燕舞、鳥刺し
翼を広げて空を往く巨大な鳥。
その鳴き声は雷鳴を思わせて、広がった羽の色は雷を強く連想させた。
「降りてくるかな」
「いずれは」
自分たちよりも高い場所を進むソレを見上げ、背の低い少年は呟く。白いパーカーと、青いジーンズという出で立ちの、利発そうな顔立ちの彼は、金色の髪をかき上げて傍らの男に視線を向けた。
「何だかんだでこの街に戻ってきちゃったね」
「ええ、全く」と、物憂げに口を開くのは背の高い男である。彼の髪は腰まで伸びている程の長さではあったが、汚らしさは皆無だった。男は茶色のファーコートを羽織り、黒のカーゴパンツ、ベルト付きのスタッズチェーンミュールを履きこなしている。
白と黒。対照的な二人の男は、上空のソレを見上げながら、逃げ惑う人々の間を縫うように悠然と歩いていた。
「ねえディル。あいつ、何て名前だったっけ?」
「サンダーバードです」
ディルと呼ばれた背の高い男が即答する。
「分かりやすい名前だね。思わず同情しちゃうよ」
「所詮は鳥です。名前があるだけ有難いと思うべきでしょう」
「まあ、もうすぐ死んじゃうんだけどね」
少年は楽しそうに言い放ち、ソレを強く見据えた。
買い物を済ませて、夕食を立花と一緒に作り、食べてゆっくりしていると、いつの間にか九時を回っていた。
「ああ、もうこんな時間だ」
わざとらしく言うと、一は立花を見遣る。彼女はこたつに入り、毒にも薬にもならないようなテレビ番組を楽しそうに見つめていた。
「立花さん、今日はもう遅いし、送っていくよ」
「え、う、えーと、その。あ、あとちょっとだけ」
「駄目」一がきっぱりと言うと、立花はテレビと彼とを見比べて、観念したように立ち上がる。
「はじめ君の意地悪」
「……じゃあ、良いよ別に、もう少しいても」
立花が目を輝かせた。
「でも、もう二度と家に呼ばない」
「やっぱり意地悪だぁ!」
「意地悪で結構。明日も早いんだし、今日はこの辺で。あー、ほら、泣かない泣かない。また今度、一緒にご飯食べよう」
「今度って、いつ?」
社交辞令を真に受けられて、一は焦ってしまう。
「いつかって約束してくんなきゃ、ボク、ヤだよ」
「俺にも用事があるし、確約は出来ないよ。それにさ、約束をしてないから、また会おうって気になるんだと思う」
「……でも、寂しいな」
鼻を啜り、立花がこたつから這って出た。彼女は傍に置いてあった竹刀袋を掴み、セーラー服の袖口で目を擦る。
「ううん、ごめん。誰かの作った料理なんて久しぶりだったから、つい、甘えたくなっちゃったんだ」
「そっか。……立花さんのお母さんは、もう……いや、ごめん。余計な事を」
「……? 母さんか。会いたいなあ」
もう二度と会えない。本当に、いらない事を口走ったと、一は己を戒めた。
「送っていくよ。うん、今度は立花さんの好きなものを作るから」
「本当? じゃあ、ボク、ごまだしうどんとねー……」
「頑張るよ……」
聞いた事のない料理(で、あろう)の名前を上げていく立花に背を向けて、一は玄関の扉を開いた。
それはあまりにも鮮やかに、軽やかと形容するのも躊躇われるほどの剣を振るった。『立花』と謳われた彼女ですら、それの刀の動きを追うのでやっとの有様だ。
それが剣を一振りすれば、人の壁がいとも容易く崩れてしまう。
二振りすれば、赤い飛沫が舞い上がる。
三度剣が振るわれる前に、座していた男たちが刀を手に取り立ち上がった。その都度、大広間の畳の上には首が転がっていく。
彼女は立ち上がる事が出来なかった。愛刀に手を置いたまま、傍若無人に、縦横無尽に振るわれる剣をじっと眺めている。その内、娘を逃がそうとした夫が倒れた。肩口からばっさりと、ぱっくりと開いた傷口を認めて、情けない男だと心のどこかで思った。
『母様、父様が……』
縋り付く娘には目もくれないで、彼女はただ、それを見続ける。
他を寄せ付けない美しさ。肩を並べる事すら許されない圧倒的な強さ。呆然として立ち上がれなかったのではない。恐怖で動けなかったのではない。それに、ソレに見蕩れていた。そこには、彼女の求めたモノがある。欲しいと、強く思った。
『母様っ!』
やがて、娘の金切り声を最後に意識は途絶える。ここで、彼女の記憶は終わる。
――――何故、抜かぬ。
やがて、彼女は目覚める。少しでも気を抜くと、立ったままでもこうなってしまうのだ。目をゆっくりと開けて、体の感触を確かめる。ほっとしたように息を吐き、顔を上げた。視線の先で、ビルの谷間を何かが横切っていく。やけに大きな鳥だと彼女は認識した。
来た時と同じように、変わらない足取りで二人は歩く。ただ、立花の気分は落ち着いているようだった。口を開かずに歩を進め、黙々と時間を消費する。
「……はじめ君。今日は、ありがとう」
ぽつりと、立花は前を向いたままで呟いた。
「いやいや、気にしないで。……ああ、そろそろ着くね」
マンションが見えてきたので一は歩調を速める。
「ねえ、はじめ君。はじめ君は……」
立花は何か言い掛けて、それから、足を止めた。何事だろうと一が振り向くと、彼女は一点を注視している。その視線の先を追うと、
「……何だ、アレ……」
翼を広げた巨大な猛禽類が、今まさに地上へ降り立とうとしていた。
「まさか、ソレ……」
「はじめ君、ボク、行ってくる」
「えっ、いや、ちょっと待って!」
「大丈夫だよ!」
一の言葉を最後まで聞かずに立花は駆け出す。今、自分の手に武器はない。店に連絡をする必要もあるだろう。だが、彼は少しだけ迷ってから、放っておけないと、彼女の背中を追い掛ける。
剣を鞘に収めると、色白の少年は退屈そうにソレを見遣った。さっきまで動き回っていた巨大な鳥、サンダーバードは既に息絶えている。口からは長い舌を突き出して、白目を剥いていた。哀れな最期を認めると、彼は喉の奥で意地悪そうに笑む。
「やっぱり名前通りの力を使ってきたね」
「……肝が冷えました。自分から雷に飛び込むような真似は、もう二度としないでください」
ディルは乱れた髪を手櫛で直しながら少年に声を掛けた。
「良いじゃないか。たまには僕だって暴れたいんだよ」
ビルとビルの間、大通りで死骸と化したソレ。引き返していく車両や、遠巻きに眺める人々を見回して、少年は獰猛な笑みを浮かべる。
「無闇な干渉は控えた方がよろしいかと」
「別に何もしていないじゃないか。それより、行こうか。血の臭いを嗅ぎ付けて、辛気臭い奴らが来るだろうし」
「タルタロスの葬儀屋、ですか」
「腕は悪くない。どころか、正直『騎士団』にスカウトしたいぐらいの力量はあるんだけど、彼、やる気がないからね」
少年が歩き出すと、その後ろをディルが付き従う。
「……ああ」
「何か?」
「いや、面白そうな子を見つけたんだけど。ま、良いや」
鳥が降り立ったであろう場所に向かうと、人が集まっている通りを見つけた。一が目を凝らすと、二車線の道路のちょうど真ん中に、大きな鳥が転がっているのが見える。どうやら、もう動かない、死んでいるらしかった。
「ナナがやったのか……?」
「ううん、違うと思うよ」
立花が真剣な目付きで言う。
「あの傷口を見てよはじめ君。アレはきっと剣で出来たものだよ。そいで、多分、凄い強い人がやったんだと思う」
「……そんなの分かるの?」
「うん。だって、綺麗な切り口だもん」
改めて見ても、一には何も分からない。それよりも、誰がやったのか、である。一も立花もナナもやっていないのなら、誰がソレを殺したと言うのか。
「はじめ君、どうしよっか。店長さんに言った方が良いのかな」
「いや、俺たちが言わなくても情報部が動いてると思う。……うん、帰ろうか」
ソレに対処する勤務外だと言っても、結局は戦う事しか出来ないのである。そうでなくとも、わざわざ死体を処理する気もなかった。これ以上ここに留まり続ける意味はない。
「ちょっと、興味があったんだけどなあ」
立花が竹刀袋を抱き締める。彼女は先ほどからずっと、ソレの死体に目が釘付けになっていた。
「……斬り合いたい」
「ん? 何か言った?」
「えっ、う、ううん。何もっ」
一は訝しげに立花を見遣ったが、彼女の様子に変化は見られない。気のせいだろうと思い直して、息を吐く。
「それじゃ改めて……」
振り返り掛けた一が、その動きを止めた。背中で受けて、体全体で感じる異様な雰囲気。黒いバンが通り過ぎるのを横目で確認すると、彼は唾を飲み下す。
黒のバンが停まった瞬間、重々しく、物悲しい雰囲気が立ち込めた。その場にいた者の多くは立ち去り、残った者はそれを指し、まるで霊柩車のようだと錯覚する。その車の助手席から現れたのは男だった。上半身は裸で、下半身には辛うじてぼろきれを身に纏い、髪はぼさぼさで猫背。全体的にだらしなさを漂わせる、そんな男。この場にはそぐわないであろう気だるい雰囲気を連れ込み、彼は少しだけ目を見開いた。
「ああ? 何だよ、すげえなコレ。すげえでけえなこの鳥」
ぶつぶつと呟きながら、男は持っていた鞘から刀を引き抜く。
「来た」
立花は、熱に浮かされたように、ぼうっと口を開いた。月明かりに照らされる、透き通った刀身。不精な男には似合わない、綺麗な得物。
「ちゃっちゃと終わらせるか」
男は片手に刀を持ち、相変わらずの猫背でソレの死体に近付く。
「アレが葬儀屋、なのか?」
以前にジェーンから聞かされた事を思い出して、一は呻くように声を出した。早くこの場から立ち去りたい。そう思って立花を見るのだが、彼女はふらふらとした足取りで歩き出し、竹刀袋から日本刀を抜き取った。何が起こっているのか分からなくて、彼は声を掛ける事が出来ないでいる。その内、立花は確固とした意思を持って走り出す。鯉口を切り、刀の切っ先をあの男に向けた。
どうして走っているのか。
どうして切り掛かっているのか。
それはきっと、自分が人形だからだ。生まれてから今まで『立花』であれと、呪いのように囁かれ続けていた。花を愛でる事すら許されず、ひたすらに刀を振るった。それが当然だと思っていたのである。だから、不思議には思わなかった。疑問を抱かなかった。
だから、これで良い。
理由は要らない。ただ、言われたままにやれば良い。
「いざっ!」
大上段に構えた刀を振り下ろす。男は何も言わず、振り向かないままで立花の攻撃を弾いた。彼は返す刀でソレの死体を刻む。
「よう、また会ったな嬢ちゃん」
「こちらを向いてもらいます!」
背を向けた男に刀を振るう。躊躇いなど一切ない。渾身の突きを、男は横に一歩動くだけで回避した。空を切る刀はソレの体に深々と突き刺さる。ならばと、立花はソレの体を鞘代わりに、刀を無理矢理に引き抜いた。
その間にも、男は解体作業を進めていく。見る見るうちにソレの死体は二つに、四つに、八つに、十六、三十二、六十四。百二十八。意味を成さないパーツに分かれていく。寸断、分断、断裂、分解分別分離分割。頭を、肩を、胴を、腰を足を羽を脚を。男の剣筋は早く、肉を断つ音も、骨を裂く音も、何も。何も音がしなかった。
横に薙いだ立花の刀はまたも空を切る。男はしゃがんだままでソレを切り続ける。
全く相手にされていない。そう認識するも、やる事は変わらない。立花は首を刎ねるつもりで得物を振り下ろしたが、男はその斬撃を弾き返して立ち上がった。
「獣だねえ」
「あなたを切れるのなら獣で結構!」
「獣じゃあ切れねえさ」
男の太刀筋は見えないほどに早く、切られたソレの死体から血液が飛び散らない。彼は立花の攻撃を避け、時には受け止め、弾き返しながらでも、決して作業の手を止めなかった。
「ボクを、ボクを見ろっ!」
「いやー、そろそろ終わるし」
言うと、男はくるりと回転する。ソレの死体はとっくのとうに原形を留めておらず、幾万もの肉片と化していた。
「さーて帰ろ」
「帰すものかっ」
立花は男の前方に立ちはだかる。ようやく、彼と目が合った。彼女はにっと口の端をつり上げて、好戦的な笑みを浮かべた。
「車に戻りたければ、あなたはボクを切る他にない」
「んなこたぁないと思うけど」
男はぼさぼさの髪の毛を掻き毟り、面倒くさそうにあくびをする。
「つーか、なして切られにゃならんのかねえ」
「前にも言った筈です。あなたの腕が悪い。ボクの前で刀を振るうから、こうなる」
「こっちも仕事でね。生きてく為にゃあ働かなきゃなんねえのさ。言いたい事が分かるよな、嬢ちゃん」
「ボクと戦ってもらいます」
「働くからにゃ、生きてたいって事なんだよ。良いだろ、ほっといてくれや」
歩き出す男に、立花は刀を向けた。
アレは誰だと、一は二人の剣士を訝しげに見つめた。
泣き虫で、人懐こい笑みを浮かべる彼女はそこにいない。名前を呼ぶ事すら叶わない。獣じみた剣戟が、往来で繰り広げられている。
「立花さん……」
一の目から見る限り、立花と正体不明の男の力量には差がある。剣や刀に関しては門外漢の彼でもそれは分かった。その差がどれくらい広がっているかまでは分からない。それでも、常の立花ならば子供のようにあしらわれる事はなかった筈だ。彼女は今、冷静さを欠いている。しかし、何故かしっくりと来ていた。まるで、アレが本当の立花の姿みたいで、彼女がとても遠いところにいるように思えた。
「真面目にやってください!」
「真面目ねえ……」
男は自分から手を出さない。立花の繰り出す攻撃を避け、受けながら一歩ずつバンへと歩を進めていく。
「いい加減にしてくんねえかな」
「あなたの方が!」
刀が振るわれたのだと認識したのは、立花が男の攻撃を受け止めたのを見てからだ。一は彼の行動が全く視認出来なかったのである。
「そら、退きな」
男の太刀筋は燕のように早く、鋭い。立花は彼の攻撃を捉えられず、防ぐのでやっとの有様だった。
「立花さん!」
差はある。しかし届かないレベルではない。が、今日退院したばかりの立花にはあまりにも荷が重いのだ。一は叫ぶが、何も出来ない。ここで彼女の名を呼ぶか、あるいは立花が切られるのを見ているしかないのである。
男は刀を振るペースを落とさず、むしろその動きを早めていく。
「今の嬢ちゃんには見えねえよ」
「くっ、ううっ……」
少しずつ後退していく立花に、一は安堵した。どうやら、男に彼女を殺すつもりはないらしい。立花が無理に前進し、攻撃を仕掛けなければそれで済む。
「真っ、受け太刀するな!」
「なっ……?」
突如、誰とも知れぬ、稲妻のように鋭い声が響いた。一は信じられないといった表情で声の主を見つめる。
「退くなっ、前に出なさい!」
立花に向かって死ねと叫ぶのは喪服を着た女性である。一の対面にいた彼女は道路に足を踏み出した。
「……あの人は」
今朝、店へ買い物に来ていた女性だと、一はすぐに気付く。しかし、今の彼女は別人にしか見えない。儚げで物憂げで、寂しげだった印象は消え失せて、鬼ですら後退りしてしまうような剣幕で声を放っている。
「目を開けなさい真!」
おそらくは立花の知り合いなのだろうが、一体何のつもりなのか。前に出ろと、戦えとけしかける女性に、一は僅かな嫌悪感を覚える。
しかし、立花は女性の声を受けてその場に止まる。言われた通りに太刀で刀を受け止めず、上体を逸らして攻撃を避けていた。
――――危険過ぎる。
「駄目だ立花さん! 君はまだ……」
「――――黙って」
視線が交錯する。立花は感情が宿っていないような、冷たい目でこちらを睨んでいた。彼女の視線に気圧され、一は口をつぐんでしまう。
「教えた通りにやれ真! 太刀で受ければ反撃が遅れるっ」
「はい」
呟き、立花は反撃に転じた。男の刀を避ける動きを無駄にしないで、最小限の動作で刀を横に薙ぐ。
「……めんどくせぇ」
何かが違う。何かがおかしい。違和感を覚えながらも、一は確信めいたモノをはっきりと感じていた。
そうだ。アレが、立花なのだと。
「無駄口叩かなくて良いのかよ。……あー、そーかい」
形勢は逆転しつつある。立花の動きは数分前とは明らかに違っていた。人が変わったのではないかと、そんな気さえ起こさせる。触れれば間違いなく裂かれる。彼女は、そんな、刀による攻撃を紙一重で回避し続けていた。女性の指示通りにぎりぎりの攻防を積み重ねていく。
一は思うように呼吸が出来ず、胸を押さえて立花を見つめていた。
「こりゃ、ちぃとまずいか」
劣勢だと判断した男は今までにない速度で斬撃を放つ。頭を低くする事でその攻撃を躱した立花に、男は片手で掌打を突き出した。刀ばかりの攻防が続いたせいで咄嗟に反応出来なかったのだろう、彼女は目を瞑ってしまう。時間にすれば一秒にも満たない。だが、瀬戸際では玉響ですら命取りとなる。
「やるじゃんかよ」
目測を誤った立花の攻撃を避けると、男は脇目も振らずに駆け出した。開きっぱなしだったバンのドアから車内に身を滑り込ませると同時、黒い車は走り去ってしまう。
取り残された立花は腕をだらりと下げて、棒立ちの一へと顔を向けようとした。次の瞬間、乾いた音が何度も周囲に響く。喪服の女性が彼女の頬を引っ叩いたのだ。
「『立花』を舐めるな、真」
「はい」
「私が教えた事をもう忘れたのですか?」
「いいえ」
喪服の女性が、再度立花の頬を打つ。
「恥を知りなさい」
「はい」
しばし呆然としていた一だが、戦いを終えた立花に対してあのような仕打ちはないだろうと思い、女性を止めるべく二人に向かって歩き出す。
「何も手を上げる事はないでしょう。あなたは立花さんの何なんですか?」
「部外者が口を出す問題ではありません。あなたこそ真の……」
言い掛けて、喪服の女性は一に射るような眼差しを向けた。
「……あら、あなたは今朝出会った店員さん」
「覚えていてもらって嬉しいですよ」
女性は薄く笑み、両手を組む。
「あそこにいたという事は、店員さんは真の同僚で、勤務外だという事ですか」
「そんなところです。それより、やり過ぎじゃあないですか」
「ウチの教育方針に口を挟まないでくださる? これは家族の問題です」
「家族って……」
立花の家族はソレに殺された筈だ。一は強気の姿勢を崩さずに、じっと女性を見据える。
「馬鹿な、『立花』は壊滅したって聞きましたよ」
「どうやら、店員さんはきちんとした事を教えてもらっていない様子なのね。……あなた、真とは仲が良いのかしら」
「……は?」
そんなもの、本人の口から聞けば良いだろうと思うのだが、立花は俯いたきり何も話そうとはしなかった。
「こうして一緒に出歩いているのですから、仲が悪いとは言わせませんが。よろしい、こちらでの真の暮らしぶりも聞いてみたいと思ってましたし、店員さんも聞きたい事があるのでしょう?」
「ええ、まあ……」
「落ち着いた場所でお話がしたいわ。どこか、案内してくださる?」
立花を怒鳴りつけていた激しさはどこへやら。喪服の女性は楚々とした雰囲気で一に微笑み掛ける。
「それは構いませんが、あなたは何者なんです?」
「あら、まだ気付いていないの?」
言うと、女性は細めていた目をゆっくりと開けた。瞬間、一の全身が強張る。
烏の濡羽色。青みを帯びた艶やかな髪。一よりも背は高く、目が合ったものを、そのまま視線だけで殺してしまいそうなほどの強い意志を持ち合わせた鋭い切れ長の瞳。全身から立ち上る異様な雰囲気。そう、それはまるで抜き身の刀だった。自分からは何もしないが、近寄ったものを容赦なく切り捨てる敵意が彼女の体全体から溢れている。
ああ、どうして気付けなかったのだろう。
「初めまして、私は立花新。『立花』の五代目であり、真の母です」
とんだ厄日だ。人付き合いの苦手な男にとって、古い顔に会うのは苦痛でしかない。
「危ないところでしたね」
「うーん」
壮年の男性運転手に話し掛けられて、男は目を瞑った。
「『立花』とやり合うのは二度目でしたか?」
「いやー、確か、えーと、三度目くらいじゃなかったかな。全く、怖いったらないねえ、アレばっかりは」
「あんな子供なのに、まるで化け物ですね。いや、ウチにも反抗期の娘がいるんですが、彼女に比べればまだまだ可愛いものに見えますよ」
家族やら結婚やら、よくもまあ面倒な事を背負い込めるものだと、男は心の中で嘲笑する。
「しかし、本当のところはどうなんですか芦屋さん」
「んー、何が?」
「あのままだと、どうなっていたんでしょうね」
「さあ、どっちかは死んでたんじゃないのかな。まあ、俺がやってたと思うけどさ」
「本当ですかあ」
「うん。マジマジ」
立花の変貌には驚いたが、それだけで殺されてやるほど自分は甘くない。弱くはない。ただし、あのまま切り結べば五体満足で帰って来れなかったのは事実である。芦屋と呼ばれた男が逃げ出したのは余計な怪我を負いたくなかったのと、それ以上に面倒くさくなったからだ。
「しかし、相手は『立花』なんでしょう」
「つってもさ、なーんか怖いって感じなかったんだよね。俺が怖かったのは、あの喪服の方だよ」
「喪服の? いましたっけ?」
どっちでも良いのと、これ以上口を開くのが面倒なのとで芦屋は黙り込む。運転手も彼の性質をある程度理解しているからか、それきり話し掛ける事はなかった。
バンはタルタロスまでの道を進んでいく。ある角を曲がった刹那、運転手の体が車両ごと横に寸断された。乗り手を失った車は惰性によりゆっくりと前に進み、ガードレールにぶつかる。
車から飛び出していた芦屋は切断された筈のそれを確認した。確かに、車が斬られたという感覚はある。実際に運転手も胴体を断ち切られて絶命していた。だが、車には何の変哲もない。彼は何が起こったのか分からないまま、本能に急かされて鞘から刀を抜く。
「今日は良い日だ。で、ござる」
声のした方に目を遣れば、そこには男が一人立っていた。彼の手には一振りの得物が握られている。刀ではない。一般的に長剣と称される、代わり映えのしない剣である。
「変な喋り方のお兄さん、あんたがそいつで斬ったのかい?」
「うむ、その通り。拙者がやった」
古風、と言うよりは珍妙な話し言葉を使う男に芦屋は最大限の注意を払った。先刻やり合った立花とは比べ物にならないぐらいの使い手だと一瞬で見抜いたのである。
「まさかたぁ思うが、侍のつもりかよ」
「サムラァイは拙者の目指すべき生き様でござる。まだまだ、拙者など未熟者なれば」
対峙する男はまだ若い。青い瞳に、ブロンドの髪を結った髷と真っ赤な着流しにロングソードは似合わない。組み合わせが無茶苦茶で、どころか、今の世にはそぐわない奇天烈な格好。だが、佇まいや身に纏った威圧感は本物だった。恐らく、彼は自分の数倍、数十倍、あるいはそれ以上の数のモノを切り、殺している。
「厄日だ」
「そうでござるか?」
「あー、そーさ」
芦屋は言い捨て、刀の切っ先を男に向けた。向けてから、しまったと思った。
「むう、やはり剣士の間に言葉は無粋か。いや、失敬、許されよ」
男はロングソードを鞘にしまい、柄に手をかけた状態で腰を落とす。その仕草、構えはまるで抜刀術のようにも見えた。
「兄ちゃん、色々と舐めてんだろ」
「拙者は本気でござる」
そうだろうなと、芦屋は諦めた風に息を吐く。
「さあ、参られよ」
背中を向けた瞬間に斬られる。逃走の意思を見せた瞬間には斬りかかられているだろう。生き延びたいなら、ここでこの男を仕留める他ない。全く面倒だと呟いてから、芦屋は一歩、彼の間合いに向かって踏み出した。