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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
グリンブルスティ
190/328

山の囁き



 何が何だか分からない。アイギスを持つ自分は、圧倒的に優位だった。相手の名前さえ知っていれば問答無用で動きを、時を、命を止められる。なのに、シグルズは止まらなかった。殺される。その一歩手前まで追い詰められた。

「あー、だる。あんたなんかシカトしとけば良かった」

 シルトが来てくれなければ、確実に殺されていた。

 公園を脱出してからも、人目につかない裏路地に着いてからも、ぐるぐると頭は廻り続けている。混濁した思考回路、焼き切れていてもおかしくはなかった。

「……おい」

 薄汚れたコンクリートの壁に背を預けた一は、息を整える事すら忘れている。

「ハメやがったなてめえ」

「は? 何、急にエロい事言わないでよ。気持ち悪い」

「シグルズじゃ、ねえじゃんかよ」

 シルトは目を丸くして、それから大袈裟に肩をすくめた。

「あんたバカ? 何の話してんの?」

 もはや反論する気力が湧かない湧いてこない。

「名前だよ。あいつの名前、シグルズで合ってんのか?」

「それ、私をバカにし過ぎじゃね?」

「マジかよ……」

 一はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。

「野郎、俺はシグルズじゃないなんて抜かしやがった。……だったら、なんなんだよ」

「名前、そんな大事? どうせやり合うだけじゃん。名前がどうとか、意味なくない?」

 意味ならある。名を知らない限りはやり合おうとも思えないのだから。

「ヒルデさんも戸惑ってたみたいだ。シグルズって、確かにそう呼んでたのに」

「へっ、そうなの? は? あれ、じゃあさ、あいつって誰なワケ?」

「俺が聞きたい。色々と事情が変わってくる、ような気がするし」

 シルトは腕を組んで、人差し指の節で顎に触れる。

「あっ、つーかあんたヒルデさんと何か話したんじゃない?」

「あー、いや、お前さ、助けてもらっといてこう言うのもアレだけど。なんでここにいんの?」

「はあああっ!?」

 声が大きい。一は耳を塞いでしかめっ面を作った。

「寝てたんじゃあないのか?」

「あんなトコで寝られるワケないじゃん。それに、何か嫌な感じがしたから」

「だからあの公園まで来たのか? 恐ろしいなお前」

「へっへー、ヒルデさんへの愛とかソンケーとかの成せる技だ!」

 だったらその技を最初から出しとけ。一は溜め息を吐き、アイギスの柄をぎゅっと握った。

「……ヒルデさんは、シグルズ……じゃなかった、あいつの目的に付き合うつもりなんだ。止めなきゃ、マジにやばい」

「目的って何」

「早い話が全人類皆殺し計画だよ。手始めに、お前ら南駒台店の奴から殺すそうだ」

「は、マジで。それ、ヒルデさんが言ったの? 笑えないんだけど」

 笑えないのはお互い様だ。ヒルデから話を聞いていなければ、一だってシルトと同じような反応を見せていただろう。

「野郎は信じてんだよ。全部殺せるってな。無理無理、誰が考えたって試したって」

「まあ、でも、この街の半分くらいはいけんじゃないの」

「だろうなあ。だから、止めなきゃ」

「どうやってよ?」

「知るか。だけど、ここにいたって何も出来ない」

 破綻するのが分かっていて、殺されるのを織り込み済みで行動するなんて、一には彼らが理解出来ない。人間ではないからと線を引かれたって納得いかない。

「なあ、ヒルデさんは、あいつの事が本当に好きなのかな」

「さあ? でも、そういうレベルの話じゃなくね? 大体さ、あんたって単純なんだよね。好きなら好き、嫌いなら嫌いで割り切れるもんじゃないっしょ。あの二人は、長いし特別。長く付き合えば付き合うほどさー、もうどうにもならないって時もあんじゃん?」

 かもしれない。恋愛沙汰に関しては鈍く、疎く、誰よりも遠い存在なのを一は自覚している。

「でも、ヒルデさんは悲しそうだった。良いのかよ、あんな顔させといてさ」

「私に、言わないでよ。シグルズが悪いんじゃん。それに、そろそろ、ダメかも」

 シルトは諦めたかのように、自嘲気味な笑みを作る。隈は深く、顔色も悪い。疲れているのは体だけではないらしかった。

「バーサーカーには鼻が利くウールヴヘジンもついてる。ヒルデさんがいつ見つかってもおかしくないよ」

「良いのかよ、それで。聞きたい事があるんだろ。そんな、くだらない事を止めたいんだろ」

「……っ、勝手言うよなあんたってさ! どうやって止めればっ、どうやって話せばっ、丸く収まるっての!? 何も知らない北駒台のくせに、口出ししてくんなバカ!」

 一は頭をかいて長い息を吐く。

「巻き込んだのはお前だろ。……教えてくれ。お前はどう思うんだよ。お前は、何がしたいんだ。ヒルデさんが殺されても、罪のない誰かを殺しても良いってのか」

「良いワケねーじゃん。でも、あの人が選んだ道なんだよ。私らが口出しする権利なんか……」

「いや、あるね。あの人が言ったんだからな。だから、俺に理由をくれ。俺は確かに関係ねえよ。ヒルデさんの部下でもなけりゃ同僚でもない。あの人の恋人なんて、それこそ絶対ない話なんだよ」

 だから。一は言葉を区切り、白い息を吐き出した。

「関係ない俺でも動けるような理由をくれ。一言で良い、それだけで、俺はお前の盾になれる」

「……あんた、マジで竜殺しとやり合おうっての? は、あは、バカだ。マジ、バカで、どうしようもないし」

「あの野郎、ヒルデさんは泣いてても綺麗だとか言ってたな。確かにそうだよ。ヒルデさんはどんな時だって綺麗だ。けど、俺はあの人には笑ってて欲しい」

 その笑顔が自分に向けられていなくても良い。だから、せめて悲しまないで欲しい。その結果、ヒルデに嫌われても構わない。敵に回したとしても諦めがつく。そうしても良いと、彼女が言ったのだ。見たい。もう一度、本当の笑顔を。

「そのついでにお前も笑えりゃ万万歳。どうだ、それって良いだろ」

「だ、ダメだよ。あんた、弱いもん。さっきだって私が助けなきゃ死んでたじゃん。そんなヤツ、信じらんない」

「何もあいつと一対一で戦う必要はないんだよ。まともにぶつかりゃこっちがやられんのは目に見えてるしな。要は、ヒルデさんから話を……本音を聞けりゃ良いんだ。あいつが邪魔なら俺がどうにかする。手はあんだ。後はお前次第なんだよ」

「ヒルデさんが何も言ってくれなかったら……?」

 面倒くさいくらいに心配性な奴だと思ったが、シルトにとって、ヒルデとはそれほどまでに大切なものなのだろうと一は思い直した。

「言うまで待てよ。その間、俺がお前の盾になる。誰にも邪魔はさせねえよ」

「…………あんた、マジで言ってんの?」

「頭数、せめて後一人欲しい。俺ともう一人、二対一で野郎を押し込める。ずるいけど、ヒルデさんにはお前が当たれ。流石に、あの人は本気で殺しにかかってはこないだろうからな。のらりくらりと立ち回って本音を聞き出してくれ」

「もし」

 シルトは心細そうに声を絞りだす。道に迷った子供みたいに、今にも泣きだしてしまいそうだった。

「もしも、ヒルデさんが本気だったら? 本気で人間を殺そうとしてたら? シグルズの言う通りだって、そう言ったら? ほ、本気で私らと戦おうとしてたら?」

 その可能性もゼロではない。しかし、ここで恐れて立ち止まっても何も変わらないのだ。

「俺は、ヒルデさんがそんな馬鹿げた事をする人とは思えない。だから、あの人の望みは出来るだけ叶えてあげたい。……けど、俺は勤務外だ。ヒルデさんの望みが誰かを傷つけるようなものだったら」

 アイギスを握る。メドゥーサに呼び掛ける。どうか、わがままなパートナーに力を貸してくれと。

「俺は……」

「心配ないし。ヒルデさんは、ヒルデさんだから。やるよ、うん、私、やる。シューを呼ぶけど、あんたは誰も呼ばないで。これは私らの問題だから」

 続きを聞きたくなかったのか、シルトは一の話を遮るかのように立ち上がり、宣言する。

「あ、そう……?」

 立ち直り、切り替えたシルトに一は面食らう。

「あんたは、最低最悪。で、バカ。あと弱い。ぶっちゃけるとあんたには何一つ期待してないから。私とシューだけでも片付く問題だしー」

「言うじゃねえか」

「でも、力、貸して」

 可愛げなんてどこにも見当たらない。もう少しだけ素直になってくれれば、気持ち良く力を貸せると言うのに。

「ヒルデさんが正しいのか、私らが間違ってるか、そんなの分かんない。だって私バカだし。でも、あは、でもさ、私、ヒルデさんを好きなんだ。好きなんだから、だから……」

 せめて、ヒルデに対する態度、彼女を思う気持ち、その十分の一をこちらに回してもらえれば。

「耐えらんない……! ヒルデさんがいなくなったら私らはダメなのっ、だから、だからだからだからお願い! たす――――」

「――――ありがとうな」

 これで、ようやく関われる。おっかなびっくり、触れても良いのか分からなくて恐がって、ヒルデたちから逃げていた。だが、心が決まった。

 ふわふわと、ゆらゆらと。ワルキューレの長はどこかに行ってしまった。彼女ともう一度出会う為になら、炎の山に足を運ぶのも恐くない。何せ、こちらにもワルキューレがいるのだ。竜殺しの騎士とだって、全知の神とだって戦える。



 開け放っておいた窓から身を乗り出すと、小鳥が目に入った。ちち、ちち、その鳴き声に耳を済ませて、男は、

「…………ジーク?」

「ああ。そうだったな。ジーク。俺は、ジークフリートだった、か」

 ジークフリートは振り向く。

 シグルズ。ジークフリート。二つの名で、一つの体。どちらも、結局は同じモノだが、彼はまだ名前に縛られ、記憶を取り戻してはいなかった。

「お前の部下が来たらしいな」

「……そう」

 甲冑を着込むジークフリートとは違い、ヒルデは戦装束には身を包んでいない。

「あの三人を殺して、下りるぞ。片端から殺して廻る。なあ、ブリュンヒルト、少しずつ元に戻そう。……ああ、見ろよ、こいつらを」

 ジークフリートは屈託のない笑みを浮かべて、自分の腕に止まった小鳥を自慢げに、愉しげに見せびらかす。

「とても、良い。命というのはこうでなくてはな。美しく、気高い」

「…………ジーク、あなたは……」

「汚れきった世界、俺たちで変えていこう」



「ごめん」

 一とシルトは坂道を上り、駒台大学を通り過ぎ、山道に入るところでシューと合流した。そこで、シルトが突然頭を下げたのである。

「私、ちょっとびびってた」

「……シルト? いきなり何を言っているんだ」

 来たばかりで、何故一がここにいるのかも把握出来ていないシューは不思議がるばかりだ。

「ここ、探したって言ったよね? ごめん、アレ、嘘」

 てっきり、ここはいの一番にシルトが探していると、一はそう思い込んでいたので少しばかり驚く。

「ヒルデさんに会うのが、怖かったんだと思う」

「どうでも良いからさっさと行こうぜ」

「ちょ! 私っ、今結構な勇気振り絞ったんですけど!?」

「……と言うかシルト」

 シューは腕を組み、一を睨みつけた。あろう事か指を差して唾を吐き捨てた。

「何、これ」

「あー、これは……」

「これって言うな」と、一は憤慨した様子で鼻を鳴らす。

「……ヒルデさんをどうにかするって聞いてここまで来てみれば、それ、北駒台の勤務外じゃないか」

 その通り。自分はオンリーワン北駒台店の一だ。一は説明するのが面倒だったので、木の幹に背を預けて目を瞑る。

「……シルト、説明しろ。私は、こんなのに背中を預けなければならないのか」

「あー、なんつーの? その、こいつは北のヤツだけど、私らのプレーン的な……」

「確かにプレーンって感じだけど。で、こいつが何なんだ?」

 ブレインな。と、一は心の中で突っ込んだ。説明するのが面倒だったので、一はお前に任せるという意味を込めて手を振る。シルトはニット帽を目深に被った。

「こいつは、あー、んー。あ、そう、盾」

「盾?」

「そうっ、こいつは私の盾! 盾だから、良いじゃん。あんま気にしないでっつーかシカトしてて良いよ」

 言うと、シルトは何故だか楽しげに一の肩を叩く。何度も叩く。ばしばしと。

「……ふ、あははっ。ははっ、盾か。……なるほど、お前の盾か。良いよ、分かった。私はもう何も言わない」

 シューはコートのポケットから棒状のものを数本取り出す。それは、シルトが持っていたのと同じタイプの槍だった。

「割り裂くなよ、シルト」

「はーい、分かってまーす」

 すっかり蚊帳の外である。一は洋館のある方角に目を向けた。

「……こっちに来る前、技術部からもらってきた。三本ずつだ。それ以外に得物はないぞ」

「技術部が? なんで、私らに武器なんかくれんの?」

「……それは」シューに見られて、一は困ったように自身を指差す。

「……技術部が北駒台の自動人形から頼まれていたらしい。『マスターの事をくれぐれもよろしく』だ、そうだ」

 納得して、一は恥ずかしそうに視線を逃がした。

「……ところでシルト、本題だ。どうやってヒルデさんを助けるんだ?」

 助ける。

 助ける、か。一は異を唱えたくなったが、ワルキューレたちの機嫌を損ねるのはやめておいた。そも、この場所にヒルデがいるという確証はない。ただ、何となく、と。それでも、ふわふわとした彼女と出会うのだから、これくらいで良いのだとも思っていた。

「それは、それはー、あー、どうするんだっけ?」

 小鳥がどこかで鳴いている。一はその鳴き声を聞きながら、もう一度目を瞑った。



 戦場は、洋館の建つ開けた空間になるというのが一たちの大方の予想だった。

 そこに着くまでの道すがら、一は考えていた事をシルトたちに話す。それは事態を打開する為の作戦でもなくて、これしかないと言う妥協案にも満たない、ある種苦渋の選択にも近かった。

 大前提として、ヒルデは助けられない。何故なら、彼女がそれを望んでいるとは限らないからだ。助けて欲しいなら、シグルズから逃れたいのなら、あの時、一に打ち明けていた筈なのである。あの時だけではない。いつだって、彼女は誰かに助けを求める事が出来た。シルトたちはまだ何か勘違いしている。ヒルデが唆されて、騙されているのだと、心のどこかでは期待しているのだ。それは違う。少なくとも、彼女は今、自分の意思でシグルズの隣に立っている。だから、一たちの行為は、行動は、自分たちの都合だけによっている。

 それでも尚、一たちは足を止めない。彼らはヒルデから話を聞いて、諦めたいのだ。何も知らないまま、戦いたくないのである。

 邪魔なのは、シグルズだ。

 一は昨夜の戦闘と、今日のヒルデを思い出す。彼女は戦闘を望んでいない。積極的には鎌を振ろうとしなかった。話なら、ヒルデの本心を聞きだす程度の余地なら残されている。

 シグルズを無力化させればどうにかなる話なのだ。その為に、一は覚悟を決めている。盾になると言った、あの言葉は嘘偽りではない。お為ごかしの都合の良い言葉ではない。メドゥーサの能力が発揮されなくても、大剣による攻撃は充分防げる。シルトたちには明らかにしていないが、最後の手段、切り札も用意していた。

 ヒルデはきっと、本気で仕掛けては来ない。彼女の相手はシルトとシューに任せ、一はシグルズを一人で押さえ込む。その間、シルトたちはヒルデの説得にあたり、返答如何によってその後の展開を変えるのが一たちの目論見だった。

『あんたじゃ無理』

 シルトはそう言ったが、一は、彼女にも、シューにもシグルズの相手をする事は難しいと告げている。アイギスならば、致命傷だけは防げるのだ。しかし、彼女らには武器しかない。一度でもあの大剣を受けてしまえば戦闘の続行はほぼ不可能になるだろう。一人でも欠ければ、後は端から殺されるのを待つだけだ。

 説得。説得とは、何とも自分勝手な手段だと一は思う。結局のところ、ヒルデに全てを委ねるのだ。シグルズにつくか、こちらにつくか。殺すか、殺されるか。自分たちの運命すら彼女に任せる。助けると息巻いているが、何とも残酷で、独善的でさえある。

 そんな事は、口が裂けても言えなかった。シルトたちはただ、ヒルデから話を聞きたいだけで、彼女の思いを聞き届けたいだけなのだから。



 森がざわめく。鳥たちが木々の枝葉を抜けて空に舞い上がった。

「嘘だろ」

 土を踏む音、金属の軋む音が聞こえてくる。坂道を下る男を確認した瞬間、一たちの思考が停止した。いち早く持ち直したのはシューで、彼女は携行用の短槍を取り出してスイッチを押す。彼女は柄を握り締めて前に出た。

「北駒台っ!」

 我に返った一は視線をシグルズの奥に向ける。ヒルデは、どこにもいない。ここにいるのはシグルズだけだ。好都合だと思い直してアイギスを広げる。

「やる事は変わらねえんだっ」

 シューを押し退ける形で一が前に出た。彼は視線を定めて両足に力を込める。どこからでも来いと、歯を食い縛る。

 草木生い茂る山道の中ほどで、一とシグルズが向かい合う。

 肩に担いでいた大剣を両手で握ると、シグルズは突きの体勢を取ったまま坂を駆け下りてきた。切っ先と一の持つアイギスが衝突する。双方に衝撃が伝わった。が、前回と同じではない。上と下、一は腰を深く落として耐えていたが、勢いのついた攻撃を防ぎ切る事は出来なかった。彼は弾き飛ばされて坂道を転がってしまう。

 シグルズの追撃を阻止しようとしてシルトとシューが前に出る。彼は立ち止まり、大剣を構えた。その間、一は体勢を整えようと立ち上がる。

 不利だ。シグルズは地の利を活かそうとしている。そう判断した一たちは横道に逸れた。二手に分かれ、草むらを掻き分けながら洋館を目指す。

 奇襲を受けたのは想定外だったが、一にとって好都合でもあった。シグルズだけが突出する今の展開は有難い。彼が狙うのは、恐らく自分だろう。シルトたちはその隙にヒルデから話を聞き出せば良い。草むらを掻き分け、無茶苦茶に進みながら、彼は振り返る。誰も、いなかった。反対の方角からはがちゃがちゃと不快な音と、シルトたちの声が聞こえてくる。

「……おい。おいおいおい」

 二分の一、ありえない数字ではない。シグルズがシルトたちを追うのに不自然さは感じられない。しかし、一は奥歯にものが挟まっているかのような気持ちの悪さを感じていた。

「……っ、おいっ、おおいクソが! 俺を忘れてんじゃねえぞ!」

 来た道を引き返しながら一は声を荒らげる。踏まれて背の低くなった草むらを抜けて山道に戻った。シルトたちとは随分と離れてしまっている。察するに、彼女らは当初の予定通り上へ、洋館へ向かっているらしかった。

 このまま坂道を上れば合流を図れるだろう。一は一つ息を吐き、顔を上げた。ヒルデがいる。先刻、公園で出会った時と変わらない。ただ一点、鎌を持っているのを除けば。

 一は畳んでいたアイギスに手を伸ばしかける。ヒルデがここにいる理由を考える。彼女が、何故鎌を持っているのか。

「…………ごめんね、そうは、させない」

「させない?」

 その一言で一の疑問は氷解する。洋館前ではなく、山道で襲撃を受けた理由。シグルズだけが現れ、自分ではなくシルトたちを追い掛けた理由。つまり、ばれていた。一たちの狙いは読まれていたのである。

「……あなたは、やっぱりあいつの味方って訳ですか」

「…………そう言ったよね。私は、君の敵だよ」

 一は唇を噛み締める。彼女の言葉を強く受け止める。

「敵ときましたか。って事は、あなたは殺すんですね。俺たちを始末したその足で、街の人間を……」

 ヒルデはゆるゆると頷いた。彼女の表情からは何も読み取れない。わざと、無表情を作っているのかもしれなかった。一は苛立つ。何を押し殺す必要があるのか。敵に回ると口にしたなら、構って欲しそうに立ち振る舞うなと更に苛立つ。

「どうせなら笑ってくださいよ」

 広げたアイギスを突き出して、一は目を伏せた。

「笑いながら俺を殺してください。そんな、泣きそうな顔されたら、死んでも死にきれない」

「違う。私は……」

「俺はあなたに勝てない。最初から、戦えると思っちゃいないんですから」

 言って、一は駆け出した。草が生い茂り、木々が立ち並ぶ山中へ。ヒルデも彼の後を追い掛ける。

「だからっ、あなたは無視しますよ! 悪いけど、あなたの恋人は見過ごせない!」

「…………う、待って」

「俺はヒルデさんと戦わない。だけどあいつとは戦える! 安心してください、ボッコボコにしてお返ししますよ!」

 石を飛び越え、一は斜面を駆け上がっていく。足はヒルデの方が早いが、一には追いつかれない自信があった。仮に追いつかれても、彼女は何もしないと踏んだのである。

「知ってますかヒルデさん!」

 ヒルデは一の通ったポイントを辿りながら、不思議そうに顔を上げた。

「レディファーストってのは良い意味じゃあないんですよ! 男が先に道を譲って、先に危険があるかどうか確かめる方便なんです!」

「…………だからっ?」

「意味はありません! ところでっ、知ってますかヒルデさん、俺はあなたが好きなんですよ! 良い意味で!」

 一は振り向かずに木々の間を駆け抜ける。ヒルデの息遣いが近くなってきた。確実に、距離は詰められてきている。

「人間として、あなたは最高だ! いや、人間じゃなかったんでしたっけ!?」

「…………っ! 君は……!」

「天使だ! ワルキューレだ! なんだって良いっ、誰だって構わない! 俺はあなたが好きなんだ!」

 鎌を振るなら振るってみろ。一の息遣いは荒くなるが、彼自信は苦痛とは感じていない。話せば話すほど、舌が回れば回るほど興奮していく。

「…………どうして、邪魔をするのっ」

「あなたが言ったんだ! 忘れたとは言わせない。人間も、ソレも関係ないって! 好きにしろってそう言った!」

 背中越し、ヒルデが息を呑むのが分かった。一は邪魔な枝をアイギスで折り、進む。シルトたちの安否が気になる。早く合流しなければならないが、無計画に突っ込んでも新たな混乱を招くだけだ。英雄が相手だとしても、彼女たちなら生き残る事に注力すれば問題ない筈だと判断する。

「よくも馬鹿な男を弄んだな。とは言いませんよ! あなたは無自覚に男を……垂らし込んで落としめるっ、そんな人なんだ! 踊る奴が悪いっ、違いますか!?」

 風切り音。一は咄嗟に頭を下げる。彼は、近くの木の幹に鎌の刃先が食い込んだのを確認して、転がるように走りだした。

「図星ですか! ヒルデさんでも怒る事があるんですね! ラッキー良いもん見れたぜはっはー!」

「…………君は悪い子だったんだね」

「良く言われますよっ」

「……少し、黙って!」

 ヒルデが鎌を横薙ぎに振るう。一は太い木の後ろに飛び込んだ。空を切り、彼女の得物は幹に食らいつく。

「どうしましたあヒルデさん!」

 一はわざとらしく問い掛け、再び走った。

「手加減してくれてるんですか!? ありがとうございます!」

「…………そう」

 ヒルデはようやくになって気付く。ここでは、自由に鎌を振るえない。比較的サイズの大きい彼女の得物、充分な空間がなければ力も入らない。木に邪魔されて、それを切断可能な速度にも達しない。並の攻撃では一の防御を、アイギスを突破するのは難しかった。

「…………誘ったんだね」

「人聞き悪いなあ! ああそうだ、知ってますかヒルデさん!」

 人が変わったように喋る一。頭に血を上らせて正常な判断をさせないようにする挑発か。それとも私怨からの悪口、暴言か。少なくとも、今のヒルデには判断出来なかった。

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[一言] ヒルデに対しての呼び方が違うのはそういうことだったのか
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