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俺の名前を言ってみろ



 一が春風と初めて会ったのは影と呼ばれるソレが現れた時分である。彼は連れ去られたシルフを助ける為に影と出遭い、彼女と出会った。

 一緒にいたジェーンを気絶させられ、一自身もいきなり殺され掛ける、部類としては最悪の出会いであった。

 一はその時春風を嫌いになり、今でも、嫌いなままだ。

 だが、店長や三森から春風の事情を聞いて、少しは彼女に対する印象が変わっている。

 あの時、初めて会った時に春風が自分を殺すと言ったのは、弟に似た者を許せなかったのだろう。何よりも、彼女が自分自身を許せなかったに違いない。二年もの月日が経ち、忘れようとしていた顔、声。一は愛憎入り交じる感情をぶつけられたに過ぎないのである。その気持ちは酷く分かる。やり場のない気持ちを処理する困難さは良く分かるのだ。彼女にだって理由があり、意味もなく自分を襲った訳でもない。

 誰にだって悩みがある。理由がある。誰かを憎み、誰かを愛す。生きていく上で、それは当たり前の事なのだ。

 だから、一は春風が大嫌いだ。



 見つけた。見つけた。見つけた。

 走って、走って、走って、走り抜いた上で、もう全てが終わってしまっていたら。

 だから、一は三森と春風の姿を認めて安堵する。

「……って、マジかよ」

 始まっていた。そして、今まさに終わろうとしている。

 経緯はどうあれ、今、一の目に映るものが真実だ。春風が、三森の首を絞めている。そして信じられない事に、三森は一切の抵抗をしていなかった。

 ――どうしてだよ。

 あの三森が死んでしまう。死にそうな目に遭っている。そんな目に遭わせたモノも、この状況も何もかもが許せなくて、一はアイギスを握り直して河川敷の土手を滑り落ちるように駆け下りていく。

「三森さんっ!」

 駆けてくる一に、春風が冷たい視線を遣した。

「一一か。邪魔をしてくれるなよ、もう、終わるところだからな」

「馬鹿かてめえ!」

 一は春風の手を強引に引き剥がし、三森の体をそっと地面に下ろす。

 か細いが、まだ息はあった。一は胸を撫で下ろす。

「邪魔をするなと言った筈だがな」

「……三森さんを殺すつもりだったのか?」

「見て分からなければ、語っても分かるまい」

「っ、人を殺すつもりだったのかって聞いてんだよ。お前、言ってたじゃねえか、ルールがあるなら、ルールを守るのが人間だってよ」

 春風は無表情を崩さない。

「ルールを守るのが人間なら、破るのもまた人間だ。一一、それが何故分からない? 三森冬は夏樹を殺した。人を殺した。ならば、奴は報いは受けてしかるべきだろう」

「報いを与えるのはお前じゃない。……神様にでもなったつもりかよ」

「神か。なるほど、かもしれん。くく、かもしれんな」

 春風は笑う。声を上げて、顔を歪ませて、愉しそうに、おかしそうに笑う。

「……思ってたより、汚い顔だな」

「何……?」

「お前のお面みてえな顔にも見飽きてたところだけどよ、そんな面なら見ない方が良かったわ」

 初めて見る春風の分かりやすい笑顔。しかし、一にはこれが彼女のものだとは思えなかった。思いたくなかった。

「ふん、貴様とはとことん反りが合わないな。一一、貴様には三森冬同様死んでもらう。が、夏樹と同じ場所に行けると思うなよ」

「勝手抜かしてんじゃねえぞ。三森さんは死んでねえし、お前の弟なんか知るか。それよりも、お前本当に春風なんだろうな?」

「仮に春風でなかったとして、私は何者になる。一一、貴様の妄言には付き合い切れん。その顔、目障りだ」

「……あっそ」

 本物の春風なら謝罪の一つでもしてもらいたかったが、どうやら、この春風は偽物らしい。否、体は本物だが中身が違う。口調こそ似せているが、どこかが違う。それに、三森がただの春風に追い詰められる筈がない。三森は恐らく、惑わされたのだ。

 死神は他者の体を乗っ取る。眉唾ものの話だったが、ここに至って信じないほど一の頭は固くなかった。

 ――間抜けが。

「実際目にしてもまだ半信半疑なんだけどよ。どうやら、マジにお前が死神らしいな」

「死神? 何の事か話が見えないな。ゲデはまだ来ていないぞ」

「てめえと腹の探り合いをする気はねえよ。さっさとそいつの体から出てけ」

「ふうん」

 春風はしばしの黙考の後、にいと口角をつり上げた。

「……やはり、似ているネ」

 春風の声に濁りが混じる。音が重なる。さっきまでの無感情な口振りとは違う。独特のイントネーションに、他人を見下した色の滲む調子。

 これが、ゲデ。

 一は唾を飲み込み、アイギスに意識を集中させる。

「ウララの弟にとても良く似ている。いや、殆ど同じと言っても良いネ。その顔、声、態度。全てが僕を苛立たせる」

 これが、ハイチの死神。

「苛立ってんのはこっちもだよ、知らない奴に似てる似てるって言われても、ちっとも嬉しくねえんだ」

「キミを喜ばせる気はないヨ。キミはただ、僕とウララの為に死んでくれれば良い」

「……春風の為?」

 一は自分でも信じられないくらいに冷静だった。恐らくは、ゲデが人語を解する存在であるというのが大きい。会話によって重圧を感じる事もあれば、会話によって冷静さを保てる事もある。

「そうさ。一一、ウララの弟に似たキミがいればウララは迷う、躊躇う、戸惑うんだヨ!」

 アイギスを使用する機会は限られている。今はまだ動く時ではない。そう判断した一はゲデの話に耳を傾ける。

「迷うのは一種停滞なんだ。停滞は困る! ウララには先へ進んでもらわなきゃ困る! そうでないと、ウララがいつまで経っても壊れないじゃあないか。そして、その原因は一一、キミと……」

 死神は一を指差し、

「三森冬、彼女さ」

 次いで地に伏せたままの三森を指差した。

「ウララの恋人の面影を持つキミと、ウララに残った最後の友人。キミたちがいる限り、ウララはいつまででも壊れない。いつまで経っても壊れてくれない。甘酸っぱい絶望を享受出来ないんだヨ。分かるダロ?」

 口を挟むつもりはない。好きに喋っていれば良い。死神の戯言、聞くに堪え難いが、時間は稼げるのだ。

「キミらをウララ自身の手で壊してしまえば全ては終わる。サイッコーのフィナーレを迎えられるっ。最後の(よすが)を自らの業で終わらせたウララは絶望に染まるんだヨ! 完全に壊れてくれるんだ!」

「……つまり何か、俺らは餌って事か」

「察しが良いね、糞人間。精々、良い香り付けになってくれヨ」

 死神が一歩踏み出す。話は終わりだと言わんばかりに、一を見定め、狙いを定めて歩み寄る。

「これで終わり、今日で終わり。ラストダンスの相手がキミではどうにも締まらないけど、我慢はしヨウ。愉しい事ばかりでは、本当に愉しい事すら愉しくなくなってしまうからネ」

 死神が呟いたと同時、彼の姿が消える。

「霊体か……っ!?」

 否。死神はただ、一の右に回っただけだ。中身は違えど、肉体はあくまで春風自身の能力に限定される。死神が彼女に乗り移り続けている以上霊体にはなれないし、他者の肉体を奪う事も出来ない。

 だが、速い。死神は春風のスペックを引き出している。彼女の体に慣れ始めている。

「ンン、驚いているようだネ」

 地を蹴る音どころか擦る音さえ聞こえない。何も聞こえない。死神は無音で一の死角に移動し続ける。

 そもそも、一は死角に入られた事にさえ気付けていない。いつ来るか分からない襲撃に恐れ戦くしかなかった。

「こっちだヨ」

「…………っ」

 声のする方に振り向いても、死神はその動きより一歩早い。一はただ翻弄され、消耗させられ、遊ばれていた。

「どうしたのかナ? 大人しく壊されても良いのかナ?」

 舐められているが、どうにも出来ない。尻尾を巻いて逃げる以外には何も思い付かない。



 声がする。音が聞こえる。

「……はっ、はっ……」

 息が吐ける。息を吸える。

 目を開けば星が見える。湿った土の温度を感じる。

 咳が止まらない。急激に空気を取り込み過ぎた。

 苦しい。苦しい。苦しい。だからこそ感じられる。実感出来る。

 ――私は……。

 自分はまだ生きているのだと。

「……春風」

 春風に首を絞められていた時、これで良かったと思った。実際に絞めていたのは死神だったのかも知れないが、彼女だってそうしたかった筈である。自分を殺したかった筈なのである。この安い命で贖えるなら、それで許してもらえるなら、良いと思えた。

「春風……」

 まだ四肢に力が戻らない。膝を付き、両手を付いて立ち上がろうとする。視界は狭い。頭の中に霞が掛かったような気分だった。

 どうして、まだ生きている。

 どうして、自分は死んでいない。

 これで贖えた、許された筈なのに。

「……野郎」

 歯を食いしばり、拳で土を抉った。ここにいてはいけない者が、ここにいる。

 一一だ。

 勤務外を辞めた人間が何故ここにいる。お前が、何故ここにいる。

 三森は足がふらつくのも構わずに歩き出した。

 一は気付いていない。春風の姿をした死神に翻弄されたままである。

 ――何も見えちゃいねェ。

 こちらの都合などお構いなしに場を荒らし、好き勝手に場を作ろうとする。一がここに来なければ、自分は死ねた。許された。春風に、謝れた。

「てめェ!」

「三森さん!?」

 一がこちらを向いた瞬間、死神が彼のアイギスを蹴り飛ばした。アイギスを握ったままの一は地面を転がり、泥まみれになる。

「はっ、良い様じゃねェか!」

「……っの野郎」

 言いつつ、三森は一を庇えるように前に立った。ふらふらになりながらも、しっかりと敵を見据える。

「ンン、息を吹き返したみたいだネ」

「……おい、なンでここにいやがる」

 一は立ち上がり、アイギスを構えた。

「もうてめェにはカンケーねー筈だろうが」

「俺は、あなたたちに謝ってもらいに来たんだ」

「あァ?」

 一の言っている意味が分からない。三森は死神から視線を外し、彼の全身をねめつけた。

「お前、頭ヤられちまったのか?」

「俺は俺だ。俺は、春風夏樹じゃない」

「キミたち、お喋りはその辺にしておきたまえヨ」

 足場を確かめるようにステップを踏んでいた死神の足が止まる。来る。

「……おい、来るぞ」

「俺は、一一だ」

 死神が飛び出した。速いが、捉えられない速度ではない。辛うじて目に映る。三森は指を擦り合わせ炎を生み出した。

「俺は……っ!」

 迎撃に移ろうとした彼女よりも先、一が前に出る。

「ンンン!?」

 動きを捉えられるとは思っていなかったのだろう。死神の表情が驚愕に変わる。一の振り被ったアイギスは空を切ったが、死神に後退を余儀なくさせた。僅かなりとも恐怖を与えた。

「キミ、見えているのかい?」

「こんなに良い名前だろうが。だからお前ら全員、頭を下げろ」

 一はアイギスで死神と三森を指す。

「……はァ?」

「キミ、何を……?」

「一一は良い名前ですって頭を下げろっ!」



 これは笑える。しかし戦場で笑っていると木麻に怒られるので、旅は俯いて誤魔化した。

「……旅さん、アレは」

 息を吐くふりをして何とか落ち着く。

「一君だね。北駒台からの援軍と言ったところかな?」

「そうは見えませんが」

「結果的にはそうなるよ。しかしなるほど、アイギスを持つ子か。この上ない援軍だね」

「アイギスが、ですか? それとも、一自身が、ですか?」

 無論、両方だ。アイギスだけではどうにもならない。一だけではどうにもならない。二つ揃ってこそアレは真価を発揮する。

「姉さんが見込んだだけはあるか」

「旅さん?」

 何でもない。そう言って旅は頭を振った。

「今までは死神のお遊戯だった。二対一になったここからが戦いだね」

「勝算があれば戦う意味も見出せるのでしょうが。私には、彼らにそれがあるようには見えませんね」

 勝算はある。何故なら、春風はまだ死んでいないからだ。まだ、助け出せるかもしれない。戦いはまだ、今、始まったばかりなのだ。



 三森が復活してくれた。時間は稼げた。

 これなら、目的を達成出来そうだ。

「謝ってくれないんならそれでも良い。お前ら並べて無理矢理にでも土下座させてやるからな」

「……クソが。さっきから訳分かンねェ御託並べやがってよ。ここにお前の居場所はねーんだ。さっさと消えろ」

 ――誰が消えるか。

「ンン、面白くなりそうだけど、キミたちには壊れてもらわなきゃならないからナア」

 死神は地面に踵を叩き付ける。

「少し、急ごうか」

 タラリアの解放だ。風が吹く。刹那、死神の姿が掻き消える。

 全く、見えない。

 さっきの攻撃は死神の速さに目が慣れていたのと、破れかぶれの勘任せ運任せがたまたま重なっただけなのだ。

「退いてろ、お前がいたら邪魔だ」

「さっきまで死にそうだったくせに」

「ンだとてめ――右だっ」

 咄嗟にアイギスを前に突き出す。重い感触が一の腕を痺れさせた。

 死神は一らから距離を取り、哄笑を上げる。

「あははははははっ、仲間割れとは見苦しいネ!」

 汚い声だった。一は顔をしかめ、わざとらしく片手で耳を塞ぐ。

「俺は退きませんからね」

「無理だっつってンだろ。とっとと消えろ、二秒で消えろ」

「邪魔はしません。俺が盾になります」

「お前……」

 自分では役に立たない。少なくとも目が慣れるまでは向こうのペースに巻き込まれるしかない。

「春風を助けたいんでしょ」

「勝手な事抜かしてンなよ。私はな、あいつを殺しに来たんだ」

「殺されてたのはどっちですか。良いから、協力してくださいよ」

 一の目的は三森、春風の両名に心の底から謝罪してもらう事だ。

 ――執念深いと思うなら思え。

 その為には、この場を生きて抜けなければならない。どちらが死んでも、自分が死んでも、誰が死んでも目的は果たせない。この場で死んでも良いのは、死神だけだ。

「っざけンなよ、あいつはもう駄目だ。助からねェんだよ!」

「まだ生きてる!」

 死神が跳ぶ。

「次はどっちですか!?」

「~~っ、上だ!」

 アイギスを真上にかざしたと同時、強烈な衝撃が一の両腕を突き抜けた。歯を食い縛って、短く呻く。

「ンン、やるじゃないか! 良いヨ、良いヨっ、二人一緒に来なヨ!」

「春風はまだ生きてる。助けられる。違いますか?」

 三森は一瞬言葉に詰まった後、髪の毛を掻き毟って叫んだ。

「あーっ、もうっ、うっせェな! 関係ねェって言ってンだろうがよ! 助けるも助けないもねェんだ! てめーがここにいンのが駄目だってんだよ!」

「それこそ関係ない。勤務外とか、そんなの関係ないっ。俺は俺の意思でここにいるんですよ」

「キミたち、僕を無視しないでくれヨ」

 一と三森の間に死神が割って入る。突然の出来事に反応出来ず、まともな防御もままならないままにまず一が蹴り飛ばされ、

「なあっ!?」

 次に三森が反対側へ蹴り飛ばされた。

「さっきからキミたちはウララと僕を無視し過ぎだ!」

 立ち上がろうとする一へと死神は追撃を加える。彼の顔面を狙ったローキックはアイギスによって防がれるも、次の攻撃で一の手からアイギスが零れ落ちた。

「まずはキミから壊れてもらうヨ!」

 死神が真上に跳ぶ。

「くそっ……」

 アイギスを拾うか、この場から逃げるか。

 だが、寸暇の迷いもタラリアの前では命取りになる。

「させっかよっ!」

「ンンンンンンン!?」

 降りてきた死神にタイミングを合わせ、三森が背後から殴り付けた。流石に空中では方向を転換出来ず、もろに一撃をもらった死神は地面へと叩き付けられる。

「お前の意思なンか知らねェよ!」

「謝ってくれって言ってんですよ!」

「まずはてめェがっ、ありがとうございますって頭を下げンのが先だろうがァ!」

「春風を助けたくないんですか!」

「助からねェよ! もうあいつは死神に乗っ取られてンだ、無理に決まってる」

 仮に、死神に春風を殺す気があるなら、彼女はとっくに死んでいる筈だ。ゲデには目的がある。その目的を達成するまでは、春風の命は保障されている。だから、無理な話ではない。

「助かるって言ってるじゃないですか!」

「うるせェうるせえうるせー!」

 三森が全身から炎を発した。立ち上る火柱は周囲の温度を上げ、融かし、焦がす。

「ガタガタ言ってっと焼き殺しちまうぞクソが!」

「そうやって人の話も聞かないで噛み付いて! 狂犬ですかあなたは!」

「無視するなああああ!」

 倒れていた死神が起き上がり、中空まで飛び上がった。そのまま、回転して足を突き出す。

「う、わ、ああっ」

 上段、中段、下段。最初に狙われたのはまたもや一である。彼はアイギスで防御を試みるが、防げたのは二段目までだった。

 死神は空中で蹴りを二発繰り出し、接地すると同時、最後に一の足を払う。傘の届く範囲外からの攻撃に一は呆気なく地に転がされた。

「壊れろ」

「ぎい……っ!」

 倒れている一の腹を、死神は容赦なく踵で打ち付ける。二度、三度。その度に一はくぐもった声を漏らし、体を跳ねさせた。

「野郎っ!」

「ンン、危ない危ない」

 三森が後から殴り掛かる。が、死神はその攻撃を見ずに飛び上がった。

「……ン、そうか。ウララはこんなものも持っていたのか」

 追い掛けてくる三森に、死神はボディースーツに仕込んであったモノを投げ付ける。それは薄い鉄、刃だ。強度と殺傷能力を秤に掛け、どちらもが壊れないよう、限界までその二つを高め上げたナイフである。

「そいつァ効かねェよ!」

 しかし、どこまでいっても、どこまで高めても鉄は鉄だ。ましてやこの距離、ナイフを投擲するような距離からでは炎を操る三森の障害にはなり得ない。彼女は放たれた四本のナイフ悉くを炎で払った。刃は熱く燃え、熔ける。持ち手の部分は一瞬で灰にまで乾き果てた。

「知っているヨ」

 しかし、死神の狙いはあくまで牽制にある。攻撃を払った分、三森の挙動、反応は遅れてしまうのだ。その隙にゲデは彼女の懐に潜り込む。本命を繰り出す前、三森の足の甲を踏み付けて回避を難しくさせた。

「野郎っ」

 三森の体がぐらつき、至近距離から数発のパンチをもらう。威力こそ大した事はないが、未だ完全に体力が回復し切っていない彼女の体調には響いていた。視界が揺れ、意識が鈍る。

 攻撃が見えない。防御は出来ない。タラリアのリミッターを外した者が相手ではスピード勝負など挑めない。

「おおおおおおおおおっ!」

 ならばと、三森は体中から炎を噴出させる。どこから来るのか分からないなら、どこに来ても良いようにするだけ。

「ンンっ、この炎……!」

 燃え盛る火焔に死神の動きが鈍った。彼は彼女の甲から足を退け、一旦の距離を取る。

「いやいや、驚いた。しかし長くは持つまいネ」

 死神の宣言通り、炎はやがて掻き消えた。三森は肩で息をしながらも、必死の形相でゲデを睨み付ける。

「ンン、ウララの体と僕の心がまた一段と馴染んできたかナア」

 首の骨を鳴らし、死神は一足飛びで三森に近付いた。残っていたナイフを両手に持ち、彼女の体を切り付けに掛かる。

「うぜェ!」

 三森は死神の攻撃を避け、彼の右腕を取った。一息に圧し折るつもりだったが、死神は腕を掴まれた状態から飛び上がり、彼女の顎に変則的な後ろ回し蹴りを見舞う。

「が……っ!」

「僕の方が強い! ウララの方が強い!」

 死神は両足を揃えて前方に跳躍すると、たたらを踏んでいる三森の腹部へと飛び蹴りを放った。度重なる攻撃に、遂に彼女は倒れ込む。

「壊れろ三森冬!」

 止めを刺さんとして走り出す死神だが、何かに引っ張られて前のめりに転んだ。

「バッタみてえに飛び回りやがって……」

 死神の足首が掴まれている。

 掴んでいるのは、ついさっきまで悶絶していた一だ。

「一一っ、キミが僕の足を!」

「てめえは俺の腹をやったろうが」

 憎憎しげに叫ぶ死神に、一は目を反らさず睨み返してやる。彼は死神の足首を掴んだまま立ち上がった。

「やっと、捕まえた」

 一は死神の右足首を握ったまま、臀部に圧し掛かる。もがくゲデの背中を裏拳で叩き、傍に落ちてあったアイギスを左手で掴んだ。

 まずは動きを止める。そう判断した一であったが、詰めが甘かった。死神にはまだ左の足が残されている。

「僕のウララに触るナアア!」

 死神は左足の踵で一の腹部を蹴り上げ、拘束が緩んだところを逃げ出した。距離を取り、片膝を付いて呼吸を繰り返す。

 一は腹を摩りながら、倒れている三森の傍まで近付いていった。

「くっ、キミたちは本当に不愉快だヨ、不愉快極まりない存在だヨ!」

 死神が喚いているが、こちらへ攻撃する気配はない。何せ体は春風のものなのだ。死神にダメージはないが、彼女の体はダメージを受けている。人間の体である以上は動きも鈍くもなり、必ず隙は出来る。

「三森さん、起きて下さい」

「……起きてるっつーの」

 三森は寝転がって仰向けの姿勢になった。

「このままじゃジリ貧です。二人ともマジで殺されるかもしれませんね」

「何が、言いてェンだよ」

「春風を助けたいと言ってください。俺に協力してください」

 一はアイギスを畳み、呼吸を整える。

「あなたに春風を殺す気があったなら、あいつの体はとっくに燃えてますよね?」

「……どうだかなっと」

 三森はふらつきながらも立ち上がり、苦笑を浮かべた。自嘲めいた、複雑な表情である。

「助ける助けるって頭悪いオウムみてェに繰り返してるけどよ、野郎が春風ン中から出てかねェ限りは無理だぞ」

「分かってます。だけど、どこかに付け入る隙はあります」

「ねェよ」

「あります」

 一は迷いなく言い切った。

「あいつの狙いは俺たちを殺す事です。でも、最終的な目的はそうじゃない。死体になった俺たちを春風に見せ付ける事なんです」

「つまり何か、私らが死ぬまでは春風に手を出さねェって事か?」

「ええ。だから、まだチャンスは残っている筈」

「はっ、なるほどなるほど。私らが死ぬ前に、死神を春風から追い出せば良いだけの話って訳だ」

 三森は一の肩に手を置き、無理矢理に笑みを浮かべる。

「だから、その方法がねェってンだよ。お前は、あいつをどうやって助けるって言うんだ? あ? 聞かせてみろよ」

「……あー、ありません。いた、いたっ、痛い痛い痛い力入れないでくださいって」

「好き放題言って結局は何もねェのかよ!」

 そう言われても、ない袖は振れない。一は三森の魔手から逃れ、死神を見遣った。

「……とりあえず、春風から死神を引き剥がさなきゃいけませんね」

「……どうやって?」

「時間を稼ぎましょう。幸いと言うか、春風の体を使ってる以上、死神は接近戦しかないですから」

 先程のナイフを投げてこない事から、もう死神に得物は残っていないと一は踏んだ。

「距離取って、時間稼ぐか。けどよ、あいつの足は半端ねェぞ」

「普通に走って逃げても、一秒ぐらいしか稼げませんね」

 春風を助けるどころか、その方法すら思い付かない。方法を考える時間すら与えられない。

 それでも、一は手詰まりとは思っていない。

 まだアイギスが残っている。

 まだ三森の炎が残っている。

 死神への憎悪が残っている。

 何よりも、春風に対する怒りが残っている。

 この気持ちが萎えない限り、心が折られない限りはこの場に残り続ける。

 戦い、続ける。

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