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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ゴルゴン
167/328

ファイティングポーズ


 何回首を撥ねたか、何度殺したか。一はもう数えるのを止めてしまっている。

「あら」

「あら」

「まだ続けるの?」

「まだ続けるの?」

 水を吸ったシャツが邪魔で、一はそれを脱ぎ捨てた。全身がだるく、重い。

「ガーゴイル、もっかい行くぞ」

 姿を隠しているが、近くにいるであろうガーゴイルに声を掛け、一は向かってくるステンノの攻撃をアイギスで防いだ。体はもう衝撃に耐えられない。地面が濡れているせいもあるが、体力も殆ど尽きている。彼は足を踏ん張れずに滑り、アスファルトに上半身を擦った。

 追撃を試みるステンノはガーゴイルが上から圧し掛かる。一とエウリュアレ、一対一の状況に持ち込むが、既にシルフは戦線を離脱していた。彼女は店の前に座り込み、辛そうに呼吸を繰り返している。

 したがって、空中から襲い掛かるエウリュアレに対して、一は何一つ有効な策を持っていない事になる。良いように攻撃されて反撃すら出来なかった。

「一さんっ」

 ガーゴイルの声が聞こえたと同時、一の体は再び地面を転がっている。ステンノがガーゴイルから逃れて、エウリュアレに気を取られている一を横合いから殴り付けたのだ。尤も、彼はアイギスで防いで致命傷だけは避けている。

「あら」

「あら」

 呼吸が荒い。息を吸おうとして、しこたま雨を飲んでしまった。一はむせて、肺に残っていた空気を全て吐き出してしまう。

「もうおしまい?」

「もうおしまい?」

 苦しかった。ここで立ち上がらずに寝てしまいたい。どうせ死んでしまうなら、結局殺されてしまうなら、潔く諦めるのが一番だ。そう思いつつも、一の体は生還の道を探している。アイギスを広げながら、更に後ろへと下がっていた。足掻き、もがき、喘ぎながら生きようとする。

 そんな一を、ステンノは一撃で終わらせた。彼の手からはアイギスが離れ、彼の体は冷たい地面にくっ付いてしまう。



 ――殺せ。

 その声に従い、首を刎ねた。

 ――殺せ。

 その声に従い、胴を薙いだ。

 ――殺せ。

 その声に従い、剣を振った。

 ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。

 ――お前は英雄になりたかったんだろう?

 その通りだと返して、縋り付く者を蹴り殺した。

 ――英雄になる為にはどうすれば良い?

 敵を殺す事だと答えて、背を向けた者を斬り殺した。

 殺せば殺すほど英雄に近付ける。だから、彼は剣を振るった。味方だった者、家族だった者も関係ない。一度敵に回れば殺すしかない。

 殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、それでようやく、英雄になれる。



 傘を差した男が戦場に現れる。すぐそこを通り掛かったからと言うような気軽さで、倒れている一に向かって手を上げた。

 あまりにも、似つかわしくない。彼は半そでのよれたシャツに、汚れたズボンを着ている。髪も髭もぼさぼさで、ともすれば路上生活者のような風采の上がらない雰囲気を持っている。

「……北、さん……」

「元気ねえじゃねえか、坊主」

 一を見下ろすゴルゴンたちには目もくれず、北は彼の傍へと近付いた。

「あら」

「あら」

 ゴルゴンが北に手を伸ばすが、彼はもうそこにはいない。いつの間にか店長の隣に立ち、煙草を口に銜えていた。

「……なんだ、お前?」

 店長が北を強く見据えるが、彼はその視線を涼しい顔で受け流す。

「通りすがりの元英雄だ。嬢ちゃん、火ぃ貸してくれるか?」

「お前が、北の英雄なのか?」

「どうだろうな?」

 ライターを貸してくれなかったので、北は仕方なく自前のものを使った。格好が付かなくなったので、彼は俯いてしまう。

「あら」

「あら」

「あなた」

「あなた」

「前にもどこかで」

「会わなかったかしら?」

 ゴルゴンは一から視線を外して、北を見つめた。彼は紫煙を吐き、口の端をつり上げる。

「綺麗な姉ちゃんにそういう事言われんのは、嬉しいね。俺もまだまだイケるって事かぁ? なあ、嬢ちゃんよ」

「……私は嬢ちゃんと呼ばれるような歳じゃあない」

 店長は北を睨み付けた。

「俺から見りゃあまだまだ嬢ちゃんだがな」

「何しに来たんだお前は」と、店長は北の正体に気付いても尚、彼に対する口調と態度を改めない。鬱陶しそうに言い放ち、さっさと帰れと言わんばかりの視線を送る。

「坊主、随分と殺したな」

 強い雨に流されていたが、それでも一の上半身にはゴルゴンの返り血が残っていた。北は彼の様子を確認して、無茶をしたものだと溜め息を吐く。

 ゴルゴンの血は、毒なのだ。彼女らの血を浴びても一が平気でいられるのは、彼の中に巣食ったメドゥーサの為である。蛇姫が、姉たちの毒を中和させているのだ。しかし、手放しでは喜べない。何故なら、その事実は一がメドゥーサに食われつつある事に他ならないのだから。

「ハルペーを渡した甲斐があるってもんだぜ。どうだい、使い心地は?」

 一はごろりと寝転がる。

「……最悪ですね」

「頑張った方だとは思うがな。どれ、貸してみな」

 そう言った次の瞬間、北は一の傍に立っていた。その場にいた全員が目を見開く。

 一が持っていたハルペーを強引に奪い取り、北は彼を見つめた。

「坊主、先に言っとくがな、俺じゃあゴルゴンを倒せねえ。倒せるのはお前だけだ。アイギスを使え。メドゥーサを呼び出せ」

 右手にハルペー。左手にキビシス。足にはタラリア。ハデスの兜は必要ない。もとより姿を隠すつもりはないのだ。北は煙草を吐き捨てて大きく伸びをする。

「俺はアレに勝てねえが、殺されもしねえ。坊主の気が済むまで、アイギスを使いこなせるようになるまでは時間を稼いでやるよ」

「……でも、俺は」

「英雄ですら殺せなかった不死のゴルゴン。どうにか出来るのは……一一、お前ぐらいなんだぜ?」

 力強い。北の言葉には有無を言わさぬ説得力があった。アパートで話していた時とは違う。何かを吹っ切ったような、清々しい力に満ち満ちていた。

「ほうら、あちらさんも辛抱効かなくなっちまったらしい。見ろよあの目、俺を欲しがってやがる」

 口の端をつり上げて、妖艶に笑むのは二体の蛇姫。遠い昔に遠いどこかで、女神にその美貌をやっかまれた姉妹。彼女らに負けじと、星になった英雄も笑う。

「ようやく思い出したわ」

「ああ、憎らしい」

「あなた、ペルセウスね」

「ああ、呪わしい」

「は、やろうか」

 短く告げ、英雄が夜を裂く。夜を往く。右手に携えた三日月が、銀色に光り輝いた。



「くっ、はぁ、畜生……」

 一はシルフの隣に腰を下ろして弱々しく毒づいた。もう動きたくない。が、そうもいかない。アイギスを見つめ、胸に手を当てる。答えてくれと祈りを捧ぐ。

「一、アイギスは……」

 一は力なく首を横に振った。店長は彼に傘を差してやろうかと迷ったが、今更過ぎると気付く。何もしてやれない自身が歯痒く感じられて、銜えた煙草を強く噛み締めた。

「ゴルゴンを倒せるのはお前だけだと奴は言ったな。何故だ?」

「ゴルゴンは不死です。だから、殺せない。なら、ずっと止めてりゃあ良い。石になって一生固まってれば……」

「メドゥーサの石化……そうか、ヤマタノオロチのアレか。確かに、お前にしか使えない、成し得ないだろうな。だが、可能なのか?」

 自分の意思でメドゥーサを呼び出せるのか?

 一は唇を噛み締めて、アイギスを見つめる。

「……時間はまだある。あの英雄とやらがソレの注意を引き付けているからな」

 しかし長くは持たないだろう。早くアイギスを、メドゥーサを使えるようにならなければ。

 ――――本当に使えるのか?

 一は北を見遣る。彼は英雄だ。紛れもなく、本物の勇者である。

 では、自分は? 英雄か? 勇者か? 主人公か? 違う。ただの大学生だ。たまたま女神に出会い、ソレの血が混ざった異端者に過ぎない。この土壇場で、秘められた力が沸き上がる筈がない。都合良く展開するとは思えない。助けはもう来ない。自分の力だけでこの場を切り抜けなければ、死ぬ。

「……店長、シルフを連れて逃げてください」

「何故だ?」

「それから、店の皆にはごめんなさいと伝えてください」

「くだらん。遺言のつもりか? ふざけるなよ、まだやる事が残っているだろう」

「知っています。もしもの話ですよ」と、一は自虐めいた笑みを浮かべる。

「私は逃げない。逃げる理由がないからな」

 そう言うと、店長は一の隣に座った。

「濡れますよ」

「店員を置いて逃げ出す店長がいるか。ほら、早く何とかしろ」

「……ありがとうとは言いませんから」

「当然だ。言うなら、ありがとうございますだろうが」



 飛び回るエウリュアレに、地を駆け回るステンノ。彼女らを相手にしながら、北は気持ちが高ぶるのを感じていた。酷く興奮している。楽しいのだ。戦える事が嬉しい。敵意を剥き出しにされるのが、こんなにも心地良い。握った武器は懐かしくて、涙が出そうになるほどしっくりときていた。

「あら」

「あら」

 同時に聞こえる同じ声。北は傘を投げ捨てて、両手を広げる。彼は降りしきる雨を、降って湧いたこの状況を受け止めていた。

「英雄さん」

「英雄さん」

「今度はあの子を」

「やらせはしない」

「この場であなたを」

「必ず殺すわ」

 ハルペーを構えて、ステンノへと意識を向ける。北は一つ嘘を吐いた。時間稼ぎをするなんて、嘘だ。彼は殺すつもりでいる。自身が殺されようとも、ここで命を落とそうとも、ゴルゴンを仕留められたならそれで良い。もう一度戦えるのなら、満足出来る。

「どこまでいっても、英雄ってのは英雄でしかねえみてえだな」

 くつくつと笑い、北は右手を振るった。彼の虚を衝いたつもりのステンノが地面に崩れ落ちていく。

 一はまだアイギスを、メドゥーサを――――否、道具と言うものを理解していないらしい。当たり前だが、道具には意思がない。持つ者の意志によって動き、意図の通りに動く。使って、扱って、扱き使ってやるのが道具の為だ。

 北はタラリアを使って飛翔する。雨を縫い、夜の闇を裂くように飛び上がった。情報部の人間が持つような神具のコピー、レプリカの類ではない。彼が持つのは正真正銘のオリジナル。伝令の神から賜った飛翔の靴だ。

 飛翔。その名を由来とするエウリュアレよりも速く空を駆ける。北の動きは常人どころか人外にすら追えなかった。彼はソレの真上を取り、右腕を振り下ろす。エウリュアレの首に赤い筋が走っていた。彼女は空中に静止したのかと思えば、次の瞬間には地上に向かって落ちていく。胴体から頭部が離れていき、北はそれを見送った。どうせ、首はまた数分もしないで生えてくる。尽きない命を盾にしているせいか、ゴルゴンの動きは鈍いように感じた。

「……楽しいが、こりゃあ……」

 やはり、自分ではゴルゴンを殺せない。彼女らをどうにか出来るのは石化の力を備えたメドゥーサだけだ。稀代の怪物である彼女を従わせられる一にしか、一だけが――――。

 ならば、自分はどうしてここにいる。北は他ならぬ自分自身に問い掛ける。分かり切った問いに、何度も答える。決まっていた。生まれた時から、雷神である父親の血を引き継いだ、受け継いだその瞬間から決まっていた。

 ――――英雄。

 理由は一つで良い。たった一つで理由になり得る。自分が半神である限り、北英雄は英雄(ペルセウス)であり続ける。英雄と呼ばれる為に一の前に出たのではない。英雄であろうとする為に剣を取ったのではない。英雄だから、ここにいる。もう、それだけで良い。

「……あら、強いのね」

「意外だったかい?」

「ええ、あなた、ネズミみたいにコソコソしていたから。もっと好きにやれば良いのに」

「はっは、そうかい」

 起き上がったステンノを見て、北はハルペーを握り直した。



 アイギスの力は凄まじい。それは類い稀な防御力だけではない。能力を発動するには条件があるが、一度クリアしてしまえば、対象の動きを止められるのだ。更に、一はその先へいこうとしている。石化、だ。アイギスにはめ込まれたメドゥーサの力を使い、一時的な動きの停止ではなく、永続的な停止を狙っている。

「……駄目だ。何をどうすりゃ良いのか分からない」

 しかし、当の一はメドゥーサどころかアイギスすら満足に扱えないらしかった。彼は深刻そうな表情で悔しがる。

「一、ヤマタノオロチを石化させた時を思い出してみろ」

「……駄目なんです。メドゥーサが出てきた、と思う時は思い出せるんです。けど、それだけです。同じ風に思えって言われても、無理だ、そんなの」

 しかし、一が上手くいかないと全員が死ぬ。不死のゴルゴンに対抗しうる力を持っている者が、果たしてこの世に残っているのだろうか。

「ピンポイント過ぎる……」

「俺もそう思いますよ」

「しかし一、お前が持つのは道具だ。道具でしかない。アイギスに意志があるか、それは分からん。しかしだ、お願いしますと下手に出ても仕方がないだろう。命令しろ」

 店長は続ける。未だ進展のない事態に焦っているのかもしれなかった。

「私の知る、多くの道具、武具を操る者がそう教わっていたらしい。使え、扱え、扱き使え、と」

 誰が言ったか知らないが、その通りだと店長は思った。しかし、一は納得した様子を見せない。

「いつまでもそうしているつもりか? 良いか、道具は応えない。答えを持っている筈がない。無理矢理に引きずって従わせろ。お前が所持者なんだ。誰にも文句は言えん。だから……」

「……ああ、だから」

 一は頷き、畳んでいたアイギスを広げた。

「そうか。だから、俺は……」

 アイギスを愛しげに撫でて、一は得心したように笑う。この世全ての理を分かったかのような、見る者を不安にさせる顔だった。

「店長、それじゃあ駄目なんですよ。少なくとも、俺とアイギスは……いや、俺とメドゥーサに限ってはそうじゃない」

「一……?」

「信じろって。俺はそう言われたんです。今、信じるのはアイギスじゃない。アイギスを使う自分でもない。信じるのは、メドゥーサだった」

 絶望が間近に迫った状況下で、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情を浮かべる一に、店長は戦慄した。

「俺が信じるのは道具じゃない。信じるなら、使わない。扱えない。扱き使うなんて言ったら殺されちまう。ずっと、最初からそうだったんだ」

 一はアイギスを真上に投げ捨てる。

「俺が信じるべきで――――」



 英雄じゃなくても良い。

 英雄になれなくても良い。

 そう思った、そう言われた彼は知らない。

 ヒーローとは、最初から死ぬ為に存在する。誰かの為に死ぬからこそ英雄なのだ。自己犠牲を美徳で塗り固めた、誰かの偽りによって押し付けられた存在なのだと。

 ギリシャ神話の主神ゼウスの妻にして姉であるヘラ。ヒーローの語源、意義とはヘラに捧げられた男性。即ち彼女の供物、贄なのだ。捧げられた命だけが英雄と称される。

 しかし、彼は選んだ。決断に成功した。誰かを守って、誰かの為に死ぬのではない。誰かを守りたいなら、何を差し置いても一番に守らねばならないものがある。それはきっと、英雄には叶わない行為。英雄でないからこそ叶う事なのだ。



 ――――俺が信じるべきだったのは……!

 一の投げ捨てた傘が地に落ちる。刹那、風が吹いた。北や店長が店の前に広げて置いていたビニール傘が宙に舞う。

 ――――呼ぶべきだった名前はっ!

「シルフ、最後の仕事だぜ」

「……風使いの荒い奴」

 シルフはもはや立ち上がられないほどに疲弊しきっていた。彼女は座ったまま、一の周囲を、ビニールの傘を見据える。

「一っ、これは……!?」

 店長が目を見開いて叫んだ。一の周囲に停滞する風が、数本のビニール傘を彼の周囲に浮かび上がらせている。

 北が何事かを叫んだ。復活したエウリュアレが一に向けて蛇を放っていたのである。牙を剥き、赤い舌を覗かせる数匹の蛇が彼に飛び掛かっていた。


 守りたいと思った。

 自分と関わった全ての人を、自分が関わった全てのモノを守りたい。その気持ちに偽りはない。いつだって変わらない。手の中から一度でも零れたモノは拾えない。いつだって、なくしてからでは遅いのだ。

 守りたい。

 護りたい。

 人間も、ソレも、勤務外も、フリーランスも、何もかも。何もかも関係ない。好きな人だけ守りたい。だって自分は、英雄ではないのだから。そして彼女は道具ではない。今までずっと自分を、周囲の人間を守ってきてくれていたのだ。使え、扱え、扱き使え? 有り得ない。彼女と自分は対等なのである。共に戦う、隣に並ぶモノなのだと、ようやくになって気付いた。

 だから。


 割れる。割れる。世界が音を立ててひび割れていく。

 崩れる。崩れる。世界が唸りを上げ崩れ落ちていく。


『主』と、声が聞こえた。自分の内から響く、儚げな声。


 揺れる。揺れる。世界が世界を揺らしていく。

 壊れる。壊れる。世界が世界を壊して、いく。


『私の主、可愛い主』あの日も聞いた、あの声。


 光る。光る。世界が光に満ち満ちていく。

 生まれる。生まれる。世界が新しく生まれ変わっていく。


 守りたい。その一心、ひたすらに思う一の意志に彼の――――が答える。

 アイギスが、発動する。

 彼女が答える。

 耳鳴りと頭痛。一は目を瞑り、それらに耐えようと歯を食い縛った。

 アイギスを握っている腕から力が抜け落ちていく。

 頭から、何か大切なものが零れ落ちていく。

 瞼の奥に、白い光が迸る。世界が白に染まっていく。塗り替えられる世界が、二つに割れていく。

 白い世界の中、一はまた、白い女を確かに見た。

 そしてまた一つ、一は世界を理解する。

『あなたが、守りたいのは?』

 声がした。一は答える。

「皆を。でも、自分も守りたい」

『……主を?』

 一は頷いた。

「俺を守ってくれ、メドゥーサ。俺も、お前を守りたい」

 髪の長い、身の毛もよだつような美貌の女は声にならない声を発する。彼女は嬉しくて嬉しくて、仕方がないのだ。

「今まで、俺たちを守ってくれてありがとう」

 一の隣の空間が歪んでいく。

「これからは、俺も一緒に戦いたい。足手まといかもしれない。迷惑かもしれない。けど……」

『もう一度、呼んで』

 声がする。

 一は息を吸い、ゆっくりと告げた。

 声がする。内からではない。外から、すぐ、隣から聞こえた。


 宙に停滞していたビニール傘八本が一を取り囲む。彼を守るように、外へと向けて広がった。放たれた蛇は全て防がれ、地面に叩き落されて、消えていく。

「あら?」

「あら?」

 雰囲気の変わった一を見て、ゴルゴンが小首を傾げていた。彼女らだけでなく、返り血に塗れた北も動きを止めている。

「坊主、まさか……」

「ああ……」

「ああ……」

「そこに、そこにいるのは」

「あの子が、ここに来ているのね」

 ゴルゴンが北に背を向けて、一に向き直る。彼女らは忘我の表情でうわ言を呟いた。

「あの子がそこに」

「すぐ傍に」

「私たちの」

「手の届くところに」

 一は何もない、誰もいない筈の隣を見遣り、腕を上げる。すると、浮いていた傘がひとりでに動き始めた。彼を守るべく、ゴルゴンの視界から阻むべく。

 ステンノが駆け出して、手を伸ばした。その手が掴もうとしているのは一ではなく、アイギスでもない。そして彼女は何も掴めなかった。ぴたりと、不自然な体勢で動きを止めている。

「……あ、ああっ、やっ、ぱり、やっぱりぃ」

 泣いていた。アイギスの壁に阻まれたステンノは幼子のように涙を流して、咽び泣いている。

「会いたかったんだ?」

 一が優しげな声で問い掛けた。彼はステンノに尋ねたのではない。自らのパートナーに問うたのである。

「お願い、妹を、返して……?」

 泣き笑いの表情でステンノが口を開いた。一は無言で首を振り、彼女を指差す。瞬間、全てのアイギスが光を放ち、ステンノを吹き飛ばした。

 エウリュアレの傍まで飛ばされたステンノは立ち上がり、悪鬼をも震え上がらせるような形相で怒号を轟かせる。それでも一は動じない。彼の上げた腕を合図に傘が動いた。ゴルゴンたちを取り囲み、ゆらゆらと宙に留まり続ける。

 何が行なわれようとしているのか、最初に気付いたのはステンノで、彼女の様子を見た北も直感した。彼はこの場から逃げ出そうとするステンノの前に回り込み、ハルペーを突き出す。

「へっへっ、あんたもおしまいだなあ」

「ここに残れば英雄さん、あなたも死ぬわ。いいえ、死ぬも同然かしら」

「俺はもう良いのさ、充分こっちで遊んだからなあ。だが、あんたをこっから逃がす訳にゃあいかねえぜ。なあ、坊主!」

 一は苦虫を噛み潰すような表情で北を見る。今から自分がやろうとしているのはゴルゴンを止める、その一点に全てを注ぐ事だ。しかし、メドゥーサの力は強過ぎる。ましてや、一度目。その力を制御出来るとは思えない。

「北さんっ、そこから……!」

 北は振り向かない。そこに残れば、ゴルゴン諸共石化すると言うのに。だが同時に、彼がステンノを引き付けておかなければ、全てが水泡に帰す。

「一、お前は……お前は何をしようと……!?」

 店長が喚いていた。一は答えられない。これ以上意識を乱せば、集中を切らせば、どうなるか分からない。

 眩い光がこの場に存在する全てのビニール傘――――アイギスから放たれる。不浄を焼き尽くす清浄な輝きを受けて、夜が切り裂かれていった。魔を払い、敵を退ける女神の力が膨張していく。

「そうだ、やれっ」

「ぐ、ぐううっ! ペル、セウスぅぅ、またしても私たちをっ、私たちを引き裂くのぉぉ!」

 北がステンノを押さえ付けている。が、事態を飲み込んだエウリュアレは一を睨み付けた。彼さえ倒せば何とかなると、足を踏み出す。

 まずいと、店長は一に視線を向けた。しかし、彼にエウリュアレを止める術はない。シルフは動けず、北はステンノを押さえるのに必死である。襲われれば一巻の終わりだ。覚悟を決めろと、自身に言い聞かせる。

「……一、私が一秒ぐらいは持たせる」

 一は目を見開くが、口は開けなかった。彼は泣きそうな顔で店長を見つめる。

「姉様、私がっ」

「おねが――――!」

 ステンノの喉が掻き切られた。北は彼女を地面に叩きつけてエウリュアレを追う。

「あの子は返してもらうわ!」

 アイギスを失った一の前に両手を広げた店長が立ちはだかる。彼女は決して目を閉じない。しっかりと、向かってくるソレを瞳に焼き付ける。

 辛うじて動く部位を使って一は歯噛みした。準備さえ整えば、ゴルゴンが二体ともアイギスに囲まれていれば、すぐにでも力を解き放てる。しかし、今はどうする事も出来なかった。ここでどちらかを逃がすような半端な真似をすれば、もう二度と好機は訪れない。誰かを、自分を守る為に誰かを犠牲にしなければ――――。

「ご安心ください」

 低い声が、何もない空間から響く。ばさりと、何かが翼を広げたような音がして、店長に腕を伸ばしていたエウリュアレが、見えない何かに押し潰されるようにして地面に沈んだ。

「あぁあっ、こっ、れは……」

「一さん、この好機を逃してはなりませんよ」

「ガ……ゴイ……」

 倒れていたエウリュアレが体を起こされる。そして、アイギスの包囲している場所へと押し戻され始めた。彼女は必死に抵抗していたが、姿の見えない相手にはまともな反撃も難しい。

「でかしたぜガーゴイル。そんで、悪いな」

「いえ、お気になさらず」

 北は、近くまで移動させられたエウリュアレの髪の毛を引っ掴み、ステンノの上に打ち捨てる。

「坊主……!」

 やるなら今だ。力を使うのは今しかない。不死の怪物を打倒するのは、今をおいて他にない。しかし、それでは北とガーゴイルまで巻き込んでしまう。

「一さん、わたしたちは覚悟していましたっ、だから!」

 力は今にも溢れ出しそうだった。一の意識を越え、彼の手を離れてしまう。

「皆死んじまっても良いってのか! やれ、俺たちは人間じゃねえんだ!」


「信じて」


 誰を? そう問い掛ける前に、彼女は笑っていた。

「信じて」

 何を? 喚きたくなる気持ちを押さえたのは、優しげに笑む彼女だ。

「信じて」と三度口を開く。一は頷き、彼女に手を差し伸べた。

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