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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
サンダーバード
183/328

恋山彦



 突っ込んだ首、元の位置に収まると考えてはいないでしょうね。そう問われているような気がして、一は真一文字に口元を結んだ。

 すぐそこに立花はいる。おそらくは隻腕の剣士と刃を交えているのだろう。終わった建物の中で息絶えるには早い命で、そうさせてはならないのだと一は決意した。

「……言わば、物差しなんでしょう」

 慎重に言葉を選んだつもりだが、語気までは誤魔化せない。いつの間にか、一は新に対する敵意を強めていた。

「あなたの目的は『立花』を甦らせる事で間違いない」

「まだ、死んではいませんけれどね」

 横槍を入れられたが、一は話を続ける。

「だけど、過程が違う。立花さんを利用するのは違いないけど、あなたは、自分に相応しい者を探していたんだ」

「と、言いますと?」

「あなたは自分の婿を探していたんでしょう。立花さんではなく、自分が『立花』であり続ける為に」

 新はくすくすと笑い、否定も、肯定もしなかった。

「強者を探していると言いましたね。……あなたにとっての基準を教えてくださいよ。どうあれば強いのか、どうすれば強いと分かるのか」

「少なくとも、店員さんは基準から大きく外れますわ」

「俺が、弱いからですか?」

 首肯し、新は廃ビルへと視線を移す。

「見れば、ある程度は分かりますわ。人は見た目によるものですから」

「なら、強者を探すのに戦う必要はない筈です」

「いいえ、実際に相対しませんと分からない部分もありますから」

「……本当に、戦わなきゃ分からないものなんですか?」

 一は傘の石突きを柔らかな土の上に突き立てた。柄に体重を掛けて、ぐっと深く。

「第一、一回や二回戦ったぐらいでその人の力が全て把握出来るとは限らないでしょう。爪を隠す方だっているでしょうし、その時体調が万全ではなかったら? 出会い頭の立ち会いでは計れない事もあるでしょう。勝負事はときの運も絡んできますし」

「運を味方に出来ない者に先はありません。何があろうと、どんな状態でいようと切り抜けられる力は必ずあり、それを持つ者もいるのですよ」

「戦わせた結果、立花さんが死んでも。将来の婿になるかもしれない相手が死んでも。あなたは、そう言うんですか」

「死んだ者に『立花』は救えません。最後に残った生者だけが物を言えます。死者は何も成せませんよ?」

 強い意志を宿した瞳が一を射抜く。彼は唾を飲み下して口を開いた。

「……話を少し変えます。『立花』を襲ったのは、そこにいるかもしれないって言う片腕の剣士、なんですか?」

「隠す必要はないですから、そうだと言っておきますわ。ええ、彼こそが、私を斬った……」

「――――そこなんですよね」

「そこ?」

 新は不思議そうに眉根を寄せた。扇子を取り出して、落ち着かなさそうに自身を扇ぎ始める。

「この間話していた時もそうでした。憎い、仇でしょう。何故、そいつを語るあなたは嬉しそうなのか、俺には理解出来なかった」

 頬をつねる新はやはり、嬉しそうに口元を歪めたままだった。

「強い方に敬意を払うのは……」

「払えねえだろ、普通。家族を殺されてるんでしょうが。流石に、そりゃないでしょう」

「価値観を押し付けるのはいかがなものかと思いますが」

 お前が言うな。一は寸前まで出掛かった言葉を押し殺す。

「こんな話をするのはあなたのせいでもあるんです。あなたが、そんな顔を見せなければ、俺はこんな事を考えずに済んだ」

「あらあら、本当、随分と嫌われてしまったわね」

「あなた、母親の顔をしていないんですよ」

「そんなもの、分かるものですか」

「『立花』を襲撃した片腕の剣士をあなたが追っているのは確かでしょう。でも、それは仇を討つ為じゃあない」

 ちりちりと、肌に突き刺すような敵意が一の精神をすり減らしていく。

「そいつをあなたの伴侶として迎え入れる為ではないんですか。考えりゃ、これ以上なくうってつけの逸材ですからね」

「あまり面白い話とは言えませんね。人の神経を逆撫でする事にかけては、店員さんは光るものをお持ちですけど」

「立花さんは言わば擬似餌で、物差し。俺には分からないけど、片腕の剣士をおびき寄せる方法をあなたは知っていた。……いや、分かっていたって感じですかね」

 駒台には魔が降りる。人ならざるモノが徒党を組んで訪れる。類は友を、友は新たな類を呼び、同類は同類とひかれ合う。求道者は強者を求め、強者は戦場を欲してここへ来る。全ては必然なのだ。一はそう思い始めている。

「ただ、邪魔なんだ。『立花』を再起させるにゃ立花さんがいる。あなたは退かなければ駄目な存在で、片腕の剣士に相応しいのはあなたじゃない」

「……だから? だから、私が真を殺すと?」

 口調が変わり、目付きも変わる。切れ長の瞳に見据えられ、一は空気が重くなるのを感じた。

「好きな人を取られるのに心中穏やかな人間はいませんよ。例え、争う相手が実の娘だとしても」

「与太を」

「しかしあなたもれっきとした大人で、『立花』の五代目です。家を潰すような真似はしないだろうし、家を壊滅に追い込んだ男を連れてくるのも難しい。全ては六代目、立花真にかかっている訳ですよ」

「店員さん、あなたは……っ」

 身が竦むが、口だけは動かし続ける。それこそ、突っ込んだ首が落とされようともだ。

「でも、立花さんがいなければ。死んでしまえば。跡取りは? 次代の『立花』は? あなたが、やるしかないんでしょう?」

 わざとらしいほどに嫌らしく、一は口の端をつり上げる。

「全ては憶測、俺の妄想です。ただ、そう思わせる隙があなたにはあった。あなたのやっている事は嘘臭すぎるんですよ」

「覚悟がおありなのですね。『立花』に足を踏み入れた事を後悔するには遅過ぎますわよ」

 頷く。自分の言った事が間違いで構わない。一はただ、首を突っ込むに足る理由が欲しかったのだ。でっちあげでも揚げ足取りでも、自分が、自分だけが納得出来ればそれで良い。

「立花さんに会わせてもらいます」

「……どうぞ、入り口はあちらですわ」

 足を踏み出した瞬間、一の体が宙を舞った。



 課せられた使命を運命と呼ぶのは、おかしな事だろうか。

 立花は階段の踊り場に駆け上がり、着流しの男を迎え撃つ。彼は躊躇せずに間を詰めた。段の中腹にて足を止め、剣を抜く。

 それは光だ。空を滑るように往く燕よりも早く、風すらを切り裂いてしまうほどに鋭い剣閃であった。だが、立花はそれを紙一重で避ける。前に進み、懐に飛び込んだ。

 着流しの男は僅かに眉を潜める。恐怖心に打ち克っているのか、はたまた、欠けているのか。受け太刀をすれば次の手が遅れる。受け太刀をしないで済むと言うのはある種、理想的かもしれない。しかし、異常だ。命を省みない、獣のごとき立ち回りを見せる立花を人間とは思えなかった。

 彼は剣を戻し、段から飛び降りる。追い掛けてきた立花の腰を薙ごうとするも、彼女は体を沈ませてそれを躱した。

「おおぉ――――っ!」

 切り上げた刀は空を裂くに留まる。着流しの男は後方に下がり、鞘に得物を納めて次の機会を見極めようと目を見開いた。

 立花はまた間を詰める。一足飛びで男に追い縋り、刀を上段から振り下ろした。彼はそれを剣で受け、彼女の腕を蹴り上げる。

 鈍い音がしたと思うと、立花の手からは刀が抜けていた。天井に向かっていくそれを瞥見する事もなく、男は彼女の手首を狙って掬い上げるように剣を振るう。立花は両腕を広げて体を後ろに反らせる。二の太刀、頭部に向かって振り下ろされた剣はそのまま寝転がって何とか避ける事に成功した。

 立花の股の間、コンクリートに衝突した剣を見て、男は床ごと彼女の体を切り裂こうと一歩踏み込む。その行動を察知した立花は起き上がりざま、爪先で剣の腹を蹴飛ばした。彼女は空手のままで着流しの男に飛び掛かり、喉を目がけて手刀を放つ。彼は上半身を捻ってそれを回避し、右足で立花の体を押した。きん、と高い音が鳴り、男は顔をしかめる。立花は落ちてきた刀の柄を片手で握り、切っ先を下げた。

 両者はふっと息を吐き出して、地を蹴る。先に仕掛けたのは着流しの男で、彼は立花の脇を擦り抜けざまに剣を払った。さしもの彼女も刀で受け止めて、火花が散る。

 立花は男が振り返るより先に仕掛けていた。体勢を低くして、両手で刀を払う。両の足を狙った一撃は転身した彼に防がれた。が、彼女は刃の向きを変えて刀を逃がす。曲げていた膝を伸ばし、男の右腕を狙って振り上げた。

「くっ」

 男は短く呻き、その攻撃をも受ける。

 伸び切った膝を再び曲げると、立花は男の視界から消えていた。地を這うかのような姿勢で払った刀を、彼は低く跳躍して躱す。瞬間、男の腹部に衝撃が走る。立花が無理な体勢から繰り出した回し蹴りでも、充分にダメージは通っていた。後方へと弾かれた彼は剣を構えて、くるくると足を運ぶ彼女を認める。上方から下ろされた刀を弾き返しても、また新しい斬撃が男を襲った。

 階段まで追いやられ、男は歯噛みする。刀を受け、ありったけの力で立花を押し退けた。前に出ようとした瞬間、顎に彼女の足が横合いからぶつかる。意識の外からの攻撃に、しばし男の思考が散逸した。彼が顔を逸らしたのは本能に急かされての事である。立花の放った突きに反応したからではない。頬に当たった風が男の意識を呼び起こす。彼は頭を下げて、そのすぐ上、何かが通り過ぎていく音を聞いた。

 前方をねめつけると、楽しそうな表情を浮かべた立花が見える。男は苛立ち、大音声で彼女を怒鳴り付けた。立花は耳を塞ぎながら数歩退き、片目を瞑る。

「……びっくりしたあ」

「貴様、何のつもりでござるか」

「何のって、何の?」

「殺意も、敵意もない。少なくとも拙者には向けられていない。死合っているつもりなら、相応の感情をぶつけてもらいたい、で、ござる」

 立花は小首を傾げて着流しの男を見遣る。

「何をぶつければ良いのかな。あなたを、殺したいと。そう思えば?」

「……目的もなく拙者に襲い掛かり、あの者たちとの立ち会いを邪魔したと言うのか」

「僕はただ、母様にそう言われたから。だから、あなたを斬る事に対しては何も思えない」

 男は剣を鞘に戻し、呆れた風に息を吐いた。

「イヌでもなければ、貴様は人形か」

「さあ、分からない。でも、ボクはあなたを斬らなくちゃならない」

「……せめて、焦がれて欲しいものでござる」

「こが……?」

「然り」と、着流しの男は首肯する。

「拙者、サムラァイに焦がれ、強者と死合う事に焦がれる身でござる。どこまで上り詰められるのか、自分の限界をどうしても知りたい。そういった気持ちが、貴様にはないのか?」

 立花は呼吸を整えながら、不思議そうに男を見る。急に回り始めた彼の舌に警戒心を覚えたが、自分に対する純粋な敵意が薄れたのも感じたのだ。

「何かに焦がれた者同士、意志と意志とをぶつかり合わせる事で己の意志を高めていく。生き残れば生き残るほど、また一つ高みにいけると、そうは思わないのでござるか? ……貴様からは、執着を感じない。何故、持たぬ」

 問われても、立花は答えられない。何を言っているのかが分からないのである。それでも、男が何かを自分に分かって欲しくて言葉を掛けているのだとは理解出来た。

「あなたは優しい人だ。……イヌにまで声を掛けてくれるんだから」

 微笑む立花を直視し、着流しの男は目を見開く。

「あなたが求めているものをボクは持ってない。あなたは、ボクと戦う事を求めていない。けど、ボクにはこうするしかない。これしか知らないんだ」

「若い身空で何を悟るか、しのびない。……正直に申せば、貴様ほどの力量を持つ者とはもっと別の形で死合いたかったでござる」

 柄に手を掛け、男は腰を落とす。

「イヌと蔑んだ無礼は詫びよう。貴様は、獣にしてはあまりにも空し過ぎた」

「構わない。ボクが何であろうと」

 刀を上段に構えて、立花は息を吐きだした。

「まだ未熟な身なれど、拙者の剣、存分に堪能すると良い。そして、恋い焦がれて欲しいものだ」

「恋……?」

「然り。強者との死合いは、正しく恋でござる」



「……恋、ですって?」

「ええ、恋です。私はあの方に、あの方の剣に焦がれていますの」

 一は背中の痛みを堪えながら上半身を起こした。

「いけません? こんなおばさんが恋をしては」

「その前に、あなたは母親でしょう。する事が他にあるんじゃないんですか」

「その前に、私も一人の女ですから」

 当たり前のように新は言う。一は立ち上がろうとしたが、痛みに邪魔されて顔をしかめた。

「あの子にも早く分かって欲しいのですけれど。こんなにも素敵な気持ちにさせてくれるのですから」

「何を、ですか」

「何かに焦がれるという感情を、行為を、恋を、ですわ。私がこんなにも手を尽くそうとしているのに、あの子ときたら……」

「手を? 違う、そんなのはきっと、恋なんかじゃない」

「では、何だと?」

 見下ろされて、一は少しだけ悔しくなる。彼は立ち上がったが、新の方が背は高い。

「知りません。けど、第三者が関係してきた時点で、そうじゃなくなる。恋ってのは、一対一、当人たちの問題でなくちゃいけないんですよ」

「そうまで言うのなら、店員さんはよほど素敵な恋をしてきて、今もしているのでしょうね」

 アイギスを握り締めて、一は自嘲気味な笑みを浮かべた。

「残念ですが、俺には許されていない行為でして。ただ、あなたの言っている事は否定出来る」

「出来ませんわ。私はあなたに否定されるいわれ、ありませんもの」

「……立花さんに恋をして欲しいなら、どうして、もっと……」

 言葉に詰まり、一は俯く。立花は言っていた。自分は学校にも行けず、友人と呼べるような者も殆どいなかったと。そんな状況で、どうして恋が出来ようか、どうして、何かに焦がれる事が出来るのか。その状況を作ったのは他でもない、新なのだ。

「あなたが、言いますか」

「……? 何を言いたいのですか」

「あなたは、立花さんの親でしょう。なのに、どうして。どうして……」

 恋、何とも気恥ずかしい言葉で、あまり口にしたくない類のそれが、一の中にぐるぐると踊る。

「打算とか、そんなのを抜きに誰かを好きになるって、幸せな事だと思うんです」

「……そうですね。しかし、人が人を好きになるのは子を成すのを求めているからでしょう。決して逃れられない、いわば、呪いのような本能が訴えているのです」

 新は扇子を開き、ビルを見上げた。

「真も、少しは分かったでしょう。『立花』の名を守る為、強者と共に子を作る幸せというものを」

「幸せを、あなたが語りますか」

「いけませんか? 私はあの子の為を思って……」

「幸せな人間はあんな顔をしませんよ」

 表情の消えた顔を俯かせて、感情を忘れたかのように、ただ頷く。それが幸せと呼べたなら、どんなに幸せな事だろう。

「感情と幸福は別物です。人間とは悲しい時にも笑える生き物なのですから」

「詭弁にもなりゃしないんですよ。人間は幸せだから笑えるんです。笑えないのなら、幸せじゃあない」

 新が立花にしてきた事は、自分では想像もつかないほどに厳しいものだったのだろう。笑顔はいらないと断じて、幸福の在り方を押しつけて、彼女から大切なものを奪い続けたのだろう。しかし、それは彼女たちの問題で、今更になって蒸し返し、掘り返すような真似をする権利など誰にもない。

 彼女らの過去を暴く事は出来ない。だから、今からは口を出せる。首を突っ込める。

「俺はあなたがやってきた事に何も言えません。けど、これ以上はもう、見過ごせない」

「いいえ、これからもあなたは『立花』には何も言えないのです」

「恋は、幸せだと言いましたね。立花さんも幸せだと、そう、言ったな……!」

 新はつまらなさそうに一を見返す。口だけでは何も出来ないと、馬鹿にしているようにも見えた。

「幸せな人間があんな顔をする筈ない。して良い筈がない」

 娘を死地に送るのも、自分だけが幸せを掴もうとするのも新の勝手だ。彼女の行動を止めようとは思わない。

 だが、立花真は一人の人間で、彼女にも意志があり、選択肢が用意されていなければならない。彼女からは何も奪えない。奪ってはならない。

 同様に、神野だってそうなのだ。立花と彼との間には誰も立たせてはならない。

 恋は幸せだと新は言った。ならば、立花と神野の幸せを壊し、奪おうとしたのも新なのだ。

「あなたは、俺の後輩を好き勝手に弄びやがった。結局、それだけで充分なんですよ」

「『立花』に刃を向けると?」

「……っ! あんたがそこを退かないんならな!」

 おお、と声を上げ、一はアイギスを振るう。先端が届くより先、彼の体は縦に回転していた。背中を強かに打ちつけて、くぐもった呻きを漏らす。

「あら、その程度ですの。お笑い草ですわね」

 一は立ち上がり、再び新に向かう。振り下ろしたアイギスは呆気なく避けられて、足を払われ、腹に掌打を叩き込まれた。彼はたたらを踏み、転倒するのを堪える。

「無駄だとお分り?」

「わっかんねえよ!」

「あなたの力では『立花』に踏み込むのは叶わぬ夢。お願いですから、もう私たちに関わらないでくださる?」

「知るかっ」

 今度は横に薙ぐ。しかし、その攻撃も躱されてしまい、一は三度地に伏した。彼は立ち上がるが、すぐさま新の追撃を食らう。一は額を押されて、後頭部を地面にぶつけた。

「あと少し、そこでじっとしてもらえれば助かるのですけれど」

 それは出来ないと返し、一は頭を振り、四肢に力を込めて起き上がる。

「……あなた、真の何なのですか。あの子とは知り合ったばかりでしょうに。恋人でもなく、ただの……」

「後輩だ。俺の後輩たち泣かせといて、ただで済むとは思うなよ」

「それだけで、あなたは?」

「それだけでだよっ、あんたが、あの子たちを泣かすから! 母親だったらやる事があるだろうって、俺はさっきから言ってんだ!」

 新は溜め息を吐き、一を細目で見つめる。

「あなたの価値観を私に押しつけないでください。私は、『立花』はあなたとは違うのです」

「違うもんかよ、親はどこまでいっても親なんだ。産んだってんなら、あなたには責任がある。あの子を幸せにする義務がある。そうでもなきゃ、あんまりだ」

「……真が女でなければ、それも叶ったでしょうね。しかし、『立花』の女として生まれてしまったあの子には義務が、責任があるのです」

「それを立花さんが望んだのかよ!?」

 力なく、新は首を横に振る。

「望もうが、そうでなかろうが、女として生まれたからには『立花』でいつづける必要があるのです」

「あなたはっ、親の言う事ですか!」

「親だから言えるのです。それに、あの子は私の言い付けには逆らえませんから」

 一の頭へ、更に血が流れ込む。

「人間なんですよっ、立花さんは!」

「何を当たり前の事を」

「だったらあ!」

 地を蹴り、一は新にアイギスを振り下ろした。彼女は僅かに驚いたような表情を見せると、持っていた扇子の先で彼の攻撃を受け止める。

「……勤務外を名乗るだけはありますわね。そのような傘、ここでは普通に売っているのですか?」

「答えろっ、答えてくださいよ! 立花さんの幸せを思うならっ」

 一は力を込めるが、扇子は一ミリだって動かせなかった。

「あなたのやってる事は何なんだ!」

「しつこいですわね、あなたも」

「神野君まで巻き込んで! 家を守るなら何をやっても良いのかよっ」

 新が身を引くと、一の体勢が前に崩れる。彼女は一の背後に回り込んで背中を強く叩いた。倒れ、咳き込む彼を見て、新は疲れた風に息を吐く。

「伴いませんわね、店員さん。言葉だけでは何も成せませんよ」

 呼吸を整えると、一はアイギスを杖代わりに立ち上がった。

「力だけでも、何も出来ません。俺はただ、立花さんから話を聞きたいだけなんだ。何もなくたって構わないでしょう」

「今のあの子が、あなたなんかに口を利くとは思えませんが。何を、聞きたいと言うのです」

「何をしたいのかって、それだけです。立花さんがこうなるのを望んでたって言うなら、仕方ないって諦めますよ」

「あの子はそう言うでしょう」

「まあ、そんなの言わせませんけど」一は嫌らしく笑って、咳払いを繰り返した。

「それから、もう一つ言いたい事があるんですよ」

「ここまでお付き合いしたのですもの、伺いましょう」

 新は余裕たっぷりに微笑む。一はアイギスを広げると、何気ない動作で、それを彼女に向けた。

「俺はね、『立花新、止まれ』って」

「――――っ!?」

 それは刹那の幻か。アイギスが光輝を纏ったと新が認識した次の瞬間には、首筋に冷えた何かが触れている。横目で見たそれの顔は美しく、思わず、彼女は見惚れた。

 新は体を動かそうとするが、まるで石にでもなったように固まったままだった。口をぱくぱくと開閉させるも、次第に息が苦しくなっていく。

「さてと」

 一は新へと歩み寄り、彼女の襟を掴んで地面に押し倒した。

「失礼」馬乗りになり、畳んだ傘の石突き部分を新の喉に少しだけ触れさせる。

「まだ息は大丈夫ですよね。あ、今から動けるようになりますけど暴れないでくださいね」

 新は頷く事も、返事も出来ないのに気付いて、一は頭に手を遣った。彼は困ったような顔を作るが、まあ良いかと呟いて、傘の柄を優しく握る。

「か――――はっ、はぁ、はっ……」

 体が思い通りに動いたと分かった途端、新は酸素を取り込もうとして苦しそうに喘いだ。

「あー、大丈夫ですか?」

「けほっ、ばっ、かな……! あなた、何を……」

「おっと、こいつに触らないでくださいね。怒られちゃうから」

 アイギスに手を伸ばそうとした新を制し、一は苦笑する。

「はっは、気分はどうですか、『立花』さん」

 新はゆっくりと呼吸を繰り返して、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。

「……へんたい」

「は?」

「はあ、はあっ、こんなおばさんをいじめて、どうするつもりなのかしら……?」

 目の端に涙を溜め、新は死にそうな声で呟く。

 今更になって罪悪感を覚える一だが、後戻りは出来ない。

「どうされたいですか?」

「どうせならめちゃくちゃにして頂戴。ここまでされて、『立花』の恥よ、もう」

「まあ、しませんけど。手荒な真似してごめんなさい。でも、こうしなきゃ通してくれませんよね」

「何をしても通しませんわ。殺すか、動けなくするまで痛めつけるのをおすすめしておきます」

「……そうしたいのは山々なんですが」

 一はアイギスを後ろ手に隠して、頭を掻いた。

「立花さんが悲しみますよ? あの子は、あなたに会いたがっていました」

「私、に?」

 信じられないとでも言い出しそうな表情になった新を見て、一は虚しくなる。

「どうしてか分かりますか?」

「……………………」

「……冗談でしょ。……あなたが母親だからに決まってるじゃないですか」

 新は視線を逸らして、拗ねたように口を開く。

「それは理由ではありません」

「家族と会うのに理由はいりませんからね。俺から見れば最低最悪、クズの極みみたいな奴でも、立花さんにとっては、たった一人のお母さんなんです」

「お退きなさい」

「ヤ、です」

 一は内心で安堵する。新が本気になれば、自分を殺してでも退かそうとするだろう。そうしないのは、彼女が諦めたからに違いない、と。

「あの子に謝れとも、俺たちに謝れとも言いません。今更、間違いでしたと頭を下げられても困るし、どうせ、そんな事言ってくれないでしょうし」

「当然ですね」

「だから、これからは立花さんにもう少しだけで良いんです。お願いですから、優しくしてあげてください」

「……今更、私がですか? 第一、優しくしろなどと言われても」

「本当に、母親ですかあなたは。……じゃあ、こうしましょう。戻ってきた立花さんに、声を掛けてあげてください」

 新は目を丸くさせて、厭世的な笑みを浮かべる。

「何を言えばよろしいのですか?」

「んなもん自分で考えてくださいよ」

 突き放すように言って、一は新から退く。

「じゃ、ここ通らせてもらいますね」

「あっ……」

 何か言いたそうな新に背を向けて、一は後ろから襲われないよな、なんて考えつつビルの入り口まで駆け出した。

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