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冬の雪売り



 春風麗は父、春風(りょう)、母、春風秋菜(あきな)、弟、春風夏樹(なつき)の平凡な四人家族の長姉だった。

 だった。

 今となっては全てが過去の、露と消えた話である。思い出だなどと、聞こえの良い言葉では片付かない。 

 ――二年前の話だ。

 春風の弟、夏樹の誕生日にそれは起こった。ソレは、やってきたのである。

 夏樹は春風の五つ下、彼は今年駒台大学へ合格し、来年からの新生活に胸を膨らませる高校生だった。春風も両親も喜び、恥ずかしいと嫌がる夏樹を無理矢理引き止めて、ささやかなパーティーを開いた。家族と、春風と仲の良い友人を入れた計五人。それでも、楽しかった。嬉しかった。少なくとも、春風はそう思っていたのである。無論、ここに集まっている全員も同じ気持ちだと彼女は信じていた。

 宴もたけなわ、春風と友人が明日の仕事に差し支えるといけないからと、席を立った時だった。

『ンン、楽しそうだナあ。お誕生日会、かい? 僕も混ぜてもらえると嬉しいのだけどネ』

 春風家のリビングに得体の知れない男が現れた。

 誰も口を開けず、動けなかったが、友人の叫びに全員が我に返った。母親は顔面を蒼白にしながらも、自分の体で夏樹を隠す。父親はその二人の前に立ち、男に問うた。

『お前は何者だ』

 煙のように現れた、一見紳士風の格好をした男は笑んで返す。

『僕は死神と呼ばれているヨ』

 疑う余地もない。男はソレか、もしくはソレに準じる存在なのだ。恐怖していた。しかし、彼らは僅かに安堵もしていたのである。春風の友人が、そうさせていた。春風はオンリーワンの情報部で、友人は対ソレのスペシャリスト、戦闘部なのである。まさか、むざむざとやられる筈がない。

『この街で今日誕生日なのはネ、君だけなんだ』

 男は葉巻を口に銜え、夏樹を指差した。

『……俺、が……?』

『口を利くな夏樹。父さん、母さん、私たちがやるから、逃げていて』

『ンン、気丈なお嬢さんだね。気に入ったヨ』

 男が春風に向き直った刹那、友人はソレに飛び掛かっていた。



「それで、どうなったんだよ?」

 冗舌に話していた春風が急に口を閉ざしたので、一は彼女に相槌を打った。それでも春風は続きを話さない。

「おい、少し待ってやれよ」

「……時間がないんですよ?」

「待てってンだよ」

「待てないって言ってんですよ。俺はあなたと違って死神に狙われてる。……安全な立場から物を言う気分はいかがですか?」

 今日に限って、一は三森に対して腹立たしいという感情を抱いている。彼女に対しては語気も荒くなっていた。

「てめェ、私に噛み付いてンじゃねーぞ!」

「……やめろ。一一、済まないな、続きを話す」

 春風が割って入り、二人は仕方なく黙り込む。

「続きと言ったが、もう終わる。……死神に飛び掛かっていったが、攻撃は一発も当たらなかった。まるで煙を殴っているような手応えのなさだった」

「社員が二人もいて一発も、か?」

「ああ、一発もだ。その後、両親は殺された。翌年の冬、弟が殺された」

「な、あ、おい」

 肉親の死を詳細に話したくない気持ちは分かるが、春風の語り口は余りにも淡々としていて、一には不気味に思えて仕方がない。

「話は以上だ。一一、質問はあるか?」

「あり過ぎて困る。だからさ、どうして俺が狙われるんだ?」

「誕生日だとか、気丈だとか、死神はそれだけで人間を殺せる。私と知り合いだから。これだけでも奴は誰かを殺す。一一、今一度言うが、他に理由はない」

「んな理由で殺されてたまるかよ!」

 一は声を荒らげるが、春風は気にした素振りを見せない。仕事は終わりだとばかりに立ち上がる。

「おい、どこに行くつもりだ?」

「二ノ美屋店長、世話になった。私は一度家に戻る」

「そうか」

 それだけ言うと、店長は煙草に火を点けてパソコンのモニターに顔を向ける。

 春風もバックルームから立ち去ろうと扉に手を掛けた。

「――なあ、方法はもう一つあるんじゃないのか?」

「さあな。それよりも一一、荷物を纏めておけ。長旅を覚悟した方が賢いぞ」

「死神から逃げる。倒す。でもな、俺が助かるならこんなんもどうだ。お前が、死ぬってのは悪くないんじゃないのか」

 空気が痛い。それでも一は続けて言った。

「死神はお前に興味を持ってる。お前の知り合いだから俺はやばい。なら、お前が死ねば俺には危害は及ばない。なあ、こう考えるのはおかしいか?」

「……なるほどな。いや、その考えには頭が回らなかった。手が詰まったなら考えてやらん選択肢でもない」

「詰まってんだろうが。俺はお前と心中すんのも、お前の為に死ぬなんてのも真っ平ごめんだからな」

「肝に銘じておこう。では一一、息災でな」

 どの口で言うのか。春風は軽く手を上げると扉を開けて出ていってしまう。

「分からねえ奴だな」

「……おい、こっち向け」

 三森に呼ばれて振り向くと頬に一撃をもらった。一は何が起こったのか分からずに呆然とする。

「てめェ、くだンねー事言ってんじゃねェぞ」

「……くだらない? 本当にそう思ってるんですか」

「くだらねェだろうが! 死神を倒せば済む話にいちゃもん付けやがってよ!」

「誰が倒せるんですか! 現に二人がかりでも無理で、二年経っても倒せてない。俺は死にたくない。方法があるなら賭けてみたい。俺は間違ってるんですか?」

 三森は言葉に詰まるが、引き下がれないのかまだ食って掛かる。

「倒せば良いンだろ倒せば!」

「じゃあ倒してくださいよ! 旅に出ろとか訳分からない事言うな! 結局勤務外にはそれしか方法がないんだよっ」

「うるせェ! うるせーうるせーうるせー! ごちゃごちゃ喚いてンじゃねェよっ、こっちだって好きで勤務外やってねーんだ!」

「なってるもんは仕方ないだろ! 今更文句言うなよ!」

「私の何が分かるってンだ! 好き勝手ぬかしてんじゃねェ!」

 ヒートアップする二人を、店長は止めようともしない。煙草を吹かし、やに焼けした壁を眺めるだけだ。

「じゃあ早く倒しに行ってくださいよ!」

「調子乗ンなよ下っぱァ! てめェからぶっ飛ばしてやっても構わねーんだぞクソが!」

 しかし、うるさい。店長は煙草の吸い殻を空き缶に押し付け、器用に椅子を回転させる。どうやって馬鹿二人を黙らせるか考えていると、電話が鳴った。タイミングとしては絶妙だったが、情報部から死神に関しての連絡だろう。どうにも、出る気が起こらない。

「……店長、電話ですよ」

「知っている。今出るからお前らは口を開くな。耳障りだ」

 受話器を取ると、予想していた通りの声が聞こえてくる。相手はオンリーワン近畿支部情報部の木麻だ。



 電話が掛かってきたのは幸運かもしれない。あのまま三森と言い争っていても得るものは皆無だったろう。一はパイプ椅子に座り、深く息を吐き出す。

「ほっとしてンじゃねェぞ」

 その隣に、三森がわざわざ椅子を並べて座った。

「……まだ言い足りないんですか?」

「ぎゃっはっはっ、ネチネチいじめてやンぜー……って、冗談だよ。私の性には合わねェからな」

 だったら、せめて今だけは隣に座らないで欲しい。一はテーブルに積んである雑誌を手に取り、わざとらしく三森から目を逸らした。

「それと、嘘を吐くのも性に合わねェンだ。つーか、私が吐いてもすぐバレやがンの」

「……嘘?」

「あの野郎全部喋ると思ったんだけどよ、最後の方は流しやがった。だから、私が話す」

 むきになっていたのは自分だけだったらしい。一は恥ずかしくなり、雑誌を元の位置に戻した。

「三森さん、怒鳴ってすいませんでした」

「う、うぇ? あ、あーあーあー、気にすンなよ。その、なんだ、こっちこそ悪かったな」

「……なんか、すぐカッとなっちゃうんですよね」

「もう良いって、な、あんま気にすンな!」

 三森は一の肩をばんばん叩く。

「三森さん相手だと」

 その動きがぴたりと止まった。

 三森は考える。今の言葉はどういう意味なのだろう。もしかしてまだ喧嘩を売られているのだろうか。しかし、お互いが謝ったのに、ここで蒸し返しては元の木阿弥。ループである。

「……そ、そっか。は、ははっ、私ってお前とよっぽど相性が悪いンだろうな」

「そうかもしれませんね」

 彼女は大人だった。だが今のところは否定して欲しくもあった。

「あー、じゃあ話すけどよ。一個だけ頼みがあンだ」

「ええ、なんですか?」

「話聞いても、春風を嫌いにならないでやってくれ」

 一は訝しげな顔で三森を見つめる。

「嫌いになるなとか、罵ってくれだとか、俺にどうして欲しいんですか」

「あいつ、ちゃんと言うと思ったんだけどよ、やっぱ無理だったみてェだからさ。とにかく、頼む」

「はあ、嫌いも何も、俺は元からあいつが好きじゃないんですよ」

「それでも良いンだ。今より嫌いにならないでくれって話だよ」

 良く分からないが、頷かなければ話は進まないだろう。そう思い、一は首を振った。

「……じゃ、ま、順を追ってくわ。春風の補足みたいな感じで。あ、それかお前の質問聞いてった方が良いか?」

 一は少しだけ考えて、

「質問でお願いします」

 頭を下げた。

「ン、何から聞きてェんだ?」

「……死神、ゲーデって奴のやり口っつーのか、戦法が知りたいですね。春風の家族はどうやって殺されたのか。教えてください」

 三森は頭を掻き、天井を見上げる。

「なンつーか、とにかくえげつなかったぜ」

「えげつない?」

「あの野郎は人の体ン中に入るんだよ。小さくなったりとか、そーゆーんじゃなくて、野郎がそのままそいつの体と重なって消えやがんだ。死神どころか、魔法使いかもしンねェな」

「……体の中に入って、どうなるんですか?」

「喋ンだよ」

 一は目を点にする。

「その、な、内容がえげつねェんだ。死神は……例えばお前に入るとすンだろ。そしたら、お前の秘密だとか、気持ちだとかが全部バレる」

「記憶を盗み見られるって事ですか……」

「それだけじゃねェ、その本人の口から、死神は好き勝手に喋るンだ」

 想像するだけでもおぞましい。記憶とは楽しい思い出ばかりではない。個人の隠してきた罪も嘘も、殺してきた感情も、全て纏めて記録されている。何者かに中から見られ、あまつさえ露わにされてしまったら。

「春風の家族も……」

「……最初は、あいつの親父さんだった。ま、ありきたりな話だったぜ」

「ありきたりって?」

 三森は煙草を指で遊ばせていたが、結局火は点けなかった。そのままへし折り、乾いた笑みを浮かべる。

「浮気してたとか、子供が最近うぜーだとか、大学に行かせる金があンならキャバ嬢に貢ぎてーだとか。ま、どこにでもいるおっさんの話だったよ」

「そんな、酷過ぎる」

「それだけじゃねェんだけどな」

 まだあると言うのか。一は唾を飲み込み、話の続きを待つ。

「親父さんが――死神が喋る度、親父さんの体が膨らンでくんだ。そんで、まあ、耐え切れなくなって……いや、実際キツい絵だし、意味が分からなかったぜ」

「膨らむって、風船みたいに、ですか」

「ンな可愛いもんじゃねェよ。人間の肉が膨らんでくんだぞ。穴っつー穴から無理矢理空気入れられてンの想像してみろ」

「あー、想像はやめときます。……春風の、母親も?」

「聞きてェか?」

 聞くなと言われているようで、一は首を横に振った。

 家族の仲を崩壊させ、修繕する機会さえ与えず、殺す。ゲーデの手口に、一は怒りを感じつつあった。

「両親が死んだ後は随分駆け足な説明でしたけど、弟が死んでるんですよね」

「あー、いや、死んだっつーか」

「?」

 歯切れの悪い三森に苛立ちを覚えたが、思い出してしまう。

 春風の家族は、三森に殺されたのだ。少なくとも、春風本人はそう言っていた。

「お前、聞いてンじゃねェのか。その、色々とよ」

 一は言いよどんでしまう。確かに、色々と聞いてはいたが、正直には言えない。

「気にしなくて良いぜ。事実だからな。なんならもっぺん言ってやる。私が、春風の家族を殺したンだ」

「三森さん、それは……」

「違わねェ。実際に殺したのは死神かもしンねーけどよ、私は何も出来なかった。馬鹿みたいに喚いて、あいつの親を両方見殺しにしたんだ」

「悪いのは、死神じゃないですか」

「やめろ。それにな、あいつの弟に関しちゃ、私はマジで殺してる」

「え……?」

 三森はポケットから煙草の箱を取り出す。一から、目を背けているようにも見える所作であった。

「殺したンだよ。私がこの手で」

「冗談ですよね」

「春風は、弟について何も言わなかったな。てっきり、もう水に流してくれたンだと思ってたけどよ、あの調子じゃあ割り切っちゃいねェわな。はっ、ま、虫が良過ぎるってもんか」

「あの、何を?」

「あいつはな、弟が好きだったンだよ」

 その話は以前、一も大学の構内で春風本人から聞いている。好きな煙草の銘柄だとか、自分と同じ大学に行っていたのだとか、話の内容もおぼろげに覚えていた。

「すげえ自慢げに話してました」

「じゃなくて、マジに好きだったンだよ」

「マジって、その……」

「家族としてじゃなく、男して、だよ」

「なっ……!」

 そんな、ドラマみたいな話聞いた事がない。聞かされるとは思っていなかった。一の頭は真っ白になり、混乱していく。

「そういうのって、駄目なんじゃないんですか」

「いや、外国じゃ知らねェけどよ、なンか、こっちじゃ取り締まる法律はないらしいぜ」

「法律とかじゃなくて、こう、倫理とか、道徳的な問題と言いますか……」

「昔じゃあ普通にヤってたって聞くけどよ。ほら、神話の神様とか」

 近親姦は、神話では禁忌や異種だのと特に取り上げられたテーマではない。だが、今は神の蔓延る世界ではない。あくまで人間の世界なのだ。

「私だってフォローする訳じゃねェけどな。そーゆーンは止められねェと思うぜ」

「恋は……にしたって、見えなさ過ぎる気がしますけど」

「かもな」

「でも、あいつの弟は、その、死神に……」

 殺された。その一言が、一には口に出せない。

「春風の親が死んだ後な、あいつは弟の為に必死になってた。親戚にも頼れねェし、自分らでなんとかするしかなかったンだよ」

「死神に狙われてたから、ですか?」

「寒い話だけどよ、珍しくもねェ話だよな。ンで、幾らか貯金もあったし、弟は大学に通えるようになった。傍から見てたけど、なンつーか、そこそこ幸せそうでもあったかな」

 家族は殺され、残った姉弟は歪に絡まり、もたれ合う。その幸せは砂浜に築いた城よりも危うく、脆いものだろう。一は息を吐き、張り詰めた何かを僅かなりとも吐き出す。

「特に何もなくて、一年ぐれェ経った時期かな。私はオンリーワンの勤務外として、ここにいた。その日はシフトに入っててよ、ソレが出たって聞いて、現場に行った」

 三森は煙草の箱をポケットに戻し、口の端をつり上げる。その表情がいたたまれなくて、一は顔を下げた。

「私が受けた命令は、死神を殺せ、だった。言われるまでもねェ。けど、ちっとばかし遅かった」

「もう、終わってたんですか?」

「そっちの方が救われてたよ、私も、春風もな。死神は、あいつの弟の体ァ乗っ取ってやがった」

 拳を強く握り込み、三森は床を睨み付ける。

「死神に乗っ取られたら終わりだ。野郎が見逃さない限り絶対に死ぬ。死神は実体と霊体ってのを使い分けるンだってよ。だから、こっちはもう何も出来ねェ。完璧手遅れだったよ」

「本当に、どうにも?」

「……死神を殺すには体に入られる前、実体化してる時に叩くしかねェ。けど、そりゃ無理な話だ。こっちの攻撃は当たらねー」

「無敵じゃないですか……」

 実体化している時でないと死神には攻撃が当たらない。霊体になられてしまっては攻撃が通じない。

「だから、やるなら一発でカタを付ける。野郎が何も出来ないまま、気付かないままにな」

「……三森さん、話の続きを」

「ン、あー」

 この期に及んで話を逸らそうとする三森に、一はもう何も感じなかった。

「春風の部屋でな、あいつは弟に、ヤられてた」

 想像は付いていたが、一は思わず息を飲む。

「正確に言えば、死神に乗っ取られた弟だけどよ。けどよ……」

 中身は違っても、外見は同じ。彼女の愛した男そのもの。

「もう、夏樹は原型を留めてなかった。ぶくぶくに膨れ上がって、意味わかんねェ事喚きまくって、そんで、そんで」

「三森さん」

「は、まるで化け物だったぜ。でもよ、あいつは抵抗してなかったンだ。相手は好きな男じゃねえ、人間ですらねェ。ただの肉の塊だ。なのに、あいつは、あいつはっ」

「三森さん、もう良いです」

 三森の悲痛な声が一の胸を突き刺している。どうする事も出来ないで、彼はただ話が終わるのを願った。

「死神にキレてもいねェ、泣いても、恨んでも! 諦めてたンじゃない、それどころか――ただ、ただ、あいつは……!」

「聞きたくないですってば!」

「……悪ィ。悪かった。私は、見てらンなかった。頭真っ白なって、気付いたら夏樹は死んでて、そんで」

 後はもう、一にも分かった。春風がああなったのは、最愛の弟を殺されたからだろう。初めて彼女と会った時、三森を、勤務外を、北駒台店を憎いと言ったのは――。

「春風の言っていた事、今の話を聞いて色々と納得出来ました。でも、同情するつもりはないんです。あいつの為に死ぬ理由もありません」

 一は椅子から立ち上がり、体を伸ばす。

「三森さん、春風と仲の良い友人ってのは、あなたの事ですよね」

「……ああ」

 仲が良かったとは訂正しない。つまり、そうなのだろうと一は歯を食い縛る。

「俺にはあなたたちの関係がいまいち分からない。本当に仲が良いのか悪いのか」

 三森は答えない。当人である彼女にすら分かっていないのか、それとも。

「……三森さん、釣瓶落としを覚えていますか?」

「忘れてねェよ」

「だったら、あなたがあの時、俺に言った事を覚えていますか?」

「……忘れてねェよ」

 ――守る。

 そう、彼女は言った。彼はその言葉で北駒台店への残留を決意したのである。分かっているから、お互いが直接は口にしない。もし口にしてしまえば、途端安っぽくなる。少なくとも、一はそう思っていた。

「あれは、本当に恥ずかしかったです」

「…………うるせェな」

「でも、嬉しかった」

「そーかよ」

 ぶっきら棒に答える三森は、一と決して視線を合わさない。

「ただ、あれが本当に、俺にくれた言葉だったなら。もっと嬉しかったんですけどね」

 彼は今、何かの壊れる音を聞いた。足元が定まらないのは、世界が割れ始めているからなのではと夢想する。

「三森さん、あの言葉は俺に、一一にくれたものなんですか?」

「おい、お前……」

 ここまで口にしたのなら、もう止まらない。

「それとも、春風夏樹にくれたものなんですか?」

「――てめェ……っ!」

「春風が言ってました。俺と、弟は似てるって。話が本当なら、俺はそいつと重ねて見られてても不思議じゃない。いや、むしろ自然でしょうね」

「私はンなつもり――」

「――なかったとは言わせません。あなただって、似てると思ってたから、だから、俺にあんな言葉を掛けたんだ。その気持ちが少しもなかったなんて、そんなの言わせない」

 三森は唇を強く噛み締めて俯いていた。謂われのない発言にはらわたが煮え繰り返っているのか、図星を言い当てられて返す言葉もないのか。一は、後者の意を彼女から読み取っていた。

「あなたたちは、俺に何を求めているんですか。守れなかったから、もういないから。次は、俺なんですか? 贖罪なら他を当たってください」

「……違う。私は、そんなつもり……」

「いや、違わない。逃げろだとか、今度こそ死なないでくれって言われてるみたいで押し付けがましいんですよ。――だから」

 一はとっくに電話の終わっていた店長に目を向ける。目が合うと、彼女は全てを理解している素振りで息を吐いた。

「事情が事情だ。一、好きにしてくれ」

「……お世話に、なりました」

 店長にだけ頭を下げると、一は足早にバックルームを出ていった。

 残されたのは固い沈黙と宙を漂う紫煙だけで、後はもう、何もない。脱け殻のような三森と、諦観した様子の店長だけである。

「電話の相手は情報部だった」

 やがて気まずい空気を嫌ったのか、店長はおもむろに口を開いた。

「仕事だ、死神を討伐しろだと」

「……奴が出たのか」

「春風がここに来た時点で察しは付いていたろ。犠牲者も出ている。早急に動け」

「おい、犠牲って……誰がやられたってンだよ」

 切羽詰まった三森を見て、店長は喉の奥で笑いを噛み殺す。

「殺されたのはオンリーワンの社員だよ。ただし、春風の部下だ。更に言えば、支部内でやられていたらしい」

「支部だァ? 冗談きついぜ、あそこは、性格はともかく腕は良い連中が揃ってンだぞ」

「さて、何があったのかな。とにかく、我々が受けた命令は一つだ」

「……春風、知ってンのかな」

 三森は煙草を口に銜え、自らの指に灯した火をぼんやりと眺めた。

「奴も情報部だ。知っているだろうさ。いや、知っていたからこそここに来たのだろう」

「知ってたから?」

「……今は関係ない話だったな。三森、一人では辛いだろう。誰を呼ぶ? ああ、この時間だからな、高校生は駄目だぞ」

「いや、私一人で良い」

「しかしな……」

 三森は長く、深く、煙を吐き出していく。

「あンたが言ったんだぜ、死神を倒せるのは私だけだってな」

「覚えていたか。ああ、そうだ。実体と霊体を行き来する死神には、お前の炎しかない。余計な相方は犠牲者を増やすだけだ。だがな……」

「分かってる。けどよ、ケジメ付けさせてくれや。これは私と、あいつの問題なンだよ。他の奴には首を突っ込まれたくねェんだ」

「ケジメなら、戦闘部を辞めた時に付けた筈だ。三森、それだけで足りないと言うならお前は」

 ――(ごう)、と、火花が散り、燃え盛る。三森は掌から火を生み出し、店長の言葉を遮った。

「店長、あンたには感謝してる。戦闘部抜けて、居場所のなくなった私の面倒見てくれてた。春風の事も、陰で色々助けてやってたんだろ。あいつだって、きっとありがたく思ってるよ」

「三森」

「……死神はどこだ。春風も、そこにいやがる、そうに決まってる」

「この間、草野球をやっただろう。あの河川敷グラウンドだ」

 頷き、三森はバックルームの扉に手を掛ける。

「さっきのあいつの真似じゃねェけどよ、世話ンなったな、店長。――ありがと」

「まるで別れの言葉だな。三森、必ず戻ってこい。シフトに穴が開く」

 その問いには答えず、彼女は曖昧な笑みを浮かべて店を出ていく。

 店長は三森から覚悟を決めた者特有の、死の気配を感じ取っていた。だから、何も言えずに見送った。何も言ってはいけないと思ったのだ。

「……馬鹿が」

 命は命で贖えない。ただ、無意味に消費されるだけだ。それでも、三森にそう伝えられたとしても、この結果は動かなかっただろう。何一つ変わらず、新たな命がまた、死神に刈り取られる。ただ、それだけの話なのだ。

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