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冬来たりなば春遠からじ


 時刻は午後十時を回り、冬空は街並みを、人々を闇に誘い、溶かそうとしていた。月は雲に覆われ、一切の光明をもたらさない。

 しかし、駒台の河川敷グラウンドで光を掴まんとしている者がいる。ソレと戦い、ソレを殺し、ソレに殺される為の勤務外店員である一と三森の二人だ。彼らは僅かに差し込んだか細い光へと必死に縋り付こうとしている。

「……火だ」

「あ?」

 死神に肉体を乗っ取られた者には死が訪れる。死神が、死を運ぶ。

 春風は死神――ゲデ――に肉体を我が物とされていたが、ゲデは一らを殺すまでは春風に手を出さない。まだチャンスは残っていた。

 一たちが死ぬのが早いか、それとも、それまでに春風の体から死神を追い出すのが早いか。目下のところ話は纏まっている。要はやるか、やられるかなのだ。

 しかし、実際に『やる』段階まで来たとして、一たちには手段がない。方法がない。春風を救う術が何一つ思い付いていない。時間が必要なのだ。

 その時間を稼ぐには距離を取る必要がある。ゲデが春風の体を乗っ取り、彼女自身の能力で戦っている以上、接近戦、肉弾戦を挑んでくるのは明白だ。その為に距離を取り、時間を稼ぎたい。だが、タラリアを装備している春風から逃れられる可能性は限りなく低い。限りなく零に近い。一はタラリアについては何一つ、名前すら知っていないが、彼女の足が自分たちより速いと、比べるのも馬鹿らしくなるほど速いと理解している。

 そこで一が目を付けたのが三森の能力だった。距離を取るには二つ方法があると彼は考えている。まず、自分たちが相手から離れる。しかしこれは不可能に近い。ならばと思い付いたのが、相手から離れていってもらう方法だ。

「三森さんの火なら何とかなります」

「……私の? いや、けどよ」

「時間さえ稼げりゃ何とかなります。最悪、あいつの動きが鈍くなるだけでも良いんですよ」

「だから、どうやってだよ?」

 長々と説明している暇はない。死神は片膝を着いていた状態から脱し、一たちの様子を窺っている。今すぐに仕掛けられてもおかしくはないのだ。

「歌代の――俺と戦った時、火の玉を投げてたでしょ。アレで牽制してください」

「言っとくけど、威力はねェぞ。当たるとちっと火傷するくれーだからな」

「構いません。ただし、絶対に近付けさせないでください」

「はァ? てめー頭沸騰してンのか? 第一よ、ありゃ疲れるし、狙って投げんのが面倒なんだよな。そんなの無理に――」

 三森が駄々をこねようとした時、風が一たちの間を通り抜けていく。

 来る。

 死神の姿を確認する余裕もなく、一はただアイギスを広げて前方に突き出した。

「馬鹿野郎っ、後ろだ!」

 三森に頭を押さえ付けられ、一は地面に倒される。そのすぐ上を、音と風が駆け抜けていった。

「火っ、火っ、早く投げてくださいよ!」

「どこに投げろってンだよ!」

 死神の姿は見えない。的もないのに玉は投げられない。だが、三森は半狂乱になりながらも掌から炎を生み出す。その炎は形を成し、歪な球体へと作り変えられていく。

「とりあえず右にっ」

「知らねェぞ!」

 三森は火の玉を握り締めると、誰もいない方角へ放り投げた。当然、火の玉は次第に勢いを失い、やがては消えていく。

「意味ねェじゃねーかよ!」

「連発です連発!」

 当たらなくても良い。せめて、死神が炎に意識を奪われ、鈍くなってくれさえすれば望みはある。

「これは疲れるって言ってンだろうが」

 三森は両の掌を叩き合わせ、二つの炎を作り出した。何も分からないまま、言われるがままに火の玉を放つ。放てば新たに火を生み、また放つ。放つ、放つ、放つ。

「……来た」

 静かな夜に、風の音は聞こえ過ぎる。だが、一々確認する猶予はない。一はアイギスをしっかりと握ると、死神の来るであろう方角に構えた。

「ンン!?」

「く……っ!」

 まず、風が吹く。一の両腕に重い感触が伝わり、次に死神の驚愕の声が聞こえた。受け止められるとは思っていなかった一撃に、死神の動きが僅かに鈍る。

「出やがったなァ!」

 (ごう)と音が跳ね、三森の体から熱が発せられた。速やかな離脱に失敗した死神は火の雨に晒される。

「しつこいんだよキミたちはっ」

 死神は火の玉を掻い潜ると、左方へと走り抜けた。

 その間に三森は炎を生み、中空に停滞させる。彼女の周囲には火の玉が九つ並べられていた。

「……てめェの狙いが読めたぜ。野郎がどっから来るか分かンねーなら、こっちで来る方向を決めちまえば良いって事か」

「流石、こういう事に関しちゃ鋭いですね」

 ひとまず、一の狙い通り三森の炎である程度の距離を取り、ある程度の時間を稼ぐのには成功している。そしてもう一つ、彼の狙いは死神の出現位置の予測だった。

 死神はどこから来るのか分からない。死角、死角に回り込んで奇襲を掛けるのだ。

「右に火があれば左から、前に火があれば後から。死角から来るなら、こっちで死角を作ってしまえば良いんです」

「そうと分かってりゃさっさと言えってンだよ」

 確証はなかった。何しろ、あまりにも稚拙な策なのである。

「ンじゃ、とりあえず野郎が消えた方へ投げとくぜ」

 一はゆっくりと呼吸しながら頷いた。今は上手くいったが、次も上手くいくとは限らない。そもそも、上手くいっているのかどうかすら分からない。

「……出来れば、もっと弾幕を厚くしてもらえませんか」

「良いように人を使いやがって」

 憎まれ口を叩く三森だが、彼女は一の指示通りに火の玉を広範囲に散らせていく。

「おい、あいつが来るタイミングは分かってンのか?」

「ええ、風が吹くんです。ほら、今日は静かだから」

「……静か? ま、盾はお前だ。お前が分かってンならそれで良い」

 三森は死神の消えた方角から向かって右に炎を集中させていた。

「来ます……!」

 なら、死神が仕掛けてくる方角は――。

 風が、

「――左っ!」

「ンンンン!? キミはあああ!」

 吹く。

 死神はアイギスに足を乗せ、体重を掛けながら醜く顔を歪ませた。

「降りやがれえええええ!」

 一も負けじと叫び、気勢で押し返す。

 そして膠着は長く続かない。三森が一の肩を踏み台代わりに跳躍し、死神に肉薄する。

「畜生っ、人間風情が!」

 死神は三森の攻撃を避ける為、アイギスから飛び退く。死神はそのまま一に仕掛けようとするが炎によって阻まれた。

「退いてろっ」

 一は後方に退き、その間に三森が飛び込む。

 三森と死神の間には炎があり、お互いの視界は遮られていた。

 だが、炎は三森の行動までは阻まない。彼女が生み出した炎で、彼女自身が焼かれる事はない。

「ンン、忌々しいネ」

 三森の拳は空を切り、死神は空を舞う。彼女は短く舌打ちし、追撃の火の玉を投擲した。

「あははははははっ、僕には、ウララにはそんなもの当たらない、当たらないんだヨ!」

 死神は三森の放つ火の玉を避けながら高笑いを上げる。

「いい加減に諦めたらどうなんだい? キミたちじゃあ何年経っても追い付けないヨ」

 三森の炎である程度は戦えるようになっていたが、未だ一たちの戦況は不利だった。死神にはまだ有効な攻撃を加えられていない。

 一は歯噛みする。悔しいのだ。高がソレに、高が死神に好き勝手されるのが悔しくてたまらない。

「当たらない、当たらない、当たらないっ、当たらないヨ!」

 死神は炎を避け続ける。三森は何も言わないで淡々と、作業めいた攻撃を繰り返していた。

「三森さん、このままじゃやばいです……」

「やけに喋りやがるな」

「え?」

 三森は死神から視線を外さない。

「死神だよ。逃げねェで喋りまくるのはなンでだ。とっとと姿消すなり仕掛けるなりすりゃ良いってのによ」

 言われてみればその通りだ。死神は何をするでもなくこの場に残り、攻撃を回避し降伏を勧告する。一に攻撃が二回とも防御されたとして、三度目がどうなるかは分からない。仕掛け続ければ、いつかは一にも、アイギスにも綻びが生じると言うのにだ。

「何か狙いがあるんじゃ……?」

「分かンねェけど、一つだけ言える事があるぜ」

 不安そうな表情の一とは対照的に、三森は獰猛な笑みを見せる。

「野郎、動きが鈍くなってやがる」

「……本当ですか?」

「つーか、疲れてンじゃねェか? 見ろ、笑ってやがるが顔色は良くねェ」

 一は確かめてみたが、いつもの春風と区別が付かなかった。だが、自分よりも彼女との付き合いが長い三森が言うのだから、間違いはないと判断する。

「でも、どうしていきなり?」

「さァな。ま、これで少しは勝ちも見えてくる」



 一同様、三森もタラリアの事を知らない。だが、彼女の読みは当たっていた。

 タラリアのリミッターを外している為に春風の体には負荷が掛かっている。死神が何も感じていなくても、彼女の疲労は溜まり、ダメージも積み重なる。なまじ、気付かないからこそ取り返しが付き辛い。

 死神が距離を詰めたのは余裕の現れではない。一たちを殺さない限り、春風の体を必要以上に痛め付けるのは本意ではないのだ。無駄に場へ留まり、負けを認めろと訴えたのは、負荷の掛かるタラリアを使えず、すり減る体力を意識した上で取れる最善の手段だったのである。

 そしてもう一つ、ゲデには致命的な欠陥があった。一と三森はまだ気付いていないが、戦闘が長引くのなら気付くのも時間の問題だろう。



 三森が右へ火の玉を投げれば死神は左へ避ける。前方に火力を集中させれば死神は後方に飛び退いた。

「ンンンンっ!」

 一の予測した方向から死神は攻撃を仕掛ける。動きが鈍っているとはいえ、確かに速い。捉えきれない。

 だが、どこから来るのか分かっていれば防ぐのは困難ではない。一は確信する。死神は決して強くはない。ただ速いだけなのだと。

 同時に、三森も確信し始めていた。そして彼女が気付いた事実こそが、最後に残った死神の欠陥なのである。

 ――強くない。

 欠陥――死神は、戦闘に関しては素人も同然なのだ。

 タラリアと春風の身体能力に頼り、死角から攻撃を繰り出すだけ。何も考えず走り回り、危なくなれば恐れをなして逃げ回る。しかも、三森だけでなく一にまで意図を操られる始末だ。

 しかし仕方のない話ではある。そも、ゲデは死神なのだ。この世の誰よりも、何よりも死を司り、死を操り、死を理解し、死を享受する存在。死の神だ。今までにゲデは人間を殺しただろう。春風の家族だけでなく、数えるのも馬鹿らしくなるほどの人間を殺しただろう。

 では、どうやって殺したのだろう。剣を取り、勇ましい声を上げて戦ったのだろうか。

 否、違う。有り得ない。

 剣を取る事すら出来ない者を相手取り、厭らしい笑みを浮かべて殺したのだ。

 戦闘ではない。ゲデは戦闘を知らない。神が人間を相手に戦闘など行う筈もない。ゲデは、今までに戦った事がない。闘争を知らず、ただ人間を玩具にして遊び抜いたに過ぎない。

「くそっ、どうしてっ、どうしてだ! どうしてこうなるんだヨ!?」

 ゲデの顔には明らかな焦りが浮かんでいた。喚き、汗を飛び散らせ、髪を振り乱して駆けずり回る。攻撃は全て一に防御され、三森の拳と火炎が恐怖を加速させる。

 ――何かの間違いだ!

 こんな事は今までになかった。人間とはもっと醜く、弱く、脆い筈。悦楽の対象にしか成り得ない筈。

「三森さんっ」

 蹴り出す足をアイギスに阻まれてゲデはバランスを崩す。その隙を三森に衝かれ蹴り飛ばされた。

「ぐうううっ!?」

 地面を無様に転がる。尚も息つく暇はない。動こうとしたところで火の玉が周囲の地面を穿ち、焦がしていく。

「ひっ……!」

 動けず、ゲデは目を瞑った。瞬間、顔のすぐ近くで熱いものが弾ける。もうここにいられない。意味を成さない声を上げると、ゲデは立ち上がって駆け出した。

 とにかく逃げなければならない。恐ろしくてたまらない。何かの間違いであって欲しい。神である自分が人間である彼らに背を向けるなど――。

「おい、逃げンのかよ?」

 嘲笑する声。

「……三森冬」

 ――背を向けるなど、許されない。

「ケリ付けようぜって言ってンだよ」

 三森は煙草を口に銜えて笑う。

「三度目の正直って奴だ。てめェにゃそろそろ地獄に行ってもらうぜ」

「く、くく、その言葉は知っているヨ。でもネ、二度あることは三度あるって言葉もあるんだ」

 今度こそ、ではない。今度もまた、殺せば良い。

 もはや春風の体の心配をする余裕はなかった。タラリアを最大限に解放し、二人纏めてとどめを刺す。そうしないと、ゲデは自分を許せそうになかった。

「……っ、野郎」

 三森は舌打ちし、空を見上げる。ゲデの消えた方向を強く睨む。

 決着は、次の攻防で決まる。

 三森も、ゲデも、この戦いを見守る情報部二人も、一でさえもそう確信していた。



「いやあ、随分と疲れていますね」

 緊急の呼び出しを受けた堀が北駒台店に到着したのは、午後の十時を少し回ってからの事であった。

「お前にそう見えるのなら、そうなのかもしれないな」

 店長は表面上、いつもと変わらない様子で煙草に火を点ける。

「死神が出たんですってね。そしてあなたは一君を死地に送った、と」

「聞こえが悪い言い方をするな。見込みがあったから教えただけだ」

「見込みとは、勝つ見込みですか? 生きて帰れる見込みですか? それとも――」

「どうした堀。今日はいつになく突っ掛かるじゃないか。何か嫌な事でもあったのか?」

 堀はずれてもいないのに眼鏡の位置を押し上げた。

「三度目、ですよ。我々が死神を見つけられず手を拱いている間に、三度目の事件が起きた。店長、死神は紛れもなく強敵です。正直な話、何故一君を現場にやったのか納得出来ないんですよ。糸原さんでも、ジェーンさんでもなく、何故彼なのですか?」

「あいつだけじゃない、三森もいる。悪い方には転がらんさ」

 店長が根拠のない発言をするのは今に始まった事ではない。だが、それでも堀には理解出来ないのである。死神はオンリーワン近畿支部の社員が血眼になって探しても見つけられず、いざ戦闘になっても大したダメージすら負わせられない存在だ。どうして一が出張る。彼が初めて勤務外として出勤した頃から比べると、確かに成長はした。ここまで生き残ってきた。その事は認める。評価する。だが、どうして一なのだ。

「人選を誤ったのではないかと、そう思いますけどね」

「この上なく最高の人選だと思うがな」

 堀と店長はしばし視線を交錯させる。間違っているのはお前だと、目で訴え合う。

「……ま、良いでしょう。話は一君たちが帰ってきてからでも遅くはない。ヘルプとして呼ばれた以上は、きっちり仕事をこなすとしましょうか」

 先に折れたのは堀だった。彼は柔和そうな笑みを浮かべると、モップを手に取り店長から背を向ける。

「店長、あなたには一体何が見えているんでしょうね。いえ、あなたの目は、何を見ているんでしょうね」



 何が起こったのか、すぐには分からなかった。

 一は地に這い蹲り、呻きながら視線を上げる。

「ンン、愉快だヨ、痛快だヨ。やっと壊れてくれたんだネ」

 ゲデが笑っていた。

 立ち上がろうとするが、体が痛くて言う事を聞いてくれない。三森の姿を探すと、まずい事に彼女はゲデのすぐ傍に倒れていた。

 自分たちは先の攻防で倒されてしまったのだ。その事に気付くと、何故か一の口角はつり上がる。おかしくて仕方がないのだ。滑稽で滑稽で、笑うしかなかったのだ。

 一は自分の体に手を遣る。思ったよりも手酷くやられていた。が、まだ動く。アイギスを握った右腕も、対象を見据える両の目も、命令を下すこの口も、全て動く。条件は整っている。

「さて、それじゃあ三森冬から壊そうかナ」

「待てよ……!」

「ンン、まだ立ち上がれるのかい?」

 しかし、一は膝を着くので精一杯の様子だった。まだ戦闘への意欲は失われていないが、まともに戦える状態ではない。

「なんだ、立ち上がれないのかい。それじゃキミはそこで見ていると良いヨ」

 ゲデは三森へと近付いていく。それだけは許せない。一は片腕でアイギスを突き出し、対象へと狙いを定めた。

「……ああ、確かアイギスと言うのだったかナ。知ってるヨ、やれるものならやってみると良い。だけど、僕を止められるかナ? 止められたとして、キミにはそこが限界ではないのかナ、ンン?」

「知ってんなら話は早いよな」

「で? それで僕をいつまで止められる? 一時間? 一分? いやいや、そんなには持たないだろう? 知っているんだヨ、何せ今の僕はゲデでもあり、ウララでもあるんだからネ」

 ゲデは嫌らしい笑みを浮かべる。彼は知っているのだ。春風の記憶を通し、アイギスの能力を理解している。だから、余裕の笑みを浮かべられるのだ。

「そうかよ」

「ふん、気に入らない目だネ。そこでくたばっていろ」

 一を脅威とは見なしていないのか、ゲデは警戒した様子も見せずに三森へと歩を進める。

「……随分と壊れているナア」

 三森の髪の毛を引っ張って無理矢理起こそうとするが、いやに重い。反応すら見せない。

「ンン、もしかして、もう完全に壊れ――」

 ふと、ゲデは強烈な重圧を感じた。振り返る事も出来ず、そのままの姿勢で耳をそばだてる。

「馬鹿が、絶好のチャンスだよ。――止まれ」

 光が背後から注がれた。



 何が起こったのか、すぐには分からなかった。

 光に包まれたゲデは思わず三森を取り落としてしまう。

「ン、これがアイギスか……」

 対象の動きを止めるという、アテナの神具。恐ろしい力だ。

 不発さえ、していなければ。春風の記憶が正しいなら、アイギスは対象の動きを止めるという。

 なら、これはどうした事だ。ゲデはくるりと回転する。もう笑いが堪えきれない。

「……嘘、だろ」

 一が呆然とした様子でこちらを見上げていた。最後の力を使いきったのか、彼の腕はだらりと伸び、悔しそうに俯く。一は震えていた。恐怖しているのだろう。これから起こる事を想像して泣いているのかもしれなかった。

「いやいや、驚いたヨ。正直に言おう、今日は驚いてばかりだヨ。だけど、ここまでだネ」

 三森の体に触れてみても、彼女は何一つ反応を返さない。まだ温かいが、心なしか冷えていくような感じを受ける。まるで死んだように冷たく、動かない。

 否、死んでいるのだ。

 間違いない――三森冬は、死んでいる。

 ゲデは笑った。勝利とはこんなにも甘美だったかと、狂ったように笑い続ける。

「……くくっ、もう用はないネ。さて、ウララに見せ付けるとするか」

 ゲデは三森の体を地面に投げる。周囲を見回してから一つ息を吐いた。

 瞬間、『春風』の体が大きく震える。力が、何かが抜けたように膝から崩れ落ちていった。

「……あ、これ、は……?」

 激しく咳き込んだ後、春風が意識を取り戻す。

「ンン、ウララ、お久しぶりだネ」

「貴様……っ」

 ゲデは彼女の怒りに満ちた瞳を見、嬉しそうに微笑んだ。



 春風の瞳はどこまでも虚ろであった。

 どうして、自分は解放されたのか。ゲデに体を乗っ取られてからも、おぼろげながらではあるが意識は残っていたのである。何が起こったのか、分かっていたのである。

 どうして、自分は解放されたのか。

 答えはそこに転がってある。

 一も、三森も動かない。倒れたまま、ぴくりともしない。

「ンン、ウララ、実に良い顔をしているヨ?」

 どんな顔をしているのか自分では分からないが、酷い顔になっているのだろうと、春風はぼんやりと思った。

「……殺したのか」

「ン? ンン、三森冬は壊れてるヨ。案外呆気なかったから驚いたかナ。ああ、そっちの、キミの弟に似ている男は生きているよ。まだ、だけどネ」

 三森が、死んだ。

 すぐ傍に彼女は、彼女だったものが転がっている。手を伸ばしそうとしたが、届かない。届いてはいけない。事実だけを淡々と受け止め処理しなければならない。自分には、もう触れる権利がないのだ。

「なら、私も殺せ。殺せば良い」

「そうはいかないヨ。壊すのは三森冬だけじゃない。一一が壊れるところも、ウララにはしっかりと見届けてもらわなきゃネ。その上で、キミにも壊れてもらう」

 ゲデが一へと向かう。その歩みを止められなかった。彼はまだ生きている。助けられる筈なのに、どうしても体は動いてくれなかった。

「ンン、本当に素晴らしい顔だヨ、ウララ」

 一体、何をしに来たのだろう。

 今まで、何をしていたのだろう。

 ただ殺される為だけに、ゲデの欲求を満たす為だけに、ここへ来たのだろうか。

 もしもそうなら、その為に自身だけでなく二人を巻き込んだ。

 そしてもう、償えない。贖えない。謝ることすら出来ない。もう、何も出来ない。なのに涙一つ浮かんではこない。悲しい筈なのに、悔しい筈なのに、心はもう空っぽで。



 奇跡など起こらない。

 死は誰にでも、いつでも、どこでも、常に平等に訪れる。死神の鎌からは誰も逃れられず、ただ刈り取られるのを座して待つしかないのだ。

 ソレと戦う勤務外ならば、死と常に隣り合わせなのだと、死は常に自身の影に潜んでいるものだと理解している。だから、覚悟をしている。誰に殺されても、いつ殺されても、どこで殺されても文句は言えない。自身が命を奪う存在であるならば同時に、命を奪われる存在であることも強く意識しなければならない。

 だが、自ら望んで殺されたいと、死にたいと思う者がどこにいる。今日不幸せだと思っても、明日が幸せになるんだと、そう思う者はどこにもいないのか。

 いる。

 いる筈だ。

 だからこそ、勤務外は命を賭けられる。

 生き延びる為に腕を磨き、考えを巡らせる。

 ソレとの戦闘で奇跡など起こらない。偶然誰かが通り掛かってはくれない。そこにいた自分たちだけでどうにかするしかないのだ。自分の命は、自分で守る。

「………………馬鹿ナ」

 その為に出来る事は全て試す。全てやり尽くす。手があるなら、策が残されているなら、生き抜く為に何かあるなら――。

 奇跡など起こらない。

 偶然など、そう簡単には起こらない。

「獲物を前に舌なめずりってのは、良いよな。たまんねえぜ、実際」

 だから、今起きているのは奇跡ではないのだ。

 勤務外が、一が、三森が起こした必然なのである。

「…………嘘」

 立ち上がり、不敵な笑みを浮かべるのは一だ。

「っと、畜生、体が痛ェなあ、おい」

 彼に呼応するかのように立ち上がる者がまた一人。

 さしたる苦もなく立ち上がったのは、先程まで死んでいた(・・・・・)筈の三森である。

「てめェ、ミスってたらどうするつもりだったンだよ?」

「さあ、そのまま固まってたんじゃないんですかね。ま、大丈夫とは思ってましたよ。人間を止めんのは三森さんが初めてじゃないですし」

 そして、彼らは笑うのだ。絶望とは無縁の顔で、まるで、勝利を確信したかのような、そんな笑みを浮かべるのだ。

「……キミ、たち、は……」

「へえ、口開けんのかよ。でもさ、喋るだけでもしんどいだろ、死神さん。なあ、てめえしっかり止まってくれてんだろうな?」

「そンじゃま、とりあえず一本もらっとくわ」

 動きの止まったゲデに、三森は悠々と近付いていく。振り上げた拳は紅蓮の炎を纏い、ゲデの右腕を叩き、瞬時の内に融解させた。血液は沸点を軽々と超えて辺りに霧散する。皮と肉は焼き焦げ、芳ばしい臭いを撒き散らして地面に転がり落ちた。

「――――――ッッッッ!」

「おーおー、痛過ぎて声も出ねェってか。そいつァ良いな、料理した甲斐があるってもンだぜ」

 げはは、と、三森は下品に笑う。

「ンじゃま、お次は足の方に致しましょうかお客様。おらっ」

 ゲデは体を、動きをアイギスによって止められている為、体をのた打ち回らせて苦痛を紛らわす事も出来ない。そんな状態のゲデを、三森は躊躇なく背中から蹴飛ばした。

「好きな死に方を選ばせてやンよ。ウェル、ウェルダン、ヴェリーウェルダン。どれが良い?」

「――ッッ、キッ、キミハァァ……!」

「あァ? 聞こえねェぞ、何にもな。何にも聞こえねェ。仕方ねーなー、シャイなお客様にはシェフオススメの焼き方でいっといてやるよ」

 一はゲデを見て思う。天国から地獄へ叩き落される気分はどんなものなのだろうかと。

「……あー、焼く前に言っとくわ。私さ、不器用なンだわ。だからよ、まあ、なんつーか、しっかりきっかりこーんがり焼けてくれや」

「やっ、やめっ……!」

「やめねェよバーカ!」

 ただ、一つ分かった事がある。人間とは悲しい時にも笑えるモノなのだが、死神も、やはりそうなのだと。

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