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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ゴルゴン
159/328

FOREIGNER


 ちゃんと、目を見て話して?



「来るのが遅いから死ね」

 一と顔を合わせた店長の第一声はこれだった。

「……退院おめでとうぐらいは言って欲しかったんですけどね」

「言って欲しかったのか?」

「まさか」

 煙を手で払い除けながら、一は久方ぶりに制服へ袖を通す。制服を着たからといって何かが変わる訳ではないが、それでも何か感慨深いものはあった。

「店はどんな感じでした?」

「とりあえず応援は来たがな、芳しいとは言えん。納品と客の対応に追われて掃除なんて殆どやっていないな」

「掃除からやっていけば良いですかね。今は……二時前ですし、お客さんもあまり来ないでしょう」

「最初から客の来る店じゃないけどな」

 笑えない。一は煙の来ない位置の壁を背にして一息吐く。

「一、見舞いに来て欲しかったか?」

「来たかったんですか?」

「行きたい筈ないだろう。誰が好き好んで病院に行くか。私が聞いているのはお前の気持ちだ。お前は、私に来て欲しかったのかどうか。そこを聞いている」

 予想していなかった質問に一は困ってしまった。『あの』店長にしては殊勝過ぎる質問だったのである。

「他の人はどうか知りませんが、俺に限って言えば来て欲しくなかったですね。入院してる時にまでバイトの事は考えたくありませんし」

「…………やっぱりな」

「何か言いました?」

「いや、やはり私は正しいのだと確認しただけだ」

「そりゃよござんすね」

 それ以上店長が何も言ってこないのを確認し、一はダスタークロスとモップ、それからちり取りを持ってフロアに向かった。



 空を飛んでいる。宙に浮いている。どう形容しても構わないのだろうが、人間には凡そ不可能なベクトルで動いているモノがいた。

 強い風が吹き抜けていく。緑一色の帽子を被り直したソレは、半袖半ズボンながらも風の冷たさを気にした素振りを見せない。

 ――嫌な風だ。

 駒台の街並みを見下ろしながら、そう思うだけである。

「本当に、嫌な風だな」

 呟くのは、風の精霊シルフだ。彼、あるいは彼女はとある経緯から駒台に居ついている。とは言え、大した理由はない。ふらりと立ち寄った街で、興味のある人間と出会っただけの事だ。それも、その人間とちょっとした契約を結んでいるからに過ぎない。

 お菓子をもらう代わりに、人間に危害を加えない。

 ただ、それだけの事だ。契約と呼ぶには少しばかり幼い内容でもある。が、その人間は律儀にそれを守り、シルフもそれを守っていた。

 駒台にいてもいなくても構わない存在なのだが、シルフは誰に頼まれた訳でもなく、この街の風を見張っている。

 そのシルフが、先ほど吹いた風を嫌だと形容した。

「……この風は……」

 シルフは眼下を強く睨み付ける。間違いない。ソレが、来る。それも並大抵のモノじゃない。今までにないくらいの、魔だ。

 しかし、ソレが来ると分かっていながらシルフには出来る事が少ない。この街に迫る脅威を目前にして、風の精霊は――。



 フロアの掃除と商品のフェイスアップを終えた一は一息入れる為にバックルームへ戻った。店長からは『勝手に入ってくるな』という視線を注がれてしまうが気にしない。今はどうせ立ち読み客すらいないのだ。

「……四時か」

 まだ二時間しか経っていない。恐ろしい事に、今日は何時まで働けば良いのか分からないのである。堀からは二日間よろしく頼むと言われていたが、まさか本当に二日、四十八時間連続で働けと言う訳ではあるまい。ある筈はないのだが、不安でしょうがない。

「おい、椅子に座るな。早く表に出ろ」

「客が来ないんですからいてもしょうがないでしょう」

「だったら呼び込め」

「居酒屋じゃないんだから……と、店長、電話ですよ」

 けたたましい音によって会話は中断する。が、店長は鳴り続ける電話を無視して煙草に火を点けた。

「電話ですよー」

「うるさい奴らだな」

 無機物と一緒にされてしまい、一は溜め息を漏らす。

「退いてください。俺が出ますよ」

 店長は椅子に座ったまま移動した。一もニもなく飛び退くように動いた様子から、どうやらこの結果を狙っていたらしい。

「……お待たせしました。毎度ありがとうございます、オンリーワン北駒台店の一でござい……ああ、どうも、お世話になっております」

『いいえ、こちらこそ。早速で申し訳ないのですが、いつものようにお使いをお願いしたいのですけれど……』

 電話口の相手は一の知る人物であった。タルタロスで警備をしている、馴染みの者からの電話である。

『大丈夫、ですかね?』

 どうにも歯切れが悪い。何故だろうと思う前、一は自分がついさっきまで入院していたのを思い出した。

「えと、大丈夫、ですよ?」

『大丈夫、ですか?』

「勿論です。持っていくものは何かありますか? エレンさんから何かリクエストとかありませんか」

『そう、ですね。パチンコの雑誌が見てみたいと言っていましたっけ』

 一は首を傾げる。パチンコなどとは、とてもではないがエレンからは想像出来ない。

『何だか派手で見ていて面白そう、だとか』

「……なるほど。んじゃ、適当に持って行きます。時間は、今からって事で良いんですかね?」

『ええ、お願いします』

「分かりました。それでは、失礼します」

「誰からだった?」

 受話器を置き、一は伸びを一つ。

「タルタロスから、いつものです」

 店長は露骨に顔をしかめる。

「帰ってきたばかりの戦力を取られるとは……」

「店から適当に雑誌持っていっても大丈夫ですよね」

 一は内心、ラッキーだとガッツポーズを作っていた。タルタロスまで行くのは面倒だが、エレンと話しているだけでも時給は計算されるのだ。

「駄目だ。返本しようとしてた奴があったろ。違う違う、ああ、そっちのダンボールの中だ」

「エロ本しかないんですけど」

「じゃあそれで良いだろう」

「良いわけないでしょう」

 雑誌の山を掻き分けていくと、奥の方に何冊かパチンコのそれが隠れていた。何を持っていけば良いのか分からないので全部持っていく事にする。

「ついでに返本作業もしといてくれ」

「はいはい」

 どうせ一旦出てしまえば当分は戻ってこないつもりなのだ。それぐらいお安い御用だと、一は腰を上げる。

「返本終わったらゴミ出しとけよ」

「……はいはい」

 急に腰が重くなったが、仕方がない。



 駒台の街を見下ろすのは久しぶりだった。お気に入りの屋根の上からの景色は格別で、そこに自分以外の誰かがいても大して気にはならないぐらいに清清しい。

「やはり、ここは良い街だと見ます」

「そうかなあ。シルフ様は他にももっと良さそうな街を知ってるぞ」

「その割にはここに拘っているように見えますが。あなたも、わたしがいない間ずっとここにいたのでしょう?」

「う? うるさいな、たまたまだいっ」

 駒台大学の裏山、そこの中腹にある洋館の屋根の上が、ガーゴイルのお気に入りの場所である。今日はここで静かに、ゆっくりと落ちる陽を眺めようとしていたのだが、先客がいた。

「それよりさ、ノームの話、早く続きを聞かせてよ。お前あいつに会ったんだろ? あいつ何してた? 生きてたのか?」

「ええ、ノームさんは――――」

 先客とはシルフである。彼、あるいは彼女はガーゴイルが来た時からずっと、屋根の上でぼんやりと雲の流れを見つめていた。

「……降りそうですね」

「ん、ちょっと曇ってきたかも。つーか、降るよ」

「風が教えてくれるのですか?」

「まあね。あー、雨か。雨はうっとーしーよなー。お前は濡れるの好きか?」

 ガーゴイルは首を横に振る。

「錆びてしまいますからね」

「ああ、ちょーごーきんって奴じゃないんだな。お前って何製なの? オリハルコン? ヒヒイロカネ?」

「さあ、自分の事にはあまり興味がありませんから」

「ふーん? じゃ、早く雨が止めば良いなっ」

 シルフは無邪気に笑うが、ガーゴイルはまたしても首を横に振った。

「とは言え、わたしの存在する意味がなくなってしまいますからね。雨は降るに越した事はないのではと、そう見ています」

「存在? 難しい事はキライだな」

「……要するに、雨がなければガーゴイルに意味はない、と言う事です」

 分かったような分からないような、曖昧な表情を浮かべてシルフは寝転がる。不安定な姿勢だが、風の精霊には問題ないスタイルなのだろう。

「あいつも雨はキライなのかな」

「あいつ? ああ、一さんの事ですか」

「うん。あいつ、いつも傘持ってるけど雨が好きなのかな」

「聞いてみればよろしいのでは?」

「どーーしてシルフ様がそんな事しなきゃならないのさ。ニンゲンにこびへら、こびへつうら、こびふぇ……」

「媚びへつらう、ですか?」

「そうっ、それ!」

 シルフは満面の笑みを浮かべ、くるくると宙を舞う。

「ま、暇だからあいつにお菓子をもらうついでに話してやるのも良いかもしれないなっ」

「……そうですね」

 ガーゴイルは雲行きが怪しくなり始めた空を見上げた。

 ――分かって、いるのでしょうか。

 何を話すにしても、一は勤務外で自分たちはソレだと言う事に。

 自分たちは違う。一を、人間を襲うつもりはない。だが、今この街に訪れようとしているモノは違う。純粋に、本能に従い、自らの欲望に従い人間を貪るかもしれないのだ。そんな魔が眼前に迫っていたとして、自分たちはどうするのか。

 一に、何をどう伝えるのか。

 伝えるのか?

 自分はソレで、一は人間。そして一を襲おうとするものは自分たちと同じくソレと呼称される同一の存在なのである。

「……位置を、見定める時なのかもしれませんね」

「ん? あいつがなんだって?」

「いえ、独り言です。気にしないでください」

 傍観者に徹してきた。理由などない。今までがそうだったから、そうしてきただけの事なのである。一歩踏み出せば、何かが変わってしまうのは明白だ。今までの自分は、もうそこにいない。そこからいなくなる。

「んー、良い景色だな。シルフ様もここが気に入ったぞ」

「それは良かったと見ます。わたしも、ここは気に入っていますから」

 果たして、どうするべきなのだろうか。どう、なるべきなのだろうか。



 本を閉じる音に、一の意識は深いところから呼び起こされる。どうやら自分は眠っていたらしい。そう気付いた時、彼の顔は羞恥から朱に染まった。

「疲れているようね、ハジメ」

「……そうみたいですね」

 一に薄く微笑み掛けるのは、室内だと言うのに顔が見えないほど深くフードを被ったエレンである。彼女は表紙の派手な雑誌をひらひらと弄びながら、退屈そうに頬杖を突いた。

「どうでした、それ」

「パチンコ……響きは好きなのだけれど、思っていたよりも退屈ね。あなたたちはこういうの好きなのかしら?」

「さあ、俺はギャンブルが苦手なもので。ただ、まあ、はまっちゃう人ははまっちゃうらしいですね」

 一はぼんやりと糸原を思い出す。それと、同じアパートの住人である北の事も。

「飲む打つ買うはやらないに越した事はないと思いますけどね」

「それじゃあつまらなさそうね」

「刺激なら他から得ていますから。それに、つまらないってのも良いものですよ」

 と言うか、地下に篭りっぱなしの人間には言われたくなかったのだが。

「本当にやらないの? お酒は飲まないの? 博打も打たないの? 女も買わないのかしら?」

「……全く飲まないって事はないんですけど、最近は特に飲みたいとは思いませんし、博打も俺は弱いですから」

「女は? 買うよりも飼う方が……もしくは飼われたい性質なのかしらね?」

「ノーコメントです」

 最近になって一は気付いたのだが、エレンはどうやら下世話なネタで自分を追い詰めるのが好きらしい。

「そう言えば、あなた煙草はやめたと言っていたかしら」

「ええ、前にも言いませんでしたっけ?」

「……前には、聞かなかったのよね」

 エレンは物憂げに息を吐く。その仕草が妙に艶かしく一には見えた。

「ハジメ、力を使うと世界が変わると言ったのは覚えてる?」

「ええ、自分でもそう感じる事がありましたからね。なるべく控えるようにしています。尤も、使いたくても使えない状態なんですけどね」

「あら、そうなの? ま、その話は興味深いのだけど後に回しましょうか。問題は、あなたの世界の方なのだから」

「世界って、つまりは俺の中、って認識で良いんですか?」

 世界とは余りにも便利で大雑把な言葉だと一は思う。

「良いわよ、結局はハジメに降り掛かる事なのですもの。……私、一つ言い忘れていた事があるの」

「言い忘れていた事、ですか?」

「ええ。ハジメの世界が変わる前兆として、嗜好が変わると言ったわよね? あれ、もう遅いらしいわ」

「……遅い?」

 嫌な予感が一の全身を駆ける。いつの間にか手には汗を握り、僅かながら声も震えていた。

「前は聞き流してしまったのだけれど、ハジメ、あなた煙草を吸わなくなったと言っていたわよね?」

 言った。確かに言っていた。だから、一の鼓動は早まっていく。

「何故かしら? どうして煙草を断ったの? 理由があるのかしら。もしもないなら、ハジメの世界はとっくに書き換えられている可能性があるわね」

 理由などない。煙草は、ある日突然止めていたに過ぎないのだ。

「あなたの中にいるメドゥーサが、あなたを変えた。違う?」

「分かりません……」

「煙草をやめたのはいつ?」

「もう、随分前だと思います」

「なら、それぐらいの時期からハジメは……」

 変わっていた。否、変えられていた。変化は明確には感じられない。だからこそ、恐怖する。

「……盾は、どうして使えなくなったのかしら」

 話は変わったようで変わっていない。本当なら言いたくない事ではあったのだが、自身に関わるそれを避けては通れない。一は渇いた喉の通りを良くしようと唾を飲む。

「壊されちゃったんです。アイギスに穴が開いちゃって」

「壊された?」

「見ず知らずの女の子にやられちゃいました」

「その台詞だけ聞くと、何だかとても淫靡だわ」

 エレンはくすくすと笑った。一からすれば笑い事ではないのだが。

「だから、もしかしたら俺がここに来られるのは今日が最後かもしれません」

「あら、どうして? 私が嫌いになったのかしら?」

「茶化さないでください。……アイギスは、アレは、俺が勤務外でいられる証だったんです」

「だから?」

「俺は、まだ勤務外って事になってます。だけど、アイギスのない俺は勤務外じゃない。いつ戦いで死ぬのか分かりません。今日か、明日か、いつか必ず死にます」

 死ぬ。自分で口に出すと、やはり実感が湧いてしまう。

「でも、死は平等よ。アイギスがあろうとなかろうと、勤務外であろうとなかろうと、死はいつか、必ず訪れるわ」

「それでも、勤務外だから俺はソレと戦わなきゃならないんですよ。普通の人より早く死んじゃうと思います」

「戦わなければ良いんじゃない?」

「戦わなきゃ、いけないんだと思いますから」

 この街でソレと戦える者は少ない。多分、自分しかいないのだと一は覚悟している。武器はない。身を守るモノはない。だが、アイギスがなくてもその身を盾にする事は出来る。それでも、やはり死にたくない。

「戦いたくはないけど、行かなきゃならない、ね。ヒーロー、と言う奴かしら」

「ピンと来る言葉ではないですけど、そうなのかもしれませんね」

「……そう、私は、またハジメと会いたいわ。だから、イイ事を教えてあげる」

 ――また、か。

 エレンはこうしてアドバイスをくれるのだが、一は自分が見透かされている気がして気持ちの良いものには感じられなかった。

「英雄に会いなさい。そうすれば、ハジメの命は延びるかもしれないわ」

「……英雄?」

「そ、英雄。古より存在する、星になった英雄、北の英雄を探しなさい、ハジメ」

 そんなモノ、この世に存在するのだろうか。

「英雄から学びなさい。女神の盾を知りなさい。ハジメ、あなた自身を分かりなさい。そうすれば、あなたはもっと強くなれるわ」

「努力、します」

 言ってはみたが、英雄なんて規格外の、ある種反則的な存在を探し出せる筈などない。一はエレンの曖昧とした言葉に辟易としていた。

「もう一つ、ハジメ、あなたはとてもとても酷い誤解をしているわ」

 一の態度に気付いているのか、いないのか。エレンは口元に微笑を湛え、優しげな声音で彼を窘める。

「あの盾は、絶対に壊れないわ。忌々しいぐらいに、丈夫なのよ」

 その時一は思った。エレンが顔を、目を隠していてくれて良かった、と。



 タルタロスを出ると、既に陽は沈んでいた。顔見知りである守衛と挨拶を交わし、一は店までの道を歩く。

「……寒いな」

 ぽつりと呟くと、口からは白い息が漏れた。

 今日だけで事が起こり過ぎている。壊れたアイギス。壊れていないと言い張るエレン。英雄に会えと、学べと言われた。入院し、退院して勤務外に戻った。たった一人で戦わなければならないのだと漠然とは思った。

 だが、どうしても糸原の手が脳裏をちらつく。

 守りたい。この生活を、この日常を維持したい。それでも、勤務外である以上死は必ず付き纏う。

「寒いな」

 怖いのだ。怖くて怖くて、逃げ出したくて堪らない。誰かと話している間はみっともない醜態を晒さずに済む。こうして、一人でいる間が一番怖い。本当に、自分は店までの道を歩いているのか、駅まで行って、どこか遠いところに行こうとしているのではないかと不安になる。

「寒い」

 溜め息、一息。

 暗くなった空が心を押し潰そうとしているように、一には見えた。



「遅かったな、死ね」

 帰ってきた一と顔を合わせた店長の第一声はこれだった。

 一は溜め息を隠さず、コートをハンガーに掛ける。

「死にません。お疲れ様とか、労いの言葉はないんですか」

「言って欲しいのか?」

「まさか」

 だろうな。そう呟き、店長は紫煙を天井に向けて吐き出した。

「一、お仕事だ」

「分かってますよ」

「どうやら、ソレが出たらしい」

 心臓が、喉から飛び出しそうになる。早まる鼓動に落ち着けと言い聞かせながら、一は制服に着替えた。

「ソレ、ですか」

「まだ確定はしていないがな。情報部が死体を見つけてくれたらしい」

「死体?」

 死体が見つかっただけならソレの仕業とは限らない。一は一縷の望みを掛けて聞き返してみる。

「十中八九、人の仕業とは思えんやり方だったらしい。何でも、体中に穴が開きまくっていたらしくてな」

「穴、ですか」

「それだけじゃなく、現場には蛇が残っていたらしい」

 ――――蛇。

「ソレの正体を絞り込むのは難しいが、蛇に関係する奴であるのに間違いはないだろうな。……一、心当たりはあるか?」

 まるで、自分が咎められているような錯覚に一は陥った。何も知らない。何も分からない。その筈なのに、頭の中から声がする。

「いいえ、ありませんね。蛇ってのは、どうにも気になりますけど」

「だろうな。だが、気にする事はない。元々蛇に関わる化け物は多い。とりあえず、お前には現場まで様子を見に行ってもらいたい」

「様子見、だけで良いんですか?」

「無論、ソレと出遭ったならそれ相応の対処をしてもらう。もらう、が」

 店長は言葉を区切り、一の様子を観察し始めた。

「今のお前には何もない事ぐらい把握している。今のお前には何も期待していない」

「……そりゃ助かりますよ」

「だが、こちらとしては支部にポーズの一つでも見せておきたいからな。何とかしようとしています、と。得物の一つでも持って行った方が良さそうだ」

「武器と言われても……」

 一は途方に暮れる。アイギスがないのなら、自分には何もないのだ。何かあったとして、それを使いこなして戦えるとは思わない。

「ポーズだと言ったろう」

 店長はだるそうに椅子から立ち上がってロッカーを開け放った。そこは彼女のではなく、立花のロッカーだったのだが。

「ほら、これを持っていけ」

「……えーと」

 一が渡されたのは立花が置いていった予備の得物である。竹刀袋に入ってはいるが中身は竹刀ではない。純然な、純粋な凶器。ずしりとした重みが確かな証拠だ。

「こんなの使えませんよ」

「立花に悪いか? 気にするな、武器は使ってナンボだぞ」

「じゃなくて、俺は刀なんか握った事なくて……」

「簡単だ。私が教えてやろう。刀を鞘から抜いて、刺す。突く。斬る。どうだ、簡単だろう?」

 そういう意味ではない。一は、一度は受け取った刀を壁に立て掛ける。

「仮に、これを持って行ったとしてソレとは戦えないって言ってるんです」

「構わんと言っているだろう。あくまでそれは見せかけ、ハッタリだ。やばくなれば逃げ帰ってくれば良い。行って帰って来い。私はそれ以上を望まん」

「……分かりましたよ」

 行くだけ。様子を見に行くだけ。それだけならと、一の気持ちはやっと軽くなった。制服の上からコートを羽織り、彼は刀を握り締める。

「場所はどこなんですか?」

「店を出て右に曲がってまっすぐだ」

 大雑把過ぎる説明だった。その上、店長はそれ以上何も言おうとしない。

「目印とかないんですか?」

「血とか、肉とかが近くに飛び散っているんじゃないのか?」

「……とりあえず、行ってきます」

「一」

 バックルームを出て行こうとする一を店長は呼び止めた。彼は振り向かず、ただ立ち止まって続きを待つ。

「そろそろ降りそうだ。傘は持っていかないのか?」

「ええ、邪魔になりますから(・・・・・・・・・)

「そうか。じゃあな、凄く気を付けて行って来い」

 頷き、一は今度こそバックルームを出て行った。



 ぽつぽつと。ひたひたと。

 水音がどこからか聞こえていた。

「あら」

「あら」

「雨が降りそう」

「雨が降りそう」

 同じ音。同じタイミング。女の声が重なって聞こえる。

 雨はまだ降っていない。それでも、何か(・・)上から滴るような音がし続けていた。

「あら」

「あら」

「声がしなくなったわ」

「声がしなくなったわ」

 女が掴んでいたものを地面に落とす。ぐしゃりと、果実の潰れるような音が周囲に響いた。が、聞きとがめる者はいない。ここには女が二人しかいない。

「動かなくもなったわ」

「動かなくもなったわ」

「つまり」

「つまり」

「死んだのね」

「死んだのね」

 それを見下ろしたまま、二人の女は舌なめずりする。

「本当に来るのかしら」

「勤務外が?」

「本当に来るのかしら」

「人を殺したのだもの」

「来るに決まっているわ」

「来るに決まっているわ」

 感情の篭らない声、目。一切の温度を感じさせない、まるで、それは――。

「早く会いたいわ」

「あの子に会いたいわ」

 目と目を合わせる。手と手を絡め合う。

「あの子の顔が見たい」

「あの子の声が聞きたい」

 厚い雲が空を覆い、夜の深まった駒台の路地裏。同じ背丈、同じ顔をした女は血の香が立ち込める狭い空間で体を寄せ合った。

「ああ、あの子を抱き締めたい」

「ああ、あの子を抱き締めたい」

「ああ、あの子に抱いて欲しい」

「ああ、あの子に抱いて欲しい」

『ああ、早くあの子と……』

 ――その目は、まるで蛇のようだった。

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