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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
アラクネ
18/328

Tough Girl

 ――どうするかな。

 目の前に広がる光景。

 ソレを見ながら、糸原はそこに足を踏み入れた事を後悔していた。

 だだっ広い二車線の道路。

 行き交うのは車ではない。

 オンリーワンへとひた走る土蜘蛛の群れ。

 既に駒台の街に避難勧告が出されている事だろう。

 深呼吸。

 糸原が踏み入れた先は、もはや唯の車道ではない。

 戦場。

 ソレとニンゲンとが殺し合う、とびきりの戦場なのだ。

 数え切れないほどの、数えるのも面倒なほど点在する目玉が、糸原を捉えている。

 辺りは黒に塗り潰され、道を照らすべき街灯は蜘蛛の足に踏み潰されて。

 まるで蜘蛛たちの赤い目玉が、それの代わりになっている様だった。

 糸原が蜘蛛と対峙してから数分。蜘蛛は何故か、一匹たりとも一向に動こうとはしない。数で押せば高が人間一人。勤務外とは言え、糸原は新米もいい所だ。更に言えば、新米だろうが、ベテランだろうが、何だろうが、雲霞の如く押し寄せる土蜘蛛にゴリ押しされて、無傷で居られるなんて事はまず有り得ない。押し切れる事は誰のどんな愚図な頭でも、容易に想像がつく。

 蜘蛛にそこまでの知能が無い。とは、思いづらい。

 知能の無い虫が徒党を組んで、勤務外の巣であるオンリーワンに襲撃を掛けるとは想像し辛い。想像も出来ない。

 切れるとは言わないが、回る頭を持っていて、何故糸原に襲い掛からないのか。

 ――今朝の生き残り?

 ふと、何の根拠も無いが、そのような疑念が糸原の脳裏を過ぎった。

 蜘蛛同士が会話などを駆使してコミュニケーションを取るなんて話、糸原は聞いた事が無かった。そもそも、そんな事例があったのかどうかですら定かではない。

 とにかく、蜘蛛が何らかの手段を用いて、糸原の事を、仲間を殺した人物だと認識して、警戒しているのではないか。

 だから動かないのではないか。

「だったら……」

 自然と、声が零れた。

 少なくとも、その場に居た黒髪の、見た目だけは美人の女はそう思った。

 最初に蜘蛛の群れを見た時は、そのまま物陰でやり過ごそうと糸原は思った。

 一匹だから、楽勝だから。

 ――冗談、まさか私が騙されるなんて。

 予想外、予想以上。

 とてもじゃない、この数を相手になんて出来ない。

 割に合わない、やってられない。

 だが、幾らそう思っても、考えても、足は勝手に動いてしまっていた。

 蜘蛛の前に立ちはだかり、時間だけが過ぎる。

 動かない影ども。

 その中で、一つだけ伸び縮みする影があった。

 赤い光の中、ゆっくりと、糸原が真白い手を、真白い指を動かしていく。

 見蕩れる様な、見惚れる様な動き。

 尤も、その動きの美しさを理解できるのは人間だけだ。

 そして、その舞を眺めるのは人間ではない。

 風を切る音。

 一瞬の静寂の後、鈍い音が走る。

 得体の知れない液体を撒き散らせながら、蜘蛛の足が胴体から離れていく。

 一秒掛かったか、掛かっていないかでそれは音を立てて地面に落ちた。

 結果に喜ぶ事も無く、糸原は指を動かし、得物であるレージングを器用に指揮していく。

 一本、二本、三本、四本、五本、六本、七本、八本、九本、十本。

 血を滴らせた足が落ちる。

 バランスを崩したモノから、アスファルトに倒れこんでいく。

 先頭の数体が、動きも、音を立てることもしなくなった。

 完全な沈黙。

 ふう、と糸原が息を吐いた。

 先程まで微動だにしなかった蜘蛛たちだが、次々と切り落とされて行く同胞を見て、やっと前進を開始する。

 影が動く、動く。

 体の小さな蜘蛛が、自分よりも体の大きな蜘蛛の上に、その蜘蛛よりも大きな体の蜘蛛の上に。

 さながら、それは小規模な山のようだった。

 そして山が崩れていく。

 崩れていく蜘蛛たちは、先頭のモノから順に敵対者へ襲い掛かる。

 糸原は一番自身と距離の近いソレに狙いを変え、足を落とす。

 二度と動けない様に、距離の開いている内に念入りに痛めつけていく。

「あっ」

 糸原が声を上げた。

 指が引っ張られる感触。

 さっきまでとは違って、スムーズに指が滑らない、動かない。

 良くは分からないが、ソレの体の硬い部分に引っかかってしまったらしい。

 その隙に蜘蛛の波が糸原に向かって襲う。

 波打ち際の糸原は、指に力を込めて、何とかレージングを引っ張りあげた。

 だが、もはや糸原の眼前にまで蜘蛛は迫って来ている。

 その内、一体の蜘蛛が前足を上げた。

 そのまま、ギロチンを思わせるかの様な勢いで振り下ろして来る。

 咄嗟に、糸原が腕を交差させた。

 腕の動きと一緒に、レージングが幾重にも交差する。

 紙一重の所で、張巡らせた糸の盾がそれを防いだ。

 首元に異物感。

 糸原はクロスした腕を斜めにして、真っ直ぐ縦に向かってくる力を受け流す。

 少しだけ、糸原の腕に蜘蛛の全体重がのしかかった。

 骨の軋む音が煩いな、と糸原は思う。

 糸原が腕に力を込めると、寄り掛かる場所を失った蜘蛛の足は、拉げながら地面に突き刺さる。骨や血を辺りにこびり付かせながら、蜘蛛は動かなくなる。

 続いて、

 二本目、三本目と襲い掛かるギロチンをバックステップで避け、距離を取る。

 指揮者は再び指を動かし、自身に襲い掛かる凶器を仕留めていった。

 糸原が息つく間も無く、動かなくなった同胞を蹂躙しながら別の蜘蛛が襲い掛かる。

 死体となったソレを踏み台にして、蜘蛛がガチャガチャ音を立てて跳んだ。

 万人が万人、何ともグロテスクな光景と、そう思うのではないか。

 しかし、戦っている糸原はそんな事を気にもせず、徐に両手を掲げてから、思い切り腰の辺りまで振り下ろした。

 暗闇の中、ソレの眼球の光と月明かりに照らされて、銀の閃きが何本も奔る。

 その閃きは、飛び掛る蜘蛛の四肢に重なった。

 瞬間、蜘蛛が空中で分解されていく。

 液体とバラバラにされた固体が落ちてきた。

 次に蜘蛛の胴体らしきパーツが落下してくる。

 その光景を見て、他の蜘蛛たちがやっと動きを止めた。

 糸原も動きを止め、だらりと腕を下げる。

 ――重い……。

 動いている内はそうでもなかったが、今は息が苦しく、血の巡りも悪い。

 糸原は肩で息をしながら、蜘蛛の動きに対応する為、耳だけを澄ませた。

 糸を使った遠距離、中距離からの攻撃が糸原のスタイルらしいので、突進してくるだけの蜘蛛からは、まだ傷を負わされてはいない。

 だが、それも時間の問題だろう。

 現に、数で攻めてこられると、先刻の様なギリギリの攻防も増えてきてしまう。

 その全てを無傷で切り抜けるのは非常に難しい。

 そんな事は、当の本人が一番良く分かっていた。

 この場を逃げ切る力はまだ残っている。

 生きて帰るだけの力は未だ残されている。

 それでも彼女は逃げなかった。

 ――重い……。

 再び山の様なシルエットを作る蜘蛛を糸原は見据えている。

 普通の人間が見ていれば、既に壊れていてもおかしくない光景。

 蜘蛛は何を望んで、何を希望にして走るのか。

 オンリーワンに何を求めているのか。

 あの白い梟か、寡黙な少女か。

 関係ない。関係なかった。

 そんな事は今の彼女にとってどうでもよかった。

 蜘蛛どもの、若しくは糸原自身の狂気と、絶望と、希望の中。

 その中で。

 完全にイッている中で。

 人間である糸原が正気を保っていられるのは何故なのか。

 ――背中が重い……。

 何も背負っていない。

 それでも自分の背中を摩りながら、糸原は自嘲気味に呟いた。

「……馬鹿みたい……」



「あの子が止めているのよ、それしか考えられないわ」

 梟が、自分でも信じられない、と言った風に発言する。

「そんな……だって、土蜘蛛の群れに突っ込んで帰って来る人なんていないって」

 一が至極不安気に口を開いた。

 そうだ、と店長が重そうに言う。

 「戦えるさ。新米の糸原だって戦える。だがな、生きて帰って来る事とは、それとは別なんだ。今だけだ。少しだけ、ほんの少しの時間稼ぎ。何にもならん」

 店長が、まるで自分に言い聞かせるようにしながら喋る。そのまま、視線を梟に向けた。

「誰の為に稼いだ時間(もの)だと思ってるんだ?」

「……一体だけだと、誤解していた事は謝罪するわ、御免なさい」

 ちっ、と店長が舌打ちする。

「そして、一つだけ方法が有るわ。あの子を救う方法がね」

「えっ! 有るんですか?」

 一が嬉しさを隠し切れないまま声を上げた。

 ええ、と慇懃に梟が返す。

「あなたが、勤務外になれば良いのよ」

「また、それですか……」

「それしかないのよ」

 梟が力強く言い切った。

 その意思の強さに、憎まれ口や、皮肉の一つでも叩いてやろうと思っていた一が何も言えなくなる。

「俺が、あなたから力を貰えば、本当に」

 梟が頷く。

「一、耳を貸すな」

 店長が咄嗟に割り込んだ。

「店長。でも、それしか方法が無いって」

「馬鹿が。お前が勤務外にならなくても、糸原が助かる方法は幾らでもある」

 ふうん、と梟が愉快そうに囀る。

「もう一度支部に連絡とって、現場まで堀に迎えに行かせても良いし、私が行っても良い。

この状況だ。連絡さえすれば少なくとも何かしらの援護は出るだろう。情報部も嗅ぎ付けた事だし、住民が避難してるのを見れば三森も姿を現す。対策は幾らでも立てられるんだ、早まるな」

「そう上手く行くかしら?」

「何?」と、店長が怒りを露にする。

 店長の痛いほど睨む視線も流しきり、冷ややかに梟が話を続けだす。

「時間は? 支部とやらの応援を頼んだところであの子が持つのかしら? こうしてる間にも事態は刻一刻と悪化していくのよ」

「お前は、お前は何がしたいんだ? 謝りたいのか、怒らせたいのか? 何が目的なんだ?」

 店長が梟へと向きを変え、歩み寄った。

 いつ爆発してもおかしくない、そんな状態で。

 そして睨み合う一人と一匹。

 ――俺は。

「あのぅ」

 一が手を上げ、遠慮がちに口を開いた。 

 

 

 蜘蛛の攻撃を受け、糸原が地面を転がる。

 いや、転がされる。

 先日、糸原が一に買ってもらった新しいスーツ。

 汚れて、傷ついて、破けて。

 そのスーツをボロボロにしながら、情けなく転がされる。

 糸原は受身もろくに取れず、背中と後頭部を強かに打ちつけた。

 激痛が背中から全身に広がっていく。

 苦悶の表情。

 混濁する意識。

 死への恐怖、焦り、疲労感、次の攻撃は何処から来るのか。

 様々な感情を綯い交ぜに。

 まともに働こうとしない頭を切り捨て、本能のみで体を動かす。

 背後からは気味の悪い音が聞こえてくる。

 糸原は引き攣る足に鞭打って、倒れこみそうになりながらも必死で走った。

 電信柱の影へ咄嗟に隠れる。

 足が縺れて、バランスを崩し、座り込んだ形になった。

 柱を背にして一息吐く。

 身を隠した刹那、何かが砕けるような音。

 霞の掛かった、未だ元通りにならない薄ぼんやりとした視界。

 首がゴキリと、酷く耳障りな鈍い音を立てた。

 骨まで疲れてやんの、なんて呑気な事を思いながら、糸原は後ろを見遣る。

 蜘蛛の足が、糸原の直ぐ後ろの電信柱の半ばまで食い込んでいた。

 背筋に氷か何かを入れられた感覚に襲われる。

 振り向かずに再び走った。

 予感。

 轟音。

 糸原の立っていた地面が揺れる。

「うっそ……」

 ――地震……?

 激しい振動に不意を衝かれ、糸原は踏鞴を踏む。

 視界の端に、二つに折れ曲がった電信柱が見えた。

 視認して、そのまま座り込む。

 どうやら、蜘蛛の内の一匹がやった(・・・)らしい。

 柱の根元に刺さった足を抜こうと、蜘蛛が力任せに動いている。

 奇声と言うのか、異質な音を出しながら蜘蛛が上下に、左右に揺れる。

 その間、喉の渇きを癒そうと、糸原は唾を飲み込もうとした。

 が、喉を潤すどころか、舌を舐める程度の水分も残ってはいなかったらしい。

 糸原は諦めて、髪をかき上げてから、小さく喉の奥で笑った。

 顔を上げ、眼前に広がるモノを確認する。

 既に動かなくなった土蜘蛛は十にも上っていた。

 動ける蜘蛛はそれ以上にいるらしいが、その半分近くも、糸原に足を切り落とされたり、目玉を潰されたりで何かしらの手傷を負っている。

 それでも、敵は今だ意気揚々。

 糸原を縊り殺そうと、突き殺そうと、食い殺そうと。

 暗闇の中、怪しげに光るアカイモノ。

 その全てが自分を見ているのではないか、糸原は身震いした。

 ゆっくり瞼を閉じる。

 糸原の頭の中を支配していた、恐怖といった類の昂ぶりが、少しずつ収まっていく。

 喉の渇きも、死への恐怖も少しずつ薄れていく。

 ――これならいけるわ……。 

 糸原が目を瞑ってから、どれ位の時間が経っただろうか。

 一分、一秒、それとも一瞬。

 何にせよ。

 目を開けると、そこは蜘蛛だった。

 見渡す限り、視界の限り、蜘蛛の限り。

 四方八方全方位、糸原の周りを蜘蛛が囲んでいた。

 蜘蛛たちは糸原から一定の距離を置いて、得物の逃げ場を塞いでいる。

 数匹の蜘蛛の口から、白いものが見え隠れしていた。

 だらしなく垂れ下がったそれは、蜘蛛自身の体にくっ付いている。

 粘着性、伸縮性に優れた糸。

 蜘蛛が巣を張ったり、獲物を捕らえる時に使うそれだ。

 そして、今回の糸の使い道は確実に後者の方だろう。

 唾でも飛ばすような気安さで、蜘蛛が糸を飛ばした。

 蜘蛛にとっては当たり前の様に使うべき道具だが、引っかかればあっと言う間に餌になってしまう糸原にとってそれは凶器だ。

 白かった指は土と埃とソレの体液と、自身のそれによってすっかり色を変えてしまっていた。その指を巧みに動かし、必要最小限の動きで吐かれた糸を切り落としていく。

 全身がだるい。重い。鈍い。気持ち悪い。痛い。死にたくない。楽になりたい。

 指を動かすのをやめ、大の字になって寝転がったらどうなるだろう、少なくとも、今よりは楽になれるかな。何でこんな事やってるんだろ。糸原はそんな事を考えながら、半分は無意識の内に糸を迎撃していく。

 だが、その抵抗もいつまで続くか分からない。

 囲む蜘蛛は数十。

 囲まれる人は一。

 時間の問題だと言う事は、当の本人が一番良く分かっていた。 

 それでも。

 それでも彼女は抵抗を止めようとはしなかった。

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