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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
プロローグ
2/328

こちらオンリーワン北駒台店

「それじゃ、最後に。君は何故ウチにアルバイトしようと思ったのか、聞かせてくれ」

 そう言って、目付きの悪い女は煙草に火を点ける。煙を吐き出すと意見を促すように男を見た。

「はい、僕はつい最近まで、えっと……別のコンビニでバイトしていたので、こちらの採用資格にも合ってると思いましたし……あー。……そんなところです」

 男、というより少年と言ったほうが正しいだろうか。体もあまり大きくはなく、大抵の人はその少年から頼りない印象を受けるだろう。

 茶色の癖毛を頭で掻きながら、少年はぎこちなく答えた。

「緊張しなくていいよ、履歴書にはもう目を通させてもらったし。ま、ウチの現状だと採用は決まったようなものですからね」

 黒のスーツを着た細身の男が、少年へ優しそうに話掛ける。眼鏡を中指で押し上げてから男が女に、そうですよね、と同意を求める。

「堀。余計な事言うな、ソイツ調子に乗るぞ」

 女が煙草を乱暴に灰皿へと押し付ける。苛々した様子で、男を椅子に座ったままで睨む。

 すいません、と軽く謝る優男。居心地が悪そうに少年が尋ねる。

「あの、どういうことでしょうか?」

「ああ、ウチの現状の事? 頗る悪いよ」

 にこやかに、堀と呼ばれた男が答えた。少年の履歴書に目を通しながら堀は続ける。

「二日前に一般の子が二人、勤務外が一人辞めちゃったからね、人手不足なんだよ」

「もう一人一般がいたろ。死んだけど」

 女が話に割り込む。ああ、と堀がわざとらしく返事をする。

「え? お亡くなりになったんですか?」

 少年が恐る恐ると言った感じで堀に聞く。どうもこの店長は、面接が始まる前から不機嫌で話し辛いなあ、と少年は思っていた。

「ああ。勤務外の仕事を覗きに行ったらしくてな、巻き込まれて死にやがった。家族が居なかったのがラッキーだな、面倒な手続きとかしなくて助かる」

「ルーキーを脅かさないでくださいよ、店長」

 分かってる、と手をひらひら振って、女は偉そうに煙草に火を点ける。

 煙を天井に向かって吐くと、店長と呼ばれた女は少年を見た。

「君の採用は確定と思ってもらっていい。で、だ。一応、希望は一般になってるんだが、君、使えるのか?」

 ――使える。

 まるで人間を道具とでも勘違いしているんじゃないか。

 少年は腹が立ったが、顔には出さないように気をつけてハッキリ「使えます」と答えた。

 店長は少年を鼻で笑うと、次にシフトやちょっとしたハウスルール等を少年に教えていった。随分と駆け足な説明を少年は頭に叩き込む。

「それじゃ合否は、あー、そうだな。明日の昼ぐらいにまた連絡するから」

「お昼ですね、分かりました」

 少年は安っぽい作りのパイプ椅子から立ち上がると、今日はありがとうございました、とお辞儀をして、バックヤードから立ち去った。



 少年が出て行くのを見届けると、店長は履歴書を手に取る。

「ま、これでとりあえずはシフトが回せるな」

「かなりキツイですよ? さっきの子に全て押し付ける気ですか?」

 堀が顔を顰めると、店長は冷ややかな視線を質問の主に浴びせた。

「ならお前がシフトに入るか?」

 遠慮します、と眼鏡の位置を直しながら堀は答える。

「そういえば店長。さっきの子の名前は何と読むんでしたっけ?」

「ああ、珍しい名前だったな。あ、こいつ履歴書にふりがな振ってない。コンビニを舐めてやがるなあのガキ。っと、一が二つでなんて読むんだっけ?」

 不備の有る履歴書を指で弾きながら、店長が新しく火を点けた煙草から、紫煙を吐き出す。

「確か、店長の名前と似てましたね。にの……なんとか。うん、私にとっては貴女も同じくらい珍しい名前ですよ」

 それで店長は頭に閃きが走った。

「――ああ、思い出した」



 少年は住宅街を抜けるように歩いていく。その格好は上下黒のジャージで、コンビニと言えども、面接に行く、というには不釣合いというか不適切ではないかと思わせるラフな格好。

 ポケットから赤い箱を取り出すと、少年は煙草を摘み上げた。火を点けて美味そうに煙を吸い込んで、吐き出す。

 既に太陽は沈んでいた。

 確か、コンビニに入った時はまだ日が昇っていたよな、たかがコンビニのバイト面接に。

 馬鹿か。少年は溜め息とともに煙を吐き出した。

 


 少年の住む街は、日本と呼ばれている国の、駒台と呼ばれる街である。

 その街の、最近建てられたばかりの家々が軒を連ねる住宅街。

 少年はそこを歩きながら、厭世的な視線を向けた。

 視線の先。真新しい家。辺りには何かの工事だろうか、金属を金属で叩くような音や地面を重機で慣らすような音も聞こえてくる。

 また金持ちが引っ越してきたか、と。

 少年は何の罪も無い工事現場の作業員を睨むと、歩を進め住宅街を抜け出た。

 何か巨大な物に踏み潰されたかのような廃墟が広がっている。

 その一角に少年の家はあった。

 築十余年、二階建てのアパート。

 春からの新社会人や、大学生といった新しい入居者の殆どを、近くのマンションに取られたおばさんが大家を務めるアパート。

 傍から見るに朽ちかけた、というより朽ちているオンボロアパート。そう言われても、住人にすらその通りだとしか思えないような建物。

 少年は今にも足場が抜けそうな階段を、音を立てて上っていく。

 表札に「一」と書かれた部屋の鍵を開ける少年。擦れた字で202と辛うじて見えるのが彼の部屋らしい。

 トイレ有り、風呂無し、カビが生えかかった畳が敷かれたワンルーム。

 我が家に帰るなり、少年は大の字になって寝転んだ。

 先程の面接で貰った書類に手を伸ばして、目を通していく。その中の、やけに存在感の有る一枚に目を奪われた。

 『明るい職場! 優しい上司! みんな仲良しの愉快なコンビニで働いてみませんか?』

「詐欺だよなあ」

 面接の為に訪れたコンビニを少年は思い出す。挨拶をしない店員。面接中に威圧的な態度で煙草を吸いだす店長。優しいと言うより、軽い雰囲気の社員らしき男。もう一度、手書きの紙を少年は覗き込む。

 『明るい職場! 優しい上司! みんな仲良しの愉快なコンビニで働いてみませんか?』

 必要以上にカラフルな色彩が少年の目に飛び込んでくる。

 騙された、としか思えない少年は、そのまま明日の昼まで不貞寝を決め込む事にした。



 オンリーワン北駒台店。

 少年が今日の午前から午後にかけてアルバイトの面接へ行ったコンビニ。

 日本でも数少ない、『勤務外』サービスの導入されたコンビニでもある。

 二年前から実施されている勤務外サービスは今や地域住民に欠かせないものになった。

 アルバイトをするなら楽だし辞めやすいし仕事も簡単、その代名詞ともいえるコンビニはもう無い。苦だし辞められないし仕事も困難、二十四時間三百六十五日、店員はお仕事と戦わなければならなくなった。

 その分、自給も他の仕事とは比べ物にならないほど上がった。コンビニのアルバイトになるのですら難しくなった弊害もあるが、お金の魔力には、いつの時代のどんな人間でさえも打ち勝てないものだ。

 辛くとも、死ぬような目に遭おうとも、このご時世を生き抜く為に通常業務時間外店員――勤務外――を志願する者も多い。



 静かな部屋に、突如電子音が響き渡る。携帯電話を持っていない少年の唯一ともいえる連絡手段。

「何だよぉ……」

 寝ぼけ眼を擦りつつ、舌打ち。受話器に手を伸ばしてお決まりの文句。

 声の主は、先刻少年が「嫌」と言うほど聞いた物だった。

 全世界にチェーン店を展開する程の、急成長を遂げたコンビニエンスストア、『オンリーワン』の北駒台店店長の物である。

『今から来てくれ。欠員が出た。レジを打ってればそれでいいから五分で来い」

「は? 連絡は、明日の昼じゃないんですか? ていうか僕採用ですか?」

 受話器の向こうから、様々な気持ちを込めた舌打ちが聞こえる。

 少年は店長の話の変わり様、言葉遣い、舌打ち、全ての事について怒鳴りつけてやりたい気分だったがなんとか抑えた。

『今からだ。そして君は採用だ。四分で来い』

 一分減っている。無茶苦茶過ぎる要求でも少年にとっては雇い主。バイトの身分では従うしかない。

 少年は肯定の意を伝え、取るものも取らずコンビニへと走る。

 辺りは暗かった。もう夜だ。

 どれ位寝ていたのだろうか? 何でいきなり採用されて呼び出されるんだ? 

 少年の疑問は尽きなかったが、息を切らして走っていても考えなんて纏まらない。

 片道十分はかかる勤務先へと少年はひた走った。



 少年が北駒台店に着くと、店内には客どころか、店員すら居なかった。

 不審に思った少年だったが、「欠員が出た」らしい事を思い出すと、一人で納得してバックヤードに入っていった。

「お早うございまーす」

 遅刻だが、端から店長の指定した時刻には間に合う筈も無かったので、悪びれる様子も無く少年は挨拶をする。

 中にはスーツ姿の細身の男、堀が立っているだけであった。

 「店長は?」そう少年が尋ねる前に先手を取られる。

「お早うございます。突然の呼び出しで申し訳無いですが、制服に着替えてからの通常業務をお願いできますか?」

 本当に申し訳無さそうに堀が言う。しかし、あくまで下手には出ているが、少年にとっては納得いかない説明だった。

「あの。詳しい理由を教えてもらえますか。いきなりでイマイチ状況が掴めないと言うか」

「……あの人は理由も言ってなかったんですか」

 はぁ、とため息を漏らすと眼鏡を指で押してから堀は口を開いた。

「実は、深夜シフトの一般の子が襲われましてね。多分……今日、というか明日から来なくなるでしょう。相方は勤務外でしたし、一般業務をやれるバイトが居なかったので、他の子にも連絡を取ったんですが、生憎と都合がつかず、君を呼んだという次第です。納得して頂けましたか?」

 笑顔で無茶苦茶な理由を押し通そうとする堀。

「納得出来ると思いますか?」

 笑顔で無理も道理も蹴っ飛ばす少年。

「ですよね。ですがお願いします。こんな事は今日だけなので」

 自分よりも年上の大人に、頭を下げられては仕方ない。

 そう思って少年は渋々、斜めに『ONLY ONE』とプリントの入っている、赤地の制服に袖を通す。

「いやあ、似合ってますよ」

 堀が少年を褒める。

 コンビニの制服が似合う、ね。どういう意味だ、と思っても、少年は口答えせずにふと湧いた制服についての疑問を口にする。

「あ。誰かの名札付いてますね、別の制服取ってもらえますか?」

「いやあ、そのままで結構です。名札の方を取ってもらえますか?」

 どういう意味か分からずに、訝しげに堀を見る少年。

「それは先日亡くなった一般の方の物ですね。まだ新しい制服発注してないんですよ」



 店内に立っても一の疑問は残るし湧き続けるだろう。

 無茶苦茶な店の回し方。勤務外サービスの無いコンビニでアルバイトを続けてきた少年にとっては、全てがどこかおかしいと感じてしまう。

「それじゃ、私も出ます。簡単ではありますが、レクチャーもしていきますね」

「ハイ」

 何年も前からこの世界はどこかおかしくなってきている。

 それともおかしいのは自分自身だろうか? 

 堀の説明も少年の耳には、まともに入ってこない。

「あっと、忘れていました。私はオンリーワンのスーパーバイザーをやらせてもらっている堀と申します。所謂社員ってヤツですね」

 面接時にも、自己紹介は済ませたのだが、礼儀正しい人なのかな。少年はそう思うことにした。

「あ、面接の時にも言いましたが、えーと」

 考え事をしていたので咄嗟に答えられずに詰まる少年。挨拶は大事だ。

「今日から一般としてお世話になります。一一(にのまえはじめ)です。お願いします」

「よろしく。えーと、にのまえ、君?」

「ハイ。数字の一で『にのまえ』です。下は一で『はじめ』です」

「珍しいですねぇ、初めて聞きましたよそんなの」

 子供の頃から名前だけは覚えられていたっけ、一が二つで簡単だからな、と一は心の中で苦笑した。

「それじゃ、行きましょうか。レジや接客も、他のコンビニと大体同じだから」

 一は頷いて、店内に通じるドアに手をかけた。

 制服を着ると店の中はまた違う物だな、と一は改めて思った。

 疑問はある。けど今は店員として仕事をこなせばいい。

 一は頭をいつものように切り替えていく。

「いらっしゃいませ」

 一にとっては、実に半年振りの懐かしくもある言葉だった。



「緊張してます?」

「あんまりしてないですね。一応、別のコンビニでバイトしてたんで」

「そういえば履歴書にも書いてましたね、いやあ、頼もしい」

「今は、他のバイトはいないんですか?」

「勤務外の方なら、そろそろ出るとは思うんですが……」

 堀が時計に目をやると、バックヤードのドアがけたたましく音を立てて開いた。

 不機嫌というより怒りの表情を浮べて、真っ赤なジャージを来た小柄な女性が現れる。

「お早うございます」

 堀が笑顔で挨拶を女性に向ける。対して一は固まっていた。

「お、お早うございますっ」

 社員の堀に遅れてアルバイトの一も挨拶をする。

 赤いジャージ。短い金髪。三白眼。異様な雰囲気。

 金髪だ、ヤンキーだ。一は久しぶりに、この手の不良を見た。

「…………」

 女性は一を睨むと、手ぶらで店を出て行った。

 完全に視界から女性が消えたのを確認してから、

「何か怖そうな人ですね」

 一は躊躇いがちに言う。

「そうでもないですよ? まあ、初めての方はそう思っちゃうらしいですけどね」

 思い出すように堀が目を瞑る。

「勤務外が行ったって事は、またソレが出たって事ですよね?」

「ええ。と言っても、ここから結構離れてますから」

 大丈夫ですよ、と堀が言う。

「お客さん、来ますかね?」

「近場の方だと、たまに来ますね。いやあ、慣れってのは恐ろしいのか、素晴らしいのか」

 多分、恐ろしい。一は少しばかりの不安を抱えて、そう思った。



「お、君は制服が似合うな」

 店の長が、店内で堂々と煙草を吸いながらレジに向かってくる。

 制服が似合うとはどういう意味だ、と思うのも一にとっては二度目だった。

「店内は禁煙じゃないんですか?」

 禁煙と書かれたポスターを指差す一。

「私は店長だ」

 灰を床に落としながら、店長が実に偉そうに言う。

「別にお客が居ないから良いですけどね」

 堀が当たり前のようにそんな言葉を放った。

 一は頭が痛くなりそうだった。

「あの、店長。何時まで居ればいいんですか? 明日大学あるんですけど」

「うーん、とりあえず三森が帰ってくるまでは居てもらう」

「みつもり? さっき出てった人ですか?」

「ええ。勤務外専門の方です」

 店長の代わりに堀が答えてくれた。

「難しい質問ですが、三森って人は、後どれ位で帰ってくると思いますか?」


「分からないですね」「分からんな」


 若干の間の後、堀と店長がほぼ同時に声を発した。

「今日は数が多いらしいからな。場所も遠いし。まあ、日が昇る頃には帰ってくるだろ」

 一は目眩がした。明日は後期の必修科目が一時限目にあるのに。

 せっかく大学に入れたのに、留年なんてしたくない。

 そんな一の願いも、店長には届かない。

「使えるんだろ? 突っ立ってないで仕事しろ」

「別に良いじゃないですか、初日の深夜だし」

「堀。新人を甘やかすと為にならないぞ」

「店長は少し他人に厳しいと思いますよ?」

 悪夢だ。一はただ、そう思った。

 


 一は高校生になる前に、生まれて初めてコンビニエンスストアでアルバイトを始めた。

 そこでのアルバイトは一にとって、楽しかった。お金を得る事だけじゃない、ここで働く事にも意味はあるんだ、数年前の一はそう思っていた。

 しかし、仕事を続けていく内に、楽しい事以外にも辛い事、悲しい事がある事も一は知っていく。そして三つの誓いを一は立てた。

「仕事、しますよ」

 そう言うと、一は凸凹になって置かれている弁当を並べ始めた。

「店長がキツイ事言うから」

「キツくないぞ。フェイスアップぐらいさせとけ」

 三つの誓い、その一。無駄口を叩かない。

 勤務中に口をなるべく開けない、余計な事まで喋ってしまいそうになるから。

 三つの誓い、その二。シフトは絶対に変わらない。

 一度変わってしまうと、味を占めた怠け者が調子に乗るから。

 三つの誓い、その三。全力は出さない。

 この人たちのペースに巻き込まれてすっかり忘れてたな。

 一は誓いを忘れた自分を戒めるように、フェイスアップだけに自分の意識を預けた。



 時計の短針は五を指していた。午前の。

「いやあ、眠いですねぇ」

「そうですね」

「店長は裏で寝てますし。腹立たしいですねえ」

 そう言いながらも、堀は微笑を絶やさない。

「深夜シフトは体に悪いですよねぇ、いやあ、ホント一君。すみません」

「別にいいですよ」

 表情を変えずに一が答える。

 静寂が店内を満たしていく。

 あれから客は数える程しか来なかったので、只管に一は商品を綺麗に並べていた。

 フェイスアップやレジでの接客など、堀はその仕事振りを褒めてくれていたが、一は何も思わなかった。

 それが一にとっては当然の事だったのだから。

 どういう店だよホント。一は早く帰りたくて仕方が無かった。

 そんな一の願望を察したのかは知らないが、赤いジャージを来た女が店にやってきた。

「おや、三森さんが戻ってきましたよ」

 あくびを噛み殺しながら堀が言う。

 勤務外店員の三森が仕事を終え、帰ってきたらしい。

 ――やっと帰れる。

 一は安堵の混じった溜息を漏らした。

「あ、お帰りなさい。どうでした?」

「しんどいっつーの」

 三森は適当に堀に返事をすると、レジ前のホットコーヒーを取って、蓋を勝手に開けて飲み始める。

「あ、お金は。良いんですか?」

「勤務外の方は、まあ、許されているんですよ。そういう事も」

 そういう事(・・・・・)をしている三森を、一は複雑そうに眺める。

 一仕事してきたんだし、大きくは言えないな。

 まだ新人の一はそう思い、何とか自分を納得させた。

「裏で寝とく、クソ疲れた」

「ええ。ああ、いや、店長が寝てますけど?」

「退かす」

 堀の心配は一言で吹っ飛んだ。

「……あの、じゃあ僕も帰って良いですか?」

 嬉しさを隠しながら一がたずねる。

「ええ、お疲れ様でした。今後の事は店長に聞いておいて下さい」

 堀に頭を下げて、一もバックヤードに戻る。

 制服を椅子にかけてから軽く体を伸ばすと、一の体から乾いた音が鳴った。

 煙草でも吸って、一服といきたいところだったが、着の身着のまま飛び出してきた事を一は思い出す。

 今は亡き、先輩だった筈の一般アルバイトのロッカーを開けて、一はハンガーにその制服をかける。

 故人の名札は、制服のポケットに何となく入れておいた。

 一人につき一つずつ用意されているロッカー。

 今頃は、店長が三森に立ち退きを要求されているであろう仮眠室。

 普通のコンビニに比べれば、中々に設備は調っている。流石は世界に名を知らしめた、オンリーワン、といったところだろうか。

「上がりか?」

 店長が仮眠室の扉を乱暴に開け放って出てくる。

「本当に退かされたんですね」

 一が憂さを晴らすように笑った。

「……次は今日の昼だ」

「いきなりじゃないですか?」

「元々はその時間だったじゃないか。頼むぞ」

 このヤロウ。一は早く帰りたいと心底思った。



 遡る事、数年前。ソレは突然姿を現した。

 何故もっと早く、ソレを察知する事が出来なかったのか。

 世界は火に包まれ阿鼻に包まれ叫喚に包まれソレに包まれた。

 情報や交通は完全と言っていいほど遮断され、人類は絶望に身を捩った。

 親が子を殺し、男が女に殺され、ソレが人を殺し、親が子に殺され、男が女を殺し、ソレが人に殺された。

 地獄を数年続けて、各国の軍隊がソレに対処して、人類とソレに甚大な損害を与え合った後、一先ずの沈静が地球に訪れた。

 

 ――ソレ。

 幻獣とも、妖怪とも、怪物とも、幾らでも形容出来る異形のモノ。

 恐怖に駆られた人の生み出した神話の概念とも、妄想の産物とも言えるし、中には造られた機械だと説を唱える人もいる。

 しかし、ソレが何であれ、人に害を成す災厄である事に変わりは無かった。

 誰もが一度は、絵本やテレビ、様々な媒体からその情報を得た事があるだろう。

 この世に現れて欲しい、誰もが一度はそう思ったことがあるだろう。

 もしくは、本当に誰かがそう願ったから、ソレはこの世に現れたのかもしれない。


 世界は今、線を失っている。

 現実と夢。

 過去と未来。

 生と死。

 ソレが現れてから数年、人類は散発的なソレの被害に悩まされながらも、混沌とした時代を生き延びている。

 

 世界は、いつからおかしくなったのだろう。

「分かりましたよ。それじゃお先に失礼します」

「ああ。お疲れ」

 何にせよ、一一の初陣は事なきを得た。

 地獄みたいな夜も明けて、日も昇ってきた。

 ずっとそうやって人間は生きてきた。

 これからもずっとそうやって人間は生きていく。

 一は店を出ると、噛み締める様に昇る太陽を見た。

 その光は一にとって、人間にとって、どのように映ったのか。

「お疲れ様」

 早朝で誰も居ないのは分かりきっていたが、自分にしか聞こえないように一は呟いた。

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