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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アラクネ
20/328

にのまえはじめ

「おめでとう、今日からはあなたも人外よ」

 一の耳元で、睦言を囁くようにして。

「さあ、行ってらっしゃいな」

 実の母親のように、優しく。

「……はい」

 アテナは、笑った。



 体中を蜘蛛の糸に巻かれながら、蜘蛛に囲まれながら。

 いつ死なされても、殺されても可笑しくない状況におかれながら。

 糸原四乃は、そこに居た。

 既に彼女の体力は限界を迎えていた。

 いや、とっくに越えていたのかもしれない。

 それでも、彼女は諦めなかった。

 助けを待っているわけでも、目の前の敵を蹴散らす機を待っているわけでも、奇跡を待っているのでもなかった。

 なんでもなかった。

 ただ、一秒でも長く生きていたかった。

 とても他人には見せられない、蜘蛛の糸にまみれた、ぐちゃぐちゃな姿になってまで、糸原は、生を捨てきれない。

 生きていたい。

 死にたくないからだ。

 何故、死にたくない?

 それは。

 ――それは……。

 糸原の、すぐ傍の蜘蛛が、腕を振り下ろす。

 眼前の得物に、辛抱出来なくなったのか。

 糸で見え辛い視界だったが、蜘蛛の攻撃は雑だった。

 糸原は体を捻らせて、必要最低限の動きで、それを避ける。

 否。

 最低限の動きしか、出来ないのだ。

 疲れ切った心身。

 楽になりたいと、何度も思って、想って、願った。

 なりたければ、すぐになれる。

 このまま、蜘蛛にされるがままにされていればいい。

 体を足で突き刺されようが、糸でがんじがらめにされようが、動かなくなるまで、動けなくなるまで、そこでじっとしていればよかった。

 だが、糸原は蜘蛛の攻撃を避けた。

 何故、何故?



「今日は、バカに星が綺麗だな」

 そんな事を呟きながら、店長は紫煙を吐き出す。

「そうね、この国でも、綺麗に見えるのね」

 梟が、夜空を見上げながら、そんな事を言った。

「そりゃそうだろ。どこにいても、いつでも、国が変わっても、空は変わらないさ」

「そうね」

 一人と一羽は、同じモノを見ながら、小さく笑った。

 ふと、梟が顔を下げ、

「私の事、殺したい?」

 物騒な事を聞いた。

 そうだな、と店長が頭を掻く。

 ややあった後、「そりゃそうだろ」と言った。

「でもな、もう終わっちまった。一は行っちまった。済んだ事はしょうがないだろ、もうお前を殺しても、あいつは来ちまったんだよ。こっちにな」

 そう言った店長の顔は寂しそうでもあったし、どこか嬉しそうでもあった。やがて、短くなった煙草を地面に落として、足でえらく乱暴に踏みつけた。

「本当はこうしてやりたいけどな」

「その顔は、嘘を吐いてなさそうね」

「……一にやった力は、どんな物だったんだ?」

「気になる?」

 梟がやけに意地悪く笑った。

 鳥類の笑顔は、やはり気持ち悪い。

 そんな事を考えながら、店長はぶっきら棒に

「私の部下の事だからな」

 と、答えた。

 やはり、気持ち悪い顔のまま、梟が笑う。

「安心なさい。最高よ。私の力の中でもとびっきりのモノを渡したわ」



 彼女の頭の中に、どこかで見たことの有るもの達が浮かんだ。

 浮かんでは、すぐに消えていく。

 それは場所だったし、人だったし、良く分からないものでもあった。

 確かなのは、それが一度はどこかで見たことの有るもの。

 ただ、それだけ。

 出来の悪いスライドショーみたいに、次から次へと映像が切り替わっていく。

 映像は、靄がかかったような物もあったし、くっきりと細部にわたるまで鮮明に描かれている物もあった。

 その中の一つ、モノクロの映像。

「……ぅ……」

 それが脳裏に浮かび上がった。

 知らずと、糸原の口から言葉が出てきそうになる。

 人物が、頭の中に映っている。

 これは、誰。

 誰か、分からない。

 大切なモノだ。

 ただただ、大切な者のイメージだと分かる。

 男と、女と、年端も行かない子供。

 三人並んで、浮かび上がる。

 その人たちの表情も、顔もはっきりしない。

 だが、糸原には分かった。

 きっと、楽しそうに笑っている。

 そうに違いない。

「……ぅさん、か、さん……」

 やっと、糸原は気付く。

 走馬灯を見ていたのだ。

 死の間際に見えると言うそれを。

 そして、遂に糸原は倒れた。

 崩れ落ちるように。

 糸が切れるように。

「……っは。あははっ」

 糸原の背中がひんやりとする。

 熱くなった体が、コンクリートに熱を奪われていく。

 糸原はその冷たさに、心地よさを覚えた。

「あ、ははっ」

 そして、乾ききって、枯れ切った、掠れた声で笑う。

 そうか、自分は今から死ぬんだ。

 走馬灯も見たし、体は冷たい。

 急速に、死、その事実を、糸原の体全体が受け止めていく。

 受け止めれば、あっけないもんだと実感する。

 自分はこんなところで死ぬのか、何だそうなんだ、と。

 実感して、受け入れれば、加速度的に、死は近づく。

 蜘蛛の群れが、糸原を囲んでいた輪のような陣形を縮めた。

 ソレが目に入り、糸原は目を固く閉じた。

 ――最期に見た風景がソレなんて、酷すぎるな。

 そんな事を思って、さっき見た走馬灯を思い出そうとする。

 だが、先程の映像は全く浮かんでこなかった。

 代わりに、小さな部屋が現れた。

 鮮やかに。

 ついさっきまでグルグルと回っていた映像を掻き消すように、部屋は動く。

 鮮やかに。

 小さな部屋。汚い部屋。床に無造作に置かれた雑誌。

 真新しいこたつ。

 後姿のあいつ。

「……あれ……?」

 顔が見えない誰か。

 糸原は頭の中で、こっち向きなさいよ、なんて声を荒げるも、その人物は背中を向けたままだった。

 気になる。

 誰だ、こいつは。

 会いたい。

 只管に、糸原は思った。

 最期なんだから、会いたい。

 糸原は想った。

 そして、目を開ければ、蜘蛛の足があった。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 ソレの武器が糸原に近づいてくる。

 糸原には、一瞬が一秒にも、一分にも感じられた。

 糸原の視界が真っ白になる。

 強い、強すぎる光に、襲われたようだった。

 ――ああ。

 光の中、見たことの有る顔が浮かんだ。

 ――こいつは。

 今までで、一番ハッキリしていた。

 ――何でだろ。

 糸原は力なく笑う。

「……ベタ過ぎ……」

 もう目を閉じているのか、開けているのか分からなかった。

 ただ、光が辺りを包んでいる。

 そして、そいつ(・・・)を呼んだ。

 そいつの名前を、掠れた声で、精一杯呼んだ。

 


「」



 そいつは何故か、ビニールの安っぽい傘を持っていた。 

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