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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ゴルゴン
158/328

WALKIN' ON THE SPIRAL



 皆、幸せだった。

 三人ともが美貌を称え合いながら仲睦まじく暮らしているだけだった。

 ああ、なのにあの女は。

 美しくて、何が悪い。



 ベッドの上で過ごすと言うのは非常に退屈である。相部屋の住人がいなくなっただけで、静けさが耳を痛いくらいに刺していた。

「……お」

 だから、物音一つにさえ過敏に反応する。起こった変化には必要以上に食い付いてしまう。

「よう、どこ行ってたンだ?」

「……関係ないでしょ」

 三森は体を起こし、カーテンを開けた。拒絶の言葉を喰らうが、糸原との会話ではそれが普通だったので彼女は挫けない。

「どうせ売店だろ? 雑誌とか買ってねェのかよ。退屈で退屈でさ、死にそうったらねーよ」

「死ねば良いじゃない」

「何か冷たくね?」

「優しくしてやる義理はないわ。疲れてるの。話し掛けないでよね」

 糸原はそれだけ言うと、カーテンを閉めてベッドに寝転がる。

「なァ、いつンなったら退院出来るんだろうな」

「怪我が治ったらでしょ」

「治ったっつーの。精密検査だとか何とか理由付けやがってよゥ。あーあーあーあー、やァだやだ」

「良いじゃない。怪我が治ったんだから」

「……? そっちだって治ってンじゃねェの?」

 運び込まれた時はどうなるものか分からなかったが、お互い大した怪我はなかった筈である。三森は小首を傾げ、ベッドから下りる。

「言っとくけど、開けたら殺すかんね」

 釘を刺されたが無視してカーテンを開けてやった。糸原は布団を頭から被り、何事かを喚く。

「開けるなって言ったじゃないのー!」

「モゴモゴ何言ってっか分かンねェ」

 三森はベッドの端へと強引に腰を下ろし、足をぶらぶらとさせた。

「ま、当分はここで過ごすンだからよ、仲良くやろうぜ。な?」

「な? じゃないわよボケ」



 暫くの間、一はベンチから立ち上がれないでいた。

 原因は糸原の体調にある。彼女の体はこの先どうなるか分からない。戦う事がどれだけ悪影響を及ぼすのか、今になって一は分かり始めている。

「……はあ」

 缶コーヒーはすっかり冷えてしまった。彼の意気はすっかり萎え、すぐそこにあるゴミ箱へ捨てに行くのも億劫な有様である。一は長い息を吐きながらベンチに横になり、曇り空を見上げた。

 本当に、この街から――。

 だが、全てを置いて逃げられるとは思えない。駒台では色々なものを残し過ぎた。自分一人だけ戦いから逃げ出そうなどとは、もう思えない。

「あら、ごきげんよう、ウーノ。こんなところでお目に掛かるとは……運命を感じざるを得ませんわね」

 一は突然話し掛けられた驚きを隠しつつ、ゆっくりと体を起き上がらせる。

「ああ、久しぶり。具合はもう良いのか?」

「ふふ、バッチリですわ」

 そう言って笑みを浮かべるのはフリーランス『貴族主義』、アイネだ。彼女は上下黒のジャージ、瓶底眼鏡、髪の毛は括ろうともせず垂らしっ放しと野暮ったい風体である。

「……ま、病院だもんな」

「何かおっしゃいまして?」

「いや、何も。……あ、隣座るか?」

「恐れ入ります」

 アイネは少し一と間隔を取ってベンチに座った。

「アイネは結構平気そうだよな」

「どういった意味でしょうか?」

「いや、アイネもさ、アレと遭ったんだろ。その割にはあんまりへこんでないって言うか、いつもと変わらないなあって」

「さようでございましたか。……そうでございますねえ、やはり鍛え方が違いますから。私もフリーランスと畏怖される存在、伊達には名乗っておりません。他のフリーランスがどんな修羅場を潜ってらしたのかは存じ上げませんが、私と肩を並べられるような方は殆どいらっしゃらない筈です」

 えへん、と、アイネは胸を張って誇らしげに言う。

 ネガティブなくせに打たれ強くはあるんだな、と、一は彼女を羨ましく思った。

「そうおっしゃるウーノも平気そうに見受けられますが。アレと、遭ってしまったのでしょう?」

 一は頷く。遭った。出遭った。アレ――――赤い、赤いダウンジャケットを羽織った少女と。

「平気そうに見える、か。いや、こう見えてズッタズタなんだぜ。全然普通じゃない。アイネは、強いんだな」

「……強いか弱いかなどと、あなたは意味のない事をおっしゃるのですね」

「意味が、ない?」

「ええ、おっしゃる通りですわ。だって、そうではなくって? 私たちはどこまで行っても所詮は人間ですもの。人間である以上、人を超えた存在には抗えません。百の鬼を、千の魔を、万のソレを殺戮せしめたとして、たった一発の銃弾で死んでしまいかねません。私たちはソレと戦うモノです。果たして、人間同士が定めた強弱に意味はあるのでしょうか」

 そんな言い方をされては否定出来ない。一は黙り込み、冷たい缶の中身を飲み干した。

「悪いな、アイネ。お前の事を何も分かってないのに勝手な事言っちゃってさ」

「まだ、私たちはお友達になったばかりです。これから、その、もっと仲良くなっていけばよろしいと存じます」

「ん、ああ、そうだな」

「…………薄いですわ」

「は?」

 アイネは立ち上がり、両手で顔を覆い隠す。

「薄いですわあっ!」

「は、え、と、何?」

 突然の奇行に一は戸惑いを隠せない。彼の困惑した様子などどうでも良いのか、アイネは呻きながら体をくねくねとさせる。

「い、いや、落ち着けよ。全然薄くねえから、むしろ濃いからお前」

「薄いのはあなたのリアクションです!」

「俺のっ!?」

 訳が分からない。周囲の視線が痛い痛い。どうにかしてアイネを落ち着かせてやりたいが、近寄る事は困難に思われた。

「先刻の発言はなけなしのっ、精一杯の勇気を振り絞って申し上げたのに! ああ、ああっ、あなたと私の友情とはそのようなレベルのものだったのですね!」

「え、そうだったのか?」

「酷い、惨い、余りにもな所業ですわぁ! やっぱり私にはぼっちがお似合いなのですね!」

 友達どころか知り合いすら辞めたい。そう思うのは間違いじゃない。

「……頼むから冷静になってくれないか」

「落ち着いていられますか! この世界には敵しかいないのです!」

「俺と、アイネは、友達だってば。お・れ・は・み・か・た・だ」

 一言一句しっかり区切って言い放つと、アイネはぴたりと動きを止める。

「本当、ですの?」

「本当本当、それ以上おかしな挙動を取られたら断言出来なかったかもしれないけど」

「良かった……それでは、あなたと私は親友で相違ないのですね」

「え、親友?」

 うーん、そこまでは。ほら、だってまだ知り合ったばっかりじゃん? みたいな気持ちを見抜かれてしまったのか、アイネは再びわっと喚いた。

「うわーっ、ごめんごめんごめんってば!」

 誰か助けてくれ!

 一の祈りが届いたのか、それとも中庭で騒がしくしている事を言い付けられたのか、とにかくこちらに看護士が駆け寄ってくる。その姿を見て、彼はほっと胸を撫で下ろした。見知った人物だったので何とかなると安心したのである。

「はじめちゃーーん!」

「……しまった。そういう人だった……」

 下の名前を呼ばれ、恥ずかしくなった一は俯いた。

「喧嘩はダメだよー!」

 手をぶんぶんと振り回しながら、彼の名を構わず叫ぶのは炉辺である。彼女はまだ喚いているアイネに力いっぱい抱き着いて頭を撫でた。

「はじめちゃんってば、女の子を泣かすなんて最っ低だよ!」

 びしっと指を突き付けられ、一は頭を下げる。

「ほらほら泣かないの。どしたのアイネちゃん、はじめちゃんに色んなトコ触られちゃったの?」

「触らないですよ!」

「はじめちゃんはいっつも女の子と一緒にいるよね。もう、女泣かせなんだからー」

 あどけない笑顔で言われても困るだけだった。一は頭を掻きながら、ベンチに体を預ける。

「色々と、ごめんなさい。騒がしかったですか?」

「うん」

 あっさり。ばっさり。

「……ごめんなさい」

「よろしい。さ、アイネちゃんにも謝りなさい」

「う。あ、アイネ、ごめんな」

 もう成人を迎えたと言うのに、炉辺に掛かればまるで子供だ。一は気恥ずかしくなりながらも、これ以上事を荒立てたくない気持ちから謝罪の言葉を口にする。

 アイネは炉辺の胸に顔を埋めながら口を動かした。

「あは、くすぐったい。……ん、うんうん。はじめちゃん、良かったね、アイネちゃん許してくれるって」

「そりゃ、良かった……」

「ただしジェットボックスシュウマイを買ってくれ、だって」

「もう売ってねえよ」

 しかもここは近畿である。

「あ、そうだ。はじめちゃんにお客さんが来てるんだった」

「お客? あ、小さい女とでかい男の二人組だったら帰ってもらってください」

「んーん、残念でした。お客は堀君だよ」

「堀さんが?」

 堀には二日前にも見舞いに来てもらっていた。だから、一は溜め息を吐く。

「良い予感はしませんね」

「んーん、残念それもハズレ。なんと、はじめちゃんは今日を以って退院出来るのでしたー! わー、ぱちぱち」

 いつもなら許せる炉辺の能天気さが一を苛立たせる。彼は何か言おうとして口を開き掛けたが、結局何も言わなかった。

「……堀さんはどこに?」

「駐車場で待ってるんだって。さあ、退院の準備をしようね。本当ならパーティーの一つでも開いてあげたいんだけど……ごめんね?」

 戦場に送り出されるのを素直に喜ぶ馬鹿はいない。一は曖昧に笑ってその場を濁し、炉辺よりも一足先に病室へと向かった。



 退院の準備と言っても、一がする事は特にない。オンリーワンが手を回していたのだろう、アイネと炉辺に見送られながら、彼は少ない荷物だけを手に病院の裏口から出て行った。

 荷物とは、一が運び込まれた時に近くにあった、穴の開いた傘だけである。彼はそれを握り締めたまま、深く息を吐いた。

「……ふう」

 こうして自分が呼び出されたのは、他の勤務外よりもダメージが少なかったからだろうと一は推測している。支部から応援は来ているのだろうが、もう店が回らなくなりつつあるのだ。そして、必要とあらばソレとの戦闘にも駆り出される事を覚悟している。覚悟しているが、死にたくはない。

 駐車場の近くまで差し掛かると、黒いワゴンが見えた。その車のボンネットに背を預けている男が一人。

「堀さん」

「……ああ、一君。どうもすみませんね」

 声を掛けると、堀はばつが悪そうに笑う。退院おめでとうなどとは、間違っても口にしないのが一にとってせめてもの救いであった。

「他の方への挨拶は済みましたか?」

「いや、それがまだなんです。どうにも顔を合わせ辛いって言うか、会っても、何を話して良いのか分からなくなりそうでしたから」

「なるほど。ま、心配は必要ないでしょう。一週間もすれば、全員と店で顔を合わせる事になりますよ」

 一週間で糸原の状態が良くなるとは思わない。一は否定も肯定もせず、曖昧にして場を流した。

「やっぱり、このままバイトに直行って感じですかね」

「申し訳ない。応援の社員が疲労のピークに来ていましてね。と、言い訳は止しておきましょう」

「構いません。そろそろ、入院にも飽きてましたから」

 一は苦笑し、助手席のドアを開けようとする。

「ああ、ちょっと待ってもらえませんか」

「……? 何を、ですか?」

「一君、私はオンリーワンの社員です」

 そんな事は知っていた。一は頷きはするも、堀の意図を読めないでいる。

「ですが、その前に一人の男でもある。社員としてではなく、堀と言う個人の意見として聞いてもらいたい。一君、君はこの車に乗らなくても良い」

 堀は眼鏡の位置を押し上げ、一を見据えた。

「乗ってしまえば、戦う事を余儀なくされる。店に戻れば、私はもう手助け出来ません。店長は君をソレとの戦闘には出さないと言っていましたが、実際はどうなるか分からない。少なくとも、後二日は一君だけの状況が続くんです」

「……でしょうね」

「ここで選んでください。乗るか、乗らないか」

 戦うか、戦わないか。

 逃げるか、逃げ出さないか。

 堀は決して強要している訳ではない。あくまで、一に選択権を与えているのだ。傲慢かもしれないが、彼の立場からしてみればぎりぎりの妥協点である。

「乗ります」

 呟き、一は助手席側のドアを開けた。

「……乗りますか。一君、理由を尋ねても構いませんか?」

「店に戻る理由ですか? 正直、楽観的に見ている部分はありますね。都合悪くソレが出るとも限りませんし、出なけりゃ店でレジを打つだけですから。それに、俺が一人なのは長くて二日なんでしょう」

「ええ、恐らく明後日にはナナさんが戻ります。次に神野君と立花さんが戻る、筈です」

 堀も運転席側のドアを開けて車に乗り込む。

「しかし、また正体不明の少女が出現するかもしれません。その時はどうするんですか?」

「その時に考えますよ。それより、堀さんたちでもアレの正体が掴めていないんですね」

「君に後を任せる身としては、お恥ずかしい話です。が、今の今まで何も考えなかった訳ではありません。私見となってしまいますが、少なからず思い付いた事もあります」

「聞いても?」

 勿論だと、そう言わんばかりに堀は頷いた。

「まずはアレをどう捉えるかです。人間なのか、ソレなのか、もっと別のモノなのか。話を聞く限り、一応は人間の姿をしているとの事でしたね」

「あくまで、形は、ですけど」

「充分です。次に、君たちを襲った理由。襲われたのはオンリーワンの勤務外、そしてフリーランスが三人でしたね。それ以外に被害に遭ったという話は聞いていませんから、これで全員でしょう」

 一は曖昧に頷く。この段階では堀が何を言おうとしているのかが分からない。

「恐らく、その少女とやらは戦闘能力のある者に対して襲い掛かっていたのでしょうね。それもある程度条件付けをされて」

「能力って……こいつは勤務外だとか、フリーランスだとかって、どうやって見分けるんですか?」

「何者かが少女に吹き込めば簡単な事ですよ。一君たちは駒台で戦っていたでしょう? 顔だとか、特徴だとか、その時の情報を握っている者がいてもおかしくはない筈です」

 気付かない内に自分の情報を知られていると言うのは気持ちの良いものではない。が、そうだとしても確かにおかしくはなかった。

「条件ってのは何なんですか?」

「例えばですが、駒台にいる勤務外とフリーランスを襲えといった類の指示があったのではないか。そう、私は睨んでいます」

「つまり、条件ってのが『この街にいる』って事ですね。でも、それなら変じゃないですか? ここにはまだ勤務外が残っているじゃないですか。北駒台だけじゃなく、南駒台店の勤務外も。もしかしたら、まだまだ別のフリーランスもいるかもしれない」

「いえ、実はそうではないんですよ」

「……そうじゃ、ない?」

 堀はキーを挿し、エンジンを掛ける。心地悪い振動が腰から伝わり、一は僅かに身震いした。

「南の方々はその日、全員が非番でした。もとより、まだオープンしていませんからね。何と言いますか、つまり、南駒台店の勤務外はその日、勤務外ではなかった、と言う事になるんです」

 偶然だ。一は心の中でそう断じ、話の続きを待つ。

「フリーランスについてはハッキリと分かっていません。もしかしたら、私たちの知らないモノが潜伏しているかもしれません。が、確認している限り『図書館』、『神社』、『貴族主義』以外のフリーランスは駒台にいなかったという報告があります。例えば『騎士団』は別の地域でソレを狩っていたとか……」

「……じゃあ、まさか本当に……?」

 本当に、少女が動き出した時に駒台に存在していた勤務外とフリーランスが襲撃された、とでも言うのか。偶然も許されるのは何度目までか。信じられない事実に、一は驚きを隠し切れない。

「一般に被害は出ていません。勤務外と、フリーランスだけが狙われた。ソレに関係しているのではないか。そう疑うのも無理はありませんね。そもそも、おかしいとは思いませんか?」

「いや、おかしい事は山ほどあるんですけど」

「ああ、いやあ失礼しました。私が言いたいのはですね、勤務外だから、フリーランスだからなんて関係なく、意味もなく、突然襲うなんて輩が何者だと言いたいのです」

「まあ、普通に考えりゃ社会で生きていくには危うすぎる性格と言うか、性質と言うか……」

 あんな力を持つ者が何者にも縛られず生きていく事が可能なのか。

 ――いや……。

「少女の行動からは理性を感じられません。一君が思うように、日常生活すら危ぶまれるほどの獣性。そんなモノが、果たして標的を定めて動けるでしょうか。その標的についての情報を収集出来るでしょうか」

「思い辛い、ですね」

「ならば、答えは一つです」

「一つ、ですか」

 堀はそれ以上何も言わなかった。一社員としての領分を越えたと思っているのか、はたまた、口にも出したくない事なのだろうか。

 恐らくはその両方だと、一は思う。

 あの少女は、何者かの庇護を受けている。力でしか自身を誇示出来ない、その存在を示す事の出来ないモノが満足に『普通』を演じられる筈がないのだ。

 そして、七名の勤務外、三名のフリーランスを易々と撃破してのけた存在を飼い慣らすモノなど一つしか思い付かない。

 ――――円卓。

「さて、そろそろ出しましょうか。あまり時間を食ってしまうと店長に怒られてしまいますからね」

「ええ、お願いします」

 車は駐車場を抜けて、オンリーワン北駒台店へと急ぐ。一を、戦場に連れて行く為に。



「本当にここで良いんですか? 店の前まで送っていけますけど」

「いえ、ここで良いんです。それじゃあ堀さん、ありがとうございました」

「いやあ、お礼を言うのはこちらの方でしょう。それでは一君、二日間よろしくお願いしますね」

 車から降り、堀に別れを告げたのは北駒台店の五百メートル程手前の道だった。

 ずっと病院のベッドで眠っていたせいで体が鈍い。慣らしておきたかったし、少し、考えたい事もある。

 堀の手前だったので本音は言えなかったが、正直、理由などなかった。

 ――――店に戻る理由ですか?

 多分、彼が聞きたかったのはそんな理由ではない。気付いていながらも、一は本心を隠したままにしておいた。

「……聞きたかったのは、多分……」

「独り言か。いやいや、寂しいものじゃな」

「っ!」

 背後から鈴のように高く、甘い声。振り向くと、そこには楽しそうな顔をした少女がいた。その少女――座敷童子の槐は大量のストラップが付いた携帯電話を袖の中へとしまうと、にいいと歯を見せて笑う。

「他人の独り言を盗み聞きとは趣味が悪いな」

「ふうむ、許せ。何せ昔からわしの姿を認められる者は少なかったのでな。ついつい気配を消して聞き耳を立ててしまうのじゃ」

「悲しい癖だな」

「だから許せと言っておる」

 全く悪びれた素振りを見せずに槐は言ってのけた。

「して、充分な休息は得られたのかのう?」

「……ああ、知ってたのか」

「ま、粗方はな。衛や早紀は連絡の一つも欲しかったと嘆いておったぞ」

「そりゃ悪い事をしたな。で、そっちは何か用事でもあったのか? こんなところをうろついてたら怖いおじさんに攫われちまうぞ」

 槐は不機嫌そうに眉根を寄せて一をジト目で睨む。

「わしを子供扱いするでない。このような形をしているが、わしは主よりも年上のお姉さんだというのを忘れるな」

「三百過ぎてんだから姉さんじゃなくて婆さんだろ」

「不幸になっちゃえー!」

「やめろ、お前が言ったら本当に不幸になっちまうだろ」

 何て恐ろしい事を言うんだと、一は心底から戦いた。ただでさえ幸運とは呼べない人生なのである。これ以上不幸になったら死にたくなる事請け合いだった。

「誰がババアか。折角主へ忠告をしに来てやったと言うに」

「忠告?」

「うむ、忠告じゃ。一、この街の名を知っておるかの?」

 一瞬馬鹿にされているのかと考えながらも、

「駒台。くるくる回る駒に、物を置く台で駒台」

 一応は答えておく。

「正解じゃ。ま、半分くらいはの」

「半分?」

「主は駒台の地の由来を知っておるか?」

 そこの住人だ。名前ぐらいなら当然だが、由来までは気が回らない。むしろ興味がないので知ろうと思っていなかった。

「……あれか、将棋の駒台から来てるのか?」

「たわけ。それではそのまんまではないか。駒台とはな、降魔から来ておるのじゃ」

「ごうま?」

 聞いた事のない単語に一は首を捻る。

「魔が降りると書いて降魔じゃ」

「何だか物騒なネーミングセンスだな。大体、魔ってなんだよ、魔って」

「要するに悪い奴じゃな」

 ざっくりとした説明だが、実に分かり易かった。

「降魔とはその字面の通り、仏教においては魔を降す、魔に勝利する意味合いを持っておる」

「へえ、そうなのか。てっきりもっとえげつない事だと思っちまった」

「いや、あながち間違いではない。この地で魔を降す為にはどうしても必要不可欠のモノがあるからのう」

「不可欠?」

 槐は意味ありげに口角をつり上げる。

「魔じゃよ。降す対象の魔がおらんでは、降魔にならないではないか。この街にはそういったモノが多過ぎる。そうは思わんか? 魔が降りる。魔が降る。どちらでも降魔に変わりはないといったところかの」

「……心当たりがない訳じゃあないけど」

 ソレ。勤務外。フリーランス。前々から思っていた事だが、駒台には確かに魔と呼べるようなものが多過ぎる。だが、地名の由来と結び付けるには聊か乱暴ではないだろうか。しかし、否定するだけの材料が今の一にはない。

「そういや、前にも言われたな。魔が降りているとか」

「忘れっぽい奴め。今からそんなではお主の将来が心配になるわ」

「うるせえよ。それより、そんな事をお前がどうして知ってるんだ?」

「わしがどこに住んでいるか忘れたか? あの楯列の家じゃぞ。この街の事なぞソファで寝そべりながらゲームのレベル上げしながら深夜アニメを見ながらお菓子を頬張りながらでも勝手に入ってくるに決まっておるじゃろう」

 堕落し過ぎだった。でもとても羨ましかった。

「結局何が言いたいんだ? 忠告って、俺に何か起こるとでも言いたいのかよ」

「そんなところじゃ。そんな由来を持つ地じゃからの、何が起こっても不思議ではない。あんな事があったばかりじゃ、主には少しばかり気を張ってもらわねば、そう思ってな」

「精々気を付けるよ」

 アイギスは、ない。今手に持っているのは穴の開いた傘でしかないのだ。何かが起こってからではもう遅い。

「では一、頭を下げろ」

「は?」

「実はな、主に与えた運気の残りが少なくなりつつあるのじゃ。この先は何が起こるか分からん。そこでMYW、マジで優しいわしとしては……」

「嫌だ。往来で小さい子に頭撫でられるなんて屈辱の極みだ」

 一は背を向け、店に向かって歩き出す。

「なっ、主っ、わしの誠意を無下にしようと言うのか!」

「押し付けがましいのは誠意とは言わない」

「良いから頭を下げんか!」

「もう帰って終わったゲームのレベルでも上げてろよ」

「とっくに上げとるわ!」

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