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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アラクネ
19/328

ああ、女神様

 滑り台。ブランコ。シーソー。ベンチ。

 広場に点在する遊具。

 ここは紛れもなく公園だった。

 太陽は青空の天辺に位置している。

 蝉が鳴いていた。

 その鳴き声に、公園の傍を通りかかる人は、皆耳を手で塞いだり、顔を顰めたりしていた。

 全ての人へと、平等に降りかかる容赦の無い光。

 公園に居る人たちは、ハンカチや、シャツの袖等で、汗を拭う。

 想像するに、今の季節は夏だと言える。

 雑草と石が散りばめられた広場。

 そこで子供たちが声を張り上げ、草野球に興じている。

 体の大きさや、顔つきからして、せいぜい小学校低学年ぐらいだろう。

 流れる汗や、襲い掛かる紫外線なんて物ともせずに、ただただ白い球を追いかけている。

 しっかりしろよ、なんて声が外野、内野問わず上がっていた。

 子供の人数は、そう多くない。

 野球本来の九対九でなく、その半分ぐらい、と言ったところか。

 守備側は、ピッチャー、ファースト、サード、外野が二人。

 キャッチャーは、順番が回ってこない攻撃側の子供がやっていた。

 適当に、決めてもいないサインらしき手真似をして笑っている。

 外野の二人は、どうせここまで飛んでこないだろうと、高をくくってでもいるのか、センターに固まって次のバッターに対して野次を飛ばしていた。

 攻撃側の子供たちは六人、守備側より一人多い。

 赤い帽子を被り、白いTシャツを着た、バッターボックスに入っている男の子。

 他の子供たちより、一回りは体が小さく、どこか頼りない印象を受ける。

 金属バットを何度も握りなおしていた。緊張して、手汗でもかいているのだろう。

 その小さな子の斜め後ろ。大きな体の男の子が、歪な形の円の中――恐らく、ネクストバッターズサークル――で、片膝を立て、バッターボックスで構える打者に声を掛けていた。

「ビビッてんじゃねぇぞ! しっかりバット振れよ!」

 体に負けず、大きな声だった。

 公園内の、誰よりも大きく、誰よりも響く声。

 バッターボックスの少年は、声の主に振り向いて、歯を見せて笑ってからピッチャーを見据える。

 まるで返事の代わりをするかのように、帽子を深く被りなおした。

 塁上には子供が二人。

 一塁、三塁、本塁と、塁は三つしかない。

 どうやら三角ベースだったらしい。つまり、満塁だ。

 アウトカウントが幾つかは分からないが、満塁。

 絶体絶命。そんな状況ながら、子供たちが、砂を盛り上げて作った手製のマウンド上、そこに陣取る背の高いピッチャーは不敵に笑う。

 打てるものなら打ってみろ。

 やけに高く足を上げ、ピッチャーの男の子が白球を放った。

 中々に速い。

 キャッチャーミットにパン、と乾いた音が響く。

 ピッチャーの気分を良くさせてくれる、魔法の音だ。

 それに遅れて、バットが空を切る音。

 味方から溜息。落胆の声。

「ワンストライクー」

 と、間延びしたキャッチャーの声。

 ピッチャーは小さくガッツポーズを作ると、キャッチャーからボールを受け取る。

 バッターは肩を少し落とし、足場を慣らした。

 夏場の、真昼の太陽は体力をじりじりと奪う。

 流れる汗もそのままに、バッターはピッチャーを睨んだ。

 その視線を軽くいなす様に、ピッチャーがまた足を上げた。

 グッと、バットを握る手に力が篭る。

 かっ飛ばしてやる。

 そう思った男の子の目に飛び込む速球。

 一球目よりも速いストレート。

 うおっ、とベンチからどよめきが起こった。

 さっきよりも高く、乾いた音を響かせ、ボールがミットに収まる。

 今度は一瞬遅れてからスイングの音。

 スイングの速度も中々の物だが、当たらなければ何の意味もない。

 頼れるようでいて、頼れない。何とも空しい音だった。

「ツーストライクねー」

 と、気落ちするバッターに軽くキャッチャーが声を掛ける。

 攻撃側の子供たちが座るベンチが、何ともいえない悲壮感に包まれだす。

 たかが(・・・)子供の遊び。

 たかが(・・・)子供同士の草野球。

 ……たかが。

 だが、彼らにとって、それは世界だ。全てだ。

 テレビの中のプロ野球選手。

 憧れ、尊敬し、畏怖の対象。

 父親と一緒にナイター中継を見ながら思う。

 俺たちもああなりたい。

 プロではない、大人でもない、金も何もそこにはない。

 そこには夢だけがある。

 打って、走って、投げて、守って、声を出して。

 打てばヒーロー、勝てばヒーロー。

 狭い箱庭の小さな出来事。

 だが、彼らにとっては、大きな出来事なのだ。

 勝ちたい。勝ちたい。

 でも、バッターは駄目だ。ピッチャーのほうがやっぱり強い。

 バッターボックスに、子供の、汗以外の雫が落ちた。

 その子は泣いていた。

 ――ああ、俺じゃ駄目なんだ。打てないし、期待も応援もされてないんだ。

「いいぞー! 次は当たる当たる!」

 ハッと、泣いている少年が顔を上げる。

 一番良く通る声。

 その声の持ち主がバッターを励ます。

 その声につられるように、ベンチのチームメイトも声を張り上げる。

 行けるぞ、打て、やっちまえ。

 男の子が、うん、と高く声を上げ、手を上げ、袖で涙を拭う。

 さっきまでの悲壮感は何処へやら。

 バッターの、みんなの笑顔が公園に戻った。

 これだから子供なんだ、と。馬鹿にされるかもしれない。

 そんな、ワンシーン。

 まだ男の子の視界は滲んでいた。

 それでも、負けるものかとピッチャーをその無垢な瞳に捉える。

 マウンド上の男の子は、その様子を見て、面白く無さそうに唾を吐いた。

 グローブの中の白球を、しっかりと握りなおす。

 ――俺が、

 バットを短く持ち、ボールを待つ。

 やがて、ピッチャーが足を上げた。

 高く、さっきより高く。

 ツーストライク、ノーボール。

 だが、ピッチャーを務める男の子は逃げる気など毛頭無かった。

 こんな奴に打たれてたまるか。

 バッターの男の子は、ボールだろうが、ストライクだろうが関係無かった。

 投げられたボールを、渾身の力を以ってして打ち返すだけ。

 つまり、ラスト一球。

 ピッチャーは、今までで一番の、最高のストレートで勝負するつもりなのだろう。

 それならば、バッターは、今までで一番の、最高のスイングで勝負するだけなのだろう。

「ハジメェ! ホームランだ!」

「かっ飛ばせ!」

「勝とうぜ!」

 一球目よりも、二球目よりも速い球。

 それが、キャッチャーミットを目掛けて奔る。

 バッターボックスの男の子が、応援に背中を押される様にして足を踏み出す。

 腰を回し、スイング。

 応援の声に掻き消されまいと、負けないように高い音が響く。

 金属バットがボールを捉えていた。

 バットから伝わる重たい感触。

 小さい体を目一杯使って、負けないように力を振り絞る。

 真っ直ぐな打球が外野に飛んだ。

 ベンチからは歓声。

 ピッチャーは溜息。

 バッターは叫んだ。

 叫んで、喜びを体全体で表現するかのように、大きく飛び跳ね、塁を回る。

 打球の行方を今までサボっていた外野が追うが、それも無駄な徒労に終わるだろう。

 公園の一番端。

 低い並木が連ねる公園のフェンスの、更に向こうを恨めしそうに眺めた。

 一方。

 生還したランナーと、ベンチの仲間達がヒーローをホームベースで待ちわびる。

 未だ響き渡る歓声に応えるように、大きく英雄が手を掲げた。

 三塁を踏み、ホームベースへと急ぐ。

 そして、ホームイン。

 仲間に揉みくちゃにされながら、ヒーローは最後にもう一度、大きく声を上げた。



 それは白昼夢。

 誰かの、何処かの、いつかの記憶。

 英雄が声を上げたところで、眠りから無理矢理覚まされた様に、そこでその映像は途切れた。

 誰が、何処で、いつ見ていた映像だったのだろうか。

 だが、それは夢だ。

 だから、気にする事はない。

 



「一、もう一度言ってみろ」

「俺は勤務外になります」

 はっきりと、一が店長に対してそう言い切った。

 一の視線は、店長から頑として動かない。相手の瞳の、その奥を見つめる。

 何も言わずに、店長が一の頬を平手で打った。

 声を上げずに、一が店長の顔をひたすらに見た。

 お互い、黙ったまま。

「時間が無いのだけれど?」

 梟が声を掛けるが、両者は動かない。

 やがて、舌打ちの後、店長が先に折れた。

「……一。確かに、な、このままじゃ糸原が危険なのは認める。応援もやはり期待できない。でもな、助けに行く為に、お前が勤務外になったとして、本当に救えると思ってるのか? お前はまだ一度もソレと戦った事が無いんだ、いきなり映画のヒーローみたく戦える訳無い、分かるだろう?」

 一は黙ったまま。

「その前に、コイツが言っている事も百パーセント信じ切れるのか? 信じて、力を貰って、勤務外になれたとしても、お前は何かしらのリスクを背負わされるんだ。ソレと対等になるってのはそういう事なんだ。寿命が削られたり、体の一部を持ってかれたり。嫌だろ? お前もそんなのはさ」

 梟が喉の奥で笑う。

「私はそんな野蛮な代償要求しないわ」

 店長が目だけで、黙れ、と合図を送った。

「頼む。勤務外になんてなるな、危ない目にも遭うな。お前はずっと一般でいてくれ……」

 懇願にも似た、そんな口調で店長が続けた。

「じゃあ、誰があの人を助けるんですか?」

 自ら閉じていた口を重そうに開けて、一が淡々と語る。

 その言葉は、感情を込めず、と言うか、今にもあふれ出てきそうな物を、何とか押さえている、そんな印象を受けた。

 初めて見る一の表情。一を見て、店長が迷った。

 言うべきか、否か。

 何処を見ているか分からない一と、店長は視線を中々合わすことが出来ない。 

 ――何で。

「諦めてくれ」

 やっとの事で一と目を合わせ、店長はそれだけ口にした。

 それだけしか口に出来なかった。

 一はその言葉に、驚きも、怒りも、悲しみもしないように見える。

 ――何でそんな顔が出来るんだ?

 一はぼんやりと、前を見ていた。

 そして、徐に手を伸ばす。

 伸ばした先は、白い鳥。

 縋る様に、指を惑わせ、梟に声を掛けた。

「力を下さい」

 震える声で。

 震える指で。

 「安心なさい。私は目玉を寄越しなさい、なんて言わないから」

 震える体で。

 震える心で。

「さ、もっと近づいて」

 一が梟の元へ、一歩足を踏み出すと、店内が閃光弾でも投げ込まれたかのように、真っ白な光の中に包まれた。



 何も無い。

 真っ白な光以外何も無い。

 そんな空間で、一は目を瞑っていた。

 ここはどこ?

 なんて考えも思いつかない。

 一の頭の中で、重く、鋭く、喧しく耳鳴りが響いている。

 耳の穴を指で塞いでも、一向に音は消えなかった。

 何回か唾を飲み、やっと、音が消えていく。

 次に一は、目を開けた。

 真っ白。

 真っ白な空間。

 落ち着いてきた頭の中、ここはどこだ、とやっと思う。

「店長?」

 声を掛けるも、店長からの返事は無かった。

 それどころか、先程まで店にかかっていた有線のBGMも、何も聞こえない。

 ――おかしくなっちまったのか?

 最悪だ、そう思った矢先、一が今いる真っ白な空間よりも、更に白さを増した光が目の前に現れた。

 輝きの中、何かが姿を形作っていく。

 だが、一の目ではそれを見る事が出来なかった。

 太陽を、眼鏡でも掛けて直接見せられているような、厳しい眩しさ。

 一はまた目を瞑るも、閉じられた瞼の中の眼球に、光が焼き付いて離れない。

「勇ましき者よ」

 何処からか、声が聞こえた。

 一の耳はその声を捕らえていたが、気のせいだと、一は再び回らなくなった頭をして、そう思う。

 もう一度、同じ声が聞こえた。

「誰?」

 目を瞑りながら、一が答える。

 少しの間があってから、

「アテナ」

 と、一の頭の中に直接聞こえてきた。

 優しい声だな、少なくとも一はそう思った。

 その声に安心し、一はゆっくりと目を開ける。

 ――誰? アテナ?

 西洋の兜、胸当てを身に纏った姿。

 兜から、長く垂れ流したブロンド。

 手には、一本の槍が握られていた。

 反対側の手には、醜いレリーフが施された盾。

 優しかった声と一致しない姿に、一は戸惑う。

 戸惑いながら、声を掛けてきた人物の顔を見る。

 だが、後光ともいえるものに遮られ、確認できなかった。

 眩しくて、一が視線を下げると、アテナと名乗った人物はサンダルを履いている。

 ――何で?

 重々しく武装した上半身に比べると、一はそれがアンバランスに感じた。

「……安心なさい」

 輝きを放っていた光が、それを徐々に失っていく。

 やっと、一はそのアテナの顔を見ることが出来た。

 整った顔立ち。

 目鼻は筋が通っており、透き通る蒼をその瞳に宿していた。

 きれいな人だな、と一は思う。

 付け加えて、我ながら陳腐な表現だとも思った。

「えっと、俺はどうなるんですか?」

 無表情を保っていたアテナの顔が小さく崩れる。

 小さく、笑っていた。

「大丈夫よ」

 何が、そう言おうとした一より先に、

「目玉を寄越しなさいなんて言わないから」

 そう、女神が言った。

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