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24時間戦う人たち  作者: 竹内すくね
ムシュフシュ
155/328

ライデン!



 彼女のいない世界を許しはしない。



 最初に出遭ってしまったのは三森だった。彼女が何気なく路地裏を覗き込んだ時、風を切る音と共に爪が見えてしまう。肉を削ぎ、骨をも砕く無骨で鋭い獅子の爪が。

 飛び出してきた馬ほどもある巨大なトカゲが奇声を発する。三森は一般人の悲鳴を背に、炎を生み出した。

 雑居ビルとビルの間、今まで誰にも気付かれずにいた鬱憤を晴らす為だろうか、トカゲは狂ったように頭を振って暴れ出す。

「こいつが……っ!」

「――――――!」

 手近にあったごみ箱を吹き飛ばし、トカゲは突進を開始した。三森はその攻撃を避けて背後を取るも、ソレの尻尾に脅威を感じて後方へ飛び退く。濡れた路面に足を取られるも、彼女は必死で持ち直した。

「三森さん!」

 先行していた一たちが戻ってくるが、既に三森とはソレを挟んで分断させられている。

「幅が狭ェ、同士討ちだけはすンな!」

「任せなさいっ」

 レージングを構えた糸原が腕を振り上げた。銀色の閃きが幾つもの筋を路地裏に描いていく。

「――――ッ!」

 糸はソレの体を切り刻むが致命傷には至らない。表皮だけが剥がれ落ち、僅かばかりの血飛沫が上がるのみだ。

 標的を糸原に定めたソレはレージングを巻き付けたまま二足で走りだす。

「何なのよこいつ!」

「しのちゃん糸を引いてっ」

 このままではソレの勢いに糸ごと指を持っていかれない。糸原は舌打ちの後レージングを戻した。その間隙を埋める為、立花が彼女の前に躍り出る。

「アッ……」

「わわわあっ!?」

 躍り出るも、立花のすぐ傍を火薬の弾ける音と鉛の玉が通り抜けた。彼女は咄嗟に身を屈めて難を逃れたが、あと一歩反応が遅れていれば体に穴が開いている。

「どきなさいタチバナっ」

「ボクを殺す気!?」

 ジェーンは構わず残弾を撃ち込んだ。しかし、ソレの固い鱗を貫くのは叶わない。勢いを失った弾は乾いた音を立てて地面に転がっていく。

 ソレは爪を振り上げてジェーンたちに迫った。振るわれた前脚は立花が無理矢理割り込んで受け止める。だが、力比べはソレに軍配が上がった。刀は少しずつ押し戻されていく。

 それでも立花は諦めない。彼女は必死に食らい付いていた。

 見かねた、否、今まで見ているだけだった一が立花よりも前に出る。彼女の刀に合わせてアイギスを広げて押し戻し始めた。

「……ううっ」

 情けない呻きを漏らしたのは一である。

 ――こいつが、ムシュフシュ……!

 蛇の頭。獅子の前脚。鷲の後脚、翼。蠍の尾。

 図書館で確認したソレに間違いない。一は力を込めて最古のキメラに挑む。

 が、力の差は歴然であった。ムシュフシュは片足だけで一と立花を押さえている。その後は自明の理、ソレは残りの足で攻撃を繰り出した。しかし、彼らを吹き飛ばそうとした横からの衝撃は途中で阻まれる。

「けん君っ」

「前向いてろ!」

 ソレの攻撃は神野が竹刀で受け止めているのだが、彼の得物はミシミシとしなっている。今にも砕け散ってしまいそうな感触が神野の背に冷や汗を流させた。

 防戦一方の勤務外たちに新たな攻撃が放たれる。ムシュフシュの尾がビルの壁面を削りながら迫ったのだ。

「ジェーン!」

「ダメっ、狙えナイ!」

 尾は不可解な軌道で動き回る。当てるのすら難しく、また、一たちがいるせいで誤射の可能性も高まっていた。そも、先の攻防から、命中したとして銃撃でソレの動きを完全に止めるのは困難だと思われた。

 同様に、糸原のレージングも細かい狙いを付けるのは難しい。彼女の武器は多くの敵を一度に掃討するのに向いている。それも近過ぎては駄目で、遠過ぎても効果を発揮し辛い。丁度良い中間距離から、更に障害物もないような場面でないと最大限威力が出ないのだ。

「誰も動くな! そいつは私が止める!」

 機を窺っていた三森だが、仕方なくムシュフシュの尾を止めるべく足を踏み出す。ソレの胴体に足を置いて回り込んだ彼女は、のたうち回っていた尾の先端を両手で掴むと炎を生み出した。掌から発せられた熱はムシュフシュから苦悶の叫びを得る事に成功する。

 だが、生半可な攻撃は逆鱗に触れかねない。ムシュフシュは更に力を増し、憤怒の表情で神野を睨み付ける。

 神野の体が一瞬強張り、竹刀が折られてしまった。彼は飛び退いたが、学ランの生地を爪で引き裂かれる。

「無理だ一旦引け!」

 一は三森の指示に従うも、立花は最後まで均衡を保とうとした。彼女の持つ刀が鈍い音を立て始める。

「立花さんっ」

「ボクはまだ、戦えるんだ!」

 刀身にひびが入ったか否かのタイミングで神野が飛び出した。彼は立花の胴体を無理矢理抱いて地に伏す。瞬間、刀はさらさらと割れ、破片がソレに降り注いだ。

 神野たちに対する追撃を防ぐべくジェーンが狙いも付けずに銃を乱射した。ソレは僅かだが怯み、その隙に三森がメンバーのいる方へ抜け出し、一がアイギスを掲げて神野と立花が脱出する為の時間を稼ぐ。

「怪我は?」

「ないよ。しのちゃん、そこの袋取って」

 心配する糸原に短く返すと、立花は用意していた二本目の刀を取り出した。

「けん君はこっち使って」

「ちょっ、って、俺こんなの振った事ないぞ」

 差し出された刀、本物の凶器を受け取れず、神野は狼狽する。

「使うんだ。使わなきゃ、ボクたち皆殺されちゃう。それに、けん君はもう武器がない筈だよ」

 神野は一人でソレを食い止めている一を見遣った。もう、迷っている時間も選んでいる余裕もないらしい。

「……分かった。立花、剣はあと何本残ってる?」

「五本持ってきてたから、えと、あと一本ずつ」

「充分! 一さん、どれくらい耐えられますか!?」

「もう無理だって! ジェーン指示を出せ、このままじゃ死んじまう!」

 銃撃を止め、ジェーンは糸原を睨んだ。

「お兄ちゃんはもうちょっとファイト! イトハラ、ソレの片足を何とかして」

 糸原は頷き、細心の注意を払ってレージングを操作する。さっきは小手調べ程度の力だったが、次はムシュフシュの足を引き千切る勢いで放った。

 ソレの動きは止まるが、そこが限界。腕を引き千切る事は出来ない。それでも、一の負担は軽くなる。

「で、どうすんのよ?」

「ウェウェウェウェイ! 考えてるんダカラ!」

「ジェーン!」

 ムシュフシュの鱗が固い事も作用していたが、単純に攻め手に欠けていた。自分の銃も、糸原の糸も、刀もソレの身には届かない。防ぐだけなら一のアイギスが機能しているが、やはりそこで止まってしまう。三森の炎ならば、あるいは、ナナの拳ならば。

「……ナナ?」

 そこで彼女は気付いた。先程からナナだけが戦闘に参加していない。周りを見渡せば、彼女は涼しげに一らを見つめている。

「ダメイド! 何一人だけサボってるノ!?」

「いえ、命令がありませんでしたので。ジェーンさんの指示に従えと、マスターからはそう言われていましたから」

「口答えキンシー! その場その場でシチュエーションを判断して動きなサイ!」

「分かりました」

 ナナはやる気なさげに呟くと、眼鏡の位置を押し上げた。

「では、私独自の判断で動かせていただきます。まずはお時間を頂きましょうか」

 ふわりと、ナナの髪とスカートがたなびく。

「ロード開始、プログラム展開、最適な兵装を検索、モード八極、起動」

「な、ナナ……?」

 一は困惑する。ナナは何事かを呟きながら接近していた。

「各部チェック。腕部、肩部、胸部、問題なし。続いて右、左脚部も問題なし。ブースター始動を確認。オール、グリーン」

「ナナっ、危ない!」

 ムシュフシュの腕がナナに伸びる。しかし、彼女はその腕を易々と払い除けてソレの懐に入り込んだ。

「目標のパターン検索、スペック算出、一さん失礼します、最適行動再確認、クリア。行きます」

「うわああああっ!?」

「一っ!」

 何を思ったか、ナナは一の襟を掴み、糸原に向かって投げ飛ばした。

 糸原はムシュフシュに巻き付けていたレージングを回収し、間に合わずに放棄した。彼女は飛んでくる一をしっかりと抱き留める。

 そして、完全に自由になったソレとナナが対峙した。

 歓喜と憤怒に叫ぶムシュフシュを受け流し、ナナは地を強く踏み締める。その衝撃に空気が波と化した。強い音は誰しもの耳朶を打つ。彼女は再びソレの腕を弾き返し、両の腕を上げさせた。そのまま、足を地に着けたまま半身になる。

 瞬間、がら空きになっていたムシュフシュの胴体に肩からぶつかっていった。

 震脚、密着からの体当たり。是、八極拳の基礎中の基礎――。

「これが私の鉄山靠です」

 ――(どん)、と。

 肉を貫き叩く音。鈍く重く内に浸透する衝撃。さしものソレもあっけなく宙を舞っていく。ビルを削りながら、狭苦しい路地裏を抜け出していく。やがて、向こう側の路地にムシュフシュは背中から追突した。地を割るような轟音と、全てを塵に還すような風圧を背にナナは眼鏡の位置を直す。

「すっ、げえ! ナナ、やったのか!?」

「いえ、やってません。微々たるダメージを与えたに過ぎません。が、ソレは簡単には起き上がれないでしょうね、時間は稼げました」

 ナナは勤務外の誰も成し得なかった先の一撃を誇ろうともせず、淡々と結果を口にする。

「ダカラ、時間って何の?」

「……皆さんが落ち着くまでの時間です」

 冷たい冷たい、感情のこもらない瞳でナナは全員を見回した。

「正直に申し上げますと、皆さん一人残らず迷惑です。足を引っ張りに来たのなら戻るか、即座に死んでもらった方が助かります」

「なっ、てめェ良い気になってンじゃねーぞ!」

 歯に衣着せぬ物言いに三森が激昂するも、ナナは全く気にしていない。

「私一人でも任務は達成出来ます。皆さん、本当に分かっていないのですか」

「何がだよ!?」

「……三森さんには少しばかり期待していたのですが。出立前、マスターは数で押せ、袋叩きにしろと仰っていました。なのにあの体たらく、獣に対して獣――それ以下のやり方で挑むとは愚の骨頂だと申し上げたのです」

 ナナは深々とお辞儀をすると、路地裏を出て表の通りまで歩いていく。通りには人々の姿はなく、無人になった車が数台停まっていた。

「あそこで、あんな狭いところで戦っていても数の利は得られません。どころか、ソレに地の利を貢献していましたね」

 誰も言い返せなかった。ただ、俯くだけである。

「事実、皆さんは防戦に撤していました。味方の武器が味方を傷付けるのを恐れて半端な攻撃を繰り返すだけでした。ならばと一人ずつで乗り込んでいたら各個撃破されていたでしょう」

「仕方ないじゃないノ……ソレはもうそこにいたんだし」

「ならば何故広い場所におびき寄せなかったのですか。ジェーンさん、どうして有効な指示を出さなかったのですか。あなたは、皆さんを殺すつもりだったのですか」

「――ッ、ちがう! あた、アタシは!」

「違いません。ジェーンさん、もしも先の攻防で、この中から犠牲者が出ていたらどうしていましたか? 違うと、言えましたか?」

 ジェーンはしゃがみ込んで金切り声を上げる。

「知らナイ、知らナイ知らナイ知らナイ! アンタなんかに言われたくナイ! 何が分かるって言うの、アンタなんか、タダの人形のくせして……!」

「――っ、そうです。私は人形です。ですが、これは事実なのです」

「うるさい! アンタなんか、アンタなんか!」

「ジェーン、やめろ」

 ジェーンがびくりと震えた。一が彼女の頭に手を置いたのである。

「……言い過ぎだ」

「……だって」

「ナナに謝れ。それから、ナナもちょっと言い方がきつかったと思う」

「私が、ですか? しかし一さん、ジェーンさんは我々の進退を握る立場にいたのですよ。指示を出す者が無能では困ります」

「分かってる。だけど、こいつは社員なんて立場にいるけどさ、まだ子供なんだよ。それが仕事だって言われても、急に皆を引っ張るなんて無理だ」

 妹だから庇っているつもりは、一にはなかった。ここは戦場で、ナナの言う事に間違いもなかった。だが、仲違いをして戦闘どころではない、そんな事態を避けたかったのである。

「だから、仲直りしよう。な、ジェーン。謝れるよな?」

 ジェーンは一を潤んだ瞳で見上げた後、すぐに袖で涙を拭いた。

「うん。クールじゃなかったわネ。ナナ、ゴメンナサイ、アタシが悪かったワ」

「……どうやら、私はジェーンさんの気分を害してしまったようですね」

 ナナは深く、綺麗な角度で頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。ここで我々がバラバラになっては戦いどころではないですしね」

「一言多いけど、はい、仲直りな」

 一は苦笑し、他のメンバーにも目を向ける。

「頭、冷えましたよね。それじゃ、本気出しましょうか」

「おいおい、本気って言われてもよ。なンか上手いやり方でも考えたってのか?」

「俺は何も考えてません。でも、ナナ。お前には何かあるんだろ?」

「私任せですか?」

 言い当てられ、一は誤魔化すように笑った。

「……ですが、どうやら私しかいないようですね。ではジェーンさん、作戦の立案についてですが」

「あ、待った。選手交代だ。皆、今から俺とナナが指示を出します」

 全員から不満げな声が零れる。

「あんたが? つーか、私はあんたに命令されなきゃなんない訳?」

「だったら糸原さんがやりますか?」

「……やーよ」

「俺とナナがやる。反対なら早いとこ言ってくれ」

「ダメっ、お兄ちゃんは社員じゃあないんだカラ……」

 一はジェーンの頭を鷲掴みして髪の毛をくしゃくしゃにする。

「アアアアッ、何するの!? お兄ちゃんにもやって良いコトと悪いコトがあるんだからネ!」

「ごめんな、責任ってのは大人が取るんだよ。だから、お前に任しちまって、ごめん」

「……お兄ちゃん」

「俺に、兄ちゃんに任せろ。なんて、ずるい言い方か?」

「…………ずるい」

 しかし、ジェーンはそれ以上拒否するような素振りを見せなかった。

「皆も、良い、かな?」

「うん。ボク、はじめ君になら任せられるよ」

「俺もです。一さん、お願いします」

「ま、しゃあないわね。私らの命預けんだから、しゃんとしなさいよ」

 三森は何も言わなかったが、一には彼女の意志が分かっている。

「ナナ、どう見る?」

「そう、ですね。皆さんとムシュフシュの攻防を見たところ、真っ向からやり合って手傷を負わせられそうなのは三森さんと私だけのようです」

「じゃ、じゃあボクたちは……?」

 ナナは表情を変えないまま続けた。

「ご安心を。あの固い鱗を狙いさえしなければ有効なダメージは通ります。例えば、柔らかな目。関節もそこまで固くはないでしょう。尾や翼の付け根を狙うのも悪くありませんね。リスクは高まりますが、口の中から直接ぶち込むのもいかがでしょう」

「あー、言われてみりゃあそうだよな。くそ、あンだよ、マジに私らどうかしてたみてェだな」

 気楽そうに言うと、三森は煙草に火を点けて愉しげに笑う。

「集団で戦闘に臨む際の高揚感がいき過ぎた。路地裏から仕掛けられた奇襲、焦り。さて、私たちはムシュフシュにいっぱい食わされたのでしょうか」

「だとしたらムカつくわね。あんなトカゲに意図を操られたってんなら、人間辞めた方が良いかもしんない」

「私は違うぞ。辞めンならてめェだけ辞めてろ。いっぱい食わされたんなら、いっぱい食わすだけだ。腹ン中いっぱいにぶち込みまくってやらァ」

「単細胞」

「あァ!?」

「ご歓談はそこまでに。どうやら、ソレが起き上がってくるようですね。では皆さん、こちらへ」

 ナナに促され、メンバー全員が得物を手に提げ歩き出した。息を整えながらゆっくりと、ゆっくりと歩く。

 ムシュフシュの低く唸る声が街にこだましていた。その声は自らを貶めた勤務外だけでなく、この世全てを憎んでいるかのように強く、響く。

「一さん、何か思い付きましたか? 何もないのなら、私が代わりに……」

「いや――」

 一はナナの言葉を遮り、深く息を吸い、吐いた。

「――役割を決めよう。各自、ソレの部位を分担して攻撃。分担は、ナナに任せる」

「了解しました。では、初手はジェーンさん、目を狙ってもらえますか。出来るなら二つ。こちらにやって来るまでに最悪でも片目はもらっておいてください。目を奪ったなら、その後は牽制、他の方のフォローに。ムシュフシュ接近後は私がソレの動きを止めます」

 ジェーンは頷くが、一は首を縦に振らなかった。

「俺も止める方に回るよ」

「……む。まあ、良いでしょう。立花さんと神野さんにはそれぞれ翼を。糸原さんにはソレの脚を。出来れば関節部を狙ってください。最後に三森さん、尾をお願いします。止めは余力のある方にお任せしましょう。誰もいなければ、私が仕留めます。よろしいですか?」

「な、何だか難しそう。ちゃんと出来るかな……」

「ふふん、簡単よ。要はね、一とナナ子があいつを止めてる間、好き勝手にやりまくれって事なんだから。でしょ?」

 身も蓋もない言われようだったが一は笑っておく。



 店長が自分の了解もなしに勝手な行動を取るのは今に始まった事ではない。彼女が自分の意見を仰ぎもせずに、更にその行為が全く意味の分からないものだったのにも慣れている。

「全員参加、ですか。いやあ、全く全く。私には難しい話ですねえ」

 ただ、今回は輪を掛けて意味が分からなかった。堀は眼鏡の位置を直しながら、必死に笑みを作る。

「どうして、とはもはや聞きませんよ。何か算段があっての事でしょうしね」

 レジ前のホットドリンクを補充しながら堀は言う。理由を聞かせろと暗に訴える。

「怒るなよ、堀。お前に怒られたら流石に焦る。第一だな、分かっちゃいるんだろう?」

「……分かってはいるつもりですがね」

「納得は出来ないか。だが、いつかはやらなければならなかった。そしていつかまではもう時間がないんだよ。恨むなら恨め。呪うなら呪え。そうして行動に起こさない以上は安いものだ」

 店長が言っているのは、年末に向けての大規模な戦闘についてだろう。それぐらいは堀にだって理解出来ていた。

「戦力は上げておくに越した事はないでしょうね。練度が低いよりは断然に良い。一対一、一対多、多対多、多対一。様々な戦闘行為を経験させておきたいのは私も同じです」

「ん? なら文句はないだろう」

「ええ、全員を送り出したのに文句はありません。そもそもあなたに文句はないのですが、私が気になっているのは送り出した相手ですよ」

 話なら、話にしか聞いていなかった最古の怪物、ムシュフシュ。ここの勤務外たちのレベルアップに宛がうには少しばかり相手が悪いと思っていたのだ。

「ムシュフシュ……バビロニア神話のキメラか。堀、お前はどう見る? あいつらに勝ちの目はあるか?」

「正直、分はあまり良くないですね。日本におけるムシュフシュの知名度は高くない。ですが、その力は本物です。原初の女神に生み出された殺戮の為の魔物。彼らが今までに戦ったソレの中でもトップクラス、いえ、あるいは最強の相手かもしれません。が、何を今更。あなたは勝算もなしに彼らを送り出さないでしょう」

 その答えに店長は笑みを隠しきれなかった。

「分は良くない。だが悪くもない。全員が全員生還出来る可能性は充分にある。その鍵は……」

「簡単に言えば、チームワークですか。今までに考えられなかった力ではありますね」

「ああ、ここ最近はまともに人数も揃わなかった。三森一人に負担を掛けてしまっていたがな、ようやくになってというところか」

 チームワーク結構。ただ、堀には一抹の不安があった。

「上手くいけばの話ですがね。確かに、計算上では一足す一は二になります。が、実際にはそうならない。メンバーの息が合わなければ足し算ではなく引き算にもなります」

「掛け算にもなるがな」

「割り算にもなります。店長だって見たでしょう。この間の草野球、結局試合にはなりませんでした。今の段階で彼らに協力する心が芽生えているとは……」

「いや、芽生えちゃいるさ。目に見えて分からない程度にな」

 何がおかしいのか、店長は喉の奥でくつくつと笑う。

「なあ堀、ただのソレとの小競り合いじゃあ何も要らない。力だ、それさえあれば問題ない。優秀な兵か、駒さえあれば詰む事はない」

 堀は頷いた。そう、力の強い兵さえいれば全て片が付く。だが、戦闘ではなく、もっと大きな戦いならば。

「この先は兵だけじゃ回らん。将がいる。兵はただ前に進み、目の前のモノと戦うだけだからな」

「力を上手く使える頭が必要、ですか。しかし、それなら店長がいるのでは?」

 だが、店長は首を振る。

「無論、出張れるところは私が出張る。だがな、現場に行かなければ臨機対応に指示は出せない。私の目の届かない場面で、少なくとも後一人。私以外にあいつらを任せられる奴が欲しい」

「……なるほど。では、あなたの後継者とやらが今日決まるのですね」

「は、そんな大層なものじゃあないさ。大体だな、私の代わりに命を預けられる者だぞ? 簡単には決まらん」

「またまた、前々から目は掛けていたんでしょう。それで、どうなんですか。草野球なんて茶番を仕組んだ甲斐はあったんですか?」

 会話が止まる。空気が重く、居心地が少しばかり悪くなる。堀は補充の手を止めなかった。

「さて、何の事だかな」

「いやあ、はぐらかしますねえ」

「くっくっ、お前と腹の探り合いをするつもりはないんだがな。何せ性感帯が腹なんだ。触れられると気持ち良過ぎて、殺したくなるじゃないか」

「……ま、良いでしょう」

 どうせ、自分が何を言おうが戦闘は始まっている。その結果で誰かが死んでも、あるいは全滅したとして仕方がない。所詮、彼らがここまでのモノだったという事である。

 それに、ここで死ねた方が楽かもしれないのだ。この先はもっと厳しく、辛い戦いが待っている。

 だが、堀は思うのだ。願ってしまうのだ。生きて、帰ってきて欲しいと。



 飛んでいた。

 翼を広げ飛んでいた。

 地を舐めるように、それでも確実に飛んでいる。

「Dumn it!」

 ジェーンは路地裏から飛び出してきたソレに照準を合わせるが、ムシュフシュは頭を振っていて目などという小さな的は狙えない。

「慌てないでください、飛んでいるだけです」

 ナナは躊躇するメンバーの誰よりも先んじてソレに突っ込む。

「――――ッッ!」

「くっ……」

 腕を掴もうとするが、ソレはナナの脇をするりと抜けて雑居ビルの壁に足を着けた。じろりと、勤務外の面々をねめつけた後に降下する。

「糸原さん!」

「知ってるわよ!」

 目を付けられたのは糸原だった。急降下するムシュフシュを避ける為、彼女は地面を転がる。風が走り、音が走り、そのすぐ上をソレが過ぎ去っていった。

「あああああっ、私のスーツがっ! よくもやってくれたわね……」

「俺の金で買ったくせに」

「人間様に逆らってんじゃないわよ!」

 レージングが夜を裂いていく。奔る銀の閃光がムシュフシュの後ろ足に絡み付く。ソレは必死に糸から逃れようとするが、遅い。

「失礼します」

 糸原はレージングを両手で握り締め、ソレの行動を妨げている。

「重っ……」

 跳躍したナナが、糸原とムシュフシュとの間にぴんと張られた糸を掴み、ぐるりと回った。その反動を使って更に上へと飛び上がる。

「糸原さん、糸を!」

「やっちゃいなさい!」

 糸原がレージングを回収し終えた瞬間、ナナはムシュフシュの背中に飛び移っていた。ソレは彼女を振り落とそうとして体を揺するが、

「これが私の、スレッジハンマーです」

 ナナは組んだ両腕をムシュフシュの背中へ高々と振り上げ、下ろす。

「――――――――!」

 奇声を上げながらソレは落ちていった。衝撃が周囲に展開していく。

 無様に四肢を伸ばしながらも、ムシュフシュはどうにか顔を上げた。

「Hello,how are you?」

 にやりと笑うジェーンと目が合った瞬間、マズルフラッシュがソレの視界を覆った。

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[一言] 意図的かもしれませんが155話にスペルミスがあったので報告しておきます 「Dumn it!」→「Damn it!」
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