ゲイレルルは槍を持つ
「神野君を?」
「ああ、注意しろよ」
話があるからとバックルームに残された一とナナは揃って首を傾げた。店長は紫煙を吐き出しながら、監視カメラの映像モニターを指で叩く。そこにはモップをかける神野が映っていた。
「注意って、何を注意すれば良いんですか?」
「神野の精神状態は芳しくない。危ういと言っても良いだろうな」
誰もいないと分かっているのに、一は振り返って周囲の様子を確認する。
「昨日の、立花さんの件があってからですか。……やっぱ、きちんと言った方が良いですかね」
「立花の事は何とも思っていない。だから安心して彼女を好きでいろ。とでも言うつもりか?」
「……いや、そんな言い方は」
「やめておけ。お前が何を言ってもあいつにはそうとしか聞こえん」
中途半端に弁解したところで神野のプライドを傷つけるかもしれない。あるいは立花を。ならばと一は思い直す。自分がしっかりとさえしていれば問題なく、何も起こらない、誰も怒らない話なのだ。
「あの、マスター。私には何の事か分からないのですが。知っておいた方が良いのでしょうか?」
「ううん、大丈夫」ナナを巻き込む必要はない。そう思って一は首を振る。
「深刻に悩む問題でもないしな。しかし、勤務外として出すにはどうだろうな」
「何だか、最近は連日出てきますもんね、ソレ」
今はこうして話せているが、ふと我に返れば今までの出来事が恐ろしく現実離れしていて、自分の命があまりにも安く思えて、一は自身の神経が、何かが麻痺していくのを感じていた。
「その点については私も憂慮しておりました。私たちがたった一人の、いえ、たった一つの暴力によって壊滅させられたあの日からずっと。私たちには圧倒的に力が足りないのです」
「そんな事言ったってさ、漫画じゃないんだから簡単にはパワーアップなんか出来ないだろ。手持ちでやり繰りするしかないんじゃないのか」
「ご安心ください。実は、以前から技術部の方々に頼んでいたものがあるのです」
店長は興味深そうに目を細める。
「ほう、ナナ、それはお前の判断か?」
「いいえ。発端は神野さんです。彼に頼まれたのです。力が、武器が欲しいと」
「武器、か」
一は腕を組み、ロッカーを、ロッカーの中にある筈のモノを見据えた。
「まあ、今更トレーニングやったところで効果があるもんじゃないだろうし。うん、新しい武器の方が確実だよな」
「タロスのせいで滞っていましたが、神野さんの武器は間もなく完成するそうです」
「ちなみに、神野君が頼んだのはどんな武器なんだ?」
「申し訳ありません。ナナも詳しくは……。しかし、神野さんに相応しいものだとは伺っています」
「ようやく、勤務外らしくなってきたと言うところか」
椅子に座ったまま、店長は落ち着かなさそうに、楽しそうにその場でくるくると回る。煙が揺れてそこら中に四散して、一は顔をしかめた。
「ようやくって、どういう事ですか?」
「足りていないと言ったな。間違いなく確かだ。が、神野には圧倒的に、確実に不足していたものがあった。一、お前らにあって奴にはなかったものだよ」
少しだけ考え、一は口を開く。
「経験ですか?」
「覚悟だよ。神野の得物は竹刀だったな? アレで何かを殺せるか? 骨の剣士を砕くので精一杯だろうよ。とてもじゃないが私には無理だ。ソレに対処するのに、あんなものではな」
好き好んでソレと戦い、ソレを殺す必要はない。だが、相手は何も気にしないのだ。ただ、あるがままに襲い、殺す。
「竹刀じゃソレは殺せない。だと言うのに竹刀を握るのは、相手に殺されたくないからだ。戦いに臨む際、武器の一つで気持ちも変わる。握ったものが命を奪うに適していればいるほど、重たいものを背負う事になる。時にはそいつが足を止め、動きを鈍らせて邪魔に感じるだろうが、必ず力になるんだよ。軽い気持ちで行くよりも、絶対に良い」
「かと言って、俺に覚悟があるとは断言出来ないですけどね」
「は、あるさ。あるだろう?」
否定も肯定もしない。一は頭に手を遣り、誤魔化すように笑顔を作った。
「危ういが、良い傾向かもしれないな。神野をフォロー出来る部分は出来る限りにしていくぞ」
一たちは頷き、それではと手を上げてバックルームを抜ける。
何も言わず隣を歩くナナを確認して、一は溜め息を吐いた。
「あのさ、まさか、また俺の家に来るつもりなの?」
「はい? ええ、そのつもりですが。お布団、取り込まないといけませんし。マスターの部屋には清掃の余地も残されています」
家事をやってくれるのは助かるのだが、こんな関係がずるずると続くのはごめんである。一はどうやって断ろうかと頭を悩ませた。
「……ん?」
ふと、視界の端に見知った顔が飛び込んでくる。しかし、その人物は彼の視線から逃れるようにして、その場を足早に立ち去っていった。
「どうしたのですかマスター」
「南駒台の勤務外がいた」
ナナも一の視線を追うが、そこには誰もいない。
「名前は忘れたけど、ヒルデさんと一緒にいる人たちだったよ」
一が見たのはシューとルル。南駒台店の戦乙女と呼ばれる勤務外である。彼も何度か見、話もした事があったので間違いはない筈だった。
「ソレが出たとは聞いていませんね。オープンもしていませんし、単にこの辺りを徘徊していただけなのでは?」
「徘徊って……。まあ、かもしんないな」
ただ、朝に出会ったシルトの事が気になった。彼女らがこの辺りにいたのは単なる偶然なのだろうか。一はぼんやりと立ち尽くし、眼前を通り過ぎようとする自転車にベルを鳴らされて、飛び上がるほどに驚いた。
「マスター? あの、お体が優れないのでしたら……」
「あ、ああ、いやいや大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
「南の人たちですが、今思い返せば、ナナはあまり好きではないのです」
「え? そうなの?」
ナナは頷き、ベルを鳴らした自転車をぼうっとした表情で見つめる。
「好印象を抱く方が難しいと思います」
そう言えばと一は小さく唸った。ヒルデたちと親しい彼ならともかく、ナナと南駒台店勤務外との接点、関係はセイレーンの際に出会った者たちなのである。野獣と呼ばれた、あの男たちだけ。
「話してみると分かるけど、案外良い人たちだよ。ナナが出会ったのは、ほら、ちょっと特殊なケースって言うか」
「それが、嫌なのです」
「は?」
「ナナのマスターは気が多いようで困ります」
ふいと顔を逸らすと、ナナは一を置き去りにして歩き始めた。彼は、彼女が怒っている理由が分からなくて、不思議そうに眉根を寄せる。
自宅に戻り、ナナが家事に取り掛かる。一はその間こたつに入ってテレビ番組をぼうっと眺め続けていた。部屋中を忙しそうに歩き回る彼女の足音を聞き、眠る。目が覚めれば夕食が準備されており、ナナは静かに微笑んで一の反応を楽しむのだった。
ナナは飲食出来ないが、共に食卓を囲むだけで幸せなのかもしれないと、一はそう思う。彼女が技術部に帰った後、音がなくなり、誰もいなくなった部屋を彼は物足りなく思った。
大学の図書館から借りてきたファンタジー小説を読み耽っていると、電話の音で現実の世界に引き戻される。一は栞の代わりにデリバリーピザのちらしを挟んで受話器を取った。時計に目を遣れば、いつの間にか午後十時を回っている。ナナが帰ってから、二時間以上も本特有の世界に浸っていたらしい。
「もしもし」と問えば、『私だ』の声が返ってくる。相手は店長だった。
『今から来れるか?』
「何かあったんですか?」
『ソレが出たらしい。確定はしていないが、確実にな。立花たちが待機しているが、高校生を出す訳にはいかないだろう』
一は改めて時計を見た。
「ですね。分かりました、そっちに行きます。二十分は見ておいてもらえますか?」
『駄目だ。来るならもう少し早く来い。様子見だけになるだろうが、用心に越した事はないぞ』
「……良いところだったんですよ。王子さまがお姫さまを助けに行くって場面で」
『帰ってから読め。ナナもこっちに来る手筈だ。二人で様子見、簡単なお仕事だろう』
「はあ、分かりましたよ」
電話口からはまだ何か聞こえていたが、一は受話器を置いて黙殺する。彼は立ち上がると、コートを羽織って気だるげな体に鞭を打った。
店の前には立花と神野がいた。一を待っていたのだろう、彼を見つけた二人は大きく手を振る。一も手を振って答えて彼らに駆け寄った。
「ソレが出たって聞いたけど」
「百パーセントそうだとは言い切れないらしいっすよ。店長が難しい顔してました」
店長が難しい顔をしているのはいつもの事だと、一は内心で笑った。
「はじめ君、ごめんね。本当ならボクたちが行かなきゃならないのに」
「ルールには逆らえないよ。二人は気にしないで、ほら、家に帰った方が良い」
「ううん、待つよ」
立花は目の端に涙を浮かべている。何を悲しむ必要が、涙を流す理由があるのだろう。一はゆっくりと首を横に振り、彼女の申し出を拒否した。
「心配ないよ、様子見で終わりそうだし、ナナもいる。……神野君」
声を掛けられた神野は視線だけを一に寄越す。
「立花さんを送ってあげて。それから、気を付けてね」
「……分かりました」
気を付けて。一が伝えたかった、本当の意味に気付く筈はない。
神野は頷き、立花を促す。彼女は暫らくの間は渋り、その場を離れようとしなかったが、一が店内に入った事で諦めがついたらしかった。
少しだけ、本当に少しだけ罪悪感が芽生える。一の胸が針を刺したように痛んだが、所詮、その程度の痛みだった。
バックルームに入ると、店長とナナが何か話し込んでいるのが見える。一はわざと大きな足音を立てた。
「ああ、遅かったじゃないか」
「これでも飛ばしてきたんですけどね」
「可哀相に。立花たちが待っていてくれたろう? 先に帰れと言ったんだが聞く耳を持たなくてな。せめて中で待てとも言ったんだが、困ったものだな」
正確に言えば、ぐずる立花に神野が付き合ったという形だろう。一は彼に申し訳ないと思った。
「ソレはどこに出たんですか?」
「あー……」店長は困ったように頭へと手を遣る。火の点いていない煙草を銜えながら、彼女はあらぬ方角へ目を向けた。
「分からん」
「分からない? 移動でもしてるんですか?」
「分からん。いや、私をそんな目で見るな。実は、情報部からの連絡じゃない。一般からのタレコミなんだ」
刹那、一の脳裏を過ったのはマナナンガルと呼ばれた魔女と遭った日の事である。彼はナナに視線を遣ると、唾を飲み下す。
「若い女の声だったが、要領の悪い話し方でな。とにかくソレが出たから何とかしろとの一点張り。場所は? どんな奴だ? 被害は? 何を聞いても、良いから勤務外を出せ、と」
「はあ」
「ムカつくから切ってやった」
「はあっ?」
「まあ、無視する訳にもいかんだろう。最近のペースを考えれば、ソレが出ても何ら不自然ではない」
煙草に火を点けると、店長は不味そうに煙を吐き出した。
「現場が分からんので堀を……車を呼んでおいた。その辺を適当に走って、異常がなければそのまま帰っても構わん」
「へえ、店長にしては気が利いてますね」
「何ならお前だけ徒歩でも良いんだぞ」
「でしたら、私もマスターにお供します。夜のお散歩なんて心が踊りますね。ね、マスター」
「堀の来る意味がなくなるだろうが。良いから無駄口叩かずきっちり仕事しろ。……全く、ナナまでこんなになるとは……」
聞こえていたが、一は聞こえない振りをした。
車に乗り込んですぐ、堀は神野についての話を切り出した。助手席に座る一は彼の横顔を見るも、その感情は読み取れない。
「少し、心配ですね」
「神野さん、ですか? しかし、こと戦闘面に関してはマスターよりも問題ないと思われますが」
「ええ、技術部からある程度の話は聞いていますよ。尤も、彼らは秘密主義が過ぎるきらいはあるので、何とも掴みがたい印象を受けましたが」
「秘密兵器というのは全人類のロマンだと伺っていますから。安心してください、技術部は仕事に手を抜きません。完全に、完璧に、完膚なきまでに、神野さんに相応しい、素晴らしいウェポンを授けてくれるでしょう」
その完璧な仕事のせいで酷い目に遭った一だが、溜め息を吐くだけで何も言わなかった。
「いえ、武器が良いに越した事はありませんが、武器は武器。使い手が十全でなければ意味はありません。私が言っているのは、神野君の精神面についてですよ」
「店長も同じ事を言ってましたよ。つまり、堀さんは何を心配してるんですか?」
「いやあ、神野君は立花さんが好きなんですよね。甘酸っぱい、羨ましい話です」
一は、和やかな口調で相好を崩す堀に面食らう。
「ですが、立花さんは一君を気にしている素振りがある。一君がどう思っているかはいざ知らず、ですけどね」
「俺は……」
「そんな事ないですよね、マスター」
ナナが出したのは助け舟か、果たして新たな大波か。一は決めかねて沈黙を貫いた。
「恋愛と言うのは障害が多ければ多いほど燃え上がるものですよ」
「あはは……はあ。障害ってのは、俺ですか」
「いやあ、まあ、良いんじゃないですかね。私は見ていて楽しいですし」
身も蓋もない言い方に一の心はちくりと痛む。
「神野君は負けん気が強そうですしね。だから、心配なんですよ」
「えっと、どういう事ですか?」
「いやあ、一君も男なら分かってくれると思いますが、男なんてのは古今東西、好きな人の前では格好付けたい生き物なんですよ。リレーで早く走りたい。テストで一番を取りたい。そして」
「そして、ソレを倒したい。ですか」
堀の後はナナが続ける。彼は頷き、彼女は退屈そうに目を瞑った。
「私には、まだ分からない感情ではありますね」
「では、あなたが一君に尽くす理由とはなんでしょうか?」
「マスター、だからです。他意はありません」
「はっは、いやあ、そうでしたか。ま、何にせよ神野君は立花さんに良いところを見せたいと思っていても不思議ではありません。ソレ相手に先走ってしまうかもしれませんから、私たちでフォローしていきましょう。何せ、まだ十七の高校生ですからね」
一は頷かなかった。勿論、神野をフォローする意味では全面的に同意している。彼が頷かなかったのは、堀の何気ない言葉だ。
まだ、十七。
果たして、本当にそうなのだろうか。十七歳にもなれば充分に誰かに恋し、愛せる。
「……マスター?」
充分に、誰かを憎める。
混ざり合う。
真実と虚構が入り乱れ、船乗りが、吟遊詩人が好き勝手に話を紡いだ。士気を高める為に、愛を求める為に。それぞれに。
ああ、英雄よ剣を取れ。
財宝を守る悪竜を切れ。
竜の血を浴びて不死身に、竜の心臓を喰らえば鳥の声を耳にする。
英雄よ裏切り者を切れ。
さあ、旅立て英雄よ。
ヒンダルフィヨルの山の上、炎に包まれた館の中で、盾の垣を越えていけ。
眠り姫が夢から覚めれば、ああ、ああ、めでたしめでたし。
めでたし、めでたし。
「マスター、どうしますか?」
「ん」
暖かい車内と心地良い揺れ。一は助手席で身動ぎし、ゆっくりと目を開けた。どうやら眠ってしまっていたらしい事に気付くと、彼は頭を振って眠気を追い払おうとする。
「いやあ、もう日を跨いじゃいましたからね。眠くなるのも仕方のない話でしょう」
「あ、すみません。何かありましたか?」
「何もありませんでした。ですからマスターの指示を仰ごうと判断したのです」
「……俺じゃなくて、堀さんに聞けば」
言い掛けて、一は様子見すらこなせていない、情けない自分を認識した。
「一君、店長は何と?」
「特に、何もなければ帰って良いって言ってました」
「そうでしたか。では、一度店に戻っても? 少し待っていただければ、その後、お二人を家までお送りしますよ」
異存はない。一は頷き、肯定の意を伝えた。
勤務外たちを乗せたワゴンは駒台の中心部を抜けていく。流れていく風景を見つめながら、一はあくびを噛み殺した。
また、睡魔が一を犯していく。抗おうとも思わない、緩やかな侵略が心地よい。
「すみませんっ」
聞き返す間もなく急ブレーキが掛かり、一の体が前のめりになる。フロントガラスが間近に迫り背筋が凍った。路面を削るけたたましい騒音と突然の振動が、彼から眠気を遠ざけて、奪う。
「……ほ、堀さん?」
堀はハンドルを強く握り締めて前方を見据えつけていた。彼に倣い、一もそちらに視線を送る。
「マスター、アイギスを」
二車線の道路の真ん中に、何かが二つ立っていた。ヘッドライトが眩しいのか、彼らは顔を手で覆い隠している。
「……ソレ、なのか?」
大柄な男と線の細い女。一には、ただの人間にしか見えない。
形だけならば。
ブロンドヘアを逆立たせた男の格好は異質であった。西洋の騎士が装備するような、無骨な甲冑を着込み、自身の身長ほどもある大剣を苦にした様子もなく肩に担いでいる。
「ソレでなければ仮装パーティの参列者でしょうか。その可能性は限りなく低そうですけれど」
細身の女も、男に負けず劣らずの格好だった。肌の所々が見えた薄手の鎧に――――。
「――――鎌ですか。戦闘には向かないように思われますが」
ナナは言葉を区切る。女が持つ規格外の鎌は、まるで死神のそれだ。見る者の不安感を煽り、見るだけで不吉だと思わせる。
「いやあ、威圧感が半端ないですね。……さて、どうしましょうか」
言いつつ、堀の顔からはいつもの笑みが消えていた。好戦的に口角をつり上げている。
ナナも、いつ飛び出しても構わないと言った具合に二人組の男女をじっと見つめている。
一だけが、まだ事態を把握しきれないでいた。把握、したくなかったのである。
「堀さん、バックオーライってのはどうですかね」
「そうしたいのは山々ですが、見てください。誰か倒れています」
男の足元に何かが転がっていた。それはぴくりとも動かないままだったが、彼らの足元を染める鮮血が事態の剣呑さを物語っている。
「ここからでは分かりませんが、まだ助かる可能性は残されています」
「ですね。ナナさん、先陣を切っていただけますか。私もすぐに続きます」
「マスターはナナの後ろに」
運転席、後部座席のドアが同時に開く。ナナは低く地を駆け女に狙いを定めた。
堀は後部座席の後ろ、物置になったスペースから短い槍を持ち出している。一は動いていなかった。アイギスだけは握っていたが、シートベルトを外そうとはしない。
「一君っ」
呼び掛けられて、一の肩が震えた。彼はようやくになってシートベルトを外して、助手席のドアを開ける。
「その方から離れてくださいっ」
一足先に女へと肉薄していたナナが拳を繰り出した。が、単調な正拳は横から割って入った男の大剣によって阻まれる。高鳴る金属音に、彼は不思議そうに目を細めた。
「…………その子は人間じゃない」
「そうか」
短く答えると、男は上段から大剣を振り下ろす。ナナは右に避け、大剣はコンクリートを抉った。
迫る堀に気付いた女が大きく後退し、男が彼女を庇いながら後退りしていく。
「一君、怪我人を」
一はアイギスを広げて、血溜りの中に足を踏み入れた。負傷しているのは女性で、腹部からは未だ血が流れている。だが、生きている。苦しそうに喘ぎ、その度に胸が上下に揺れていた。彼女は虚空に手を伸ばしている。助けを求めているのか。それとも――――。
まだ生きているが、この傷では長くない。恐らく、あの大剣に貫かれたのだろう。医者に診せなければならない。
「……ぁ、あぁ……」
「喋らないでください。傷が、あ……」
「…………ひ、る……さん」
愕然とした。何故、気付かなかったのだろう。すぐそこで死にかけているのは、一の知る人物だった。南駒台店の勤務外、戦乙女の一人、ルルと呼ばれていた女性である。彼女は虚ろな目で一を見上げた。
「……っ、堀さん医者だ! 病院に連れていかなきゃ!」
負傷したルルを一目見た堀にだってそれくらいは分かっている。しかし、正体不明のソレを見逃す訳にもいかない。更に言えば、勤務外に怪我を負わせるほどの力量を持つ者が簡単に逃がしてくれるとも思わない。車を動かせるのは自分だけだが、一たちにこの場を任せるのは難しいだろうとも判断している。
「ナナが食い止めます。マスターには指一本だって触れさせません」
「……一君、車に私の携帯があります。店長に連絡を」
「間に合いませんよ!?」
堀は歯を食い縛る。それも分かっていた。しかし、南駒台の人間と一たちを秤に掛ければ答えは一つ。彼女には悪いが、目の前の敵を退かせるまではどうにも出来ない。
大剣が横に薙がれる。重量のある武器だというのに、男はそれを軽々と振るい続けていた。堀が持つ短槍では限界が来る。
「私が男の相手をっ」
迫った大剣を、ナナが力ずくで弾き返した。彼女は大きく腕を振り、袖からブレードを伸ばす。
「お願いします」
男の脇を擦り抜けて、堀が槍を突き出した。その先端を女は苦もなく避ける。彼女は雑に鎌を振るって距離を離した。消極的な女の姿勢に堀は訝しむが、考える余地はない。
「おおおっ!」
獣を思わせる、獣すら震わせるであろう男の叫びは空気を切り裂いた。ナナは動じず、大剣を右手で防ぎ、鎧の隙間を狙ってブレードを突き出す。が、彼は剣から片手を離し、その腕、ガントレットで攻撃を防いだ。
しかし均衡は崩れる。ナナが力で男を押していた。
「やるじゃないか」
「……何を」
男の体が深く沈み込む。優勢だったにも関わらず、ナナは咄嗟に下がった。だから、難を逃れた。無理な体勢からとはいえ、男の大剣が空を切り上げている。刃風が彼女の髪を僅かに揺らしていた。
「…………シグルズ」
女の呼び掛けに答えると、男はナナたちに背中を向けて走りだす。女も彼に続き、脱兎のごとくこの場からの逃走を図った。
追い掛けようとしたナナを堀が制止する。何故、今になって彼らが逃げ出したのかが分かったからだ。
「……アレは、南の」
「ひとまずは助かりましたか」
負傷したルルに駆け寄るのは、彼女と同じく南駒台店の勤務外、シルトとシューである。彼女らは一を押し退けて、悲痛な声で仲間の名を呼び続けていた。
助かったのは確かだが、あまりにもタイミングが良過ぎる。何か裏があるのだ。
「後に回しますか」
考えるのはルルを病院に連れていってからだ。堀は駆け出し、一に指示を飛ばす。シルトたちがルルを後部座席へと慎重に運んでいたのを確認し、運転席に滑り込む。
「誰か付き添いをお願いします」
「……私が行こう」
シューが助手席に乗り込み、残った一たちに視線を遣った。
「後のことはお任せください」
「お任せします」
ウインドウが閉まると車はすぐに発進した。一はまだ、血溜りの上に立ち続けていた。