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夏炉冬扇



 午後二時三十分。駒台大学グラウンドにて。

「早田、頼みがあるんだけど」

「うむ、了解した」

「……いや、まだ何も言ってないんだけど」

 一がそう言うと、早田は胸を張って得意げな顔をする。

「私が先輩の頼みを断るなどと、そんな大それた事をする筈がないだろう。何なりと用事を言いつけてくれ。買い物にエッチな事、代返、要人の暗殺にエロい事でもいかがわしい事でもとてもとても口には出せない事でも何でもござれだ」

「エロい事ばっかりじゃねえか!」

「私からエロを取ったらフットサルしか残らないではないか……あ、いや、フットサルも残らないな」

「残るわ! お前はスポーツにまで何を求めてんだよ」

「先輩、それで頼み事とはいったいなんなのだ?」

「実は、野球をやって欲しいんだけど」

「ほう、棒と玉を弄り回すプレイか。先輩も中々にオツな趣味をお持ちのようで」

「変な言い方すんなっ、昼間っから何考えてんだお前」

 早田は一を見つめ、口元に柔らかな微笑を湛えた。

「私は年がら年中先輩の事しか考えていないぞ。と言う訳でセッ――」

「――それ以上言ったら縁を切るからな」

「セパタクローをしようと、そう言おうと思っていたのだがな。いやはや、先輩はセパタクローがお嫌いのご様子。足でするよりも手でする方がお好みだとは。意外とノーマルだったのだな。しかし先輩安心してくれ。私ならば、どんなにアブノーマルな要求にも一秒掛からず快諾してみせる」

 一は席を立ち上がる。

「じゃあな。縁があったらまた会おうぜ。八十年後ぐらいに」

「待て待て、冗談ではないか。ユーモアのセンス溢れる先輩にしては、いささか気が急き過ぎる。もっとウェットな会話に花を咲かそう」

「ウィットだろ。ウェットだったら濡れてるじゃないか」

「ああ、ウェットで間違いない。私のここは既に濡れてるからな。はっはっは」

「お前の中身、本当はおっさんが入ってんだろ」

 性質の悪過ぎる冗談が続き、一の胃がもたれてきた。

「む、麗かな乙女に向かって失礼な物言いだな。だが、先輩に言われたのならばその恥辱も快楽へと容易に変換出来るというものだ」

「俺は野球をしてくれって言いに来ただけなんだよ。どうしてお前にセクハラされなきゃなんないんだ。訴えるぞ」

「う、訴える……? 何だか興奮してきたぞ」

「分かった、俺が悪かった。だからさあ、野球をしてくれるのかしないのか、それだけハッキリしてくれないか」

 これ以上早田と喋っていると、確実に精神に異常をきたしてしまう。一は一刻も早く会話を切り上げたかった。

「先輩がそれを望むなら。で、試合はいつからなのだ?」

「えっと、明日の午後一時から。場所は河川敷のグラウンドだってさ」

「了解した。では明日、そこで先輩の到着を待つとしよう」

「助かる。ありがとう。……ちなみにさ、早田って野球をやった事はあるのか?」

「え? 先輩、子宮がなんだと?」

「死球食らって死ねば良いのに」



 何はともあれ、アイネと早田が草野球に参加してくれる事になった。更に、早田は楯列にも声を掛けてくれるらしい。彼ならば快く頼みに応じてくれるだろう。一の気分は少しずつ晴れやかになり、軽くなり始めていた。

「……三時、か」

 一は携帯電話を持っていない。付け加えるならば、まともに連絡を取り合う事の出来る知人も少ない。基本的に、彼が誰かを頼りにするには、街中を歩き続けて誰かを見つけるしかないのだ。

 しかし、今日は朝からアルバイト。しかもまだ草野球の人数が揃っていないので、まだまだ動かなければならない。少しばかりの疲労を覚え、一は商店街を歩いている内、目に付いたゲームセンターに入っていく。自動販売機で飲み物を買い、空いている椅子にでも座ろうと思ったのだ。

「ざっけんなよイカサマ野郎が! 表出ろメガネ、レンズ割りまくってやらあ!」

 思ったのだが、やっぱり回れ右して帰ろうと思った。

 ゲームセンターならではの喧騒を打ち破る怒声。何だか、ここでは休めそうにない気がしたのである。

「イ、イカサマじゃない! あれはシステムに則った立派なコンボだよ!」

「死ぬまで喰らってたじゃねえかよ! ありゃなんだ、ハメだろハメ! もしくは無限ループって奴だ!」

「違うっ、ゲージ使ったら抜け出せるじゃないかあ! って言うか十回も同じ事されてんだから喰らった方が悪い!」

「良い度胸じゃねえかよ三下があ!」

 騒ぎの方に目を遣ると、どうやら対戦型格闘ゲームの対戦内容に片方がいちゃもんを付けているらしかった。もう片方も黙るなり素直に謝るなりすれば良いのだが、譲れないものがあるのだろう。必死に抵抗を続けている。

「しかし殴り合いには発展しないんだな……」

 一は騒ぎをぼんやりと眺めながら、缶コーヒーに口を付けた。

「喧嘩だ喧嘩! 本当の喧嘩って奴をオレが教えてやるよ! おらどうした掛かってこい!」

「なんだよこいつー! て、店員さん、店員さん助けてください! 変な女があ!」

「誰が変だってんだよ!」

「変な巫女服着てる奴のどこが変じゃないってんだよ! 中途半端なコスプレしやがって畜生! 巫女さんならもっとおしとやかに……」

「関係ねえだろクソが!」

 一は口に含んでいたものを噴出してしまう。

「……巫女?」

 口喧嘩をしている当人たちは野次馬に遮られて一からは良く見えない。が、時折見え隠れする紅白の衣装に、袖の千切れた巫女服が覗いている。そして何よりも、一人称がオレの、男勝りで乱暴な口調。

「なんで『神社』がゲーセンにいんだよ……」

 間違いなかった。あそこで、ゲームに負けて怒鳴り散らしている厄介な女は、現役のフリーランスである『神社』こと、山田栞その人である。

「どうしよう。止めないととんでもない事に……」

 一は情けなくおろおろとする。早く店員が来てくれないかと願ったが、誰も止めには入らない。いや、恐らく入れないし、入りたくないのだろう。

「大体君の使ってるキャラは強いんだよ! ダイヤグラムから見てもフレーム表でも見ても、強い技だって揃ってるんだっ、負ける方が難しいんだよ!」

「ダイヤがなんだってんだ! オレの拳はダイヤだって砕けるんだぞボケが!」

 ヒートアップする山田。このままでは確実に死人が出る。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

 一は意を決して、野次馬を掻き分けながら突き進んでいく。

「お、おお、一じゃねえか。聞いてくれっ、こいつがオレをハメまくりやがった! 卑怯過ぎるとは思わねえか? 思うよなっ? だからこいつぶん殴っても良いよな!?」

 山田は一の姿を認めるやいなや彼に駆け寄り、己の正当性を主張し始めた。

「駄目です! ほら、もう行きますよ!」

 無論、一が彼女の横暴を見逃せる筈もなく。

「だあああおい引っ張るな! オレはこいつを殴らなきゃ気がすまねえー!」



「落ち着いてくれました?」

「……悪ぃ。頭に血が上り過ぎてた。反省してる」

 山田はばつが悪そうな顔をして、一から缶ジュースを受け取る。商店街の路地裏、目立たない場所で他人の視線から逃れるようなところで、二人は腰を落ち着かせていた。

「ああでもあの野郎、勝ち誇った顔しやがって。畜生、思い出したら腹立ってきた……」

「栞さん、ゲームとかするんですね。ちょっと意外でした」

「いや、オレも最近始めたんだよ。ヒルデが舎弟に勧められたみたいでな。でもさ、あいつトロいだろ? ゲームもてんで駄目だ。んで、見かねたオレが助けてやる、お前を押しも押されぬプロゲーマーにしてやるぜって大見得切っちまってよ」

「ヒルデさんが、へえ。まあ、確かにゲームが上手なイメージはないですね。でも、栞さんは上手なんですか?」

 人に教えるというなら、ある程度他人より優れていなければならないのではないか。だが、ゲームセンターで負けて暴れる山田からは、ゲームが上手いなどとは到底思えない。

「分かんねえなあ。ああ、ただよ、あんまり勝てねえんだけど、どうやらオレにあだ名が付いてるらしいんだ」

「あだ名?」

「なんかゲーセンに入る度によ、指差されてこう言われんだ。『ゲームセンター荒らしだ』ってな。何でだろうな?」

「……まさかとは思うけど、物理的な意味じゃないですか? 栞さん、ゲームの機械壊したりしてないですよね?」

 山田は憤慨した様子でスチールの缶を握り締める。

「オレはクマか? ゴリラか? 馬鹿にすんな、ちょっとしか壊してねえよ! しかもゲーム機じゃねえ、自販機だ!」

 彼女の握り締めていた缶が、音を立てて破裂した。

「あ、やべ。ま、中身残ってなくて良かった良かった」

「弁償したんでしょうね?」

「あったりめーだろ。壊したものは買って弁償するのが筋ってもんだ。あー、にしても腹立つなあ。やっぱり今から殴りに……」

「駄目ですって。……栞さん、イライラしてます?」

「見りゃ分かるだろ。あんましつまんねえ事聞くんじゃねえよ、一。オレは今虫の居所が悪いんだ」

 物は試しである。何にせよ、声を掛けられる程度に仲の良い人物は限られているのだ。

「野球、やりませんか?」

「野球、だあ?」

 可能性があるのなら、声を掛けるに越した事はない。



 アイネ、早田、楯列、山田。トントン拍子とは呼べないだろうが、それでも一は四人の人間を集める事に成功した。ついでに、ヒルデが今いそうな場所を山田から聞いておいたので、彼は今そこに向かっている、という次第である。

「ここ、か……?」

 商店街の路地から路地へ、裏路地から裏路地へ。進むにつれ、行き交う人は徐々に少なくなっていく。やがて、準備中の居酒屋とシャッターの下りた金物屋の間に、入り口はあった。入り口と言っても、地下へと繋がる階段があるだけで、看板も旗も立っていない。入ってみなければ、下りてみなければ、そこに何があるか分からないのだ。

「ここにヒルデさんが」

 山田の話によると、ヒルデは部下の戦乙女に連れられて、彼女らのプレイするゲームが、駒台で最も盛んなゲームセンターにいるらしい。そのゲームセンターとやらが、ここ。一はごくりと唾を飲み込み、階段を下りていく。

「……?」

「へ、へへ。兄ちゃんやめときな、あんた素人だろ? 見りゃ分かるんだ。ここには魔物が棲んでる。楽しくやるなら、他に場所があるだろ?」

 階段を下りた先の自動ドア、その向かい側に憔悴しきった様子でへたりこむ男。一は彼を無視して自動ドアの前に立つ。

「どうなってもしらねえぞぉ!」

 ――なんだこの店は。

 来たばかりだと言うのに、一は疲れを感じ始めていた。

 店内に足を踏み入れた瞬間、一はぎょっとする。店の中が異様なまでに静まり返っていたのだ。勿論、営業はしている。ゲーム機だって音を立てていた。しかし、この店の喧騒を形作っていたのは機械だけなのである。人の声が殆ど聞こえない。だと言うのに、店内は人で溢れ返っている。誰も、一言だって発していないのだ。

「…………っ」

 一に突き刺さる視線。彼は今、客はおろか店員にまで完全に部外者とみなされたらしい。何をするでもなく、ただの暇潰しに来るようなところではない。この地を踏めるのは人間にとって大事なものを捨てた、悪鬼羅刹の類だけなのだと、無数の虚ろな目が、そう言っていた。

 まるでゲヘナ。あるいはユートピア。ここにヒルデはいない。一は悪魔に背を向ける。が、

「――ひっ!」

 完璧とも思われた、静謐な空気が割れた。声を上げたのはまだ若い男である。誰も、何も語らない。しかし、彼は他の客から叱責や罵倒を受けているかのように頭を下げ、啜り泣きながら謝り始めた。誰も、何も言っていないのにも関わらずだ。

「うっ、うああああっ!」

 何が起こったのか、一にはまるで分からない。

 だが、声を上げた男が店を飛び出した時、全てを理解する。店の隅に置かれた一対の対戦台。そこに座るは、色にするならば、全身から黒い闘気を立ち上らせている男だ。

 反対側に座るのは、この世全ての黒を塗り固めたかのような殺気を放つ女。

 この二者が画面を挟んで対峙した刹那、先程の男はプレッシャーに耐え切れず逃走したのだ。

 両者共に、椅子に座る姿は求道者か修験者に近いものがある。戦いだけを願い、求め、追い続けたストイックの完成形がここにあった。

 悪魔めいた男と死神めいた女の一戦、その火蓋が遂に落とされる。筐体に五十円玉が投入されたと同時、今まで静まり返っていたのが嘘だったかのような、一心不乱の大歓声が沸き起こった。

「うおおおっ、キター!」

「眠れる獅子がやっと目を覚ましたぜ!」

「タケハラのトラとヒルデのゲン! 俺はこのカードを待ってたんだ!」

 一には、彼らが何語を話しているのかが理解出来ない。のみならず、関係ない。一片の興味だってなかった。彼は死神めいた女に近付いていき、

「こんにちは、ヒルデさん」

「…………あれ?」

 まあ、何というか、水を差した。



「びっくりしました。ヒルデさんって、ゲームがお上手なんですね」

「…………恥ずかしい」

 対戦が終わった後、一はヒルデをゲームセンターの外に連れ出していた。

「お邪魔でしたかね。何だか、凄く盛り上がってたみたいだし」

「…………んん、全然。君に会えて嬉しい」

 ヒルデは照れ臭そうに俯く。彼女の仕草がたまらなく愛しい。一の頬は自然と緩む。

「いちゃついてんじゃねーぞコラァ!」

「いってぇ!」

 一の背中に強い衝撃が走った。殴られたのだと気付いた時には、彼の体は地に伏している。

「馴々しくヒルデさんに話し掛けんな。お前は北駒台だろ、私らの敵じゃないか」

 顔を上げて振り返ると、ニット帽を被った、いわゆる今風の女がそこにいた。その女性は腕を組み、侮蔑の表情で一を見下ろしている。

「……あ、舎弟の人じゃないですか」

「舎弟じゃねえぇぇし! はあ? もうマジで気持ち悪いんですけどー。私にも名前があんだよ、バーカ。南駒台店の戦乙女、シルト。まー別に覚えなくてもいーけどー」

 そういえば、そんな名前だったか。何分、初めて会った時から三人でワンセット的な存在だったので、一は殆ど覚えていなかった。

「ニットがシルトさんですね」

「なんだよこいつー、ヒルデさーん、超ウザくないっすか?」

「…………んー」

 ヒルデは小首を傾げて、そのまま安らかな寝息を立て始める。

「あー、寝ちゃったか。おい北駒台、ヒルデさん起こしたらボコるから」

「そっちのマスクオアサングラスの方は?」

 一はシルトの隣に佇む女性を指差した。彼女は随分と大きいサングラスに、鼻まで隠れたマスクをしている。そのせいで顔は殆ど見えない。

「シュー」

「ふーん、ニットじゃない方がシューですか」

 一の不躾な態度に、シルトは握り拳を作って怒りを露わにする。

「ねえ、あんたさ、私らに喧嘩売ってるワケ? ヒルデさんとちょっと仲が良いからってイキんない方がいいよ。こっちだってムカついてんだから」

 しかし、一は怯まない。立ち上がり、シルトを睨み返す。

「は、ざけんなよ。お前ら、俺に何をしたか分かって言ってんだろうな」

「……もしかして、あん時の事? はああっ? 根に持ち過ぎ、ストーカーかっつーの。カトブレパスで借りは返してやったじゃん。チャラ、チャラ。あんまりしつこいとヒルデさんに嫌われちゃうよー? きゃははははっ」

「俺はあんたたちに助けられた覚えがない。第一、まだ謝ってもらってないぞ」

「いやいや、私謝ったから。そっちが勘違いしてるんじゃないんですかー」

「……つるっぱげのくせに」

「んだとコラー!」

 いきり立つシルトをシューが諫めようとするが、一との対立は熱を帯びていく。

「こんな目に遭わせたのはてめーのツレじゃねーか! そっちが謝るのがスジじゃねー?」

「先に仕掛けたのはそっちじゃん。自業自得だろ」

「はあ? それってどういう意味?」

「……ああ?」

「だから、ジゴージトクってどういう意味なの?」

「うわーこいつ馬鹿だー!」

「ありえねー! てめーマジでありえねー! 馬鹿じゃねーし、馬鹿はてめーだし!」



 傷口を自らの手で広げだしたシルトを散々馬鹿にした後、

「なあ、なんであんなとこにいたんだよ。しかもヒルデさんを連れて」

 一は疑問を口にする。

「あんなとことか超ありえねー。あそこは私らの聖地なんだけど」

「……聖地? あのゲーセン、ヨハネが経営でもしてんのか?」

「今の言い方本気でキショかったんだけど。つーかさ、ヒルデさんヒルデさんってウザいんだよね。さっきも、私らが超苦労したカードパーにしちゃってさ」

 シルトは閉まっているシャッターに背を預け、一を強く見据える。

「ヒルデさんってゲーム上手いのな。栞さんはド下手って言ってたのに」

「あー、それはこないだまでの話だから。今じゃあのレバガチャ女よりヒルデさんの方が超強い。マジ強い。マジやば過ぎてやばい」

「ガチャ、って何?」

「あのゴリラのプレイスタイルだよ。格ゲーにはセンサイな指捌きがいるってのにコントローラのボタン適当に押しまくんの。何個新品が壊された事か」

 一は刹那にも満たない時間で納得する。

「栞さん負けず嫌いっぽいしなあ。それであんな嘘を吐いたのか」

「あー、いや、あのゴリラが一時でもヒルデさんに勝ってたのはマジだから。ヒルデさん、レバガチャされてもボッコボコにされてたんだよ」

「そうなのか? でも、今はヒルデさんの方が……」

 シルトは誇らしげに頷いた。

「強い。意外と、ヒルデさんも負けず嫌いだから。あのゴリラを見返したかったんじゃねーの?」

「……そりゃ違うんじゃないかな」

 一には、ヒルデが闘争心や競争とは無縁の人間に思える。思えて仕方がない。

「多分、遊びたかったんじゃないのか。栞さんと一緒に」

「はあ? もう遊んでんじゃんよ」

「だから、対等に。同じようなレベルで遊びたかったんじゃないのかって。自分が下手だからつまらなくしてるんじゃ、とか思ってそう」

「……でも、今のヒルデさん超つえーんだけど」

「まあ、そこはあの人にセンスがあり過ぎたって事で」

「…………ん、んん?」

 立ったまま眠っていたヒルデが目を擦って身じろぎをする。シルトは彼女の体を支え、隣にいたシューに目配せした。

「ヒルデさん、そろそろ起きましょうか。シューが目覚ましのコーヒー買ってきますから」

「…………ん、んん。甘いの……」

「大丈夫、私は分かってますって。……シュー、甘い奴だから! ブラック買ってきたらマジでシメっからな!」

 やっぱり舎弟じゃないか。一は甲斐甲斐しく動き回るシルトを見て溜め息を吐く。

 ――なんか、こう……。

 彼女は、本当にヒルデが好きなのだろう。一には羨ましくて仕方がなかった。損得抜きで誰かの為に動ける。恨めしくて仕方がなかった。

「なあ、北駒台」

「なんだよ南駒台」

「お前、ヒルデさんに用があったりした?」

「ああ、あったりしたよ。だけど、もう良いわ。邪魔して悪かったな。目が覚めたらヒルデさんによろしく」

 下心があった自分が恥ずかしいモノに思えて、一は逃げるように戦乙女たちから背を向けた。



 結局、一はヒルデに話を切り出す事は出来なかった。彼は仕方なく、あてどなく駒台を歩き回る。

「……五時、か」

 この時期、陽が暮れるのは一が思っていたよりも早かった。長くなる影を見て、彼のやる気は次第に萎えていく。暗くなってからも歩くより、明日の朝、早い内から誰かを探した方が良く思えてきた。何より、早く帰りたい。

「帰ろう」

「帰るのか?」

「うぎゃああああっ!」

 突如として。耳元に息を吹き掛けられ、一の全身に鳥肌が立つ。

「みっともない声を上げるな。それでも男か、一一」

「てめえ、また出やがったな……」

 一は耳を押さえて後退りした。彼の視線の先には、涼しい顔をした、と言うよりは、無表情の女がいる。彼女こそ――。

「ふ、私がどこで何をしようが、貴様の知るところではない。一一、貴様は私を誰だと思っている。オンリーワン近畿支部情報部二課実働所属の、春風麗だぞ」

 細く、しなやかなシルエット。黒いスーツに折れそうな程細い手と折れそうな程細い足を身に包み、腰まで伸びているであろう束ねた髪はリボンのようなもので無造作に縛っていた。

「相変わらずの長台詞をありがとう。しっかし良く噛まないよな、舌噛んで死んじゃえば良いのに」

「誰が噛むものか。情報部を舐めるなよ一一、私はこれを毎日欠かさず練習している。朝起きて、昼食を食べて、就寝する前にもだ」

「うわー、すごいや情報部」

 言いながら、一は早足で歩き出す。

「話は終わっていないぞ一一」

 その横を春風がぴったりとマークする。

「終わった。さっき終わった。だから付いてくんなって」

「一一、貴様、野球のメンバーを探しているらしいな。もう九人集まったのか? 九人友達はいたのか?」

「耳が早いな。つーか、友達どうのこうのは余計なお世話だ」

「そうか、世話焼きなものでな」

 一は一向に立ち止まらない。

「私を撒こうとしても無駄だぞ、一一。貴様の脚力では私を振り切る事は叶うまい」

「分かったよストーカー。話を聞くから五秒で済ませてくれ」

「野球のメンバーについてだが、心当たりがある」

 一の動きが止まる。

「え、マジ? マジなのか?」

「私はオンリーワンにとって不利益になる嘘は吐かん。一一、試合の相手がどこか知っているか?」

 春風も一の動きに合わせて立ち止まる。

「いや、と言うか何も聞かされていない」

「そうなのか? ふん、ならば私が語るべきではないな」

「語れよ! 何しに来たんだよお前」

「余計な事は言わないでおこう。さっきも言ったが、私がわざわざ来てやったのはチームメイトの斡旋についてだ」

「そりゃ助かるけど、誰が入ってくれんの? もしかして、春風?」

 一の言葉に春風は表情を変えた。が、その変化も彼女という人間を良く知っていない限りは気付かない程度の、僅かばかりの変化である。

「……いや、私はあくまで情報部だからな。表舞台には立ちたくはない」

「高いとこから飛び降りてきたり、すぐに人の後ろ取ってはしゃいだりしてさ、目立ちたがりのくせによく言うぜ」

「そんな姿を見せるのも、貴様の前だけだ」

「嬉しくないカミングアウトありがとう。しっかしさあ、お前の紹介って事だろ。オンリーワンの社員さんなのか?」

 文句も言っていられないのだが、チームメイトになるとはいえ、偉い人が相手だとどうにもやり辛い。

「残念だが、そこまでに人員を割ける余裕はない。一一、上を見ろ」

「……上?」

 言われるがままに空を見上げれば、気持ち良さそうに宙を泳ぐモノがいた。

「ありゃシルフじゃねえか。あ、おい、まさか……」

「人を集めるというのは存外苦労するものだ。ならば、人でないものにも目を向ければ良い。不思議な事に風の精霊は、貴様に懐いているようだからな。気がねなく利用すると良い」

 淡々と。春風は無感情に、無表情に告げる。

「既に何人かは確保しているのだろうが、貴様の人望ではまだ規定の人数には足りていまい。声を掛けるも掛けないも自由だ。尤も、クビになりたくなければ自ずと答えは決まるだろうがな」

「なあ、春風さん。野球に興味ないかな?」

「私を口説くならもっと熱い台詞を用意しておけ。一一、貴様と仲良く遊ぶつもりはないのでな」

「……消えろ、馬鹿」

「用は済んだ。そろそろ消えるとしよう。貴様に言われずとも、だ」

 たかが野球、されど野球。しかし、試合が始まるまでこんなに苦労するとは思っていなかった。一は今日何度目になるか分からない溜め息を吐き、再び空を見上げる。

「一一、今日は三十五回目の溜め息だな。幸せが逃げるぞ」

「とっとと消えろ!」

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