刈られた芦は首の座に
一が立花親子を連れて入ったのは、近くにあったファーストフード店である。込み入った話をするには不釣合いな場所かとも思ったのが、今の時間に開いている店は少なかったし、新が興味深そうに店の前で立ち止まるものだから、仕方なく入ったのだ。好奇心が旺盛なところは、やはり親子なのだろうかと、彼は今更ながらに思う。
「私から話を聞いてもよろしいですか」
「ええ、構いません」
真っ黒で目立つ二人を隠す為に隅の席を取った一だが、ちくちくと、針のように刺す視線を背中に受けて、効果はなかったのだと嘆息する。対面に座る立花親子に目を向けて、彼は気圧されまいと己に言い聞かせた。尤も、立花は店に入ってから黙りっぱなしである。注文の際も、常の彼女なら信じられないと言った具合に静かなままだった。疲労しているのか、再会出来たばかりの母親に打たれたのをショックに感じているのか、今の一には立花の心情を推し量る事は難しかったのだが。
「真は元気にやっていますか?」
「……え、ええ」
そこに本人がいると言うのに、どうしてそんな事を尋ねるのか一には分からない。
「お店でも、良く働いてくれてますし」
まるで、出来の悪い教師と親との面談である。
「良かった。では、オンリーワンでの真について……」
「あ、いや、待ってください」
「何か?」
訝しげ、と言うよりか不機嫌な雰囲気を隠すつもりもなく、新は一を睨み付ける。
「次は俺の番って事で」
「……何故でしょう」
「フェアじゃないでしょう。申し訳ないんですけど、俺はあなたを信用してないんです。聞くだけ聞いてはいさよならってのは嫌ですからね」
「あら、私は嫌われてしまったのでしょうか。若い子に敵意を向けられるのはとても悲しいわ」
ハンバーガーに噛り付いておきながら言う台詞かと、一は眉根を寄せた。
「よろしい、では店員さんの質問にお答えしましょうか」
「どうも。……『立花』は壊滅したと聞きました。あなたは、何なんですか?」
「先も言った通り立花新、真の母ですわ。店員さんは勘違いしているようですが、壊滅しただけで全滅はしておりませんの。確かに親類、構成員の殆どは殺されてしまいましたけれど」
「あなたが『立花』の生き残りだと?」
新はシェイクを飲み干してからポテトに手を伸ばす。
「情けない話ですけれどね」
「その、ソレの正体ってのは……」
「アップルパイ」
「は?」
「私、アップルパイが食べたいわ」
にっこりと。微笑む新はメニューを一に見せ付けた。彼は財布の中身を思い出して椅子から立ち上がる。
「立花さんは何か欲しい?」
「では、追加でストロベリーシェイクを」
お前じゃねえよと、喉元まで出掛かった言葉を飲み下した。
「……良いの?」
「うん、ボクは大丈夫、だから」
目を合わせないで頷く立花をどこかおかしいと感じながらも、一は追求しないでカウンターに向かった。
注文を済ませて戻ってくると、新はまだメニューを見つめていた。
「商品が来るまで話さないって事はないでしょうね」
「ちゃあんとお話しますよ。『立花』を壊滅の憂き目に遭わせたソレ。それは、とても強い御方でしたわ」
「……御方?」
「強者に敬意を払うのは当然でしょう?」
一は直観的に違うと感じる。周囲の人間を悉く殺したモノに向けているのは敬意ではない。新がソレに向けているのは、好意だ。
「名前は知りませんが、名の知れた剣士なのだと思います。『立花』を赤子の手を捻るように撫で切りにしたのですからね」
「剣士……?」
「まさか、私たちがただの怪物に良いようにやられたなどとは思っていませんね」
「違うんですか」
一はてっきり、鯨やゴリラを合わせたような巨大な化け物を想像していたのである。
「違います。一応は人の形をしていましたが、神か魔か。あれほどの力量を持ったモノを私は知りません」
「失礼します」
「あら、ありがとう」
店員が持ってきたパイの包みを開けると、新は一に目を向けた。
「今度は私の番かしら」
「……何か、俺だけ損してませんか」
「ああ、ごめんなさいね、私みたいなおばさんが相手で」
「そういう意味じゃなくって……ああ、もう良いです」
「店員さん、あなたは剣か刀を使うのかしら?」
「いいえ」と一は否定する。ゴルゴンが出現した際に一度だけ握ったが、使ったと呼べるようなものではなかったからだ。
「では、使う方をご存じ?」
「立花さん以外だと、うーん、俺たちの店にいる勤務外に一人いますね」
「強いのかしら?」
少なくとも自分より神野の方が勤務外らしい。だが、彼はまだ高校生だ。新は何か期待しているようだが、彼女のそれには応えられない気がしている。
「立花さんから見て、神野君はどうかな?」
「…………え、ボク……?」
立花はたっぷり間を空けてから遠慮がちに自分を指差す。
「神野君の事なら、俺よりも立花さんの方が知ってるんじゃないかな」
「でも……」彼女はおどおどとしながら、新に視線を向けた。
「話して、良いですか?」
「構いません」と新が答える。立花は頷き、やはり遠慮がちに口を開いた。
一連のやり取りを見て、ぎこちない、おかしいと一は感じた。
「その、ボクの方が強い、です」
「では意味がありませんね。店員さん、他にはいないのですか?」
「……勤務外では、もういません。フリーランスなら『騎士団』、ですかね」
「ああ、『騎士団』。その方々なら知っていますわ。二人組の剣士でしょう? それ以外にはご存じないのですか」
一はアイスコーヒーを喉に流し込みながら考える。剣を扱う者や剣士、と言われても、そもそもこの現代では該当する人物すら少ないのだ。
「残念ですけど、俺が知ってるのは彼らぐらいですね」
「そうでしたか。……ふう、これ、美味しいですわね」
「あの、どうしてそんな事を尋ねるんですか?」
「あら、チキンナゲットも美味しそう」
そう言って、新はにっこりと笑う。
「……それだけで良いんですか?」
「では、サラダも。栄養が偏ってはいけませんからね」
あれだけジャンクフードを食べておいた口が言う事か。一は頭をかきながら、再びカウンターに向かう。店員は先と変わらぬスマイルで応対するが、彼の心は何故かささくれ立った。
注文を済ませて戻ってくると、新はまだメニューと睨めっこしている。一は見なかった事にして口を開いた。
「で、どうして剣士を探しているんですか?」
「剣士でなくても、腕に覚えのある方であれば構いませんの。要は、強いかどうか、それだけですわ。ただ、剣を使う者なら、強いかどうかは一目見て分かりますから、手間が省けますの」
新はメニューを膝の上に置いて、立花を一瞥する。
「強い方でなければ、この子の婿には相応しくありませんからね」
聞き慣れない言葉に一の頭の中は真っ白になった。彼は「ええと」だの「うーん」だの呟いた後、
「お待たせしましたぁ」
「あら、ありがとう」
とりあえず、店員が持ってきたシェイクに手を伸ばす。その時に新に睨まれてしまったが、これは自分の分なので何も言わなかった。それどころか、譲るものかと睨み返してやる。
「私の分ではないのですか。……ああ、そうですか。ところで、ナゲットにはマスタードとケチャップのどちらを掛ければ良いのでしょう」
「どちらでも、お好きに。婿ってのは、アレですか、つまり立花さんの結婚相手って奴ですか」
「ええ、『立花』には強い殿方でないと。新たに強い『立花』を迎えるには強い男女に子を作らせるのが当然。特に今は。そうでないと、私たちは群雄割拠の今を生き延びる事が出来ません。影で、時には日向でソレと戦ってきた『立花』を六代で終わらせるのは偲びませんから」
「強い剣士を立花さんと結婚させて、『立花』を復興させる、ですか」
「飲み込みが早くていらっしゃるのね」
その話なら、おしゃべりな情報部から既に聞いていた。半信半疑だったものは、真実を語る新によって確信に変わり始めている。
「……ねえ立花さん、君は全部知っていて駒台に来たの?」
立花は答えない。
「お母さんに言われるがままにここへ来たの?」
「店員さん、子が親に従うのは当然でしょう」
立花は答えない。
「さっきの話、そこに君の意志はあるのかって聞いてるんだけど」
「真の意志の有無は関係ありませんわ。それに、この子だって家を守りたいに決まっていますもの」
立花は、答えない。
――――気持ち悪いな、おい。
一は俯いたままの彼女から視線を外さなかった。まるで意志を持たない、糸の切れたマリオネットである。芽生えた嫌悪感に戸惑う事もなく、彼は立花を見据え続けた。
「俺の事をそういう目で見てたのかって聞いてんだけど」
「……っ、ちがっ、ボク……!」
顔を上げた立花だったが、新が彼女を手で制した。
「店員さん、随分な口の利き方ではありませんか。こちらの事情を知りもしないで……いえ、知ったところであなたは所詮部外者。部外者が勝手な口出しをしないでくださいな。それとも何か、あなたは真の男なのですか?」
「どうしてそうなるんですか……」
「他者に踏み込む時はもっと気を払いなさいな。間合いとは、何も剣士だけが測れるものではありませんよ」
先に踏み込んできたのはそちらが先だろう。一はストローの先を噛み、叫びだしそうになる自分を抑える。
「行儀が悪いですわよ。……まあ、ここに来て正解でしたわ。この子一人では満足に、自分の婿を探す事すら出来ないんですもの」
「娘さん思いでいらっしゃる」
「あら、うふふ、ありがとう」
皮肉も軽く流されてしまった。立花はまた俯いてしまい、一を見ようとはしない。これ以上ここにいても腹が立つだけである。彼はシェイクを飲み干そうとして、ふと、新が気に入るかもしれない人物を思い出した。
「強い剣士ってんなら、さっきの人はどうですか?」
「さっきの……ああ、芦屋の事ですか」
「あしや? さっきの人を知っているんですか?」
新は分からない程度に頷く。
「以前に切り結んだ事があります。そこそこにお強い方でした。しかし、ムラがある方でしたので」
「アレで、そこそこと言いますか」
一の目からは芦屋と呼ばれた男も充分に強く、化け物に見えていた。それをそこそこと言ってのける新を、彼は信じられないといった様子で見る。
「では、私たちはお暇しましょう。店員さん、ごちそうさまでした」
「……どういたしまして」
「私はもう暫らくこの街に滞在します。機会があればまたお会いする事になるでしょう」
出来る事なら二度と会いたくない。しかし、その願いは叶わぬものになるだろうと一は予感していた。
地面に転がった腕を一瞥して芦屋は息を吐いた。右腕が切り取られた箇所からは血液が滴り、ピンク色の肉と骨が見えている。苦痛に耐えかねて、彼は力なく笑った。
「流石は掃除屋。あの一撃を受けて片腕だけで済ませるとは……いや、感服いたした」
「何を言ってんのかねえ……」
ふざけた格好と話し方をしているが、正体不明の男の実力は本物だった。
「ま、これであんたと同じ土俵に立ったって感じか」
まさか、男が隻腕でここまでやってのけるとは思いもしなかったのである。左腕だけで、圧倒された。ハンデを背負っていてこの剣力。彼が万全の状態なら、数合と持たなかっただろうと推測する。
「あんたの腕を持っていった奴が羨ましくて、同時に感謝してるよ」
「感謝? それは何とも奇怪な、でござる」
「片腕でそれなら、全部揃ってた時のあんたは……いや、想像出来ねえなあ」
真っ赤な着流しの男は目を瞑り、不敵に笑む。
「何か、勘違いしているようでござるな」
男は剣を鞘に納めて、柄に手を遣った。芦屋は彼の指を注視する。
「であれば、貴殿の命運もそこまででござる。白刃が鞘から放たれたと同時、刈り取らせていただく」
「何をだい?」
「参る」
次の瞬間には男の剣が首元にまで迫っている。芦屋はそれを刀の腹で受けた。
「……あ?」
斬られる。予感し、実感した。斬られる。否、それはまるで空間ごと断つような人間離れした斬撃だった。刀の腹、自分の首、そして、その後方にある空気と空間。
「良い死合でござった」
ちん、と、男の剣が鞘に納まった。芦屋は後ろから倒れ込む。刀は真っ二つに。彼の首はころころと血の跡を残していく。
「出来るなら、ヴァルハラにてまた死合おう、で、ござる」
早朝のシフトに入っていた一は、勤務の始まる十分前にバックルームへ入った。
「おはようございます、一さん!」
「……んん、おはよう神野君」
朝から元気な神野と挨拶を交わして、一はロッカーを開ける。
「一君、君はまだとても大切な人に挨拶をしていない気がするんだが?」
煙草を吹かす店長を見遣ってから、一は制服の袖を通した。
「おはようございます。楽しそうで何よりですよ。こっちまで口元がつり上がってくるくらいです」
「どんなアホでも挨拶くらいはしっかり出来るものだ」
暗にアホだと、アホ以下だと言われて一は苛立つ。
「ええ、店長を見習いますよ。どんなに無能でも挨拶さえ出来れば椅子に座ってるだけで金がもらえるんだって」
「よしきた、お前そこに跪け。蹴りをくれてやる」
「さーて働くかー」
一は店長を無視して掃除道具を手に取った。
「生意気な奴め。お前も殺されれば良いんだ」
「……俺、も?」
「ああ、一さん、実は昨夜、辻斬りが出たらしいんですよ」
「辻斬りぃ?」
神野は真剣な眼差しで一を見返す。
「はい、ですよね店長」
「馬鹿馬鹿しい話だが、実際死んでる奴がいるしな。しかも、死んだのはタルタロスの者らしい」
「……へえ、そりゃまた」
店長は煙を吐き出して、床に吸い殻を落とす。一はすかさず、ちりとりと箒で片付けた。
「床に落とさないでください」
「お前が掃除してくれると信じていた」
「……で、辻斬りってのはどうして? 犯人は捕まったんですか?」
「いや、まだだ。凶器と、犯人の目星はついたらしいがな」
「どうしてそんな事知ってるんです。警察が教えてくれたんですか?」
首を横に振り、店長は新しい煙草に火を点けた。
「ウチの情報部から聞いた。多分、警察の手に負える相手じゃない。と言うか管轄外だ」
「まさか、ソレが出たんですか?」
「そこまでは分からん。だが、化け物に近い相手なのは確かだ。……凶器は刀か、剣。長い刃物だそうだ」
一は得心する。神野たちが辻斬りと呼んだのは凶器がそれだったせいだろう。
「じゃあ、犯人は人間って事ですか」
「それはどうだろうな。何しろ、タルタロスの腕利きを切り捨てたんだ。一般人やそんじょそこらの勤務外が出来る事じゃない」
「腕利き……」一は箒に体重を預けて黙考した。タルタロス。腕利き。嫌な予感が彼の全身を駆け巡る。
「殺されたのはタルタロスの掃除屋。葬儀屋、死体処理係とも呼ばれていた男だ。ついでに、運転手と乗っていた車もバッサリやられていたらしい」
瞬間、一の脳裏に、妙にやる気のなさそうな、倦怠感を常にまとった男が浮かび上がる。昨夜、ソレの死体を切り刻み、立花と切り結び、芦屋と呼ばれた者が。
「ん、どうした一、心当たりでもあるのか?」
「……いや、ないです」
「そうか。お前はタルタロスに出入りしているし無駄に顔が広い。いや、変な奴と無駄に関わるからな、てっきり、掃除屋とは知り合いだと思っていた」
「知り合いじゃないけど、まあ、穏やかな気分じゃあいられないですね」
「ま、そうだろうな。今もこの近くに殺人犯がうろついてるかも知れないんだ」
その割に、店長の表情は楽しそうなものだった。
「ああ、一応聞いておくが、犯人について心当たりはないか?」
一はすぐに首を横に振る。神野は少しの間黙っていたが、言葉を選ぶようにして遠慮がちに口を開いた。
「掃除屋って人がどれだけ強いのかは分かりません。けど、んな事やれそうな人って、限られてくるんじゃないかって思います」
一も心中で同意する。犯人は既に割り出されているのではないか、とも思った。
「正直、俺はこんな事言いたくないけど、けど……」
「刀剣を得物とし、尚且つ腕の良い剣士を殺してのけるモノか。なるほど、いや、私の考えが足りなかったと見るべきだな。心当たりとは言ったが、お前らの思いつく奴は知れている」
名前が出なかっただけでもマシだと考えたのか、それでも神野は苦い顔をして、一に助けを求めるような視線を送った。
「うーん、まあ、神野君が考えているような事は起こってないと思うよ」
「そう、ですかね? いや、やっぱし、そうですよね。理由なんかなしに、あいつは、そんな事出来るようなタマじゃないっす」
「その通り、さあ学生諸君、ぼさっと突っ立ってないで勉学に励み勤労に勤しめ」
店長に急かされて、神野はフロアに飛び出していく。
「おい、一、お前も神野を見習え。駆け足用意」
立花を疑うのはあまりにも容易い。しかし、一には、明るく、子供っぽくて泣き虫な彼女が人を殺せるとは思えない。まして彼女にはそんな事をする理由もなく、道理もないのである。
が、それはあくまで、昨日までの話だ。神野も店長も、立花の二面性、立花の母、新について知らない。彼女らが壊滅した『立花』の復興の為に、強者を探して、立花の婿に迎えようとしているのを知らないのだ。
一は昨夜の立花を思い出す。口を閉ざし、感情を殺し、新の影に隠れ、怯え、人形のように押し黙る彼女を。今になって、ようやく分かった。彼女が芦屋に切り掛かったのは何の為なのか。
「店長、強い人って、そう簡単に見分けが付くんですかね」
「そんなもの知るか。まあ、一流は一流を知るとは言うが、人は見かけによらないものでもある。実際、そいつの実績だとか経歴だとかを知らない事にはな。後は、もう直接戦ってみるしかないんじゃないか」
立花が芦屋に切り掛かったのは、実際に戦って、剣士である彼の強さを確かめる為ではないのか。そして、彼女には芦屋と戦う理由が、彼を殺す理由がある。否、結果的に殺してしまったと言うべきか。
『ボクは……』
自分の意思ではない。自動的なそれは陳腐で、
『母様に言われたから』
あまりにも無責任過ぎる。
「それじゃ、先に休憩に入るね」
「はいっ、お疲れ様です」
「暫くしたら堀さんが出てくると思うから、そしたら神野君も休憩に入っちゃって」
「分かりました」
神野が頷いたのを確認してから、一はバックルームに戻った。
「いやあ、お疲れ様です」
「お疲れ様です。堀さん、引継ぎに関してはメモを残してあるんで、神野君から受け取っておいてください」
眼鏡の位置を指で押し上げ、堀は柔和そうな笑みを浮かべる。
「流石は一君、ありがとうございます」
「いえいえ、そいじゃ、俺は学校にでも行ってくるんで、後はよろしくお願いします」
「任せてください。あ、少しだけ時間をもらっても?」
勤怠の登録を済ませた一は、不思議そうに堀の顔を見遣った。
「店長から話は聞いていると思いますが……店長、ちゃんと一君たちに話しましたよね?」
「話した話した。そう念を押すなよ」
店長は煩わしそうに手を振り、面倒くさそうに煙を吐き出す。堀はやれやれと呟き、一に向き直った。
「一君、辻斬りが出たのは知っていますね。実は、その事についてお話が」
「ああ、それなら朝に神野君も一緒に聞いていた筈ですけど、二人まとめて話を聞く、じゃあ駄目なんですか?」
堀は困ったような表情を浮かべてから、店長にお伺いを立てるように視線を向ける。
「駄目だ。今から話す事を神野の耳には入れるなよ、一」
「……犯人が分かったんですか?」
「いえ、そうではなく、ある程度絞ったと言う感じです。まだ、犯人は判明していませんよ」
「そう言う事だ」と、店長は一をじっと見据えた。
「確認なんですが、殺されたのはタルタロスの葬儀屋、芦屋と呼ばれた男です。凶器は刀剣類。芦屋さんがかなりの使い手だったという話は聞いてますから、犯人も彼と同等か、あるいはそれ以上の使い手と見られていますね。そして、犯人は十中八九、剣の扱いに慣れ、長けた者です」
「それは事実なんですか?」
一はささやかな抵抗を試みる。
「ええ、まあ、残念ながら。ケースがケースで、被害者が被害者です。並大抵の人間に殺されてしまうほどタルタロスの人間も甘くないでしょう。つまり勤務外、フリーランス、もしくは、もっと別の何か。とにかく、腕の立つ者が怪しいのは確かです。そして、犯行に及んだ者だって自分が怪しまれると理解しているでしょうね。駒台には他の街よりも多くの勤務外、フリーランスがいます。しかし、数は限られている。それも、剣を使う者となれば更に限られるでしょう」
堀は一度言葉を区切る為にミネラルウォーターを口にした。
「失礼。……剣士の犯行に見せ掛ける為のカモフラージュ、という線もありましたが、今までに剣を使った事のない人間が熟練の剣士にそれを用いて勝てるとは思えません」
「あー、確かに」と、一は頭に手を遣る。店長は彼の様子を見て口元を歪ませた。
「実は、私も死体を見ました。付けられた傷口は二つ。それはあまりにも、綺麗でしたよ。並の使い手が魅せられるレベルの話ではないです。アレは正直、恐ろしいくらいだ」
堀ですらそこまで口にする。それだけの事を、本当に立花がやったのだろうか。
「ここまで言えば分かるだろうが、疑われているのは立花だ。ウチの勤務外、立花真。あいつがやったんじゃないかって言われてる」
店長はくだらないとでも言いたげに両手を軽く上げる。
「それだけではなく、その、神野君も疑われてるんですよね。いやあ、困った事に」
「神野君まで!?」
言って、一は口を塞いだ。頭では無駄な行為だと分かっていたが、咄嗟に手が動いたのである。
「オンリーワンがそうではないかと睨んでいるのは、立花さんと神野君。フリーランス『騎士団』。それから、その、『立花』の五代目、だと」
「……五代目、ですか」
「ええ、情報部が確認しました。『立花』の五代目、立花新……ええと、つまり、いやあ、その、立花さんの母親が駒台にいるのを。どうやら、九州で鬼を切ったその足でこっちに来たらしいんですよ」
鬼を切ったに、一は突っ込むつもりがない。彼女ならば、それぐらい出来て当然なのだと思えたからだ。
「急だったとは言え、『立花』に関する情報に齟齬があったらしい。当たり前だが、立花本人は母親が生きているのを知っていたようだがな。それでも、こちらとしては寝耳に水だ。死んでいたと思われた五代目が動き回っているんだから」
「そして、恐らくは娘である立花さんと合流している筈です。退治屋と知られた彼女がこの街で何をするのか、あるいは、もうしたのか。とにかく、何かは起こるでしょうね。いやあ、こんな事ならもっと早い段階で立花さんに話を聞くべきでしたね」
「幸いな事に、立花は今日の夕方のシフトに入っている。その時に聞けば済む話だ。それまでは、誰にも言うなよ」
店長は一を睨み付ける。彼は目を逸らして、もう遅いかもしれないなと、ぼんやりと思った。