれど、神野の思いだけは守ろうと誓った。この切っ先がソレの脅威を排除出来たなら、それはきっと彼の望みでもあるのだから。だから、戦う。選び、決めた。ミノタウロスを屠ると、神にではない。彼女は、神野剣に誓った。



 興奮し過ぎたのか、突然流れた鼻血に戸惑った一はミノタウロスから離れようとする。

「お、おおっ?」

 出血の勢いが強い。床を朱が染めていく。手で押さえても鼻を啜っても血はすぐに止まらない。気のせいか、体からもそれと一緒に力が抜けていくようだった。頭がふらつき、神経が衰弱している。

 ソレは叫び、両刃の斧を力任せに振るった。観葉植物とその鉢が倒れていく。一は頭を冷やそうとして呼吸を繰り返した。逃げながら体勢を整える。鼻血が止まってから、彼はミノタウロスの攻撃をアイギスで防いだ。瞬間、その衝撃で一の口内に血の香が広がる。むせて、彼は転がるようにして逃げた。

 疲労は覚えていたが、こんな事は初めてだった。鼻血が出るほどボルテージが上がっていたのだとは思えなくて、一は頭を振る。

「ブモォ――――、オォォ!」

「この……! ……くそう」

 一は叫ぼうとするが諦めた。顔が火照って、特に鼻が熱い。熱を持ったそこからまた血が出るのは避けたかったのである。

 ソレの攻撃を完全に回避出来るくらいには、一は素早くない。アイギスを広げて、衝突に合わせて力を込める。ミノタウロスは斧を振り上げ、一はアイギスを構え直した。

「――――っ!」

 まっすぐに振り下ろされる筈の斧が中空で停止した。ミノタウロスは前蹴りでアイギスを揺らし、一のバランスを崩す。

「てっ、めえ……!」

 たたらを踏む一に、今度こそ振り下ろしの衝撃が加わった。彼はアイギスを咄嗟に掲げて直撃を避ける。だが、状況は悪い。一は片膝をついてソレを見上げていた。

「小賢しいじゃねえかよ」

 ミノタウロスが一を踏み付けようと足を出す。彼はアイギスでそれを受け止めて、

「『止まれ』」

 停止したミノタウロスの心臓目がけて石突き部分を突き立てた。が、やはり届かない。

 一は再びメドゥーサに宣言し、動きの止まったソレから距離を取る。彼が息を吐こうとして俯いたと同時、凄まじい勢いで鼻血が滴り落ちてきた。呼吸困難になり、一は口の中に流れ込んできた血にむせ、咳き込む。

 ソレは進撃する。体を大きく捻らせて、斧ごとぐるりと回転した。そこから繰り出された攻撃はアイギスの防御など関係ない。一の体を閉まった店のシャッターまで飛ばし、叩きつける。

「がっ、ぎ……」

 起き上がろうとして、一はその場に引っ繰り返った。力が一切入らない。転がったアイギスに手を伸ばすが、空を掻いて、だらりと床に垂れ下がる。

 メドゥーサの使い過ぎであった。異能の力を行使するにおいて、重要なのはそれに飲み込まれまいとする精神力である。一は今までにメドゥーサを、自身を酷使してきた。今日だけで回数は二桁に上っており、また、ゴルゴン戦からインターバルは殆どない。連日ソレと戦い、彼が思っている以上に心身が疲弊し切っていた。何かと戦うという行為は肉体に、精神に多大なる負荷を与える。死が間近に迫り過ぎていた。その為、一は自分がソレと戦うのに慣れたと勘違いしていたのである。実際、麻痺し、忘却していただけで、疲労やストレスは想像を絶するほどに蓄積されていた。

 流血は、言わば警告。これ以上メドゥーサを使用すればどうなるか分からないというサインなのだ。一はその事をようやく理解し、吐血する。

 ミノタウロスの足音がすぐそこまで迫っていた。一はアイギスは何とか掴み、上半身を起こし、その場にあぐらをかく。

 視線を上げれば両刃の斧。一はメドゥーサに宣言して横に転がった。数瞬後、床が砕ける音を聞く。飛び散った破片が彼の頬に当たった。ミノタウロスは再び斧を振り上げる。

「『と……』」一は声を出せなかった。息苦しさに喘ぎ、それでもアイギスを両手で握り締める。次を受けてもその次がある。もう駄目かもしれない、分かっていてもあがき続けた。

「ブモォ――――! ブモッ、ブモ――――!」

 こいつを殺したら焼肉を食ってやる。給料全てをはたいてでも良い。美味いものが食いたかった。最後に口に入れたのが自分の血だけなんて、そんなの耐えきれない。

 (だん)、と、誰かが地を蹴る音がする。振り向く事は出来なかった。その必要もない。自分以外でここに来られるのは、彼女だけなのだ。

「はじめ君っ!」

 ミノタウロスが首をめぐらせる。烏が風に揺らめいた。抜いた刀は鞘から離れ空を閃く。照明を受けてぎらりと輝く。裂帛の気合いから放たれた一閃がソレの肩口へと侵入した。血煙が上り、ミノタウロスは敵を睨み付ける。

「お前の相手はボクがする」

 構えた刀、名は雷切。構える剣士、その名は立花真。己を縛り、殺し、蝕む『立花』から解き放たれた一人の人間が宣言する。お前はもうここまでなのだと。



 立花はまず、ソレの注意を一から自分に向けるのを選んだ。少しずつ足を運び、彼から離れた場所におびき寄せる。

 ミノタウロスは動けなくなった一からは興味を失い、立花を脅威と判断したらしい。得物の刃の部分を地面に擦りながら、ゆっくりと彼女を追い掛ける。

「……そうだ、こっちへ」

 充分に距離を取ったところで立花が身を沈ませた。床を蹴り、ソレの足を掬い上げるように雷切を振るう。が、

「――――っ!?」

 立花の体勢が崩れた。つんのめるようにして、それでも彼女はミノタウロスの反撃を躱す。空を切った刀を見つめ、立花は納得のいっていないような表情になった。

 考える暇はない。次いで先手を打ったのはソレだ。巨大な斧を軽々と振り回し振り下ろす。立花はソレの側面から脇腹を突き刺した。自分よりも背の高いモノが相手だから、首から上への攻撃が通りにくい。確実な箇所へダメージを蓄積させて膝を折らせる。それが彼女の目論みだった。

 刀を引き抜き後ろに跳ぶ。ソレの動きを観察するが、鈍くなるどころか鋭く、激しくなっていた。一が付けた傷口に、自分が付けた二つのそれからは血液が溢れている。

 切って回れば問題なし。そう判断した立花は刀を構えて一歩踏み出した。腕を切り落とそうと振り上げた雷切は、とっくに振り切りあまつさえソレの目の前で空振っている。

「なっ、なんで!?」

 立花の伸び切った両腕を狙って、ソレが斧を横に薙いだ。彼女は回避を選ぼうとするが間に合わない。振り切った刀を戻すが間に合わないだろう。覚悟を決めるが痛みはない。金属同士が激突する音を聞き、散った火花をしかと確認する。見れば、雷切はラブリュスの刃を受け止めていた。

 自分がやった事を信じられなくて、それでも立花は受け止めた体勢から刀の刃を滑らせるように逃がす。同時に、自身もその方向に逃れた。振り向き、もう一度攻撃を受け止める。相手の力を散らすようにして後方へと下がった。

「あれ、これって」

 立花は雷切を片手で振り、感触を確認する。そこで違和感の正体を突き止めた。

「軽いんだ……」

 雷切はあまりにも軽過ぎる。確かに握った筈なのに、羽のような重みしか感じられなかった。今まで使っていた刀とは全く違う。そのくせ、強い。折れず曲がらず良く斬れるを基本理念とする日本刀から決して外れていない。強度と軽量、どちらもが犠牲になっておらず、どちらもが、彼女の知る限り最高のものに仕上がっていた。奇跡のような一振りで同じものは二つと作れない。『立花』が握るに相応しいものだと体で理解する。

「ブモォ――――!」

 雷切がどんな刀なのか良く分かった。しかし、扱いに慣れるには時間がかかりそうだった。立花は得物を振るう。意識して放った一撃だが、予測よりも早く、その手前を掠めていった。

 ミノタウロスが斧を振り下ろす。立花はあえて刀で受けた。刀身はびくともしない。ただ、美しくそこにある。

「雷切……」名を呼ぶ。与えられた新たな力を、『立花』の証明を胸の奥に刻み付ける。



 疲れた。もう動けない。動きたくない。一は四肢を伸ばして冷たい床に背中を預ける。立花が来たのだから、ここまで戦ったのだからもう良いだろうと目を瞑る。だが、雷切に振り回されている彼女を見て、彼は最後の力を振り絞る。

「ぐっ、げほっ! っ、あー、あー……」

 声の調子を整えながら座り込み、広げたアイギスをソレに向けた。立花なら、一瞬の隙さえあれば仕事をこなしてくれるだろうと信じている。なりたてだとしても、既に彼女は真の『立花』なのだ。だから、その名前が伊達ではないと証明してくれる筈だ。


『アステリオス、それがミノタウロスの真の名前です。一般的に知られているミノタウロスはミノス王の牛という意味だったりします』

『ふーん』

『気のない返事ですね。死んだらどうですか。……アステリオス、その名前の意味は――――』


 この結果は最初から決まっていたのだろう。

「『止まれ、雷光(アステリオス)』」

 雷切。それを立花が手にした瞬間から、アステリオスの運命は決まっていたに違いない。

 アイギスが光を帯び、ソレの動きが完全に停止する。効果は一瞬間、だが、やはりその隙を見逃す立花ではない。

 まず、ソレの両腕が切り落とされる。ラブリュスは音を立てて床に落ちた。立花は何かを確かめるようにしながら、丁寧に刀を振る。四肢の切断されたソレは、頭から床に倒れ込もうとした。彼女は雷切を、弧を描くようにして切り上げる。怪物の証明、牛の頭がアーケードを舞った。立花は返り血一滴浴びる事なく、絶命したソレに背を向ける。

「……はあーっ」

 息詰まる戦闘が終わり、一は今度こそと、その場に寝転がった。

「はじめ君」

 立花は鞘に雷切を納めて、一に近づいていく。

 やっと終わった。仇が討てた。ソレが死に、自分たちは生き残る。血を流した(鼻から)甲斐はあったが、流石に、もう駄目だった。暫く休んで、それから店に戻ろうと一はぼんやり思う。

「はじめ君」

「ん、お疲れさま」

 一は咳払いをした。まだ声が出し辛い。口内は鉄臭くて、鼻で息を吸ったら頭がくらくらしてきた。

「はじめ君」

「ん?」

 立花の様子がおかしいと気付いたのは、彼女が自分へ馬乗りになってからの事である。一は素っ頓狂な声を上げて、立花を見つめた。

「はじめ君」

 呟いて、立花は一の頭、そのすぐ横の床に刀を突き刺す。彼は情けない悲鳴を上げた。一体、何がどうなっているのか、さっぱりである。ソレを倒して神野の仇も討てた筈。これ以上、何が起こると言うのだ。無論、その問いに彼女は答えない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ